岡本綺堂の「綺堂むかし語り」に十歳頃の思い出として、維新後に生きたかつての武士と思われる人物について小文がつづられている。
「市ヶ谷(いちがや)辺に屋敷を構えていた旗本八万騎の一人」だったが身を落とし、おでんを担ぎ売りに来る男がいて、岡本綺堂の父親と挨拶するのを見たという。子どもながらに、「普通の商人(あきんど)とは様子が違うと思った。その頃にはこんな風の商人がたくさんあった。」
あるいは、「四谷伝馬町(よつやてんまちょう)の通りには幾軒の露店(よみせ)が出ていた。そのあいだに筵(むしろ)を敷いて大道(だいどう)に坐っている一人の男が、半紙を前に置いて頻(しきり)に字を書いていた。」・・・「その頃には通りがかりの人がその字を眺めて幾許(いくら)かの銭を置いて行ったものである。」
そして、父に渡された二十銭紙幣を、いわれるままその男の前に置いて一目散に父のもとに戻ったという。・・・「父はなんにも語らなかったが、おそらく前のおでん屋と同じ運命の人であったろう。」
もちろん、新政府によろしく身を寄せたものもいるだろうけれど、「明治十五、六年の頃」でも、器用に生きることのできなかったもの、心に傷を負ったままのものもいた。そして彼らは、その寿命とともに歴史に埋もれた。