久し振りのイ・ソンヒコンサート、熱気と興奮もようやく落ち着いた。歳をとると、精神も肉体も機敏でなくなるが、その分、余韻も残る。いいことかどうか良く分からぬが。
ソウルをタクシーで回ったとき、東京の都心と錯覚する。変哲のない、人と自動車の機能的な都市なのだ。むしろ、わたしにとっては気楽である。
子どものころ旅行の思い出に、父のカメラを借りて風景写真を撮ったとき、画面に人の気配を排した。自然の美しさだけを捉えたいと思ったからだ。
景色を焼き付けようとしたが、いざ振り返って自分が見たのは、果たして目で見たものか、それともカメラのファインダーのものかと不安になった。
旅人の、思い出の景色は、何よりも目で見たものではないか。そして、記憶を補うためにカメラを使うなら、その光景で出会った、同じ時間を共有したひとびとの姿も大切にしたいと思うようになった。
公園で、桜の花を見て、「年年歳歳花相似 歳歳年年人不同」と気付いたのは、カメラを通してではなかった。今年の桜に、その想いが一瞬したのは、桜の風が吹いたときだった。