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2014年8月31日日曜日

公園散歩

夏を惜しむような陽射しに誘われて、昼過ぎ、近場の公園へ出かけた。途中、コンビニで新聞を買う。公園で読むためだ。

テニスの練習帰りらしい中学生たちとすれ違う。彼らを見て思った。「若いってのはいいな、若いだけでおつりが出る」と。無邪気だし、スポーツを楽しんでいるようで、うらやましく懐かしい。
そういえば、公園にはテニスコートがいくつもある。実際、そのそばを通れば、テニスを楽しむ若者たちで賑わう歓声が聞こえてくる。

公園広場は、休日にもかかわらず、思ったほど人出がない。盆休みにエネルギーを使い果たしたのだろう。夏休み最後だというのに・・・でも、親には親の言い分がある。

おさなごが、親に抱かれて泣いている。転んだのか、それとも意志が通じなかったのか。悲しげに泣くのに問うてみたい。「それほどに、つらいのか」と。「そうだ」と応えるに決まっているけど。

さて、いつもながら後悔するのは、木立下のベンチで新聞読みだ。桜が咲いた後には小さな虫が落ちてくるし、夏の終わりにはヤブ蚊に襲われる。今日も半袖姿だったため、腕を4ヶ所も刺された。
代々木公園で蚊(ヒトスジシマカ)に刺されて、高校生が「デング熱」に感染したのを思い出し、あわててベンチを離れた。

帰路、図書館に寄った後、見上げると、重いねずみ色の雲が覆い始めていた。

2014年8月30日土曜日

「Hidden Singer3」イ・ソンヒ編、地上波3社を抜いて視聴率1位記録

イ・ソンヒは、7/23(土)にJTBCの「Hidden Singer3」に出演して、歌まね挑戦者と競った。正直、挑戦者のチャレンジ力というか歌唱力に戸惑った。

(本ブログ関連:”「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ編」第2回 視聴率8.4%”)

なるほど伯仲するような雰囲気はあったんだ・・・と触れた、dongA.comに掲載(8/29)のアジア経済の記事「イ・ソンヒ、まねて歌う最も難しい歌手1位…理由は?」は、その上で、当日の放送を「地上波3社を抜いて視聴率1位を記録する気炎を吐いた」と次のように報じている。

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「HIDDEN SINGER3」が、去る23日放送された「イ・ソンヒ編」の裏話(ビハインド ストーリー)を公開した。

イ・ソンヒは、先に、付いて歌うのが最も難しそうな歌手1位に選ばれたことがある。だが、(今回の)放映時、歌まね挑戦者(能力者)たちが驚くべき実力で、実際のイ・ソンヒと寸刻を争って(次々登場して)、パネラーと聴衆に混乱をもたらして大きな話題になった。

実際に狭い空間で、自分の順番を待って歌を歌うのが、歌手にはとても奇妙な状況にならざるをえない。だから、歴代歌手は緊張で拍子を逃すなどの失敗をしたり、歌を歌うとき自身の特徴をさらに浮わつかせたりした。

だが、イ・ソンヒは自分がはっきりするような状況は最大限排除して、忠実に歌に内包された音楽的な部分だけ表現したという。歌で対決を繰り広げて、もうちょっと美しい放送を作ろうと思った風だ。おかげで歌まね挑戦者の優れた実力と原曲に対する愛情がより一層引き立って見ることができた。

歌まね挑戦者を直接指導した「HIDDEN SINGER」の公式ボーカル・トレーナーのチョ・ホンギョンは、「イ・ソンヒさんの歌唱力とヒット曲などを見ると、真似て歌うには困難と考えるほど難しかった。だから歌まね挑戦者をトレーニングして、イ・ソンヒさんの『音楽性』を最大限似ているように表現するのに主眼を置いた。」と伝えた。

特に、3ラウンド「美しい江山」の場合、原曲でイ・ソンヒがあまりにも力があって、きっぱりして真っ直ぐに落ちる唱法で歌っただけ、挑戦者などが非常に難しがったという。このために、シャトルラン(往復持久走)など特別なレッスンをしたが、ついにイ・ソンヒが「息(호흡)」と呼ぶ後半を、挑戦者は「口(입)」と呼ばなければならなかった。

このラウンドで、イ・ソンヒを先んじたキム・ウォンジュも、イ・ソンヒに比べて足りない体格と声量で練習時不足が見られた。しかし、キム・ウォンジュは、自身の音楽的メンター(師、指導者)のイ・ソンヒに完ぺきな歌をリリースするという一念で、実戦で120%の技量を発揮した。

「HIDDEN SINGER3」は、イ・ソンヒに会うために「スーパースターK6」本戦進出をあきらめたキム・ウォンジュと、声帯結節ができるほど練習に没頭したキム・ハヨン、イ・ソンヒのヒット曲「美しい江山」で2005年「全国のど自慢」上半期・下半期大賞を受けたチョン・ミエなどそうそうたる歌まね挑戦者たちとイ・ソンヒの美しいハーモニーで、地上波3社を抜いて視聴率1位を記録する気炎を吐いた

(略)

報に接したインターネットユーザーは、「HIDDEN SINGER3イ・ソンヒ編、イ・ソンヒの(次)2編をしてくれたらいいな」、「HIDDEN SINGER3イ・ソンヒ編、イ・ソンヒ最高だった」、「HIDDEN SINGER3イ・ソンヒ編、おもしろい」などの反応を見せた。
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2014年8月29日金曜日

(資料)京郷新聞 1984年「江辺歌謡祭」でイ・ソンヒが大賞受賞した記事

イ・ソンヒが、1984年に「Jへ」で大賞受賞したMBC第5回「江辺歌謡祭」(7月29日)の結果について、「京郷新聞」(7月31日)が報じた記事「若い熱気むんむん『江辺歌謡祭』 - MBC 創作曲・進行手腕目立つ」(【聖】記者)を、NAVER提供の「デジタルニュースアーカイブ」で見ることができる。

7月29日(日)に開催された歌謡祭の結果は、月曜日が新聞休刊だったため、7月31日(火)に掲載されている。

記事の最後に、「李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女。」と記されている。イ・ソンヒが登場した最初から、父親と仏教との関係について知られていたことになる。

(本ブログ関連:”イ・ソンヒと江辺歌謡祭新聞記事”、”NAVERデジタルニュースアーカイブ”)

当時の紙面について
① 使用の文字、記述
 ・ 括弧書きを” ”ではなく、「 」を使用(横書・縦書き同様)
 ・ 名前に漢字を使用(例:李文世=イ・ムンセ、이문세)
 ・ 敬称に「嬢」、「君」を使用
 ・ 句点をピリオドではなく、「。」を使用
② 歌謡界への健全化の意向を反映して、「健全さ」を強調

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先日29日、京畿道加平郡南怡島にて開かれた「84MBC江辺歌謡祭」決戦大会は、3,000余名の傍聴客が集まった中、決戦進出の10チームが出場、熱烈な競り合いを広げた。MBCは、若い大学生たちの好評に支えられて、第5回を迎えたこのたびの江辺歌謡祭の決戦実況をTVおよびラジオで生中継、夏夜の舞台をなお一層熱気でいっぱい満たした。

キャンパスのアマチュア歌手たちの登用門である「84MBC江辺歌謡祭」出品作は、大賞の栄誉を抱いた「Jへ」を始め、若者たちの切ない恋と友情を描いた曲が大部分で、エレキギターを動員した激しい曲よりは穏やかで情感ある曲が主流をなした。

文化放送がキャンパス内の隠れた人材を発掘のため設けたこのたびの行事は、参加曲がみな創作曲という点で、放送には意味あることとして受け取っている。

一方、このたびの行事は進行を引き受けた、李文世・吉恩貞2人の軟な話術が舞台ならびに放送席の雰囲気を健全に誘導し一層引き立つ舞台だった。李君は夏キャンプで広がりやすい低俗な揶揄怪声を笑(え)みで誘導する老練味を見せたし、先の4月、歌謡界にデビュー、初めての舞台進行を引き受けた吉嬢は、経験がない学生たちがまごつかないように安定感ある態度で司会に臨んだ

大賞の栄誉を抱いた混声デュエット「4幕5場」のメンバー、李仙姫嬢(18・仁川専門大環境管理科 1年)と林成均君(22・〃機械科 2年)は、思いがけない喜びに返って面食らった表情。

仁川専門大の音楽サークルである「4幕5場」メンバーの二人は、先春校内のギター発表会で息を合わせた後、ずっとデュエットで技量を磨いてきたと。「今、歌手としての基盤が固まったようです。趣味だけでした音楽を、今からは本格的に始める考えです」李嬢は、先輩の紹介で高校時代に歌手の張旭朝の作曲事務所(室)で、歌の練習をした隠れた経歴者。

「受賞曲もチャン・ウクチョ氏の事務所で会った先輩からもらいました」李嬢と林君は、参加曲を選定した後、約2ヶ月間、暇があるたびに息を合わせて来たと述べた。

「キャンパスソングは、大学のサークル活動の中でも人気がある課外活動ですよ」淡々とした表情の林君は、李嬢とは別に、将来の歌手活動は「考えて見るつもり」と、慎重な態度。

このたびの歌謡祭で、李嬢は高音の処理に巧みで(熟練している)、飾り気のない唱法で人気を集め、林君は豊かな低音で和音を合わせ拍手を受けた。李嬢は仏教界に従事する李鐘圭氏(50)の長女
林君は公務員である林炳業氏(52)の二男一女の末っ子である。
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2014年8月28日木曜日

夏の終わりを惜しむ

ここ4日ほど、エアコンも扇風機もいらない。気温30℃を境にしてぐんと下がり始めると、こんなにも涼しくなるのか、あっという間の夏だった。本当に惜しい気がする。
わがままだから言うのではない、底冷えするよりも暑い方が好いに決まっている・・・口癖だ。

日向で遊ぶ子どもたちのはしゃぎ声が聞こえて来ると、むかしの夏が呼び戻される。まぶしい陽射しも、風の匂いも、セミの鳴き声も、すべて今と変わらない。

子どもの頃、8月の夏休みは毎日が忙しくて楽しかった。この歳で感じる3ヶ月分くらいはあったように思う。家の廻りを、北側の貯水池の森に探検したり、西側の小山の林に基地を作ったり、北側の広場の傾斜地に湧水を発見したりした。それは、少年たちだけの秘密の行動だった。

空き地の草野球は、周りの家々に明かりが灯り始める頃までやった。一人が「ご飯よ」と呼ばれて帰った後も続けた。そしてまた誰かが呼ばれて帰る。仲間が次第に減り、辺りが暗くなったころ、ようやく終えた。
子どもというのは、陽が落ちて誰もいなくなった空き地に感傷に浸ることはない。そのとき、さて次に何をしようと嬉々としていたものだ。一日が長かったのだ。

夏は、おばかな少年にとって最高の季節だった。

2014年8月27日水曜日

イ・ソンヒ チュ・ヒョンミの「デビュー30周年記念コンサート」にサプライズ出演予定

日本でも根強いファン層がいる、トロット歌手チュ・ヒョンミ주현미、新暦1962年11月5日~)のデビュー30周年記念コンサートに、固い友情で結ばれたイ・ソンヒがサプライズ出演するという。チュ・ヒョンミは、イ・ソンヒと同様、「江辺歌謡祭」出身だ。

(本ブログ関連:”チュ・ヒョンミ”・・・薬剤師の資格まで持つ、中国との関わり深い歌手)

アイニュース(inews)の記事「チュ・ヒョンミ 『デビュー30周年、同期イ・ソンヒと互いに公演の助け合い(相互扶助、품앗이)』 - デビュー30周年迎えて記念アルバム発売・・・9月記念公演開催」(8/26、チャン・チンリ記者)は次のように報じている。

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デビュー30周年を迎えたチュ・ヒョンミがイ・ソンヒとの固い友情を示した。

チュ・ヒョンミは、26日午後、ソウル汝矣島の63コンベンションセンターで、デビュー30周年アルバム発売、およびデビュー30周年記念特別公演の「The チュ・ヒョンミ Show」開催記者会見に出席してデビュー30周年を迎えた所感を伝えた。

来る9月13、14日、ソウル光化門の世宗文化会館大劇場で開かれる、デビュー30周年記念特別公演の「The チュ・ヒョンミ Show」にはチュ・ヒョンミの30年の音楽友達イ・ソンヒがサプライズ出演する予定だ。

イ・ソンヒのゲスト出演について、チュ・ヒョンミは、「共に仕事して助け合おうといった。イ・ソンヒもデビュー30周年だから、互いの公演に行ってサプライズ舞台を飾ることを決めた」と、合同舞台をリリースすることになった理由を説明した。

チュ・ヒョンミは、「イ・ソンヒは、私よりデビューしたのが数ヶ月はやくて、私的な席では自分が先輩とも話すが、私より幼くて実の妹のような存在だ。以前には、家族よりも頻繁に会った」として、「最近、イ・ソンヒさんが『花よりお爺さん』のOST作業をしながら、私を入れたり、いつも新しくするよう刺激を与えたりする」と、イ・ソンヒとの固い友情を示した。

(略)

デビュー30周年記念特別公演「The チュ・ヒョンミ Show」は、来る9月13,14日両日間、ソウル光化門の世宗文化会館大劇場で繰り広げられる。今回の公演には「片思い(짝사랑)」、「ちょっとだけ(잠깐만)」、「新寺洞のあの人(신사동 그 사람)」、「本当に好きでした(정말 좋았네)」などチュ・ヒョンミのヒット曲舞台はもちろん、Guckkasten(覗き眼鏡)のハ・ヒョンウと、30年の音楽友達イ・ソンヒとともに行なう特別な合同舞台までリリースする予定だ。
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本ブログの左で、 チュ・ヒョンミの「사랑한다(愛してる)」をYoutube映像で視聴できる!

2014年8月26日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 旌善アリラン

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/20)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第69回として、江原道旌善(정선)地域に伝わるアリラン(아리랑)、「旌善アリラン」にまつわる話を紹介した。

始めに、アリランの江原道<旌善>について、次のように紹介された。
・旌善アリランの由来に、①朝鮮建国時期説や、②アウラジ(아우라지)川を挟んで恋をした二人の男女の話も伝わる。その歌詞に、旌善地域の当時の暮らしが伝わる。
・国土の7割は山で、その中で江原道旌善は、韓半島の脊梁(大幹)を成す太白山脈の真ん中、山深い奥にある。標高1,000mを超す数多の山、そこから出る水の流れは川と結びつく。百回も曲がりくねった水の流れと一千階層からなる絶壁と表現される。都会と遠く離れた地域だが、山奥の旌善を世に知らせたのは、美しい自然と歌、山と水と共に生きてきた人々の歌、旌善アリランだ。

▼ 旌善アリランを新編曲した「道(길)」の歌を聴く。ラウンジミュージックのよう心地よい・・・今様である。

次に、旌善アリランの由来①について、次のように解説された。
・地域に多様なアリランが伝わるが、ユネスコ無形文化遺産と、韓国文化財の両方指定されているのは旌善アリランだけで、1971年、江原道無形文化財第1号に指定された。
・多様なアリラン中、旌善アリランは最も歴史が長い。約600年前、高麗が滅び、朝鮮建国のとき、高麗臣下に朝鮮王の太祖(태조、李成桂)に不満を持つ者もいた。彼らは杜門洞(두문동)に隠れて生活した。その中の7人は旌善(居七賢洞、거칠현동)に入り、生涯高麗に忠節を誓い、山菜を食べて生活した。高麗を思い、離れた家族を考える、そんな気持ちを込めた彼らの詩を、後に歌にしたのが、今日の旌善アリランの始まりという*。

(*)「旌善郡ホームページ」より: 「大院君が景福宮を修造した朝鮮後期から、アリランが全国的に知られ始め、当時まで命脈をつないできた旌善の伝統音楽に『アリラン、アリラン ・・・』という音をつけて『リフレイン』として定着し、これを基に『旌善アラリ』、または『旌善アリラン』と名づけられた。」

▼ 「旌善アリラン(정선아리랑)」を弦楽器アジェンとピアノ演奏で聴く。あれれ、冬のソナタ・・・コラボ、今様である。

最後に、旌善アリランの由来②について、次のように説明された。
・アウラジ川を挟んだ、ヨリャンリ村の娘とユチョンリ村の青年は、ツバキを摘みに行くと言い訳して川を渡り、互いの愛を育ませた。梅雨時、川の水位が高くなって渡れないのを、娘が川の水を恨めしく思い歌ったという由来だ。現在、アウラジ川辺に娘の銅像が立っている。

▼ ソウル、京畿地域に伝わる「長アリラン(긴아리랑)」の歌を聴く。農作業の歌か、穏やかに伸び伸びと歌う。

・旌善アリランは、山中一人で農作業する身の安全を知らせるため歌ったともいう・・・そうだ。

2014年8月25日月曜日

緑色の橄欖(かんらん)石

「貧者の金(poor man's  gold)」といえば、金融関連では「銀」、合金世界では「真鍮」だそうだ。鉱物採集では「黄銅鉱」、砂金採りでは「金雲母」がいわれる。

それじゃあ、「貧者のエメラルド(poor man's  emerald)」は何だろうとネットで探すと、宝石「ペリドット(peridot)」*だそうだ。金と黄銅鉱ほどに大きな落差はないと思うのだけど・・・。確かにペリドットも緑色の範疇だが、エメラルドのような絵の具箱の緑色でなく、光の陰に茶褐色を感じさせる、ほどほどに落ち着いた味わいがある。

(*)ペリドットとエメラルドの宝石の歴史話題がFB「Marry Me Jewelry」に紹介されている。感謝。

「ペリドット(peridot)」の鉱物名は「橄欖石(olivine)」。橄欖石は、通称オリビンの名の通り、植物のオリーブ色を思わせる。
私の鉱物・・・好物の一つに、オリーブ樹の実を塩水に漬けたものがある。調子に乗って食べ続けてはいけない。せいぜい一回5粒程度かな・・・ああ、いけない、関係なかった。

橄欖石の有名な産地は、ネイティブ・アメリカン居留地のアリゾナはサン・カルロス、ホットスポットの活きのいいハワイ島海岸、日本では三宅島海岸、けれど何処にも行ったことがない。

どこで聞いたのか、アメリカ人の好きな鉱物の色は緑色という。エコグッズだけでなく、日常のポロシャツにも流行って・・・今じゃ、モードの理論通り、日本でも当り前の色になってしまった。

一般に鉱物標本の橄欖石は、小さな緑色結晶が多様に変化して群がったものが多い。宝石エメラルドのように濃い緑色でなく、ペリドットほどの豪華さはないが、地中マントル上部の記憶を伝えてくれる鉱物のこころざしを感じる。


(Youtubeに登録のjstsciencechannelに感謝)

2014年8月24日日曜日

「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ編」第2回 視聴率8.4%

昨晩、新大久保の「残暑会」から帰宅したとき、放送は終わっていた・・・Youtubeで少しは様子がうかがえる。

先週末(8/23)放送のJTBC「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ編」第2回の視聴率が8.4%だったと、ペ・ククナム.com*の記事「『HIDDEN SINGER3』 イ・ソンヒ編、視聴率急騰8.4%記録」は次のように報じている。(8/24、イ・コットゥル記者)

(*)ペ・ククナム.comは、韓流スターのインタビューやコラムをはじめとする、スターライフ、ニュース、スターコラム、写真などを顧客に提供しているとのこと。

(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER3”)
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「HIDDEN SINGER3」イ・ソンヒ編が高い視聴率を記録した。

24日、視聴率調査会社ニールセン・コリアが、首都圏有料世帯広告除外基準で集計した結果、23日放送されたJTBC「HIDDEN SINGER3」イ・ソンヒ編が8.4%の視聴率を記録した。

これは昨年10月12日放送された「HIDDEN SINGER2」の1回、イム・チャンジョン編が記録した4.3%より、4.1%ポイント上昇した数値だ。

この日放送された「HIDDEN SINGER3」では、高いシンクロ率を誇った歌まね能力者(挑戦者)の優れた実力とイ・ソンヒを愛するファンたちの感動的な舞台で、楽しさと感動全てをプレゼントした。イ・ソンヒもやはり、自身を大事にしてくれるファンたちの舞台に、「初めは心配したが、出演してよかった。今日は本当に貴重な時間だった」と述べた。

イ・ソンヒは、1ラウンド「Jへ」、2ラウンド「因縁」、3ラウンド「美しい江山」、4ラウンド「その中であなたに出会って」を五人の歌まね能力者(挑戦者)と歌った。
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▼ Youtubeに登録 「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ編」第2回映像 (それぞれの登録者に感謝)
イ・ソンヒファンを自称して憚らなかったが、イ・ソンヒ声質そっくりに歌う挑戦者たちの上手さに驚嘆。正直、区別のつかない、私は自信が・・・。(暫らくこれら映像が見られること願う!)

1st round 「Jへ(J에게)」 6人
https://www.youtube.com/watch?v=y2ilJlP2xpk

2nd round 「因縁(인연)」 5人
https://www.youtube.com/watch?v=3iaxXrFlsh4

3round 「美しい江山(아름다운 강산)」 4人
https://www.youtube.com/watch?v=3phWQSLqUUw

4round 「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」 3人
https://www.youtube.com/watch?v=HYLbPtdSesg

2014年8月23日土曜日

残暑会

残暑会、そんな言葉があれば、今晩の飲み会はそうだった。

美味い食事にアルコールが加わって会話が弾んだ。

先生には、お忙しいところを駆けつけていただいた。

若い仲間が彼の国で成績優秀とのこと素晴らしい。

誕生日おめでとう。

話し上手、話し好きな面を、仲間に発見するのもいい。

そして、体がデカくて、顔の広い幹事さんに感謝。

2014年8月22日金曜日

イ・ソンヒ「私がスカートを着る日には観客が涙涙となる」

1984年、「江辺歌謡祭」に登場したイ・ソンヒが、「Jへ」を歌って大賞受賞したわけだが、そのときのいでたち/スタイルは、まさに伝説のスタートとなった。

(本風ブログ関連:”江辺歌謡祭”)

今年4月18日~20に世宗文化会館で開く、3年振りのコンサート直前、SBS番組「ヒーリング・キャンプ」(4/7)で、イ・ソンヒが次のように語ったと、10アジアの記事(4/8、チェ・イエジン インターン記者)は伝えている。
基本的に知られていることだが、含みのある部分を次に記す。(抜粋)

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・1984年の江辺歌謡祭でのパーマ頭について:
「前日までストレートだった」、「両親が歌謡祭に出場するのを反対した。両親をだますために偽装用にパーマをした」

・江辺歌謡祭でのスカートファッションについて:
「(番組)PDが、女性はみなスカートを着ろと言った」、「(舞台で着た)スカートは、客席の小学生に借りた」

・「(その後)スカートを着ないで常にズボンだけ履いておられた。それで男といううわさもあった」について:
「私がスカートを着る日には、観客が涙涙(涙の海)となる」と付け加えた。
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(参考)
イ・ソンヒは、歌謡祭でのスカート着用について、自伝となる「イ・ソンヒのスター・ストーリー「7.『江辺歌謡祭』の裏話」」の中で、次のように語っている。
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待望の「江辺歌謡祭」決選の前日、私は「変装」した。ひょっとして父や知り合いがTVを見ても、私が誰なのかを見間違えるようにしようと。まず、頭をチリチリにパーマしたし、メガネも視力が似た友人のものと替えて使った。その上、行事当日の演出者シン・スンホ先生の強要(?)で、着ていたジーンズをスカートに着替えたので、それなりにほとんど完ぺきな変装をしたわけだ。

その時借りてはいたスカートの持ち主は春川から来たオ・ヘウォンという女子中学生だった。余裕がなくて返すことができなかったが、今も家に保管している。この記事を読むことになれば、その時の私のジーンズとヘ・ウォンさんのスカートを交換をする心の準備はないのだろうか・・・。
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(参考)
歌謡祭でのパーマとスカート着用後は、もっぱらズボン姿が彼女の基本的イメージとなった。

① 中高時代の制服はスカートだったので、ズボンを履きたいと思っていた。
② 当時、歌謡界でズボン姿で流行った女性歌手とともに、「ズボン三銃士」と呼ばれた。
③ 彼女は、自分の脚に自信がないと語ったことがあるが、そんなことはないという人もいる・・・。
④ あるコンサートで、彼女が珍しくロングドレスで登場したとき、会場にどよめきが起こった・・・。

最初から彼女が、女学生ファンに何より好まれたのは、女性を前面に打ち出す当時の歌謡界の中で、未分化な自身に照らして、心理的に最も馴染みやすい位置にいたからではないだろうか。(日本でも、未分化と童顔が特徴な女性歌手を、ジャンルは違うが、二人ほどあげることができる)

2014年8月21日木曜日

暑いときは喉を潤す

子どもの頃、そろそろ夏休みが終わりに近づいたと気付くのに、カレンダーの残り少ない日数よりも、ツクツクボウシヒグラシの鳴き声だった。何度か夏休みを重ねると、この時期に、日中威勢よく己の名を繰り返すツクツクボウシに空元気を、夕暮れに「カナカナカナ」とデクレッシェンドするヒグラシに哀愁を感じた。それは、舞台袖が幕引きの準備にざわめいているようである。

今日、アブラゼミに混じって、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。やはり、夏の終わりを迎えようとしている。これからは日一日、秋の気配が深まるのだろう。

私は底寒い冬よりも、熱暑の夏の方がましだ。とはいえ、今年の夏、広島を襲った集中豪雨土砂崩れ災害に驚いた。関西、中国地方の表面を覆っている、花崗岩が風化した「マサ土(ど)」のあっけなさ。花崗岩地域で鉱物採集したとき、何度か茶色に変色したマサ土に遭遇した。皆が、花崗岩が「腐った」という表現をしたのを思い出す。

とはいえ続く強い陽射しと照り返しに、喉を癒そうと近所の店で冷たいものを探す。ノンアルコールのビール缶を5種求めた。
元来、アルコールは苦手だ。ノンアルコールにもかかわらず、ビールの香りがするだけで不思議と酔った気分になる。決して美味いとも思わないけれど、夏の風物詩として、夜風を受けながら飲むことにしようか。

2014年8月20日水曜日

「浜辺の歌」

むかし、結核は死の病だった。確実に蝕み最期を迎える。しかも、それは早い。母が子ども時代、結核患者の出た家の前を通るとき、息を止めて走り過ぎたという。誰もが、そんな恐怖を共有した。

竹久夢二の描く女性像に、はかなさと寂しさを残す結核患者のイメージがある。当時、小説や絵画を通して、若くして夢を失う姿を身近に感じられたのだろう。今はその実感がない。ちなみに、竹久夢二は結核を患って、一年も満たずに亡くなっている。

また、祖母が幼い頃に見たという、お遍路さんの中には、(他の重病だが)体が確実に蝕まれながら死に場所を探すひとたちがいたという。お遍路の行為に、生と死の境を旅するという実感は今はない。

死と直結した結核を同心円にして作品に接すると、その時代の思いに一歩でも近づくかもしれない。
懐かしい歌曲、「浜辺の歌」の作詞者林古渓には、結核療養した恋人がいたという(ネット上で知る)。また、作曲者の成田為三も、この病の友人を療養所に見舞ったという*。

(*)「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)に、この歌について次のような一節がある。
「(歌の舞台の)候補地の一つ、(秋田県の)『道川海岸』説をとる岩城町は、同町の結核療養所に友人を見舞った成田が、月見草の咲き乱れる道川海岸を見て曲想を得たと主張する」

美しい旋律の「浜辺の歌」に、今とは違うものを当時の人々は感じていたかもしれない。

「浜辺の歌」

あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
よする波も かいの色も
   
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも


(Youtubeに登録のyasuji4193に感謝)

2014年8月19日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 カトリック

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第68回として、ローマ・カトリックのフランシスコ法王の訪韓(8/14から4泊5日)に当たり、カトリックにまつわる(音楽の)話を紹介した。

最初に、殉教者、金大建김대건、1821年8月21日~1846年9月16日)神父の紹介から、次のように始まった。
・フランシスコ法王訪韓の目的は、アジア青年大会参加だ。15日、大会開会式が開かれる忠清南道唐津のソルメ(솔뫼)聖地を訪れる。同地は、初めて神父としてミサを捧げ、カトリック迫害て殉教した金大建神父の故郷。17日、閉幕のミサを捧げる海美邑城(해미읍성)、この石城で、興宣大院君政権の朝鮮末期(1866年)、カトリック迫害で一千人余の信者が処刑された。

▼ 「愛の頌歌(사랑의 송가)」をカヤグム演奏。

次に、朝鮮カトリック伝来について、次のように説明された。
・韓国カトリック信者に一番誇らしいのは、西洋の伝道師が来る前からカトリックが伝わっていたことだ。朝鮮時代にカトリックは、文禄・慶長の役(1592年~1598年、韓国でいう壬辰倭乱)、北京を往来する人々を通じて伝わった*。
    (*) K-Wikipediaに、文禄・慶長の役に日本軍についてきた宣教師により伝播した説と並ぶ。
・西洋の神父と交わる中で書籍も伝わり、西洋の学問を学ぶことができた。

▼ 「賛美の祈り(찬미의 기도)」を横笛テグム演奏。

最後に、朝鮮時代のカトリック迫害史について、次のように解説された。
・1784年、北京で朝鮮初の洗礼を受けた李承薰(이승훈、1756年~1801年)は、多くの聖書を持ち帰るなどしてカトリックを伝えた。朝鮮では、主に有識者がカトリックを学問として受け入れた。そのほとんどは既に権力を失ったヤンバン階層で、彼らには力がなかった。また、先祖を重視する儒教の祭祀を否定するカトリックに不満に思う者も多かった。
・カトリック伝来後しばらくして迫害が始まる。朝鮮末期(1866年)、「丙寅教獄(丙寅迫害、병인박해)」で、9人のフランス人宣教師、8,000人の信者が亡くなったが、その後多くの人々がカトリックの教えを学び信仰を守った。

▼ 「アン・ジュングンがカトリックに入門する」の創作パンソリ。

(参考)
2005年度「韓国の宗教人口の分布」(KBS)によれば、国民人口の53.1%が宗教を持っている宗教人口のうち、仏教徒が43.0%、キリスト教徒が55.1%(プロテスタント34.5%、カトリック20.6%)である。
(統計庁人口総調査による)

2014年8月18日月曜日

サルスベリの花

親たちの夏休み(盆休み)が終わり、今日から日常に戻る。子どもたちは、まだまだ貴重な夏休みが続き、毎日が忙しい・・・来週になって宿題に慌てるのだろうけれど。

暑さのせいか、外で遊ぶ子どもの声が聞こえない。夏休みの音を探せば、小学校の校庭を囲む巨木の葉陰からアブラゼミの鳴き声が聞こえてくる。それ以外、実にのんびりして静かなのだ。

近所の植木園いっぱいに、サルスベリの木が育てられている。この時期、紅桃(紅紫)色、白色の古風で小さな花が木々を覆う。中国南部原産というサルスベリ、花の色合い、つるりとした幹の具合から、いかにも中国の画に描かれていそう。とりわけ夕暮れのサルスベリは、香(こう)の香(か)が辺りに漂っているような錯覚を与える。

(本ブログ関連:”百日紅”)

例年、見事に花を咲かせるサルスベリ(百日紅)だが、今年は元気がない。花びらが小さく、色落ちしているように見える。民家の垣根越しに咲くサルスベリも、鮮やかさに欠ける。私の見間違いだろうか、どうしたことだろう、もったいない。


(付記)
花を愛でること。桜花は散る姿もよいが、満開の樹下に立って見上げるのもよい。陽を受けた花弁を透して薄桃色の光が辺りを覆う。他の花にない経験だ。桜花はそれだけに美しい。

2014年8月17日日曜日

イ・ソンヒの「共存」

イ・ソンヒが、新たらしい試行に挑んだアルバム11集(1998年)には、原題が「공존(共存)」(チョ・ウンヒ作詞、イ・ソンヒ作曲)という曲が収められている。思い出にひたり、そこに残った微かな縁(えにし)を信じる。ハングルのタイトルに付された「共存」の漢字に、すこし堅苦しさを感じるが、たとえ成就せずとも互いに(東洋的な)絆でつながっていたことを美しく歌い暗示する。

(本ブログ関連:”共存”)

ちなみに、スーパージュニアのライブアルバムには、「공존(命運線、Destiny)」という同名曲がある(daum music)。こちらは、若く明るい絆のようだ・・・聞いたことありませんが。


「共存(공존)」

旅は終わったの、私たちの愛も
戻るには、あまりにも遠い 道に旅立ったわ
夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の、愛は過ぎても 思い出は残って

*私のそばに止まった風、私の中にあふれた陽射し
いつか、傍(そば)を通り過ぎていくでしょう
永遠(とは)に私は見れなくとも

一つになれなかった、世界が嫌(いや)になっても
恋しい、私の心の根は
いつも貴方に向いて深いから

(*)以下繰り返し

夜空の星のように、胸に積もる
一瞬の愛は過ぎても、思い出は残ったわ
う〜ん

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2014年8月16日土曜日

靴投げ合戦

地方にいた子ども時代、隣りのクラスと口ゲンカになって、互いの男子が揃って下駄箱から靴を取り出し、投げ合ったことがあった。きっかけは忘れた。

さて、その後始末がどうだったかはっきりしない。靴をそのまま放りぱなしにした筈もないから、きちんと元の場所に戻したのだろう。散らばった靴を見て、子ども特有の感で、それが誰れのもので、どこへ置けばよいか分かっていた。

投げ合っている最中、妙に楽しくて、靴が弧を描いて飛んでいく光景を今でも覚えている。やったぜという気持ちは、多分隣りのクラスの連中も同じだったに違いない。靴箱の靴がなくなると、それで終わった。子どもの熱狂が急にしぼんだのだ。

もちろん、クラス同士が靴投げ合戦しているのを、教師が気付かないはずもない。遠くから高見していたのだ。今思い返して驚くのは、靴を投げあった後に、教師から咎めがなかったことだ。説教された記憶がないのだ。

ある意味、粗野だが、そこに暗黙のルールがあるという、昔の子ども喧嘩だった。それを見て、教師はもう一つ別の大人の視点を持っていたのかもしれない。その土地の気風もあって、腹が座っていたことになる。

私が、この暗黙のルールが全く効かないと気付いたのは、東京の小学校に転校したときのことだった。

2014年8月15日金曜日

女性初、フィールズ賞受賞のニュース

マスコミ各紙が、4年に一度、数学界の若手の才能を顕彰するフィールズ賞で、初めて女性数学者のスタンフォード大学教授マリアム・ミルザハニ(イラン出身)が受賞したと報じている。数学の世界、女性初ということで、そうだったのと素人は感心するけれど。

ノーベル賞受賞の場合、マスコミの記者が競って解説記事を載せるが、フィールズ賞の場合、そんなチャレンジ記事が見当たらない。書く方の記者だって大変だろうけれど、読む方のわれら読者に分かるはずもない、多分。

だから、この際、フィールズ賞受賞のニュースは、「女性初!」が中心に報じられる。

学生にも読める、ワトソン、クリックのノーベル賞受賞のベースになった、DNA二重螺旋 (DNA double helix) 構造の論文(「核酸の分子構造」、1953、Nature)は、1ページちょっとのシンプルなもので、しかも直感的に、二重螺旋構造のイメージさえ浮かべばよいのだから。思弁的な理解は必要ない。
二重螺旋構造のヒントになった、DNAX線解析の写真は、女性科学者の手によるものだったけれど、60年ほど昔の話。

そう、今回のフィールズ賞について、「で、それで何が凄いの?」なんて、誰も踏み込んで聞こうとしない。ああ、数学ってドラマがありそうで、なさそうで。(ガロアは別にして)

2014年8月14日木曜日

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

ドアを開けると、玄関先の床のタイルの溝に沿って、いつもと変わらぬ蟻(アリ)の列が続く。上から覗いて、隊列一匹一匹の区別がつく筈もない。この夏を懸命に生きて、来年に命をつないでいる。

(本ブログ関連:""、”にわかファンの困惑”)

始まりと終わりを知らぬ蟻だけど、自然の中で、一匹ずつ命を持ち、運命が待っている。彼らは(仲間の中で)ほかとの違いを主張しているようでもない。

私たち(人間)は、共通の言葉を持ち、価値まで作ってしまった。「私は、ほかと違う」という思考で、そう生きようと四苦八苦する。ファッションも知識も、ほかと違うことに一生懸命だ。
でも、蟻は言葉なんて持ち合わせてないから、その場、その瞬間に行動するのが精一杯だろう。黙々とあんな風に仕事をこなす。仕事を放棄したり、逃亡した蟻は知らない。

でもねえ、私が一番というのも悪くない。神様がくれた最高の賜物かもしれない。たとえ実現できなくても、最高の夢を見られたのだから。

イ・ソンヒが誕生した年に大ヒットを飛ばした、シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年8月15日~)の「(邦題)アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser:踊りに行く一番の美人)」(1964年)は、彼女のデビュー頃の好みの笑顔で、聞かせてくれる最高の夢だ。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

(Youtubeに登録のwin081に感謝)

2014年8月13日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 百中

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(8/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第67回として、道教由来の中元に当たる陰暦7月15日の「百中(백중)」にまつわる話を紹介した。

始めに、「百中」の起源と、関連する両親の日の行事について、次のように紹介された。
・陰暦7月15日、中元を韓国では「百種(백종)」といい、この時期、収穫の百種類の穀物の種を備え置いたの意がある。「百中」、「中元(중원)」ともいう。道教で、心を込めて馳走を準備し神に祭祀を捧げた。仏教で、「亡魂日(망혼일)」といい、亡父母、祖霊を供養して倒懸の苦(逆さに吊るす苦しみ)を救う行事だ。
・日本に「父の日」と「母の日」があるが、韓国は5月8日が「両親の日(어버이날)」で、親孝行をする日でもある。昔は百中がその日だった(今年、陽暦8月10日(日)が当たる)。

▼ 「悔心曲(회심곡)」(回心曲)を聴く。仏教音楽中でも民謡風という。習合の要素だろうか。

次に、仏の弟子目連のなき母への供養から盂蘭盆節が始まったと、次のように説明された。
・亡父母、祖霊を供養して倒懸の苦を救う日を盂蘭盆節という。日本では「盂蘭盆会」と呼び、釈迦の時代に由来する。釈迦の優れた弟子「目連」は神通力があったが、彼の母はむごく、目連が亡母を探したところ、飢えと渇きに苦しむ餓鬼道に堕ちていた。罪深い母としても、目連は母を助ける方法を訊くと、釈迦は、僧侶が精進を終えて日常の修行に戻る7月15日に心を込めた馳走を準備して供養をするようにと答えた。供養により、亡き親、生きている親も全ての災いから逃れられる。目連がそうすると、母は餓鬼道から出た。その時から盂蘭盆節が始まった。

▼ 「お母さん(어머니)」を聴く。呼べば返った母の声が、今は懐かしい・・・今様ながら、誰にも共通の心情。

最後に、百中の頃に農民がしばらく休む「ホミを洗う日」の由来について、次のように解説された。
・百中が終わる頃、農村では草刈も終わり、しばらく余裕のある時期になる。当分、農具「ホミ(虎尾、호미)」を使うこともない。「ホミを洗う日」といい、農夫もこの日ばかりは休み、馳走と酒を楽しむ。雇人のために、主人が新しい服を買ったり、雇人がまだ未婚なら、嫁を見つけることもあった。昔の人々には、この日、心を配って周囲を思いやる、共に生きる知恵があった。

▼ 歩きながら演奏する「珍島(진도)道軍楽(길군악)」を聴く。ちょっと洗練して聞こえるが・・・明るい。

2014年8月12日火曜日

イ・ソンヒ 30周年記念コンサート全国ツアーの追加(安養、昌原、高揚)

インターパークによれば、イ・ソンヒの30周年記念コンサート「歌う イ・ソンヒ」全国ツアーに次の通り3会場が追加された。ここ3回のコンサート中、最大のツアー規模になる。

・安養(안양)9.13-14:「安養室内体育館」(予定
・昌原(창원)10.17-18:「昌原城山アートホール大劇場」(予定
・高揚(고양)11.1-2:「高揚アラムヌリ アラム劇場」(予定

(本ブログ関連:”30周年記念コンサート”)


コンサート”歌うイ・ソンヒ”全国ツアー
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・ソウル4.18-20:「世宗文化会館」4月19日レポート
・大邱5.10-11:「大邱エックス5階コンベンションホール」
・蔚山5.24-25:「蔚山東川体育館」
・光州6.7-8:「金大中コンベンションセンター」
・城南6.14-15:「城南アートセンターオペラハウス」
・釜山6.28-29:「KBSホール」
・富川7.12-13:「富川室内体育館」
・全州8.30-31:「韓国ソリ文化の殿堂 モアク堂」(予)
・安養9.13-14:「安養室内体育館」(予)
・大田10.4-5:「忠南大学正心華国際文化会館正心華ホール」(予)
・昌原10.17-18:「昌原城山アートホール大劇場」(予)
・高揚11.1-2:「高揚アラムヌリ アラム劇場」(予)

2014年8月11日月曜日

台風と竜巻

巨大な台風と竜巻は成因が違うといっても、宇宙に浮かぶISSから見た写真を見ると、素人目には両方とも大きな目をもった上昇気流の渦にしかみえない。

今回のノロノロ台風11号のその端で、栃木県に竜巻様なものが発生した。現在、この現象を調査中であり、竜巻と断定していないようだが・・・調査結果を報告するためには、発生のメカニズムの説明が必要になるだろう・・・。

気になるのは、温暖化により、台風の性質が変わってきているのではないだろうか・・・そのことにより、台風の外側に小さな竜巻様なものが生じやすくなっているのではないだろうか。今後も同様なことが起こるのでは、気になる。

アメリカの巨大竜巻(ハリケーン)は、その外縁に小さな竜巻が生んでいないだろうか、知りたい。

流体に見られるように、大きな流れが物体に衝突したとき、小さな渦流ができるようなメカニズムが、台風と竜巻のような関係で、生じることはないのだろうか。関東地方、栃木県の地上の形状、平地、山地、川などが影響したのでは・・・。

2014年8月10日日曜日

台風11号と「HIDDEN SINGER3」前舞台

朝から土砂降り。しばらく止んでまた降りだす。そんな繰り返しに、午後には強風が加わり、やがて、風だけが間隔をあけて吹くようになった。
鉱物採集に行く途中にある、(Outer rain bandよりOutかもしれない)栃木県の或る町に強風が吹き、まるで竜巻に襲われたようだ。明日、地元気象台が調査するという。もしかしたら、台風来襲と合わせて竜巻がセットされたかもしれない。
今日一日、天気不安定なため外出もままならず、久し振りに整理整頓にはげむ。

お話し変わって

いよいよ今月16日(土、午後11時~)放送される、JTBCの「HIDDEN SINGER(히든싱어)3」の前舞台として、「9日(土)放送されたJTBCの『HIDDEN SINGER3』では、イ・ソンヒが歌まね能力者の声を聞く姿が映じられた」と、WOW韓国経済TVの記事「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ出現…歌まね能力者シンクロ率に、衝撃(mental崩壊)『どれくらいぴったりなんだ・・・』」(8/10)は、番組内の様子を次のように報じている。

(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER”)

(アンダーラインの歌手について不案内で・・・)
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イ・ソンヒが出るという消息(ニュース)にフィソン、キム・ジョングク、ペク・チヨン、VIBE(ユン・ミンス、リュ・ジェヒョン)は驚きを表わした。

続いて、あるスタジオで、キム・ギョンホ、ペク・チヨン、イム・チャンジョンなど、「HIDDEN SINGER」に出た歌手が一緒だったし、キム・ギョンホは「一小節だけうまくやれば良い」と注意深く助言を示した。

引き続き、イ・ソンヒは、キム・ギョンホ、イム・チャンジョンなどとコラボレーション舞台を披露した。この後、イム・チャンジョンとペク・チヨンはイ・ソンヒの歌に涙を流してしんとさせた。

イ・ソジン、ソン・シギョン、イ・スンギ、シン・ドンヨプなどが歌まね能力者の声を聞いて驚き、特にソン・シギョンは、「イ・ソンヒ先輩が6回驚かれた」と話した。イ・ソンヒさえ混乱に陥り、シーズン3の初回に対する期待感を高めた。

HIDDEN SINGER3のイ・ソンヒ出演の消息(ニュース)に、ネチズンは「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ、その方が来られた(=聖書的表現)」、「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ、わっ 冗談じゃないよね」、「HIDDEN SINGER3 イ・ソンヒ、最強チーム」などの反応を見せた。
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2014年8月9日土曜日

ノロノロ台風

テレビの気象予報士が、四国・紀伊半島に迫りつつある台風11号(先月末29日発生)に、「ノロノロ台風」(20Km/h程度)と特徴づけている。この台風、強風・豪雨を撒き散らしながらも、天気図上では一向に先へ進もうとしない。そのためか、都下にある当地は、台風11号から遠距離のため、一日中曇り空のまま、・・・図書館から外へ出ると、道端が濡れていたが、はや!乾き始めていた。どうやら一瞬の雨だったようだ。

今夜から明日未明にかけて、台風11号は四国上陸の恐れがあるとのこと。平年でも雨量の多い三重県に、今台風の(Outer rain band)ため、大雨特別警報が発せられたという、心配だ。

ところで、気象庁の「気圧配置 台風に関する用語」には、ノロノロ台風という用語は載っていない。どうやら公式用語ではないようだ。テレビ各局で使っているので、一般的表現ということか。

将来、亜熱帯化が進むといわれるが、そのとき、今の台風はどのように変化しているのだろうか・・・規模、進路など気になるところだ。


* 上記の( ):テレビ朝日の気象解説(8/10)を付記した。

2014年8月8日金曜日

イ・ソンヒの「秋の風」

イ・ソンヒは、デビュー翌年、立て続けにアルバムを1、2集とリリースした。しかし、2集に収録の「秋の風(カルパラム、갈바람)」(1985年、作詞チョン・ウニ、作曲ナム・クギン)で厳しい局面(下記参照)に直面したものの無事切り抜けた。聞くことのできるものは、難色なく美しい曲に当時生まれ直しものだ。
後に、2004年、彼女の20周年記念コンサートで歌った同曲は、突き抜けるような硬質さが薄れ、透明度が増していた。その音質も良い映像がYoutubeにあったが、残念ながら今は視聴できない。

(本ブログ関連:”立秋”)


「秋の風(カルパラム)」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
去ったあなたは風、寂しさ呉れた「カルパラム」
今でも目元を巡る、あなたの暖かだったあのまなざし
こころ、何度も何度も、恋しい翼を広げさせるよ

*ああ、あなたは「カルパラム」、雲を作る「カルパラム」
ああ、あなたは「カルパラム」、私のこころ奪った「カルパラム」

小さな胸にこんなに、しみじみ恋しさ残して
消えたあなたは風、寂しさ呉れた「カルパラム」

(*以下繰り返し)

(Youtubeに登録のBread Feetに感謝)

(参考)
上掲のYoutubeに、「(最初)この曲はキム·ヨンジャが83年に発表した曲である『愛の迷路』とリフレイン部分があまりにも似ているという理由で盗作判定を受けました」という登録者の記述がある。このYoutubeは、修正した曲である。

2014年8月7日木曜日

立秋2014

2020年の東京オリンピックは、ちょうど今頃開催とのことで、テレビの天気予報のコーナーで話題になることがある。1964年*の東京オリンピックは10月中旬の秋空に行なわれたが、次回2020年は、熱中症の多いこの時期だ。本当に大丈夫だろうかというのだ。

(*) 1964年、東京オリンピックの年に、イ・ソンヒが誕生している。

それにしても、昔と比べて同時期、今の暑さは厳しい。雨の降り方も激しく尋常でない。温暖化のせいもあるだろう、亜熱帯化がひしひし迫って来ているように感じてしょうがない。

とはいえ、暦の上では、今日は二十四節気の「立秋」、秋の入り口に立つことになる。
「古今集」秋上の巻の始めに、藤原敏行朝臣が秋立つ日によんだ次の歌がある。教科書で学んだからか言葉の通り馴染みやすく、子どもにも何となく秋の気配を感じる詩心を湧かせてくれた。

「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」

子どものころ、遠くに聞こえた秋の風も、若者には正面から吹いて来るようになり、このごろは、後ろにその気配を感じる。歳とともに、秋の風は自然にだけでなく、人生の節目にも趣を変えて吹く。

(本ブログ関連:”2012立秋”、”2013立秋”)


(追記)
図書館帰りの道、辺りの空気は相変わらず暑くて重い。見上げると、明るい陽射しが残る青い空に浮かんでいる雲が、天空に張り付いているように見える。高層の雲に、はしゃぎたくなるのは何故だろう。

2014年8月6日水曜日

イ・ソンヒ 「HIDDEN SINGER」(シーズン3): 8月16日(土)放送

イ・ソンヒの公式ホームページ<スケジュール>に、彼女が出演するJTBC「HIDDEN SINGER(히든싱어)」(シーズン3)の放送日が、8月16日(土)と記されている。(放送時間帯は、午後11時過ぎか)

(本ブログ関連:”HIDDEN SINGER”)

JTBCの視聴方法については、ネット上に上手い方法が解説されているので、それに従って試してみよう。

2014年8月5日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 仏国寺、石窟庵

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第66回として、慶尚北道慶州市の仏教遺跡、新羅時代建立の「仏国寺(불국사)」(最盛期の8C)と「石仏寺(석불사)」(現在の「石窟庵(석굴암)」、8C~13C)にまつわる話を紹介した。

始めに、仏教遺跡の仏国寺と石窟庵にまつわる、大城(대성)の逸話の紹介から次のように始まった。
・新羅時代(503年~935年)、牟梁(모량)里(리:村)に大城という男の子がいた。貧しい家に生まれた大城は、僧侶の教えを聞き幸せを祈り布施するため、母を説得して唯一の畑を処分した。しかし、幸せに成るどころか、やがて命を落とす。同じ頃、隣村の金文亮(김문량)の家に一人の赤坊が生まれた時、空から「牟梁里の大城という子をこの家に任せる」という声が聞こえた。生まれた赤坊の手には「大城」の文字があった。(亡くなった)大城の母親と一緒にこの赤坊を育てた。
・(生まれ変わりの)大城は、現世の親のために仏国寺を、前世の親のために石窟庵を立てた。

▼ 「赤い花、赤い心(붉은 꽃 붉은 마음)」を聴く。児童合唱、曲調は童謡・・・今様である。

次に、「吐含山(토함산)」と、仏国寺の「無影塔(무영탑」と「多宝塔(다보탑)」について、次のように紹介された
・新羅の頃、仏国寺と石窟庵が位置する吐含山が神聖視された。大きく毀損されず美しい姿を今も保っている。仏国寺の、無影塔とも呼ばれる釈迦塔(석가탑)と、美しい飾りが特徴の多宝塔が有名。

▼ 創作曲「無影塔」の4楽章の演奏を聴く。重々しくコムンゴの弦が響く・・・今様である。

最後に、インドの仏教遺跡の石窟との関わりと違いについて次のように触れられた。
・岩をくりぬいたり、壁面に刻み出したりした(大規模な)石窟に、インドのアジャンター(紀元前1C~紀元後2C、5C後半から6C頃)やエローラ石窟(5C~7C)があって、中国を経て伝わった。仏国寺と石窟庵の場合、花崗岩を利用して人工的に洞窟を作ったのが大きな違いだ。

▼ 創作曲「沈香舞(침향무)」をカヤグム演奏で聴く。伝統の香りして、飾り気のない音色にしばし耳を傾ける。

2014年8月4日月曜日

最初のこと

親の、多分、母親の言葉を覚えて、幼児は自分の声(言葉)を発することができる、といえば当り前だが、そのとき母音について、最初に聞いた母音の種類だけ記憶する。いいかえると、それ以外の母音は排除される。母国語はそうやって固定するのだろうが、後に他国の言葉に馴染もうとすると、母国語以外の母音や子音が出てくるので、習得が大変だ。これも当り前のこと。

味覚もそうだ。子どもの頃に食べた風味、食感は忘れられない。文化によって、食習慣に齟齬が発生した場合、ヤッカイな問題が発生する。

雪に多数*の単語を持つイヌイット語、雨に複数の言い回しがある日本語。自然と触れ合う生活の中でこそ意味がある。生活環境が変われば、言葉の持つ実感が、そのまま伝わっていくのか気になる。

(*) 多数ではないという話しもあるけれど・・・すっきりした専門家の解説が欲しいものです。

音はどうだろう。例えば、風の音にどれくらい名前が付いているか知らない。風について、単独で考えるようになったのは、もしかしたら天気予報のせいかな。

音楽についていうと、イ・ソンヒの「Jへ」を聞いたとき、以前に最初に聞いた他の歌手のカバーと比べて、美しさ(透明感、共鳴感)が明らかに違っていた。この場合、最初に聞いたものが最も良い(曲のイメージが決まってしまう)とは限らない例だ。

2014年8月3日日曜日

「バラ」(最も好きな花)

春に好きな花は、「レンギョウ(連翹、개나리)」という韓国で、一般的な花の嗜好について、「バラ」が最も好まれるとういう調査結果が、ニューシスの記事「韓国人が最も好きな花は『バラ』」(7/30、イ・サンテク記者)で報じられている。(順位を見やすく表示した・・・なお、先月末発表であるが、調査時期をネット上で確認できず)

(本ブログ関連:”「春」といえばどんな花が思い出されますか?”、”バラ(장미)”)

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(韓国)国民が最も好きな花は「バラ」となった、同様に、野生花として思い浮ぶ花では「タンポポ」が指された。

(7月)30日、韓国農村経済研究院(한국농촌경제연구원)と国立樹木園국립수목원)によれば、野生花に対する国民意識を調査した結果このようになった。
・対象: 成人の男女1000人(標本誤差±3%ポイント、95%信頼水準)

★野生花として浮び上がる花:
・「タンポポ(민들레)」(157人)
・「オキナグサ(翁草、할미꽃)」(82人)、
・「ツツジ(つつじ、진달래)」(61人)、
・「レンギョウ(개나리)」(56人)、
・「スミレ(제비꽃)」(53人)、
・「ムクゲ(무궁화)」(52人)、
・「ツツジ(クロフネツツジ、철쭉)」(49人)、
・「エノコログサ(강아지풀)」(34人)
周辺で簡単に見ることができる花が上位を占めた。

★購入する種類と浮び上がる花:
・「ケマンソウ(금낭화)」(29.6%)
・「オキナグサ(翁草、할미꽃)」(20.4%)
・「アヤメ(붓꽃)」(17.5%)
・「カンゾウ(忘れ草、원추리)」(15%)
・「スズラン(은방울꽃)」(15%)

★一般的花と野生花を網羅した、合計48種を対象にトーナメント方式で理想花を分けるいわゆる「理想花ワールドカップ」:
・「バラ(장미)」
・「フリージア」
・「チューリップ」
・「コスモス」
・「ラベンダー」
農経研は上位5位中に含まれた花は全部認知度が高い導入種だと説明した。

★これは去る2011年、韓国ギャラップが調査した花選好度結果とも似ている。当時調査では、
・「バラ」(41.4%)
・「フリージア」(7.5%)
・「キク」(5.7%)
・「ユリ」(4.4%)
・「カスミソウ」(4.3%)
・「チューリップ」(2.7%)
・「レンギョウ」(2.6%)
・「ムクゲ」(2.2%)
・「モクレン」(2.2%)
・「コスモス」(2.1%)

2014年8月2日土曜日

イ・ソンヒの「バラ」

イ・ソンヒには、バラをタイトルにした13集所収の「バラ(장미)」(2005年、作詞作曲イ・ソンヒ)がある。このラテンの曲調に合わせて踊るダンサーを傍らに、イ・ソンヒが赤いドレスで歌う姿が印象的だったが、そのYoutube映像を見ることができなくなったのは残念だ。

バラは、「情熱」の花言葉を持つが、あわせて聖母マリアの象徴でもある。バラには近寄り難い気高さがある。そして香りは穏やかで人の心を癒す。
バラの赤い花を見るとき、力強い意志を与えてくれるように感じる。落ちつきと芯あるバラの花弁と香気は、それだけに、若い人よりも、時を重ねた人にこそ相応しいように思う。

(本ブログ関連:”バラ(장미)”)


あなたにバラを渡す
その赤い香気、あなたに伝える
私を忘れて眠る夜に
あなたの部屋いっぱいに、バラの花の香気が広がるまで

私たちの愛で生きよう
短い生涯を、夢見るようにしよう
二度と来ないこの瞬間に
愛する時間は、あまりあるではないか

一瞬としても、およばぬとしても
その喜びにひたってみるべきでないか
生きてみて、胸がときめく
時が多くないことを、よく知っているから

その先が痛みだとしても
両の手を広げて、あなたを抱こう
愛しよう
生きてみて
私たち二つの心、熱くなろう


あなたに口づけしたい
ああ、その唇はどれほどうっとりするだろうか
太陽の下、柔らかな花びら
さらに赤く染まっていくのね

愛と憎しみの両方を持って
風の最後にあなたのすべてを預けて
大きくなっていくあなたの熱望は
遥かその昔の、草原を描いているのか

その先が痛みだとしても
美しく咲いたのね
風に触れて
花びらが散るとても
そのこころは、熱く咲いて散る


(Youtubeに登録のCoffee Letterに感謝)

2014年8月1日金曜日

甘熟 バナナラテ

地元の図書館は造りが古く、全館一斉の空調で、部屋ごとのコントロールが効かない。そのため、読書室は夏は涼し過ぎ、冬は温まらぬといった按配だ。しばらく滞在したが、体が芯から冷えてしまい、隣り街の図書館へ場所を変えようと外に出て驚いた。午後の陽射しは目を眩ますように容赦なく、熱射は腕を刺すように暑かった。

隣り街の図書館は、大規模な読書室にもかかわらず、既に満員だった。こちらの施設は新しく、空調も穏やかなので、夏休みに自宅で勉強中の学生たちが一斉に逃げ込んできたようだ。同じフロアのロビーはオープンスペースになっていて、フリーデスクがいくつも並んでいるので、そこで読むべきものを読むことにした。

帰り道、コンビによったところ、バナナ味の乳飲料が目に入った。タカナシ(高梨乳業)の紙パック入り「甘熟 バナナラテ」(果汁5%、500ml)だ。今回、コンビニで氷(ロックアイス)を購入したので、オンザロック?で飲んでみた・・・その分、甘さは控えめになるが、乳飲料のまろやかさと、(昔懐かしい)バナナ風味が口中に広がる。かすかに、バナナ特有のイガイガ感も喉に残る。

パッケージに、バナナの表皮にできる黒い点を「シュガースポット」といって、「熟して甘くなってきている印です!!」と解説が記してあった。

バナナ味の巡礼はまだまだ続く。

(本ブログ関連:”バナナ”)