歳とともに書字が汚くなる。昔のように、といってもシャープペンシルだが、滑らかに運べない。今は、0.5m/m、4Bの芯を使って、少ない筆圧でも書けるようにしているが、ぎくしゃくして見た目がよくない。そこで最後の策として、字体をできるだけ小さくしている。でも、語学教室でノートをとるとき、あわてて乱暴に書きなぐっているのに気付く。
以前のこと、ある選挙に出馬した高齢のメディア出身者が、テレビで主張をパネルに手書きしたのを見て驚いた。その結果知れ渡ったことであるが、ある症状の前触れでないかと噂になるほどだった。書字は、健康具合まで明るみに出してしまう。
PCは、字の下手さ加減が丸見えにならないから救いがあるが、美しい字を手で書きたいものだ。高校時代の書道の時間に「書聖」と呼ばれた「王羲之」について知った。今の人間から見ても、古さを感じさせない・・・素人には、それくらいしかいえないが。彼が書にした著名な「蘭亭序」は現物が残っていない。わがままな皇帝が自分の墓に副葬させたという。
ところで、「中国の隠者」(井波律子著、文春新書)に、「王羲之」は、隠者の一人として取り上げられている。(死を伴うかもしれない)政争から距離を置き、気ままに暮らしたい考えから選んだ道のようだ。同書に、「煩わしい俗世から身を引き離し、身も心も自由に解放して、王羲之は隠遁生活の快楽を味わい尽くした。かくも優雅なる隠遁を実行できたのは、いうまでもなく彼が富裕な大貴族であり、経済的に何の不安もなかったからだ。まさに羨むべき貴族的隠者である。」
「竹林の七賢」もそうだが、彼らが一時期に隠遁したのは、身の安全を確保するためであったろうけれど、後世に名が残ったのは、名門出身だったからに違いない。市井の無教養人が会稽山の山陰にこもったところで、後世に知られることはない。七賢人のなかから政治に戻ったりする者も出ている。もともと、権勢を誇る人脈の中から、ポッカリ抜け出てしまっただけなのだろう。「まさに羨むべき貴族的隠者である。」
王羲之は59才で亡くなっている。