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2019年10月15日火曜日

コスモス畑

曇り空のなか、公園にある「コスモス畑」を見に行った。本来なら、10月12日(土)・13日(日)の両日、「コスモスまつり」が開催されていたはずだったが、<台風19号接近に伴い中止> に至った。もし開催されていたら、コスモスの花摘みが体験ができた・・・中止になったおかげで、今日訪れてもコスモスの花を鑑賞できた。

(本ブログ関連:”コスモス”)

「コスモスまつり」が中止の結果、畑のすみずみまで紅色の濃淡から白色までさまざまに色を染める「コスモス」の花が咲き誇っていた。ゆっくりと畑を一周してみた。蜜を求めて、「ミツバチ」・「クマバチ」、「モンシロチョウ」・「モンキチョウ」といた虫たちが寄ってくる。(蜂についても、蝶についても、いろいろな種類を見たが、同定する力がないのが残念)



コスモス畑は杭とロープで囲まれていて、周辺にアカトンボが飛び回っていた。かれらが杭やロープにとまったとき、子どものころやったように指先をグルグル回転させながら近づくと、トンボは頭をカクカクと動かし始めたら成功・・・のはずだった。2度ほど、そこまでに至ったが、惜しいことに手を伸ばして近づけたところ、トンボは飛んでいってしまった。

(付記)
今週の月曜日が祝日「体育の日」だっため、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」が休講になった。同講座の会場は、JR南武線「武蔵小杉駅」近くにあり、日頃利用していて身近に感じていた。今朝のテレビ報道で、台風19号の豪雨により同駅は水浸しとなり、エレベーター、エスカレーター、自動改札機、券売機などの設備が停止したという。いつもの通い道でこんな浸水事故が起るなんて、予感など全くできなかった(素人には当り前のことだが)。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

2019年10月14日月曜日

体育の日2019

今日は祝日の「体育の日」だが、テレビニュースで関連するイベントを見かけない。例年、スポーツ競技場のグラウンドに老若男女が集い、体力測定したりしたものだが。今回は、台風19号の被災状況を考えて報道を抑制したのだろうか。

(本ブログ関連:”台風19号”)

天気がかんばしくなく、午後に小雨があった。その後、小休止したので外へ出てみれば予想以上に冷えた。東京都心の気温は、午後3時に16.5℃となり、以降下がり続けている。そこで今年初めてガスストーブを据えたところ、あまりに陽気でポカポカして、PCの前でつい転寝してしまった。

体育の日は、1964年の「東京オリンピック」を記念して祝日(1966年以降実施)に制定されたもの。次回の2020年の「東京オリンピック」に合わせて衣がえする。すなわち来年から「スポーツの日」に名称変更する。したがって、10月の第2月曜日の「体育の日」は今年が最後ということになる。(ちなみに、来年の東京オリンピック開催日だけ、特別にスポーツの日とし、以降10月の第2月曜日が「スポーツの日」になる)

今夜は、月齢15.4の「満月」。タヌキの鼓が響くこともない。陽気さもないが、やっぱり祝日である。

2019年10月13日日曜日

台風一過、自然観察園、ラグビー・ワールドカップ

台風一過
昨日の台風19号は、東京地方への「大雨特別警報」発令もあり、その規模の大きさから重大な災害を予想した。運よく当地の被災はなかったものの、東日本各地で河川の堤防が決壊(冠水、浸水)するに及んでいる。自然災害は、過ぎて次第にその大きさを知ることになる。今回もそうだった。

(本ブログ関連:”台風19号”)

日本経済新聞の記事「台風19号、21河川24カ所で堤防決壊 死者25人」*(10/13、19:07更新)によれば、<東日本の河川の約140カ所で氾濫した>という。(抜粋)
(*)記事:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50952990T11C19A0MM8000/
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12日夜に静岡県の伊豆半島に上陸した台風19号は13日未明にかけ、記録的な大雨を伴いながら関東・東北地方を縦断した。長野市の千曲川で堤防が決壊して周辺が大規模浸水するなど、東日本の河川の約140カ所で氾濫した。13日午後6時時点で25人が死亡、15人が行方不明となっている。災害派遣要請を受けた自衛隊などが住民らの救助を進めている。
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昼過ぎに外へ出て見れば、昨夜の台風のせいであらゆるものを吹き散らしたかと思うほど、空は青く澄んでいた。まさに、台風一過のことだが・・・以前、テレビで伊勢湾台風で被災した経験者が  <台風の翌日、空がからりと晴れて余りに青かった>と語られたのを見て、今回の各地の被害者の方々をあらためて思い返した。

自然観察園
台風一過の午後、二つの公園に出かけた。最初の公園には、横断する小川の水が溢れたときにためる、普段草地の <調節池> と呼ばれる広い窪地がある。今日、浅く水没して水面が反射していた。昨晩の豪雨の凄さをあらためて感じた。

次に、隣りの公園にある「自然観察園」を訪ねた。入り口付近で、外部との仕切り(金網)と内部の観察路の間にあるわずかな場所に「レモンエゴマ」(シソ科)が花もなく地味に群生していた。連なる小さな実から一粒取って潰すと酸っぱい香りがする。もともと葉からレモンの香りがするというが・・・そういえば風が吹くと一瞬心地よい香りがした。
少し先に進んで、なんとも古風で粒のような花がいくつも咲く「ミズヒキ」の紅色の花と、「キンミズヒキ」の黄色の花を観察した。両者の名前は似ているが、「ミズヒキ」はタデ科であり、「キンミズヒキ」はバラ科であり全く違う。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

ラグビー
素人はめでたいことに興じて、にわかファンになることをいとわない。「ラグビー・ワールドカップ」で、アイルランド戦の勝利に歓喜したり、ノーベル化学賞の受賞に喜んだり。
そんなわけで、にわかファンのまま、今晩の対スコットランド戦のラグビーの試合をしっかり見てしまった。ルールに不案内でも息詰まるものだ。そして、最後の間際の攻防戦は、わくわくしながら観戦した・・・テレビニュースでは、トライのようなダイナミックな場面がピックアップされるが。
攻撃が成功するたび、いつのまにか「よーし」なんていったりしている自分に気付いて少々気恥ずかしくなるのも「にわかファン」。

2019年10月12日土曜日

(実況)台風19号

今回の台風19号はあまりに巨大で、通過後にはその規模について解説されることだろう。そこで、台風襲来の状況をメモ書きしたものをブログに登録してみることにした。

15時30分に、気象庁は 7都県に対して< 災害発生情報とし、命を守る最善の行動(退避*)を促す「警戒レベル5」相当の >、「大雨特別警報」**を発表した。東京では初めてのこと。
(*)退避勧告: http://www.bousai.go.jp/oukyu/hinankankoku/h30_hinankankoku_guideline/index.html
(**)大雨特別警報: https://www.jma.go.jp/jp/warn/319_table.html

携帯に、市役所から災害対処のため、避難を促す「警戒レベル3」***の<安全・安心メール>が次々と送られてくる。さいわい、わが家は「避難開始」の適用場所でないが、国分寺崖線に沿った傾斜地など一部が対象になっている。まだ、雨音も風音も穏やかながら、早目の避難が大事と思う・・・そんなことは避難対象地に住む生活者にとって、百も承知だろうが、いざ行動に移すには悩ましく気掛かりに違いない。
(***)警戒レベル:https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/bosai/alertlevel.html

夕方6時前になって、風音が少し増してきた。この時点で台風はまだ上陸していないが、同時刻のテレビ報道によると今夜9時ごろに東京上空を通過するだろうと伝えた。

[地震]こんなときに、地震が発生した。気象庁発表によると、<夕方6時22分ころ、千葉県南東沖(北緯34.7度、東経140.7度)で、震源の深さは約80km、地震の規模(マグニチュード)は5.7と推定される> とのこと。

今夜7時前に、テレビのニュースは台風19号の中心が伊豆半島に上陸したと伝えた。

夜8時30分ころになると、風が急にうなり声をあげ強まった。いよいよ台風が直撃したようだ。ほぼ同時に、気象庁から災害情報メールが届いて、「東京地方に特別警報(大雨)、警戒レベル5に相当」と伝えた。

今晩8時50分、気象庁は新たに5県に対して「警戒レベル5」の「大雨特別警報」を追加発表した。大雨特別警報の広がりを見せたことになる。

夜更けて10時30分過ぎに、急に雨風音がなくなった。いわゆる台風の目の真ん中にでもいるのだろうか・・・。

実況はここで終了。少しくたびれてきたのだ。何ごともなく終わってくれることを祈る。

2019年10月11日金曜日

(資料)台風19号

朝から晩まで、テレビのニュースショーは、明日・明後日に襲来する「台風19号」の進路、および災害規模と危険性を報じている。先月(9/9)、千葉県を襲った「台風15号」の被害(民家の屋根や送電網などを破壊)を知るほどに身近に感じる。屋根の補修用の青いシートや、給水車に水をもらう行列の光景が浮かんでくる。

そこで、私もさっそく強風で飛ぶものがないように庭を片付けたり、浴槽に水を貯めたりした。スーパーへ行けば、近くに大学があるため(下宿や寮の)学生たちが即席麺や食パンを買いだめしたのか、棚から消えていたのに驚く。またテレビニュースでは、窓ガラスの飛散防止のため大判のマスキングテープに似た「養生テープ」が売り切れ続出という・・・オイルショックのときの「トイレットペーパー」の買い込み騒動を思い出す。今回は事情が全く違うが。

台風19号が、正直どれほどの被害を及ぼすか見当がつかない。千葉県を襲った台風15号の深刻さを、実は時間が経つにつれて後で知ったぐらいだからだ(「阪神・淡路大震災」や「熊本地震 (2016年)」の時もそうだった)。

NHK NEWS WEBの記事「気象庁『1200人以上犠牲の狩野川台風に匹敵 特別警報も』」(10/11、20時04分)は、昭和33年(1958年)の台風第22号「狩野川台風(かのがわたいふう)を例に、気象庁の警戒呼びかけを次のように伝えている。(抜粋)
(*)記事:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012122671000.html
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台風19号について、気象庁は午前11時から記者会見を開き、静岡や関東で1200人以上が犠牲となった狩野川台風に匹敵する記録的な大雨となり、大雨の特別警報を発表する可能性もあるとして、厳重な警戒を呼びかけました。

梶原靖司予報課長は「今回、類似台風として狩野川台風を持ち出したのは、予想される現象や災害の程度が著しいことや、大きさや進路・勢力・北上スピードなどが似ていることから説明に用いようと判断した。一方で、類似台風を持ち出して呼びかけることは非常にリスクがあるとも考えている。災害の起こる場所や広がりについては事例ごとに大きく異なる」と述べ、狩野川台風で被害がなかった場所が安全というわけではないと強調しました。
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ところで、狩野川台風の時期、子ども時代の私は地方にいたので、狩野川台風の被害を感覚的に理解できないでいる。Wikipediaによると、狩野川台風は「27日0時頃に神奈川県東部に上陸したが、勢力はさらに衰えて960ミリバールであった」とのこと。これって、千葉県に上陸した台風15号のときと同じ(960ヘクトパスカル)。はたして今回の19号の場合、どれくらいの規模になるのだろうか。

2019年10月10日木曜日

(参考)3つの壁

今年のノーベル化学賞受賞者の吉野彰さんは、少なくとも企業(ビジネス)に所属する民間人である。ノーベル賞受賞者のおおかたがアカデミックな世界に存在しているのと対照的といえる。

もちろんノーベル賞本来の意味で、今回、学術的に評価された訳だから勝手にビジネス側にのみ取り込むわけにはいかないが、市井に向けて語る言葉を多く持ち合わせていらっしゃると思う。吉野さんが人生で経験した、立ちはだかる壁をいかにブレークスルーしたかを聞くのは意味がある。特に若者にとっては。

産経新聞のZAKZAKの記事「ノーベル化学賞・吉野彰氏の “素顔” と成功までの『3つの壁』」* (10/10)に、< ビジネスで成功するために乗り越えなければならない「3つの関門」>を、次のように説いている。(抜粋)
(*)記事:https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191010/dom1910100004-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop
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最初に経験するのが、基礎研究の段階の「悪魔の川」。
ここで大半のプロジェクトが対岸まで泳ぎ切れずに脱落する、つまり研究段階で終わってしまう。

開発研究に進むと待ち受けるのが「死の谷」。
次々と問題が立ちはだかり、事業化の前にここでも大半が脱落する。吉野さんは「この段階では、なるべく人手をかけないことだ」とアドバイスする。事業化の道筋が見えて初めて、人材と予算をかけるのがよいやり方だという。

最後が「ダーウィンの海」の段階。
努力が実って事業化にこぎつけたものの、市場で見向きもされない段階だ。生物進化の過程で起こる自然淘汰(とうた)になぞらえて、生物学者ダーウィンの名がついている。

リチウムイオン電池の場合、出荷が伸び始めるまで5年ほどかかった。

「将来ぜひ、この3つ壁を完璧に乗り越えていただきたい」と、吉野さんは若者にエールを送った。
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いってみれば、将来へ向けての研究テーマの選択、少数精鋭での取り組み(開発)、そして時代との整合性(市場競争)といったところだろう。花開くに、我慢できるかどうかでもある。それらはすべてにいえることだが。

上記はむしろ、経営者の辛抱・肝の座り方についてかもしれない。立ち塞ぐ3つの壁に果敢にチャレンジする研究・開発職者たちを支援できるかどうか試されるようでもある。それだけ、先見性があるのかないのかということにつながる。経営者も大変だ。

2019年10月9日水曜日

「ノーベル賞」化学賞受賞 吉野彰さん

コスモス畑
昼間の暖かい公園へ、「コスモス」の花の咲き具合を確かめに出かけた。テニスコートそばの木陰道を抜けて左へ曲がると広場に出る。平日の今日も、家族連れや若者たちが緑いっぱいの空気を楽しんでいるよう。その広場の脇道に「チカラシバ」の黒い穂が背筋を伸ばして並んでいて、その奥から「エノコログサ」の薄緑の穂が覗き込むように顔を出している。雑草たちはたくましく生きている。

広場の先にあるコスモス畑は、暖かい陽射しとそよ風を受けて、パステルカラーに染まった花々が満開のようだ・・・もっと密集すると思ったがそうでもない。傾斜面に咲くコスモス畑の爽やかで穏やかな気配にいやされる。つい畑道を往復して眺めると、太陽のまぶしさにコスモス畑が輝いて見える。幼子を連れた母子とか老夫婦とすれ違うと、ちょっとした舞台の感がしてくる。

ノーベル賞
ところで、今年のノーベル賞(化学賞)に、日本人を含めて3人の受賞者が決まった。実におめでたいことだ。NHK NEWS WEBの記事「ノーベル化学賞に『リチウムイオン電池』開発の吉野彰さん」(10/9、19時22分)*によれば、< 日本人ノーベル賞受賞は去年の医学・生理学賞に続き27人目(含:アメリカ国籍取得者)で、化学賞は9年前に続いて8人目 > とのこと。下記に抜粋。
(*)記事  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191009/k10012119571000.html
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ことしのノーベル化学賞の受賞者に、スマートフォンやパソコンなどに広く使われている「リチウムイオン電池」を開発した大手化学メーカー「旭化成」の名誉フェローの吉野彰さん(71)ら3人が選ばれました。

ことしのノーベル化学賞の受賞が決まったのは(次)の3人です。▽大手化学メーカー「旭化成」の名誉フェロー、吉野彰さん(71)、▽アメリカ・テキサス大学教授のジョン・グッドイナフさん、▽アメリカ・ニューヨーク州立大学のスタンリー・ウィッティンガムさん

吉野さんは、大阪府吹田市出身で71歳。京都大学の大学院を卒業後、旭化成に入社し、電池の研究開発部門の責任者などを務めたほか、おととしからは名城大学の教授も務めています。
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ノーベル賞は、本来個人の業績を評価するものだが、まるでオリンピックのメダルと同様な特別なよろこびをもたらせてくれる。だから遠慮なく、心の中で、受賞の感動の席に同席させていただくことになる。なにより日本の子どもたちの宝(「子どもにとって自分の将来を決めるきっかけ」吉野氏)なのだから。
そういえば、日本のノーベル化学賞の受賞者で民間人受賞者には、島津製作所の田中耕一さんもいらっしゃる。凄いことだ。

(本ブログ関連:”ノーベル賞”)

2019年10月8日火曜日

寒露 2019、くしゃみ

一ヶ月前の今日(9/8)は、二十四節気の <草葉に「露」がつきはじめるころ>の「白露」だった。その露が、今日、二十四節気の <冷気により凍りそうになるころ>の「寒露」となった。露が凍るほどの寒さを感じるまで至らないが、最近の朝昼の温度差に驚く。今朝方から「くしゃみ」が止まらない・・・単に寝相が悪いだけだったかもしれないが。

ところで、「くしゃみ」の語源についてWikipediaによれば、「くさめ」と呼び次の漢字が使われたそうだが見たことがない。
「嚔」(くしゃみ)
「広辞苑」や古語辞典をひいても、Wikipediaの解説に及ばない。そこで、<語源>紹介部分をそのまま引用させていただく。
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日本語の「くしゃみ」という表現の語源は「嚔(くさめ)」という言葉で(中国語ではこの漢字を今でも使う)、古代の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられており、そのためにくしゃみをすると寿命が縮まると信じられていた。そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになり、いつしかそれが「くしゃみ」という名前となり、その行為そのものを指すようになった。

くしゃみをするは「鼻ひる」といって、ひるは「放る」または「嚏る」と書いて、体内から鼻水やその他を放出することであった。清少納言が書いた『枕草子』の「憎きもの」第28段には
<鼻ひて誦文(ずもん)する。おほかた、人の家の男主ならでは、高く鼻ひたる、いとにくし。>
現代文:「くしゃみして呪文を唱える。大体、一家の男主人でもないのに、声高にくしゃみをするのは、本当に好きでない。」とある。

「くさめ」という呪文の語源ははっきりしておらず諸説あるが、
・陰陽道の「休息万命(くそくまんみょう)」や「休息万病(くそくまんびょう)」を早口に言ったもの
・くしゃみの擬声語の名詞化
・「糞食め(くそはめ)」が変化したものであるという説などがある。

上記のように、中世の日本ではくしゃみをした人、またはその近くにいた人が「くさめ」と言う習慣があった。1330年頃(鎌倉時代)に吉田兼好により書かれた『徒然草』の第47段には、
< ある人清水へまゐり(参り)けるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)、嚔」といひもて行きたれば、「尼御前、何事をかくは宣(のたま)ふぞ」と問ひけれども、應(こた)へもせず、猶いひ(なほ言い)止まざりけるを、度々(たびたび)とはれ(問はれ)て、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ(やしなった)君(貴族の子)の、比叡の山に兒(ちご)にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。/ あり難き志なりけんかし。> という記述がある。
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枕草子の例ではないが、先日、ある会場でくしゃみしたとき、口元にハンカチをあててさえぎることを忘れ、隣りの参加者に不快な気分をさせてしまったようで、思い返してはマナーの悪さにいまだに内心ざわつく。

2019年10月7日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-2

朝方のヒンヤリした涼しさと、昼間の陽射しの暖かさとの落差に驚く。秋は確実に深まった。町を歩けば、来年のカレンダーが店頭に並んでいたり、あるいは町の貴重な本屋が店仕舞いしたり、あっけない変化に気付かされる。

市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」の2回目の今日は、時代の変化を捉える経済史の立場から「資本主義経済興隆と成熟においてユダヤ人の果たした役割」について、学習院大学准教授の竹原有吾氏の解説があった。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

ユダヤ人の、中世から資本主義興隆(すなわち都市経済から国民経済へと規模を拡大する)までの経済活動を、ドイツ(プロイセン)の歴史(18~19c)を通じて追った。

① 中世都市の中での経済発展として商業ギルドの形成
  ・キリスト教社会へと変化する中で、都市部でユダヤ教徒も金融面で発展する
② 宮廷商人として国王(王朝)に認められる
  ・国際ネットワークを通じて、絹織物などの交易に従事する(重商主義の時代)
③ 啓蒙思想による立場の変化・確立
  ・裕福なユダヤ商人(宮廷商人のユダヤ教徒など)は、(特権を持つ)キリスト教徒とほぼ対等な権利を持った(1812年)
  ・ナポレオン戦争の戦費や賠償金の調達へ関与する
  ・商業ギルドを解散して、ベルリンの商業会議所へ参加する(1820年)
④ 工業化への進展
  ・鉄道建設(背景となる産業勃興を含めて)のため、信用銀行を設立する(19c半ば)

「まとめとして、ユダヤ教徒は経済活動の担い手の宗教を問わない国民経済の形成・発展に向けて努める中で、結果的に会社や銀行の経営者として(すなわち経営者の役員にユダヤ教徒が多くなって)経済的に目立って活躍することになる」

(感想)
歴史の中で「国家」という言葉ひとつにしても、現在の意味での「国家」とは大いに違うわけで、漠然と聞いていると読み違えることになる。
・国王(王朝)が、ユダヤ人の金融を使うメリットはどこにあったのか?
  - 国民(キリスト教徒)の金融を利用しない理由は?
  - 従って、ユダヤ教徒はどのようにして王権へ取入ったのか?
 ・経済史ならば、ユダヤ教徒が持つ金融力を<数字>で示して欲しかった。

2019年10月6日日曜日

お月見のつどい

今朝の9時前、いっとき激しい雨音がしてどうなることかと案じた。しかしすぐに静まった。後で気象庁の時間ごと降水量データを見て驚く・・・なんと近隣街の同時刻の降水量が「0mm」なのだ。わが家を叩いた雨音は、まさに局地性の土砂降りだったようだ。

その後、鈍よりして今にも降り出しそうな空模様の昼過ぎ、市民向けお話し会が主催する「江戸かな文字」についての催しに出かけた。平安時代に生み出された「かな」の書体は300字近くあったという。今回話題にされた江戸期にどれくらいの種類があったかは判定しにくいとのこと・・・書き手によって様々な表現があったからという。そこで、明治33年(1900年)に(小学校令施行規則により)「ひらがな」が制定されることになる。
(今回は、江戸の読みやすい「草紙」をサンプルにしての解読が中心だったが・・・)

お話し会の後、公園で開かれた「お月見のつどい」(写真)と、園内にあるコスモス畑の様子を見に行く。月齢7.4の上弦の月が浮かぶはずの夕方(あいかわらずの曇り空で見られない)、「お月見のつどい」は写真の通り家族連れであふれ、屋台も並んで、祭り気分は大盛況だった。


祭り会場から「コスモス畑」まで行けば、まだ7分咲きのよう。すでに辺りはすっかり薄暗くなってしまっていて、鑑賞はまたの機会にしたい。

2019年10月5日土曜日

ラグビー戦とにわかファン

今回の「ラグビー・ワールドカップ」で、急に目覚めたわけでもない。世間の熱気に同調しているに過ぎないくらいは自覚している。相変わらずの<にわかファン>は、今晩もテレビ画面で「日本-サモワ」の試合に見入ってしまった。

本当なら、火山に関心があるので、同時刻のNHKの「ブラタモリ」で今晩放送の「浅間山 ~江戸時代の大噴火!衝撃の1日に何があった?~」を見たかったが、ラグビーの試合とかぶさり断念した。あいにく録画装置もないので再放送を期待したい。

(本ブログ関連:”火山”)

というわけで、ラグビーの試合観戦に集中した。<にわかファン>は、ルールにうとく、解説者の説明や画面表示がなければ、試合運びの見当がつかない。それでも見ているうちに、何となく進行具合が分かったような気になる・・・ものだ。少なくとも、トライ、ペナルティーゴール、スクラムくらいは素人でも分かる・・・その範囲で声が出る。特に試合最終時、スクラムで時間が延長する理由が分からぬまま、その攻防に一番盛り上がった。

念のため、読売新聞の記事「4トライで日本がサモアに快勝、8強入りへ前進」(10/05 21:25)*で、きちんと結果を整理させていただく。(抜粋)
(*)記事: https://www.yomiuri.co.jp/rugbyworldcup/20191005-OYT1T50265/
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ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会で、グループリーグ(GL)A組の日本代表は5日、愛知・豊田スタジアムでサモア(勝ち点5)と対戦、38―19(前半16ー9)で3連勝を飾った。4トライ以上に与えられるボーナスポイントも獲得し勝ち点を14に伸ばし、アイルランド(勝ち点11)を抜き、A組首位に躍り出た。
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ラグビーは、体をぶつけ合うスポーツで、審判の判定に従いルールを守る。一方で審判への強硬なアピールつつしむといった、スポーツマン精神が清清しい。時代風潮に逆らう表現をすれば、これこそ男のスポーツと思う次第。

2019年10月4日金曜日

キバナコスモス

東西に広がる都営「小金井公園」は、都内最大の国営「昭和記念公園」に次ぐ規模といわれる。日頃、よく訪れるとはいえ、園内を散策するに省略がある。きょうは普段あまり廻ることのない西側入口まで歩を伸ばしたところ、その付近にオレンジ色のコスモスの花が一面に咲いていた。

辺りは同じコスモスなので、人手を使って植えたのだろう。品種について掲示がなかったので、後でGoogle画像検索したところ、どうやら(園芸品種のひとつの)「キバナコスモス」のようだ。<日陰よりも充分な日照> のある場所に向いているという。まことに健康な花といえる。


ところで、「コスモス」が、メキシコ高原地帯原産の花であること、学名に「コスモス属 Cosmos)」が使われていることなど知られている。けれど、原産地メキシコで、地元インディオの人びとがどのように呼んでいたのか知らない。博物学が持つもう一つの側面である。

この時期になると、公園北東にコスモスを大量に植え付けた畑地が出現して、さまざまな色合いに染まったコスモスが風にそよぐ美しいさまを見ることができる。
いつも後になって気付くのだが、そちらもきょう見てくればよかった。まだ間に合うだろうか、それともこれからだろうか。
ちょうど、「建物園」前の広場で、テントを多数建ててイベントの準備をしていた。「お月見のつどい」が、5日(土)と6日(日)両日開催される。それに合わせてコスモス畑の様子も確認してこよう。

2019年10月3日木曜日

自然観察園の「曼珠沙華(ヒガンバナ)」

昨日、「自然観察園」を囲う金網越しに、「曼珠沙華(ヒガンバナ 彼岸花)」の紅い花が群がっているのが見えた。もう一度直接見たく、今日、同園を訪れた。入り口に向かう道筋に沿って流れる小川の川面は、温い陽射しを反射する。随分と暖かく感じる。そして、平日の昼過ぎなのに人出も多い。

(本ブログ関連:”曼珠沙華”、”自然観察園”)

自然観察園に入ると、いつものように野草や木々が迎える。すぐに、低木の枝先に小さな紫色の実を集めた「コムラサキ」や、その変種で白色の実の「シロミノコムラサキ」が目に飛び込む。

観察園の遊歩道を西側へ進むと、木立の陰の下に真っ赤な曼珠沙華の花が一面ぎっしりと密集している咲いているエリアに着く。圧倒されるような曼珠沙華の花の広がりだ。


既視感があって、ここをさらに大規模に広げた、埼玉県日高市にある「巾着田」の光景だ。一方、観察園は小とはいえ曼珠沙華の咲き振りは、巾着田と違わぬほど。鑑賞にはむしろこれで十分かもしれない。気をせいて撮影に熱中するのを自制した。目にしっかり焼き付けておきたいと思ったからだ。

2019年10月2日水曜日

(雑談)曼珠沙華

この時期、公園や垣根に、遠目でもその存在をくっきり示す「曼珠沙華」(彼岸花:ヒガンバナ)に出会ったりすると、或る種の緊張を感じるものだ。真赤に染まった花冠の美しい立ち姿とは別に、どこか妖艶な雰囲気があり、<彼岸花>の名から不吉な連想まで合わせ持つ。

(本ブログ関連:”曼珠沙華”)

先日のブログに、小学校の垣根に誰が植えたか曼珠沙華が咲いているのを昨年見たが、今年はまだないと記した。しかし時期を見誤ったようで、今年も昨年に増してしっかり咲いていた。誰かが気を回して抜いたのではないかと早とちりしたようだ。

歌に曼珠沙華の詞がある。「赤い花なら 曼珠沙華 / 阿蘭陀屋敷に 雨が降る」で始まる、由利あけみの「長崎物語」(作詩:梅木三郎、作曲:佐々木俊一、1939年/昭和14年)を直ぐに思い出す。対して、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年/昭和61年)に、曼珠沙華の詞があると思い込んでいたがそうではなかった。「山が燃える」から連想してしまったからか、石川さゆりの歌にすっかり酔いしれたからだろうか。

曼珠沙華の花が群生する、埼玉県日高市にある「巾着田」は今が最盛期で、見ごろはあと数日とのこと・・・行ってみようか。実は今日、公園の脇を通り抜けたとき、曼珠沙華が木陰で、いままで見たことのない広がりで咲いているのが見えた。むしろこちらに明日出かけようかと思案する。

2019年10月1日火曜日

(資料)「フラップター」

正直、熱心なジブリ・ファンではなくて、長編アニメ「天空の城ラピュタ」は未見のままであるが、そこに登場した虫のように羽を駆動して飛翔する乗り物「フラップター」(羽ばたき飛行機)を、模型にして飛ばしている方(Kazuhiko Kakuta氏)がいる。これまでその様子を公開されたYoutubeに、飛行を実現したことへの賞賛のコメントがあふれている。

電動モーターによる駆動のようだが、どのような制御をしているのか・・・飛行の方向転換にあたって、底部にある舵のようなものでなのか、あるいは羽ごとに速度調整したりしているのかなど・・・(素人ながら)知りたいことがいっぱいある。


(Youtubeに登録のKazuhiko Kakutaに感謝)

部外者(素人)が口にするのははばかれるが、もし可能ならトンボのように空中ホバリングできたら楽しいだろうなと思う。何でも作ってしまう方なので、空中で後進するものとか、さらには今回模型だが、人の搭乗できるものとか・・・・なんて勝手なことを想像してしまう。

ところで、同じジブリの長編「風の谷のナウシカ」に登場した「メーヴェ」を実機化(人の搭乗を可能に)した事例を以前の本ブログに記したことがある。

(本ブログ関連:”メーヴェ”)

2019年9月30日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-1

今年4月~7月にかけて開催された市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」*の後期編にあたる、第2部(9月30日~来年1月)の講座が今日から始まった。久し振りに会場に着いて驚いた。開講30分前というに、今回も前回同様にすしずめ状態だったのだ。潜り込むようにして着席した。(講師の方も盛況振りに感心していたことはいうまでもない)
(*)市民講座の正式名称:「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

平日昼過ぎもあって、講座の参加者は高齢者ばかり。よく、来日した欧米人が空港の入国審査の列を見て <何と黒髪が多いことか> と感心するという。今回の市民講座の場合は、さしずめ <何と白髪が多いことか> といったところだろう。

前編にあたる講演(6/17)「オスマン帝国 のユダヤ人とユダヤ神秘主義:ユダヤ社会の変容」で <シャブタイ派のメシア運動> を解説された東京理科大学講師 山本伸一氏から、今回は(趣向を変えて?)「日本におけるユダヤ人論の系譜、ユダヤ人イメージの変遷」について紹介された。

最初に、講師の山本氏から「歴史」について次のようなポイントが語られた。薀蓄に富んできわめて納得できる気がする。
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歴史は事実の集積ではない。歴史は思惑の化合物である。
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(これってインテリジェンスの鉄則「情報源に決して惚れ込んではならない」に通じる)

① 1930~40年代の日本人のユダヤ観
  ・1937年:「オトポール事件」、 樋口季一郎(陸軍少将:当時)によるユダヤ人へ土地を与える検討
  ・1930年代後半:「河豚(ふぐ)計画」、満州にユダヤ人を移住させる計画
  ・満鉄調査部:「米国猶太人社会とその団体」など

② ユダヤ人について書かれた日本での書物・人物
  ・1872年:「西洋今昔袖(そで)鏡」(百科事典に記載)>国会図書館デジタルコレクション
  ・内村鑑三:< 2つのJ >(JapanとJesus)
  ・矢内原忠雄: シオニズムへの関心

③ その他人物列伝
  ・酒井勝軍
  ・ニコラス・マクラウド(別名 Norman McLead)
  ・佐伯好郎

2019年9月29日日曜日

シャボン玉ホリデー

昔、日曜日の夕方といえば、牛乳石鹸提供のテレビ音楽バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」を見るのが決まりだった。ジャズ演奏に長けながらも(その後に続くテレビコントの原形ともいえる)ギャグも展開する「ハナ肇(はじめ)とクレージーキャッツ」と、和製(日本語にカバーした)ポップスを歌う双子姉妹の「ザ・ピーナッツ」を中心に進んだ。

クレージーキャッツに「植木等(ひとし)」という人気タレントがいて、(昔は座敷に鎮座した)テレビのブラウン管の前で、彼のギャグに子どもたちは親のそばで笑い転げたものだ。彼らクレージーキャッツの芸は、テレビが普及する新しい時代に合わせて登場した模索の芸だったのかもしれない。

思い起こせば、クレージーキャッツの芸は、当時の視聴者(つまり家族の団欒)を<笑いに包む>といったものだったと思う。その後、テレビの放送時間や局数が増えて互いに競い合う中で、お笑い番組も細分化していくことになる。電化製品が家電から個電に変わっていくようにお笑い芸も変質した。

ところで、シャボン玉ホリデーの番組の終わりに、決まってザ・ピーナッツの二人が「スターダスト」を歌う。すると後ろから、ハナ肇や植木等たちが登場して、ピントのはずれた今でいう<おやじギャグ>風の語り始めるや、ピーナッツの二人に肘鉄を喰らうといった落ちがあった。子どもたちは、それを期待していた。

(Youtube映像の 1:02ごろからエンディングテーマ「スターダスト」が始まる)

(Youtubeに登録のukikusajiromovie12に感謝)

2019年9月28日土曜日

「こうのとり」(8号機)無事ISSに到着

25日午前1時5分に「種子島宇宙センター」から「H-IIBロケット」(8号機)により打ち上げられた、宇宙ステーション補給機「こうのとり(HTV*)」(8号機)は、今晩(8時13分)「国際宇宙ステーション(ISS)」に到着し、無事キャプチャー(把持)された。キャプチャー コンプリート!
(*)HTV: H-II Transfer Vehicle

昨年末(2018/12/1)、「JAXA筑波宇宙センター」の一般公開展示の「こうのとり」(実機モデル)を見学して、その余りの大きさに驚嘆した。積載重量(ペイロード)は、最大約6.0tといわれている。なるほど、打ち上げに「H2Bロケット」を要するのも素人ながら・・・感覚的でしかないが納得した。しかも、宇宙で微妙に航行(移動)制御できるという実は凄い能力を持っている。

(本ブログ関連:”こうのとり”)

日本経済新聞(共同通信)の記事「こうのとり 8号機、宇宙ステーションに到着」**(9/28 22:05)によれば、ISS側ロボットアームにより把持されたと次のように報じている。
(**)記事: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50359790Y9A920C1CZ8000/
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・高度約400キロの「国際宇宙ステーション(ISS)」に物資を運ぶ「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」の無人補給機「こうのとり」8号機が28日午後8時13分、ステーションに到着した。滞在中の宇宙飛行士がロボットアームを操作しキャッチした。これまで連続8回の輸送に成功したことになる。

[写真](国際宇宙ステーションに到着した「こうのとり」8号機。左下からステーションのロボットアームが伸びている=NASA提供・共同)

・補給機は鹿児島県の種子島宇宙センターから25日に打ち上げられ、JAXA筑波宇宙センターの制御で徐々に高度を上げた。最後にはISSと同じ速度で飛行することで速度差をなくし、約10メートルの距離まで接近。長さ17.6メートルのロボットアームが補給機をつかんだ。

・補給機は食料品やバッテリー、実験装置など約5.3トンの物資を搭載。ステーションに取り付けた後、飛行士が荷物を搬出する。
〔共同〕
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(把持の模様は、Youtube映像の29分ごろ)

(Youtubeに登録のJAXA | 宇宙航空研究開発機構に感謝)


(付記) ラグビーWカップ
日本が、優勝候補のアイルランドを19対12で破った。にわかファンにもなれない素人にとって、凄いと思うし、凄いことなのだろうと推測する。これから、テレビ解説を聞いてその凄さを理解しよう。

2019年9月27日金曜日

飛行機雲

線状の雲を吐きながら高空を飛んでいる飛行機に気付いたとき、ついしばらく見続けるものだ。それを見上げる子どもは、大いにはしゃぐかもしれない。大人ならどうだろうか。

今朝方、ウィークデイの早朝番組「シャキット!」(tvk、テレ玉、チバテレの3局ネット)で、気象予報士(竹下愛実さん)が「飛行機雲」について絵入りで説明された。

a. 空気中に湿気が多いとき、飛行機雲の形がはっきり見える
b. 飛行機のエンジン数にしたがって、飛行機雲の本数が決まる
c. 太陽の位置と近くにある場合、飛行機雲に虹色に輝く「彩雲」が見える

(本ブログ関連:”飛行機雲 ー ①、②、③”)

飛行機雲は、ひとを引き付け空へ誘うポエチックなようであるが、気象との関係からいえば、雲がくっきり見えるほど後々の空模様はかんばしくないという。

ところで、上記にあげられた「彩雲」には旧海軍の偵察機の名にもあって、機体の美しさから「タロン(T-38)」、「フランカー(Su-27)」と合わせて興味深い航空機だ。

(本ブログ関連:”飛行機”)

飛行機雲の言葉から、荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)とそれを主題歌として採り入れた宮崎駿の長編アニメ「風たちぬ」(2013年)を忘れることはできない。


(Youtubeに登録のc22mmt7yyに感謝)

2019年9月26日木曜日

(資料)対談「わしらを育てた闇市の流儀」

哲学者木田元氏(きだ げん、1928年~2014年)とジャーナリスト徳岡孝夫氏(とくおか たかお、1930年~)の対談「わしらを育てた闇市の流儀」が雑誌「文芸春秋」(2014年9月号)に掲載されている。

木田元氏は、2014年8月16日に亡くなられている。上記雑誌の実質の発行時期と重なることになる。当然ながら、対談自体はそれ以前に行なわれたのだろうけど。

対談では終戦直後の「闇市」の経験が語られるが、語りはいたって飄々とした体であり、却って気負いのなさに真実が伝わる感がする。なにしろ、当時の若き木田氏の身過ぎ世過ぎときたらピカレスク小説をほうふつさせるのだから驚愕する。

(本ブログ関連:”戦争”)

いきなり余談だが、わたしが若いころ新聞記者だった方から聞いた話に、戦時中の一高出身の東大(旧制第一高等学校・旧制東京帝国大学)の理学系学生は、学徒動員をまぬがれて軽井沢に温存されていたという。まさに記者当人の話であり直接聞いたことだ。
一方、戦時中・終戦後をようやく生き延びた若き木田氏は、超エリートたちのような待遇を望むべくもない厳しい環境に置かれていたわけで、生きるための知恵のかぎり振り絞っていた。

上記対談の最終のテーマ「戦争体験は伝わるか」で語られた、木田、徳岡両氏の発言を次に記載させていただく。(抜粋)
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【木田】   戦後、時間が経つにつれ、戦争体験という言葉がしきりに言われますよね。そして「戦争体験が伝わらない」という。
でも、私は、戦争体験を伝えるということ自体が無理なんじゃないかと思うようになっているんです。数年前に「戦争と文学」(集英社)という戦争にかかわる文学作品を集めた全集が刊行されました。これを読むと、どうもそれぞれの世代がそれぞれのやり方で、自分たちの戦争体験みたいなものを作っているように感じたんです。

【徳田】   どういうことですか?

【木田】   つまり「これが正しい戦争体験だ」なんてあり得ないような気がするんです。全集の中のどの作品が戦争体験を正確に伝えているか、検証できる性質のものではないのです。
「戦争と文学」でいえば、編集委員は戦後五〇年代に生まれた方々ですから、私と感覚が違うのは当然なんです。先の戦争を知っている私たちだって、その前の日清戦争や日露戦争については、今の若い人と似たようなものでしょう。それはしょうがないことで、なにか訂正するといって何を基準に訂正していいのか。
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【徳岡】   来年は日本の終戦から七十年かもしれませんが、ベトナムの終戦からも四十年なんです。僕はあのときサイゴン(現・ホーチミン)にいて、日本の終戦に次いで二度目の終戦を見ました。
陥落を見届け、帰国してびっくりしたのは、あれほどベトナム、ベトナムと叫んで、デモだなんだと大騒ぎしていた日本人がまったく無関心になっていたこと。新聞も大型連休をどう過ごすか、なんてネタが紙面の大きなテーマになっている。アホらしくなりましたね。やっぱり、われわれは我が身に近い戦争しか見ていないんですよ。ある意味では、人間としてはそれで健康なのかもしれませんが。

【木田】   ですから、さも正解があるように「あの体験」というけれども、口にすると無責任な気がして仕方ないですね。・・・
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【徳岡】   歴史から教訓を得るというのは、必ずしも最良の手段ではないらしいですよ。
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婉曲に語られているようだが、戦争経験のない戦後生まれに戦争体験の意味を勝手に掠め取られていくようなおもい(危惧)がしてならないのではないか・・・と、そんな風に感じるのです。