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2014年8月22日金曜日

イ・ソンヒ「私がスカートを着る日には観客が涙涙となる」

1984年、「江辺歌謡祭」に登場したイ・ソンヒが、「Jへ」を歌って大賞受賞したわけだが、そのときのいでたち/スタイルは、まさに伝説のスタートとなった。

(本風ブログ関連:”江辺歌謡祭”)

今年4月18日~20に世宗文化会館で開く、3年振りのコンサート直前、SBS番組「ヒーリング・キャンプ」(4/7)で、イ・ソンヒが次のように語ったと、10アジアの記事(4/8、チェ・イエジン インターン記者)は伝えている。
基本的に知られていることだが、含みのある部分を次に記す。(抜粋)

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・1984年の江辺歌謡祭でのパーマ頭について:
「前日までストレートだった」、「両親が歌謡祭に出場するのを反対した。両親をだますために偽装用にパーマをした」

・江辺歌謡祭でのスカートファッションについて:
「(番組)PDが、女性はみなスカートを着ろと言った」、「(舞台で着た)スカートは、客席の小学生に借りた」

・「(その後)スカートを着ないで常にズボンだけ履いておられた。それで男といううわさもあった」について:
「私がスカートを着る日には、観客が涙涙(涙の海)となる」と付け加えた。
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(参考)
イ・ソンヒは、歌謡祭でのスカート着用について、自伝となる「イ・ソンヒのスター・ストーリー「7.『江辺歌謡祭』の裏話」」の中で、次のように語っている。
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待望の「江辺歌謡祭」決選の前日、私は「変装」した。ひょっとして父や知り合いがTVを見ても、私が誰なのかを見間違えるようにしようと。まず、頭をチリチリにパーマしたし、メガネも視力が似た友人のものと替えて使った。その上、行事当日の演出者シン・スンホ先生の強要(?)で、着ていたジーンズをスカートに着替えたので、それなりにほとんど完ぺきな変装をしたわけだ。

その時借りてはいたスカートの持ち主は春川から来たオ・ヘウォンという女子中学生だった。余裕がなくて返すことができなかったが、今も家に保管している。この記事を読むことになれば、その時の私のジーンズとヘ・ウォンさんのスカートを交換をする心の準備はないのだろうか・・・。
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(参考)
歌謡祭でのパーマとスカート着用後は、もっぱらズボン姿が彼女の基本的イメージとなった。

① 中高時代の制服はスカートだったので、ズボンを履きたいと思っていた。
② 当時、歌謡界でズボン姿で流行った女性歌手とともに、「ズボン三銃士」と呼ばれた。
③ 彼女は、自分の脚に自信がないと語ったことがあるが、そんなことはないという人もいる・・・。
④ あるコンサートで、彼女が珍しくロングドレスで登場したとき、会場にどよめきが起こった・・・。

最初から彼女が、女学生ファンに何より好まれたのは、女性を前面に打ち出す当時の歌謡界の中で、未分化な自身に照らして、心理的に最も馴染みやすい位置にいたからではないだろうか。(日本でも、未分化と童顔が特徴な女性歌手を、ジャンルは違うが、二人ほどあげることができる)