石の不思議さを古来ひとびとはどう幻視したり幻想したのだろう。もしかしたら、新しい見方なのかもしれない・・・ということ。
実は、中国東晋時代の「捜神記」(竹田晃訳、平凡社東洋文庫)に、古代の人の石に対する想像力が、動物や人間などに対するよりも意外に乏しいように見受けた。もしかしたら、石の伝承に対して選者(干宝)があまり関心がなかったともいえるけれど。
だから、石の中から笑い声が聞こえたり、石が馬に変化(へんげ)するというような不可思議さを感じる(「奇談の時代」(百目鬼恭三郎、朝日新聞社))には、石の持つ抽象性を咀嚼したうえで、時代を経て可能なのかもしれない。石の隙間から雲が湧き出たり、その姿からひとを虜にする審美を気付くまでには、幾重に重ねた物語つくりの力が必要なのだろう。
しかし石を見る目も、分類と細分化、つまり博物学的な知の独占を経て固められてしまったため、今となってはその隙間に幻想の入り込む余地もなく、むしろ宇宙への想像に向けられる。