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2017年3月5日日曜日

啓蟄 2017

小学校の垣根に沿って行けば、そこには「沈丁花」の小さな花が身を包むように咲き、甘い香りを漂わせていた。昼間のことだから、先に花の姿が目に入り、夜道のときのような香りに気付く驚きにはならなかったが、それでも充分春らしい風情を感じた。

今日は二十四節気の「啓蟄」。陽気に誘われて穴から虫が這い出る時候だそうだ。確かに昼は暖かくなった。でも、風が吹けば少々肌寒いし、夜ともなれば冬の気分が抜けきれない。暑苦しさを感じながら、今もストーブを点けている・・・反省が足りない。

(本ブログ関連:”沈丁花”、”啓蟄”)

近隣の街の駅ビルにある書店に行く。結局めぼしい書籍と出会えなかったが・・・何しろ行き当たりばったりで。そんなわけで雑誌を購入。先月から求め始めたのが、旅客機専門の航空機雑誌「AIRLINE」(イカロス出版)だ。どうも、最近、気分が中学生に戻りつつある。
・先月号(3月号):「旅客機図鑑」 ← 787 vs A350
・今月号(4月号):「ターボプロップ入門」 ← ターボプロップ vs レシプロ、それにNCAのDo228
・来月号(5月号):「新・航空管制の世界」 ← (すぐに「品切れ」になるだろうな)

それから、大学生のわびしい心を慰めてくれた、城達也のスマートで清清しいナレーションで始まったFM-Tokyoの「ジェットストリーム(JET STREAM)」は、深夜、気分を一気に成層圏にまで運んでくれた。懐かしい。

(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)


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2017年3月4日土曜日

ひな流し

昨日の「雛祭り」が終わって思い出すことに、「流し雛」の風習がある。手作り人形の飾りを川に流すイメージがある。「お盆」に戻った先祖の魂を送り帰す「灯篭流し」 に似て、祭りの終わりに、雛人形の魂を(在るべき処へ)送り返す気がする。

「流し雛」を間近に経験したことはないが、それを大型にしたような行事を、NHKのテレビ番組で見た。今日の日付に変わった深夜、午前3:15~3:30に放送された「にっぽんカメラアイ『お人形とわたし』」(3/4)でのことだ。

番組に「人形供養で有名な和歌山・淡島神社。女性カメラマンの感性がとらえたのは…」という解説がある。いわゆる「雛壇」に飾られる本格的な雛人形を最後に預かることで知られる神社の行事で、人形のサイズから行事の規模も大きくなったのだろう、「雛流し」神事と呼んでいる。

(番組解説から抜粋)
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和歌山市にある淡嶋(あわしま)神社。人形供養を行うこの神社には一年間で約6000体ものひな人形が納められ、3月3日に行う「ひな流し」神事に向けて社殿の中に飾られる。
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雛人形を乗せた白木造りの小船3艘は、互いに綱につながれ、釣り船に先導されて海に出る。その後、小船は回収され、浜で「お焚き上げ」される。

瀬戸内海の淡路島の対岸、和歌山県淡嶋神社で行なわれる、この雛人形の魂を海に送る行事から、同じ和歌山県の南端、那智勝浦町大字浜にある「補陀洛山寺」へと空想が広がる。

学生時代に読んだ「火山列島の思想」(益田勝実著)で知った(衝撃を受けた)ことだが、箱の中に渡海者を密閉した船を大海に流す「補陀洛渡海」が想起される。南方の観音菩薩の住処「補陀洛」へ行き着くことを願った死出である。小説ならば、渡海者を現代人の心理に見立て、死への恐怖に迫るだろうが、それを見送った当時の人々はいかに。生と死の境界があいまいだった時代のことだ。(境界の曖昧さは、今までにも起ってきたことだが)

(参考)「補陀落 観音信仰と日本文学」(川村湊、新潮社)


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2017年3月3日金曜日

桃の節句に

温水ボタンを押すとき、そばのデジタル時刻表示に同じ数字が並んでいたりすると何だかいい気分になる。「11-11」(11時11分)といった按配だが、偶然に巡り合せた幸運といった感じだ。実利はないが、うれしい余韻がかすかに残る。

数字合わせの代表で、ある意味季節を知らせる「節句」に心を動かす。伝統となれば、子どもたちの笑顔が浮かぶ、愛しむもの。桃の花、雛壇飾りなど賑やかな「桃の節句」は、その色彩の柔らかさから、春の気配を思わせる。

近所の公民館にこの時期に合わせてか、「つるし飾り」があった。きれいな色紙を折り合わせて作ったのだろう。小さな飾りを順に紐につなぎ、それらを天井からいくつも吊るしている。素朴なのに華やかさが漂い、桃の節句の「雛祭り」を気付かせる。

(本ブログ関連:”雛祭り(桃の節句)”)

祭りの日の終わりに、雛壇を直ぐに片付けるというのも、昭和の住宅事情からだろう。のんびり眺めたいもの。

それはそうと、桃の花だけが咲きほこる「桃源郷」に興味そそられる。そこへ行った幸運を無為にするような、後に官に説くためあちこち目印を付けて帰るなんて野暮はせず、私なら桃源郷にずっと住まわせてもらうよ。

(本ブログ関連:”桃源郷”)

(追記)
そういえば、桃源郷へは川をたどったわけで、私たちは遥か彼方を往来するに、水を介するのが納得できるようだ。

(付記)
桃の節句と関係ないが、近所のお握り飯店で、できたての暖かいオニギリを買う。ほくほくして美味かった。何だか、家族の懐かしいオニギリがよみがえった気がした。きょうだいで我先に頬張ったなあ。

2017年3月2日木曜日

ヤン・スギョンとイ・ソンヒの友情

昨年、17年ぶりにカムバックした歌手ヤン・スギョン(양수경)とイ・ソンヒのはなし。

<1980年後半にデビューし、1990年代に人気を博した歌手ヤン・スギョンは、2016年8月19日に、1999年以来17年ぶりに、ニューアルバムを発売した。(WowKorea)>

日刊スポーツ(中央日報系)は、SBSの「燃える青春(불타는 청춘)」に出演したヤン・スギョンとの電話インタビューで、彼女がイ・ソンヒの友情に感謝して語った内容を次のように紹介している。

日刊スポーツ掲載記事:「 [直撃インタビュー]  '燃青(燃える青春)' ヤン・スギョン 『イ・ソンヒと30年友情、放送用(に話すのでは)ありません』」(3/1、イ・ミヒョン記者)より抜粋。
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・また、イ・ソンヒとの友情も誇示した。イ・ソンヒが、過去ヤン・スギョンが苦しかった時、何もいわずに通帳口座番号を知らせてくれと言ったという。これに、ヤン・スギョンは、イ・ソンヒについて「いつも心配してくれて、暖かい友」と説明した。
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2017年3月1日水曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 妓生と券(検)番

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/22)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、妓生の養成場「券(検)番(권번)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、映画「解語花(해어화)」と妓生養成場の「券番」について次のように紹介された。
・唐代の美人楊貴妃を溺愛した皇帝玄宗は、彼女を愛するあまり国を危うくした。二人が散歩のとき、玄宗は庭に咲く蓮の花を見て、蓮の花が美しくとも、言葉を理解できるこの花には及ばないと楊貴妃を指して言った。そこから「解語花」の言葉が生まれた。また、詩歌に優れた妓生に使われたりした。昨年、妓生養成場の「券番」を舞台にした映画「解語花」が話題になった。
・朝鮮時代、妓生は職人の意「工人」(歌と踊り、楽器演奏する楽人の呼称)ともいわれ、最も身分の低い賤民とされたが、優れた妓生は無視できない存在だった。女性の読書、社会活動を禁じた時代、妓生は詩作や歌と踊りでソンビと接することができた。官に属す「官妓」、後に組合制、日本の影響を受けた「券番」を通じて活動した。券番は、今の芸能養成所のようなもので、若い娘を育て、妓生として送り出し、費用を集金する役割をした。

▼ 映画「解語花」で歌われた「愛、その嘘(사랑 거즛말이)」を聴く。愛の言葉も、夢のようというもみんな嘘・・・今様に。

次に、パンソリの名唱「金素姫(キム・ソヒ、김소희)」が登場したきっかけについて次のように紹介された。
・券番の妓生は、放送にもよく出演した。当時、放送局の国楽番組担当のプロデューサーだった李惠求(이혜구)博士は、金素姫の思い出を次のように語った。有名な妓生の出演には、放送局から迎えに行くのが慣行だったが、ある日、出演予定の妓生が来られず、その代わりに来た歌い手が、今では国楽で著名な、金素姫だったという。

▼ 戦もののパンソリ「赤壁歌(적벽가)」から「子龍が弓を射る場面(자룡 활 쏘는 대목)」を聴く。間断なく・・・軽快。

最後に、券番の教育と漢江氾濫のたび生じた川「ノドゥル江(노들강)」の曲について次のように紹介された。
・当時、女性の歌い手の多くは券番に所属した。国楽に大きく寄与した音楽家の多数も券番出身だ。券番の教育課程は厳しく、3年間様々な科目を学んだ。修業は一日6時間ほどで、歌曲と歌詞、時調(定型詩)、雑歌、楽器などを学び、詩作や、妓生としての身だしなみも習った。その過程を通じ、優れた妓生はプライドも高く、周りからも好遇された。
・券番の出身者には、映画「解語花」のように大衆歌手となり、国楽と大衆音楽の架け橋となるものもいた。

▼ 大衆音楽として作られ今は民謡になった「ノドゥル江辺(노들강변)」を聴く。えっ・・・ポンチャク? Web事故?

2017年2月28日火曜日

(再)「人イヌにあう」から

以前、本ブログ(2014年10月3日金曜日)に、動物行動学者のコンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz、1903年~1989年)の著書「人イヌにあう」(小原秀雄訳、至誠堂選書)から面白い記述を抜書きしたことがある。

飼いイヌ同士が吠えあう(行動する)とき、居るべき場所(明確な!テリトリー内)を前提にしているという例で、次のように紹介している。そして、この話とそっくりなYoutube映像と出あったので、ローレンツの記述と一緒に載せさせていただく。

(再掲:コンラート・ローレンツ著「人イヌにあう」より、元文に適宜段落付けした)
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・~私の年老いたブリイとその不倶戴天の敵、白いスピッツにかんするものである。このスピッツは緑に塗った木のかき根で仕切られ、村の通りにそって長くのびた幅の狭い庭のある家に住んでいた。この三十ヤードにわたるかき根にそって、二匹の英雄は、走って行ったりきたりしては激しく吠え、かき根の両端の折り返し点でちょっと止まっては、役にもたたない怒りのあらゆる動作と声をおたがいに投げつけるのであった。

・ある日やっかいな事態がもち上がった。かき根は修理中で、一部がそのためはずされたのだ。下手の半分がなくなっていた。さて、ブリイと私は家を出て丘を下り、川に向かった。スピッツはもちろん私たちに気づいて、庭でいちばん高い一角で、うなり、興奮のあまりふるえながら待ちかまえていた。最初に、おきまりの不動の姿勢でののしりあいがはじまった。それから二匹のイヌはそれぞれがかき根の両端で、前方に向かっていつもの早駆けをはじめた。

・ところがなんと、珍事勃発。彼らはかき根が取り払われている場所を駆け抜けてしまい、さらにののしり合戦が行なわれはずの庭の下手のはずれまできて、やっとおのれの失態に気づくしまつであった。彼らは毛を逆立て、恐ろしげにきばをむき出して、そこに立ち止まった---が、かき根はなかった。たちまち吠え声はやんだ。

・そこで、彼らはどうしただろうか? あたかも一心同体のごとく、彼らはくるりと向きを変え、横腹を接してまだ残っているかき根のところへとんでいった。そこで彼らは、まるで何ごとも起こらなかったかのように、ののしりを再会したのである。
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(Youtubeに登録のMarcus V. Jacobに感謝)

映画「ポエトリー アグネスの詩」

今日で2月が終わる。この月は28日か29日までしかなく、しかも、29日は閏(うるう)年に限ったこと。通常、月末の30、31日を経験することなく、あっというまに終わってしまう月だ。2月に仕事を計画するとき、一般的な感覚でM/M(man/month)を想定すると大変なことになる。時間が足りないのだ。

カレンダーに区切りが定まると、その日は思いのほか速く迫ってくる。人生がその最たるものだが、凡庸な学生時代もそうだった。準備不足のまま定期試験が近づくときの、焦りと慌てふためき。カレンダーには逃げ場がない。

久し振りに、四谷にある韓国文化院で開かれた映画上映会に出かけて、「ポエトリー アグネスの詩(原題 ”시”)」(イ・チャンドン監督、2010年)を鑑賞した。今までDVDや上映会で見たことのあるイ・チャンドンの作品には、「ペパーミント・キャンディー」(1999年)、「シークレット・サンシャイン」(2007年)がある。(「シークレット・サンシャイン」は、お気に入りの女優、チョン・ドヨンが主演したこともあって)

「ポエトリー アグネスの詩」は、訪問介護をしながら、中学生男子の孫と二人で暮らす60代半ばの女性の物語だ。生活は苦しいが、あるとき詩作や詩会を知って、人生を豊にしたいと思う。そんな矢先、孫の連座した事件と自身がアルツハイマーであることを知る。消える記憶ともがき苦しみながら、彼女は最後に、ある少女の名を冠した詩を一つ残す。

映画の率直な感想は、「もう一度、『ペパーミント・キャンディー』を見たような気がする」だ。象徴的な場面である、川の流れはよどみなくとどまることない。過去に戻ることのできぬ人生のように、でも、こんなことも考えてしまう。市井の多くは、美しい言葉より、時間を強引に止めたり、逆回ししてでも今の平安・欲望を望む。それが耐え切れぬほど穢れたことであっても。そうやって多くの時が過ぎてきた・・・とも。・・・だから、この作品が余計にしみるのかもしれない。


(Youtubeに登録のシネマトゥデイに感謝)

2017年2月27日月曜日

(雑談)ローカル誌に載った店

昨日は暖かだったと、今日の寒さにしみじみ思う。10℃が寒暖の境界と口癖ながら、今も19.2℃の部屋でストーブに暖まる。20℃が寒暖の境界といい出しかねない。

徐々に気温が上がるようで、今週後半から本格的な春の気配が寄せるという。来週には、地中から虫が顔を出す時期となる。

ところで、ローカル誌の記事に、地元のまさに身近なところに、ちょっとした食べもの屋があることを知った。こじんまりした町通りに、馴染客しか入らないような店構えして、うっかり寄った客に一見さんお断りといった風な冷たい視線が返ってくるんじゃないかと心配する。

今も勇気はないけれど、そんな店先に雑誌で知ったのだろうか若いお母さんたちがいた。そうか、恐れることもない。ちょっと行ってみようかな。それにしても、店のドア飾りが愛想ない。あれじゃ、田舎のおじさん、おばさんがたむろする、場末のカラオケ飲み屋にしか見えない。

いちど美味いものを食ってみようか。

2017年2月26日日曜日

アイザック・バシェヴィス・シンガー

しばらく振りに、近在の街の書店へ行ってみた。いつも利用する書店とは反対の側の街だが、ここの大型書店は欲しい本がだいたい見つかる。それに、ぶらぶら書棚を巡ると自然に手が伸びる出会いもある。そんな幸運に得した気分になる。

イディッシュ語で作品を上梓して、ノーベル文学賞を受賞した作家アイザック・バシェヴィス・シンガー(1902年~1991年 יצחק באַשעװיס זינגער  イサック・バシェビス・ズィンゲル)の短編集「不浄の血  アイザック・バシェヴィス・シンガー傑作選」(西 成彦訳、河出書房新社)を手にする。イディッシュ語作品が英訳されたことで、広く知られたようだ。巻末の解題にイディッシュ語について、および翻訳のいきさつについて解説がある。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

短編集の表題作である「不浄の血」(田中壮泰、西成彦訳)は、実直不器用な老人が晩年こともあろうに評判の悪い女(リシェ)と結婚することから始まる。まさに、作品の書き出しの通り「血への情熱と肉欲」の顛末だ。毒婦であり、淫蕩な女は、男を連れ込み、ユダヤ教のカシュルート(コシェル:食事規定)を全く無視した商いをする。しまいに棄教に追い込まれ、山月記の悔恨に遠く及ばぬ獣そのままに最期を迎える。

「不浄の血」は、転がりながら物語を混沌、変質する。だから最後は、伝承のように子どもたちに次の歌をうたわせて終わる。最も最後の詞は、言葉がずれて回転する・・・「片輪車」のように炎に包まれて回り続けるのか。
    リシェはひどいよ
    馬を屠った
    おかげで腐る
    地のなかで

    (略)

    魔女なんて生かしちゃおけぬ
    なんて生かしちゃおけぬ魔女
    生かしちゃおけぬ魔女なんて

2017年2月25日土曜日

(資料)イ・ソンヒのソウル特別市議会議員選挙当時の写真集

イ・ソンヒは、1991年の地方自治制復活にあたり、(初の本格的)韓国地方議会議員選挙に当時の与党「民自党」から27歳の若さで出馬した。そのときの貴重な映像がYoutubeに登録されている。「ソウル特別市議会議員選挙候補者 合同演説会 - 麻浦区甲(갑)選挙管理委員会」の横断幕を背景に演説する様子が撮られている。

出馬のいきさつ(与党側の思惑)、家族の対応と彼女の戸籍年齢、当選後の政治活動と所属政党の遍歴などについて、次の(本ブログ関連)のリンク先に情報を収集している。

(本ブログ関連:”市議会議員選挙”、"イ・ソンヒと政治"、”政治(全般)”)

イ・ソンヒがソウル特別市議会議員選挙に出馬した年に発表したアルバムは7集で、タイトル曲は「あなたが私を愛されるなら (그대가 나를 사랑하신다면)」だ。なお、次の映像中の曲は、彼女のアルバム14集収録の「あなたの道(너의길)」で、2009年に発表されたもの。


(Youtubeに登録のjung .Pに感謝)

2017年2月24日金曜日

(雑談)ちょっとした疑問

江戸時代の日本画、とりわけ奇想画への見直しが盛んだ。明治期に来日した欧米の豪商が奇想画を買い上げた結果、それらを鑑賞できるというのが現状だ。美術品の掘り起こしといった感がないでもない。キュレーター(学芸員)にとって新たに業績が加わることになる。

歴史の浅いアメリカの商人が好んだものは、伝統的美意識というより、ある意味せっかちで新規性に富んだもの、通俗性をベースにしているといっていいかもしれない。日本画家では、伊藤若冲、曾我蕭白が、今年は河鍋暁斎がピックアップされる。また、オランダ画家では、カメラ・オブスキュラの技術で徹底的に遠近法にこだわったフェルメールが好まれる。いってみれば、市民意識的な視覚といった(見る側の立場が欠けた)、見えるものへのこだわりを感じる。

さて偉そうな話はここまでにして、極東の私たちの美意識にちょっとした疑問がある。
・青い目の「歌舞伎」を見たことがあるだろうか。一方で、若い芸能タレントまでがシェイクスピアの(赤毛)芝居をありがたがる風潮がある。
・昔、N響だ、日本フィルだなどと知った振りをしたが、Youtubeを覗けば、アジア各都市に交響楽団がある。欧米人の目に、西洋楽器に没入する姿はどのように見えているのだろうか。
・学校教育で、美術の時間に日本画の時間がどれほどあったろうか。せいぜい美術史でくくった程度ではないか。同様に、音楽の時間に、和楽器(琵琶、琴、三味線、つづみ)の演奏、あるいは浄瑠璃、長唄のごときまで体験したことがあるだろうか。毎年、西洋主体の美術系・音楽系大学の卒業生が大量に出る。小中高の教職員が、彼らの受け入れ口になっている。

仏像を信仰対象というより、美術品として見る意識がある。細部を克明に撮った写真家もいた。現在の私たちは、信仰対象と美術品の間を揺れているように思うが、明治維新の廃仏毀釈で行なわれた惨状をとっくに忘れている。同じく、明治維新の結果、学校教育につながるべき江戸の絵画や音楽の血管が切られてしまったようだ。

2017年2月23日木曜日

山怪

ブログに先ほど記した「キツネにかかわる伝承の分布」の続き。

イ・ソンヒの「狐の嫁入り」(OST)をきっかけに、キツネの話をしたらきりがない。稲荷神社から童話まで、キツネにまつわる奇談、伝承がたくさんある。それに、キツネは化けるとき、タヌキがちょっと間抜けで要領が悪いのに比べて、悪賢く、エロチックであったりする。キツネの化かしには、人間を上から目線でこけにしている節がある。その分、後で痛い目に会うが。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”狐”)

先に記した「キツネにかかわる伝承の分布」の中で、「山怪(さんかい)」(田中康弘著)について触れた。同書は、山に住む人々の<山にまつわる不思議な話や体験>が語られている。図書館で借りられるまで待とうと思っていたが、本屋で立ち読みしたらすぐに読みたくなって求めた。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の一番最初の話「狐火があふれる地」(秋田県北部の村、マタギ発祥の地)に、なんとキツネが尻尾を振りながら光を発したのを目撃する体験が語られている。フィンランドの伝承、<キツネの尾には、雪原に触れたことから、火花を巻き上げてオーロラの明かりにする>を思わせる。

「狐火があふれる地」から(抜粋)
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ある日の夕方・・・庭先を抜けると家の裏山に向かう・・・(狐を、母親と一緒に見つける)・・・
狐は山の斜面に差しかかると、その尻尾を大きく振り出した。
「狐がぴょんと跳ぶのが凄いものなあ。そして尻尾をくるくる、くるくるって回すんだぁ。そしたらそのたびにペロペロペロペロって光るんだ。あれは見たもんでねえと分かんねぇ、見事なもんだったよ」
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キツネにかかわる伝承の分布

キツネは、日本人にとって身近な生き物で、昔話や「稲荷神社」などの伝承で知られた存在だが、欧米では狡猾な害獣として扱われているようだ。英国貴族にいたっては、スポーツ感覚でキツネ狩り(Fox hunting)を楽しんだ。

(本ブログ関連:”稲荷神社”)

欧米人にとって、てなづける対象でもないキツネたちを、日本で飼育している場所がある。東北、宮城県白石市の「宮城蔵王キツネ村」がそれだ。来日の欧米人観光客に、(キツネと親しむ)驚きと日本旅行の話題(思い出)となっている。(以前、同施設に興味・関心があって、私も一度行って見たいと思ったことがあるが・・・)

ロシアには、学術的な目的で、キツネの家畜化*を(オオカミからイヌが家畜化したのと対照して)研究している施設があるという。上記「キツネ村」は、放し飼いの観光施設といったところだろうけれど。
(*)家畜化:ナショナルジオグラフィック誌「特集:野生動物 ペットへの道」(2011年3月号)

ところで、中高年のおじさんたち中心に読まれている、<山にまつわる不思議な話や体験談を集めた>書籍「山怪(さんかい)」(田中康弘著、山と渓谷社)があり、ネットで書評をよく見かける。(図書館でも人気で、いつも貸し出し中である)

YOMIURI ONLINE(読売新聞)の記事、「日本の山には『何か』がいる! ・・・ 続く『山怪』ブーム」(2/17、伊藤譲治)は、著者とのインタビューを通じて、山での怪異を演じるキツネとタヌキの地理的分布(特性)を次のよう紹介している。
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・(著者が)日本各地を回って分かったのは、北に行けば行くほど、狐に関する話が多くなるということ。西に行くほど狐の影響が薄れる。なぜか四国はほとんどが狸の話で、狐は出てこないのだという。「山怪は、姿は確認できないが、音のみ、気配のみという場合が多い。目に見えないもの、何だか分からないものは身近なもののせいにしてきた。狐や狸は山では身近な存在だから、狐や狸のせいにしてきたのではないか」と推測。「山の怪異は、現象ではなく心象だと思う。脳内に浮かび上がる風景だと思うが、その風景を浮かび上がらせる何かが、間違いなく山にはある」と語る。
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「日本動物民俗誌」(中村禎理著、海鳴社、1987年)は、キツネの信仰の代表である「稲荷神社」の分布が東北日本に偏在していることを次のように解説している。
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・山の神に関連していえば、キツネは同じく山の神に帰属するサルと対抗するもので、稲荷神社は東北日本に多く、後者(サル)につながる日吉(日枝)神社は西南日本に多いという。
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2017年2月22日水曜日

イ・ソンヒ 5月LA・9月シドニー、ワールドツアー

イ・ソンヒは、5月米国、9月豪州のワールドツアーを計画しているという。エクスポーツニュース紙の記事「イ・ソンヒ サイド『5月LA・9月シドニーで ワールドツアー・コンサート進行』」(2/21)は、次のように報じている。(抜粋)
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・歌手イ・ソンヒがワールドツアーに出る。
・(イ・ソンヒの)所属事務所「フックエンターテインメント」サイド関係者は、21日、エクスポーツニュースに「イ・ソンヒが来る5月に米国のLA、9月にオーストラリアのシドニーでコンサートを進める。以後、他国も検討中だが、イ・ソンヒのコンディションおよび日程などを調整してみなければならない」と公式立場を明らかにした。
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ちなみに、イ・ソンヒは、昨年9月に開始した国内ツアー ”The Great Concert” を、次の通り、来月4、5日の慶州慶山でのコンサートを以って終了する。しばらく休憩を取り、ワールドツアーに向けて準備するという。

2016-17 コンサ-ト ”The Great Concert” (9/2-4)
・ソウル09.02-04:「世宗文化会館」 ★9月4日レポート
・大邱 09.24-25:「EXCO5階コンベンションホール」
・全州 10.07-08:「韓国音(ソリ)文化の殿堂」野外音楽堂
・光州 10.22:「光州女子大学」ユニバーシアード体育館
・大田 11.05-06:「大田貿易展示館」
・釜山 11.19-20:「KBS 釜山ホール」
・仁川 12.03:「仁川 南洞体育館」
・高陽 12.17:「一山 KINTEX」第1展示場3Aホール
・昌原 12.31:「昌原コンベンションセンター(CECO)」
・水原 '17.01.21-22:「水原 室内体育館」
・議政府 '17.02.04-05:「議政府 室内体育館」
・清州 ’17.02.18-19:「清州大学 石隅文化体育館」
・慶山 ’17.03.04-05:「慶山 室内体育館」

KBS WORLD「国楽の世界へ」 春香の歌

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(2/15)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズとして、パンソリの主人公の「春香(춘향)」や「沈清(심청)」に関連した3曲を紹介した。

始めに、パンソリ「春香歌(춘향가)」の物語と、それと異なる逸話について次のように紹介された。
・民族芸能のパンソリは、「興夫歌(흥보가)」、「沈清歌(심청가)」、「春香歌」、「赤壁歌(적벽가)」、「水宮歌(수궁가)」の五つが伝わる。歴史を素材にした「赤壁歌」以外は、伝説をまとめたもので、「春香歌」は妓生の娘の春香と御曹司の李夢龍(이몽룡)の愛の物語。春香は美しい娘、李夢龍は科挙に合格の高官として登場する。ところで、従来と一風変わった説話では、春香を不細工、李夢龍も頭の芳しくない親の財で遊び歩く暇人という。ある日、李夢龍はブランコ(그네)に乗った春香を見て、両親の反対を押して結婚する。いざ結婚をしてみると、見初めたときの春香でなく違いに驚く。李夢龍は家を出て戻らず、春香は自ら命を絶つ。村人が、そんな春香の霊を慰めるため作ったのが、パンソリ<春香の物語>という。


(Daumに登録の유박사に感謝)

▼ <アニメとパンソリが融合した>作品から「余りにも不細工な春香(너무도 못생긴 춘향)」を聴く。既視感が・・・。

次に、パンソリ「春香歌」の春香の悲恋の背景、現代に置き換える想像について次のように解説された。
・パンソリ「春香歌」では、春香は美しく学問にも素養のある意志の強い人物で、李夢龍が科挙試験に去った後、後任の地方官の誘いに応じなかった。その後、李夢龍が「民情を探るために密かに地方を巡り、民をいじめる者を罰する」勅命を奉じて、わざと乞食姿で現れる。春香の母は、春香の辛い境遇を嘆き李夢龍を諌める。そんな母を春香は引き留めたが、気持ちはいかばかりだったろう。自分が死ぬ羽目になっても、乞食姿の李夢龍のため節義を守りたかったのか。妓生の娘と両班の御曹司の結婚事体、当時の常識とは合わなかった。仮に物語りが現代としたら、春香はどうなったろうか。

▼  春香の物語りが現代としたらと歌った曲「李夢龍」(プロジェクトロック)を聴く。今様の元気良さ。

最後に、「沈清歌」の主人公「沈清」の想いについて次のように紹介された。
・「春香歌」は節義、「赤壁歌」と「水宮歌」は国への忠誠、「興夫歌」は兄弟愛、「沈清歌」は親孝行を強調する。パンソリに人々の情動が自然でないことがある。最近、そんなパンソリの主人公をモダンに斟酌した曲が多い。
・「沈清」は、盲の父の目を治すため、自らを犠牲にした物語だ。父のために船に乗って去った彼女の思いは複雑だったはず。親孝行な娘だったが、なぜこんな目に合わねばならなぬのかという、恨みもあったかもしれない。そんな想いを表現した。

▼ 沈清の複雑な想いを表現した「清、海になる(청 바다가 되다)」を聴く。悲しみの海は黒く、浪は深い・・・今様で。

2017年2月21日火曜日

オーロラとキツネ

このブログでは、イ・ソンヒの歌に関わるテーマを選んでいる。九尾狐と人との縁をドラマにした劇中歌「狐の嫁入り(여우비)」を彼女が歌ったことから、キツネに関連する話題について記載している。

この寒い時期だからか、「フィンランド政府観光局公式ホームページ」の「気になる話題(人気記事)」に、「オーロラ  キツネが飛び散らせる火花?」がある。

フィンランドの北部(ラップランドなど)に住むサーミ(Sápmi)の人々の伝説に、オーロラ(極光)は「キツネが北極圏の丘を走るとき、尻尾が雪原に触れ、それが火花となって巻き上がり、夜空に光となって現れる」という。洋の東西を問わず、キツネと光(あるいは火)は馴染みやすい民間伝承のようだ(例えば、日本では「狐火」があるように・・・、そういえばブラウザに”Firefox”があったりして)。

(本ブログ関連:”狐の嫁入り”、”稲荷”)不思議な力がある。

キツネの尾が雪原に触れて、火花を巻き上げ、オーロラの明かりになるには、自然の条件も必要のようだ。余りに寒い極北の地ラップランドでは、雪は乾いてパウダー状になるという。雪を巻き上げながら、夜行性のキツネがオーロラの夜を走り回るのも合点が行く。
ところで、日本の場合は、雪に湿気があって積もることが多い。

2017年2月20日月曜日

イ・ソンヒの「離別小曲」

イ・ソンヒの12集所収の「離別小曲(이별 소곡)」(2001年、作詞クォン・ジンヨン、作曲イ・ソンヒ)は、しっとりとした抑制のきいた曲だ。先週から、彼女の別れ歌を聴いてきた。2集所収の「恋人のなみだ(연인의 눈물)」(1985年)、4集所収の「さようなら(안녕)」(1988年)、そして今日の「離別小曲」。

(本ブログ関連:”離別小曲”)

アルバムの発行年に従って、別れの場面も変わってくるようで、対象化から孤独までさまざま。初期の、のりしろの大きな別れに比べれば、年とともに味わいは深くなる・・・。この後、より大きな世界観を示すことになる、15集タイトル曲「その中であなたに出会って(그 중에 그대를 만나)」(2014年)が登場する。


生きていくことが、とても辛いです
そばにはあなたが  いたのに
あなたなしに生きるなんて、一人になるなんて
思ってみたことないのに

残った人はそれでも  生きられるという
その言葉が、さらに苦しめます
こんなに会いたいのに  忘れることができないのに
残った私には  苦しい重荷なだけです

私に待てといわれるなら  ただこう生きろといわれるなら
それはとても残酷じゃないの
あまりにも会いたいのに こんな私を置いて行かれたのですか
愛してる 待てと いっておいて

生きていくことが  つらいのです
私に残ったあなたの  名残りだけで・・・
              ______        

一生いきていっても、遂げられぬ恋なのに
なぜ私には時間をくれなかったのですか
残ったものはもうありません
戻せるのなら、以前のように一緒にできるのなら

生きていくことが  つらいのです
私に残ったあなたの  名残りだけで・・・

生きていく痛ましさ  もういいわ
わたしも 今 あなたのそばに 行きます


(Youtubeに登録のdove2727に感謝)

2017年2月19日日曜日

(雑談)調布飛行場を巡る

ぶらぶら散歩。時のままに見た通りダラダラと記す。

日曜の昼、今日が最終日の「梅まつり」を見に、北にある公園へ行こうと家を出たものの、位置が間逆の「調布飛行場」へ足を向けることにした。ほんの気紛れ、実は、真っ青な空に<飛行機雲>が走っているのが見えたからだ。それも、白く細長い雲の筋を残して天空を西へ横切っていた。

(本ブログ関連:”調布飛行場”)

調布飛行場へ行く途中にある公園のベンチでしばらく日向ぼっこする。陽射しが穏やかで、風も爽やか、余りに気持ちよくて一瞬まどろみかけた。そうもいかず、公園を貫く小川に沿って下流へ向かう。橋を渡って、隣接する別の公園に入り、小道を南に抜ける。

公園を出て少し進むと、調布飛行場の滑走路が現れる。「ドルニエ228」の3機が駐機していた。そのうち1機が目の前を北にタキシングし、滑走路に入るやすぐに南へ滑走、離陸した。その後も南の空へ機体が飛び立った。(Youtube映像で、いったん北へ離陸し、南に反転するものもあるが・・・)
日曜日に、こんなに続けてドルニエ機が離陸する様子を見たことがない。多分、時間帯によるのだろうけれど。

飛行場南側には、スポーツ競技場が何面も整備されている。競技場は広く、野球場、サッカー場、テニスコートなど多様である。野球やサッカーは主に少年(小学生くらい)たちが試合をしていた。女子(中高生くらい)サッカーの試合もあった。
(少年の試合には、母親たちが多数応援に来ていて・・・微笑ましくあり可笑しな思いがした)

調布飛行場の周遊(周辺巡り)の終盤、Uターンした道で、「味の素スタジアム」に出くわした。本格的サッカー競技場を間近に見たのは初めて。脇を通りながら巨大施設の全体を目にすることはできない。サッカー競技場がこんなに大きなものとは知らなかった。

帰り道、再び、西に飛翔する飛行機雲を見た。何だかとても懐かしい思いをした。

荒井由美(松任谷由美)の「ひこうき雲」(1973年)には、しみじみとします。

(Youtubeに登録のhigh_note Music Loungeに感謝)

2017年2月18日土曜日

suomen kieli

先週に引き続き、近隣の街の公民館で催されたフィンランド紹介のイベントに出かけた。講師は、テレビでおなじみの坂根シルック氏(東京農工大特任准教授)。話しぶりが、柔和で丁寧、温和な人柄を感じさせた。配布のプロフィールから、日本との縁が長く深いようだ。後で話題にされたことだが、日本人とフィンランド人は共に寡黙で、気質が似ているという。

以下は、わたしが関心のあった内容。その他に、地誌(地勢)、自然(四季、気象)、国民性(宗教、平和で平等意識が強い)、学制、および現在の社会的課題(社会福祉、格差)などについて語られたが・・・詳細は別の機会に記したい。

フィンランド史
「スウェーデン時代(1150年~1809年)」*、「ロシア時代(1809年~1917年)」**、「フィンランド時代(1917年12月6日~)」の3分類されるという。(実は、スウェーデン時代以前の宗教、言語について知りたかったが・・・)
   (*)1155年:スウェーデンによる北方十字軍の支配下になる
   (**)1917年:ロシア革命に乗じてロシアより独立

海に囲まれた日本人の国境感覚と違って、国家が地続きで隣接する場合、国境は川や丘の向こうにある。シルック氏の父方の故郷である「カレリア」***地方は、フィンランドとロアシア・ソ連との間で割譲が繰り返された。同地の争いを含めて、次のような戦が続く。「冬戦争(1939年~1940年:対露)」、「接続戦争(1941年~1944年:対露)」、「ラップランド戦争(1944年~1945年:対独)」
   (***)カレリア:スプートニクス(The Spotnicks)の「霧のカレリア(karelia)」(1965)を思い出す。
             (ブログ「澎湖島のニガウリ日誌」に感謝)

フィンランド語
フィンランド語は、1922年に第2母国語となったが、現在の話者は、フィンランド語:90%、スウェーデン語:5%、サーミ語:数パーセントとのこと。
   Suomi kieli : フィンランドのことば(名詞+名詞)
   suomen kieli : フィンランド語(形容詞+名詞)
フィンランド語の簡単な挨拶について、15語ほど紹介された。その中で日本人に好まれている言葉として、「kiitos」が紹介された。確かに街中で見たことがありますね。
(実は、フィンランド語の膠着語らしさについて聞いてみたかったが・・・。現在、「フィンランド語のしくみ」(吉田欣吾)を読んでいるものの、まだ Tuo on sinun kirjasi. の段階で、膠着語がどうだこうだを知るレベルで全く!無くて・・・)

フィンランド人の好み
・コーヒー
・アイスクリーム
・キャンドル(蝋燭)
ちなみに、数駅先の町にあるベーカリーに、シルック氏推奨の(フィンランド風)ライ麦パンがあるという。このパンは、まるで日本人にとって米のようなものらしい。近々食してみたい。

2017年2月17日金曜日

春一番 2017

朝からせわしく風が吹き窓を揺する。南の風だから温むはずなのに、最初にしたことはストーブに火をつけることだった。気分は、いまだ冬から脱していない。今年最初の「春一番」が吹いた。都心の気温は、9時現在で何と16℃だそうだ。

(本ブログ関連:”春一番”)

朝日新聞(デジタル)の記事「関東と北陸で春一番 各地で気温上昇、強風に注意」(2/17、10時48分」は、春一番の模様を次のように報告している。(抜粋)
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気象庁は(本日)17日、北陸と関東地方で「春一番」が吹いたと発表した。・・・関東、北陸の昨年の春一番は2月14日だった。(本日)17日午前10時までの最大瞬間風速は東京都心で18.0メートル・・・各地で気温も上昇し、東京都心や横浜市では17日午前9時現在で16度となった。
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ちなみに、気象庁の「風向に関する用語」で、「春一番」について次のように解説している。(風速の基準はいかに?)
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冬から春への移行期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風。
(備考)気象庁では立春から春分までの間に、広い範囲(地方予報区くらい)で初めて吹く、暖かく(やや)強い南よりの風としている。
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「春一番」といえば、キャンディーズの「もうすぐ春ですね 恋をしてみませんか」の歌詞が浮かんでくる。春風に押し出される恋の芽吹きというものか、1975/6年の《ちょっと気取ってみませんか》と呼びかける可愛らしい歌だ。