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2019年6月1日土曜日

アジサイ

民家の裏手、路地に接する場所に、塀の代わりに「アジサイ(紫陽花)」が植えられている。いつもは気に掛けない場所に、小さな青い花(=装飾化)が群集して塊りとなり咲いていた。やがて「梅雨」ともなれば雨に濡れてよく似合う。

(本ブログ関連:”アジサイ ”)

ところで、一昨昨日(5/29)に茨城県の「錫高野」へ鉱物採集に出かけた。3年振りの鉱物採集のため、無理のないようゆっくりと歩を進めた。それでも、現地で5時間ほど徘徊?、いや探し廻ったことになる。一昨日(5/30)、同行の石仲間との電話で、足の疲れを聞かれたが、全然大丈夫と応えた。実際何も感じなかったのだ。それが、昨日(5/31)になって足に疲れがどっと出てきたのだ。歳をとると、疲れが翌日でなく、翌々日に出るという通りだ。

そんなわけで、今日は「養生」半分に時間を過ごした。アジサイは派手なところもなく、存在を自己主張することもない。日本のひっそりと咲く心和ませる花だ。

2019年5月31日金曜日

(雑談)ライザップ牛サラダ

昼どき、町中でふと目に入るのは、「~水産」といった魚介刺身料理の飯屋だ。そこでは満足感もあって手軽な「海鮮丼」をよく選ぶ。家ではスーパーで売っている「冷凍うどん」を最近食べるようになった。電子レンジでチンと温めて、こしも十分あり喉ごしもよい。

(本ブログ関連:”冷凍うどん”)

今日の昼間、地元にある吉野家の前を通ったところ、布看板に「ライザップ牛サラダ」*の図柄があった。サラダというだけでなく、ライザップの名も冠していいるので健康によさそうと思って注文した。ちなみに、吉野家のホームページに、このメニューについて次のような説明をしている。
(*)吉野家: https://www.yoshinoya.com/menu/gyudon/rizap_gyu_salad/
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「高たんぱく質、低糖質」のボリュームいっぱいのサラダです。定番の吉野家の牛肉だけでなく、鶏肉・ブロッコリー・半熟玉子とバランスよくたんぱく質を摂取できます。
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どうやら、筋肉を付けるたんぱく質食品として鶏肉がみそのようだ。ライザップの宣伝のように見違えるほど筋骨りゅうりゅうになるやも知れず。サラダ(キャベツ)もいっぱいで、満腹感もある。体がスッキリした気にさせる。

ところで、夜中の洗面所で鏡の向こうに、ときどき親父の顔と出会うことがある。歳をとったなあと思って見たころの親父の顔つき、体形までそっくりな自分がいるのだ。冷静に考えれば、ライザップどころじゃない歳になった・・・気ままに理屈をつけず食事するのが一番なのかもしれないのだが。

2019年5月30日木曜日

(雑談)活字の大きさ

学生時代に読んだドイツの文豪の全集を、あるとき読み直そうと取り出したことがある。ところが、上下2段刷りの活字が余りに小さくて目が霞んでしまい、読みづらいのに慌ててしまった。今も書棚にあるが、大きな虫眼鏡でもなければ手を出せない。

先日、バスク語教室で、司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの第22巻「南蛮のみちⅠ」(朝日文芸文庫)が、< バスクのひとびと >について記されていると先生から紹介があった。そこで図書館で借りて読み出したところ手元に欲しくなり、ネットで古書を購入した。

届いた古書の適当なページを開けたところ驚いた。図書館の本では左ページにあった図版が、右ページにあるでないか。よく見れば古書は活字が小さい。本の厚さも薄い。図書館の方は、2014年6月30日新版第3刷であり、古書はそれより古く1998年5月10日第11刷だったのだ。

昔ほど小さな活字で、ぎっしり埋め込むといったわけで、若いときはそれでいいのだろうけれど、歳をとると大きな活字の方が読みやすい。その分、書籍は厚くなるのだが。
ところで。新聞も活字を大きくして久しい。ページ数が増えたわけでもないので、結局情報量は減っていることになる。読者に老人が多いそうだから、それでも按配がよいのかもしれない。

2019年5月29日水曜日

錫高野#21

今月初旬(5/7)に「(茨城県東茨城郡城里町にある)錫高野へ行こう!」と掛け声をあげ、ようやく今日、4年振りに鉱物採集に向かった(実質、山梨県「鈴庫(すずくら)鉱山へ、2016年5月22日(日)に出かけて以来 3年振りとなる)。

(本ブログ関連:”錫高野”、”鉱物”)

朝から小雨まじりの不安な空、同行の鉱物仲間と集合時間を繰り下げて万全を期した。さいわい途中小雨がぱらつく程度で、現地錫高野はすっかり雨上がり状態、大部分は乾燥までしていた。
体調を考慮いただき、いつもの仏国寺側から登るコースとは反対側にある、(美味しい香りがしそうな)「ビーフライン」(県道112号)から、スティック片手に、ゆるい坂道を歩んだ。今回は、足慣らしに近い状態で、急傾斜を登り下りするのは避け、よく歩きまわったと思う。鉱物仲間に気遣いをいただいたこと、無事に鉱物採集が再開できたこと感謝したい。

エゴノキの花弁
高取鉱山と向かい合う形で存在する国有林の錫高野は木々が覆っていたが、今回驚いたことに、なんと伐採が進んでいたのだ。空は広がり、斜面がすっきりして風通しがよくなって、別の場所に来た錯覚がした。(他方、いつもの採集場所は、草木が鬱蒼と繁り踏み込むのを断念した)

様子がすっかり変わって、勝手が違い、手当たり次第、石英を探しては砕いた。涸れた川床を探っていたとき、(頭がきれいな)大型の「水晶」片を見つけたぐらい。

ところで、周りに白い花弁が散らばっていた。見上げると、「エゴノキ」が花を下に向けて咲き、花弁を次々と落してきた。なんとも可憐な愛らしい花だ。また帰路の脇に「マムシグサ」が立っていた。

2019年5月28日火曜日

2019春期バスク語-7

昨日まで「真夏日」が4日間連続したと思ったら、今日は夕方から雨という。天気予報の雨雲レーダーは、今晩から明日の午前中まで、雨雲が関東一円を這う様子を描く。夕方、空模様を心配しながら「バスク語教室」へ出かけた。

(本ブログ関連:”バスク語”)

バスク語教室は、月一回のペースで、東京外国語大学教授の萩尾生氏から「バスク文化」を紹介していただいている。先月(4/16)の「バスクの地理」に続き、今回は「バスクの名前」(人や屋号の名前の変遷など)について、図や歌を交えて解説された。

① 存在と名前
  ・存在(izan)+ α : izadi(自然)、izaera(性格)
  ・名前(izen): ponte-izen(洗礼名)、ezizen(あだ名)
② 文字(ローマ字による)
  ・近世: 教会・印刷技術により普及、 「バスク初文集」(エチェベリ、1545年)
  ・近現代: バスク・ナショナリズム、人名の統一など <純粋化>(サビノ・アラナ
  ・現在: バスク語の公用語化、スペイン(1979年)、フランス(1966年)
  ・バスクアカデミーの設立(1966年): 標準語
③ 人名
  ・人名は多様: 固有、宗教的、聖地、上記のアラナによる、自然、地名・・・などに由来
④ 親族名称
  ・私(Ni)が男女別に、「兄」と「姉」の表現が異なる
  ・財産相続: 相続者は長子に限らず3/4相続、相続者以外*は家から町に出る。
   (*)相続者以外: 僧侶、役人になったり、海外に出たりする。独身のまま家付きも可
⑤ 家(屋号)
  ・家(etxe): etxeko egin(親しくなる)、etxeko jaun(家長) ← (~ko:位置属格)

(付記)
バスク人と鉄の関係について ⇒ (本ブログ関連:”バスクと鉄”)

2019年5月27日月曜日

最高気温32.4℃、ユダヤの歴史を学ぶ-7

今日の都心の最高気温は 32.4℃(13:32)、日連続の「真夏日」となった。5月として観測史上初とのこと。それにしても暑い。天気予報は、明日から最高気温が 30℃をきるという。ようやく落ち着きを取り戻しそう。

(本ブログ関連:”真夏日”)

そんな真夏日、また右のふくらはぎがつり気味の中、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。7回目の今日は、「中世キリスト教世界のユダヤ人:共生と対抗」について、東京工科大学講師の志田雅宏氏に解説いただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

8世紀にユダヤ人の90%近くがイスラム世界にいたが、11世紀に入って徐々にヨーロッパに広がった。中世ヨーロッパにおいて、ユダヤ人の立ち位置がどのようであったかについて、大枠(ある意味教科書的)に整理された。

① キリスト教世界から見たユダヤ人との関係
  ・ キリスト教世界 ― 保護 → ユダヤ人 (土地を持たない宗教的共同体を認める)
  ・ キリスト教世界 ← 奉仕 ― ユダヤ人 (金銭的納税的な関係を含めて協力する)

② ユダヤ人から見たキリスト教世界との関係
  ・ユダヤ人 ← 共生 → キリスト教世界 (宗教的に関わらない、アラビア語の共同翻訳)
  ・ユダヤ人 ← 対抗 ― キリスト教世界 (改宗の強要への抵抗、教理的反論・論争文学)

③ 十字軍によるユダヤ人への迫害の理由
  ・十字軍の宗教的熱狂・経済的な理由などによる襲撃
  ・民衆も(わけもわからず?)加わった

ただし、どうしても分からないことがある。なぜユダヤ人がそこに(場所であれ地位であれ)いたのか、最初からいたわけではないのだから。そのことについて知りたい。

2019年5月26日日曜日

最高気温32.6℃ (ついに「バスチー(BASCHEE)」を食べる)

今日の東京都心の最高気温は 32.6℃(12:58)、3日連続の「真夏日」だ。二十四節気の「小満」をさらに3つに分けた2番目、七十二候の「紅花栄 (べにばなさかう)」にあたる。「ベニバナ(紅花)」が盛んに咲くころというが、あいにく身近にこの花(黄色の花弁ながら水に曝して赤色の染料になるという不思議ももちろん)を見る機会はない。

先日来求めたいたバスク風チーズケーキ「バスチー(BASCHEE)」を、今日ようやく食することができた。ちょっと遠回りした場所にあるコンビニ「ローソン」に出かけて購入。パッケージに「レアでもベイクドでもない」と記されているが、食味はまずもってネットリして重い。いわゆる酸味の効いたチーズケーキと違い、甘味も抑えてまったりとしている。いってみれば、腹持ちのいいチーズケーキだ。ちょっと意外な感がした。

(本ブログ関連:”チーズケーキ”)

ところで夜になって、BS日テレで、今年の1月1日に放送されたらしい紀行番組「壇れい初めてのスペイン! 魅惑のバスク」*(19:00~20:54)を途中からだが視聴した。
(*)番組: http://www.bs4.jp/guide/document/danrei_spain/
・かつて製鉄で知られた「ビルバオ」の町。グッゲンハイム美術館の紹介。
・対岸にフランスの町を臨む(バスク語教室の先生推奨の美しい町)「オンダリビア」を巡る。

(本ブログ関連:”ビルバオ”)

(Youtubeに登録のBS日テレ公式チャンネルに感謝)

2019年5月25日土曜日

最高気温31.9℃

今日も「真夏日」が続く。東京の都心の「最高気温」が31.9℃(14:33)を記録した。(昨日(5/24)の東京都心の最高気温は 31.0℃で、今年最初の真夏日だった)

(本ブログ関連:”真夏日”)

肌がぴりぴり焼けるような陽射しの中、公園に出かけた。久し振りに訪れたわけだが、小川も「自然観察園」も雑草だらけになっていて驚く。「ヒメジオン」なんて可愛いもの・・・とはいえ素人観察者には、名も知らぬ草ばかり。

小川道に沿ってイネ科の雑草が繁っている。以前(5/3)来たときは、「カラスムギ」が密集していたが、今回は雑然とした雰囲気で、まさに夏草に覆われた感じ。素人には同定は難しいが、穂の並び方と「芒(のぎ)」があるので、「ネズミムギ」ではなく「ホソムギ」のように思えるが・・・どんなものだろうか。
それらの間を「アカツメグザ」の花がまばらに続く。遠目に見ると「アザミ」のよう、近くで見れば大きな「レンゲ」のよう、少し残念な花だ。

自然観察園では、配置の「樹木観察クイズ」のプリントにそって樹木観察をした。木に標識番号が付いていて、解答もあって楽ちん。とはいえロープ囲いの中にあるので、葉の形がはっきりせず、花がまだ咲いていない状態で・・・なかなか実感が湧かない。

(追記)
今日、米国トランプ大統領が来日した。テレビのニュースは、表面的な行事だけ紹介して、交通規制とか、駅のロッカーが封じられたことについて市民が不満を述べる姿を報じた。そんなとき思い出すのが、以前(2017年9月19日)、ブログの雑談でこんなことを記したことがある。
「昔、WWⅡのノルマンディ上陸作戦で死線を越えた連合軍兵士たちが、意気揚々とフランスの田舎路を通り抜けていたとき、農家の窓が開き老婦人が『うるさい』と叫んだという。いつの世にも日常を最優先する人がいる」

2019年5月24日金曜日

最高気温31.0℃

暑さが極まった。今日の東京都心の最高気温は 30℃を突破して、なんと31.0℃(14:14)まで達した。今年の「夏日(25℃以上)」の記録については、前月4月に 1日だけだったが、今月5月に入ってから 9日、さらに「真夏日(30℃以上)」の今日が加わったことになる。天気予報によれば、この後3日ほど間真夏日が続くという。

(本ブログ関連:”夏日”)

(参考)夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など気象庁の用語
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・夏日   : 日最高気温が25℃以上の日。
・真夏日: 日最高気温が30℃以上の日。
・猛暑日: 日最高気温が35℃以上の日。
・熱帯夜: 夜間の最低気温が25℃以上のこと。(気象庁の統計種目にはないが)
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暑い夏は、波止場にたたずみ、あるいは座って潮風で涼んでみたい。きらきら輝く波を見ていると、何も変わっちゃいないってことに気付く。CMにも使われた、世界の(ストリート?)ミュージシャンが歌いつないだ「(Sittin' On) The Dock Of The Bay 」をYoutubeで聞いてみよう。自然と溶け合ったのか、それとも宙に浮いてしまったのか判然としない時間を過ごすのもよいものだ。


(Youtubeに登録のPlaying For Changeに感謝)

2019年5月23日木曜日

バスク風チーズケーキが食べられず

前々回の「バスク語教室」で、先生からコンビニ「ローソン」でバスク風チーズケーキ「バスチー」*が発売されていて、どうやら美味しいらしいと話題にされた。受講者で、それを食べたことのあるのわずかだった。どんなものか気になった。

(*)バスチー: https://www.lawson.co.jp/recommend/original/detail/1367433_1996.html

以前、チーズケーキ作りにチャレンジしたが大失敗したことがある。ためにチーズケーキに関心が強く、ましてバスク風となればなおさら。ところで、コンビニのローソンは、遠くの公園に行く途中にしかなくて、購入のタイミングを持てずにいた。

(本ブログ関連:”チーズケーキ”)

まるで真夏のような強い陽射しの昼間、そのローソンへ寄ったところ売り切れていて、午後3時に入荷するという。一昨日が「小満」だったので、木々の葉が深緑色に染まる様でも見ようと、そのまま公園へ向かうことにした。洒落たグリーン色したペットボトル入り「生茶」と新聞を購入した。

ベンチに腰掛けて、新聞を読んでいると風にめくれた。一瞬目に入った記事をあらためて確かめようと目を凝らしたが見つからない。何度探しても紙面に見当たらない。そんな馬鹿なと、帰宅してネットで確認するとちゃんと表示される。もう一度、新聞を読み直すと見つかった。ベタ記事と思い込んだのが間違い、実は(灯台元暗しのようなことだが)大見出しの記事を見誤ったのだ。

以前、物が何かの下に隠れたりすると、その存在が見当付かなくなって大慌てしたことがある。多分、これが老化の始まりと心配した。今度は、手にした新聞紙面の中で探し回ったのだから・・・。

2019年5月22日水曜日

ゲフィルテ・フィッシュの食べ方

先日(5/15)のイディッシュ語の勉強会で、ユダヤ料理を食べながら会話練習をするという洒落た機会を得た。考えてみれば、イディッシュ語に関心を持ちながら、ユダヤ料理を一度も食したことがないというのが不思議。今回それを一挙?に解決できたと思う。

(本ブログ関連:”イディッシュ語クラブ”)

メニューに「ゲフィルテ・フィッシュ(Gefilte fish)」(魚肉のつみれ風だが柔らかくて穏やかな・淡白な味)があって気に入り、授業後その瓶詰めを売店で購入した。「Manischewitz」製の「Premium Gold  Gefilte fish」(ニンジンが少々入った)で、6個入りのもの。Manischewitzは、コーシャ(食物規定)にのっとった、米国では知られた食品会社のようだ。瓶ラベルに食材について、「アメリカの五大湖で漁った」ものから選りすぐったとあり、材料として「コイ」の表示がある。(淡水魚とは意外だった)

売店で購入したとき、(日本の)家庭料理に使うなら「わさび」と一緒に食するとよいとアドバイスを受けたが、今回はちょっと違う使い方をしてみた。そして、今日食べ終わった。

結論からいえば、最近「うどん」(冷凍うどんの場合実に食味がよい)に凝っていて、その際の「つゆ」作りに(千切りした塩昆布と合わせて)、ゲフィルテ・フィッシュを粗く刻んで味出しに使った。
いってみれば、「つみれ入りのうどん」であったり、「肉うどん」といったジャンルに入る。熱いうどんと一緒に食べると、ゲフィルテ・フィッシュから常温では気付かない独特な甘みが出るのを感じた。今まで経験したことのない、新種のうどん料理ができたことになる。

2019年5月21日火曜日

2019春期バスク語-6(小満2019)

二十四節気「小満(しょうまん)」の今日、雨に濡れた木々の若葉は緑を深め繁っている。「立夏」も過ぎてのこと、気分は初夏のはずだが、気象庁のカレンダーの「夏」は6月から。まずは、梅雨(例年の「梅雨の入り」は6月8日)まぢかである。
昨日のブログに、勘違いして「小満」について記してしまった・・・ここに訂正

(本ブログ関連:”小満”)

朝から雨風が止まず、夕方の「バスク語教室」がどうなるのか気掛かりだったが、5時過ぎには雨もすっかり上がった。傘も持たず出かけた・・・結果は、大丈夫だった。

(本ブログ関連:”バスク語”)

今回も、宿題のプリントを全員が順に回答し、新しい章ではいつも通り丁寧な解説と説明をいただいた。(テキスト第4章)
① 能格(主語)で、次の文を使えるようにする。
  ・否定文: 「いいえ(Ez)」を使う場合
  ・疑問文: 回答が、「はい(Bai)」、「いいえ(Ez)」の場合
  ・疑問文: 疑問詞「何を(Zer)」、「誰が(Nork)」を使う場合

 ② その他の表現
  ・「ある一つの~だ(~ bat(dut))」、「~という名前だ(~ du izena)」
  ・数詞(-ta = eta)、時刻/時間(何時ですか?(Zer ordu da?)、~時です)

③ 話題
  ・TV番組「世界遺産」*: バスク地方の鉄の町だったビルバオ**にある「ビスカヤ橋
    (*)TBS: https://www.tbs.co.jp/heritage/1st/archive/20080224/onair.html
    (**)本ブログ関連:”ビルバオ
  ・子どもの命名: (フランコ死後)バスク語の名が自由化され、音の良さに頼った奇妙な名付けがある。

2019年5月20日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-6

空は日が射して気分も軽く、昼前に市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。6回目の今日は、「イスラーム世界の形成とユダヤ人の繁栄:地中海とインド洋交易」について、立教大学講師の嶋田英晴氏に解説いただいた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

少々足早のため、理解が追いつけないところがあったが、次の資料を紹介された。イスラムとユダヤの共存した時代を知るのに参考になるという。(前回(5/13)の講演で少し予告的な話題があったが・・・現状では、ユダヤ社会とイスラム社会の(歴史的な)関係があまり語られていない)
「ユダヤ教徒に見る生き残り戦略」(嶋田英晴著、晃洋書房)

1.イスラム世界の通史
    - ウマイヤ朝 ⇒ アッバース朝(中東地域)
    - 後ウマイヤ朝(イベリア半島:スペイン)
    - ファーティマ朝(北アフリカ)

2.イスラムのイベリア半島まで地中海の展開に合わせたユダヤ社会の拡充
    - 10,11C全般: ユダヤ教徒は地中海交易で活躍
    - 11C末以降: 十字軍襲来、活躍の場を紅海経由でインド洋に移す
    - 12C後半~13C半ば: 徐々に衰退

3.イスラム圏内で主として商業活動をした要因
    - 地租税は重く、人頭税はそれに比べて軽いため、9C初頭に農業従事から撤退を完了

4.アッバース朝下のラビ・ユダヤ教中央指導集団体制
    - ガオン: 各地のユダヤ共同体からの立法について宗教的規範に即して回答
    - レシュ・ガルータ: イスラム圏下ユダヤ教徒の自治の代表(バビロン捕囚時のユダヤ国王の系図)
    - ジャフバズ: 宮廷銀行家としての特権を付与された

昔、イスラムの経済圏下で、各地の有力ユダヤ商人は、婚姻を通して連係をはかった。

夕方になっての帰宅道、空を見上げればねずみ色の雲が小走りするよう。今にも雨が降るのではないかと急いだ。

(付記)
市民高座は、講演という形式で、口頭による要約を聴き概要を知るわけで、素人には受け身の(ある意味気楽に)聴講することになり、なんだか知った気(その気)になるが、研究者は実際に現地に出向き資料を読み解くという、多言語な作業をされている。そんな話題もちらりと聞かせていただき、学術研究とは本当に大変な仕事だと感服した。

2019年5月19日日曜日

落語噺を聴く

昔、職場の同僚と一緒に落語を聴きに行こうということで、「新宿末廣亭」に出かけたことがある。素人ファンでも知る有名な落語家たちが、綺羅星のごとく多数出演した。テレビやラジオで視聴するのと違い、直接生で聴く面白さを実感した。(他にも、上野の「鈴本演芸場」などへ行ったことがあるが、素人ファンの観光気分の域を出ていない)

(本ブログ関連:”落語”)

最近、近くの飯屋に入ったところ、テーブルに落語噺を聴く会の案内パンフレットが置いてあった。久しく落語を聞く機会がなく、フッと思いついたように関心が湧いてきて、店を出て直ぐに電話予約した。

落語会は小会場ながら、地元人びとが参加する、手作り感のある集いという気がしたが、実は、これまでに100回以上続く伝統を持ったものだった。(主催者に感謝)

< にわか・素人落語ファンが、修行を重ねた落語家について軽々語れる言葉はありません。大衆が酸いの甘いの経験して、長い熟成を経て紡ぎだした言葉が落語に集成され、それを語るに人生経験の裏打ちがあってこそといった気がします 。落語家は、常に緊張関係を持ったライブの演技者だと思います。>

出演の落語家と演目を次に記す(話された順ではない)。また、演目については、直接掲示されたわけではないが、Wikipediaにほぼ同じ内容が紹介されている。

林家正雀(8代目林家正蔵[後の林家彦六]に入門)
 ① 「紙入れ
 ② 「百年目

台所おさん柳家花緑に入門)
高座名について、師匠の「花緑」の師匠である「五代目 柳家小さん」が「台所」の名を好んだというが、弟子にその名を受ける者がいなかったところ、台所おさんが自ら申し出たそうだ。
 ① 「抜け雀」(似た展開のものに「竹の水仙」がある)中国の奇聞・奇談にありそうな気がする・・・。
 ② 「芋俵

林家彦星(林家正雀に入門、前座)
 ①「牛ほめ

2019年5月18日土曜日

(知りたいこと)人類とオオカミ

今週の「ニューズウィーク」(日本語版)に、見開き2ページの小記事「オオカミから進化した最強のパートナーたち」がある。オオカミがどうやって人類とともに進化を歩んできたかを紹介する書籍の「ワンス・ア・ウルフ(Once a Wolf)」の著者ブライアン・サイクスとのインタビューだ。合わせて、オオカミからイヌへの進化について概要を語っている。

インタビューということだが、メール上のやりとりのように見えてしまう。

結論からいえば、人類はイヌ(オオカミから飼いなされた)と一緒に、他の人類(ネアンデルタール人たち)などを征服してきたというのだ。これって、以前出版された「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた(The Invaders: How Humans and Their Dogs Drove Neanderthals to Extinction)」(パット・シップマン著)とどう違うのだろうか。

「ワンス・ア・ウルフ」の日本語訳がでたら、すでに日本語訳されている「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」と読み比べてみたい。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

2019年5月17日金曜日

森林浴

昨日のブログに「月光浴」について触れた。といっても、月のわずかな光を頼りに(長時間露光)撮影した写真集のことだが。月明かりに照らされた自然の姿が余りに幻想的で、神秘的なのに感動を覚えたものだ。

同じ「~浴」の名を持つのに、「森林浴」(Wikipedia:日本では1982年に当時の林野庁などによって提唱)があって、昔ブームになったことをブログに記したことがある。青葉繁る森(特に針葉樹林)を巡ると独特な香りがする。香りの物質を(ソ連の生物学者が発見した)「フィトンチッド(Фитонциды、Phytoncide)」といい、植物が防御反応で放出する揮発性物質という。

(本ブログ関連:”森林浴”)

日本ではYoutubeに関連映像が多数見受けられる。「Фитонциды」または「phytoncide」で検索してみると、本家のロシア(ソ連)では、効能が語られているようだが、英語版などは、日本発の映像が使われているようで(日本情報に敏感な韓国版もあるが)、欧米での普及はよくわからない。
また、日本版Amazonで「フィトンチッド」関連商品を検索すると、あまり知られていない商品が出てくる。肌に直接触れる物だけに若干の躊躇がある・・・。

現在の日本では、森林浴は一部信奉者だけの言葉として残っているのかもしれない。うっかりすると忘れられそうな観もある。(特に、若い人には余り知られていない気がする)

月光浴

帰宅道、東の空に月齢 11.2の月が浮かんでいる。なのに星一つ見えない。厚い雲が垂れているわけではない、むしろ空全体に青味すら感じて不思議な気がした。きっと、月明かりだけ通す薄い雲が空を覆っているのだろう。

先ほど見た旅番組で、タレントと何ごとも無頓着な漫画家が、夜の岬を訪れたとき、撮影用の照明を落とした瞬間、歓声をあげた。まるで、岬の先が「天の川」へ通じているようだというのだ。星明りの強烈さを、そのときのテレビカメラの感度では伝えられなかったという。

照らされて影ができるほどの、煌々とした月明かりも浴びたい。あるようでない経験だ。

昔のこと、写真集「月光」(石川賢治*、1990年)が話題になったことがある。微かな露光の月明かりを頼りに、サイパンの岬に打ち寄せる波を撮影(長時間露光)した「岬と波」(1985年)の写真はまことに印象的だった。月明かりに照らされて岬に砕ける波が、雲海のように(あるいは、夜光虫が輝いているように)見せるのだ。想像すらできなかった光の世界、光の妙味である。

(*)石川賢治「月光欲」のホームページ: http://gekkouyoku.com/


(Youtubeに登録のmansaku1966に感謝)

(付記)
ちなみに、「~浴」にあたる「森林浴」がある。Wikipediaによれば「日本では1982年に当時の林野庁などによって提唱」されたという。他のネットニュース(複数)に、日本発祥のブームとのこと。

(本ブログ関連:”森林浴”)

2019年5月15日水曜日

イディッシュ語クラブ-2

先月(4/18)から月1回の割合で始まった「イディッシュ語クラブ」の第2回目の今日、一人で会場を訪れた。初回時、駅から会場までの道筋が複雑なため、クラスメイトに同行をお願いしたが、今回は遠慮して、(右足「ふくらはぎ」が少々つり気味にも関わらず)良く頑張ったと思う。

(本ブログ関連:”イディッシュ語クラブ”、”イディッシュ語”)

先生は、ネイティブであり多言語話者でもあるため、言語習得についていろいろなヒントをいただいた。今回新たに(といっても以前、先生の指導を受けたことのある)参加したクラスメイトの・・・これまた多言語振りに接して、流暢に喋れるのではないかと錯覚してしまいそう。

ユダヤ料理を囲みながら会話練習、食後にはイディッシュソングを歌うといった、ちょっと贅沢な時間を過ごした。
① 食事(全般に淡白だがユダヤ家庭料理を楽しめた気がする)
  ・ピタ: カレーのナン風だが、もっとパン寄り
  ・サラプ:賽の目に切ったトマトで飾ったコールスロー風サラダ
  ・ポテトフライ
  ・フムス: ひよこ豆を擂り潰してペースト状にしたもの
  ・ゲフィルテ・フィッシュ: 魚肉のつみれ風だが柔らかい穏やかな味(授業後、瓶詰めを売店で購入した)

② イディッシュ語会話練習(事前に教材がメール配信された)
  ・食事をしながらの会話練習のため、ついつい食材や味覚表現のメモもが残った
  ・出身地の紹介の表現

③ イディッシュソング「暖炉の上で」をみなで歌う
  ・19世紀末にイディッシュに人気のあった曲を歌い、歌詞について解説いただいた 。


(Youtubeに登録のThe Soul of Jewish Musicに感謝)

④ 初級イディッシュ語学習のコツ
  ・名詞: 単数形と複数形(語形が単数と違うことある)を合わせて覚えること。
  ・活用: 格変化を一覧表にして覚えようとせず、会話練習の中で習得すること。

2019年5月14日火曜日

2019春期バスク語-5

天気予報では、午後に雨混じりとなり、夜は本格的な雨降りのはずだった。夕方、「バスク語教室」へ出かけたとき、小雨がぱらつくほどで、帰り道の夜分には一瞬霧雨かといった程度だった。昨日からふくらはぎに鈍痛があって、雨の中の歩行を心配したけれど、幸いな結果になった。(雨はやっかいだが、直に(例年6月8日になれば)梅雨入りになる)

(本ブログ関連:”バスク語”)

前回の「バスク語教室」は、4/23(第4回)だったので、実質3週間のブランクがある。ネジを撒き戻すのに心配したが、クラスメイトの真剣ぶりに引っ張られた。

今回も丁寧な解説と説明をいただき、宿題のプリント教材を全員が順に回答した。(テキスト3章)
① 目的語を「持つ」主語として、新たに「能格」が登場
  ・(前回) 主語(絶対格)+ 名詞/形容詞(絶対格)+ である(英語:be相当)
  ・(今回) 主語(能格)   + 目的語(絶対格)       + 持つ(英語:have相当)
② 主語(能格)の作り方
  ・固有名詞の場合
  ・普通名詞の場合
③ 「ベレー帽」について
  ・バスクの男性は60歳になると「ベレー帽」を被る。
  ・競技でチャンピオンになったときや、郷土の伝統的な祭りのときも被る。

授業後、バスクの「ベレー帽」と、周辺の、例えばフランスの「ベレー帽」との関連について、クラスメイトとともにうかがった。

2019年5月13日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-5

先週の今日は、二十四節気の「立夏」だった。気分は初夏だ。寒いのが苦手だったのを忘れて、陽気に誘われて歩き回ったところ、調子に乗りすぎたのか「ふくらはぎ」がつり気味になった。よい天気の今日、用心しながら、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に出かけた。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

5回目の今日は、「『ユダヤ教』とはどのような宗教か: キリスト教と異なる道を歩んだユダヤ教」について、前回に引き続きユダヤ宗教史学者の市川裕氏(東京大学教授)に解説いただいた。

1.ローマに神殿を破壊されて流浪の民となった、ユダヤ人のその後をたどった。
  ① エルサレム神殿の概観(動画や写真を交えて紹介)
   ・ヘロデ王大改造時の神殿の姿と、現在の「なげきの壁」の位置
   ・(現在の旧市街の区割り <ユダヤ教、キリスト教、イスラム教[岩のドーム]> )
  ② ローマによる神殿の破壊
   ・あえて強大なローマと戦ったのは、よほどのことがあった
   ・ローマに残る凱旋門に、戦利品としてのユダヤの燭台のレリーフがある
  ③ ローマとの戦いに敗れた後の「持ち運びできる国家」としてのユダヤ教
   ・ユダヤ人は国を失い流浪の民となりながらも、ユダヤ人として生きた
   ・ラビとユダヤ教は、離散後のユダヤ人として生き方(共通認識)をまとめて示した
     - 神と向き合う生き方: 神とつながればどこででも生きられる
     ー 神の教え(トーラー)を「成文トーラー」(モーセ五書)、「口伝トーラー」(ミシュナ)にまとめた

2.ユダヤ人とイスラム世界の関係が、(欧州のユダヤ観と違って)密接であったことを紹介をされた。
  ① ユダヤ教とイスラム教は、律法主義という点で似ている(連続性がある)
  ② イスラム世界で、ユダヤ人は「啓典の民」として保護され、活躍した

ユダヤ人とイスラム世界の交流について、市川氏が著した岩波新書の「ユダヤ人とユダヤ教」(第一章二節)に、イスラム世界との関係を吟味する必要性が語られている。私たちが知る欧州・中東の歴史が、実は欧州のキリスト教的な歴史観によるものということを気付かせてくれる。(ギリシャ文化の伝播にしても、イスラムのアラビア語翻訳を通じてローマに伝わったのだから)

2019年5月12日日曜日

(雑談)ファッションが残ってしまうこと

昔、亡き母が女学生だった戦前のころのこと、東京と地方のファッションの時差が、一ヶ月近くあったという。流行に敏感な女学生ゆえ、その差を縮めたいだろうにと思ったが、推測するに、雑誌など見て先取りしても、周囲がじわじわと変わっていくのに歩調合わせしないと、浮いてしまうことになる。浸透するのに結構手間取ったようだ。

中央との流行の時差にはいろいろあるが、逆に流行後に残ってしまうものもあるようだ。今ではメディアで使われることのなくなった(避けられる)言葉に「地方文化人」があって、ベレー帽*スタイルの独特な雰囲気があった(続いた)。今から考えれば、ある種の心意気といってもいいかもしれない。

(*)ベレー帽: 戦後ヨーロッパ映画に登場するレジスタンの象徴のようなものだった。

ほんの少し前でも、テレビに出てくる男性コメンテーターの間で、ハイネックのような(襟が首を巻いているような)ワイシャツ?が流行ったものだ。まあ、こちらは直ぐに廃れたが。他方、昔から気になることに、新聞記者出身の論者の髪型が、左右を問わず独特なことだ。主張(主義)とファッションが記号化された時代の産物といっていいのかもしれない。これって日本特有の風潮なのだろうか。

おかしなファッションは、ファッションがフォーマル化するといった構図とは別種の結果になる。いい歳をした連中が、鏡の前で一生懸命髪型を整えているなんて・・・。

2019年5月11日土曜日

母の日 2019、早めに母の日の歌を聞く

明日は「母の日」、そこでYoutubeで「Mother's Day」を検索したら、一番上に登場したのが「The Kiboomers」*(就学前の子どもたちのための音楽サークル)が提供する「Happy Mother's Day」の歌。おめでとう母の日というべきか、子どもたちの決意表明のようで、その誓いがかわいらしい。

(*)The Kiboomers: https://thekiboomers.com/

一日早いが、つい聴いてしまう。まるでクリスマスソングのように楽しくて賑やかな旋律、「お部屋をきれいにするし、ベッドもきちんと整理する、おもちゃもちゃんと片付けるよ、だって今日は母の日だもの、いい子になるよ」と歌って贈り物をする。


(Youtubeに登録のThe Kiboomers - Kids Music Channelに感謝)

2019年5月10日金曜日

公園のポピー畑で

例年、公園の一画に「ポピー」の花が咲き、目を楽しませてくれる。今年もポピー畑を紅い花弁で埋めてくれるだろう。そんなポピーの間に、青色や白色の花も咲いていて、お伽噺の絵本の背景にでもなりそう。現場で見れば、美しい色彩のバランスを感じることができるのだが。

(本ブログ関連:”ポピー”)

そんなパステル風の世界と無縁に、ベンチに座って、先日ブックオフで入手した本を読み始めた。「汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師  -  インテリジェンス奇人伝」(手嶋隆一著、マガジンハウス)だ。

こんな話から始まる。WWⅡ中、ユダヤ人画商が所有していたモディリアーニの絵「杖をついて座る男」が独軍の手に落ち、行方不明となる。戦後、サザビーズのオークションに登場したことから、画商の孫とオークションの落札者側との間で所有権争いが始まったものの、落札側の企業は現所有者を不明で押し通した。ところが、別のところからその現所有者が明らかとなる。「パナマ文書」の解読から、落札側企業のオーナー=現所有者が判明したのだ。現所有者もユダヤ人だった。

話はさらに「パナマ文書」事件へと飛び、世界の権力者たちの蓄財の実態があからさまになる・・・と言った具合に進む。日頃、テレビでさまざまコメントされる手嶋氏の語り口とは思えないほど(失礼!)に快調で、引き込まれていく。

ポピーの可愛らしい世界とは全く別の世界へと展開してしまった。


2019年5月9日木曜日

(雑談)自動車の運転

子どものころ住んでいた社宅に技術者の家族がいて自動車整備を楽しんでいた。休みの日などに、技術者が車を運転する光景が見られた。車は坂道を滑らかに下って行ったが、帰りの登り坂で難儀することがあった。息子と一緒に手押ししている様子を眺めたりした。よほどに「機械遊び」が好きな人たちと思った。自家用車が珍しい時代の話だ。

昔、車が若者にとって憧れであり、ステータスだった。ジェームス・ディーンの映画「理由なき反抗」では、女性を意識したなかで度胸を示すツールだったりした。自動車は、ある意味一つのシンボルだった。そんなナイーブな青春群像とは別世界で、(むしろ現実の世界でだが)車はまかり間違うと犯罪の手段にもなった。大久保事件のような話をしても、今の若い人には通じないようだ。見知らぬ車に吸い寄せられて、同乗してしまうなんてことは到底考えられないのだ。昔は、車にそれほどの魔力があった。

今は、人口減少もあるだろうけど、若い人の車離れが進んでいるという。都市生活に、車がなくても何ら支障はない。私の場合、行動範囲が狭まっていても、近くにコンビニがある。もちろん、幼い子育ての時代には車が必要だったが。
一方、地方の街や農村では、交通網が削られて個人ごとに自家用車が必要だったり、店舗が減少して遠くまで買い物に出かける必要があったりするという。

以前、自動車の運転免許証を地元警察署に返却に行ったとき、随分早い年齢ですねと受付でいわれたことがある。そのときのいきさつはブログに記した

(本ブログ関連:”自動車運転免許証”)

最終的に運転免許証の返却を決断をさせたのは、Youtubeに登録された、ある寒い雪国で起ったたくさんの自動車事故映像(車載カメラで記録されたもの)を見ているうちに恐ろしくなってきたからだ。整備不良、不注意、何より交通ルール無視の結果だが、歳とともに誰にでも起り得ると不安になった。

最近の交通事故報道は、事故時のパニックとその判断力、もともとの適正など考え合わせるべき課題を示唆する。本来、運転者自身が自覚すべきものと思うのだが。
ただし、繰り返されるニュースを見ていて気になることがある。だから人間はダメで、AIなどで安全性を確保した自動運転の車が必要なのだという <誘導> につながっていないことを信じたい。

2019年5月8日水曜日

メンデルスゾーン「5月の風」

朝から雲ひとつない、まさに快晴の一日だった。5月の心地よい風を受けながら、先日の「こどもの日」に余りの混みようでできなかった、公園併設の「たてもの園」友の会の更新手続きに行ってきた。

ところで、メンデルスゾーンといえば、音楽家のフェリックス・メンデルスゾーンが浮かぶ。といっても学校教育で名前を聞いたくらいなので、代表曲*が何か知らない・・・「夏の夜の夢」がそうだというので、その「序曲」を聴いてみたが思い出せない。その程度なので、何も語れない。ところで、Wikipediaに、彼が語学に堪能だったという記載がある。ユダヤ系に特徴的な才能だろう。とはいえ、彼は宗教的に「ルーテル教会」に属したという。

(*)代表曲:「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」が有名とのこと・・・たしかに耳慣れた曲だ。
       ブログ「中野京子の『花つむひとの部屋』」記載の「メンデルスゾーンへの低い評価--ユダヤ人であるがゆえに」 (2006年06月09日) に記されている。(ワグナーとメンデルスゾーンを軸に歴史的背景を解説している)
  https://blog.goo.ne.jp/hanatumi2006/e/625364a0e24add179d0b94d0d652b316

そのフェリックス・メンデルスゾーンの祖父「モーゼス・メンデルスゾーン」は、国民国家の時代に、啓蒙思想によりユダヤ教を含めてあらゆる宗教が共存されることを説いたようだ。その意味で開明的な家系だったのだろう。

というのも、現在聴講している市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に、事前準備のため来られた、これから講演予定の講師の方から、フェリックス・メンデルスゾーンと、モーゼス・メンデルスゾーンの関係を聞かされた。(今、教科書的な理解でしかないので、これからの講演で詳細をうかがえたらと思う)

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

ここでは、風そよぐ新緑の五月の情景を歌った、フェリックス・メンデルスゾーン作曲の「無言歌集 第5巻 Op. 62 - 第1番 ト長調 『5月の風』 」を聴いてみよう。


(Youtubeに登録のnaxos japanに感謝)

2019年5月7日火曜日

錫高野へ行こう!

先日、鉱物仲間から、鉱物採集の誘いの電話をいただき、茨城県にある「錫高野(すずこうや)」へ、今月末出かけることになった。同地へ行くのは、20回目の 2015年2月1日(日)以来。そもそも、鉱物採集をしたラストが、山梨県にある「鈴庫(すずくら)鉱山」に訪れた2016年5月22日(日)で、3年近く足が遠のいていた。

今年になって山歩きが大丈夫とのお墨付きをもらい、久し振りに再開するつもりでいた。そんなときに誘っていただいた鉱物仲間に本当に感謝している。

(本ブログ関連:”錫高野”、”鉱物”)

鉱物採集のバイブル「鉱物採集 フィールド・ガイド」(草下英明著)を見直していると、そわそわしてくるのがわかる。「鉄マンガン重石」は何度も採集できた(拾えた)が、美しく輝く「錫石」との直接な出合いがない・・・今回、淡い期待を抱いている。もしできたら、縦筋の条線がある「トパーズ」とも巡り合いたい。

ああ、いけないけない妄想がふくらむ。

2019年5月6日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-4

10連休(4/27~4/6)の最終日、世間はどう過ごしているだろう。ネジを撒き戻したり、タキシング・モードに入ったり、明日から始まる日常へ戻る準備をしていることだろう。わたしの場合、常に日常なので気持を入れ替える必要はないのだ。

月曜日に開催の市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」(これまで3回開講)は、長い連休の余波で 4/29の月曜日が休講になったが、(5/5の「こどもの日」が日曜日だったことによる)「振替休日」の今日は休講にならなかった。大部分を占める年配受講者にとって、休日・祝日が無縁だからと合点している。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

4回目の今日、「アレクサンドロス大王からローマ帝国へ:イエス時代のユダヤ世界」について、1回目を担当されたユダヤ宗教史学者の市川裕氏(東京大学教授)に解説いただいた。ユダヤ教(Judism)の成立を、次の政治的大事件でたどった。

① ギリシャ(ヘレニズム、Hellenism)の影響:英雄アレクサンドロス大王と後継のセレコウス朝
  a.アブラハムの移動経路(偶像の地のメソポタミアから)
     ・ウル -(北上)→ ハラン -(南下)→ カナン
  b.モーセ出エジプト(奴隷からの脱出)
      ・エジプト -(紅海)→ ネボ山
  c.上記a,bの中間に生まれた小国家は、ギリシャ文明の影響を受ける

② ローマ帝国の影響
  a.ユダヤ人は、エルサレムを中心に領土を拡大するものの
     ・海側、内陸側に住むユダヤ人以外の民に「ユダヤ教」を強要(改宗規定)
   b.ローマは、ヘロデ王死後にエルサレムを制服して「直接」支配する
     ・ローマと友好関係持ったヘロデ王は神殿などの土木建築をした
     ・ローマは、ユダヤよりシリアの方を重視した
  c.ローマに対するユダヤの抵抗とキリスト教の誕生
     ・メシア待望論
     ・ユダヤ教からキリスト教の誕生(別の意味でのメシア待望)

歴史はダイナミックで、変化し・変化させられる。その動きを、視点を変えてみる楽しみもある。

2019年5月5日日曜日

子どもの日2019

祝日「こどもの日」の今日、2つの場所を巡った。一つは、「こどもの日」の公園の賑わい振りに触れたくて(合わせて、公園併設の「たてもの園友の会」会員の更新手続きのため)、もう一つは、「調布飛行場」を拠点にするローカル線定期便の離着陸の様子を見たくて出かけたわけだ。

(本ブログ関連:”こどもの日”)

公園は、なるほど、こどもの日らしい賑わいである。園内のいずれの原っぱでも、走り回る子どもたちの声が溢れていた。きゃっきゃといった笑い声だけでなく、叫び声、泣き声で満ちていた。親ときたら、最近の傾向だが小さなテントを持ち込んで、そこから見守っているようだ(10連休の終わりまであと2日、さすがに連休疲れしているのかもしれない)。

こどもの日の特典で、公園併設の「たてもの園」は無料開放された。同施設の入り口には、親子連れの長蛇の列ができていて、待ち時間を考えると、友の会の更新手続きを後日に改めることにした。(おまけに園内の売店食堂まで客で満員だった)

次に、久し振りに調布飛行場へ向かう。連休のかき入れ時と思うに、同空港を拠点にするNCA(新中央航空)のドルニエ228が3機も駐機していた。気にしていると、2機が次々と飛び立った。あわてて写真を撮ったが、金網越しの撮影のため小さな機影しか写っていない。本当はブログに載せたかったが残念・・・航空雑誌のような訳にはいかない。

(本ブログ関連:”ドルニエ228”)

空港ロビーに置かれた自動販売機*から、以前も求めたことがある、神津島の「岩のり風味」(黒潮商会)を、神津島まで往復した気分で購入した。直ぐに食べるのがもったいなくて、今も私の机の上に置いてある・・・明日にしよう。

(*)自販機(調布経済新聞): https://chofu.keizai.biz/headline/2276/

2019年5月4日土曜日

みどりの日2019

近くの都市で「雹」が降ったそうだ。驚きだ。わが家近くの一帯で、雨を含めてそんな跡が全くなかったし、昼前に隣り町に出かけて、いつもの大型書店で面白げな書籍を購入し、喫茶店で一読した後、夕方ころ帰宅したが、そんな空模様を微塵も感じなかった。

書店で全く予定外の本を買うことがある。今回もそうだ。年寄りのジレンマをたしなめる内容で、なるほど世間を見回せば納得するばかり。新書版スタイルで気軽に読める。

ところで、10連休も終わりに近づき、今日を含めて残すところ3日となった。連休の中身が豊富で、今日は祝日「みどりの日」・・・といわれても(連休と平日に境界を持たぬ身なので)。

(本ブログ関連:”みどりの日”)

「みどりの日」の成立のいきさつは、祝日「昭和の日」と大きく関係している。いってみれば、後付けのような存在だ。「みどり」という言葉の響きに馴染みにくい面がある。

日本は緑豊かな照葉樹林帯にあり、焼畑農業のように禿山を作ることもなかったし、そもそも集落と山の緩衝地帯である「里山」を設けるなどして(野生生物との関係を含めて)自然を大切にしてきた。さらに、緑深い山麓からそびえ立つ高山を神聖視した「山岳信仰」を生み出した。(「剱岳」初登頂の際、奈良(平安)時代の「錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖が発見された」(Wikipedia)といわれる)
明治期に来日したイギリスの鉱山技師や宣教師は、中部地方にある高山を「日本アルプス」と命名した。彼らの影響もあって、当時の若き日本のエリート大学生たちは、山登りを自然を征服するスポーツに変えた。

山登りを山の規模に応じて、「登山」といったり、「トレッキング」といったり、「ハイキング」といったりする。また、エコの流行で「森林浴」がもてはやされ、自然物質の「フィトンチッド」を浴びるといった合理的説明がされてきたが、山岳信仰的な自然への畏敬と結びつくことはない。
登山用語にカタカナ用語が多い。釣りの場合も同様で、ルアー釣りを普及させたせいか、釣り人口を確保するために女性に関心を持ってもらいたいためか、釣り用語の化粧直しが行なわれた。

年寄りは、世のなかの流行り廃りに口出ししたくなる、大いなるジレンマを持っている。

2019年5月3日金曜日

憲法記念日 2019

今日は祝日の「憲法記念日」だが、4月末の土曜日(4/27)から、月をまたいで5月5日の祝日「こどもの日」に至る10連休の一部になる・・・その程度に意識しているのが正直なところだ。

(本ブログ関連:”憲法記念日”)

10連休になったのは、従来いわれるゴールデンウィークに、5月1日の、新天皇のご即位による改元の日の祝日が加わったためだ。そんな訳で、このような長期間の連休になるのは今回だけかもしれない。(ちなみに「ゴールデンウィーク」は商業用語(映画業界発といわれる和製英語)のため、NHKなどでは「春の大型連休」と呼ぶそうだ)
     4月27日(土曜日
     4月28日(日曜日
     4月29日 昭和の日
     4月30日 国民の休日  ←  祝日と祝日に挟まれた平日を全て休日にする
     5月  1日 天皇の即位の日新天皇のご即位による改元の日の祝日
     5月  2日 国民の休日  ←  祝日と祝日に挟まれた平日を全て休日にする
     5月  3日 憲法記念日
     5月  4日 みどりの日土曜日
     5月  5日 こどもの日日曜日
     5月  6日 振替休日  ← 休日/祝日が他の休日/祝日と重なる場合、月曜日以降を休日にする

私は、休日や祝日と直接関わりない生活を送っているため、10連休とはいえ、いつも通り過ごしている。実際、外出しても、人出をあまり意識しないほどだ。自宅を中心に過ごしている人々にとっては、今回の連休は長過ぎて持て余し気味かもしれない・・・そんな気がする。

今日の最高気温は、まさに「夏日」の 25.0℃ だった(今年に入って 4/22の 25.6℃ に次ぐ)。そんな陽気に誘われてまた「自然観察園」を訪れた。
子どものころから、美味しいおかずを最初に食べるか、それとも後に残すかといった問題がある。私はできるだけ残すくせがある。観察園の観察についても一気に済ませないで、少しずつ楽しんでいる。今日で、80%ほど踏破したことになる。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

クサイチゴ?
今年に入って4回目の今日、地味な野草に目を向けた。写真の花は、皺のある5枚の花弁を持つ「クサイチゴ」(白色)と思われる。数株しか見つけられなかったが、木漏れ日を受けて輝いていた。(ガイド資料に記載がなく・・・ネット情報から推測した)

その他に、小さな花弁の「ウマノアシガタ」(黄色)が小風に揺れていた。もっと地味な花は「フタリシズカ」(白色)だろう。名前をたどれば「静御前」が浮かんでくる。

以前記した、茎の周りに独特な形の花弁を連ねて囲む「オドリコソウ」(淡紅色)の群集が、新しいコースで艶やかに目だった。同じく、外来種の「セリバヒエンソウ」(淡紫色)が園内を圧倒的に広がっていた・・・放置に近いのが気になる。

2019年5月2日木曜日

八十八夜 2019

今日は雑節の「八十八夜」。日頃使っている二十四節気とは別に、雑節は特別に設けられた暦日で九つある。八十八夜はその代表的な一つだ。農作業のように気候や天気と密接な生活をしているわけでない身には、カレンダーを見てようやく気付くことが多い。俳句の季語よりも代表的な節目なのだろうけど。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

八十八夜といえば、「夏も近づく八十八夜」の詞が浮かんでくる。文部唱歌「茶摘」(1912年、明治45年)は、この時期に、街路樹の若葉が初々しい黄緑色に輝いているのを見てふと感じる、初夏の鮮やかさを合わせて思い浮かばせてくれる。

1.夏も近づく八十八夜
     野にも山にも若葉が茂る
     あれに見えるは茶摘みぢやないか
     あかねだすきに菅(すげ)の笠

2,日和(ひより)つづきの今日このごろを
     心のどかに摘みつつ歌ふ
     摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
     摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

唱歌とはいえ、民謡に通じる労働を盛りたてる賑やかさや健康さがある。さらに、民謡に必ず色をそえる働く女性の姿(艶やかさも含めて)をちゃんと描いている。茶畑作業の最盛期のころを歌っているそうだ。


(Youtubeに登録のChaAに感謝)

2019年5月1日水曜日

即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば

今日から元号が「令和」になった。皇居・宮殿「松の間」で、新天皇陛下は「即位後朝見の儀」にあたり次の言葉を述べられた。続いて、同即位後朝見の儀で、安倍晋三首相は「国民代表の辞」を述べた。

「即位後朝見の儀の天皇陛下のおことば」(宮内庁: 令和元年5月1日)*
(*) 宮内庁: http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/47
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   日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。

   この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

   顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御(み)心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

   ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽(けんさん)に励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。


(英文: Addresses by His Majesty the Emperor)

I have hereby succeeded to the Throne pursuant to the Constitution of Japan and the Special Measures Law on the Imperial House Law.

When I think about the important responsibility I have assumed, I am filled with a sense of solemnity.

Looking back, His Majesty the Emperor Emeritus, since acceding to the Throne, performed each of his duties in earnest for more than 30 years, while praying for world peace and the happiness of the people, and at all times sharing in the joys and sorrows of the people. He showed profound compassion through his own bearing. I would like to express my heartfelt respect and appreciation of the comportment shown by His Majesty the Emperor Emeritus as the symbol of the State and of the unity of the people of Japan.

In acceding to the Throne, I swear that I will reflect deeply on the course followed by His Majesty the Emperor Emeritus and bear in mind the path trodden by past emperors, and will devote myself to self-improvement. I also swear that I will act according to the Constitution and fulfill my responsibility as the symbol of the State and of the unity of the people of Japan, while always turning my thoughts to the people and standing with them. I sincerely pray for the happiness of the people and the further development of the nation as well as the peace of the world.
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「即位後朝見の儀」における「国民代表の辞」(安倍晋三首相)**
(**) 首相官邸:  http://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0501kokumindaihyounoji.html
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   謹んで申し上げます。
 天皇陛下におかれましては、本日、皇位を継承されました。国民を挙げて心からお慶(よろこ)び申し上げます。
 ここに、英邁(えいまい)なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜(たまわ)りました。
 私たちは、天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ、激動する国際情勢の中で、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を、創り上げていく決意であります。
 ここに、令和の御代(みよ)の平安と、皇室の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます。
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2019年4月30日火曜日

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば

今までなれ親しんだ「平成」の元号は、明日から「令和」にかわる。それにともない、今上天皇陛下が退位されることになり、「退位礼正殿の儀」で次のようなおことばがあった。

退位礼正殿の儀の天皇陛下のおことば(宮内庁、平成31年4月30日)*
(*)宮内庁: http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/46
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   今日(こんにち)をもち,天皇としての務めを終えることになりました。

   ただ今,国民を代表して,安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に,深く謝意を表します。

   即位から30年,これまでの天皇としての務めを,国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは,幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ,支えてくれた国民に,心から感謝します。

   明日(あす)から始まる新しい令和の時代が,平和で実り多くあることを,皇后と共に心から願い,ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。


(英文: Addresses by His Majesty the Emperor)

Today, I am concluding my duties as the Emperor.

I would like to offer my deep gratitude to the words just spoken by Prime Minister Shinzo Abe on behalf of the people of Japan.

Since ascending the throne 30 years ago, I have performed my duties as the Emperor with a deep sense of trust in and respect for the people, and I consider myself most fortunate to have been able to do so. I sincerely thank the people who accepted and supported me in my role as the symbol of the State.

I sincerely wish, together with the Empress, that the Reiwa era, which begins tomorrow, will be a stable and fruitful one, and I pray, with all my heart, for peace and happiness for all the people in Japan and around the world.
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2019年4月29日月曜日

平成最後の野草観察

今年の4月は寒暖を行きつ戻りつして、月末ようやく春らしい穏やかさを迎えたと思ったら、昨日、一昨日冷え込んだ。そして今日、また穏やかさが戻ったようだ。そんな暖かさに誘われて、公園に併設の「自然観察園」を巡った。(全順路を周ってしまうのは惜しくて、後の楽しみのため未踏のエリアを残している)

(本ブログ関連:”自然観察園”)

先日(4/20)に続き、実質2回目の野草観察だ。観察園の入り口に、4月に咲く野草のリストを印刷した「花だより」が置かれている。表には花弁の色彩別に花の名のリストを、裏には観察順路近くに咲く花の名を示している。これを手にして園内を歩けば、いろいろ観察を楽しむことができる。

なお、公園施設の「自然観察センター」に、季節ごと代表的な野草について、カラー写真と解説を交えた一枚ものの印刷物が配布されている。主要な花だけのためヒットするのはむつかしい。今回は、さらにポケット図鑑の「日本の山野草」(岩瀬徹監修、成美堂出版)を持参した。

上記の資料をもとに、観察入門編として、次のような手順で観察した。
① 観察順路を巡りながら、この花の名は何だろうから始まる。
② 観察順路図に、花の名が示されているかどうかを確認する。→ 名があれば ④へ
③ 合わせて、花弁の色に着目して「花だより」の花のリストを見る。→ リスト全て ④へ
④ 少々手間どるが、図鑑「日本の山野草」と照合して、野草名を推定する。

チョウジソウ
今日は前回と違う順路で巡った。まず目に入ったのは、淡紫色の「セリバヒエンソウ」が園内の随所に見られたことに驚く。新しい外来の花であることが少々気になる。(実は、図鑑にない名前で、観察センターで配布のプリントに載っていた)

写真は、青紫色の「チョウジソウ」で、花弁や葉が鋭角的ながら、小型のためか全体として溶け合うような穏やかさがある。今日一番のお気に入りだ。

チョウジソウとは対照的にきっぱりとした可愛らしさのあるのが、同じ青系ながら濃い目の「ホタルカズラ」だろう。自分を見て欲しげな子どもっぽさを感じた。その他に、わずかだが紅紫色の「ムラサキケマン」が顔を覗かせていた。これらと反対色の黄色が鮮やかな「クサノウ」、「ウマノアシガタ」が目に付いた。

自然観察園には、これから暖かくなって、何度も足を運びたいと思っている。

(追記)
今日は祝日「昭和の日」である。昭和に生まれた者にとって、一つ前の世代というべき「大正」は遠いと思っていた。「平成」の子にしても、昭和は遠いのだろう。さらに「令和」の子にいたっては、私が「明治」を見たように昭和を見ることになるのだろう。

2019年4月28日日曜日

平成最後の空気「空気の缶詰」

ネットニュースを見ていたら、可笑しくて嬉しくなる話が載っていた。何でも、岐阜県関市の平成(へなり)地区にある「元号橋」上で、まさに手作りの「平成の空気」の缶詰を製造し、4/22以降、地元「道の駅 平成」で販売したそうだ。価格は、ほぼ缶詰の原材料費とのこと。もともと「平成(へなり)」の名を持つ場所だっただけに、元号が「令和」に変わる前に、「平成」のイメージを残すことに意味があったようだ。意外と楽しい広報戦略だ。

ところで、空気の話題といえば、かつて「ハレー彗星」が地球に接近したとき、その尾のために地球の空気がなくなり、人類が絶滅するかもしれないという騒ぎがあったそうだ。人はなぜか終末論が好きで、そんな騒動が何度も繰り返される(キリスト教的世界観の臭いがしないわけではないが)。

子どものころ読んだ児童書の挿絵に、生き残る手段を少しでも確保しようと、空気を詰め込んだ自転車チューブを何本も肩にかついでいる子が描かれていた。貧富の差を見せ付けるような滑稽譚、あるいは、ものごとを真剣に考えているようで何処か底が抜けている阿呆話だ。小さな田舎を舞台にして可能なことだが。

(本ブログ関連:”阿呆”)

幸い、今回の「平成の空気」の缶詰は平和であった時代の象徴だ。「令和の空気」も美味しく吸えることを願っている。

2019年4月27日土曜日

平成最後の寒気

「平成」から「令和」まで残り数日。このところ、ものごとの表現に「平成最後の」が枕詞のようにつく。めでたい時期なので、少しは春らしい穏やかさでいて欲しいのに、気温は昨日から下がり、今晩驚くほどの冷え込み。まるで冬のようだ。

気象協会の「tenki.jp」の記事「平成最後の寒気が南下中 令和最初の寒気が連休中に」*(日本気象協会本社 白石圭子、4/27)によれば、これからも寒気が南下するという。
(*) 記事: https://tenki.jp/forecaster/k_shiraishi/2019/04/27/4434.html
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4月を振り返ると、季節外れの雪や先取りの暑さと、季節は一進一退しました。27日(土)は、日本付近に強い寒気が南下しています。令和に入ると早々に、次の寒気が南下する予想です。
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ところで、「平成最後の」といった見出しを持つニュース記事をネットで探ると、気象ばかりか、ゲーム、フィギュアスケート、(連休の)遠出、(すし・焼肉・ラーメン)食事、株価、競馬などと、いってみれば日常風景でしかない。何かに付け「最後」といいながらも、このような平凡で平和な時に元号が変わるのは何と幸いなことだろう。

今晩、カメラ好きの商店主からうかがったことだが、長野に行けば遅咲きのサクラが満開で、白馬まで足を運べば5月にも楽しむことができるという。撮ってきたばかりの写真が店内に飾られていたのはいうまでもない。サクラのことになると、誰もが自然に話題に加わり言葉を交わす。サクラは一つの文化でもある。

2019年4月26日金曜日

ハナミズキ

サクラの花を失って、ぽっかりと空いた心に、「ハナミズキ」の花がもぐりこんでくる。そのさまは、底意の知れぬ妖しげな感じではなくて妙に明るいのだ。多分、ふりそそぐ春の明かりが一段と透明さを増しているからだろう。でも、白い花、薄紅の花を咲かすハナミズキに、詩情をなぜか感じることがないのは不思議。多分、その咲きっぷりが余りに健康的だからだ。

(本ブログ関連:”ハナミズキ”)

ハナミズキは、北アメリカ原産だそうで、昔に日本からワシントンD.C.へ「ソメイヨシノ」の桜を贈った(1912年)返礼として、1915年に日本に苗木が贈られたという。とはいえ、街路樹としてこんなに多く見るようになったのは、そんなに遠くない。本格的に普及しだしたのはいつ頃のことだろう。ネットで調べてみたがようとしなかったが・・・。

サイト「学芸の森」(真山茂樹教授:京学芸大学教育学部生物学教室)*によれば、個人的な経験として1970年代ころにお住まいの町に、街路樹として植えられたという。
(*)学芸の森のハナミズキ:
       https://www.u-gakugei.ac.jp/~planttgu/dokodemo/pc/061.htm

流行歌J-POPにも「ハナミズキ」(2004年)の歌がある。この2004年に至って、ハナミズキが街路樹として日本全体に認知されたといえるだろう。


(追記)
東京都建設局の「街路樹のデータ  街路樹の主な樹種と本数(東京都)」は、「東京都内の街路樹本数944,166本【平成27年4月1日現在】」**に、<都内全体の街路樹本数>の順位を次のように記している。
(**)街路樹本数:http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/park/ryokuka/hyoushi/hyoushi5/index.html
  1位 ハナミズキ    62,629本
  2位 イチョウ       61,832本
  3位 サクラ類       44,704本
また、同調査の「東京の街路樹本数の推移」グラフを見ると、1970年を境に本数が増加しているのがわかる。(さらに、2005年以降急激に伸びており・・・この時期から、ハナミズキを積極的に植えたのだろうか)
【平成27年4月1日】

2019年4月25日木曜日

バスクと鉄

以前、バスク語教室の第3回目で「バスク文化」が紹介された。その回、先生がスペイン・バスク州ビスカヤ県の「ビルバオ」地域の街歩きガイドBOOKを配られた。おしゃれなカラー写真と図版で解説・構成された上質紙の冊子だ。

(本ブログ関連:”バスク語”)

ビルバオ地域は、かつて県内で産出された鉄鉱石をもとに、製鉄業でスペインの重要な地位を占めたという。Wikipediaによれば、「高品質の鉄がヨーロッパ中に輸出された。19世紀後半まで製鉄業は発展し続け、資源はビルバオに富をもたらした」という。上記の旅行ガイドは、かつての工業都市を脱して、文化都市への様変わりを宣言しているようだ。

ところで、国立国会図書館デジタルコレクションに、「民族形成と鉄の文明」*(宍戸儀一著、道統社、昭和17年)がデジタル保存・公開されている。その記述に、「ダクチリと原バスク人」の項があり、原バスク人と鉄の関係について触れている。素人の覗き見でしかなく、この書全体でどのような位置づけされているのかもよく知らないが、次のような記述が気になった。・・・これが、現在のバスク人とどうつながるか、つながらないかの知識はないけれど、バスク人と鉄の関係がうかがえたような気がした。
(*) 民族形成と鉄の文明: http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060237

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ヒューウィット(Hewitt)**によれば、ダクチル(dactyl***)族はフリギア(Phrygia)に於いてフィン系の原バスク人と合一したといふ。
・・・ヒューウィット説に従えば、彼等は、地中海の西端に辿り着いてエブロ河(Ebro)を母川とするイベリア・バスク人になった。この説の当否は問題であるが、コウカサス南麓のエベル(Eber)の国やフリギア辺境のイブレーズ町(Ibreez)とイベリア・バスク人との間になんらかの所縁だけはあったのであらう。
原バスク人は、ヒューウィットによって採鉱冶金者なる原フィン人と同一視される。しかるに、フィン語では金属はもともとバスキ(vaski)と呼ばれた。
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(**) James Francis Hewitt: ”The Ruling Races Of Prehistoric Times”
           https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.283692/page/n385
(***)ダクチル:ギリシャ神話に登場、metalworkingを人に授ける

地図:「民族形成と鉄の文明」所載
フリギア:現トルコ中央部














ヒューウィットの説にほぼ負った記述であるため、妄想世界に引き込まれて行きそうな危惧がある。果たして、この説がどうなのか自信ないし、現在の研究者たちにどう判断、評価されているかも知らない。ローマと対峙したというバスク人の祖先が、ギリシャ系とフィン系が合一したというのは夢がある。
(ちなみに、フィンランド語で「vaski」は「真鍮」。ただし「鉄」は「rauta」)

(本ブログ関連:”山師”)

2019年4月24日水曜日

道迷い遭難

朝から小雨がぱらつき、昼には小休止状態になった。ようやく「穀雨」になった気分。TVのニュースは、都心の駅前や交差点で雨傘をさす通行人の姿を報じた。出かけるタイミングがむつかしい。

(本ブログ関連:"穀雨”)

そうこうしている内に外に出るのを忘れ、ヤマケイ文庫の「ドキュメント 道迷い遭難」(羽根田治著)のページをめくった。スポーツとしての(日本アルプスから丹沢領域)登山で、登山者が体験した遭難のドキュメンタリーだ。(ヤマケイ=山渓)
読もうと思ったのは、登山への興味というより、遭難者の心理や意識について知りたかったからだ。もしかしたら、不思議な体験が語られてないか好奇心もあった。

元来、山についてそこに棲息するキツネやオオカミ(山神)の伝説だけでなく、猟師たちが経験した「山怪」という奇談、すなわち人智を超える不思議な体験に興味がある。

(本ブログ関連:”山怪”)

「山怪」の範疇でいえば、山に入って神隠しにあったり、キツネにだまされて行方不明になる話がある。大方、子どもより老人の方が多いようだが。結果として、① 意外にも村の近くや、② 想定外の山奥で偶然発見されたりする。特に大人の場合、本人はいつもの道を歩いていたと断言し、キツネにだまされたに違いないといったりする。周りの者は、彼らをボケてたのじゃないか、キツネにだまされたというのは言い訳に過ぎないと冷ややかだそうだ。山の生活圏とその近辺でも起りうるミニ遭難だ。

ところで、上記のスポーツ登山の場合、遭難者は勝手な思い込みでずるずると深みにはまり込み、みずから窮地へ突き進んでいく。最悪の場合、凍傷で指をことごとく切断することになる。生還したのが救いだが、その事例の場合、読みながら正直吐き気がするほど絶望的だった。
ルートマップに従わずショートカットしたり、標識を都合のよい方に解釈したりすることで始まる。結局は、何度も繰り返される鉄則、「おかしいなと思ったら引き返せ」とか、「道に迷ったら沢を下るな、尾根に上がれ」を無視してしまうことにある。もちろん遭難とは万事休すの状態をさすのだが。

最近、高齢者による自動車運転事故が繰り返されているが、この本の「あとがき(追記)」にも、高齢登山者による遭難の多さについて統計的紹介がされている。年寄りは、お互いによしみとしていうのだが、人に迷惑にならぬよう身の程をわきまえるべきだろう。

2019年4月23日火曜日

2019春期バスク語-4

「バスク語教室」のカリキュラムは特別で、これまで第1、2回は文法・会話編(吉田先生)、第3回は文化編(萩尾先生)だった。月1回の割合で文化編を組み込むことで、難解といわれるこの「孤立語」を少しでも取り組みやすいよう工夫いただきありがたい。4回目の今日、再び文法・会話編に戻った。

(本ブログ関連:”バスク語”)

今回も丁寧な解説とプリント教材を使った説明と、全員が順に口答する練習があった。
① 形容詞、指示代名詞を使った名詞句の表現
② 否定形の表現(ez=否定辞)
③ oso(とても~)の表現
および、アクセント(2音節と3音節以上)の付け方についての説明があった。(今回の内容は、「ニューエクスプレス  バスク語」(吉田浩美著 白水社)の「レッスン2」に相当する)

4月末から5月初旬にかけて長期の連休のため、授業が2回分休みとなる。それ補う意味から、しっかり宿題をいただいた。時間もあるので、合わせて「ニューエクスプレス  バスク語」を熟読したい。

(先生推奨の町Hondarribiaを見てみよう・・・ Hondarribia herri txiki eta polita da. )

(Youtubeに登録のBasque Country Spiritに感謝)

2019年4月22日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-3

今日で3回目にあたる、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に通う道筋にだいぶ慣れてきた。狭い行動範囲で生活してきただけに、電車の乗り換え、慣れない街歩きも小冒険。おかげで足腰のいい運動にもなっているのは幸い。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

今回のテーマは、立教大学准教授 長谷川修一氏の前回(4/15)の講演の続編で、「旧約聖書の世界(2) - ヘブライ人の世界像、歴史観、メシアニズム - 」について考古学的な成果を背景に、ヘブライ人の歴史を教えていただいた。

何より興味深かったのは、ヘブライ人の<民族起源譚>の再考、確認である。
・ヘブライ人は、西アジアの民族の生活環境、生活実態から見て、かつヘブライ人の自然観(自然との支配関係)から見ても、ヘブライ人がいう出自の<遊牧民>ではなく<農耕の民>だったのではないか。
・聖書に<ヘブライ人>があっても、<ユダヤ人>の記載はない。
・<出エジプト>の<史実性>について、果たして<奴隷>としてエジプトで扱われていたのか、一大民族的な脱出があったのか、考古学的証拠が皆無である。
・<ノアの洪水物語>には、ヘブライ聖書に見られる<直線的な時間観>に対して、<世界のリセット>という<円環的な時間観>の意味合いに近い。そのような歴史観は、古代メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」に通じる。

まだまだトピックに富んだ話題があった。最後に、イスラエル北部の「テル・レヘシュ遺跡」の考古学的な発掘調査*について語られた。
(*)Rekhesh project 日本語サイト: http://rekhesh.com/jp/about-the-site

ところで、先週末にユダヤの祭事で重要な、<出エジプト>をベースにした「過越」があったばかり。はたして、上記の理解が果たしてユダヤ社会で受容されるのか気になるところだ。同じころにキリスト教の<復活祭>もあって、<過越>との関係(相似)も気になる。

2019年4月21日日曜日

(雑談)信天翁

阿呆と呼ばれてもどこか愛嬌があり、日常を達者に過ごしている。そのくせ抜け目なく、ある意味しっかり者である。ときに道化て笑わせることもあるが、トリックスターのように人を驚かす力を秘めている。そんな生き方も悪くないと思う。

(本ブログ関連:”阿呆”)

けれど、それも機転の効く知恵があるときのはなし。羽を広げて、見下げるように悠々と青空を滑空する「信天翁(アホウドリ)」も、船乗りに捕まれば甲板をよたよた歩き回るだけ。その差があまりに情けない。

そんな「信天翁」を、< 詩人(うたびと)も、哀れ似たり、罵詈満つる俗世の地に下り立てば、巨人の翼、人の世の航路の邪魔よ > とあっさり断じたボードレールは、「悪の華」(堀口大學訳)に所収の「信天翁」で、詩人の言葉巧みさを「巨人の翼」と呼んだものだ。

昔、テレビの討論番組で、ある論者が「わたしは、俯瞰してものを見るのが好きだ」といっていた。それを聞いて、どうか地上に降りてみなと話してくれないだろうかと思ったりした。

2019年4月20日土曜日

穀雨 2019

今日は二十四節気の「穀雨」。田畑を雨で潤すころという。考えてみれば、平成最後の穀雨でもある。これまでブログに、この日に雨降りとなれば忘れず記してきたのかも知れない。けれど今回は、清清しいほどの晴天。

(本ブログ関連:”穀雨”)

そんなわけで、公園を流れる小川沿いのベンチで日向ぼっこする。陽ざしがまぶしく顔をじりじり焼く夏のようだった。しばらくすると風が吹き始め、思った以上にひんやりしてきた。そのころの都心の最高気温は、「南南東」の風だったにもかかわらず、 19.1℃(14:06)でしかなかった。どうりで冷えてきたわけだ。

木立におおわれた「自然観察園」は、風に曝されることなく穏やかな気配だった。一昨日(4/18)の「レンゲソウ」観察に続き、初心者は今日も園内を巡った。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

ヤマブキソウ
入口に置かれた、「4月 自然観察園の花だより」のパンフレット(表面に観察できる花の名前一覧/裏面にその所在をルートマップしたもの)を片手に、4月の野草・雑草の花を探した。

初心者にとって、分かりやすい花は「ヤマブキソウ」だろう。色合いが、細い枝の低木「ヤマブキ」に似ているが、花弁の数は4枚で、ヤマブキの5枚と異なる。
もちろん(当り前すぎるかもしれないが)、私なりに昔から知っている「カラスノエンドウ」、「サクラソウ」もあれば、ちょっと目をひいたものに地味ながら中々優雅な「オドリコソウ」もあった。

サンショウ」の木に、よく見れば微かに花が咲いていて、鼻を近づけても香りがない・・・葉を一枚千切ってつぶすとよい香りがした。これから何度も訪れたいと思っている。

2019年4月19日金曜日

脱穀「棒打ち唄(麦打ち唄)」

歯科治療を済ませて外に出れば、あまりの天気の良さに誘われて公園散歩に足が向く。途中、「ソメイヨシノ(染井吉野)」が咲き誇った歩道を、今は代わりに「ヤエザクラ(八重桜)」が満開。今年、ソメイヨシノは咲き始めてすぐに寒さが続いたせいか長持ちした。おかげで、小学校の卒業式にも入学式にも間に合ったのは幸いだ。

公園の明るい原っぱで、大勢の幼稚園児か保育園児か、親と一緒に手をつないでアーチをつくり、そこを次々に親子が輪くぐり抜ける、まるで入れ子のような遊びをしていた。
(駐車場に、彼らを乗せて来たのだろう大型バスが数台並んでいた)

「ハナモモ」や「ベニバナ」の木が、白色、桃色、紅色に花を咲かせ、まるで春を手に取ることができるよう目の前で繚乱していた。

園内の施設「たてもの園」で、郷土の歴史と民俗について展示があったので覗いて見ることにした。気を引いたものは、小麦の脱穀農機具の陳列だ。もちろん、現在、この地域で麦作を見ることはない。それでも伝統として、「棒打ち唄(麦打ち唄)」の民謡が保存されていて、次に記す詞で歌う労働作業の映像が紹介されていた。(「むしろ(筵)」の上に置かれた)麦穂を打って実を取り出す脱穀作業のとき使う、「くるり棒(唐棹)」を降りおろしながら歌う様子がわかる。歌には次の特徴がある。
・野外での脱穀(棒打ち)のためか空模様が気にかかる
・民謡の定番といえる、年頃の娘を語る。

(本ブログ関連:”麦打唄 ”)

「棒打ち唄」(立川市砂川地区伝承民謡保存会)
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ホイホイホイ
大岳山の黒雲が
ホイホイホイ
あの雲がかかれば雨かあられか
ホイホイホイホイホイ

砂川の宿は長い宿
ホイホイホイ
長いとて物干し竿にゃなるまい
ホイホイホイホイホイ

お前さんはいくつなんの年
ホイホイホイ
十と六ささぎの年でまり頃
ホイホイホイホイホイ

十七つれて瓜山へ
ホイホイホイ
瓜の葉を寝ござに瓜を枕に
ホイホイホイホイホイ

十時のお茶にゃ何が良い
ホイホイホイ
芋で良しさつまで良し焼き餅ならなお良し
ホイホイホイホイホイ

あの山影で鳴く鳥は
ホイホイホイ
声も良し音も良し山の響きで
ホイホイホイホイホイ
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(参考1) Youtubeに多摩地域(清瀬、谷保)の「棒打ち唄」が登録されている。

(参考2) 岩波文庫の「日本の民謡集」に所収の「武蔵野麦打唄」
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[甲]〽十七八の 麦打は(ホイ ホイ ホイ)
[乙]〽くるり棒が 折れるか芒(のげ)が 折れるか(ホイ ホイ ホイ)
お天道さまの申し子は 百日の 日照りに笠もかぶらず
目出度やこれの麦打ちは 日和よく 風出て芒を立てたや
牡丹餅はやる世の中に 俺(おら)がでは 碾割花(かきわりばな)の焼餅
大嶽山の黒雲 あの雲が かかれば雨か嵐か
十七八はねむいもの 朝おきて 米とぎ桶を枕に
皆若い衆 江戸々々と 江戸だとて 枯れ木に花は咲くまい
お江戸に三日居て見たい 上様の 御用の水を汲みたい
今日の麦はこれ限り 明日は又 どなたの麦を打つやら
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2019年4月18日木曜日

れんげそう

昨日の午前、公園内に併設の「自然観察園」を廻った。植物を踏み荒らすことがないよう、尾形光琳硯箱の意匠にあるような「板橋」を園内に巡らせている。そんな一角に「レンゲソウ(蓮華草)」が群生していた。Wikipediaでは、「ゲンゲ(紫雲英、翹揺)」を代表名に記しているが、この呼び名に馴染みがない。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

子どものころ、春になると、家族そろって遠くの山裾にある原に歩いて出かけたときの家族写真(今ではセピア色に変色している)が残っている。乾いた畑地にたくさんの「れんげそう」が咲いていた。みなで摘み、花輪(かんむり)を作った。といっても母の手によるものだが。春の大切な思い出の光景だ。

子どものころ見たレンゲソウは、先日に自然観察園で見たものと比べて、丈がもっと短かった気がする。それに、子どものころの陽射しは、思い返すとみな眩しい。色が飛んだように明るく輝いているのだ。思い出を美しくしあげたいからだろうか、それとも視覚記憶まで薄れていくためだろうか。

(本ブログ関連:”白いシーツ”)

ビリー・バンバンの、フォーク演奏スタイルだが、随分叙情的な歌「れんげ草」(1972年)がある。今となって思いで深い、懐かしい曲になった。


(Youtubeに登録のビリー・バンバン - トピックに感謝)

2019年4月17日水曜日

イディッシュ語クラブ-1

今日から「イディッシュ語クラブ」が始まった。実は、昨年まで続いた「イディッシュ語教室」が、今年は休講となり、志が危うくなりかけたところ、クラスメイトから今回の集いを紹介いただき参加した次第。

(本ブログ関連:”イディッシュ語”)

15カ国語を習得されたネイティブの先生のもとに、イディッシュ語大好き人間が集まり、会話練習を中心に、(ミュージシャンも参加されているので)イデッシュの歌を楽しんだり貴重な時間を過ごした。ひとえに、先生の情熱のお陰と感謝している。

イディッシュ語は「母の言葉」すなわち「mame-loshen(マメ・ロシェン)」で母から伝わること、イデッシュ語らしい言葉など教えていただいた。特に、次のような面白い表現を紹介いただいた。
・?נו: それじゃ?、何いってんの?
אוי וויי: 困ったな、何てこった

ちなみに、参加者たちに愛称?(例えば、יצחק(イツホク)とか משה(モイシェ)とか)が付けられ、わたしには「מרדכי (mordkhe:モルドゥヘ)」が与えられた。これから、月一、ニ回の割合で開催されるので、次回から先生の了解を得て詳細を記したいと思っている。

2019年4月16日火曜日

2019春期バスク語-3

「バスク語教室」の3回目の今日、東京外国語大学教授の萩尾生(はぎお しょう)氏による、「(バスク文化1)バスクの土地・ひと・ことば」についての紹介があった。今後、月一度くらいの頻度で、バスク文化の紹介をいただく予定。「バスク語教室」は、このように総合的な内容で、初心者を引っ張ってくれる。

(本ブログ関連:”バスク語”)

萩尾先生は、先週(4/9)のブログに記した、「1545年にバスク語で初めて印刷された」ベルナト・エチェパレの「バスク初文集」(萩尾生、吉田浩美訳)の訳者である。

バスクの地理、文化の紹介から:
・バスク人による自称は「Euskara-du-n-ak」(バスク語を持つところの者たち)
   - スペイン語「los Vascos」、仏語「les Basques」、英語「the Basques」
・スペインと仏にまたがる7領域のそれぞれで、バスク語への関心に温度差がある。
・バスク地域を分水嶺で分けた海側に比して、内陸側のバスク語への関心は低いようだ。
・海外で活躍したバスク系と思われる人物が多数いる。
   - 何とスペイン領だったフィリッピンの財閥をバスク系で占めたとのこと。

統一バスク語が成立する(民族意識を持つ)過程を叙情的に語る「Bagare」*(作詞Bitoriano Gandiago、作曲不詳)を、バスクのシンガーソングライター Gontzal Mendibil が歌う映像をみなで見た。

(*) Bagareba(肯定辞)+ gara(一人称複数のコピュラ ⇒ we are

なお、歌詞は「begiraleak」サイトで参照できる(感謝)。
http://begiraleak.pagesperso-orange.fr/chantskantuak/Bagare.html


(Youtubeに登録のGontzal Mendibilに感謝)

2019年4月15日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-2

先週から、市民カルチャーセンター(生涯学習)の「かわさき市民アカデミー」で開催の「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」講座に通っている。イディッシュ語の関心の延長ということで、ユダヤ文化や歴史について整理できればと願っての次第。それと、電車を乗り継いで通うのは、体に結構いい運動になっている。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

第2回目の今日は、立教大学准教授長谷川修一氏から「旧約聖書の世界(1)-『旧約聖書』とはどのような書物か - 」について説明された。
1) いわゆる「旧約聖書」には、① ヘブライ語聖書、② プロテスタントの聖書、③ ローマ・カトリックの聖書がある。これらの3つの聖書について、構成する正典(記、書、編など)の整合性(過不足・順序の入れ替えなど)を、歴史背景と合わせて紹介された。
2)「死海文書」(1/3がヘブライ語記述)は、現在最古のフルセット写本聖書といわれるレニングラード版(1008年)をさらに1000年遡るといわれ、かつ現在の聖書との食い違いもほとんどない(筆写が正確に行なわれた証でもある)とされた。
3) ヘブライ語聖書に書かれた聖書内の出来事を、(暦制度の高い)アッシリアの資料をもとに考証したところ、王国出現以降については受容できるようだ。

以上、内容が多岐にわたるため、受講する側にとって少々オーバーヒート気味。例えれば、日本に不案内の欧米人に対して、「古事記」をもとに文献の解題される感じで、若ければ再度いろいろな書籍を読み直すだろうけど・・・(こんな言い訳に根性がないのが残念)。

ところで以前、「イディッシュ語」の夏休み教室で同席させていただいた、ユダヤ宗教史の研究者がいらしたので、講演が始まるまで、素人にも分かる話を聞かせいただいた。

2019年4月14日日曜日

Stratolaunch

世界最大の輸送機といえば、ソ連時代のアントノフAn-225 がいわれた(2機中1機完成して稼働中)。両翼にそれぞれ3基のジェットエンジンをさげて離陸する様は、巨大な生物を想像させる。最大離陸重量600tで、積載は(燃料など含めて)300t 近く可能である。なにしろ、(今は藻屑となった宇宙往還機「ブラン」を背に乗せるというのだから)サイズも旅客機のエアバスA380を圧倒していた。飛行機ファンの妄想は膨らむばかり。

ただし、超大型機の宿命で量産が難しい。エアバスA380(2021年で生産終了予定、総受中数251機はすごいと思うけど)を除き、特殊用途に限られているからかも知れない。

(本ブログ関連:”飛行機”)

そんな中、米国で、超巨大機の仲間といえる、ボーイング(ジャンボシリーズの進化型)747-400を2基並列につないだ機体に、同機エンジンを両翼それぞれに3基さげた「ストラトローンチ」が、4/13に初飛行した。(民間)人工衛星搭載のロケットを空中発射できるように設計されているそうだ。翼幅が117mあり、A380のおよそ1.5倍とのこと*。民間事業というのだから米国は凄い。

(*)機体比較
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Stratolaunch_comparison.svg

ところで、A380は、日本ではANAウミガメ塗装した成田-ホノルル線専用機として見ることができる。ハワイに行くことは全くないので、せめて羽田空港で間近に眺められたらよいのだが。まして、ストラトローンチにいたってはYoutubeで覗くしかない。


(Youtubeに登録のStratolaunchに感謝)

2019年4月13日土曜日

わけあって 絶滅しました

映画館から出て、今見たばかりの映画を思い返すとき、主人公はその後一体どうなったのだろうか何て考えてしまうことがある。上映時間の制限だからというわけではないだろうけど。映画は主人公の時代の一瞬を切り取ったもので、ストーリーに終わりはないはずだが。(スターウォーズは回数を増やすため、スペースオペラの常道で過去を遡ったり来たりする)

どんな役柄もストーリー展開に必要だし、感情移入するとついその気になって一体化する。映画館を出て、肩をきって街を歩くのも少しも怖くない、そんな気に酔いしれるのは数分だが。(昔は、みんな高倉健になったものだ)

スクリーン上では、敵がバタバタとやられる。それを見て痛快に思う。暗い劇場内の、いってみれば集団幻視のようなものと承知している。もし、次々倒れる敵役の一人ひとりに固有名詞を付け、彼の家族や生い立ちといった属性を付けたら、それはそれで悲しい場面になるだろう。痛いだろうな、空しいだろうな、こんなあっけないことで終わってしまうのかと。(テレビの時代劇では悪代官の手下たちが、WWⅡドラマの「コンバット」ではドイツ兵たちが、正義の名のもとにもんどりうって倒れる)

(本ブログ関連:”コンバット”)

知らなけりゃそれでいいことだけど、自然界でも、生物たちが次々命を落とす。その代わりに命をつなぎ進化してきた。現在に続く生き物については、時代ごとの特徴(形態)を知るが、その進化の途中(あるいは分岐)の過程をよく知らない。

現在に届かず絶滅したものについては、さらに興味が及ぶものだ。少し前に大ヒットした、「わけあって 絶滅しました」(今泉忠明監修、ダイヤモンド社)には、楽しい絵解き説明がある。
生命(形態)が大爆発したカンブリア紀の「オパビニア」は、形態がてんこ盛りし過ぎて環境変化に追いつかなくなったとか、同じカンブリア紀の「アノマロカリス」は歯が柔らかく、餌にしていた三葉虫が殻を硬くしたため食べられなくなったとか、絶滅の原因を一言で語ってくれる。

絶滅は、案外にシンプルな理由で、なぜそこに気付かなかったのかといってもしょうがない。手遅れという、自然の掟なのかもしれない。先走りし過ぎたものは滅ぶことになる。何ごともほどほどがよろしいようで。

(本ブログ関連:”化石”)

2019年4月12日金曜日

(雑談)歯科治療

子どものころ、歯科治療が恐怖だった。今から考えれば、歯を削る機械の性能も低く、痛みも厳しいわけ。父の勤める会社に病院があって、歯科部門が設けられていた。治療室の中から、よその子どもが怖がって泣き叫ぶ声がする。待合室で聞いていると、急いで逃げ出したくなった。

何より恐ろしいのは、S先生の怒鳴り声だった。昔はそんな医者がいたのだ。泣く子に根性なしといわんばかりに叱りつける。付き添いの母親はおろおろし、懸命になだめていてもお構いなし。後で、母からS先生が軍医出身と知らされた。

当然、わたしも治療の椅子に座る。我慢する。物凄く我慢する。S先生の前では痛いなどいえない。もっと我慢する。どれくらい時間がたっただろうか、今日の治療が終わり、椅子から降りて解放されるとき、よく頑張ったといわれてほっとしたものだ。

今日、歯科の定期検査で見つかった小さな不具合を補修した。もちろん苦行でない、穏やかなものだった。先生も患者も互いに歳をとり、世間話も交えてのんびり治療してもらっている。

2019年4月11日木曜日

史上初、ブラックホール(直径1000億Km)撮影に成功

国立天文台は、世界的共同研究(地球上の電波望遠鏡を結合させた国際協力プロジェクト)による史上初、ブラックホールの撮影に成功 ― 地球サイズの電波望遠鏡で、楕円銀河M87に潜む巨大ブラックホールに迫る」(4/10)調査結果を発表した。
日本の研究者がその存在を特定してきた、今回の「ブラックホール」の写真が撮れたことに、素人は大喜びするのであります。こんな超ど級で貴重な発表を聞くことができるなんて、何と幸運な時代に巡り合わせたのだろう

(発表内容) http://www.nao.ac.jp/news/science/2019/20190410-eht.html

・春の南の空に見える「おとめ座」の方向にある「楕円銀河M87」に潜む「ブラックホール」は、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍にも及ぶ
・ブラックホールの重力によって光が曲げられたり捕まえられたりすることで、内側のある一定範囲では光がやってこない「ブラックホールシャドウ」が生まれる
・ブラックホールシャドウを囲む明るいリングの直径は、実長 4光日=1000億Km
・今後課題に、ブラックホールより発生のジェットを長波長観測網(東アジアVLBI)で観測

イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。
(写真)国立天文台「イベント・ホライズン・テレスコープで撮影された、銀河M87中心の巨大ブラックホールシャドウ。リング状の明るい部分の大きさはおよそ42マイクロ秒角であり、月面に置いた野球のボールを地球から見た時の大きさに相当します。」(Credit: EHT Collaboration)

(今回の成果の物理学的意義について、わかりやすく紹介してくれる)
(Youtubeに登録の国立天文台に感謝)

2019年4月10日水曜日

八王子で雪が降ったそうだ

旧暦3月3日にあたる先日(ぽかぽか陽気の4月7日)と、雪中で起った「桜田門外の変」の安政7年3月3日(旧暦)とを比べて先日のブログに記した。「桜田門外の変」のあった安政7年3月3日は、実は新暦では1860年3月24日でまだ3月中のこと、雪の可能性はあったかもしれない。一方、4月に入っての東京の降雪を思い返すと、過去10年近くの間に、2度(2010年4月17日、2015年4月8日)くらいで、今年は雪の可能性がないだろうと思っていたところ・・・。

(参考)「goo東京の過去の天気」:  https://weather.goo.ne.jp/past/662

今日は寒い。「平成(1989年1月8~)に入ってから、東京都心の4月の午後1時の気温」が、2番目に低かったそうだ。ウェザーマップの記事「東京都心は4月として平成史上に残るような日中の寒さ」*(4/10、杉江勇次 気象解説者/気象予報士 15:33)は次のように報じている。(抜粋)
(*)記事: https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20190410-00121637/
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・きょう午後1時現在の積雪は、・・・八王子など東京の多摩地方でも広い範囲でみぞれや雪となっているようです。
平成に入ってから東京都心の4月の午後1時の気温を調べてみると、もっとも低かったのが4年前2015年4月8日の3.4℃で、2番目が2008年4月22日の5.1℃でした。ですからきょうの5.0℃は平成に入って4月の午後1時の気温としては、2番目に低いということになります。
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平穏な日に起った、日常を多少せわしくしたとしても、季節はずれの気象は意外と忘れやすい。それはそれで幸いかもしれないが。今日の雪は、花を残した桜の木にうっすらと重なり絵画的だったし、美しい印象を残したかもしれない。

2019年4月9日火曜日

2019春期バスク語-2

桜の花が散らずにいるおかげで、昨日今日の寒さを目こぼししているが、明日は雪が降るかもしれないという。寒さが全くおとろえない。そんなわけで、完全な防寒スタイルで都心の「バスク語教室」に行く。(思ったほど寒くはなかったが)

(本ブログ関連:”バスク語”)

今日の授業は、テキスト「ニューエクスプレス  バスク語」(吉田浩美著 白水社)の「レッスン1」の内容を説明された。(ここでは、テキストの表記を優先した)
・「~は・・・である」
   人称/指示代名詞(単数/複数)+ 名詞(単数/複数:格語尾)+ コピュラ
                 ‖                                             ‖                       ‖
     絶対格単数/複数(~は)    絶対格不定数形/単数形/複数形  (・・・である)

(Gu euskaldunak gara. = We are Basque-people.)

(Youtubeに登録のHaur Hezkuntza IÑIGO ARITZA IKASTOLAに感謝)

・「~は何か?」
   [疑問詞 + コピュラ] + 指示代名詞(単数/複数)?


ところで、1545年にバスク語で初めて印刷された「バスク初文集」(ベルナト・エチェパレ)に、「バスク語よ おもてに出よ」で始まるバスク語賛歌の詩「コントラパス」*がある。これを、現代の歌手 Xabier Lete(1944年4月5日~2010年12月4日)が歌うYoutube映像があると、吉田先生から紹介いただいたので、早速視聴した。

(*)コントラパス: Wikipediaのエチェパレの解説に、日本語訳が紹介されている。

ちなみに、バスク語(Euskara)の昔の印刷表記は「Heu∫cara」。(∫=s)


(Youtubeに登録のGabi de la Mazaに感謝)

2019年4月8日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ-1

イディッシュ語の教室が、今年は休講になった。素人学習ゆえ、休止は即=揮発に通じる(忘れてしまう)。そこでユダヤの歴史や文化の理解とからめて、イディッシュ語への意欲を維持できればと願っている。

元々は、ユダヤ人の日常で育まれた庶民らしさに興味がある。作家の描く庶民像はあっても、庶民が口にする素朴な言葉を知る機会が少ないような気がする。あえていえば、少々刺激の強い「ユダヤジョーク」くらいで、そこから大衆らしさを感じたり、その諧謔さの源泉を想像するくらい。風習、因習を詰め込んだ濃縮な共同体について、それもロシア革命以前の古いシュテットルに遡って知れたらどんなに楽しいだろう。

今回、市民カルチャーセンター(生涯学習)の「かわさき市民アカデミー」で、「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」の連続講演が開かれるという。講演では、ユダヤとイスラム世界との関係まで含めて歴史をたどることができるようだ。しっかりしたものを知りたく参加した。

(本ブログ関連:”ユダヤ”)

講演会の第1回目は「序論 -『ユダヤ人』とは誰のことか - 」で、ユダヤ宗教史学者の市川裕氏(今年3月に東京大学宗教学研究室の教授を退官されたばかり)が語られた。ちょうど今年の1月22日に出された、岩波新書の「ユダヤ人とユダヤ教」が参考になる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

・ユダヤ人の規準   ユダヤ人は母親から生まれた者
・ユダヤ人らしさ   ユダヤ教は幼子にとって母の手
・ラビ(律法の解釈者)により律法(国境を超えてユダヤ人に共通する)が定まる
・ユダヤ人の移動の経路
   イスラエル → 地中海(スペイン)→ アルプス越え(西欧)→ 東欧 → 西欧/ロシア/アメリカ/イスラエル
           ‖                  ‖                                                     ‖
   ミズラヒーム    スファラディーム                                アシュケナジーム
 
ユダヤ人にとって、母と子の関係は密接で、言語もそうだ(⇒ マメ・ロシェン)。
(人間の先祖をアフリカまで遡れるのは、母親の卵子中のミトコンドリア遺伝子のおかげだ。父親はどこの馬の骨かも分からぬ。ユダヤ教の系統であるキリスト教でも、キリストの父親は役割が低い気がする。)


講演会場へ行く途中、小さな水路「二ヵ領用水」があって、その岸に桜が咲いていた。街の賑わいを横切る用水路で地味なため、その先がどうなっているのか・・・気になる。

今日は寒の戻りになってしまったが、春の遠出ができたのは幸い。しかし、知らないところの街歩きは、気持だけでなく足腰も疲れる。おかげで帰りの電車で、1/f の揺らぎにすっかり寝込んでしまった。

これから暖かさが増してくれば、元気に動き回ることだろう。

2019年4月7日日曜日

桜田門外の変

どうやら「寒の戻り」も落ち着き、陽射しが春の気分になった。冬のことをすっかり忘れてしまったようだ。何しろ都心の今日の最高気温は、21.6℃(15:44)で、ぽかぽか陽気だった。

街のあちこちの桜は満開で、白から桜色へとさまざまに眩しく華やいでいた。桜並木の下をくぐると、微かに桜の香り(いってみれば「桜餅」の香り)が漂ったりする。明日、小学校の入学式に登校する新入生の元気な子どもたちを輝かせてくれることだろう。いいタイミングで咲き続けてくれた。

ところで、今日は旧暦の3月3日、節句のめでたい時期だが、今を遡る180年ほど昔、江戸末期の(旧暦)安政7年3月3日に、江戸城桜田門外の雪中で、彦根藩の行列の駕籠(かご)にいた大老井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で有名だ。(当時の旧暦3月3日を新暦に換算すると、1860年3月24日にあたるとのことだが)

(本ブログ関連:”桜田門外の変”)

さすがに4月に入って、東京で雪が降るのは珍しいと思ったが、何と最近でいえば、2015年4月8日、2010年4月17日に都心で雪が降っている。忘れるのも早い、我ながら驚かされる。今年は、4月の降雪は多分ないだろうと思う。

2019年4月6日土曜日

(雑談)大地

ユダヤ人(アシュケナージ)にとって「母語」が「イディッシュ語」である意味を知り、一昨日(4/4)のブログで、母なるものの例えに「母なる大地」があることも記した。「大地」は生命を育む場所であり、命を継続する場所である。

(本ブログ関連:”母なる大地”)

大地を保つために、国家や宗族などさまざまな集団のスタイルがあるだろうけれど、一度保有してしまうと、そこで暮らす仲間や身内(国民・親族)の中に、脱落する者が発生することもあるだろうし、彼らを守りきらねばならない。大変なことだ。そのための知恵として、神話や宗教、掟、あるいは道徳を総動員することになる。

流浪の民の場合、その道筋で、脱落者をどのように救済したのだろうか。また、行き着いた(たどり着いた)究極の土地で発生するであろう、新たな脱落者を守らねばならない。流浪で共有した価値観と、新天地での価値観とを、どのように整合するのだろうか。
(行き着いた究極の大地で発生する脱落者も永遠に土着する・・・どのように折り合いをつけるのだろうか)

日本人は島国に住み、そのなかで行動するため、大地とは海で囲まれた固有の場所、列島でしかない。比較して、大陸や国々を渡り歩いた人びとにとっての大地と、意味合いがだいぶ違うだろうと思う。

お喋り過ぎのようで、ここで気分を変えて美しい音楽を聴いてみましょう。

(映画「Once Upon a Time in America」から「Deborahのテーマ」)

(Youtubeに登録のSelfDistribuzioneに感謝)

2019年4月5日金曜日

「はやぶさ2」、「リュウグウ」にクレーター作る

JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」にクレーターを作ったと、プレスリリースした「小惑星探査機『はやぶさ2』衝突装置の作動の確認について」(4/5)の記事で、次のように発表した。

(本ブログ関連:”はやぶさ2”)

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・国立研究開発法人「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」は、小惑星探査機「はやぶさ2」に搭載した衝突装置SCI:Small Carry-on Impactor)」を小惑星「Ryugu(リュウグウ)」へ向けて分離し、作動させる運用を実施しました。

・「はやぶさ2」より分離したカメラDCAM3)が、SCIの作動時間に撮影した写真に、リュウグウ表面からの噴出物の様子が捉えられていたことから、SCIが計画通り作動したと判断しています。
・「はやぶさ2」の状態は正常です。リュウグウにクレーターができたかどうかの確認結果は、改めてお知らせします。

□「はやぶさ2」から分離されたDCAM3が捉えた画像。
(画像) http://www.jaxa.jp/press/2019/04/images/20190405b_01.jpg
SCIが作動してリュウグウに衝突し、リュウグウ表面からの噴出物の様子が確認できる。
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「はやぶさ2」は、今年3月4日に「リュウグウ」への1回目のタッチダウンを成功し、サンプル採取のためのプロジェクタイル(弾丸)発射をしている。今回(「小惑星表面だけでなく小惑星内部の砂礫の採取のため」Wikipedia)、更に規模の大きなクレーターを作るため、「はやぶさ2」搭載の「衝突装置(SCI)」*を分離して、「リュウグウ」へ降下させ、途中で金属団を発射したという。

(*)SCIのスケジュール
        http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20190403_SCI_Schedule/

「平成」の内にクレーターを作成し、「令和」になってクレーターにタッチダウンしたいという意向があるそうだ。「はやぶさ2」は、時代をまたぐ偉業をやってくれることになる。当初予定の通りなら、2回目となるタッチダウンは、5月中のようだ。


(付記)
小川に沿いの公園に、満開の桜が連なる。ここ数日、冬のような寒さだったおかげで、桜の花が咲き続いている。夕方4時半頃、西日を受けた桜の花がいっそう艶やかに輝いた。(試しに、桜の下から、花越しに西日を覗いたところ、強い光に花弁が溶けてしまい、ただ眩しいだけだった)

2019年4月4日木曜日

母語、イディッシュ語の場合

人は「大地」という言葉を聞くと感情が高まるようだ。洋の東西を問わず、一大叙事詩の舞台となり、長編小説が描かれた。その根底に、「大地」のイメージとして「母なる大地」があるわけで、苦難の中で土地に住み、世代をつなぐ。

言葉についても「母なる言葉」がある。「母語」を指すが、この母語という響きには、母語で語れる自然さと、柔和さを感じる。例えば、日本では、母語はまさしく日本語である。あえていえば大和ことばだろうか。それに対比して、漢語を父語とはいわない。「父たる言葉」が見当たらないのだ。

昨日(4/3)、本を購入し直しに出かけた際、個性的な古本屋があった。若い主人の選択だろうか、書棚が独特に配列されていた。そんな中、たまたま見つけた「エッセイの小径」シリーズの「屋根の上のバイリンガル」(沼野充義著 白水uブックス、1998年2刷)に、著者が米ボストンで(大人向け)イディッシュ語教室へ通ったときの話が紹介されている。

教室の受講は、著者を除いて女性ばかりだったという。なぜなのかと、男性講師にたずねたところ、(ユダヤ人の)「男は普通言葉になんか興味を持たない」という答えだったそうだ。
言葉への関心として、ユダヤ教の経典の言葉であるヘブライ語を学べるのは男だけで、ゆえにヘブライ語を「父の言葉」とか「聖なる言葉」というそうだ。一方、女性が子どもたちに語りかける言葉はイディッシュ語で、「母の言葉(mame-loshen)」と呼ばれた。「マメ・ロシェン」の「ロシェン」は、ヘブライ語で「舌、言葉」にあたる。

「イディッシュ語教室」で使用したテキスト「Colloquial Yiddish」に、このmame-loshenがしきりに出てきたが、一般的な「母語」として了解しただけで、「父の言葉」との対比にまで気付かなかった。(とはいえ、ユダヤ人たるには「母親がユダヤ人」であることが必要だ)