きょうの天候は、たいそう重い。夕方降り始めた雨は、深夜(22時ころ)に土砂降りになるという。
いつも不思議なことに、武蔵野台地の特殊さ故か、大事にならず済んでいるのだが、今回は少々心配な天気予報だ。
午前中は幸いに天候が持ちこたえてくれた。そのタイミングに開催された、市民向け公開講座「江戸の食文化とその特質」(講師 江戸東京たてもの園 園長 (学芸員) 市川 寛氏)に参加した。
休憩を挟んで2時間のお話ながら、専門の古文書研究の立場から、江戸時代の庶民でにぎわう江戸市中に蕎麦屋がいかに登場したかを、古文書資料をもとに分かりやすく平易に解説いただいた。(今回は、平日午前中なので、聴講者の大方は私を含めて年配者ばかり)
解説頂いたポイント(私なりに感じたことだが)
① 武士階級に直結する文化に「お抱え絵師による絵」や「能」があるのに対して、庶民に直結するものに「浮世絵師の浮世絵」や「歌舞伎」があった。浮世絵師の葛飾北斎の存在は、日本文化の独自性(庶民の反応から生まれた)といえる。
ー 明治維新の際、低評価された江戸文化が海外で評価された結果、今は再評価されている。
➁ 蒲焼、天婦羅、蕎麦、寿司などは、庶民の中からふくらんだ食べ物で、今に進化した。
ー 「うま味」の発見。仏教以前から獣食を忌避した日本人は、海産物により味覚を育てた。
③ 「だし」を使った料理に蕎麦がある。
ー 「そばがき」⇒「そばきり(現代の形)」⇒「蕎麦(具材を含む)」へと発展した。
④ 蕎麦は当初、下層の庶民(旅人、職人、奉公人)のものだったが、武士も食すようになる。
ー 蕎麦食いの特徴に、「けんどん」という一人で食べるスタイルがある。(都市化)
⑤ 蕎麦屋は、売掛中心の「店舗商店」で売られたが、やがて「辻売り」の定価販売になった。
ー 奉行所に店舗側から、辻売りを不服に上伸がされたようだが。辻売りは大いに普及した。
⑥ 安価な路上の辻売りは、競争が激しく(今のラーメン店のように)味の向上がはかられた。
ー 薄利多売、二八蕎麦は(安値の)定価販売だった。味が勝負となる。
以上、庶民の中で育った蕎麦食は、日本人の味覚を育てた。明治以降の外来食も日本化することになった。市川氏は「インド人が、浅草で日本のカレーを食べて、『これは何という料理ですか?』とたずねた」といって笑いをとられた。