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2013年2月28日木曜日

2月も終わり

物事がどれ位い済んだか、あるいは未だどれ位い残っているかを直感的に理解するのに、むかしからリンゴの食べ具合をイメージしていた。リンゴを立てて、芯を通るように上から切り分けるのだ。

2月は、太陽暦の都合で28日(または29日)しかないので、今日で終わりだ。一年(十二ヶ月)をリンゴ一個に例えると、六分の一食ってしまったことになる。まだまだ残りがあるようだが、この場合、消化の速度の方が気になる。歳とともに加速しているのだ。

リンゴには、人生のリンゴ、カレンダーのリンゴ、そして仕事のリンゴなどがある。
仕事のスケジュール管理の最初に、土日や祝日だけでなく正月やお盆などの休日を差し引いて工数を考えなければならない。特に2月は28日(または29日)しかないのがやっかいである。通常月より2~3日少ないのだから。
例えば4月に利用開始の場合、3月を(総合など)テスト月とするなら、2月までに開発ほかが終了していなければならない。その2月が、28日しかないのだ・・・日数の少なさに、カレンダーをうらめしく思うことになる。

いつも月末になって思うのだが、来月からは真剣にするぞって。
もう、2月のことは忘れてしまった。明日から、いよいよ季節は春である。

2013年2月27日水曜日

ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」

ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」(1971年、訳詞:堀内みち子・なかにし礼)は、今の時代はどんな風か知らないが、別れの歌としてカッコよかったのだ。演歌のように後ろ髪を残すでなく、フォークのように思い出語りにふけるでもない、ほどほどに切なさがあった。オーストリアの原曲に、新しい別れの場面を歌詞に、なかにし礼がのせたのだから。

なによりこの曲を印象深くさせたのは、ボーカルの前野曜子だった。彼女のイメージは、(昔風の表現でいう)クールだったし、歌声も硬質な感じがした。どこか突き放したようで、都会的な響きがした・・・でも歌詞の舞台は。どうであれ、こんな感じの離別は洒落ていた。
だから、ペドロ&カプリシャスの初期の主な代表作は、前野曜子が歌っていたと思い込んでいた。その一体感は長くイメージとして残った。

(本ブログ関連:"別れの朝")



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2013年2月26日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 鄭權鎭

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/20)に、人物シリーズ68回目として、「宝城ソリ(ポソンソリ、보성소리)」といわれる歌の伝承者、鄭權鎭(チョン・クォンジン、정권진:1927年~1986年)を紹介した。

まずはじめに、パンソリ流派の「西便制と「東便制」の歴史解説から始まった。
・朝鮮時代末、興宣大院君(1820年~1898年)の寵愛を受けたパンソリ歌手、朴裕全(박유전)の歌は、「江山制(강산제)」或いは韓半島西側地域で歌われたため「西便制(서편제)」と呼ばれた。
興宣大院君失脚(1873年)後、ソウル(漢城)を離れた朴裕全に教えを受けた弟子の鄭在根(정재근)は、後に甥の鄭應珉(정응민)を連れてソウルに上京。植民地時代、鄭應珉はひとりソウル(京城)で歌の勉強を続け、朴裕全の没を期に帰郷する途上、「東便制(동편제)」の名唱金贊業(김찬업)について学ぶ。後に全羅南道宝城(ポソン)に落ち着き後輩の指導にあたる。「西便制」と「東便制」を重ねた独特な「宝城ソリ」は、鄭應珉の息子鄭權鎭が伝承する。

▼鄭權鎭による「水宫歌(수궁가)」の中から「ウサギが絵を描く題目」を聴く。優しい口調で子どもに童話を語るよう・・・。

・鄭應珉は、他の弟子をとっても、息子鄭權鎭にはパンソリを学ぶことを許さなかったほど、厳しい修練を必要とするものであったが、幼い頃から聞いて覚えた歌で、父と同じ道を歩むこととなる。

次に、鄭權鎭のプロフィールが紹介された。
・1927年 全羅南道 宝城に生まれる。
・15歳、歌を学び始めるものの、昼の仕事の後、夜に歌の勉強を続ける日々を送る。
・1950年 朝鮮戦争勃発。特別採用で警察官となる。南島民謡を歌い放送を通じてパルチザンの投降を促す。
・30代になり、警察の職を辞し、正式に歌い手として活動を始める。
・1961年 国立唱劇団発足。団員活動と伴に国楽芸術学校で歌を教え、自身の歌の確立、完成へ整える。

▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「泛彼中流(범피중류)」を聴く。悲愴な始まりにもかかわらず抑制を効かせて深い悲しみを歌っているのだろうか。

・1982年まで 国楽芸術学校での指導後、全南大学の国楽科の教授として招聘される。
・1986年 持病で没する。
・現在、鄭權鎭の長男鄭会泉は国立唱劇団長と全北大学教授を経て、国立伝統芸術高等学校(旧国楽芸術学校)校長、次男鄭会浣はテグム演奏者、三男鄭会石は国立国楽院パンソリ団員として、国楽界で活躍している。

▼鄭權鎭による「沈清歌(심청가)」の中から「沈奉事(봉사:盲人)が目を開く題目」を聴く。目が開いて喜びの後、何が起こるかの見えないとは・・・。

(参考)「第 III 章 パンソリが文学に与えた影響」:元東京外国語大学教授三枝壽勝氏のホームページに「パンソリ」の要約紹介ならびに解説がある。

2013年2月25日月曜日

イ・ソンヒのトロット・メドレー、ふたたび

イ・ソンヒは、他の歌手とどう違うのかと問われれば、いわゆる色とか癖があるというわけでなく、力強い発声と高音、透明感ある声質というべきなのだろう。しかも、それだけでない。デビュー当時、少女たちを中心にファン層が広がったのは、健康的で清潔感にあったようだ。女性を強調するような歌謡ステージとは異なるスタイルに関心がもたれた。それは決して奇抜ではない、むしろ普通なメガネ姿の短髪の風貌で、ボーイッシュでもあったのだ。彼女の天性の、サニーの愛称に相応しい輝くものがあった。

そんな彼女が、ジャンルにこだわらず、才能のままトロットを歌いあげるステージを、Youtube映像でふたたび見てみよう。デビュー後17年の2001年、実力をいやまして次の曲を歌う。

・シム・スボン(심수봉)の「愛しか私はわからない(사랑 밖에 난 몰라)」(1987年、6集)  → こちらも!
・ナフナ(나훈아)の「ムシロ(무시로)」(1989年)
・チュ・ヒョンミ(주현미)の「片想い(짝사랑)」(1989年)

再掲:Youtube解説) 2001年6月5日のテレビコンサートで、自由大邱文化放送によるとのこと。
(画面に、イ・ソンヒスペシャル「MBC(文化放送)歌謡コンサート」の表示。会場客の年齢は高目です・・・)

(本ブログ関連:"トロット")



(Youtubeに登録のtheykilledmon、013pic、maxmike0320、526apolloに感謝)

2013年2月24日日曜日

錫高野#18

昨年の2月以来、久し振りに茨城県東茨城郡城里町の高取鉱山と背中合わせにある錫高野に鉱物採集に行く。早朝、未だ暗いうちに家を出たが、Xa氏との待ち合わせ場所であるJR駅に着いた頃には、空はすっかり明るくなっていた。春らしく、次第に日の出が早まってきている。おまけに今日の天候はいいようだ。

(本ブログ関連:"錫高野")

いつものように、仏国寺側から入山する。日ごろの運動不足がたたって、山越え時にゼエゼエと息を吐き、足が張ってくる・・・もちっと体力作りの重要性を感じた。
歩きはじめから冷気が強いため、ジャンパーの上に、簡易ヤッケと雨合羽を重ねる・・・風が吹けばフードを立てるほどだった。場所によっては雪が残っていたり、路面がツルツルに凍っている所があった。

さて今回は、(A)高取山ハイキングコースと一部重なる沢での水晶と、(B)巨大な岩が垂直にそそり立つ岩場での蛍石を中心に採集した。両場所も合わせて、鉱物採集の結果は次の通り。

・水晶(満足:透明感、かたち)
・鉄マンガン重石
・白鉄鉱
・硫砒鉄鉱
・黄銅鉱
・銅藍
・輝銅鉱
・硅孔雀石
・ブロシャン銅鉱
・蛍石(ルーペサイズ)

(残念ながら、錫石、トパーズには巡り会えなかった)

ところで、(A)地点で、地元の父と子(少年)からめぼしいズリ場を教えていただいた。(B)地点で、福島から久し振りに来たという方から、蛍石採集を応援していただいた。また帰り道、若い両親と子(少年)に出会い、蛍石採集の別場所を教えていただいた。
錫高野だけでなく、他の鉱物採集場所を含めて、一日にこれほど多く同好の士と出会い・会話(情報交換)したのは始めてのことだ。
そうそう、親子連れを見て、未来の鉱物マニア、もしかしたら研究者の芽が育っているようで微笑ましく思った。

2013年2月23日土曜日

多分、今年最後の新年会

少しも上達しないくせ、ち~っともくじけないのがおじさんの強みである。
今年参加した新しい韓国語クラスの先生と生徒全員が揃って、新大久保駅そばの韓国料理店「やかんの物語(주전자 이야기)」で催した新年会に同席する。

店名の「やかん」は、マッコリを真鍮製やかんに入れて供するからだろうか・・・そもそも、マッコリをなぜやかんに入れるのだろう。同じく真鍮製の飲み容器のサバル(沙鉢)も一緒に配られたが、これって昔の小学校の給食に使われた食器にそっくりだ。

次は、みなで食したものばかりで・・・酔っていたので記憶があいまいだが。
・参鶏湯風の煮物(タッカンマリ?)
・付け合せ(黒豆ほか)
・チーズトッポギ・・・好評
・ニラのチジミ
・鳥の甘辛~い唐揚げ・・・好評
・かき氷パッピンス・・・好評
・アルコール類(マッコリほか)

ところで店内の大型TV画面に、K-POPスターが次々登場して歌っていた。他の生徒さんたちはそれを見て区別していたが・・・おじさんには、若いアイドル歌手はさっぱり分からない。
トロットは、K-POPと呼ばないのか~!(隣のうるさいグループに負けじと叫びたかった)

今年こそ、真面目に勉強しよう。

そして明日は、錫高野で鉱物採集だ。こちらも頑張るぞ!

2013年2月22日金曜日

今日も机上鉱物採集

いつもいただくだけでお世話になっている鉱物仲間の新築宅を訪問して、そのうえ机上鉱物採集までした。
新築宅は、シアトルの伝統的家屋を参考にしたというシックな造りで、屋内は飾り付けから家具に至るまで自身で手を加えたという。家の内と外が完全に洋風スタイルの、とても豪華でお洒落なお宅である。

ところで驚いたのは、鉱物標本の種類の多さだけでなく、丁寧な手作りの標本ケースと詳細な標本ラベルだ。わたしの鉱物標本とはまるっきり違っていて、感心するばかりだ・・・そろそろ、わたしも標本整理(≒始末)をするかな。

標本を一個一個拝見して話しを聞く・・・趣味の話は止みません。そして、帰り際に次の机上鉱物採集のチャンスをいただいた。感謝。

・鍾乳石: 新潟県奥只見
・柘榴石: 長野県南佐久郡・栗生鉱山
・黒雲母: 福島県伊達郡・水晶山

2013年2月21日木曜日

積雪

相変わらず最高気温10℃以下が続いて、慣れてくると不思議なことに、寒さをあきらめなのか気にならなくなっている。昼の陽だまりがわずかな時間だということも惜しくない。こんなもんだと、納得してしまっているのだ。

むかし、夏の井の頭公園の屋外プールで、水温が17℃の寒さにブルブル震えたものだが、今の気温はそれよりも10℃ほど低い。寒い寒いといっては、イヌイットのひとびとに笑われてしまうだろう・・・といっても、彼らの生活スタイルは全く今様だろうけど。

ところで、今日のNHKテレビのニュースで、「青森県の八甲田山系の酸ヶ湯(すかゆ)では積雪が5メートル15センチの積雪を観測(21日午後1時)」したと、降雪風景を報じた。さすがに当地の方々も、これには慣れてないようだけど。

イ・ソンヒが、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)をカバーして、雪景色(孤独な少女)を歌う「雪が降る(눈이 내리네)」(1988年)を、Yuoutubeで聴いてみよう。
(登録のYoungbum Kimに感謝)

https://www.youtube.com/watch?v=t7FV-zhSg9g

(本ブログ関連:"雪が降る")

(付記)
ところで、北日本を襲っている大雪を何かに・・・例えば、低温エネルギーの活用など利用できないのかなあ。

2013年2月20日水曜日

(資料)アイドル過剰時代

アイドルグループが中心を占める韓国音楽芸能界の変化(変身)の兆しを、ユニット化という編成替えや、アーティストとしての自立化などで語られているが、中央日報の記事「韓国のアイドル過剰時代、ミュージシャン変身は無罪?(1)(2)」(2/19)は、"ミュージシャン"というキーワードを使って、その変化を次のように語っている。(抜粋)

(本ブログ関連:"アイドル")

・アイドルの体質改革か、それとも一時的な対策か。歌謡界でアイドルからミュージシャンへの変身が目立っている。

・7人組グループINFINITEのドンウとホヤは、ヒップホップ・ユニットの「INFINITE H」を結成し、ヒップホップ・ミュージシャンに変身している。・・・アイドルバンドCNBLUEは、自作曲のミニアルバム「Re:BLUE」を発表し、オールライブの舞台を準備するなど、"ミュージシャン"に進化する姿を見せた。

昨年、新しく結成された新鋭アイドルグループは50チームを超えるすでに飽和状態に達した無限競争のアイドル市場で、"ミュージシャン"という言葉は一つのマーケティング用語として乱用されているという批判もある。


◇事務所の個性vsメンバーの個性

・専門家は、アイドルとミュージシャンを区別する最も重要な要素を「音楽の主体性」と話す。「与えられたものでなく、自分だけの個性があるか」(音楽評論家イム・ジンモ氏)、「メンバーが主体になって音楽を生産して方向を決定しているか」(音楽評論家キム・ジャッカ氏)、「音楽的な哲学があるか」(文化評論家カン・テギュ氏)、「音盤が創意的な作品か」(音楽評論家パク・ジュンフム氏)を満たすかどうかだ。・・・イム・ジンモ氏は「韓流の未来のためにも、アイドルが実力を持たなければいけないという雰囲気が形成された。他人から受けた曲を消化して演技するという段階から抜け出し、自分だけの表現の世界を持つというのは確実にプラスとなる」と話した。

・一方、限界があるという指摘も出ている。パク・ジュンフム氏は「アイドルは練習生当時から事務所と従属関係にならざるを得ない。コンテンツが創意的でないため、寿命は短くなるしかない。 ミュージシャンは不可能な夢だ。ミュージシャンになろうとすれば、事務所を出て独立して活動しなければいけない。踊っても、楽器を演奏しても、別の形のアイドルにすぎない」と語った。

 
◇"ハンドシンク(空弾き)"するミュージシャン?

・CNBLUEを相手取りインディーバンドのクライングナッツが最近、著作権損害賠償請求訴訟を起こし、話題になった。CNBLUEが新人時代、Mnet音楽番組でクライングナットの音源を流して演奏するふりをし、その映像をDVDに入れて日本に輸出したということだ。
・ミュージシャンを目指したバンドのイメージは大きな打撃を受けた。ペ・スンタク氏は「アイドルもいくらでもミュージシャンに進化できる。しかし音楽とは関係がない芸能番組に出演しながら、突然、自作曲を作ったからミュージシャンとして見てほしい言っても、大衆や評壇が実力を確認する方法はない」と述べた。

・クラブで公演するインディーバンドとは違い、アイドルはライブ公演が少なく、芸能番組やドラマに出演して収益を出す構造に問題があるということだ。
・カン・テギュ氏は「音楽的主体性が生じるように所属事務所が配慮しなければ、ミュージシャンどころか"商品"にすぎない」と指摘した。 イム・ジンモ氏も「アイドル出身というレッテルはすぐに剥がれるものではない。CNBLUE事態はミュージシャンになる道がどれほど厳しいかを表している」と話した。

2013年2月19日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 アンサンブルシナウィ

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/13)に、人物シリーズ67回目として、2007年に結成された新しい国楽グループ「アンサンブルシナウィ(앙상블 시나위)」を紹介した。

(本ブログ関連:"シナウィ")

「シナウィ」と国楽グループ「アンサンブルシナウィ」の説明から始まった。
・シナウィは、巫俗音楽を起源に持つ、即興の器楽合奏曲を意味する。奏者同士、基本的な部分だけ取り決め、各自オリジナルのメロディーを基本リズムの長短(장단)にのせ演奏する。西洋音楽のようにハーモニーを奏でるのでなく、不規則な演奏ながら調和する。
・最近は、伝統的即興形式によらず、ある程度、固定されたリズムで奏するものが増えた。この伝統を基に、現代に響く音楽を目指して演奏活動するのがアンサンブルシナウィである。

▼「魂のためのカデンツァ」中から、「オンモリ、チュンモリ(엇모리、중모리)」を聴く。亡くなった人の魂を讃える珍島シッキムグッ(씻김굿)を基に再構成されたそうだが・・・聴きやすさに。

次に、アンサンブルシナウィのプロフィールが紹介された。
・2007年 結成。演奏技術と多様なジャンルとの調和を試み、国楽関係者、大衆からも大きな期待を寄せられる。メンバーは、伽耶琴に似るも擦弦楽器の「アジェン(牙筝、아쟁)」のシン・ヒョンシク(신현식、リーダー)、「パンソリ(歌)」のイ・ボングン(이봉근)、「カヤグム伽耶琴가야금)」のハ・セラ(하세라)、「打楽器」のキム・ジヘ(김지혜)、そして異色の経歴を持つ「ピアノ」のチョン・ソンヒ(정송희、作曲)である。
・演劇、ジャズ、舞踊、メディアアートなど多様なジャンルと融合し、現存の5つのパンソリから、広く知られる題目をピックアップし、新しく構成したりする。
・<フュージョン国楽>として、伝統音楽に西洋音楽や大衆音楽をのせる演奏が多い中で、アンサンブルシナウィは、伝統音楽に秘められた、現代に共感できる部分を探し求めている。

(付記)
例えば最近では、オペラ観覧がひとつの音楽鑑賞の地位を持つようになったが、青い目の歌舞伎を見る人がどれだけいるだろうか。音楽大の卒業者が多数になれば、その中の音楽人が、土(つち)に生き受け継がれてきたものを、容易に採譜し再構成して表現するようになるだろうけれど、それを生活者の土(つち)に戻すことはできるだろうか。いったん、すくいとったものは・・・。

2013年2月18日月曜日

チェバルクリ隕石

先日(2/15)、ロシアのウラル山脈南端にあるチェリャビンスク州方面に降った隕石情報について、一段落しつつあるようだ。東京新聞の記事「湖の鉱物 隕石と断定 『チェバルクリ』命名へ」(2/18、モスクワ=原誠司)は、次のように報じている。(抜粋)

・ロシア科学アカデミー所属の研究者は、隕石が落下したとされる同国ウラル地方・チェリャビンスク州のチェバルクリ湖の氷上で採取した小さな鉱物片を隕石の一部と断定した。湖の名前にちなみ「チェバルクリ隕石」と名付けられる予定。国営ロシア通信が十八日伝えた。

・鉱物片は〇・五~一センチの黒くごつごつした球状で、採取したウラル連邦大のビクトル・グロホフスキー(Viktor Grohovsky)教授らが成分を分析。「約10%の鉄分を含む一般的な特徴を備えた球状隕石*」と判明した。


(*)「普通コンドライト」と呼ばれる石質隕石・・・詳細は「AstroArts」参照。ちなみに、今回地球に接近した「小惑星2012 DA14」と「チェバルクリ隕石」は軌道が異なっていた、とのこと。

マスコミは、専門的なことに息が続かないので、わたしらに分かりやすい「隕石ビジネス」に話題が変わってきている・・・面白い話だけど。

(雑談)
UFO好きが多いんでしょう、早速「ロシアの声」は「チェリャビンスク近郊の隕石 UFOによって撃墜か (新ビデオ)」(2/18)なんて記事を載せている。

そろそろ、イ・ソンヒさんの話にもどろう・・・。

2013年2月17日日曜日

隕石

ミネラルフェアやミネラルショーなどで、鉱物標本以外に目にするものに、化石標本や宝石(宝飾)素材などがあるが、隕石標本もその一つだ。

会場で販売される隕石標本は、特に見栄えのよい鉄隕石(隕鉄)が多い。その断面の持つ不思議な模様(「オクタヘドライトのウィドマンシュテッテン構造」・・・だそうだが)の幾何的美しさに魅かれるものの、関心はそれより深まらなかった。
今回のロシアでの隕石落下騒ぎから、少しは関心を持ってもいいのかもしれない。

ところで、隕石ハンターというプロがいて、宇宙科学者がテレビ解説で、彼らがサハラ砂漠で隕石を探しているなどと話していた。そんな場所よりもよいところがあって、聞いた話によれば、南極の隕石探しの方が容易だそうだが・・・誰でも簡単に行けるわけじゃないので、科学者にとっては安心なことだろう。

今回のロシアの隕石について、大気圏突入時の大きさ(重さは約1万トン、直径は約17メートル)という巨大サイズに比して、現在のところ発見されているものは、ロシア政府が大動員をかけても1cm程度のもばかりだそうだ。
一方、インターネットでは、(抜け目ない)一般人による落下隕石の販売(オークションか?)が早速始まった。

今年予定の鉱物関連のフェアやショーで、チェリャビンスクに落下したといわれる隕石が販売されることになるだろう。

2013年2月16日土曜日

2012 DA14

正直、今朝方04:15に、一度屋外に出て南西の空を眺めましたよ・・・というか、望遠鏡レベルの明るさ(7等級)しかないとのことで、小惑星(2012 DA14)の姿を一瞥どころか寒さに負けて直ぐに家の中に引っ込んでしまったけれど。

でもねえ、昨日のウラル山脈の南端東側地域を襲った隕石の明るさをつい想像して、もしやと空を仰いだわけだけど・・・そんな筈はありゃしない、冬の空はいつまでたっても静かでしたよ。

さて、ウラル山脈は、ロシアの中でヨーロッパとアジアのにおいを東西に区分する、その東側はシベリアにつながっているわけで・・・昔のロシア人にとって、ウラルの山の向こうはどんなイメージだったのでしょうね。

はなしは、ガラリと変わって、韓国語教室で韓国では「山脈(산맥)」が普通に使われているそうだが・・・半島東側を背骨のように続く山々を、「大白山脈」などが連なって「白頭大幹(대간)」を成すと聞いていたが、山脈と大幹の関係はどうなんだろう。

2013年2月15日金曜日

ロシアの隕石落下

明朝<日本時間午前4時24分頃、直径45メートル、重さ推定13万トンの小惑星が地表から地球2個分ほどの距離を通過する>(毎日jp 2/9)といわれ、関心を持っていた矢先、ロシアに隕石が落下した。現在、けが人400人以上といわれている・・・更に増加とのこと。

「ロシアの声」(2/15)は次のように報じている。
ウラルの上空で15日朝、爆発音が鳴り響き、焦げた破片が地上に降り注いだ。
・チェリャビンスク(Челябинск)では、携帯電話の受信障害が発生したほか、一部の住民は避難を余儀なくされた。スヴェルドロフスク州でも、航空機の破片のようなものが落下したとの目撃情報が寄せられた。
・なお、間もなく「ロシア非常事態省」と学者らは、これは隕石雨であると発表した。小惑星は地球の表面に達する前に爆発したため、住民は難を逃れた。 

参考: Youtube映像(登録のAskar Oryngaliに感謝)
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=inPclE7RwFY

2013年2月14日木曜日

イ・ソンヒの「夜が来れば」

手元に鉱物結晶がある。マグマや熱水が地中の岩石を通り抜けるとき、圧力と熱も加わって、析出した結晶の種が冷えながら次第に美しい結晶を人知れず創った・・・ものだ。

イ・ソンヒも初期に、トロットの風味や面影を残したものがある。デビュー4年後の1988年に、4集アルバムに収めた「夜が来れば(밤이 찾아 오면)」もそうだ。
美しく緑が冴える山々に日暮れて、夜がたずねてくれば、孤独に押しつぶされそうになる。そんな中でも秘めた想いは冷めることなく・・・。Youtubeで、しのびつづける歌「夜が来れば」を聴こう。

<Youtube削除済み>

(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年2月13日水曜日

雪どけ

朝方、滴の垂れる音がして、やがて屋根から雪がドンと落ちる音が始まった。屋外を覗けば、深夜に降ったろう雪が半透明になって、通り道のすみにわずかに残っていた。
成人の日(1/14)の大雪と比べようもない小降りだったようで、昼までには、路上の雪は跡形もなく消えるだろう。

YOMIURI ONLINEの記事「東京の雪や雨、ほぼやむ…多摩は6センチの積雪」(2月13日07時35分)によれば、日中には雪はほとんど解ける見込みだそうだ。
・気象庁は13日午前7時22分、東京の雪や雨がほぼやんだと発表した。
・午前6時現在の積雪は、多摩西部で6センチ程度になっている。 日中は気温が上がるため、雪はほとんど解ける見込みだが、同庁は13日午前の積雪による交通障害や、13日夜から14日朝にかけての路面凍結に注意を呼びかけている。

すっかり乾いた昼の道路は、雪が消えて日向はほんのり暖まるものの、ちょっと風が吹けば随分と寒い・・・やっぱり春には程遠いな。

2013年2月12日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金玉心

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/6)に、人物シリーズ66回目としてパンソリの物語を歌い表現する伝説のソリックン(소리꾼)、金玉心(キム・オクシム、김옥심、1925年~1987年)を紹介した。

(参考)「"不運な名唱"金玉心を覚えてますか」(ハンギョレニュース、2006年10月25日

金玉心の歌声に魅せられた、名唱たちの言葉の紹介から始まった。
・パンソリ保有者候補の趙通達(조통달)は、「私の師匠である朴初月(박초월)先生は、歌の稽古の合間に彼女の歌声が聞こえてくると、プク(太鼓、북)の撥(バチ)を置き、その声に聞き入っていました。そして、聞き終わるといつも、どうしたらあのような哀愁ある歌が歌えるのだろうと感嘆していたものです」と当時を振り返った。
・さらに、京畿民謡の金英妊(김영임)も、金玉心の歌声について、「彼女の声は誰にも真似できない、天からの授かり物だ」と表現した。
・また、李殷官(이은관)も「京畿民謡、西道民謡の歌い手の中でも一番だ。彼女以上の声を持った歌い手はもう二度と現れることはないだろう」と絶賛した。
・長い間、歌い手として空白期間があったため、一般に記憶があまり残っていないが、歌い手の間で高い評価を受けた。

▼金玉心による「旌善アリラン(정선아리랑)」を聴く。暖かい庭先で聞くような・・・ほんのりした歌声だ。

・彼女は、京畿民謡の女性スター(李銀珠(イ・ウンジュ、이은주)、黙桂月(ムク・ケウォル、묵계월)、安翡翠(アン・ビチィ、안비취))たちが人間文化財の脚光を浴びるその影(選定からはずされる)に置かれることになる。

次のように金玉心のプロフィールが紹介された。
・1925年、ソウルに生まれる(本名、愛姫)。子供の頃から歌が上手かった。
・12歳  幼くして家計のため咸鏡道へ奉公に出て3年ほど下働きして、同地方の歌を覚えたという。
・その後ソウルに戻り、広く知られた朱壽奉(주수봉)に師事。シジョ(時調시조)、カサ(歌詞、가사)、雑歌などを学び、正式に歌の道へ進む。 逍遥山(소요산)の山裾にある滝の下で3年余り修練したという。

▼金玉心による西道(半島北部地域の黄海道と平安道地方)民謡の「キンアリ(긴아리)」を聴く。開けた窓を通じてどこからか聞こえてくるような、素朴な感じがしてとてもよい。

・朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)勃発後、陸軍軍芸隊に加入し、慰問公演なども行い、民謡「恨五百年」、「旌善アリラン」など広める役割も果たした。
・1960年代末、広く活躍したそんな矢先、突然、高血圧で倒れて音楽活動を全て休止した。
・1987年 悲運の名唱はこの世を去った。

▼金玉心による「回心曲(フェシムゴク、회심곡)」を聴く。他の歌い手に共通する独特な節回しとは違った、日常の物音に溶け込むような自然な響きがする。

2013年2月11日月曜日

永遠の嘘をついてくれ

今日は祝日(「建国記念の日」)、朝からの心地よい陽射しに誘われて外出したはよいが、吹く風の冷たさにうろたえる。そのまま小金井公園を散策すれば、寒風のなか野球場で楽しむ素人野球を観戦したり、広場の家族連れを遠く眺めたりした。

でも冷たい風に追われての帰り道、近所の図書館に寄って、休館日に唯一空いている読書室で手持ちの本を読めば、やがてウツラウツラして時間が過ぎる。日暮れて外に出れば、先ほどにも増して寒さがしみる。こんなはずじゃなかった・・・などといいながら帰宅する。暖かい日だったと、嘘でもいいから言って欲しい一日だった。

こんな日だから、吉田拓郎(1946年~)と中島みゆき(1952年~)の「永遠の嘘をついてくれ」(1996年、歌詞UTA-NET)をYoutubeで聴いて、嘘でもいいから暖かくなろう。



(Youtubeに登録のsouthwave5963に感謝)

2013年2月10日日曜日

今年は何処で鉱物採集

今年は何処で鉱物採集しようかと、栃木の鉱物仲間との新年会に参加する。いつもなら電車を乗り継いで出かけるのだが、今回は早朝迎えに来ていただいたйо氏の車に同乗して向かった。

のんびりと石談義のなかで、次々と採集候補地が挙がり検討された。末席のわたしとしては、何処でもOK、いつでもOKなので、雑談のタイミングには生真面目に割り込みを忘れなかったが・・・。
後日、幹事さんから届く4月以降の採集地リストが楽しみである。

新年会の後、特別ユニットによる今月の採集候補地も案出したし、今年は快調な滑り出しである。

2013年2月9日土曜日

Legend 100 Artist!

ケーブルテレビMnetは、韓国の「音楽の多様な音楽的価値を見せるため、音楽性、大衆性および時代に及ぼした影響などを評価して、2013年の観点からLegend Artistを選定して、大衆音楽史の偉大なアーティスト(100名)を再照明」することになった。

その「Legend 100 Artist!」第1回放送に、イ・ソンヒの名が挙げられ、他にも次のような歌手たちが登場した。残念ながら未見のため・・・Youtubeで探してみるかな・・・あっありました、80年代を代表する歌手として、チョ・ヨンピルとイ・ソンヒが紹介されています。

・日時: 1月15日、夜12時~
・司会: ペ・チョルス(MC)

出演*: ペ・チョルス、イム・ジンモ(音楽評論家)**、ユン・シムドク、イ・ナニョン、イ・ミジャ、シン・ジュンヒョン、パティ·キム、サヌルリム、ドルグックァ、ナムジン、ナフナ、ユン・ボクヒ、セシボンと仲間たち、ハン・デス、ヤン・ヒウン、ユン・スイル、H.O.T、チョ・ヨンピル、イ・ソンヒ、ナミ、キム・ワンソン、バク・ナムジョン、キム・ヒョンシク、キム・グァンソク、ユ・ジェハ、イ・ムンセ、シン・スンフン、キム・ゴンモ、ソテジとアイドゥル
(*) 出演者には、亡くなった方もいるので、映像主体だろう。
(**) イム・ジンモは音楽評論家のため、彼以外の28名(またはグループ)が歌手である。

(Youtubeに登録のMnetに感謝)

・第1回放送 #1
・第1回放送 #2
・第1回放送 #3
・第1回放送 #4
・第1回放送 #5
・第1回放送 #6
・第1回放送 #7
・第1回放送 #8

2013年2月8日金曜日

CCJクラフト見本市

今日も寒い一日だった。そんなとき、親類から外出のヒント・メールをもらい、池袋にある自由学園の「明日館」(フランク・ロイド・ライト設計)で開催の「CCJクラフト見本市」(1/7~9)に早速出かけた。
伝統的手工芸品の、織物・染織、革製品、ガラス、竹・木・漆細工、金工、陶磁器など多数の作り手が、展示ブースに製品を紹介をする見本市で、今日・明日は一般公開日である。

街を歩けば冬風に震えたものの、会場は暖かく、そのうえ多数のご婦人方に気押されて汗をかいてしまう。まっ、そんな中、木工品、金工、陶磁器などのブースを中心に巡った・・・というのも、素人に何となく分かりやすかったからだが。

豊田木工所(栃木県)の木製「鹿沼組子キット」は、42個の木製部品が入っていて、組み立てると<急須敷き>になる。組立意欲が湧いてきて求めた。実はもっと欲しかったものが同ブースにあったのだ。部品数は少ないが組み立て難度が高い木製キーホルダーの部品が展示されていたが、素人には難しく非売品とのことであきらめた。

帰り道、ジュンク堂書店に寄って岩波文庫「棠陰比事」(桂万栄編、駒田信二訳)を入手する。いってみれば、昔の中国の大岡裁きのような名裁判が列記されたもので、歳とるとほっとしながら読めて良い。韓国語の参考書も買ったが、本当に使うのかなあ・・・。

2013年2月7日木曜日

立川断層帯2013

立川断層(帯)といえば、以前、地震についての市民講座で当面問題ないだろうという話しだったが、一昨年の政府の地震調査委員会による活断層見直しの結果、地震発生確率が高まった。
現在、立川断層の調査が行なわれていて、その成果の一部が次のように報じられた。(抜粋)

(本ブログ関連:"立川断層")

★TBS News: 「8万6000棟倒壊の想定も、『立川断層』を公開」(2/6)・・・TV映像で分かりやすく紹介

★東京新聞: 「『立川』横ずれ断層か 大規模掘削 地震の頻度など調査へ」(2/7)・・・写真・地図あり
・マグニチュード(M)7級の首都直下地震を起こす可能性があるとされる立川断層帯の活断層面が東京大などの大規模掘削調査で確認され、6日に東京都武蔵村山市の調査地で公開された。

・断層が確認されたのは東京都立川市と武蔵村山市にまたがる日産自動車村山工場の跡地。東西250メートルにわたって幅30メートル、深さ10メートルの溝を掘ったところ、多摩川に運ばれた砂利が堆積した3万~5万年前の地層の中に、団子状の粘土が挟まった地震活動の跡が見つかった

現れた断層は垂直に近い急角度で、従来想定されていた地層が上下方向にずれる「逆断層」ではなく、水平方向にずれる「横ずれ断層」である可能性があるという。東京大地震研究所の石山達也助教は「今回は断層がどこに存在するかを明確にするのが目的。地震の頻度などは今後の調査で情報を得たい」と説明する。

・掘削調査は2月中に終了するが、引き続き地盤を機械で振動させる人工地震による地下探査などで2014年度まで集中的に調べ、どんな地震を起こす可能性があるかを予測する

・<立川断層帯>埼玉県飯能市の名栗断層と、東京都青梅市から府中市までの立川断層からなる。全体の長さはおよそ33キロ。政府の地震調査委員会は今後30年間の地震発生確率を0.5~2%と推定するが、東日本大震災の影響で発生確率が高まったとされる。マグニチュード(M)7.4程度の地震を起こす可能性もあるとされる。


(付記)
Q.今回調査から、縦ずれでなく、横ずれと分かったそうだが、地震の規模に違い(影響)があるのだろうか?
    (NHKニュースでは、断層は(横ずれ+縦ずれ)の合成だそうで、震災への影響も大きそう)
Q.立川断層帯=(立川断層+名栗断層)、だそうだが、立川断層≠名栗断層なのか、同一なのか?
Q.2014年までの調査で、地震発生確率の精度に効果が期待できるか?

ところで、当地で(生きている間に)地震に遭遇したら、震度6弱は免れない。つまり、立っていることが困難になり、耐震性のない家は倒壊するものがあり、一部の列車に脱線の可能性が出ることになる・・・以前なら、まるで映画のようといったが、今回の東日本大震災以降、絵空ごとといなす余裕はない。

2013年2月6日水曜日

イ・ソンヒの「あなたのそばに」

先日(1/14)と同じ気圧配置のため、南の暖かい風は、北から張り出した寒気に冷えて、朝方小雪を降らせたものの、どうやら雨になったようだ。せっかく昨日購入した、雪かき用のスコップは必要なくなった。

こんな寒い日だからこそ、イ・ソンヒの10集アルバム「First Love」(1996年)所収の「あなたのそばに(그대 곁으로)」を聴いてみよう。
つめたく冷えた心を変えることはできないけど、この世はひとつしかないから、そばへ寄り添おうと・・・でもねえ、今日の空のように結局濡れそぼるだけになりはしないかと。



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年2月5日火曜日

雪かき用スコップ

前回(1/14)の大雪に懲りて、予報されている明日の降雪に備えるため、雪かき用スコップを求めてホームセンターに行った。当然ながら、スコップ商品棚に雪かき用のものは売り切れていてなかった。しょうがない・・・土掘り用の先端の尖ったものを購入した。

明日の日付に変わる頃から雪空になるそうだ・・・朝になったら、雪かきでもしようか。そんな必要がないことを期待する。何しろ、前回は積もった雪を、自然に溶けるに任せたのだから。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金演洙

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(1/30)に、人物シリーズ65回目としてパンソリの名人、金演洙(キム・ヨンス、김연수:1907年 ~1974年)を紹介した。

まず、パンソリの成立の解説から始まった。
・昔、文字を読めない庶民のために読み聞かせて生活する人々の中から、登場人物を真似たり、旋律を加えたりして、パンソリの形態を持つ歌が生まれたといわれる。
・朝鮮時代末には、庶民やさらに両班(ヤンバン、양반)階級だけでなく、王までもが楽しむ音楽ジャンルとして広まった。身分の高い人前で演ずる際、歌詞に漢文や故事成語などを織り交ぜるようになった。しかし、パンソリの歌い手である「クァンデ(広大、광대:大道芸人)」たちにとって、その意味の理解は難しかったため、勝手な解釈で故事成語を入れたりして支離滅裂な歌詞となる事態が発生した。
・こうした状況のなか、金演洙はパンソリ歌詞の整理に努めた。

(本ブログ関連:"パンソリ")

▼金演洙による「春香歌(춘향가)」の中から、「千字文後解*(チョンジャディプリ、천자 뒤풀이)」を聴く。では、千字文を剥きになって諳んじる房子の心底はいかばかりか。
(*)千字文後解:「後解」について「全羅北道 韓国伝統ソリ文化」参照

次のように金演洙プロフィールが紹介された。
・1907年 全羅南道高興に生まれる。
・14歳まで書堂서당:寺子屋)で漢文を学び、高興普通学校、ソウル中東中学校に通った後帰郷。
・29歳のとき、歌の勉強を始める。遅いスタートだが、劉聖俊(ユ・ソンジュン、유성준)名唱について「水宮歌(スグンガ、수궁가)」を習得する。その後、朝鮮声楽研究会に入り、多くの名唱から現在残るパンソリ全5曲を学ぶ。
才能あるものの歌い手として声質が向かず、声量も弱いという弱点を克服し、さらに間違った解釈のパンソリ歌詞の漢文を正す作業など行った。

▼ 金演洙による「水宫歌(スグンガ、수궁가)」の中から「杲杲天邊(コゴチョンビョン、고고천변)」を聴く。語り口調なので・・・。

・1967年 東亜放送で、1日3、4時間ずつ何日にも渡り<パンソリ全5曲>を録音し、それを一日10分ずつ140回余りに分けて放送して大きな反響を受けた。当時はまだ、パンソリが大衆的な音楽だった。音源は後にまとめて発売され、貴重な資料となる。その後、<パンソリ5曲>の歌詞内容をまとめた資料集を発刊し、後輩たちの指導も熱心に行った。
・1974年 没する。

▼金演洙による「興夫歌(フンボガ、흥보가)」の中から「花草藏(ファチョジャン、화초장)」を聴く。途切れることなく、跳ねるような早いテンポの語り口・・・。

2013年2月4日月曜日

立春2013

先日の強風は、春一番になり損ねたようだ。立春以降に吹く、「初めての南寄り(東南東から西南西)の強風」しか春一番に当てはまらないのだから。

二十四節気の第一番目に当たる立春の今日は、春の始まりである。

今日は静かな日だ。風音もしなければ、空にこもる街の騒音も不思議なほどにかすかだ。ときたま地元飛行場の着陸コースをゆるゆるとたどるプロペラ機のエンジン音が聞こえるくらい。

春の陽射しにぬるむご近所の駐車場で、薄茶色の猫が車のタイヤに向かって尻尾をゆらゆらと振っていた。そばを通り過ぎるとき、何事かと車の下側を覗くと、身をくねらせて白い腹を少し見せるように横たわっている猫がいた。春のきざしに誘われて、生き物たちは正直に活動を始めたようだ。

(本ブログ関連:"立春")

ところで、今週の水曜日に雪が降るって・・・今度は、まじめに雪掻きしなくちゃ。

2013年2月3日日曜日

恵方巻きって何?

得体の知れないものなんて食えるかよと、長年意地を張って拒絶していた「恵方巻き」を、ついに信念を破って、近所のDVDレンタル店に寄ったついでに、階下のスーパーで買ってしまった。(以前、お相伴して食ったことはあるが、自分のために買ったのは初めてである)
何のことはない、太巻き寿司じゃないかといえばそれまでだが、一体この風習を知らない。子どものころに住んだ九州でも、この東京でも覚えがない。

商業主義に乗ってしまい、「バレンタインチョコ」と同じだといえば、いかにも高見からいっているようだが、じゃあ「蒲焼き」はどうなんだといわれると・・・源内さん御免なさいだ。わたしが陥落したように、この「恵方巻き」もいつか習慣となって、風習になるのだろうか。

「恵方巻き」は、太いのにあっさり食えてしまったよ、物足りない・・・と食欲がそそる自分に忸怩たる思いする。本当に信念がない。

さて、借りてきたDVDの方はシビアな内容だ。題名「裏切りのサーカス」というより、ジョン・ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ(Tinker Tailor Soldier Spy)」といった方がわかりやすい。
決してアクション映画とはいいがたい地味なストーリーだが、時系列を錯綜させながら、サーカス(英国秘密情報局上層部)のコントロール(上級者)に潜む裏切り者(モール)をあぶりだしていく。

世界が固定していた時代にリアリティがあったものを、その時代を知らない若者がどのように受けとめるのだろうか知りたいところだ。
どうやら、わたしたちの正義や進歩は、世界が二分されていたとき作られたものがあって、その仕切りがなくなると、一体あれってどうなんだと立ち尽くすしかない。その時代、その現場に立ったものは、その時しか意味を見い出せない。

ラストに、主人公がサーカスに再び迎え入れられるとき流れるフリオ・イグレシアス(Julio Iglesias)が歌う「ラ・メール(La Mer)」をYoutubeで聴こう。



(Youtubeに登録のmwGhost45に感謝)

2013年2月2日土曜日

ふれあいスポーツ教室

小金井公園にある総合体育館で、東京都と小金井市によるオリンピックムーブメント共同推進事業として、「スポーツ祭東京2013開催記念  ふれあいスポーツ教室」が開催された。

イベントの中でも、ロンドン・パラリンピック陸上競技(男子100m・200m)出場の「古畑篤朗選手の車椅子陸上教室」に参加した。小体育館といえど2階観覧席のある、バスケットボール2面分の広い会場だ。子どもから大人まで多数が集まった。

地元健康体操教室で、いつもお世話になっている指導者の方の司会で始まった。登場した古畑選手は、最初ちょっとシャイな感じがしたが、競技用車椅子の紹介や競技活動について説明と質疑が始まると俄然、快活な若者になった。

競技用車体について質問したりしたが・・・質疑の中で驚いたのは、車体フレームと半年ごとに取り替えるというタイヤの費用だろう・・・全て自費というのにまたビックリした。大変なことだ。公的支援の必要性を感じた。
その後、参加の子どもたちが喜んだのは、トラック競技用車体やバスケットボール競技用車体への試乗だろう。体育館内をところ狭しと走り回ったことはいうまでもない。

最後に、古畑選手から、次回パラリンピックへの参加の意欲ある発言があり、応援の拍手を以って閉会となった。

正直、身近でなかったパラリンピックとの距離が、今回大いに近まったことはいうまでもない。今年、「スポーツ祭東京2013」の名で国体が東京で開催される。東京スタジアム(調布市)の陸上競技場での古畑選手の活躍を期待し応援したい。

2013年2月1日金曜日

イ・ソンヒの「小さな恋歌(ソナタ)」

イ・ソンヒが韓国伝統音楽の国楽に新しい境地を求めて、成果を収めたのがアルバム8集「小船(조각배)」(1992年)である。東洋的な風情を漂わす弦の音に始まり、笛の音に終わる「小さな恋歌(ソナタ)(작은 연가)」(作詞:ファン・チョンウォン、作曲:キム・ヨンドン)を収録している。

風そよぐ森の中でも、草花の咲く野の道でも、陽射し傾く川岸辺でも、小さな想いをこめた恋の歌が聞こえてくるよう・・・Youtubeで聴いてみよう。



(Youtubeに登録のmaonsanに感謝)