物事を大きな視点で見ると賢くなった気になる。いわゆる、大局を見るとか、俯瞰するという。といって、小さな積み上げができなかったり、その変遷を記憶できないようでは、信用はつかない。
アウレリウスのように、宇宙の星々と比べてわが人生の何と小さなことよと慨嘆(自省)するのはいいけれど、子どもたちにすべからく規範を教えるのに、もうちょっと具体的な方がいいかもしれない。明治時代の子ども向け道徳書、古代ギリシャのイソップの寓話集「イソップお伽噺」(三立社、1911年、明44年9月、訳述者 巌谷季雄=小波:国会図書館デジタル書籍)は、今見てもおもしろい例えがある。
(本風ブログ関連:”国会図書館デジタル書籍”)
この寓話集に所収の、「四二 自分の仕事(星占者[ほしうらない]と旅人)」は、ものごとを判断するのに、自然(星座)の動きから摂理を体得したはずの者が、日常の些細な行動を見誤るといった、按配のわるさ(きまり悪さ)を教える。
つまり、庶民はこんな語りをするものだ、「わかった、わかった。で、あなたは一体どうなんだよ」と。
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諸君! 他人の仕事にかれこれと、おせっかいする様を暇があったら、自分の仕事に注意して精を出す方が、どんなにましだかしれません。自分の現在していることことに注意するのは、つまり立身出世の道捷(ちかみち)ではありませんか。
むかし在る所に、一人の星占者がありました。星占者とは空の星を眺めて、吉凶を占ふもので、人智の進歩しなかった頃には、なかなか流行したものです。
さて此の星占者が、一生懸命星を眺めて歩いている間に、うっかり足を踏みすべらせて、濠(ほり)の中へ落ちてしまひました。すると其処へ一人の旅人が通りかかり、星占者に申しますには、
「オヽ、貴君(あなた)、今の失敗の気が付いたなら、星の進むのを研究する手間で、少しは自分の足下(あしもと)にも、御注意なされたらよいでせう。」
と、諭(さと)しましたとさ。
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