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2024年12月18日水曜日

源内忌(火浣布)

きょうは、江戸中期の万能の畸人、平賀源内(享保13年(1728年)~ 安永8年12月18日(1780年1月24日)、筆名に「鳩渓(きゅうけい)」、「風来山人(ふうらいさんじん))」が亡くなった「源内忌」にあたる。蘭学・本草学・浄瑠璃など異能多才振りについて、これまで本ブログに、耳情報による数行をメモしている。今回もダラダラと記す。

(本ブログ関連:”平賀源内”)

きっかけは鉱物趣味だったころ、彼の発明した「火浣布」が、現在の秩父市大滝の中津川で見つかった石綿をもとにしたと知って俄然興味がわいた。
秩父鉱山によく行ったせいもある(秋田藩の鉱山(銅山)との関わりも興味深い)。それにしても、江戸から秩父への道のりを考えると、彼が多々成し遂げた仕事の一つのために、精神も体力もついやす驚異の人と言わざる得ない。
ちなみに源内(鳩渓)は、その行動から「山師」とあざけられたりもした。

(本ブログ関連:”秩父鉱山”、”山師”)

■『マリンエンジニアリング』← Wikipediaの平賀源内の「出典」に掲載
「解説 マルチ人間 平賀源内の発想」(砂山長三郎、第55巻第5号、2020年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jime/55/5/55_604/_pdf/-char/ja
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まだ雪深い中で,2 月には採取した石綿から布を作り出します.中島一家の協力で出来上がり,「火浣布(かかんぷ)」(火で汚れが浣(あら)える布)と名付け,2~3cm 角の香敷(香を焚くときに炭の上にのせる網)に仕上げます.オランダ人一行に見せ,昔はトルコで織り出されたが今は何処にも出来ていないとの証言を得て,それらの経緯を「火浣布説」にまとめ,3 月香敷と一緒に幕府に献上します
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北越雪譜
■ 国立国会図書館デジタルコレクション
江戸時代後期の商人・随筆家「鈴木 牧之(明和7年1月27日(1770年2月22日) ~ 天保13年5月15日(1842年6月23日))」の著「北越雪譜」に、火浣布の記述がある。
https://dl.ndl.go.jp/pid/767990/1/5

■「北越雪譜」二編 巻之四(青空文庫)
「火浣布」: 源内の他に、黒田玄鶴と稲荷屋喜右衛門が同様に作ったが、いずれも術をつたへずして没した。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001930/files/58401_70229.html

■ レファレンス協同データベース
「『北越雪譜』火浣布に出てくる黒田玄鶴と稲荷屋喜右衛門」
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000025717



「近世人物夜話」
「秀吉から辰五郎まで-----」の四十編におよぶ人物話である「近世人物夜話」(森銑三、講談社文庫)に、源内の項がある。話は飛ぶが、ここでいう辰五郎は腹の据わった侠客で、徳川慶喜とつながったりして、江戸幕府がもし生きながらえていたらと想像したくなる。
源内については、江戸期に記されたいくつかの評伝を並べ、読み解いている。

源内は、大才であるが狭量だったようだ。源内のエレキテルを盗用したと錺(かざり)師(あるいは鍛冶屋)を訴え牢死させ、その後借金取りを切って死なせ**、そのお咎めで入牢するも自身がそこで最後を迎えるとは。そもそも事故物件の家に住んだという話もあって、波乱万丈の人だった。
(**)源内の門人であって、源内宛の密書を盗み見したからだと・・・さらに義経伝説のような顛末が続く話もある。

森銑三氏は、源内について「癇癪で自尊心が強く、変質者的な一面はあったにもせよ、源内その人は心置きなく交際のできる人物であったらうと、私は思っている。」と評している。