「月」の話題の始めに、中国宋代の詩人”蘇東坡(そとうば)”について次のような紹介から始まった。
・蘇東坡は本名を”蘇軾(そしょく)”といい、父親の”蘇洵”、弟の”蘇轍”と共に”三蘇”と呼ばれた。彼らは唐・宋の八大家に属したことから、蘇家の文学的資質が察せられる。それだけに災いに巻き込まれることも多く、蘇東坡は、権力者の目に届かぬ処に長く流刑の身を強いられた。過酷な人生が、皮肉にも文人としての才能を開花させた。
陰暦の”ボルム(보름)”、つまり15日の最も明るい満月で知られるが、実は翌16日頃が一番丸く明るい。こうした月を眺め、ゆったり流れる川に船を浮かべ、客人と酒を酌み交わしながらうたった詩が、蘇東坡の代表作「赤壁賦」だ。
▼「赤壁賦(적벽부)」を聴く。水の流れが速いのかな、軽快なテンポで進む・・・。
壬戌之秋 | 壬戌(みずのえいぬ)の秋 | ||
七月既望 | (陰暦)七月の既望(十六日) | ||
蘇子與客泛舟 | 蘇子、客と舟を浮べて | ||
遊於赤壁之下 | 赤壁の下に遊んでいるとき | ||
清風徐來 | 清風(澄んだ風)が、徐(おもむ)ろに吹いて来て | ||
水波不興 | 水波は興らず穏やかだ。 | ||
舉酒屬客 | 酒杯を挙げて客に勧め | ||
誦明月之詩 | (詩経にある)”明月の詩”を誦し(歌い) | ||
歌窈窕之章 | ”窈窕の章”を歌うとき | ||
少焉月出於東山之上 | 少焉(やがて)、月が東の山の上に出(い)でて、 | ||
徘徊於斗牛之間 | 斗牛(北斗七星)の間を過ぎていった。 | ||
白露横江、水光接天白露 | 白露(霧)が江(川)に横たわり、水光(水の色)は空に写っていた。 |
・まさに風流と言える。月が明るくきれいに照らす夜は、 蘇東坡でなくても感情が豊かになり、詩の一編もしたためたくなる。韓国にも同じく、月の夜の情景を詠んだ詩が数多く残されている。その中でシジョ(時調、시조)として今も歌われる作品「月正明(월정명)」がある。
月が本当に明るくて、秋の川に船を浮かべてみた。
子供に川の中の明月を取り出して、
月見をさせてやりたいものだ。
▼時調「月正明」を聴く。月に照らされ振り返って見れば、長く伸びた自身の影に驚くよう。
月についての民族性と満月の夜の催しについて次のように説明された。
・昔は陰暦を基準に生活した。月の満ち欠けから歳月の流れを推察し、天に向かいチェサ(祭祀、제사)を行ったりした。強い熱と光を持つ太陽が男性を象徴し、穏やかでほんのりとした月は女性を象徴した。そのため、月は多産や豊作を意味した。
月が最も明るい旧暦1月と8月の15日に、大切な名節も位置づけられ、この時期、今も各地で豊年を祈願する様々な催しが行なわれる。
月の明るい秋の夜、思い浮かぶのは、懐かしい人々の顔ではないか。男唱歌曲のオルラク(言楽、언락)もこうした月の夜に恋しい人を思う心情を歌った一曲で、明るい月が庭を照らし、窓に木の陰が揺れるだけでも胸がときめく、と歌っている。
▼男唱歌曲「オルラク(언락)」を聴く。揺ったりして優雅・・・随分とソフィストケートされている。