KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/13)に文化的なキーワードに基づく韓国文化シリーズの第31回として、「晩秋(만추)」について紹介した。
まず、高麗時代末期の懶翁(나옹)禅師(1320年~1376年)の詩について、次のような紹介から始まった。
・「広大な畑が欄干の前に開けている。四季折々、きれいな風が玄琴(コムンゴ、거문고)の音を運んでくれる。ぎっしりと並び、風の意を受けて、その影が庭を掃いても、埃はそのままだ。」
澄んだ月の光に、庭に垂れ下がった竹の陰が風に揺れている様は、まるで庭を掃いているように見える。
・風が少し吹くだけで、紅葉が頭上から舞い落ちる。昔は、竹を編んだ箒で庭掃除をした。
▼ 「掃葉山房(소엽산방)」中の「トドゥリ(도드리)」を聴く。秋晴れのした、<落ち葉がたまった庭を掃く人が住む山の家>には、葉が揺るりと舞いつづける・・・ようだ。
次に、朝鮮時代の申光洙(신광수、1712年~1775年)の詩について、次のよう説明された。
・秋の月の光を見ると、どこか物悲しい中にも、心が洗われていくようだ。こうした、晩秋の趣を表現した曲の一つに「關山戎馬(クァンサンユンマ、관산융마)」ある。
「秋の川は寂寞とし、魚さえ寒い。人々は西風を受けながら、仲宣楼(チュンソン楼、중선루)に登っている」から始まるこの歌は、申光洙が、科挙試験の際に書いた詩「登岳陽樓歎關山戎馬(등악양루탄관산융마)」を元にしている。科挙試験で2位となったこの詩は、歌として現在に伝えられる。
・この申光洙の詩は、中国唐代の詩人杜甫が、洞庭湖を見渡す岳陽樓に登って書いた詩「登岳陽樓」をモチーフとしている。「登岳陽樓」に登場する、岳陽樓や洞庭湖は瀟湘八景に数えられ、絶景とされる名勝地だ。美しい風景を前に、感嘆よりも切ない思いが先走る。杜甫は、故郷での戦話を思い出し、心を痛めたという。
▼ 詩唱「関山戎馬」を聴く。杜甫「魚龍寂寞秋江冷」、申光洙「秋江寂寞魚龍冷」・・・寂寞の様を朗詠する。
最後に、「雉鷄米(チゲミ、치계미)」の宴について次の通り解説された。
・物悲しさと華やかさが共存する、短い秋が終わると、すぐ厳しい冬がくる。昔は、貧しい人や、体の弱い人に辛い季節だった。人々は冬を前に、村の年寄りを招き、養老の宴の「雉鷄米」を開いたという。
・雉鷄米は元々、地方長官に当たる使道(사또)に出されるおかず(賄賂の意)をいう。村の年寄りを、使道のように、接待しようとする意が込められている。貧しくて、雉鷄米に米一粒も出せない家は、「溝鍋(トランタン、도랑탕)」という鍋を出した。その名は、立冬の頃、ドジョウが冬眠のため、トランという細い溝に隠れるので、掘り返してドジョウを捕え、ドジョウ鍋を出したことに由来する。
▼ 「世界で最も美しいものたち(세상에서 아름다운 것들)」を聴く。秋の映像を想わせる・・・今様である。