阿呆と呼ばれてもどこか愛嬌があり、日常を達者に過ごしている。そのくせ抜け目なく、ある意味しっかり者である。ときに道化て笑わせることもあるが、トリックスターのように人を驚かす力を秘めている。そんな生き方も悪くないと思う。
(本ブログ関連:”阿呆”)
けれど、それも機転の効く知恵があるときのはなし。羽を広げて、見下げるように悠々と青空を滑空する「信天翁(アホウドリ)」も、船乗りに捕まれば甲板をよたよた歩き回るだけ。その差があまりに情けない。
そんな「信天翁」を、< 詩人(うたびと)も、哀れ似たり、罵詈満つる俗世の地に下り立てば、巨人の翼、人の世の航路の邪魔よ > とあっさり断じたボードレールは、「悪の華」(堀口大學訳)に所収の「信天翁」で、詩人の言葉巧みさを「巨人の翼」と呼んだものだ。
昔、テレビの討論番組で、ある論者が「わたしは、俯瞰してものを見るのが好きだ」といっていた。それを聞いて、どうか地上に降りてみなと話してくれないだろうかと思ったりした。