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2025年3月10日月曜日

(雑談)若い女性の喋り方と、前髪をたらすこと

最近の若い男性アイドル、タレントや歌手に、どこの影響を受けたのか薄化粧して前髪をたらしている者が多数見られる。作る者がいて、演じ表現する者がいて、見る者がいる・・・まあ、ビジネスだろうけれど。

一方、若い女性の場合、欧米との違いでよく言われることがある。
❶ わりあい声のトーンが高いという。随分以前からのような気がする。女性の本能で、若く・幼く見られたい、そう聞かれたいという願望だろうか。
❷ 前髪をたらす(額を隠す)のも同様で、小顔(童顔)に見られたいという願望か、欧米経験者からよく指摘される。


喋り方、声のトーンについてネット上で調べてみた。

■ 東洋経済オンライン
「日本人女性の声は、なぜこうも『高音』なのか」(音・人・心 研究所理事 山粼広子氏、2018年7月8日 6時0分)より抜粋
https://news.livedoor.com/article/detail/14979655/
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──日本人女性の声は高いとも。
多くの国で調べてきたが、声の高さは世界一だ。それも本来の地声よりも高い声を作って話す。地声はそれほど高くはない。最近は体格がよくなり、声帯が短いわけもなく、本来は落ち着いた低い声が十分に出るはずが、それを隠して作り物の高い声で話す
  ・・・・・
最近の日本人女性は、本来なら230~240ヘルツで話すべき抑揚を300~350ヘルツの高いところに持っていく。これは不自然。
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■ 生成AI Gemini
若い女性の喋り方について、Q&Aをしてみた。
Q.日本の若い女性の喋り方で、若く幼く聞こえるように、唇を開けたまま発音しているように聞こえますがどうでしょうか?
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A.ご指摘の通り、若い女性の話し方で、若く幼く聞こえるように、唇を開けたまま発音しているように聞こえる現象は存在します。これは、以下のような要因が考えられます。

1. 音声模倣と憧れ:
・若い女性は、メディアや周囲の同年代の女性の話し方を無意識に模倣することがあります。
・特定のアイドルやアニメキャラクターのような、若く可愛らしいとされる話し方に憧れ真似ることで、自身もそうありたいという願望が表れることがあります。

2. 心理的要因:
・若く見られたい、可愛く見られたいという心理が、幼い印象を与える話し方につながることがあります。
・相手に親近感を与えたい、甘えたいという気持ちから、意図的に幼い話し方を選ぶこともあります。

3. 社会的要因:
・現代の日本では、若い女性に対して「可愛らしさ」が求められる傾向があり、それが話し方にも影響を与えていると考えられます。
・SNSなどの普及により、より視覚的に「可愛らしさ」を意識する機会が増え、それが音声表現にも影響している可能性があります。

4. 実際の音声的特徴:
具体的には、以下のような音声的特徴が挙げられます。
口角を上げ、口を大きく開けて発音する
語尾を伸ばしたり、上げたりする
声のトーンを高くする
「〜ですぅ」「〜ますぅ」のように、語尾に「う」をつける
これらの要因が複合的に作用し、若い女性の話し方に特徴的な傾向が現れていると考えられます。

ただし、これらの特徴はあくまで一般的な傾向であり、全ての若い女性に当てはまるわけではありません。また、時代や地域によっても変化する可能性があります。
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髪形のファッションは変遷するので確かなことでないが、「前髪をたらす」について、以前こんな歌があった。

ロカビリー歌手でもあった平尾昌晃(1937年〈昭和12年〉~ 2017年〈平成29年〉)が作詞・作曲して歌った「ミヨちゃん」(1960年)の歌詞の一番に「前髪たらした かわいい娘(こ)」がある。ニキビ面の男子高校生にとって、愛おしさにあふれている姿が見えるでないか。でも、結局・・・。

■ Youtube(登録: GSiloveyou)
「平尾昌章/ミヨチャン (1960年)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=r6JFimPSZsI
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僕のかわいい  ミヨちゃんは
色が白くて  ちっちゃくて
前髪たらした  かわいい娘
あの娘は  高校二年生
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2025年3月8日土曜日

三八式

むかし勤めていた会社の部門に、親入社員が配属された。寡黙で仕事を着実にこなす有能な若者だった。みなが雑談していたとき、わたしが戦争の話を(子どものころ見たテレビの記憶映画をもとに)していたとき、その若者から「戦争に行ったのですか?」と問われたことがある。たしかに、彼から見れば年配であり、話しぶりからそう思ったのかもしれない。

きょうは、3月8日でサンパチなので、サンパチにちなんだ話をひとつ。

わたしが若いころ、職場で年配社員の方から(こちらは事実だが)戦争経験を聴いた。今も記憶に残っていることがある。歩兵銃(三八式歩兵銃だったのだろう)の射撃の話だ。同ライフル銃は、弾を一発ずつ発射した。連射できないことを、上官から、むしろ一発ずつ精神を込めて撃つことの重要性(意義)をいわれたそうだ。戦況が逼迫し、弾薬が不足する段階でのことで、精神主義が物量主義を上回ってしまっていたのだろう。

そんな歩兵銃を携えていた戦場が何処だったのか、聞いたはずなのに忘れてしまった。わたしの父もそうだったろうが、よくぞ生き延びたものと、この歳になってつくづく思う。

(本ブログ関連:”ひまわり(映画)”)

2025年3月7日金曜日

三大香木

今朝のNHKテレビの情報番組で、気象予報士の方から「三大香木」のクイズが出された。ヒントとして、パネルに「春(ジンチョウゲ)」があり、残りの「夏(?)」、「秋(?)」について問うたものだった。花から香りを発する樹木を想い描いても、季節と合わせると戸惑う。寒い冬を乗り切った早春の「ジンチョウゲ」は季節と一致するのだが・・・。

花の香り
三大香木の正解は、春の沈丁花(ジンチョウゲ)、夏の梔子(クチナシ)、秋の金木犀(キンモクセイ)の3つで、春・夏・秋それぞれの季節に、強い香りの花を漂わせる。散歩で見つけることができる身近な樹々だ。
● ジンチョウゲは、小学校の生垣に並んだ「カイヅカイブキ」(ヒノキ科)の隙間に植わっていたが・・・なぜか伐採されてしまった。赤を滲ませた白い小さな花(萼片)の集まりがあちこちに咲く。花期は2~4月。
クチナシは、公園入口に、気付けばそこに居るようにひっそり植わっている。白い花弁が咲き、香りは他と比べて穏やかで、爽やかである。花期は6~7月。
キンモクセイの樹高は、ジンチョウゲが1~1.5m、クチナシが1~3mと比べて、とても高く、10~18mに達する。「江戸東京たてもの園」入口の両側に立つキンモクセイは圧巻で、オレンジ色の小花が房状に集まり、木全体を飾る。花期は9~10月。

(本ブログ関連:”ジンチョウゲ”、”クチナシ”、”キンモクセイ”)

■ Youtube(登録: high_note Music Lounge)
「春よ、来い - 松任谷由実(フル)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=gol5dFrv4Ao


木の香り(香木)
ところで、樹自体が香りを発する<香木>については、名前を聴いたことがあるが、嗅いだ記憶は朧ろだ。とても高価なもののようで、線香などを通じてありがたみを感じただけかもしれない。Wikipediaに、次のものがあげられている。
● 白檀(ビャクダン): 熱を加えなくても香気を発する特徴があり、線香のほかか、数珠や扇子、仏像等の工芸品に使用されているそうだ。
● 沈香(ジンコウ): 白檀とは異なり熱を加え焚くことで放香するそうだ。
● 伽羅(キャラ): 沈香の最高級品だそうだ。

香道
聞いたことはあるが接したことのない趣味に「香道」があり、上記の白檀、沈香、伽羅は重要な香木として扱われるそうだ。ただし、貴族的で高踏趣味のようなので、近づくには気が引ける。
ー AIのGeminiに聞くと、入門で数万円、本格的に始めると数十万円から数百万円以上とのこと。

2025年3月5日水曜日

啓蟄 2025

昨夜来の「氷雨」は、早朝には落ち着いたようだ。黒く濡れた通りに雨はないものの、家々の雨樋(あまとい)を伝わって水の滴る音がする。見上げると、屋根に雪が残っているのが見える。どうやら(天気予報の通り)、夜中に雪が積もったらしい。

先週の暖かさが嘘のようだ。寒暖の繰り返しが当分続くのだろうか。少々気が休まらない。

きょうは、二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」。冬に土中にこもっていた虫が、穴から出てくるころ。啓蟄について、江戸時代の「暦便覧」*(著者 太玄斎、出版者 蔦屋重三郎[ほか1名]、出版年 天明7年)に、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、あな(穴)をひらき出ればなり」と記されている。
(*)国立国会図書館デジタルコレクション
    ー https://dl.ndl.go.jp/pid/2536637/1/7

(本ブログ関連:”啓蟄”)

きょうの天気に、地中の虫たちは出番をあぐねていることだろう。それを押し出すのが、この時期(啓蟄)の雷(初雷)で、「虫出しの雷」というそうだ。たしかに、落雷は樹の幹を吹き飛ばしたり、地面を這うように広がり危険。地中の虫たちたまったものじゃないだろう。

七十二候
二十四節気の「啓蟄」の間を、三つに分けた「七十二候」は次の通り。
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・初候: 蟄虫啓戸(ちっちゅう とを ひらく) 冬籠りの虫が姿を現しだす。
・次候: 桃始笑(もも はじめて わらう) 桃の花が咲き始める。
・末候: 菜虫化蝶(なむし ちょうと けす) 青虫**が蛹(さなぎ)となり、羽化して蝶に生まれ変わる
 (**)青虫:アブラナ科の野菜につく昆虫(害虫)を指す。
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(付記)
① 生成AI「Gemini」
啓蟄の頃に活動を始める主な昆虫を問うてみたところ、(土中に棲むものとしては)クロアリアミメアリダンゴムシなどをあげた。

② ウェザーニュース
七十二候の「蟄虫啓戸」にある「虫」は、昆虫に限らず冬ごもりから目覚めたいろいろな生命をあらわすという。
「二十四節気『啓蟄』 虫も山も笑顔になる時季!?」(2022/03/05)
    ー https://weathernews.jp/s/topics/202202/280125/
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啓蟄の「啓」は「開く」の意で、「蟄」は「冬の間、地中に閉じこもっている虫」のことです。この場合の「虫」は昆虫に限らずヘビカゲカエルなども含みます。つまり「啓蟄」は「冬ごもりをしていた昆虫などが地上に這い出ること」を意味します。
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2025年3月4日火曜日

(資料)Gemini:「端唄」の旋律について

Googleの生成AI Gemini に、端唄の旋律について、西洋音楽との違いを問うてみた。
結論として、端唄では、「言葉が持つニュアンスや感情」を重視して伴奏する。ただし、旋律が「唄の節とは異なっているのも大きな特徴」とのこと。

(本ブログ関連:”端唄”)

Gemini とのQ&A
Q.「端唄」は、西洋音楽のような旋律を繰り返すというより、歌詞の言葉に沿って旋律をつけるように聞こえますが、どうでしょうか?
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A.おっしゃる通り、端唄は西洋音楽とは異なる旋律の付け方をしています。その特徴は、以下の点が挙げられます。

1. 歌詞に寄り添う旋律
端唄は、歌詞の言葉の意味や情景を大切にし、それに合わせて旋律が作られています。
● そのため、歌詞の一つ一つの言葉が持つニュアンスや感情が、旋律を通して表現されます。
西洋音楽のように、旋律の繰り返し形式美を追求するよりも、歌詞の内容を重視する傾向があります。

2. 短い曲の中に込められた情景
端唄は、短い曲の中に季節の風物や男女の恋模様などを表現します。
● 限られた時間の中で、情景や感情を豊かに表現するために、歌詞と旋律が密接に結びついています。

3. 三味線との調和
端唄は、三味線の伴奏に合わせて歌われます。
三味線の音色やリズムも、歌詞や旋律と調和し、曲全体の雰囲気を盛り上げます。
三味線の旋律が、唄の節とは異なっているのも大きな特徴です。

4. 庶民的な音楽
端唄は、江戸時代の庶民の間で流行した音楽です。
● そのため、歌詞も旋律も、庶民の生活や感情に寄り添ったものが多くなっています。

これらの特徴から、端唄は歌詞の内容を重視し言葉の意味や情景に合わせて旋律が作られていると言えます。
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2025年3月3日月曜日

春雨

「雛祭り」のきょう、一日雨と雪で冷える。
(追記-1)いつ降り始めたのか、午後2時に外を見ると、ぼた雪が濡れた道に降っていた。
(追記-2)午後4時前に見たら、雨に変わって雪は積もっていなかった。(同時刻、都心で雪が降っていたりした)
(追記-3)明晩~あさっての朝方、大雪の恐れがあるとのこと。

子どものころ、時代劇の映画が身近だったため、社宅の空き地でチャンバラごっこをして遊んだものだ。どんなふうに切られ、倒れるかを競い合った。だから今でも、時代劇の果たし合いのシーンを見ると、敵役がどのように討たれるのか興味が湧く。

春に小雨が降りだすと、少々濡れても平気だと月形半平太を気取って「春雨じゃ、濡れてまいろう」といったもんだ。子どもは雨に無敵である。どしゃ降りになっても遊び続けたいのだが、泥だらけで帰宅すると小言をもらうので、適当に切り上げることになるのだが。

(本ブログ関連:”春雨じゃ、濡れてまいろう”)

ところで、欧米人には傘をささない習慣があるらしい。生成AIの「ChatGPT」や「Gemini」に聞いてみると、霧雨が多いから、雨が降ってもすぐ乾燥するから、服装に違いがあるからなどさまざま回答がある。そんな欧米人も、日本旅行で来て、傘無しではすまないだろうと推測する。日本の雨はちょっと違う。

きょうの雨を、「春の雨」というか「春雨」というか。ネット上にさまざま定義があるようだが、濡れて行くにはちと寒い。鳥もどこかで雨宿りしていることだろう。

春の訪れを指す、取り合わせのよい「ウグイス」と「ウメ」を歌った、江戸の「端唄」に「春雨」がある(「江戸端唄集」(倉田喜弘編、岩波文庫)より)。端唄としては、おもう相手に飛び込んでいきたいのだろう・・・。
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はるさめに しっぽりぬるゝ鶯(うぐいす)の  羽かぜに匂う 梅が香の(や)  花にたはぶれ しほらしや  小鳥でさへも 一とすじに  ねぐらさだめる気はひとつ   わたしや鶯 ぬしは梅  やがて身まゝ  気まゝになるならば  サァ 鶯宿梅*(おうしゅくばい)じやないかいな   さっさ なんでもよいわいな
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(*)村上天皇が紀貫之の娘の家にある梅の木の移植を求めたとき、娘が鶯の宿る梅をいかにと問うた歌によるという。

■ Youtube(登録:朝川玲伎
「端唄 春雨 朝川玲伎」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=ZImXK9vPzJ0

2025年3月2日日曜日

早春賦

3月から、気象庁の季節区分で「春」(3月~5月)が始まる。きょうの最高気温は、21.2℃(15:19)、ちなみに昨日は、20.4℃(13:51)と春爛漫(はるらんまん)の気配すらした。ところが、あすから急激に気温は低下して、今週末まで冬に逆戻りするようだ。もしかしたら、降雪の可能性まであるという。まさに、名のみの春だ。

ここ数日、春の気分に浮かれたが、そういってばかりいられない。早春の長野の安曇野一帯を歌った唱歌「早春賦」*(作詞 吉丸一昌、作曲 中田章、大正2年:1913年)がある。まだまだ辺りには雪が残り、春の訪れが待ち遠しい。
(*)「早春賦」の「賦」とは、早春の詩歌を詠(うた)うの意)

(本ブログ関連:”早春賦”)

この歌を「由紀さおり安田祥子」の姉妹が歌っている映像がYotubeにある。姉(安田)がソプラノ歌手、妹(由紀)がポピュラー歌手であるが、しっとりと聞き取りやすい歌唱で語ってくれる。
一般に、ソプラノ歌手が唱歌を歌うとき、オペラ風のベルカント唱法で聞かされると、堅苦しくなる。音大出身者が学校の音楽教育にたずさわっているためか、唱歌の持つ日本語の響きを忘られることがある。その点、上記デュエットは安心して聞かせていただける。

■ Youtube(登録:yuki061301)
「早春賦 - 由紀さおり(Saori Yuki) & 安田祥子(Sachiko Yasuda)」・・・ 1,3番を歌う
    ー https://www.youtube.com/watch?v=_1-dS6MF0Vw


Googleの生成AI「Gemini」
そこで、この歌の歌詞について、生成AI「Gemini」に解説を頼んでみた。ネット上の複数の解説を元にしたと思われるところがあるが・・・。
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唱歌「早春賦」の歌詞解説ですね。この歌は、春の訪れを待ち望む気持ちと、まだ寒い早春の情景対比させて歌った美しい歌です。歌詞を紐解きながら、その情景や込められた意味を解説していきます。

歌詞と解説

一番
春は名のみの 風の寒さや                  暦の上では春とはいえ、吹く風はまだ冷たい。
谷の鶯 歌は思えど                           谷のウグイスも、歌いたい気持ちはあるだろうが。
時にあらずと 声も立てず                  まだその時ではないと、鳴くのを我慢している。
時にあらずと 声も立てず                   (繰り返し)

二番
氷解け去り 葦は角ぐむ                     氷は溶け、葦の芽も出始める。
さては時ぞと 思うあやにく               さあ春だと期待するものの、残念なことに。
今日も昨日も 雪の空                        今日も昨日も、雪が降る空模様。
今日も昨日も 雪の空                         (繰り返し)

三番
春と聞かねば 知らでありしを            春と聞かなければ、気にも留めなかったであろうに。
聞けば急(せ)かるる 胸の思いを      春が来ると聞くと、待ちきれない気持ちが募る。
いかにせよとの この頃か                  この気持ちをどうすればよいのだろうか。
いかにせよとの この頃か                   (繰り返し)

歌の情景と心情
・この歌は、冬から春への季節の移り変わりを、繊細な言葉で表現しています。
・一番では、春の訪れを待ちながらも、まだ寒い現実が描かれています。
・二番では、少しずつ春の兆しが見え始めるものの、再び寒さが戻ってくる様子が歌われています。
・三番では、春を待ち望む気持ちが、切実に表現されています。

歌に込められた意味
・この歌は、自然の美しさとともに、人間の心情を豊かに表現しています。
・季節の移り変わりの中で、希望と焦燥が入り混じる複雑な感情を歌い上げています。
・「早春賦」は、1913年に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌です。2006年から2007年にかけて文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれています。

この解説が、歌の理解を深める一助となれば幸いです。
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2025年3月1日土曜日

野鳥観察(79)

早朝、野鳥観察(探鳥会:月2回開催)へ出かける。すでに太陽が昇った(6:12)18分後のこと、外はすでに明るい。おかげで、実際の気温(約4.5℃)より温かみを感じてしまう。前回(2/22)の探鳥会を欠席したので、今回はしっかり起床して出席した。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

集合場所手前の橋を渡るとき、すでに集まった参加者から川岸に「クイナ」がいると教えられ、橋から観察した。前々回(1/25)も同様に、集合直前に橋の上から目撃している。

晴天が長く続いたせいで、公園を流れる小川が水が涸れ*したようだ。あちこちで水底が顔を出している。少しでも水だまりがあると、そこに水鳥が集まる。移動のために飛ぶ姿をみると残念な思いがする。
(*)水路を改修したとき、砂礫層の上を走らせたようで、水が地下に滲み込みやすくなっていると聞いたことがある。

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものから、次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・モズ: ベテランの方に指差されて、隣接の自動車教習所との境にある木の上に姿を見た
・キジバト: 樹上をサッと横切る
・ヒヨドリ: 鳴き声をあげながら、樹上をサッと飛び抜ける
・ツグミ: 枯れ葉が敷き詰められた地面をつつきながら餌を探していた
・ヤマガラ: 樹上にとまっているのを撮った(下記写真)
・ムクドリ: 多数群れていて、地面と上空を行ったり来たりして落ち着かない
・カワセミ: 小川の岸辺の枯れ木の枝にとまって、羽を休めていた(下記写真)
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・クイナ: 集合場所に着く直前、小川の岸辺でエサを探す様子を撮った(下記写真)
・カルガモ: 少ない水場に浮かんでいるのを撮った(今回掲載せず)
・コサギ: 1羽いて、後から来た1羽と合流せず、互いに分かれて飛び去った(下記写真)
・ダイサギ: 1羽、ゆったりと水溜りを横断していた(下記写真)
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・ツバキ: テレビの解説であったように、花が下向きに咲いていた(鳥媒:頭を潜らせる)


ツグミ(写真左)、ヒヨドリ(写真中央)、ヤマガラ(写真右)
・隣接の自動車教習所との境にある枯葉の絨毯の上を「ツグミ」が1羽餌を探していた。
・みなが指さした樹上に、ゆったり腰を下ろしている「ヒヨドリ」がおもしろい。
・逆光のせいで、黒色の頭頂やレンガ色の腹部が影になったが、よく見れば「ヤマガラ」と分かる。



クイナ(写真左)、コサギ(写真中央左)、ダイサギ(写真中央右)、カワセミ(写真右)
・集合場所の手前の橋から、つまり朝7時ころ、小川に「クイナ」の姿を何度も見かける。
・小型で黒い嘴から「コサギ」とすぐわかる。珍しく2羽同時に見られたが、競争相手か?
・「ダイサギ」は、さすがに大きい。嘴の口角が目より奥に続く。
・久し振りのヒット。「カワセミ」の写真をこんなにもうまく鮮明に撮れたのは初めて。


(追記)
幹事さんから、本日の結果がメールで知らされた。その中で、「ムクドリ」、「カワラヒワ」のカウントがトップである。上記にムクドリについて記したが、カワラヒワは目視したが大群の群れに目が定まらず曖昧なまま終わったので記していない。

2025年2月28日金曜日

きょうで2月も終わり

今年もあっというまに過ぎている・・・過ぎたむかしを含めて遠くへ行ってしまう。まるで列車の車窓からながめる景色のようで、今しか見えない。未来も、窓ガラスに遮られてよく分からない。列車が大きくカーブしない限り、車内にじっと座り、時間に身を任せている。

正直、計画のない日々を過ごしているわけで、無関心でいる・・・そういえば、新聞は読まない、テレビの時事報道も関心がない。ネットで最新の話題を探すくらいかな。

ところで、むかしは仕事の計画に、2月が他の月と比べて日数が少ないのに閉口した(31-28=3)。結果、プロジェクトの進捗が、他の月より3日足りないことになる(休日、祝日を度外視して)。

いま2月、寒気で家にこもって運動不足になりがち、気分もよくない。冬が終わり、春に向けて寒暖を繰り返している。陽射しのよい日には、できるだけ外出しようと思案している。

2025年2月27日木曜日

いくつあげられるか

きょうの体操教室で、参加者を小グループ(4~6名)に分けて、リーダーがあげるものを列記するゲームがあった。

① 花の咲く木の名、② 花の咲く草の名、③ 魚の名 を課題に、小時間(1.5~3分間)で、いくつあげられるかグループ同士で競うのだ。わたしは、もっぱらメモ役に徹した。①~③ごと、そのつど結果を発表して、一位のグループを知ることになる。競い合いが、いい意味で集団の活性につながるとのこと。

ゲームの後、リーダーの方から、グループ内で少し談話して終わりましょうと語られ、いつもは体操を終了後すぐ解散するルーチンだったけれど、今回ゲーム時間を設けたことで、結果、和気あいあいになることに気付かせてもらった。

ちなみに、カウント数で差が大きかったのは「魚」の名前だ。そういえば、地元の鮮魚店は相変わらず盛況だが、肉屋は減ったような気がする・・・気のせいかな。

2025年2月26日水曜日

水道水の冷たさに・・・

きのうときょう、体のあちこちを診てもらいに出かける。この歳になると、ネジが緩んだというより、ネジが落ちていることに気付く。われながら世話のやける奴と思う。

そんなわけで、午前中かけて外出した帰り道、美味いものを食おうと街なかを見渡した。近隣県の地産物(農産物)の販売店が目についた。そうだ、飯屋もよいが新鮮な果物に傾いて、イチゴやリンゴ、そして柑橘類を買う。帰宅してすぐに口にする。

食前にイチゴやリンゴを水洗いしたとき、水道水の冷たさが苦にならないことに気付いた。最高気温の17.7℃(14:42)となる手前の時刻だったが、きょうは本当に温く穏やかなせいもあって、水道水に懐かしささえ覚えた。やあ、久し振りといった感じだ。

冷たい水で洗ったイチゴがこんなにも美味いとは。早く春が戻って来て欲しいとつくづく思った。けれど、来週には冬に逆戻りという。行きつ戻りつして春を待つことになるようだ。

(追記)
当たり前かもしれないが、深夜になると気温が下がり寒さに気付く。
実はガスストーブが故障した。エアコンの包(くる)むような暖風は性に合わない・・・ガスストーブの遠赤外の熱射の方がよかったのだが。

2025年2月25日火曜日

ジェットストリーム

遠い昔、大学生のころ、ラジオの音源として高音質でステレオで聴取できるFM放送がもてはやされた。合わせて、FM放送の番組表を掲載した雑誌「FM fan」を持つのがお洒落だったりした。今は、AM放送がFM放送へ転換しつつあるが。

深夜にFM東京から流れる、城達也がアナウンスする(パーソナリティをつとめた)「JET STREAM/ジェットストリーム」(1967年から放送)のテーマ曲はある意味圧巻だった。瑠璃色の夜空を黄金の光を点滅させながら飛行するJAL旅客機を夢想したのだから。

(本ブログ関連:”ジェットストリーム”)

番組の始まりに語られる空の情景が忘れられない。
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遠い地平線が消えて
深々とした夜の闇に心を休める時
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は
限りない宇宙の営みを告げています
・・・
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テーマ曲(ストリングス)は、ボビー・ヴィントンの歌う「ミスター・ロンリー」(1964年)だ。e-Wikipediaによると「ヴィントンがこの曲を書き始めたのは1950年代後半、陸軍に所属していた時だった。歌詞は、海外に派遣され、故郷との連絡が取れない兵士を描いている。歌い手は、自分の境遇を嘆き、誰かと話したいと願っている。」と解説している。まさにベトナム戦争当時にリリースされた曲である。

ものごとの真反対の比較の例えに「天と地の違い」という表現があるが、夢想的な海外旅行の旅客機とベトナムのジャングルの差だったのかもしれない。


■ Youtube(登録: HKD Japan_takikawa)
「ボビー・ヴィントン Bobby Vinton/ミスター・ロンリー Mr. Lonely (1964年)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=B4rmQKVGEIY

2025年2月24日月曜日

(雑談)アオ(青)とミドリ(緑)

日ごろ気になる言葉(たとえば、日本人にとって「青」と「緑」の識別)についてネットを参照してまとめてみた。(感謝。転記の際に一部抜粋したりした)

九州大宰府から遠く奈良の春を思った万葉の歌に、奈良の<枕詞>の「あおによし」がある。「あお(青)に(丹)よし」の「あおに」について、ネット上の資料を参照したところ、「あお」は青色、「に」は土色(丹:赤色の鉱物=赤い土)をさし、奈良県で産出する顔料「岩緑青(いわろくしょう)」*を表わす古名と紹介されている。
(*)岩緑青は「孔雀石」(Cu2(CO3)(OH)2)の粉末、古名で「青丹(あおに)」と呼ばれる。(Wikipedia

(本ブログ関連:”孔雀石”)

■ ネットの資料
・「伝統食のいろは」(管理人 koka氏)
    ー https://irocore.com/aoni/
・「枕詞『あをによし』の意味とその変容」(2020.9. 太田蓉子氏、梅花女子大学)
    ー http://www.baika.ac.jp/~ichinose/o/202009ota.pdf

「あおに・よし」を、(「あお・に・よし」と思って)奈良の山肌に繁る青々とした木々をさしていると思っていたが、どうやら風土の <山土(顔料)> の色彩のようだ。山と樹々の景観は、黄緑に芽吹き、新緑の青葉、紅(黄)葉、落葉と四季移ろうわけで、「あお」ひとつでは足りず、「あおに」を含めて全体として必要なのだろう。
もちろん常緑樹も、凛として艶やかな「あお」で代表する雰囲気がある。そう思い巡らすうちに、青と緑が混沌としてくる。使い分けが曖昧なのだ。

道路の信号機の「青」色ランプは、実際は「緑」色ではという素朴な疑問がある。

■JAF「クルマ 何でも質問箱」
「なぜ信号機は赤黄緑の3色が使われているの?」の「緑なのに青信号と呼ぶのはなぜ?」から抜粋
    ー https://jaf.or.jp/common/kuruma-qa/category-drive/subcategory-sign/faq166
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日本では「緑」信号を「青」信号と呼ばれています。信号機の3色は赤・黄・青と表現されることが多く、免許の更新時に配布される交通教本にも、「青色の灯火は進むことができる」と記載されています。

自動信号機が導入された当初は法令上でも緑信号とされ実際の信号機もやや濃い緑を使っていましたその緑を青と呼ぶ理由は、日本語の「青」が表す範囲の広さにあるようです。青野菜青物青葉など緑色のものを青と呼ぶ場合が多かったため、緑信号を青信号と表現するようになったようです。また、赤の対極にある色が緑ではなく青だからという説色の三原色である赤・黄・青が影響しているという説もあります。

青信号という呼び名が一般に定着したことから、1947年(昭和22年)に法令でも青信号と呼ぶようになりました。さらに1974年(昭和48年)以降に作られた信号機は、それまでの緑より青に近い緑色に変わっています
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鳥の名にも似たような例があって、「アオジ」、「アオゲラ」は青というより黄緑色や緑色に近い感じがして、色感のあいまいさを気付かせる。なぜそうなったのかネットで検索してみた。

■ 相模原市立博物館の職員ブログ
「黄色いけどアオジ」(投稿日: 2020年1月23日 作成者: 博物館)より抜粋
    ー https://www.sagami-portal.com/city/scmblog/archives/21836
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アオジの)オスですが、どこがアオジ?という色合いです。「森の木々が青々と茂り・・」というように、もともと「あお」は、現在の緑と青を含む色合いを指していました古語ではさらに広く、寒色系の色全体を「あお」と呼んでいたそうで、灰色も青も緑も、「あお」となります
アオジの頭はややオリーブ色がかった灰色で、これを指して「あお」となったようです。

ただ、鳥の名前には現在の青色ではない「あお」がよく使われています
アオサギ:灰色の部分は確かに青灰色(せいかいしょく)ですが、青色ではないですね。
・緑色のアオゲラというキツツキ、
アオバトという緑色のハトなど・・。

逆に、青い鳥はオオルリコルリルリビタキと、「瑠璃(るり)」がついています。

比較的新しい時代に和名が付けられた海外の鳥の、アオガラアオショウビンは見事な青色ですが、古語で表現されなかったということなのでしょう。

なお、方言の古語の中には「あお」に黄色も含まれていたという説もあるので、アオジの種名はそこに由来している可能性もあります。
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■マイナビ(2017/03/03 08:00)
「日本語における『青』と『緑』の混用、経緯を解明 - 東北大」(著者:杉浦志保)
    ー https://news.mynavi.jp/article/20170303-a058/
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東北大学電気通信研究所の栗木一郎准教授らの研究グループは(2017年3月)2日、日本人に共通する19色名の存在を確認し、30年前の同様の研究と比較したところ、明確な増加が認められた。このことから、日本語における色概念の表現の進化が今なお続いていることが明らかになった。

今回の研究では、「青々とした緑」のような平安以前から継承されている表現に着目し、日本語表現において青と緑の区別がついていることを統計学的に立証するとともに、この日本語独特の言葉遣いの経緯についても解明した。同研究成果は東北大学、東京工業大学・オハイオ州立大学などの研究者による共同研究であり、視覚科学研究分野の学術誌「Journal of Vision」に掲載された。

人間の視覚は100万もの微細な色の違いを見分ける事ができると言われているが、日常的に言葉として使われる色名は「赤」「緑」「青」「黄」など少数に限られる。今回の研究では、人間の最も基本的な視覚情報である色の情報がどのように脳内で形成され、個人差や言語差の影響を受けているかという様子について、計算的・統計的手法を用いて可視化できることが示された。

「水色」は新しい表現

k-平均クラスタリングという統計を用いた解析の結果、日本語話者に共通する19の色カテゴリーの存在を確認した。内訳としては、多くの近代的文化圏で用いられる11の基本色カテゴリー(赤、緑、青、黄、紫、ピンク、茶、オレンジ、白、灰、黒)に、8つの色カテゴリー(水(色)、肌(色)、抹茶、黄土、えんじ、山吹、クリーム)が加わったものとなった。

中でも、「水(色)」は98%の実験参加者が使用し、日本語の基本色カテゴリーの12番目の色名の強力な候補になりうると考えられる。30年前に実施された先行研究(Uchikawa & Boynton, 1987)では「水(色)」は基本色に含まれないと結論された。また、先行研究では「草(色)」が黄緑を指して頻繁に使われる色名として報告されたが、同研究では「抹茶」という回答が「黄緑」を指す代表的な色名として置き換えられたことが判明した。これらの結果は、言語における他の特徴と同様に、色名の語彙が時間とともに変化する様子を表している。

青と緑が分離して使われる経緯

一方で長く変化していない要素もあり、その1つが「青」と「緑」の混用だ。今回の共同研究では、平安以前の日本の和歌における青と緑の用法についても調査した。その結果、あお」(正しくは「あを」)は明らかに青いものにも緑の物にも用いられみどり」も同様であった。

現在でも、日本語では信号機や若葉野菜などを指して「」と呼ぶことはあるが、これ以外の場合では青と緑は明らかに区別して使われる。青と緑が混合した1つのカテゴリーから別々のカテゴリーに分離する過程は、世界中の言語が発達の途上で必ず経過するポイントと考えられている

これらの結果から、今回の共同研究は、現代日本語青と緑が異なる色カテゴリーであると示しただけでなく、にまたがる明度の高い領域に「(色)」のカテゴリーが過去30年で加わったことを示した
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どうやら、古代に青色と緑色の混沌を、現代になって水色が入り込んだことで、青と緑を分離した(分離できた)ようだ。

(補記)
色彩として「補色」関係も気になる。青と緑の補色が、それぞれ随分違うのに気づく。
・「青色」の補色は「黄色」
・「緑色」の補色は「紅紫色」

補色関係の妙から、「月明り」=「月影」といった本来反対の意味が、詩的に融合してしまう例にも気付いてしまう。

2025年2月23日日曜日

公園の梅林

「天皇誕生日」の祝日の昼下がり(午後1時過ぎ)、都立最大の「小金井公園」にある<梅林>へ出かけた。日射しは柔らかで風の気配もなく、穏やかな休日の午後である。公園の東側から入り、子どもたちの遊び声のする広場を抜けて、遠目に紅白の花が見える梅林へと近づく。観梅には大人たちが大勢集まっていた。(とりたてて、梅見の催しはないようだ)

(本ブログ関連:”小金井公園の梅”)

六つの小丘で構成された梅林には、約27品種の梅が植わっている(本数は88本)。入口の掲示板に、各品種名と写真が示されている。
ー 公園のサービスセンターに行けば、同様の写真と解説付きの「梅林ガイド」(寄付金が必要)を入手できる。センターの建物まで戻って入手した。


以下、今現在、花を咲き誇っている品種の中から、いくつか写真に撮ったものを載せる。
解説は、「梅林ガイド」をそのまま転用した。


古城の春(写真左)、緋の司(写真中央)、月影(写真右)
・比較的新しい品種で不結実。「古城の春」は、野梅性八重、乳白色だが寒さにより薄い紅色になる。
・小金井桜提供の御礼として水戸から贈られた。「緋の司(ひのつかさ)は、紅梅性八重、濃紅色中輪で稀に結実。
・若枝とガクは緑色。「月影」は、青軸性一重、花は早咲き青白色の中輪で良果を結ぶ。


長寿(写真左)、白加賀(写真中央)、竜眠枝垂れ(写真右)
・青梅地方に残されていた品種。「長寿」は、野梅性八重、白色中輪で香りが高い。
・全国的に栽培される代表的な実梅。「白加賀」は、野梅性一重、白色の中大輪で花粉はほとんど無い。
・大きな枝振りの枝垂れ梅。「竜眼枝垂れ」は、野梅性一重、やや遅咲きで白色大輪。

2025年2月22日土曜日

インターホン

きょうも寒い一日だった。それを想定して、昨晩の就寝時に、電熱敷布の目盛りをポカポカの熱々にしたのが・・・どうやら、それがワザワイしたらしく、どっぷり寝込んでしまい、結果として今朝の野鳥観察(探鳥会)の起床時刻を寝過ごしてしまった。6時に目覚まししたにもかかわらず、気付けば8時30分になっていたのだ。

上記の野鳥観察は、自然観察会のひとつのグループである。その自然観察会が、きょう、埼玉県の梅の名所で観察会を行なうことになっていた。両方に参加はむつかしいので、探鳥会にと決めていたのに。ならば、昼間に地元の公園にでも出かけようかと思ったが・・・。

この寒さ来週の月曜日まで続くようだ。寒いのが苦手と繰り返してきた・・・1月は16日の間、今月もきょう(2/22)までの11日間、まさに半分家に籠っていた。歳をとると、厚着しても寒さを考えただけで萎えてしまう。実際、玄関の上がり框(かまち)まで行ったものの、寒さに挫(くじ)けたことが何度もある。

そんな寒い今夕のこと、インターホンが鳴った。陽の落ちたこんな時刻に一体誰?といぶかしむ。インターホンのモニターを見ると、暗い玄関先に、女性が訪ねてきたのが見えた。訪問販売だろうか、宗教勧誘だろうか。
わたしは無言のまま対応しなかった。訪問者は待ち続けたが、反応がないのを見定めて、ゆっくり頭を下げて他所へ向かった。その様子から、多分宗教勧誘だろうと想像した(宗教活動のとき、モニターに映らぬよう随行者・指導役が付き添っているケースが多い)。

インターホンから、寒い外が見える。ほとんど成功しない行為を、夕闇のころまで続けているのを見て、何で? と疑問を感じながら、すこし引きずるものを感じた。

2025年2月21日金曜日

裁縫室で見た映画:「小鹿物語」、「砂漠は生きている」

九州にいたとき小学校に「裁縫室」があって、そこで女の子たちに家庭科の裁縫を教えていたようだ・・・実際に目撃したことはないが(同じ時間帯、男子は別の場所にいたのだから)。ところで、男女が一緒にその部屋を利用するときがあった。映画教室だ(テレビもない、街の映画館に行く機会も少ない子どもたちにとって貴重な時間だった)。

(本ブログ関連:”裁縫室”)

裁縫室は和式の畳部屋のため、みんな座って(先生が映写する)子ども向け映画(教育映画)を鑑賞した。記憶に残っているのに「小鹿物語(The Yearling)」(1946年、日本公開1949年)がある。少年と野生の小鹿のふれあいの物語で、美しいカラーで見ることができた・・・なにしろ、小鹿を見たことがないので、その可愛らしさに引き込まれてしまったものだ。しかし、成長した小鹿が、一家の育てた農作物を食べる事件が発生することで、少年は決断を迫れることになる・・・。見届けるのがつらい映画だった。

当時、カラー映画は「総天然色映画」とわざわざ銘打つほどだった。ちなみに本作品は、Wikipediaによれば、アカデ三―賞の(カラー作品)の「美術賞」および「撮影賞」を受賞している。当時、これらの賞は、カラー作品とモノクロ作品の別に賞が与えられたという。

また、<自然観察>の記録(ドキュメンタリー)映画で話題になったものがあった。ディズニーの「砂漠は生きている(The Living Desert)」(1953年、日本公開1955年)だ。いってみれば、自然の驚異であり、普段見ることのできない動植物たちの生態をカラーで知らせてくれるものだった。その後のテレビ番組「ディズニーランド」で、ドキュメンタリーの定番になった。

今この映画に対して、語られることは少ないが、当時、ドラマチックな場面の撮影技術に関心が向けられ、結果として<作為>があったと知られたりした。子どもにとって、生態系の捕食の連鎖(食物連鎖)を映像で見せつけられると、驚きと恐怖をないまぜしたものになった。そこに作為があったことを、少し経って知ることになる・・・あのディズニーがそんなことをするなんて。

今ではドキュメンタリー映画(あるいは写真)を見るにつけ、あまりのタイミングのよさに出くわすと、大人の冷静さを持って眺めているのに気付く。

2025年2月20日木曜日

体操教室への行きがけと帰り道

今朝は寒かった。今年に入って段冷えたのは、1月11日の -4.7℃2月5日の -4.2℃ だった。それが、きょうの明け方に -5.4℃(03:33)を記録した。

早朝のテレビ・ニュース番組で、都心の局スタジオを出て、天気予報を、女性気象予報士が語っていたが、風がわずかなため、冷え込みが厳しくないと・・・いやいや、見るだけで寒そうだった。

昼過ぎ、地元の体操教室へ出かけたとき、住宅地の通り道に1羽の「ハクセキレイ」が舞い降りた。数m先のこと、こちらを見つめ、尾を上下に振りながら小走りした。思わず「大丈夫かい」と口ずさんだけれど、飛び去る気配はない。この鳥は人懐っこいことで知られるが、それでもこれほど近くにと驚く。なにしろ、横を通り抜けても平気だったのだ。これからも、大事に見守られて欲しいと願った。

教室で、寒さに固まった体を、ゆるりとストレッチなどしてほぐすと、次第に柔軟さが回復するような気がしてくる。何だか今日は調子がいいなと、一人合点してしまう。
ところで、教室運営のリーダーや、参加者が少しずつ入れ替わりし始めた・・・冬は大きな節目になるようだ。

体操教室の帰り道(15:30ころ)、北東の風(8.1℃)がピューと吹いた。日なたが足りない分、寒さが身に沁みた。

2025年2月19日水曜日

公園の梅の木

自然観察園を併設する公園と道路をはさんで隣接している公園(いつもの野鳥観察のフィールドだが)に、きょうの昼どき(11:30~12:30)、のんびりと<梅の花>の様子を見に行った。
気温は 6.5℃ と冷えるなか、北西の風が 4.6m/s と速さを増し、突風(最大瞬間風速)は何と 12.5m/s(11:43)に達した。木立を防風林代にして逃げ込んだりもした。

梅の開花状況は次の通りである。いずれも咲いているが、いわゆる手入れが行き届いた本格的な「梅林」の景観があるわけではないのが、ちょいとさびしいところ。(「樹木観察マップ」を参照)
・公園サービスセンター前の広場に一本 (紅梅)・・・ 樹名札「ウメ」とのみ表示。
・苗圃(びょうほ)南側「梅林」*に5、6本(白梅、紅梅)・・・ 樹名札「シダレウメ」が一木に掛かっていた。
(*)樹木観察マップに梅林と表示されているが。
・苗圃の区画#7の東側に多数(白梅、紅梅)・・・ 樹名札はいずれにもない。
 

上掲右側の写真の<標識>について
公園の苗圃南側に、府中市の「武蔵府中郷土かるた」より「うめひばりに木はけやき」と記した<標識>が立っていた。この公園は2つの行政市にまたがっている。ちなみに、自然観察園のある公園は、3つの行政市にまたがっている。この辺りの行政エリアは複雑だ。そして、いずれも公園も都立公園。

最大の小金井公園の「梅まつり」について
小金井公園のよく剪定された「梅林には、多数の園芸品種の梅が植わっていて、樹名札に風流な名が書かれているのを見るのが楽しい。この時期、「梅まつり」の催事が開けれているはずだが、なぜかネット上に詳細情報を見ることができない・・・。行って見るしかないようだ。

(本ブログ関連:”小金井公園の梅まつり”)

2025年2月18日火曜日

雨水 2025、ペリトコール

きょうは、二十四節気の「雨水(うすい)」で、降る雪が雨に変わり、畑地を潤し農耕を始める目安となる。そして、この雨水の期間を初候・次候・末候の三つに分ける「七十二候」にも、「雨・霞(かすみ)・芽吹」の春の息吹が並ぶ。

(本ブログ関連:”雨水”)

七十二候
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・初候: 土脉潤起(どみゃく うるおい おこる)早春の雨が降って大地が湿り始める
・次候: 霞始靆(かすみ はじめて たなびく)春霞がたなびき始める
・末候: 草木萌動(そうもく もえうごく):草木が芽吹き始める
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関東ローム層の武蔵野台地は、土地がら、山から解けだした水が流れ来ることはなく、この時期、地元の畑は野菜の栽培を終えたようですっかり露地になり、さびしく乾いている。

そんな乾燥が続いているきのう(2/17)の昼下がり、家の前の路地が黒く濡れていた。乾燥した通りを久し振りに短時間湿らせたときのにおいがした。乾いたアスファルトの道が、小雨で湿ったときに発するにおい(雨の匂い)のもとを、土壌や岩石が湿ったとき放出する「ペリトコール」という。
ペリトコールの語源は、ギリシャ語の「岩」を意味する「ペトラ(petra)」と、神話で神々の血管の中を流れていたとされる「イコル(īchōr)」に由来する(Googleの検索AI「Search Labs」)。「石のエッセンス」とも呼ぶそうで、石好きにはたまらぬよいネーミングだ。

次の「ウェザーニュース」には、雨の降り始め・雨上がりに気付く <におい> について紹介がある。

■ウェザーニュース
「“降り始め”と“雨上がり”で違う!? 『雨の匂い』の正体は?」(2020/06/30)
    ー https://weathernews.jp/s/topics/202006/260095/#google_vignette

ところで天気予報に反して、きのうから寒気が戻ってきたようで、今週いっぱい居座る模様。先週末を3月並みの暖かさで過ごせたのに、残念なことである。

昨晩の天気予報では、最強寒気に長期が付いて「最強長期寒気」と表現していた・・・今朝の予報で、この寒さは来週末(or 中ごろ)まで続くという。寒気さんへ言いたい、「きょうは、このくらいにしてやる」といった捨てぜりふを吐いて去ってくれ。今度こそは、本当の春を迎えさせて欲しいものだ。

2025年2月17日月曜日

天使のささやき、ダイヤモンド・ダストとザ・スリー・ディグリーズ

きょうは冷えた・・・早朝の天気予報で、きょうの東京の最高気温は16℃近くとしたが、実際には 15℃くらいで冷え込みが早まった。

ところで、日ごと記念日があって、きょうは何の日かというと「天使のささやきの日」だそうだ。なんとも美しく可憐な名称だ。気になって「日本記念日協会」*認定一覧をのぞいてみた。
(*)日本記念日協会: https://www.kinenbi.gr.jp/

同協会は「天使のささやきの日」について、次のように紹介している。
    ー https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=20
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1978年2月17日、北海道幌加内町母子里では非公式ながら氷点下41.2度の国内最低気温を記録。この記録をもとに、1987年に地元の有志で作る「天使の囁き実行委員会」が生まれ、寒さを通して人々の出会いの場をと、同委員会が「天使のささやきを聴く集い」と名付けイベントを始めた。1994年に記念日を制定。「天使のささやき」とは氷点下20度以下になると空中にできる氷の結晶ダイヤモンドダストのこと。
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ダイヤモンド・ダストの映像は、ネットにいろいろ登録されている。乾いた雪原全体にダイヤモンド・ダストの細氷(氷晶:氷の結晶)が舞い落ちるものもあるが、次のYoutubeのように、光線の具合により、まるで光の柱の中で細氷が輪舞する幻想的な光景を見ることができる。

■ Youtube(登録:Shinji kawamura )
「Diamond dust ★ ダイヤモンド・ダスト」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=Aq-BsY_0oz0

ただし、e-Wikipediaを参照しても「Diamond dust」と「天使のささやき」との関係に触れていない。海外由来のものが多い我が国だが、上記の記念日の制定にともない、ダイヤモンドの美しいネーミングと結びつけられたのではないだろうか。


ところで、わたしらオールディーズ・ファンにとって、「ザ・スリー・ディグリーズ」の「天使のささやきWhen Will I See You Again)」(1976年)は懐かしい。女性の「いつまた会えるの?」といったり、わたしたちは「恋仲なのか?/友だちなのか?」といったり、「始まりなのか?/終わりなのか?」といったり、全文疑問形でまことに初々しい歌詞である。まあ、男たちが女性に託す、そう思って欲しいという勝手な願望であるが。(この人気曲、Wikipediaによると、日・英で先行ヒットしたため米本国ではそうでもなかったと、今回初めて知った)

■ Youtube(登録: zztops003)
「ザ・スリー・ディグリーズ - 天使のささやき(1976)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=9ZxM3XbwZ2I