今週通った教室で、ある受講者が外国の古い映画の上映会を紹介した。その映画監督について研究しているという。私にしてみれば、もともと映画そのものに関心の低い素人であり、監督の名も初めて聞いたこともあって、逆にどういうものか興味しんしんに、まさに今日の上映会に出かけてみた。
芸術に対してリアリズムを要求した国の、創成期の(プロパガンダ)映画といっていいのかもしれない。驚いたことに、恋のさやあて部分だけ見ると、いずれ将来敵対することになるであろう国の同時期の映画と(余りに)違わぬ雰囲気がした。つまり、国家創成期には、映画についてさまざまな試行があったのだろうけれど、本作品は受け入れられず、監督は時代からはじかれたようだ。結果、「フィルムは一般公開されることはなかった」という。
(映画研究者の発掘精神に、情熱に感嘆しました)
映画上映後、同監督の映画作品についてシンポジウムがあった。今回の映画がテーマとした分野についての研究者たちによるもので、その(特定の)分野に関心ある方には有意だったかもしれない。とはいえ、研究者間に若干の論戦があって、テーマだけでなく映画や歴史の捕らえ方に違いが見えたりしたのが興味深かった。
それは、一方で、情報化時代の認識のような、もっといえば事象全てを同質に粒状にとらえて、それぞれに認識の差を置かないといったとらえ方と、もう一方、(確実に変遷した)歴史認識を背景にしてとらえようとする見方との相違といっていいかも知れない。
映画製作の当時、(すぐに)緊張関係になった対局する近隣二国がそれぞれ芸術に求めたのに、方や「リアリズム」を、もう方や「純正(純粋)」を標語しながら、その造形においてかなり近い表現を感じたことがある。素人の視覚でしかないが・・・。
(付記)
映画会が催された御茶ノ水のエリアにある、キリスト教関連の書店で、「ユダヤ教 歴史・信仰・文化」(G.シュテンベルガー著)を購入。ユダヤ教徒の日常行動が読み取れるような基本理解に合った内容だそうだ。
・東欧ではすでに三歳の子供はヘデル(寺子屋)に通うのが普通になっていた。
・男子の教育は他民族と比べて早期に行なわれていた。