幸い天気に恵まれた午前中、地元公民館主催の市民講座「小金井の新田開発」(5回シリーズ)の第3回目に行く。混みあいを気にして、早めに到着するも、直ぐに聴講者で座席が埋まった。大盛況だ。
シリーズに通底する、武蔵野と首都江戸の密接なつながりについて、「街道」(生産と流通)、「水道」(生活用水)を見てきたが、今回は幕府「鷹場」を通じて次のように証左された。
① 江戸周辺に「鷹狩」のため鷹場が設けられた。中断後、享保改革の8代将軍吉宗が復活させる。
・鷹狩の際に、地元農民に負担がかかった。
② 江戸周辺の行政区に「筋」>「領」の階層があり、鷹場のため領に様々な役割が充てられた。
・行政区の筋の外縁に、御三家(尾張、紀州、水戸)の鷹場が設けられた。
③ 農村は、鷹場のもとに編成されて一体化の意識を育み、江戸(城)と心理的に結びついたようだ。
・行政区の領は、幕府を支える役割を果たし、幕府と一体化する。
④ 幕府は、鷹場を設定して地域主体の開発を制限し、幕府主体の開発に乗り出す。
・例:上下小金井新田など。
参考
① 新田開発の拡張により、農村間で秣(まぐさ)場の争いに発展する事件が発生した。
② 鷹場の目的の一つに、農民も巻き込んだ軍事的な要害の意をも持っていたのではないか。
どうやら、小金井新田庶民の生活の姿は、最終回の第5回に聞くことになるだろうだ。
(追記)
韓国語教室から帰りの夜道、小雨が降ってきて、あばたのように顔にあたる。遠雷に一瞬夜空がくしゃみをする。