毎週月曜日開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)」へ出かけた。天気予報の通り、昼は晴れ・夕方は雨となって、帰宅時にしっかり濡れた。この時期の雨は冷える。
(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)
先週日曜日は「文化の日」の祝日だったため、月曜日が振替休日となり、市民講座は<休講>となった。したがって2週間振りの聴講になる。今回も重い内容で、WWⅡ後にホロコーストがコミュニティの中でどのように語られたかを、特に<犠牲者>側の語りについて、「ホロコーストを巡る戦後の言論と記憶 -想起のかたち-」のタイトルで、先週に引き続き学習院女子大学教授の武井彩佳氏から説明された。ホロコースト理解を多面的に切り分けて見せてくれた。
歴史の語りは、時代(世代)・政治体制・メディア(芸術表現)によって違いが出る
・時代経過のごとに、語りの主題や内容が変わってくる
- 個人の記憶 ⇒ 政治利用 ⇒ 被害者の子ども世代が関心を持つ ⇒ 集合(文化)的記憶
・小説:「ホロコースト小説」といったジャンルがある
- ホルヘ・センプルン(スペイン人)、エリ・ヴィーゼル(ハンガリー出身ユダヤ人)
- ホロコースト小説は、イスラエル以外の世界から発表されることが多い
・映画: ホロコーストを象徴化・アイコン化(ビジュアル化)しやすい多様な表現
- 刺青(囚人番号)、星マーク、列車(収容所へ搬送)、ガス室、被害者の人格崩壊
犠牲者のユダヤ人内部での語り
・ナチスドイツとの関係
- シオニスト: 武装抵抗した意識
- ユダヤ人評議会(Judenrat): 対独強力した富裕層(「裏切り者」と呼ばれる)
・性的役割(語られないこと)
- 男性: 守るべきものを守るという男的役割・存在を果たせなかった矛盾
- 女性: 生き延びるため身を手段にする(あるいは嬰児の処置)
・仲間割れの話については当然忌避される(語られないこと)
シオニスト(イスラエル在住)から見たホロコーストの解釈
・イスラエル以外のユダヤ人(ディアスポラ)に対して
- イスラエルに移動しなかったこと、現地での共生化を試みたことの失敗など批判
宗教(ユダヤ教)的立場から見たホロコーストの解釈
・神学テーマ
- 正統派: 神の罰(神に見捨てられた)
- 神の不在:「あなた(神)はその時どこにいたのか」
- 生存者(Sh'erit ha-Pletah:שארית הפליטה)を神は見捨てたのではない解釈もある
・世俗派は、西欧世界での<共生>という幻想が破綻したことを知る
共産主義体制から見たホロコーストの解釈
・社会主義では、民族よりもファシストと闘った民衆に力点が置かれた
- ファシストと闘った共産主義者 > 苦しんだ一般民衆 > 抵抗せず殺されたユダヤ人
・ホロコースト記念碑も、ファシズムへの抵抗を誇示するようデザインされる
アメリカに移住したユダヤ人から見たホロコーストの解釈
・アメリカ移住で生き残ったという理解
- アメリカンドリーム: 困難からのがれる ⇒ 一生懸命働く ⇒ 裕福になる
・(ホロコーストのなかった)アメリカに多数のホロコースト博物館・記念碑がある
- 体験者でないため、当初は逆にリアルな表現を求めたが、現在は抽象的になっている
- 犠牲者の「無名性」を乗り越える作業として、生き残ったひとびとの体験を聞く
(感想)
<体験>は、生き残ったひとの言葉でしか伝わらない。死者の言葉ではない。<歴史>が体験をくるむとき、言葉は整理される(第3者の手で整理されてしまう)。時間が遠くなるほど、距離が遠くなるほど、言葉は純化される。メディア(あるいは思想)というプリズムをかけると、容易に角度を変えてしまう危険性がある。