先日(9/27)、「スポーツ韓国」の紙面(1991年3月8日~4月5日)に連載された、イ・ソンヒ27歳当時の「スター・ストーリー」記事の目次を紹介したが、その第2回目をここに載せたい。感謝。
(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒ(27歳当時)の「スター・ストーリー」”、”資料:이선희 Profile”)
[2] 私が三歳も若く生きることになった理由
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小さいことは美しいんですって?
わたしは背が小さくて、
あなたはわたしを見おろしているじゃない。
まるで、小さな子どもを相手にするように、
あなたはわたしを子ども扱いする。
けれど、わたしは大人よ。
それでも、あなたの前ではどうしようもありません。
胸がドキドキするのに、
顔が赤らむのに、
何の文句を言うことができないのです。
大きくなりたいです。
あなたの心の中で。
あなたの寝ついた間に、こんなに大きくなって、
朝になったら、あなたは見つけるでしょう。
手に負えないほど大きくなってしまったわたしを。
私の自作詩「小さな不満(조그마한 불평)」の全文だ。
私は(陰暦)1964年11月11日、忠清南道保寧郡珠山面篁栗里257番地に生まれた。
父(이종규、54歳)、母(최병문、.52歳)は、私が最初の子供なのでそれとなく息子であることを期待したようだ。
更に母の胎夢は唐辛子畑で草取りするものであり、父は裏山で虎が家の垣根の中に入ってくる夢を見たので、内心息子であることを確信したという。
(参考)「(資料)胎夢」
「唐辛子」は言うまでもなく、「虎」も勇敢な男児の象徴だから、息子を望んだのもそれほど無理はなかったと思う。
いずれにせよ私は女の子で世の中に出てきて、山の神を意味する虎の夢のために、私の名前には、神仙の「仙」が入るようになった。
(参考)イ・ソンヒの漢字名は「李仙姫」である。
娘が生まれただけでも残念なのに、新生児のときの私の姿は、それこそまともに一人前に用を果たすことができるかと疑がわれほどに、「姿」が言葉にならなかったという。両親によると、頭の大きさが体の正確に2倍だった。
私の戸籍上の生年月日は、1967年3月10日である。出生届は3年も遅れたのだ。
書類上は、この世で3年の間、存在していなかった他ならぬ私であり、みれば自然に色々な憶測も多かった。
(参考)修正届けの遅れは、後の彼女のソウル市議会議員選挙立候補で問題となった。
未熟児なのですぐに死ぬと早合点をして、最初から出生届を先送りしたとか、あるいは戸籍上には64年生まれになっているが67年生まれのふりをして通しているとか・・・。
不本意ながら、なんと三歳も若返ることができた根本的な原因は、祖母と父との間の「コミュニケーション上の錯誤」だった。
その時も今も、常に寺と家を行き来している父は、私が生まれた直後に再び入山した。寺に入った父は、祖母に出生届けを頼んだので、当然戸籍に登載(登録)されていると考えていて、祖母は、昔の田舎の老人たちが当然そうであるように、うっかり忘れていたという。
そのせいで67年に生まれた私の弟も、私の戸籍上の年齢に合わせて出生届を1年遅らせなければならなかった。
大学卒業後、繊維芸術系で働いている弟は、私のために一才ほど減ってしまったことを返って幸いに思っている。 1年の浪人の末に大学に入ったが、各種の書類上は明らかに私の年齢で入学したわけだ。
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