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2013年11月15日金曜日

イ・ソンヒの「なくしてしまった約束」

今となっては古風な曲調であるが、イ・ソンヒの3集に収められた1曲目の「なくしてしまった約束(잃어버린 약속)」(1986年)は、デビュー2年目の若さ溢れた彼女らしい張りのある声で力強く歌う。

秋に葉が落ちるのを見て、ふと気付くのが人生なんでしょうね・・・寒さが一層つのります。


なくしてしまった  その約束を  ふたたび探せるなら
消えてしまった  愛の花火を  すべて燃やせても

再会の  ちぎりもなく  私たちはそんなに背を向けて
今日も  懐かしさに  胸を焦がしてこの夜を明かす

愛  それは第二の生命(いのち) 誰にも与えられないもの

ただ  あなたにだけに与えたいもの  そして受けたいもの


(Youtubeに登録のsun5054に感謝)

2013年11月14日木曜日

頭痛薬

風邪のせいか、気圧の変化のせいか、頭がズキズキする。鎮痛剤を飲めばすぐに治まるのに、このときばかりなぜか、やせ我慢する。そして、耐え切れなくなって棚から薬を探し出すことになる。

飲むのは頭痛薬の「ノーシン」だ。それも、昔からの散剤(紙に包んだ粉末薬)である。同じノーシンでも錠剤の方はダメなのだ。わが家の常備薬であった散剤の方でなければ効かない。分かっているが、多分に心理的な効果もあってのことだろう。

ここ数日の寒さは、「12月上旬から下旬並み」という。まるで、映画「デイ・アフター・トゥモロー(The Day After Tomorrow)」のように、飛行中のヘリコプターにいっきに氷が張り付くような厳しさを想像する。慣れれば別だろうが、まだ「しばれる」感じだ。

NHKとBBCが共同制作した、自然ドキュメント番組「フローズン・プラネット」で、南極の浅海に氷柱ができ、それがやがて海底を這う現象である「Brinicle(ブライニクル)」(「死のつらら」)を見たことがある。ヒトデなど海底生物が氷漬けされていくさまは、見ているだけで恐ろしい。氷漬けされたら、頭がジンジンしてきつかったことだろうと思った。(ところで、棘皮動物のヒトデには頭はないようだ)

2013年11月13日水曜日

イ・ソンヒの「ピーター・パン」を見た思い出(ソヌジョンア)

イ・ソンヒは数々のミュージカル舞台に立ったことがある。「オズの魔法使い」(1990年)の主人公ドロシーや、「ピーター・パン」(1991年)の主人公ピーター・パンなどを演じた。子どもの頃に母親と一緒にその舞台を見たという、女性シンガーソングライターのソヌジョンア(28、선우정아)とのインタビューが、ブログに掲載されている。中央日報のイ・ギョンヒ記者が、同紙の記事から溢れた内容をブログに書き記したものである。

(本ブログ関連:”ミュージカル”)

ソヌジョンアについては上記ブログで知ったわけだが、ここでは彼女がイ・ソンヒについて語っている部分だけ次の通り抜き書きする。感謝。
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7才の時、「ピーター・パン」のミュージカルを見た。世宗文化会館の大劇場にそうそうたる人々が出演した。イ・ソンヒがピーター・パン(役)だった。母に、「ピーター・パンは男性なのに、なぜ女性がするの?」と尋ねたところ、イ・ソンヒファンだった母は、「韓国で歌が最も上手な方だからなのよ」とファンの心いっぱいの答えをした。衝撃だった。どんなに達者に男性を追い抜いて、男性の役ができるかと思って。ワイヤーに乗って飛び回るのも素晴らしかったし、私もあの人たちのように音楽の中で生きたいと考えた。おもしろいことに、この前イ・ソンヒさんから連絡が入った。私のアルバムを聞いてみて、おもしろいとフィードバックをくださったのだ。普通は、音楽を聞いて連絡する方が多かったが、私に妖精と同じ、この世の人とは感じられない方であったが・・・電話を受けると正気でおられなかったよ。
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2013年11月12日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 オンドル

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/6)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第30回として、床下暖房の「オンドル(溫突、온돌)」について紹介した。

まず始めに、寒い冬に床下から部屋を暖めるオンドルについて次のように紹介した。
・11月に入り急に朝の空気が冷え、本格的な冬を思う・・・明日(11/7)は冬の始まり「立冬」だ。零下20度近く下がる極寒の冬が来る。
・この時期、韓国ではオンドルが重宝される。最近は床が均一に温まるが、昔は火元に近い床の「アレッモク(아랫목)」が、家中で一番温かい場所だった。昔の田舎では、飯を遅くにも温かく食べられるよう、ふた付き鉄製の器に入れ、アレッモクに敷いた布団の中で保温した。また明け方に冷めた床を暖めるため、おばあさんが早朝火を入れる光景も見られた。人々は、こうした温かい部屋で二日ほど休むと「これまでの積み重なる疲れも飛んでいく」とよく言う。

▼ 家の敷地を司る、成造神を称える南道民謡「城主祭歌(성주풀이)」を聴く。新築、転居のとき、家族のために巫堂(ムーダン、무당:シャーマン)を呼んで祓った際の歌が起源という。張りよくテンポよく聞こえる・・・Youtubeでイ・ソンヒは民謡三曲のニ番目で勢いよく歌っている。

次に、オンドルの構造と歴史、普及に関わった木こり歌について次のように解説された。
・韓国固有のオンドルは、料理の火を利用して室内まで温める実用的な暖房器具と言える。焚口から、煙突まで、熱い煙が通る道を作り、その上にオンドルの石を並べる。オンドルの初期、4世紀頃は、室内に並べた石は二列ほどで、部屋全体を暖める方式ではなかった。高麗時代に入り、部屋全体を暖める本格的なオンドルになった。
・古くは、垂れ幕のあるベッドや椅子を用い、部屋の中でも靴を履いた生活だったが、オンドルで、韓国人の生活が変わった。17世紀、世界的に急激に寒さが厳しくなったといわれ、韓国中にオンドルが広まった。家々で火を焚くため、木の枝が大量に必要となり、木こりたちは厳しく寒い山中に、薪集めに行った。こうしたハン(恨)が込められた木こりの歌が多く残されている。

▼ 慶尚北道の木こりたちが木を切りながら歌った「オサヨン(어사용)」を聴く。歌声から労働の場面を想像して・・・どのような地形で、何の木を、どんな道具で、独り或いは仲間と切ったのか気になる・・・それにしても、厳しい思いがこもる歌だ、独り歌だろうか。

最後に、七佛寺の亜字房のオンドルと、今なお続くオンドルについて次のように説明された。
・オンドルの機能を果たすため、石の配置など知恵が必要だ。慶尚南道の河東地域にある七佛寺(칠불사)に亜字房(아자방)の部屋がある。亜字房は石の並びが「亜」の字に配列した、一度火を入れると100日間も温もりが残ったと伝えられる。
・近年の100年余り、生活や文化が洋風化する中、伝統を守っているのがまさにオンドルだ。家族がひとつの部屋に集まり、ぴったりくっついて温まった、そんな古き時代のよき思い出を、体で覚えているからだろうか。

▼ 済州島に伝わる子守唄「ウォンイチャラン(웡이자랑)」を聴く。家族の温もり・・・う~ん、今様の「島の赤ん坊(섬집아기)」などとは随分違うけど、子どもには母や祖母の声と「手の温もり」が一番なんですね。なるほど。

2013年11月11日月曜日

東京地方、木枯らし1号

昼間は陽射しが穏やかだったというに、午後も夕方に近づく頃、気付けば窓の外は土砂降りで、止んだと思えば今度は急速に冷え込んできた。足がじんじんと冷える・・・家路も寒さは尋常でなく、まさに冬到来を思わせる。

帰宅して、Googleニュースを見ても、東京地方に木枯らし1号が来たという情報はない。唯一、テレ朝ニュースのコメントに、「東京では11日夕方以降、北寄りの風が強まり、木枯らし1号となるかもしれません。」とあるのみだ。

体感は、まさに木枯らし1号といってよく・・・それほどの冷え込みと風の強さだったのだ。

ちなみにネットには、「東京地方の木枯らし1号」(気象庁天気相談所)の記録があって、昭和26年以降の木枯らし1号到来日を一覧することができる。過去10年間について、ざっと見渡せば次の通り・・・今日あたり、わるくないと思う。
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2003(平15) 11月17日
2004(平16) 11月13日
2005(平17) 11月12日
2006(平18) 11月12日
2007(平19) 11月18日
2008(平20) 11月01日
2009(平21) 11月02日
2010(平22) 10月26日
2011(平23) 10月26日
2012(平24) 11月18日
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やっぱり、木枯らしだった。

時事通信の記事「東京でも木枯らし1号=昨年より7日早く-気象庁」(11/11、19:33)は、次のように木枯らしが到来したと報じた。(明日は冬物の衣服が必要らしい)
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気象庁は11日午後、東京地方で木枯らし1号が吹いたと発表した。昨年より7日早い。
同庁によると、午後2時54分に最大瞬間風速17.9メートルを記録した。近畿地方では昨年より6日遅い4日に1号が吹いた。
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(本ブログ関連:”木枯らし”)

2013年11月10日日曜日

旧石器時代の野川流域から見る

(後期)旧石器時代に地元野川流域に残された石器や黒曜石を通して、日本人類の起源を語る講演があり聴講した。講演タイトルは、「旧石器時代の日本列島 - 野川流域から日本人類史の起源を考える」で、講師は安蒜政雄(あんびるまさお)明治大学教授である。

6万年前にアフリカから世界に拡散した私たちの祖先は、4~3万年前に日本列島に至ったといわれていることから、野川流域の旧石器人(3.5万年前~1.5万年前までの間)は相当に古いひとびとといえるようだ。

この4万年前(日本列島到着)と3.5万年前(野川流域定着)を比べると、5,000年の差しかないように考えてしまうが、つまり私たちの2,000年の歴史と比べて時間オーダーが極端に大きな時の流れであり、しかも証拠は石器しかない。いろいろとイメージが膨らんでしまい、素人には楽しいことだが。

関東地方を含めて日本は火山国のため、旧石器時代の証拠物は石器しか残ってない。他の有機物は火山灰地により一切溶けてしまっている。そんな中で、石器が見つかった地層に依ったり、石器の分布に依ったりして、旧石器時代の集落や人口の規模を想定されるという・・・ただし、生活や移動がどうであったか検証が必要。
また、産地がある程度限定される石材の黒曜石の地域間移動が分かっており、ひとびとの交流が想像されるという。さらに、野川流域の石器(石斧)、黒曜石を使った複数の特性から、他の周辺地域と比べて日本独自の性格を持っているという。

発見された遺物から歴史上の想定が語られたが・・・最後にいろいろな視点や解釈も含めて、会場とのQAがあった。
それらを聞いて、確かに2,000年前の歴史でさえ物証は完全ではないのに、旧石器時代の石斧など限られた遺物から、3.5万年前~1.5万年前までの2万年の間の歴史を語るのは容易なことではないだろうと感じた。

歴史は時間だけでなく、空間の流れでもある。会場で求めた、安蒜政雄氏の著書「旧石器時代の知恵」を読んで復習してみよう。

常々思うことがある。歴史の中で個人は小さいけれど、仮に4万年前の私の祖先が子孫を残す前に、何かのことで亡くなっていたら、私は今いないのだ。命は連鎖する。それも際どい偶然のおかげで。

2013年11月9日土曜日

(資料)一乗宗

▼ Daum知識(2006.2.2)のQAに、韓国仏教宗派の質問中に「一乗宗」について次のような回答がある・・・この記述は、K-Wikipediaにリンクされている。
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25.大韓仏教一乗宗
韓国の法華信仰系統仏教宗団。
1968年2月 法華宗で崔恵正が一乗宗団を創設。
1969年1月 大韓仏教一乗宗布教院で文化公報部に仏教団体登録。
1973年 大韓仏教一乗宗に改称。「妙法蓮華経の会三帰一思想と大乗菩薩行をそれぞれ『体』と『用』として国を守って広く衆生を済度する」を宗旨としている。
所依経典は<妙法蓮華經>で、本尊仏は釈迦牟尼仏。
本寺は、ソウル特別市城北区城北洞にあって、宗正は権梵虎だ。
教勢は、1988年現在、寺院455ヶ所、僧侶536人、信徒16万3,332人。
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▼ (次のソースは過激なため要注意!・・これについて未だ確証を得ていない)
仏教と巫俗の習合という観点から、一乗宗と巫堂(ムーダン、무당:シャーマン)の関係について批判的なコメントがある。(アンチニュース)

▼ 一乗宗 自身によるによる巫堂(무당)についての解説。
http://www.ilseung.or.kr/bbs/board.php?bo_table=qna&wr_id=70&page=3


(本ブログ関連:”一乗宗”)

2013年11月8日金曜日

イ・ソンヒの「冬哀傷」

名曲とは不思議なもので、イ・ソンヒの「Jへ」は作者がその曲の扱いに苦悶していたときに偶然出会ったことによるし、また5集所収の「冬哀傷(겨울 애상)」(作詞:キム・ヨイル作曲:ソン・シヒョン、1989年)は思いもかけないかたちでできあがったものだ。

(本ブログ関連:”冬哀傷”)

この時期になると、美しく透明感のある「冬哀傷」の余韻にひたりたくなる。

星明かりに澄み映える  私の悲しい顔よ
雁が鳴きながら  飛び去る  空を  見る

懐かしさ雪のように積もり  丘を転がり超えて
青い月明かり  降り注ぐ  私の空っぽの  庭に

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿

風は木の葉を 吹きたてて  消えたが
なぜ痛く懐かしい小船は  私の胸に浮かんでいるのか

消すことが  できないのか
冬になるとよみがえる姿

青く冷たい  私の愛
凍ってしまった悲しい後姿
凍ってしまった悲しい後姿

(Youtubeに登録のKnightmareに感謝)

2013年11月7日木曜日

立冬2013

今日は立冬、暦上、秋分(9/23)と冬至(12/22)の真ん中で、いよいよ冬の始まりである。といって、木枯らしが吹くでもない。(ただし近畿地方では、今月4日に1号が吹いた)
暦に知る季節なわけで、実感が伴わない・・・と思ったら、Weathernewsの天気予報(ピンポイント天気)で、当地辺りも明日以降、木枯らしの可能性があるという。なんだ、冬はすぐそこに来ている。

ところで本日午後1時14分(日本時間)、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地からソユーズTMA-11M宇宙船に乗り、JAXAの若田光一宇宙飛行士(50)が、国際宇宙ステーション(ISS)に向けて飛び立つ。来年の5月14日頃まで、約6ヶ月のISS滞在とのこと。

JAXAの「ISS第38次/第39次長期滞在概要」に次のように説明がある。
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・第38次/第39次長期滞在クルーとしてISSに長期滞在します。
・若田宇宙飛行士は、第38次長期滞在ではフライトエンジニアとして、ISSの運用、「きぼう」日本実験棟を含むISS各施設のシステム運用、日本および国際パートナーの科学実験をはじめとする宇宙環境の利用に重点をおいた活動などをISSで行います。
・滞在の後半となる第39次長期滞在では日本人初のコマンダー(船長)として、滞在期間中の指揮をとることになります。
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(本ブログ関連:”若田光一”)

2013年11月6日水曜日

発泡にごり酒

先日、寝つきが悪くて、深夜に冷蔵庫の日本酒をお猪口一杯飲んでみたら、意外やぐっすりと眠れた。そうれなら、口当たりのよい日本酒はないものかと近所の酒店を訪れた。

店のガラス張りの冷蔵庫に、日本酒の発泡酒(「神亀純米活性にごり酒」)が見えた。ドア越しにラベルの注意書きを観察すると、詮を開ける際に勢いよく発泡するので開詮を微妙に繰り返し、噴出しに注意するよう書かれていた。面白そう、ということで購入し、家に戻るや早速開詮してみた。

詮をゆるりと開けると、瓶の中を泡が口元まで駆け上がってくる。あわてて詮を強く閉め直す。発泡が治まるまで、それを繰り返して、ようやくお猪口に注ぐことができた。結構手間取る。

元来、酒は強くない。飲兵衛でもない。だから、ほどほどにたしなむ程度なのに、発泡の様子が面白くて、口当たりもよいので立て続けに3杯も飲んでしまった。酔いが次第に廻り、ふらふらしてきた。耳元を血流がドクドク音を立てる、腕が妙にピリピリしてきた・・・ああ、こりやいかん・・・すっかり酔っ払ってしまった。

2013年11月5日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 菊花

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/30)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第29回として、菊の花(국화)について紹介した。

始めに、秋の花の菊とそれに関わる詩について、次のような紹介から始まった。
・花というと春を思い浮かべるが、秋にも春に劣らず、きれいに咲く花がある。コスモスを筆頭に、オシロイバナや野菊、そして名も知らぬ花たちが力強く花を咲かせ、散った後、目に入るのが菊の花だ。朝鮮後期、李鼎輔(イ・ジョンボ、이정보、1693年~1766年)が残した、菊の登場する次の時調(시조)がある。

「菊よ、おまえは、三月の春の風(東風)を過ぎ、/  落木寒天にひとり花を咲かせたのか、/  おそらく、霜が降りる季節に屈しないのはおまえだけだろう。」

・「落木寒天」は、木の葉が落ち、寒くわびしい冬の風景を表す。この時調は、暖かい春の風が吹いても花を咲かせず、寒い冬になるまで待って、さびしそうに、けれど力強く咲く菊の花を歌う。

▼ 平時調(평시조)の「菊よ(국화야)」を聴く。上記詩の一音一音を延ばし朗詠する。夕陽を逆光に揺れる野菊のよう。

次に、李鼎輔の仕事と彼にまつわる逸話が、次のように語られた。
・李鼎輔は、詞のように相手が王であれ、間違ったことには果敢に言上する政治家だったという。
・一方で、音楽にも造詣が深く、上記時調以外に80編を超える作品を残し、音楽家養成にも携わった。弟子に、桂纖(ケソム、계섬)がいた。彼女は、幼くして両親を亡くし奴婢となったが、李鼎輔と出会い、彼を師匠として歌を学ぶ。彼は桂纖の才を見抜き、常に傍に置き指導した。彼女は名唱として名を轟かした。李鼎輔が世を去ったとき、桂纖は実の父の死を前にしたかのようだった。その後毎日、師匠の墓前で泣きながら歌い続け、生涯かけて恩返した。その姿は、晩秋の道端に咲く野菊のようだ。

▼ 新民謡「野菊(들국화)」を聴く。なんだか、野に咲くの花の陽気で力強さを感じる。

最後に、菊を愛でる優雅な光景について、次のように語られた。
・昔から、ソンビ(博識な学者)たちは、菊を、梅、蘭、竹と共に並べ、四君子と呼ぶ。これらは、操と節義を象徴する花とされ、広く好まれ、植えられた。フンタリョン(흥타령)の歌詞に、四君子のひとつ、菊に関する次の一節がある。

「窓の外に菊を植え、菊の下で酒を醸しておいた。/ 酒が熟成し、菊の花が咲き、友人が来て、月が昇った。/ それ、コムンゴを一曲弾け、夜が明けるまで遊ぼうではないか。」

・花もきれいに咲き、さらにその香りまで漂い、友を誘って一杯傾ける光景、なかなか粋である。菊の酒をゆったりと嗜みながら、あれこれ話をする時間、これこそ、至福のひと時と言えるかもしれない。

▼ 「歌詞 勧酒歌(가사 권주가)」を聴く。揺ったりと古色を漂わせるが・・・どこか新酒の香りする。

2013年11月4日月曜日

菊の花

秋の花に菊がある。鑑賞に、一輪もあれば、束ねたものもある。あるいは、更に集めて加工したものもある。歳をとると、それぞれに美しさを気付くようになる。

子どもの頃、連れられて菊人形展を眺めたけれど、小さな菊の花弁を衣装代わりに身に包んで置かれただけの人形を間近に見て、拍子抜けした記憶がある。大人になれば、菊人形師の努力と期待も合わせてうかがえ受容できるようになる。たぶん鑑賞の視野が広がったのだろう。

イ・ソンヒのアルバム9集の一曲目にアルバムタイトルでもある「一輪菊(한송이 국화)」(作詞チェ・ユジョン、作曲ヤン・ムンソン、1994年)がある。群れて咲く野菊とは別に、一輪の菊にも独特の美しさがある。

    一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
    一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
    華やかな姿なくとも  素朴な香りに染まるように
    小さな花瓶の中で一輪の菊  この世の憂いを洗ってくれる
    黄色い花びら差し出した顔  ささやくように愛を語るよ
    一輪の野菊見やれば、貴方の姿を見るよう
    華やかな姿なくとも  素朴な香りに染まるように
    あ~

(本ブログ関連:”一輪菊”)

(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

2013年11月3日日曜日

日光鉱山

さすがに11月ともなれば、早朝は冷える。栃木県塩谷郡塩谷町にある日光鉱山へ鉱物採集に出かけるため、始発電車に間に合うよう家を出ると、あたりはまだ暗い。
いつもお世話になっているH氏と待ち合わせの駅に着いた頃は、空も白みはじめていた。さっそく、H氏の車に同乗させていただき現地に向けて出発する。

昨日ネットで収集した産地情報を片手に、車中で鉱物談義する。H氏は、既に日光鉱山の鉱物採集は経験済みで、今回は何としても美しい二次鉱物の斜開銅鉱(Clinoclase、Cu3AsO4(OH)3)を目玉にされている。わたしも、斜開銅鉱に出会えればと、期待が膨らむ。

さて、下流に石積みの砂防ダムを何重にも構築している大きく広がった沢と重なっている、日光鉱山の【南側】ズリから採集を始めた。陽差しが反射してまぶしい。目が肥えてくると、次々いろいろな鉱物が見えてきた。
沢伝いに登ると、せばまった沢の奥には鉄条網にさえぎられて立ち入り禁止になっている。その奥には、ふさがれた坑口や、更に奥に進む沢も見えるが・・・ここまで。この境界辺りでの採集は、極めて残念な結果だった。

いったん道路に戻って【北側】に少し歩み、新たな入り口から山道を登り、斜面の上側に坑口が見える所まで進む。坑口はふさがれていないが、当然ながら覗き見するだけ・・・なにしろ、坑口付近には落盤跡?のような岩が見えるのだから。

以上の結果、採集鉱物は次の通り。
・南側採集地: 黄銅鉱、黄鉄鉱、ブロシャン銅鉱、孔雀石、輝銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、水晶(小型の美群晶)
・北側採集地: 斜開銅鉱(小片)

日光鉱山の行きも帰りも、国道・県道利用で通したが、休日にもかかわらず渋滞に巻き込まれることはなかった。

2013年11月2日土曜日

日暮れの早いこと、一年の早いこと

夕方というに、ちょいと気を許せば、外はすっかり闇に沈んでいる。帰宅にせわしい街の雑踏も、かえって落ち着きを増すよう。けれども、駅から離れて家路になれば、次第に人影の薄れるのが寂しい。風でも吹けば、否応なしに年末へと押しやられる。

テレビ・ショッピングで、おせち料理の予約受付で豪華?な詰め合わせを説明していた。ハロウィンが終ったと思ったら、あっさり場面転換して、クリスマスそして正月の行事が待っている。

ラジオで聞いたことだが、今年は3連休が多いんだそうだ。10回もあるという。休みが多いからって、それもなんだか・・・気ぜわしいなあ、何かしなければという強迫観念に駆られて、むやみに出かけるのもなあ・・・。

といいながらも、お呼びがかかった石採りに・・・幸い、明日は天気がよいようだ。

2013年11月1日金曜日

VESPA APE50

昔、雑誌に小型自動車の特集記事があって、戦後近くに生まれたさまざまな小型自動車を紹介していた。面白くて興味がそそられ、乗ってみたい気がした。記事を切り取って保存したが、今探してみると見当たらない・・・残念なことをした。

    (注) 小型車といっても、これから普及が試行される「超小型電気自動車」のことではない。

ネットを探してみれば、Wikipediaの「バブルカー」の項に、製造各社の小型自動車の写真が載っている。ヨーロッパで、戦後荒廃した中から生まれた、かつての航空機の技術者たちが関わっている。「バブル」とは、「航空機などの操縦席(コックピット)の風よけの覆い」で・・・つまり「風防」のことで、自動車の運転席の覆いがそれを想わせる構造をしている・・・ということだ。

これらの小型車の中で、わたしのお気に入りは、メッサーシュミット社のKR200(191cc)だ。まさに、航空機に関わった技術者の心意気が感じられる。

そういえば、後発日本のスバル360(360cc)も小型車に属するだろう。製造元の富士重工は旧中島飛行機という航空機メーカーだったわけだし。

今日、イタリア大好きな鉱物仲間から、イタリアのピアッジオVESPA APE50(49.77cc)という小型三輪車を、再生しているという話を聞かせてもらった。1964年に日本に輸入された5台の内の一台だそうで、構造図、配線図などの図面をネット上で探し、一部部品から作って、組み立て直しているというのだ。

    (注) Youtubeの「APE50」(新型のよう)、旧型は2サイクル単気筒50ccだが排気音がいい。(登録者Paulo Cabralに感謝)  ← 赤字訂正
    (注) VESPA APE50が輸入された1964年といえば、イ・ソンヒが生まれた年でもある。
    (注) VESPA APE50は、スクーターのVESPAのエンジンそのままに、車体だけ発展させたもののようだ。

この三輪車、バッテリーがないそうで、スターターは手動、ワイパーは足動というまさにアナログカーである。聞いているだけで楽しくなる。・・・でも、それ以上の技術的なことになると素人の悲しさ、よく分からない、残念。

三輪車といえば、日本のダイハツ・ミゼットD型(250cc)があるが、これも小型車の仲間に入れることにしよう。

2013年10月31日木曜日

残った林檎は6分の1

月の銀の林檎、太陽の黄金の林檎、永遠に摘むことはできないけれど、わが家の台所では冷蔵庫の中で冷たいリンゴが待っている。皮が硬くてちょっと酸っぱいが、サクッと丸かじりすると口中に果汁がほとばしる。

林檎一個を一年に見たてて、芯を通して縦に6等分に切ると、今年は残すところ6分の1しかないことに気付く。あっという間の一年だったな。ゆっくり賞味したろうか、がつがつ貪ったろうか・・・月や太陽に値するというのに、もったいないことをした。

今宵、たそがれにさまよう悪霊、死霊たちが一暴れするかもしれないけど、でも新しい年を迎えられるならしかたないのだが、林檎はまだ6分の1残っている。そう6分の1も残っているのだ。

リンゴをかみしめながら、イ・ソンヒの13集所収の「リンゴの木の下で(사과나무 아래서)」(2005年)を聴こう。リンゴの味は、甘いのか、酸っぱいのか、それとも苦いのか。

(本ブログ関連;”イ・ソンヒの「リンゴの木の下で」”)

(Youtubeに登録のKnightmareSMに感謝)

なぜハロウィン

この時期、ハロウィンがメディアにとりあげられるたび、置き場がないというか落ち着き場所の定まらぬ感覚にとらわれる。人生長いと、様々な行事が次第に既定になっていくのを見てきたが、異質さに馴染むのはなかなか容易でない。若ければあっさり受容してしまうのかもしれないが。

ハロウィンは現在、あくまでも商業的なイベントを超えていない。多分、お盆のような宗教的なものと結びつくことがあるわけではないので、風習になるには時間がかかるだろう。その意味で、クリスマスは家族の結びつきを確かめる最早風習に近い。そして、義理を含めてバレンタインはハロウィンより先行している。

ハロウィンのちょっとおどろおどろした雰囲気を知ったのは、米国のブラッドベリ(Ray Bradbury, 1920年8月22日~2012年6月5日)のSFファンタジーの短編集を読んでからのことだ。その頃は、日本でのハロウィンはまだ文字の世界で語られたものだったはず。映画などで見る光景ではあったので、全く知らないわけでもなかった。

(本ブログ関連:”ハロウィン”)

だから、ハロウィンに強い拒絶感はないけれど、ちょっと気になる点がある。ハロウィンのデコレーションに使われる小物もそうだが、全体的な色彩のトーンとして、あのオレンジ色はどうだろう。日本の色使いではないと思うが。
とはいえ、わたしたちの色彩感覚もだいぶ変わってしまっている。そう、アウトドア用品やその衣料品を見れば分かるが、深緑色や青紫色などがすっかり定着してきている。アメリカ発の色彩感覚がそのままとりいれられている。

2013年10月30日水曜日

イ・ソンヒ 「朴景利 ブック・コンサート」

イ・ソンヒは、今月31日に催される「朴景利 ブック・コンサート」に出演する。ファイナンシャルニュースの記事「文学と音楽の調和... 『朴景利 ブック・コンサート』 開催」(10/29)は次のように報じている。(江原=ニュース1、クォン・ヘミン記者)

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・「土地(토지)詩朗読会」が主管し、「朴景利文学公園」が主催する、「朴景利 ブック・コンサート」が今月31日午後7時に、江原道原州市の朴景利文学公園内の野外ステージで行われる。

    (注) 朴景利(パク・キョンニ、박경리、1926年~2008年)、作家、小説「土地(토지)」で著名。
    (資料)イ・ソンヒのスター・ストーリー「3.宗教家である父と、自然とともに過ごした幼い子供

・「朴景利 ブック・コンサート」は、小説家朴景利の文学を伝えたり、彼女の知己を特別ゲストとして招待して文学の世界についての話を聞いたり、音楽演奏を通じて秋の夜の叙情を感じることができる行事だ。今回のブック・コンサートには、文芸評論家チョン・ヒョンギ、小説家キム・イジョンが出演してトークイベントを行い、声楽家クォン・スンハン、テギ(태기)舞踊団の扇舞、ミカ-ウル(미가 울)民謡、フランスの詩人ロスリンの詩朗読、バク・ヨウンオのクラシックギター演奏などが用意されている。

・また、歌手イ・ソンヒ、ムン・ケジョンが歌謡舞台も披露する予定だ。朴景利文学公園の関係者は、 「文学と音楽、舞踊が融合した行事で、全国の朴景利の作品を発表し、地位を高め、秋の叙情を感じることができるだろう」と明らかにした。
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2013年10月29日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金剛山

KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(10/23)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第28回として、朝鮮半島の太白山脈中央に位置する金剛山(クムガンサン、금강산、最高峰毘盧峰は標高1,638m)について紹介した。

まず四季の変化と金剛山の美しさについて次のような説明から始まった。
・四季折々の変化がはっきりすると人々は自慢する。幼いころから、春夏秋冬を感じて育ったためだ。今の時期、高く、真っ青な空をながめると、風景を分かち合いたいと思う。ソウルを囲んでそびえる山々は、真っ赤に染まった紅葉が目に飛び込む。一生を終えて散り行く物悲しさも加わり、花より美しいと言えるかも知れない。
・昔から、美しい山と川を「三千里錦繡江山(삼천리금수강산)」と呼ぶ。その中で最も美しいとされるのが金剛山だ。古来、多くの詩人や画家、ソンビたちが一度は訪れるべき場所として知られる。

▼「金剛山打令(금강산타령)」を聴く。悠々とした景色を眺めてか、とてもメロディアスに聞こえる。

次に金剛山に遊んだ李穀の「東遊記(동유기)」から次のように紹介している。
・高麗時代(918年~1392年)末期、李穀(イ・ゴク、이곡、1298年~1351年)は、ある秋の日、金剛山を訪れた感動を次のように記している。

「秋にこれから金剛山を遊山にでかけようと、天磨嶺を越えて山の麓で一夜を明かし、朝早く寝床で食事をした後、山に登ると、雲と霧に覆われて薄暗かった。人々が言うところによると、『秋に金剛山に行った人が、雲と霧のため、何も見られずに戻ってくるることが多い』という。共に来た者たちは、みな真剣に黙黙と祈りつづけた。5里ほど行くと、陰った雲が徐々にうすくなり、そこから日の光が漏れ出してきた。『お辞儀峠』に差し掛かったとき、空は明るく、空気も澄み渡り、山の明るさが一段と映えて見えた。1万2000ともいわれる峰を一つ一つ数えることができそうだった。この山に来る人はすべて、必ずこの峠を経由する。峠を登りきると、人々は山を眺めようと、首を下に傾ける。自ら意識しなくとも、この峠では、お辞儀をするかのように頭を下げることになるのだ。このような理由から、この峠は『お辞儀峠』(절재)と呼ばれている」。

今はこの金剛山も人々の想像の中にしかない。

▼「金剛仙女(금강선녀)」を聴く。ちょっと、ソ連映画の音楽のよう・・・今様である。

最後に、鄭敾の「金剛全図」とそこに記された詩を次のように紹介している。
・金剛山を描写した古い絵もたくさん残り、最も有名なのが朝鮮時代の画家、鄭敾(チョン・ソン、정선、1676年~1759年)の「金剛全図」だ。ある冬の日の、寒々しい峰の連なる風景を力強く描き、一角に自ら詠んだ詩が書かれている。
・「岩山は何輪もの蓮華の花のように連なり白い光を放っている。またその横には松の木が茂り、道をつくっている。たとえ私の足で直接踏んでみることにしても、これから、またあまねく歩かなくてはならない場所だ。それなのに、どうして枕に寝転び、私の絵だけをじっと見つめているというのか。」。今はこの金剛山に冬が訪れようとしている。

    (注)「金剛全図」には、花崗岩の複雑な白い岩肌と多数の峰々が幾重にも描かれている。

▼「美しい国へ(아름다운 나라로)」を聴く。ミュージカル曲だろうか・・・今様である。

2013年10月28日月曜日

パティ・キムの引退公演

韓国歌謡のCDを集めだしたのは、秋葉原にあった研修センターの帰り道、電器店やCDショップを巡って見つけたパティ・キム(패티김、1938年2月28日~)のCDアルバムからだった。パティ・キムの歌う「マリア」の声量というべきか迫力にひかれて、彼女のシリーズはもちろん、ナフナ(羅勲児)やイ・ミジャ(李美子)、ヘウニ(혜은이)、ミン・ヘギョン(閔海景)などのCDやVHSを探した。当時、日本における代表的な韓国歌手はケイ・ウンスク(桂銀淑)だった。彼女の韓国歌謡からトロットを含めて様々な曲目を知った。

韓国専門書店にも足を運んで店主から情報を得たり、新大久保というよりはそれ以前のこと、新宿職安通りに面した「コリアプラザ」のCDの山をなめた。その頃やっと、イ・ソンヒのCDと出逢うことができた。もちろん、イ・ソンヒについては、CDだけでなく、LPレコードを探しにソウル地下街にある中古LPショップに出かけたことはいうまでもない。

ところで、そのパティ・キムが引退を発表したのは、昨年の2月15日のことだったが、ついに今月の26日に引退公演を迎えた。連合ニュースの記事「パティ・キム、55年の歌人生終了... "本当に恵まれた"」(10/26、イ・テス記者)は、「26日午後、松坡区芳夷洞オリンピック公園体操競技場で開かれた、公式引退公演『グッバイ パティ - パティ・キム 彼女が歌う最後の歌』」を次のように報じている。(抜粋)

(本ブログ関連:”パティ・キム”)

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「長年いつも拍手で私を愛してくださりありがとうございます。私は今、舞台を去りますが、みなさんのそばにいつも私の歌があるよう願います。」

歌手パティ・キム(75)は「ありがとうございます。グッバイ!」という挨拶を最後にマイクを置いて舞台を去った。55年の舞台人生の幕を下ろす瞬間だった。

後輩歌手のヤン・ヒウン(楊姬銀)、イ・ソンヒ、イン・スニ、イ・ウンミなどと孫たちは、先輩であり祖母である彼女に花束を渡して祝福し、客席は手を振って最後の挨拶を送った。
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パティ・キムを日本人歌手にあてはめれば、雪村いずみに当たるのではないだろうか。ともに、時代とジャンル、それにスケールの大きさが重なる大歌手だ。

最後にパティ・キムについて、彼女と吉屋潤(길옥윤)との、出会いと「別離」を知らぬ人はいない。