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2019年4月13日土曜日

わけあって 絶滅しました

映画館から出て、今見たばかりの映画を思い返すとき、主人公はその後一体どうなったのだろうか何て考えてしまうことがある。上映時間の制限だからというわけではないだろうけど。映画は主人公の時代の一瞬を切り取ったもので、ストーリーに終わりはないはずだが。(スターウォーズは回数を増やすため、スペースオペラの常道で過去を遡ったり来たりする)

どんな役柄もストーリー展開に必要だし、感情移入するとついその気になって一体化する。映画館を出て、肩をきって街を歩くのも少しも怖くない、そんな気に酔いしれるのは数分だが。(昔は、みんな高倉健になったものだ)

スクリーン上では、敵がバタバタとやられる。それを見て痛快に思う。暗い劇場内の、いってみれば集団幻視のようなものと承知している。もし、次々倒れる敵役の一人ひとりに固有名詞を付け、彼の家族や生い立ちといった属性を付けたら、それはそれで悲しい場面になるだろう。痛いだろうな、空しいだろうな、こんなあっけないことで終わってしまうのかと。(テレビの時代劇では悪代官の手下たちが、WWⅡドラマの「コンバット」ではドイツ兵たちが、正義の名のもとにもんどりうって倒れる)

(本ブログ関連:”コンバット”)

知らなけりゃそれでいいことだけど、自然界でも、生物たちが次々命を落とす。その代わりに命をつなぎ進化してきた。現在に続く生き物については、時代ごとの特徴(形態)を知るが、その進化の途中(あるいは分岐)の過程をよく知らない。

現在に届かず絶滅したものについては、さらに興味が及ぶものだ。少し前に大ヒットした、「わけあって 絶滅しました」(今泉忠明監修、ダイヤモンド社)には、楽しい絵解き説明がある。
生命(形態)が大爆発したカンブリア紀の「オパビニア」は、形態がてんこ盛りし過ぎて環境変化に追いつかなくなったとか、同じカンブリア紀の「アノマロカリス」は歯が柔らかく、餌にしていた三葉虫が殻を硬くしたため食べられなくなったとか、絶滅の原因を一言で語ってくれる。

絶滅は、案外にシンプルな理由で、なぜそこに気付かなかったのかといってもしょうがない。手遅れという、自然の掟なのかもしれない。先走りし過ぎたものは滅ぶことになる。何ごともほどほどがよろしいようで。

(本ブログ関連:”化石”)