最近、公園の木々が、黄緑色の新芽から緑色へと一段と深く成長した気がする。「母の日」の今日、夏のような陽射しを受けて公園を歩くと、広場の草原で幼い子どもたちと遊ぶ家族連れの姿が目に入る。活き活きした若い家族は緑の葉に似て、いいなとつくづく思う。
赤ん坊連れの場合、若い母親は前に抱く*のが一般的だ。考えてみれば、私の子ども時代はおんぶされたものだ。背中がふっくら膨らみ、母親の襟元に子どもの顔が覗き見えた。セピア色した写真に、私が背負われているものがある。
(* 今様に抱くための紐を「ベビーキャリア(抱っこひも)」というらしい)
昔、母が遠くの親類を訪ねたとき、背中の私が、「お母さん疲れた? ぼく疲れてないよ」と言ったそうだ。私が一体どれくらいの頃だったのだろうか。曖昧になってしまったが、でも、後にそれを口にしたときの母の表情は忘れない。
幼い私が発した言葉がそのときどうだったか、記憶にあるわけもない。お前がそう言ったのだよと語られることで、物語が生まれるような気がする。それが記憶なのかもしれない。
(本ブログ関連:”母の日”)