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2014年6月2日月曜日

(資料)K-POP Archive 1984年 : イ・ソンヒの誕生

「K-POP Archive」は、20世紀(1907年)以降の韓国歌謡界の動向を記している。特に、1980年代以降については、その内容が、評論もまじえた年代記風になっており、鳥瞰に最適である。
といっても、イ・ソンヒに関わるところを見つ続けているわけだが、彼女が登場した1984年について、「Year1984. 新しい英雄キム・スチョル、イ・ソンヒの誕生」*の文に、次のように解説している。(抜粋)
(*)KMDC ARCHIVE:「時代別大衆音楽史」1980年代
    ー https://www.k-pop.or.kr/history/history/1980

1984年を、歌王チョー・ヨンピルに迫る若い才能が生まれた年と記している。まさにイ・ソンヒを象徴する、歌謡界の水準が向上した年であった。

(本ブログ関連:”1984年”)
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・・・、(1984年)7月29日開かれた第5回「江辺歌謡祭」を通じて登場したイ・ソンヒは、大賞曲「Jへ」でこの年のシンデレラになった本来、「4幕5場」という混成デュエットの一員で歌謡祭に参加したイ・ソンヒは、圧倒的な歌唱力でチームの大賞を導いた歌謡祭後、足早くソロでデビューした彼女は、結局「Jへ」一曲でMBC「10代歌手歌謡祭」の3冠王(10代歌手賞、女新人歌手賞、最高人気歌謡賞)になる。男性の新人のうちでは、ハンサムな容貌に独特の唱法が印象的だったボリビア僑胞(海外在住韓国人)歌手イム・ビョンス(임병수)が注目された。特に、彼の独特のバイブレーションは、「ヤギ唱法」という新造語まで作り出した。

この年、男性歌手のうちユン・スイル(윤수일)の活躍も眩しかった。年初「アパート」の熱気を下半期、軽快なロック ナンバー「美しくて」に継続した。彼は、当時我が国では試みたことがない、いわゆるシティ・ロック音楽で自分だけの牙城を構築した。
女性新人歌手のうちには、たとえイ・ソンヒの突風で色があせたのだが、清純で可愛いイメージのチェ・ヘヨン(최혜영)も人気であった。1月1日「若さの行進]」をデビュー舞台で活動を始めた彼女は、「それは人生」で一気にスターダムに上がった。もし、イ・ソンヒが登場しなかったら、彼女の新人歌手賞受賞は当然の結果だっただろう。
最後に、1984年歌謡界で表面的には眺望されなかった最も大きい変化であり特徴は、歌手の上向き平準化現象だ。すなわち、全般的に歌手の水準が向上したのだ。例えば、以前には誰もチョー・ヨンピルの牙城に届かなかった。大衆的な人気だけでなく音楽的にもそうだった。それだけ、チョー・ヨンピルは先んじていた。だが、この年を基点にして、チョー・ヨンピルとはまた他の、個性と音楽性を持つ歌手が、次から次へ登場し始めた

それと共に歌謡界は、また他のルネサンスを迎える準備をしていた。
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(Youtubeに登録のwindmillsofmusic、soya iに感謝)