まず、清渓川(청계천)の橋を渡った人々を例えた歌「メンコンイ打令(맹꽁이타령)」について、次のように始まった。
・ソウル市の中心を流れる清渓川は、'60~'70年代の経済成長で水質が汚れ、コンクリートで埋めて高架を作り道路とした。2000年代に入り、高架道路の撤去と復元により、市民の憩いの場となる。清渓川は、ソウル北部の北岳山(북악산)と仁王山(인왕산)から出て、市中心部を通り、東に流れて中浪川(중랑천)と合流する。
・昔、清渓川は人々の生活の中心にあり、洗濯をしたり、子供の遊び場だった。正月には、清渓川の橋を往来して遊ぶ人々で混み合い、そこに歌芸人のクァンデ(광대)がいた。朝鮮時代、清渓川が流れる光化門(광화문)に官庁街があり、官職者やその使い、国民に至るまで、各層が往来した。それを地潜り蛙(ヒメアマガエル科)を指すメンコンイに例えた面白い歌がある。
▼ 朝鮮時代の曲調、打令(타령)で歌う「メンコンイ打令」を聴く。青銅青精米・・・とは何?、ともあれ元気だ。
次に、動詞「吹き荒ぶ」(휘몰아치다)の意から早いテンポで歌う「フィモリ(휘모리)雑歌」について、次のような説明があった。
・フィモリに、せき立てるの意があり、早いテンポの俗歌を「フィモリ雑歌」と言う。庶民の素朴な暮らしを大げさに描いた長い歌詞を休まずに早いテンポで歌う。とぼけるように歌うところが面白い。
・清渓川は小さいが、昔は川辺に多くの人が集まって暮らした。夏の梅雨時に水が溢れることも多く、雨に履く木履(ぼくり)が川を流れ、その上に乗っかったメンコンイの様子が、舟に乗ったヤンバンを思わせた・・・そんな歌詞から始まり、混迷した国の情勢や夫を亡くした未亡人、目的もなくブラブラ歩く人や夫の妾と喧嘩して首をつりに行く妻などを、メンコンイに例えながら歌う。現実的ながらもユーモアが溢れて笑ってしまう。
▼ 岩(바위)を意味する「バウィ打令(바위타령)」を聴く。次々と岩の名を挙げていく・・・岩の名で埋め尽くす。
・(バウィ打令は)飯を食うきに小石を噛むと、なんと大きく感じたのか。これを大げさに説明するため、全国の有名な岩の名を全てあげながら歌う・・・まるで山林を思わせて、食べ終えると窯の中から獅子のような動物一組がのそのそと出てきたという。
最後に、雑歌の分類について、次のように説明された。
・よく知るパンソリや民謡も昔は「雑歌」と呼んだ。最近は、専門の歌い手が歌うものを雑歌と言う。フィモリ雑歌は、歌や踊りを楽しんだ後、一番最後に歌うもので、雰囲気も真っ盛りになり、思う存分諷刺をしながら歌った。
▼ ひどく不細工な顔を指す、フィモリ雑歌の中でも最も大げさな歌詞の歌「あばた打令(곰보타령)」を聴く。~のようで~のようで・・・おどけた感じの列記スタイルだ。
・あばた(곰보)の僧侶が小川に現れると、その顔がなんと不細工であったのか、魚がびっくりして逃げてしまっ。川魚はもちろん、突然タコやサバ、イシモチまで登場する。フィモリ雑歌を聴いていると知らないうちに微笑む。