哲学者木田元氏(きだ げん、1928年~2014年)とジャーナリスト徳岡孝夫氏(とくおか たかお、1930年~)の対談「わしらを育てた闇市の流儀」が雑誌「文芸春秋」(2014年9月号)に掲載されている。
木田元氏は、2014年8月16日に亡くなられている。上記雑誌の実質の発行時期と重なることになる。当然ながら、対談自体はそれ以前に行なわれたのだろうけど。
対談では終戦直後の「闇市」の経験が語られるが、語りはいたって飄々とした体であり、却って気負いのなさに真実が伝わる感がする。なにしろ、当時の若き木田氏の身過ぎ世過ぎときたらピカレスク小説をほうふつさせるのだから驚愕する。
(本ブログ関連:”戦争”)
いきなり余談だが、わたしが若いころ新聞記者だった方から聞いた話に、戦時中の一高出身の東大(旧制第一高等学校・旧制東京帝国大学)の理学系学生は、学徒動員をまぬがれて軽井沢に温存されていたという。まさに記者当人の話であり直接聞いたことだ。
一方、戦時中・終戦後をようやく生き延びた若き木田氏は、超エリートたちのような待遇を望むべくもない厳しい環境に置かれていたわけで、生きるための知恵のかぎり振り絞っていた。
上記対談の最終のテーマ「戦争体験は伝わるか」で語られた、木田、徳岡両氏の発言を次に記載させていただく。(抜粋)
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【木田】 戦後、時間が経つにつれ、戦争体験という言葉がしきりに言われますよね。そして「戦争体験が伝わらない」という。
でも、私は、戦争体験を伝えるということ自体が無理なんじゃないかと思うようになっているんです。数年前に「戦争と文学」(集英社)という戦争にかかわる文学作品を集めた全集が刊行されました。これを読むと、どうもそれぞれの世代がそれぞれのやり方で、自分たちの戦争体験みたいなものを作っているように感じたんです。
【徳田】 どういうことですか?
【木田】 つまり「これが正しい戦争体験だ」なんてあり得ないような気がするんです。全集の中のどの作品が戦争体験を正確に伝えているか、検証できる性質のものではないのです。
「戦争と文学」でいえば、編集委員は戦後五〇年代に生まれた方々ですから、私と感覚が違うのは当然なんです。先の戦争を知っている私たちだって、その前の日清戦争や日露戦争については、今の若い人と似たようなものでしょう。それはしょうがないことで、なにか訂正するといって何を基準に訂正していいのか。
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【徳岡】 来年は日本の終戦から七十年かもしれませんが、ベトナムの終戦からも四十年なんです。僕はあのときサイゴン(現・ホーチミン)にいて、日本の終戦に次いで二度目の終戦を見ました。
陥落を見届け、帰国してびっくりしたのは、あれほどベトナム、ベトナムと叫んで、デモだなんだと大騒ぎしていた日本人がまったく無関心になっていたこと。新聞も大型連休をどう過ごすか、なんてネタが紙面の大きなテーマになっている。アホらしくなりましたね。やっぱり、われわれは我が身に近い戦争しか見ていないんですよ。ある意味では、人間としてはそれで健康なのかもしれませんが。
【木田】 ですから、さも正解があるように「あの体験」というけれども、口にすると無責任な気がして仕方ないですね。・・・
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【徳岡】 歴史から教訓を得るというのは、必ずしも最良の手段ではないらしいですよ。
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婉曲に語られているようだが、戦争経験のない戦後生まれに戦争体験の意味を勝手に掠め取られていくようなおもい(危惧)がしてならないのではないか・・・と、そんな風に感じるのです。