温水ボタンを押すとき、そばのデジタル時刻表示に同じ数字が並んでいたりすると何だかいい気分になる。「11-11」(11時11分)といった按配だが、偶然に巡り合せた幸運といった感じだ。実利はないが、うれしい余韻がかすかに残る。
数字合わせの代表で、ある意味季節を知らせる「節句」に心を動かす。伝統となれば、子どもたちの笑顔が浮かぶ、愛しむもの。桃の花、雛壇飾りなど賑やかな「桃の節句」は、その色彩の柔らかさから、春の気配を思わせる。
近所の公民館にこの時期に合わせてか、「つるし飾り」があった。きれいな色紙を折り合わせて作ったのだろう。小さな飾りを順に紐につなぎ、それらを天井からいくつも吊るしている。素朴なのに華やかさが漂い、桃の節句の「雛祭り」を気付かせる。
(本ブログ関連:”雛祭り(桃の節句)”)
祭りの日の終わりに、雛壇を直ぐに片付けるというのも、昭和の住宅事情からだろう。のんびり眺めたいもの。
それはそうと、桃の花だけが咲きほこる「桃源郷」に興味そそられる。そこへ行った幸運を無為にするような、後に官に説くためあちこち目印を付けて帰るなんて野暮はせず、私なら桃源郷にずっと住まわせてもらうよ。
(本ブログ関連:”桃源郷”)
(追記)
そういえば、桃源郷へは川をたどったわけで、私たちは遥か彼方を往来するに、水を介するのが納得できるようだ。
(付記)
桃の節句と関係ないが、近所のお握り飯店で、できたての暖かいオニギリを買う。ほくほくして美味かった。何だか、家族の懐かしいオニギリがよみがえった気がした。きょうだいで我先に頬張ったなあ。