江戸時代の日本画、とりわけ奇想画への見直しが盛んだ。明治期に来日した欧米の豪商が奇想画を買い上げた結果、それらを鑑賞できるというのが現状だ。美術品の掘り起こしといった感がないでもない。キュレーター(学芸員)にとって新たに業績が加わることになる。
歴史の浅いアメリカの商人が好んだものは、伝統的美意識というより、ある意味せっかちで新規性に富んだもの、通俗性をベースにしているといっていいかもしれない。日本画家では、伊藤若冲、曾我蕭白が、今年は河鍋暁斎がピックアップされる。また、オランダ画家では、カメラ・オブスキュラの技術で徹底的に遠近法にこだわったフェルメールが好まれる。いってみれば、市民意識的な視覚といった(見る側の立場が欠けた)、見えるものへのこだわりを感じる。
さて偉そうな話はここまでにして、極東の私たちの美意識にちょっとした疑問がある。
・青い目の「歌舞伎」を見たことがあるだろうか。一方で、若い芸能タレントまでがシェイクスピアの(赤毛)芝居をありがたがる風潮がある。
・昔、N響だ、日本フィルだなどと知った振りをしたが、Youtubeを覗けば、アジア各都市に交響楽団がある。欧米人の目に、西洋楽器に没入する姿はどのように見えているのだろうか。
・学校教育で、美術の時間に日本画の時間がどれほどあったろうか。せいぜい美術史でくくった程度ではないか。同様に、音楽の時間に、和楽器(琵琶、琴、三味線、つづみ)の演奏、あるいは浄瑠璃、長唄のごときまで体験したことがあるだろうか。毎年、西洋主体の美術系・音楽系大学の卒業生が大量に出る。小中高の教職員が、彼らの受け入れ口になっている。
仏像を信仰対象というより、美術品として見る意識がある。細部を克明に撮った写真家もいた。現在の私たちは、信仰対象と美術品の間を揺れているように思うが、明治維新の廃仏毀釈で行なわれた惨状をとっくに忘れている。同じく、明治維新の結果、学校教育につながるべき江戸の絵画や音楽の血管が切られてしまったようだ。