いやいや、大したことじゃないけれど、図書館で読書室の席に座ったときのこと、メガネがないのに気付いた。ここに来る途中、昼飯を食った店に置き忘れたのだろうか、一瞬焦った。店に戻ってみなければならないのかと気持ちが滅入る。そのとき、机上のカバンの陰にメガネが見えた。
考えてみりゃ、分かりそうなこと。メガネなしに来るはずがないじゃないか。しかし慌てると、そうはいかない。頭の中で記憶をグルグル巻き戻すも、答えが簡単に見つかるはずもなかったが。偶然に、ふと見つかって安心した。メガネを頭の上に置いて気付かなかったよりは、少しましと納得する。
自身のことは自己責任。原因が手元よりも遠くにあるよう解釈すると大間違いをする。まずは、1cmから、一歩から、辺りを謙虚に見回す。自身の行動と結果だけなら、こんな按配でだいたい解決できる。
ところが、他人を介した場合は厄介だ。自身の記憶が、他人の行動でぷっつり切れるからだ。他人と自身が繫がる局面で、しっかり相互確認するしかない。日常では、そんな引継ぎ確認をすることはまずない。だから、ややこしいことになる。
ビジネスでは、社内のワークフローが電子化され、ドキュメントにして記録が残る。だから、うっかりミスは判別される。したのか・しなかったのか、確認したのか・しなかったのか。そんなとき、電子化は便利だ。ワークフロ-の繋ぎ目は、社内で公開もできる。
インフォーマルなレベルのやり取りも公知できる。会社の中だけならそれでもよいが、インターネットでは衆知になり記録が永く残ってしまう。どれくらい意識されているのか大変気になる。