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2013年6月17日月曜日

紫陽花

夕方の明るさに誘われて、小金井公園に散歩に行く。6時過ぎ、さすがに人影がまばらなこと、圧倒的な静けさに夕暮れが近いことを感じる。

太い雲が数本浮かんでいる空を高く、豆粒のような飛行機がゆるり浮かんでいる。かすかな風音に遠くから響く爆音が混じる。しっとり滲み始めた草色の広場を囲む木立が、夕陽の影に溶け込み深緑になっていく。

公園に紫陽花を探した。梅雨どきの公園は人気がないからだろうか意外に少ない。そんな中、「江戸東京たてもの園」との仕切りの鉄柵の隙間から、色合いの美しい紫陽花が顔をのぞかせる。本来の青紫色、青味がかった桃色、そして白い色など多彩だ。

日が暮れて、紫陽花の艶やかさを眺めるのが難しくなってきた。そろそろ帰宅せねばならない。

2013年6月16日日曜日

ニコライ・レーリッヒ

今朝のテレビで、作曲家、指揮者、研究者、演奏家が円座して、ストラビンスキー(И́горь Фёдорович Страви́нский、1882年6月17日~1971年4月6日)の「春の祭典」についてわかりやすく紹介する番組(「題名のない音楽会」)があった。バレエ音楽のこの作品は、民族音楽からロックに至るまで裾野は広く、かつ現代音楽に影響を及ぼしたと評価されていた。
11拍子の解説では、そのリズムの採り方で演奏の仕方が変わると話されていたが・・・そうなんですかとうなづくばかり。指揮者のスタイルまで映像で見られて・・・分からないままだが音楽家たちの世界を覗かせていただいた。

「春の祭典」の舞台にかかわった人々の中に、ニコライ・レーリッヒ(Николай Константинович Рёрих、1874年10月9日~1947年12月13日)という美術家がいたとの話しから、初めて宇宙飛行(1961年4月12日)したガガーリン(Юрий Алексеевич Гагарин、1934年3月9日~1968年3月27日)の言葉が紹介された。
ガガーリンの「地球は青かった」という有名な言葉の後に、「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」と続くというのだ。

ガガーリンの地球周回中の言葉と伝えられている「地球は青かった」は、実際はもっと具体的な描写だったようで、それほどロマンチックなものではないが。上記の「まるでニコライ・レーリッヒの絵のようだった」とは、いつ語ったのだろうかと、R-Wikipediaを見れば次のような補足(トリビア)があった。
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1961年4月12日、宇宙へ最初の飛行中、宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンは、彼の日誌に書いた。
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ちなみに、その内容は、 ガガーリン著「宇宙への道」(江川卓訳、新潮社、1961年)に、「やがて地球の大気をとおして太陽の光線がもれてきた。地平線上が明るいオレンジ色に輝きはじめた。空色、青色、すみれ色、黒と移りかわる七色の虹のかぎろい。とても言葉にはつくせない色の諧調! まるでニコライ・レーリヒの絵を見るようだ!」と書かれているそうだ。(「沼野恭子研究室」感謝)

ニコライ・レーリッヒの名はいかにもドイツ風で、その名を初めて聞いた子どものころといえばインディジョーズ風の冒険話しが大好きだったので、神秘主義の危ない世界から彼の名前を知った記憶がある。(ニコライ・レーリッヒはドイツ系ロシア人で、ニコライ・リョーリフの名が正式だろう)

ところで、ニコライ・レーリッヒの美術館(Nicholas Roerich Museum)がニューヨークにあって、彼の年代別作品をネット上で見ることができる。なるほど青色の美しい世界だ。青色はヒマヤラの峰を突き抜けて宇宙につながる。

さて最後に、「楽しい鉱物学」(堀秀道著)に記されているように、シルクロードは絹を運んだ路であるが、ラピスラズリの石の深い青色を見れば、それを求めずにはおられない、ラピスラズリの路でもあったという説明に納得する。ラピスラズリには宇宙の青色がある。

2013年6月15日土曜日

イ・ソンヒの「小さな恋歌(ソナタ)」 (再)

イ・ソンヒが清しく歌う、しかもめずらしいハーモニーまで聞ける、8集所収の「小さな恋歌(ソナタ)」(작은 연가、作詞ハン・チョンウォン、作曲キム・ヨンドン、1992年)は、タイトルの通り、幼い少女の恋歌のようで・・・森の葉擦れが、野花を揺らすそよ風が、川堤のせせらぎが、そっと聞こえてくる・・・そんな舞台で歌うようで。いやいや、気恥ずかしいけれど、いい歌です。

(本ブログ関連:"小さな恋歌(ソナタ)")



(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝、お世話になります)

2013年6月14日金曜日

アジサイ

梅雨の「アジサイ」(アジサイ科アジサイ属)は、当たり前の花だ。子どものころから、何処へ行っても身近な花のため、特に知ろうともしない平凡な存在だった。
今でも、ご近所を巡ると、垣根越しにアジサイの青紫の様々なグラディエーションを持った花弁(実は萼【がく】)が覗かれる。もし見過ごしたとしても、気に留めないだろうな・・・だって雨が降れば必ず、何処からかその姿をぽっかりと浮ばせるのだから。

アジサイの漢字名は、色貴やかな色彩に合う「紫陽花」が代表的であるが、その色の変化(へんげ)から別名「八仙花」ともいう。韓国では「水菊(수국)」の名があてられているが、見るからに菊の姿をしている日本の「水菊(ミズギク)」とは異なる。

ところで、アジサイの花で有名な紫陽花寺の名月院が鎌倉にある。祖母が、わざわざ田舎から来て、能の「鉢の木」で知られる鎌倉幕府の第5代執権北条時頼の墓へ参ったのがおよそ40年ほど前のことだろうか。当時も紫陽花寺として知られた名所であった。ところで、名月院の紫陽花が、昔からのものでないことを祖母から聞かされた記憶がある。

紫陽花を名所にするものが各地にあるが、名月院は、わたしの知る限り初期のような気がする。当たり前の花から、愛でる花に変わったように、時代がゆとりを持ち始めていたのだろう。

五、六年前のこと、この時期に同寺を訪れたことがある。紫陽花の名の穏やかな響きに魅かれてか、多くの観光客が訪れて列をなしていた思い出がある。

2013年6月13日木曜日

(資料)童謡「狐の嫁入り」

今日もお天道様は冴えなかった。天候と縁のある「狐の嫁入り」をネットで探していたら、日本の童謡に「狐の嫁入り」(歌永岡志津子、作詞泉漾太郎、作曲平岡均之、日本ポリドール管弦楽団、レコード3685-B)がYoutubeに登録されていた。
歌詞画面もあって、天気のよいのに雨降りの中を進む狐の嫁入り行列を、SP時代(年代不詳)の古い歌で味わうことができる。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り")

作詞の泉漾太郎(1908年1月5日~1996年10月23日*)は栃木の出身とのこと。野口雨情を師として仰いだという、那須塩原にある旅館和泉屋の当主だった田代太平(筆名泉漾太郎)**のことのようだ。
同じ那須の湯本付近に殺生石になって残った九尾狐の伝説があるが、泉漾太郎は九尾狐の伝説をもとに歴史小説「新版 花妖殺生石 九尾の狐後日譚」を著したようだ。どんな内容なのだろう・・・。

(*) d-score
(**) 和泉屋旅館ギャラリー

(Youtubeに登録のnack500に感謝)

2013年6月12日水曜日

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年8月15日~)の「(邦題)アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser:踊りに行く一番の美人)」(1964年)は、イ・ソンヒが生まれた年に登場した。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

この題名について、邦題と原題の関係は、映画タイトルと収録曲の関係だ・・・そうで。今から恋に出かける間際、自分に釘付けにして見せるわと夢が膨らむ少女の想い・・・可愛いいね。

彼女の印象は、当時ラジオから得たものでしかないから、なにしろ若い女の子のEPレコードを買うなんて照れる年代だったので、彼女の容姿をしっかり見つめた記憶はないけれど、遠目にちらりと見やって、聞こえぬよう心の中で可愛いなと思ってたりして・・・。

そんな、シルヴィ・ヴァルタンの目元があるときからちょっと変わったりして、それは少女が化粧して変わったのだろうと思っていたが。最初の印象が強くて、目尻がツンとした、どちらかといえばアジア的な香りがしていたけれど、清清しいパリジェンヌに変わりなかったよ。

(Youtubeに登録のHbs21に感謝)

2013年6月11日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 霊山斎

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(6/5)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第9回として、仏教儀式のひとつである「霊山斎(ヨンサンジェ、영산재)」について紹介された。今回は、待望の「霊山斎」だ!

(本ブログ関連:"霊山斎")

まず行事としての霊山斎について次の紹介から始まった。
・「6・25」と呼ぶ「朝鮮戦争」(1950年6月25日~1953年7月27日休戦)の厳しい困難を乗り越えて今があるのは、命をささげた人々のためとして、6月6日を記念日「顕忠日」としている。政府が記念式典を開き、国立墓地である顕忠院を参拝する。
・新村にある太古宗(태고종)の本山奉元寺(봉원사)は、伝統的仏教儀式のひとつである「霊山斎」を6月6日に行なう。霊山斎は、霊魂の冥福や極楽往生を祈願する儀式で、古く歴史を持ち、独特な音楽と踊りを持つ。2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録された。

▼霊山斎の音楽を現代風にアレンジした一曲「香を焚く」を聴く。・・・今様で、軽快で。

霊山斎での梵唄の来歴について次の解説があった。
・霊山斎の「梵唄(ボムペ、범패)」は、釈迦と歴代高僧の言葉を歌詞とするため、歌というよりは念仏に聞こえる。1500年余り前、インド仏教音楽がシルクロードを経由して中国、韓国に伝えられた。梵唄は、インド伝来の歌の意がある。
・当初、梵唄は特別な人々の間で伝承されたが、統一新羅時代、真鑑(진감)禅師(774年~850年)が唐に留学して新しい形の梵唄を学んだ結果、広く歌われようになった。
・梵唄は、専門的に学んだ僧侶だけが歌えるもので、歌詞を長く伸ばすのが特徴。例えば、霊魂を明るい道へ引導し、「引路王菩薩(인로왕보살)」を呼び寄せるために「南無大聖  引路王菩薩(나무대성인로왕보살)」を歌うとき、この9文字の歌詞に一時間ほどかける。南無(나무)の二文字に15分くらいで、発音はもはや意味を成さず、「あぁ、えぇ」といい母音を長く伸ばす。これにメロディーと長短(リズム)を付けて長吟する。高度な集中力が必要なため、梵唄を歌う僧侶は、歌うこと自体ひとつの修練と考える。

▼「南無大聖 引路王菩薩」の中から一部を聴く。聞くというよりは、ことばの響きやうねりを自己に同一化することなのだろうか。

霊山斎での舞について次の紹介があった。
・仏教儀式の舞踊は「法鼓(법고)」と呼ばれ、4つの代表的踊りがある。
- 小さな太鼓をたたきながら踊る「法鼓舞」
- インド伝来の楽器の鈸羅(バラ)を持って踊る「鈸羅舞」
- 蝶のようにひらひら揺れる美しい服を着て踊る「胡蝶舞」
- 悟りを開くための道を示す「打柱舞」
・霊山斎は本来、亡くなった人の冥福を祈るための儀式だが、それ以外にも、この世に彷徨う霊魂を始め、儀式の場に集まったすべての人々、そして動物や虫たちに至るまで、釈迦の言葉を聞いて悟りを開かせるという大きな意味を持つ。幼虫が殻を脱ぎ捨て蝶となるように、苦悩から抜け出し、解脱の境地に至るようにという、釈迦の慈悲そのものという。

▼霊山斎で踊られる鈸羅舞の際に演奏される「千手鈸羅(천수바라)」を聴く。

(参考)奉元寺の霊山斎での千手鈸羅


(Youtubeに登録のjajimalgobojiに感謝)

2013年6月10日月曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒが抑制してしっとり歌う、12集所収の「離別小曲(이별소곡)」(2001年、作詞クォン・ジンヨン、作曲イ・ソンヒ)に描かれる二人は、どのような経緯で離別したのだろうか。そして、主人公が想い浮かべる相手はどうしてしまったというのか。最後のフレーズ、「あなたのそばにきます」とは、一体何を意味しているのだろう。

離別という過去を記憶に秘すことができず、回想が次の想いに進むようで・・・心配するよ。

ところで、この歌の作詞・作曲の二人は、イ・スンギのアルバム(Shadow、2009年)の共同プロデューサーでもあるそうだ。

(本ブログ関連:"離別小曲")



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2013年6月9日日曜日

(資料)天気雨の民俗名

先日、太陽につながる映画「ひまわり」やイ・ソンヒの歌「キツネの嫁入り(天気雨)」について触れたが、「Sunshower(天気雨)」をE-Wikipediaで眺めてみれば、世界の民俗がこの言葉に付けたものに、なぜか動物の「結婚式」(一部に出産など)のイメージが多いのに気付く。

(本ブログ関連:"狐の嫁入り"、"(資料) 韓国テレビドラマの九尾狐")
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・南アフリカ(英語):「猿の結婚式」、(ズールー語):「サルの結婚式」、(アフリカーンス語):「ジャッカルの結婚式」、あるいは、「雨降りに太陽がかすかに輝くときジャッカルは狼の妻と結婚する」
・(ヒンディー語):「狐の結婚式」
・(コンカニ語)「猿の結婚式」
・(シンハラ語)「狐の結婚式」
・(ベンガル語)「狐の結婚式」
・ブラジル:「雨と太陽、カタツムリの結婚式」、「太陽と雨、寡婦の結婚」、または「狐の結婚式」
・韓国:「雄虎が狐と結婚する」
・日本:「狐の結婚式」(狐の結婚式が開かれる)
・スウェーデン:「vitterväder」
・モロッコ:「狼の結婚式」
・エリトリア:「ハイエナが出産している」
・(様々なアフリカの言語):「ヒョウが結婚している」
・ケニアで:「ハイエナが結婚している」
・ブルガリア:「熊の結婚」
・タミル(ナードゥ州、南インド):「狐とカラス/カラスが結婚する」
・イラン北部(Mazandarani語):「ジャッカルの結婚式」
・英国の一部:「猿の誕生日」
・(パシュトー語):「ジャッカルの結婚式」
・パキスタン(パンジャブ語):「片目のジャッカルの結婚式」
・フィリピン:「Tikbalang(山や森林に棲む馬頭の怪物)の結婚式」
・ハワイ:「ゴースト・レイン」
・エルサルバドル:「鹿が出産している」
・バングラデシュ:「狐が結婚する」
・フランス:「オオカミの結婚式」
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2013年6月8日土曜日

御栗林

当地は江戸時代に、新田開発された、南に野川を臨む武蔵野の丘陵地のため、水田のような水利に恵まれず、農産物として主に陸稲や麦などが生産された。他にも栗の林が造られ、当時の徳川幕府に献上されたという。その意味で、歴史的に栗の産地であり、今なお生産されているが名産地として知られていないようだ。

現在、近所のそこかしこに栗林が未だあって、その管理状況を見ると、個々生産者の性格が感じられておもしろい。小学校近くの栗林は、とても管理が行き届いて、見ていてすがすがしい。あるとき、高齢の方が作業しているのを見かけたことがあるが、厳とした気風を遠くから感じた気がした。今日も見事に花を咲かせている。

ところで、小学校の門の前に史跡「御栗林跡」の掲示板が置かれていて、栗林の来歴を次のように記している。(要約)
・武蔵野新田世話役として活躍した川崎平右衛門定孝は、元文年間(一七三六~一七四一)、十町二反歩(約十万二千平方メートル)に及ぶ「御栗林」を造り、武蔵野新田十か所に管理を任せた。
・精選した二千粒を幕府に献上し、残りを食料として「十ヶ新田」の他、付近の三十四の新田に配った。
・御栗林は、嘉永五年(一八五二)に大規模な補修が行なわれ、明治初年まで続いた。現在、地元の公園や通りにその名を残している。

(余談)
江戸の農家に生まれた二男、三男は養子になるか、家付きのままに終わるか、それとも水はけのよくない新田開発にチャレンジするか・・・そうして武蔵野新田が生まれた。

2013年6月7日金曜日

(資料) 韓国テレビドラマの九尾狐

イ・ソンヒが、愛弟子イ・スンギの主演したSBSのテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐」で、テーマ曲「狐の嫁入り(여우비、天気雨)」を歌って以来、狐に関する故事(九尾狐、稲荷など)に関心を持ってきた。古今東西を問わず人間との関わりの多い狐は、米作の豊穣につながる神仏(宗教)性と、本来の肉食という2つの側面を持つ興味深い動物である。
東亜日報の記事「ドラマの中の『九尾狐』、40年間のキャラクター変遷の歴史」(6/7)は、テレビドラマの中で異種としての怪物、弱者、友人など変遷する九尾狐について、次のように紹介している。(최고야記者:best@donga.com )

(本ブログ関連:”九尾狐”)
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●怪物で少数者で…今は友人

《狐は古くからずる賢くて狡猾な動物に通じた。口碑文学に伝わる130編余の狐の説話で、狐は忍術)を使い、人間を脅かす存在として描かれる。多くの狐は、人間界に降りて人のふりをして発覚し、殺されたり、追い出される悲運をむかえる。数多くのキツネの説話中、九尾狐の話が特に注目される理由は、尾が九つ付いたキツネが美しい女性に変身して人間の肝(きも)を貪るという劇的な設定のためだ。1970年代から九尾狐の説話をモチーフにしたドラマが作られ続けている理由だ。40年以上の歳月を経て、変化している禁断のキャラクターを概観する。》

●2000年代以前 敵対的な九尾狐

1970年代から1990年代までは"人食い"の九尾狐が登場する時期だった。この時期の九尾狐は、KBSのテレビドラマ「伝説の故郷」などの恐怖物にのみ存在した。九尾狐が人間になるためには、100日間(長くは10年間)、人間と一緒に暮らしたり、人間の肝100個を食べなければならないというふうに設定されていた。

しかし、九尾狐がなぜ、人間になりたがるのかははっきりしていなかった。九尾狐が人間に生まれ変わることに成功し、幸せに暮らしたというストーリーなどない。大半は人間に殺されたり、森の中に永遠に隠れて暮らすために去るという悲劇的な結末で終わった。

人間との敵対性も激しい。九尾狐をよこしまな物とみなし、取り立てた理由も無く殺そうとする狩人が登場したり、人間に子供を殺された九尾狐が、怖い復讐の化身となり、人間の世界を脅かす。たとえ、人間を信じる"やさしい九尾狐"といえども、人間の裏切りによって信頼はまもなく憤りに変わる。短くは100日から、長くは10年間、人間になるための九尾狐の努力を、人間が一夜にして踏みにじるからだ。

●2000年代は、韓国社会のマイノリティー

21世紀初頭、ドラマの中の九尾狐は強力な怪物から、異種の少数者へと変わる過渡期を迎える。この時期の九尾狐は、人間社会に共存するが、一緒に馴染められず、時には弾圧を受ける弱者として現れる。かつて、九尾狐の恐怖物の根幹を成していた"人間対九尾狐"という善悪構図から脱し、共存するものの、受け入れたくない"嫌われる存在"と認識される時期だ。同様に、この時期もハッピーエンドはない。

このようなパターンは、1999年夏以降制作が中止となったが、2008年に復活した「伝説の故郷」で、はっきりと現れている。2008~2009年に制作された「伝説の故郷-九尾狐の巻」には、人間によって一方的に殺される九尾狐が出てくる。人間らは、富貴栄華をもたらす狐の玉を手にしたり、家門の秘密を守るため、九尾狐を殺戮する。

”フュージョンの九尾狐”も登場した。2004年KBSのドラマ「九尾狐外伝」は、現代社会を生きる九尾狐族と、彼らを皆殺ししようとする「SCIS」という団体との対立を描いた。九尾狐族と人間との男女の愛を中心に扱ったが、人間の世界に暮らしている少数者として、九尾狐に焦点を当てた。

2000年代は、韓国社会で、外国人労働者や多文化家庭、トランスジェンダー、同性愛者など、社会的少数者への関心が急増した時期。九尾狐の変化も、時代的変化と無縁ではないというのが、専門家の主張だ。

●2010年に入っては、友人または能力者

フュージョンの九尾狐の延長線上で、2010年以降、かわいくて突拍子だったり、正義に燃える”人間よりもさらに人間らしい"尾狐のキャラクターが登場する。

2010年のSBSのドラマ「僕の彼女は九尾狐」の女優のシン・ミナは、突拍子で愛嬌たっぷりの彼女・九尾狐役に扮した。さらに、肉を買うためにはじめたバイトで、経済事情が悪化した彼氏を食べさせる生活力の強いかわいいキャラクターとして描かれている。九尾狐が人間になり、幸せな結末を迎えた唯一のドラマだ。

現在放送中のMBCのドラマ「九家の書(구가의 서)」でも、獣人の九尾狐の青年に扮したイ・スンギは、人間よりも人間らしい義理派だ。家族同然の付き合いをしてきた人たちを忘れることができず、彼らを守るため、命も惜しまない。膨大な怪力を、正義のために使ったりもする。

恐怖物からフュージョン劇へと変わる過程で表れる最大の特徴は、九尾狐が人間になりたがる理由がはっきりしていることだ。かつては、なりふり構わず人間になる道を選んだなら、最近の九尾狐は、愛する人間と一緒にいたいという強い欲望を抱いている。九尾狐はもはや、怪物やマイノリティーではなく、人間と共存する友人として認識されている。
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(付記)
ところで、”フュージョン”ドラマとは、いろいろな要素を併せ持った(時代性や価値観が自由な視点の)ドラマといったところだろう。

2013年6月6日木曜日

ブルーライト

パソコンのLEDモニター画面から発する光りに、ブルーライト(高エネルギー可視光線)の成分があって、眼精疲労につながるため、それをカットするメガネが販売されている。日頃、ブルーライトを気にしないでもなかったが、わざわざ購入するまでもない、・・・と思っていた。

近所の書店で、経済紙系の流行情報誌に、ブルーライト・カットのメガネが付録になっているのを見つけて、ものは試しと雑誌を購入して、PC作業で使ってみた。
PC画面全体に赤味がして、白地は白地らしく白さを増したように見える。メガネを外すと、画面が薄く青色に覆われたような気がする、・・・テレビ画面でも同様だ。

ところで、上記情報誌の出版元が併設するネット情報欄「トレンド・フォーカス」の記事「・・・タダでできる『ブルーライト除去法』があった!」に、モニター画面に青色を使わないようにすればよいという手頃な方法が紹介されている。が、50~60代になると、眼の水晶体が濁りだしているので、青色光が自然とカットされるので心配ないとのこと、・・・齢をとると、何もしなくてもブルーライト・カットの眼になるなんて。

PCでブルーライトを心配しなくてよくなった世代には、郷愁のブルーライトといえば横浜の明かりだろうさ、・・・Youtubeで探して聴いてみようか。

2013年6月5日水曜日

芒種2013

今日は、立春から数えて9番目に当たる、二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」である。

Wikipediaなど参考にするとると、この節気は「芒(のぎ 、稲や麦の小穂の先端にある棘(とげ)のような突起)を持つイネ科植物の種をまく頃だが・・・現在の(苗床への)種まきは、これよりも早い。」とのこと。

いかにも象形文字らしい姿をした「芒」の文字の起源を知りたいものだ。というのも、他の文字の不安なイメージ(形、音)に重なってしまい、ちょっと気になるからだ。

さて、梅雨入りしたにもかかわらず、湿気があっても晴天とは、都市生活者にとってありがたいが、農業生産者には迷惑かもしれない。さっそく、水不足の心配がいわれたりしている。

2013年6月4日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 田植え歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(5/29)に、文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第8回として「田植え」について紹介された。

まず労働謡について次の紹介から始まった。
・古人が共に農作業する際、息を合わせるため「労働謡(노동요)」を歌った。農業は天下の根本と考えられ、地域や季節により様々な農作業の歌が伝承された。うまい歌い手は、仕事ができる人同様に厚遇された。
・「朝鮮王朝実録」の(第7代国王)世祖(세조、在位:1455年閏6月11日~1468年9月7日)の実録に、農作業の始まる春に江原道を巡幸し、襄陽(양양)で農作業歌の<のど自慢大会>を主催したという。最高の評価を得た歌い手、奴婢トングリ(동구리)には賞品として、服一着と楽士の資格が与えられ、王の駕籠に付き添うことまで許された。

▼江原道、襄陽の田植え歌「オランソリ(어랑소리)」を聴く。長閑な感じして、まるで田圃のなかで次々歌い手が引き継がれるよう。

次に田植えの共同作業について次のように説明した。
・米作には88の作業が必要といわれ、種籾選びから収穫に至るまで、農民はわが子のように農作物に接する。田植えは、一年の収穫を左右する重要な仕事で、まず種籾を狭所にぎっしり植えて育てた後、田に植替える。直接田に種籾を撒くよりも管理が楽で生産量もアップするからだ。
・以前農村に共同作業体「トゥレ(두레)」があった。人手を多数必要とする田植えの際、家ごとに順番を決め、村中共同で田植えを行なった。田植えをする家は、働きに来た人々のためご馳走を準備した。田植えの日は、村はお祭りのように盛り上がった。

▼京畿道 コヤンの田植え歌「ヨルソリ(열소리)」を聴く。こちらはリーダーの歌のもとに田植えする光景が浮かぶ・・・田圃の水面に青空が映る。

田植え歌のスピードについて次のような解説があった。
・労働謡は、一般的には長短が速く、テンポを速くして作業を速くする。一方、田植え歌は、田植えが明け方から日暮れに続くため、スピードを調節し、音を長く伸ばしたゆっくりなテンポのものが多い。

▼全羅南道 珍島の田植え歌「サンサソリ(상사소리)」を聴く。こちらは威勢がいいというか力強い・・・土地の神に願いを込めるように。

岸さんの言葉、息切れしない生活が大切という・・・本当にそうですね。

2013年6月3日月曜日

ひまわり

随分と以前、「戦争を知らない子供たち」(1970年、作詞北山修、作曲杉田二郎)という歌が流行った。当時の若者は、確かに戦争を知らないけれど、共通するのは、彼らの親の世代がいずれかの形であれ戦争を経験していたことだ。直接の思い出であろうとなかろうと、親は戦争の体験を問わず語りして、子供たちはその言葉を耳に残したと思う。もしかしたら日常のひょっとした瞬間に聞かされたかもしれない。

当時の若者は、直接知ることもない戦争の残渣をどこかに感じていた。それは消えることのない、ある意味、心の中に直接的な響きを持っていた。自分たちが、戦争という多くの犠牲の中を生き抜いた両親の子であることに気付かないはずはなかった。戦後に生まれたこと、その命が続くという自身の存在を、いずれは問わざるを得なかったのだ。

戦争を本当に知らない今の若い世代には、身内に戦争の鮮明な記憶を聞かされることは極めて少ないだろう。だから、「戦争を知らない子供たち」のような歌が生まれてくるはずもない。ある意味、必然性もないのだろう。

時に思うことがある。ひとは個人の経験の中でしか過去を語ることができない。どんなに時代のうねりが大きくても、経験はちっぽけな一つでしかない、今にいたる一つの糸でしかないことを思い知る。たとえ記憶の糸を紡ぎ合わせて時代を知ったとしても。

DVDで映画「ひまわり(I Girasoli)」(1970年日本公開)を見た。「戦争を知らない子供たち」の視点を越えることはできないが、齢を重ねて気付き、響いてくるものを感じた気がする。時代に翻弄されても、懸命に生き、そして小さくてもよい、生きるしかないのだから。生きるために幸せを求めたことを咎めることはできない。時代が運命を切り裂いたとしも、生きる価値を見出さなくては、ひとは生き続けることができないのだから。

(本ブログ関連:”ひまわり(映画)”)

大地に咲くひまわりは、陽射しをうけて黄色の花を輝かせ、ゆったりと風の動きに身をまかせる。無限に広がる畑に咲き続けるひまわりは、命を咲かせ種を残す。


(Youtubeに登録のsrbigote owariyaに感謝)

2013年6月2日日曜日

二宮鉱山、吉見町

前回(3/24)、埼玉県東秩父村朝日根と寄居町五ノ坪の鉱物採集のときと同じメンバーで、今回も埼玉県下の児玉郡神川町二宮鉱山(ニッケル鉱物)と比企郡吉見町(沸石)に出かけた。

集合場所は何とJR東海道線戸塚駅だ。待ち合わせ時間をゆるくしていただいたおかげで、いつもよりも自宅を出る時刻を遅く家を出る。
ところで戸塚駅の改札口が、上下2層あるとは知らず戸惑ったところを救出され・・・無事に定刻に出発。

最初に到着した、神川町二宮鉱山近くにある金讃神社周辺は、リーダーが前回来たときと比べて宅地化、整地化が進み、採集場所がリース会社敷地になったようで、断念か・・・そうはいっても、石の臭いを嗅いで辺りを探すと、道路際にある同社駐車場背面のわずかな斜面に、蛇紋岩を砕いた形跡があった。少し探し廻ったが、マックギネス石!なんて見つけることもできなくて。
採集結果は次の通り。
・黄鉄鉱(微粒)、苦灰石(ただしいただきもの)

次に、比企郡吉見町ひばりヶ丘に転じる。こちらも宅地化が進んでいて・・・高い場所からそれらしい岩場が見えたが、情報通りに見つからない・・・幸い、畑地でトラクターを運転していた地元の方に教えていただき、あっけなく採集場所にたどり着く。
採集結果は次の通り。
・(灰)菱沸石、黄鉄鉱(微粒)

言い訳として、現地到着と帰りの時間を考慮して、両採集時間はあっという間だった。

2013年6月1日土曜日

リンゴの実に例えると

日々の時間の進みを直感的に理解するのに、リンゴの齧り具合で例えるのがよい。今日から6月、リンゴの芯を中心に縦に輪切りすると、すでに5月まで食ってしまったのだから、半分位いしか残っていないことが分かる。

スケジュール管理ツールなど別にすれば、月別カレンダーやスケジュール手帳などは、今しか見ていないので、済んだことも残っていることも直感的でない。どうやら、日常ズルズルと過ごして、時間を消費というよりも浪費してしまったことに気付く・・・無駄に過ごしたということか。

食ってしまったリンゴは何処へ行ったのだろう、少しはリンゴの気持ちを考えるべきだろう。

あのう別に、あちらのリンゴのことではないですよ。

2013年5月31日金曜日

李明姫 伽耶琴公演

久し振りに地下鉄四谷三丁目駅近くにある韓国文化院に行く。「2013年定期公演シリーズ ~K-Cultureの魅力~」のPart2である、伽耶琴(カヤグム:가야금)奏者の李明姫(イ・ミョンヒ)の公演を見るためだ。

李明姫は、パンソリ「赤壁歌」、「沈清歌」、「春香歌」、「興甫歌」の中から代表的な歌を伽耶琴演奏と共に唱した。ステージ遠くに見た彼女は、ちょっとチョン・ドヨンに似て華奢な感じがしたが、声量豊で館内を圧倒した。併唱された内容が理解できれば、感動も深まっただろう・・・言葉は大事だ。なお、合いの手コス(고수)はイ・チャンソプが太鼓(プク)を打った。

パンソリと伽耶琴演奏の組み合わせを、何と呼ぶのだろうか。

また上記演目の途中に、節回しに次第に引き込まれる印象的なイ・キュジョンの「回心曲」、気品と美しい一瞬の静止を見せながら舞う金美福(キム・ミボク)の「花仙舞」が演じられた。

(本ブログ関連:"伽耶琴"、"パンソリ"、"回心曲")

(追記)
KBS Worldの番組「国楽の世界へ」を聴取しているお陰で楽しむことができた。感謝。

2013年5月30日木曜日

イ・ソンヒの「あなたに会いたいときは」

深い孤独に愛を沈めながらもなぜか想いはつのる・・・イ・ソンヒが28歳当時に歌った「あなたに会いたいときは(너를 만나고 싶을땐)」は、8集(1992年)の最後に収められていて余韻を残す。それは、恋を恋するように、美しい音色も加わって・・・乙女心とでもいうのでしょうか。

ローマの古い言葉にあるように、「愛はそれが目醒めてあるときに想像することを夢みる」と。いつの世も変わりませんね。だから繰り返しているのでしょう・・・そして新鮮なのでしょう。



(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2013年5月29日水曜日

梅雨入り2013

それらしくもなくて、何だかその気にならないのに、そうだといわれると、そうなのかもしれない。今日から関東地方も梅雨が始まった。

「つゆいり」とキーボードを打てば、「入梅」となる。「入梅」は、本来固定の6月初旬頃の季節用語(雑節)で、しとしとと間断なく静に降り続く表現に、「にゅうばい」の音が合っている気がする。
気象庁の「予報用語 > 季節現象」では、梅雨の期間に入ることに、用語「梅雨入り」を適用し、用語「入梅」は「使用を控えるもの」としている。従ってマスコミも「梅雨入り」を使う。

日本経済新聞の記事「関東甲信も梅雨入り 平年より10日早く」(5/29)は、今年の当地の梅雨入りを次のように報じている。(抜粋)
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・気象庁は29日午前、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より10日、昨年より11日早い。
・関東甲信地方は湿った気流や前線の影響で、週末にかけて曇りや雨の日が増えるという。平年の梅雨明けは7月21日。
・まだ梅雨入りしていないのは、梅雨がない北海道を除き北陸と東北地方のみとなった。
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「北海道を除き」というのは気象上、北海道に梅雨は合致しないという意のようだ。

ちなみに関東地方の最近5年間の梅雨入り時期を、気象庁の「昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値):関東甲信」によれば次の通り。
  年            入り                 明け     
2008年   5月29日ごろ   7月19日ごろ
2009年   6月 3日ごろ    7月14日ごろ
2010年   6月13日ごろ   7月17日ごろ
2011年   5月27日ごろ   7月 9日ごろ
2012年   6月 9日ごろ    7月25日ごろ
平 年      6月 8日ごろ    7月21日ごろ  

(本ブログ関連:"梅雨")