KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(7/27)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、高麗時代(고려、918年~1392年)の歌謡曲(民の歌)に関連した3曲を紹介した。
始めに、高麗時代の首都「開京」の盛況と、外国人商人の餃子店「霜花店(상화점)」について次のように紹介された。
・高麗の首都「開京(개경)」(現「開成」)は国際的だったようだ。半島北部の中域に発する礼成江(예성강)下流の碧瀾渡(벽란도)は国際港として栄えた。世界から商人が訪れたが、貿易はほぼイスラム商人が担った。彼らが運んだ水銀や没薬のようなものがあり、珍しがられた。首都には、イスラム人たち固有な言語と衣装、文化を保って生活できる共同体もあった。高麗の歌謡曲に、餃子屋(饅頭屋)の「霜花店」という歌がある。霜花とは、窓ガラスにできた花模様の水蒸気に似たことで名付けられた。餃子を買いに行くと、イスラム人(または蒙古人、タタール人)の主人が自分の手首をつかんだ(誘った)という内容だ。
▼ 「霜花店」を童謡にした「おいしい霜花(맛있는 쌍화)」を聴く。子供合唱団の素直で愛らしい歌声で聴く。
・童謡「おいしい霜花」は、上記の「霜花店」*を子供たちに親しみやすく作ったものだが、本来の内容は子供向けでない。はじめに餃子屋の主人、その後は寺の僧侶、井戸の竜、飲み屋の主人など、色々な人物が登場する。しかも、どれも乱れた不倫の歌だ。高麗の忠列王(충렬、1236年~1308年)が、王のため公演団を作り、演劇だけでなく、このような歌を歌わせた記録がある。この「霜花店」を、支配階層の堕落した姿を風刺した歌と見ることもある。
(*)Yahoo知恵袋を参照。感謝。
次に、高麗の歌謡曲、孝行を歌う「相杵歌(상저가)」について次のように紹介された。
・歌を通じ、昔の多様な人々の暮らしや考えが読み取れる。高麗の歌謡曲に、「相杵歌」がある。穀物を搗(つ)く、「臼の歌」(杵と共に臼を使う)だ。穀物を搗いて両親のために飯を炊き、余ったら自分も食べるとの歌詞で、貧しくても心は豊かになるという。
▼ 「相杵歌」を新構成した「新相杵歌」を聴く。燻し銀のように歌う。今様である。
最後に、最も知られる離別の歌「青山別曲(청산별곡)」と「去りしや(가시리)」について次のように紹介された。
・高麗の支配階層は、主に漢文で歌を作った。景色の良い場所を遊歩することを楽しんだ。それに対し、歌謡曲は民の歌だ。彼らの暮らしを有りのまま盛り込んでいる。後に、これらはハングルの歌集に載せられたが、朝鮮時代の支配層の気に障って、多くの歌が散逸した。今はそのいくつかが残る。最も知られる高麗の歌謡曲は、「青山別曲」と「去りしや」だ。「去りしや」は、別れを痛ましく思う、その切ない気持ちを表現している心を打つ歌詞で、数多くの離別歌の中で一番とされる。
▼ 愛する人との別れの歌「去りしや」の歌を聴く。男性テノールは正調に、女性ソプラノは独特に歌う。今様である。