今日も昼過ぎは暑い。小金井公園近くにあるマクドナルド店で過ごそうと出かける。この店の2階は広く、スペースを開けて座席が並んでいて、休日の今日も混んでいない。そんなわけで、コーヒーを飲みながら図書館で借りた本をのんびり読んだりした。
西側の窓辺で読書していると、陽が落ちるのが早く、先ほどブラインドで日除けしたのに、ヒンヤリしてみるみる冷えてくる。明日は、秩父鉱山の大黒抗に鉱物採集に行く・・・体力温存が必要だ。
2012年10月6日土曜日
2012年10月5日金曜日
イ・ソンヒの「因縁」
イ・ソンヒが、今の時代の若者たちに最も知られる曲をあげるとすれば、「因縁(인연)」と「狐の嫁入り(여우비)」になるだろう。
「因縁」については、映画「王の男(왕의 남자)」(2005年)のOSTといわれているが(未見)、MBCのインタビュー番組「黄金漁場-膝打ち道士」(2009年)で、イ・ソンヒは、MBCテレビドラマ「チェオクの剣(다모:茶母)」(2003年)の、主人公チャン・チェオク(ハ・ジウォン、하지원)と、主人公の彼女が仕えるファンボ・ユン(イ・ソジン、이서진)との関係からインスピレーションを得たと語っている。
また、「狐の嫁入り」は、SBSテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年)のOSTとして歌われた。
(本ブログ関連:"因縁"、"狐の嫁入り")
次の映像は多分、麗水万博会場の「ポップフェス アンコール公演」(8/9)のときに、ファンがハンディ・ビデオカメラで手振れもなく、実に丁寧に撮影されたものだ。彼女の気品と清雅さを、ファンの視線を借りて見ることができる。
撮影者のそばで、舞台のイ・ソンヒに合わせて一緒に歌う声が入っていない。(昨年ソウルの彼女のコンサート会場で、隣の席の男性がずっと歌っていた。韓国のコンサートでは「普通」のことなのかもしれない・・・)
(Youtubeに登録のemt kimに感謝)
「因縁」については、映画「王の男(왕의 남자)」(2005年)のOSTといわれているが(未見)、MBCのインタビュー番組「黄金漁場-膝打ち道士」(2009年)で、イ・ソンヒは、MBCテレビドラマ「チェオクの剣(다모:茶母)」(2003年)の、主人公チャン・チェオク(ハ・ジウォン、하지원)と、主人公の彼女が仕えるファンボ・ユン(イ・ソジン、이서진)との関係からインスピレーションを得たと語っている。
また、「狐の嫁入り」は、SBSテレビドラマ「僕のガールフレンドは九尾狐(내 여자친구는 구미호)」(2010年)のOSTとして歌われた。
(本ブログ関連:"因縁"、"狐の嫁入り")
次の映像は多分、麗水万博会場の「ポップフェス アンコール公演」(8/9)のときに、ファンがハンディ・ビデオカメラで手振れもなく、実に丁寧に撮影されたものだ。彼女の気品と清雅さを、ファンの視線を借りて見ることができる。
撮影者のそばで、舞台のイ・ソンヒに合わせて一緒に歌う声が入っていない。(昨年ソウルの彼女のコンサート会場で、隣の席の男性がずっと歌っていた。韓国のコンサートでは「普通」のことなのかもしれない・・・)
(Youtubeに登録のemt kimに感謝)
2012年10月4日木曜日
おばさん(アジュンマ)とお嬢さん(アガシ)
イ・ソンヒの高校生時代の雰囲気を知るには良いかもしれない映画「Sunny サニー 永遠の仲間たち」が、10/21(日)-22(月)に四谷の韓国文化院で、東京国際映画祭提携企画「コリアン・シネマ・ウィーク2012」の一つとして上映される。
ちなみに、サニーはイ・ソンヒの愛称でもある。映画タイトルのヒントになったのでは・・・と思ってしまう。サニーは生き生きと輝く若さそのものだ。
'70~'80年代の洋楽を含めてヒット曲が流れるという。主人公が2011年に42歳というから、イ・ソンヒより5つほど年下の世代で、1986年の高校生時代のお嬢さん(アガシ)からおばさん(アジュンマ)になっても、変わらぬ友情を確かめ合う物語のようだ。
さて、おばさんとお嬢さん(아줌마와 아가씨)については、インターネット上にいろいろとユーモアたっぷりに対比した書き込みがある。この映画が、それをどう表現しているのやら。
ともあれ、見なくては始まらない。
(本ブログ関連:"アジュンマ" ←画面右下の「前の投稿」もクリックを!)
(付記)
ところで、10月にといわれていたチャン・ユンジョンの日本進出はどうなるのだろう・・・気の毒なことだ。
ちなみに、サニーはイ・ソンヒの愛称でもある。映画タイトルのヒントになったのでは・・・と思ってしまう。サニーは生き生きと輝く若さそのものだ。
'70~'80年代の洋楽を含めてヒット曲が流れるという。主人公が2011年に42歳というから、イ・ソンヒより5つほど年下の世代で、1986年の高校生時代のお嬢さん(アガシ)からおばさん(アジュンマ)になっても、変わらぬ友情を確かめ合う物語のようだ。
さて、おばさんとお嬢さん(아줌마와 아가씨)については、インターネット上にいろいろとユーモアたっぷりに対比した書き込みがある。この映画が、それをどう表現しているのやら。
ともあれ、見なくては始まらない。
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(付記)
ところで、10月にといわれていたチャン・ユンジョンの日本進出はどうなるのだろう・・・気の毒なことだ。
2012年10月3日水曜日
“アジュンマ”パワー
「この世にアジュンマの子どもでない人はいない!」と豪語する、韓国最強のアジュンマについて、「中央SUNDAY」(第290号)のコラム「韓国"アジュンマ"パワー」(趙煥復)を中央日報(10/2-(1)、(2))が掲載しているので、次に抜粋する。
・アジュンマは一般的にもじゃもじゃのパーマ頭にトレパンを履き、利害関係に目が利き、周辺を意識しない行動派という印象を与える。そのため世の中には男性と女性そしてアジュンマがいるという笑い話がある。
・いまやアジュンマたちが家庭の砦から次第に国の柱になりつつある。韓国の歴史でも国難の時期にアジュンマの役割が輝いた事例は数えきれないほど多い。女は弱いが母は強いというが、アジュンマはさらに強い。アジュンマは外国語で1文字2文字では簡単に翻訳できない韓国だけの単語だ。
(本ブログ関連:"アジュンマ" ←画面右下の「前の投稿」もクリックを!)
ちなみに、KSB WORLDの番組「玄海灘に立つ虹」のなかでも月曜に放送される、こちらも最強タッグを組むお二人(マルコメのお母さん、ソウルのアリスさん)のトークは楽しい。特に「アジュンマの井戸端会議」のコーナーは、世相をアジュンマの新鮮な視点で知らせてくれる。
でもねえ、結局は、アジュンマは韓国の暖かい懐(ふところ)に違いない。
・アジュンマは一般的にもじゃもじゃのパーマ頭にトレパンを履き、利害関係に目が利き、周辺を意識しない行動派という印象を与える。そのため世の中には男性と女性そしてアジュンマがいるという笑い話がある。
・いまやアジュンマたちが家庭の砦から次第に国の柱になりつつある。韓国の歴史でも国難の時期にアジュンマの役割が輝いた事例は数えきれないほど多い。女は弱いが母は強いというが、アジュンマはさらに強い。アジュンマは外国語で1文字2文字では簡単に翻訳できない韓国だけの単語だ。
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ちなみに、KSB WORLDの番組「玄海灘に立つ虹」のなかでも月曜に放送される、こちらも最強タッグを組むお二人(マルコメのお母さん、ソウルのアリスさん)のトークは楽しい。特に「アジュンマの井戸端会議」のコーナーは、世相をアジュンマの新鮮な視点で知らせてくれる。
でもねえ、結局は、アジュンマは韓国の暖かい懐(ふところ)に違いない。
2012年10月2日火曜日
キム・ドンリュル
今日から韓国語教室の後期授業が始まった。新たな受講者も加わり、受講者ひとりひとり自己紹介して、韓国語学習の受講動機や期間(経験)、そして得意不得意分野について述べた。当然ながらわたしは、イ・ソンヒのファンであることも付け加えた。
さて、韓国語の講師はお若いにもかかわらず、イ・ソンヒを子どものころからご存知だったようだ。けれど、受講者のみなさんは誰一人知らなかったのだ・・・それがとても残念。
講師の言葉を借りれば、イ・ソンヒについて、どこか少年のようなところがあった、若いときから変わらぬ容貌、古風で懐かしい顔立ち、家庭教師のような真面目な雰囲気と表現された。
講師から、イ・ソンヒのイメージにつながるという、(作詞・作曲家でありバラード)歌手キム・ドンリュル(김동률、1974年)が紹介されたので、インターネットで調べてみた。(参照: Ko-Wikipedia、他より)
・イ・ソンヒより10年後の1974年に誕生している。
・延世大学校在学中、ソ・ドンウクと一緒に作った2人組のデュエット・グループ「展覧会」で、1993年MBC「大学歌謡祭(대학가요제)」に参加して、「夢の中で(꿈 속에서)」で大賞と特別賞を受賞して本格的な活動を開始した。
・Youtubeに登録の曲から、未来しか存在しない若者の軽快な「出発(출발)」(アルバム:5集 Monologue、2008年)を選んでみた。
(Youtubeに登録のMBCfestival、HopeOfLetterに感謝)う
さて、韓国語の講師はお若いにもかかわらず、イ・ソンヒを子どものころからご存知だったようだ。けれど、受講者のみなさんは誰一人知らなかったのだ・・・それがとても残念。
講師の言葉を借りれば、イ・ソンヒについて、どこか少年のようなところがあった、若いときから変わらぬ容貌、古風で懐かしい顔立ち、家庭教師のような真面目な雰囲気と表現された。
講師から、イ・ソンヒのイメージにつながるという、(作詞・作曲家でありバラード)歌手キム・ドンリュル(김동률、1974年)が紹介されたので、インターネットで調べてみた。(参照: Ko-Wikipedia、他より)
・イ・ソンヒより10年後の1974年に誕生している。
・延世大学校在学中、ソ・ドンウクと一緒に作った2人組のデュエット・グループ「展覧会」で、1993年MBC「大学歌謡祭(대학가요제)」に参加して、「夢の中で(꿈 속에서)」で大賞と特別賞を受賞して本格的な活動を開始した。
・Youtubeに登録の曲から、未来しか存在しない若者の軽快な「出発(출발)」(アルバム:5集 Monologue、2008年)を選んでみた。
(Youtubeに登録のMBCfestival、HopeOfLetterに感謝)う
彼岸花
せっかくの10月、景色は黄昏ているわけではないけれど、街の文具店にもう来年の手帳が並べられているのを見ると、年の残りを追いやられ、まるでショートカットされているような気がする。
この秋訪れたい場所に、西武池袋線高麗駅そばにあって、辺り一面に彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)が群生する巾着田がある。林の下に咲き乱れる紅い花弁は、まるで絨毯のよう・・・そんな記憶をまた確かめたいと思う。
(本ブログ関連:”彼岸”)
球根に毒性があり、「彼岸」の名を持ち、しかも紅い極彩色で辺りを威圧するかのような強さと妖しさを漂わせる。この花に、引き付けては恐れさせる魔性を感じる。決して気を許すことのできない花だ。
むかし、仕事の研修で伊豆に行ったとき、夕陽を受けて山間を走る列車の線路わきを、彼岸花の紅い塊りがいくつも車窓を流れていくのが見えた。黄昏時にもかかわらず、彼岸花は薄闇に混じることはなかった。その存在を強く意識つける紅い色に一瞬恐怖を感じた。
そのとき、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年)を思い出した。「浄蓮の滝」の言葉から「情恋」を、「山が燃える」から彼岸花の紅い炎を想起した。まるで、情恋に身を燃やす「道行き物」のようだと、列車の振動に揺られながら感じた。
(Youtubeに登録のgaeajapenに感謝)
この秋訪れたい場所に、西武池袋線高麗駅そばにあって、辺り一面に彼岸花(ヒガンバナ、曼珠沙華)が群生する巾着田がある。林の下に咲き乱れる紅い花弁は、まるで絨毯のよう・・・そんな記憶をまた確かめたいと思う。
(本ブログ関連:”彼岸”)
球根に毒性があり、「彼岸」の名を持ち、しかも紅い極彩色で辺りを威圧するかのような強さと妖しさを漂わせる。この花に、引き付けては恐れさせる魔性を感じる。決して気を許すことのできない花だ。
むかし、仕事の研修で伊豆に行ったとき、夕陽を受けて山間を走る列車の線路わきを、彼岸花の紅い塊りがいくつも車窓を流れていくのが見えた。黄昏時にもかかわらず、彼岸花は薄闇に混じることはなかった。その存在を強く意識つける紅い色に一瞬恐怖を感じた。
そのとき、石川さゆりの「天城越え」(作詞:吉岡治、作曲:弦哲也、1986年)を思い出した。「浄蓮の滝」の言葉から「情恋」を、「山が燃える」から彼岸花の紅い炎を想起した。まるで、情恋に身を燃やす「道行き物」のようだと、列車の振動に揺られながら感じた。
(Youtubeに登録のgaeajapenに感謝)
2012年10月1日月曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 スルギドゥン
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/26)に、人物シリーズ47回目としてフュージョン国楽演奏集団スルギドゥン(슬기둥)を紹介した。
(ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#46のもののようだが・・・)
はじめに、スルギドゥン誕生の経緯について次のような紹介があった。
・1980年代 民主化運動盛んな中、大学では民衆運動の一環として、人々の記憶の端に追いやられていた国楽に注目が集まるようになった。
・1978年 初めて登場した<サムルノリ(사물놀이)>が瞬く間に人気を集め、国楽家の間で新しい音楽を作ろうという動きが活発化した。
・1985年 スルギドゥンが結成され、「コップンネヤ(꽃분네야)」、「サンジュモシムギ(상주모심기)」、「サントッケビ(산도깨비)」などふるさとの匂いを感じさせる国楽歌謡で注目を浴びた。以来、国楽の魅力を伝え続ける、まさにフュージョン国楽の歴史と言っても過言ではない。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「コップンネヤ(꽃분네야)」を聴く。まさに民謡のゆるやかな素朴な響きそのものである・・・発声、演奏ともにメディアの流れに沿っているようで。
次のようにスルギドゥンのプロフィールが紹介された。
・1985年6月 ある放送局主催の青少年音楽会で、歌を担当した青年カン・ホジュンが歌った「コップンネヤ」が話題となり、これをきっかけに国楽室内楽団スルギドゥンが正式誕生する。
・結成当時のメンバー(8人)は、 KBS国楽管弦楽団員を中心に、テグムとソグムはイ・ジュノ、ピリと歌はカン・ホジュン、カヤグムはミン・イシク、ピリはムン・ジョンイル、カヤグムとヤングムはノ・ブヨン、ヘグムはチョン・スニョン、アジェンはオギョンヒ、そしてシンセサイザーをジョ・グァンジェが担当した。
(参考)ハンギョレニュース「国楽整形術師 "スルギドゥン" 25年の內功(内的進化?)を見て」(2010年2月17日、チョン・サンヨウン記者)
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・伝統楽器にシンセサイザーが加わり、現代的な雰囲気を醸し出すと同時に表現の幅を広げた。当時の社会を反映した曲を多数発表し、国楽は昔の音楽ではなく、現代まで続く伝統文化と強調した。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「君のために歌う歌(그대를 위해 부르는 노래)」を聴く。のんびりと漂うような旋律は、古い皮袋に入れたまだ新しい葡萄酒のようで・・・。
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・スルギドゥンの曲で、「サントッケビ」や「ケグリソリ」は小学校教科書に載り話題となった。創作国楽が音楽のひとつのジャンルとして受け入れられたのでは・・・。この音楽団体が結成されて、すでに30年近く経ち、初期メンバーは中堅演奏者、指揮者や大学の教授などになりグループを去った。
・現在のメンバーには、KBS国楽管弦楽団の常任指揮者である初期メンバーのイ・ジュノが団長として残り、新しい若い後輩たちと活動を続けている。
▼スルギドゥン演奏による「新船歌(シンペンノリ신뱃놀이)」を聴く。東洋的叙情を西洋的編曲で覆うとこうなるのだろうか・・・。
(ところで番組ホームページにあるリンク先音源は「人物シリーズ」#46のもののようだが・・・)
はじめに、スルギドゥン誕生の経緯について次のような紹介があった。
・1980年代 民主化運動盛んな中、大学では民衆運動の一環として、人々の記憶の端に追いやられていた国楽に注目が集まるようになった。
・1978年 初めて登場した<サムルノリ(사물놀이)>が瞬く間に人気を集め、国楽家の間で新しい音楽を作ろうという動きが活発化した。
・1985年 スルギドゥンが結成され、「コップンネヤ(꽃분네야)」、「サンジュモシムギ(상주모심기)」、「サントッケビ(산도깨비)」などふるさとの匂いを感じさせる国楽歌謡で注目を浴びた。以来、国楽の魅力を伝え続ける、まさにフュージョン国楽の歴史と言っても過言ではない。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「コップンネヤ(꽃분네야)」を聴く。まさに民謡のゆるやかな素朴な響きそのものである・・・発声、演奏ともにメディアの流れに沿っているようで。
次のようにスルギドゥンのプロフィールが紹介された。
・1985年6月 ある放送局主催の青少年音楽会で、歌を担当した青年カン・ホジュンが歌った「コップンネヤ」が話題となり、これをきっかけに国楽室内楽団スルギドゥンが正式誕生する。
・結成当時のメンバー(8人)は、 KBS国楽管弦楽団員を中心に、テグムとソグムはイ・ジュノ、ピリと歌はカン・ホジュン、カヤグムはミン・イシク、ピリはムン・ジョンイル、カヤグムとヤングムはノ・ブヨン、ヘグムはチョン・スニョン、アジェンはオギョンヒ、そしてシンセサイザーをジョ・グァンジェが担当した。
(参考)ハンギョレニュース「国楽整形術師 "スルギドゥン" 25年の內功(内的進化?)を見て」(2010年2月17日、チョン・サンヨウン記者)
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・伝統楽器にシンセサイザーが加わり、現代的な雰囲気を醸し出すと同時に表現の幅を広げた。当時の社会を反映した曲を多数発表し、国楽は昔の音楽ではなく、現代まで続く伝統文化と強調した。
▼スルギドゥン(カン・ホジュンの歌)による「君のために歌う歌(그대를 위해 부르는 노래)」を聴く。のんびりと漂うような旋律は、古い皮袋に入れたまだ新しい葡萄酒のようで・・・。
(スルギドゥンのプロフィール続き)
・スルギドゥンの曲で、「サントッケビ」や「ケグリソリ」は小学校教科書に載り話題となった。創作国楽が音楽のひとつのジャンルとして受け入れられたのでは・・・。この音楽団体が結成されて、すでに30年近く経ち、初期メンバーは中堅演奏者、指揮者や大学の教授などになりグループを去った。
・現在のメンバーには、KBS国楽管弦楽団の常任指揮者である初期メンバーのイ・ジュノが団長として残り、新しい若い後輩たちと活動を続けている。
▼スルギドゥン演奏による「新船歌(シンペンノリ신뱃놀이)」を聴く。東洋的叙情を西洋的編曲で覆うとこうなるのだろうか・・・。
2012年9月30日日曜日
台風17号
今夜の台風は、紀伊半島東岸に沿って北上し、東海地方の愛知県に上陸して本州を縦断、北海道を抜けるようだ。テレビは、きめこまかく台風情報を流している。満潮とのタイミングも不安だが、上陸後の強風も恐れる。このところ、自然災害におののかされている気がする。
夕方、地元図書館を出たとき、かすかに雨を感じて急いで帰宅した。一雨あったものの、まだ本格的な台風襲来をうけていない。深夜のようだ。
雨戸を閉めるなど準備を済ませている。子どものころ、九州にいたときは、木製の雨戸を父親が釘で打ち付けていたことを思い出す。最近まで、なんとなく台風をやり過ごしてきたが、今回はいやな予感がする。
室内の湿気が相変わらずうっとおしい。強風の気配はまだない。
Wheathernewsの地元の気象予報によれば次の通り。(18:10現在)
・台風17号の直撃で、今夜は雨風が強まる一方。特に夜9時頃~深夜0時頃は猛烈な風が吹き、外出危険な暴風雨になります。屋外は危険なので外出は控えて下さい。
・(風速はかえって今の時刻が12m/sで、0時は10m/sと減速していくようだ)
夕方、地元図書館を出たとき、かすかに雨を感じて急いで帰宅した。一雨あったものの、まだ本格的な台風襲来をうけていない。深夜のようだ。
雨戸を閉めるなど準備を済ませている。子どものころ、九州にいたときは、木製の雨戸を父親が釘で打ち付けていたことを思い出す。最近まで、なんとなく台風をやり過ごしてきたが、今回はいやな予感がする。
室内の湿気が相変わらずうっとおしい。強風の気配はまだない。
Wheathernewsの地元の気象予報によれば次の通り。(18:10現在)
・台風17号の直撃で、今夜は雨風が強まる一方。特に夜9時頃~深夜0時頃は猛烈な風が吹き、外出危険な暴風雨になります。屋外は危険なので外出は控えて下さい。
・(風速はかえって今の時刻が12m/sで、0時は10m/sと減速していくようだ)
2012年9月29日土曜日
小金井お月見のつどい
昨日記したサンレモ音楽祭ではないが、地元にも小さな祭りがあって、「お月見のつどい」が小金井公園の江戸東京たてもの園前広場で開かれた。今年で第45回目になるという、この町にしっかり根付いた祭りになっている。
広場のステージでは、地元関係者がいろいろな演目を発表していた。例えば、学生たちが会場の幼児と一緒に遊戯劇をしたり、草笛のグループが童謡を吹いたりした。野天会場の座席に腰をかけて聴いたのは、地元音楽教室のフルートとクラリネット講師によるアンサンブルだった。二人の奏者は楽しそうに、童謡やポップを聴かせてくれた。
彼女たちの演奏時間が余ったらしく、司会者がアンコールに会場の誰かがメモ書きして渡したというジャズナンバー曲からいきなり、打ち合わせもなく壇上の彼女たちに伝えたのだ・・・奏者たちは譜面がないので・・・ということで、ディズニー映画「ピノキオ」の「星に願いを」をフルート独奏した。
ところで、ステージの司会者がアンコール曲を希望した当人を壇上から探し求めたが見当たらないのだ・・・どうしたことだろう、こんなことってありかなあ。
夕方、東の空を見れば、墨を流したような雲の中に月が薄赤く色づいて浮かんでいた。月齢13、満月は明晩である。
広場のステージでは、地元関係者がいろいろな演目を発表していた。例えば、学生たちが会場の幼児と一緒に遊戯劇をしたり、草笛のグループが童謡を吹いたりした。野天会場の座席に腰をかけて聴いたのは、地元音楽教室のフルートとクラリネット講師によるアンサンブルだった。二人の奏者は楽しそうに、童謡やポップを聴かせてくれた。
彼女たちの演奏時間が余ったらしく、司会者がアンコールに会場の誰かがメモ書きして渡したというジャズナンバー曲からいきなり、打ち合わせもなく壇上の彼女たちに伝えたのだ・・・奏者たちは譜面がないので・・・ということで、ディズニー映画「ピノキオ」の「星に願いを」をフルート独奏した。
ところで、ステージの司会者がアンコール曲を希望した当人を壇上から探し求めたが見当たらないのだ・・・どうしたことだろう、こんなことってありかなあ。
夕方、東の空を見れば、墨を流したような雲の中に月が薄赤く色づいて浮かんでいた。月齢13、満月は明晩である。
2012年9月28日金曜日
サンレモ音楽祭
考えてみれば、イタリア好きな方が身近にいるもので、毎週通う健康体操クラスで唯一若いインストラクターはイタリア語を学んでいるという。来週イタリア旅行されるとのこと、何処を巡るのかを知らないけれどサンレモ音楽祭の街、サンレーモはどうなのだろう。
それから、鉱物仲間にも外面は日本人だが中身はイタリア人という人物がいて、イタリアの歌の話になると歌手の名前が次々挙がってくるけれどさっぱり記憶に残らない。
イ・ソンヒとからめて、彼女の誕生した1964年についてサンレモ音楽祭(冬季シーズン)を調べてみると、大賞は ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)とパトリシア・カルリ(Patricia Carli)の「Non ho l'età(夢みる想い)」だった。「ノノリター」の歌いだしの方が、題名よりも印象に残っている。
そうそう、同じく入賞者に「ほほにかかる涙(Una Lacrima Sul Viso)」を歌ったボビー・ソロ(Bobby Solo)、フランキー・レイン(Frankie Laine)がいる。ボビー・ソロの歌声が懐かしい。当時の日本では、ヨーロピアン・ポップが普通に流行っていたものだ。
(Youtubeに登録のyougakumusic1に感謝)
ところで、なぜ2人受賞なのだろうと同音楽祭の受賞者のリストを見れば、例年2人受賞が並んでいる。イタリア人と外国人歌手の組み合わせという*。
(*)参考:ブログ「cnz27hrio」、ブログ「日本盤ジャケット(ドーナツ盤)にみる Pops の歴史」に感謝。
(本ブログ関連:"イタリア")
それから、鉱物仲間にも外面は日本人だが中身はイタリア人という人物がいて、イタリアの歌の話になると歌手の名前が次々挙がってくるけれどさっぱり記憶に残らない。
イ・ソンヒとからめて、彼女の誕生した1964年についてサンレモ音楽祭(冬季シーズン)を調べてみると、大賞は ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)とパトリシア・カルリ(Patricia Carli)の「Non ho l'età(夢みる想い)」だった。「ノノリター」の歌いだしの方が、題名よりも印象に残っている。
そうそう、同じく入賞者に「ほほにかかる涙(Una Lacrima Sul Viso)」を歌ったボビー・ソロ(Bobby Solo)、フランキー・レイン(Frankie Laine)がいる。ボビー・ソロの歌声が懐かしい。当時の日本では、ヨーロピアン・ポップが普通に流行っていたものだ。
(Youtubeに登録のyougakumusic1に感謝)
ところで、なぜ2人受賞なのだろうと同音楽祭の受賞者のリストを見れば、例年2人受賞が並んでいる。イタリア人と外国人歌手の組み合わせという*。
(*)参考:ブログ「cnz27hrio」、ブログ「日本盤ジャケット(ドーナツ盤)にみる Pops の歴史」に感謝。
(本ブログ関連:"イタリア")
2012年9月27日木曜日
イ・ソンヒの「秋の風」
2012年9月26日水曜日
バナナ味Gokuri
2012年9月25日火曜日
メンターにしたい男女芸能人1位は?
将来の歌手を発掘するオーディション番組の人気は衰えることがない。番組審査員であると同時に指導も行なうメンター制度という韓国のオーディション番組独特なスタイルから、期待されるメンターを男女芸能人から選ぶアンケートが行なわれたりする。ACROFANの記事「メンターにしたい男女芸能人1位は?」(9月21日)は、アンケート結果を次のように報じている。(抜粋)
・俳優キム・ナムジュ(女性)と国民MCユ・ジェソク(男性)が、「メンターにしたい男女芸能人」の1位に上った。(株)エデュウィル(eduwill)が文化公演イベントに参加した会員1,079人を対象にアンケート調査を実施した結果。
・「メンターにしたい女性芸能人」は、①俳優キム・ナムジュが23.8%(257人)で1位に上がり、②21.9%(237人)を得た俳優キム・ヘスが続いた。③歌手イ・ソンヒは19.4%(209人)を、④俳優コ・ヒョンジョンは18.4%(198人)、⑤俳優パク・ミソンが16.5%(178人)の順だった。
・「メンターにしたい男性芸能人」は、①MCユ・ジェソクが43.1%(465人)の支持を得て1位を占めた。②俳優キム・ピョンマンは18.4%(198人)で2位に上がったし、③俳優アン・ソンギが17.5%(189人)の順だった。④プロデューサー・歌手パク・チニョンは12.8%(138人)、⑤歌手・作曲家キム・テウォン8.2%(89人)となった。
・回答者の46.8%(505人)は「周りにメンターにしたい人が<いる>」と答えた。<ない>は35.8%(386人)、<よく分からない>17.4%(188人)の順だった。
・「メンターが必要だと感じる<とき>」についての質問には、41.2%(445人)が<社会生活に必要な助言を聞きたいとき>と答えており、<心中の話を交わしたいと思うとき>は29.4%(317人)だった。<頼れる人が必要なとき>は19.3%(208人)、<硬い人脈を構築したいとき>4.6%(50人)、 <その他の意見>は5.5%(59人)となった。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒ、人生のメンターに選ばれる"、"イ・ソンヒ「一緒に働きたい職場の上司」"、"メンター")
・俳優キム・ナムジュ(女性)と国民MCユ・ジェソク(男性)が、「メンターにしたい男女芸能人」の1位に上った。(株)エデュウィル(eduwill)が文化公演イベントに参加した会員1,079人を対象にアンケート調査を実施した結果。
・「メンターにしたい女性芸能人」は、①俳優キム・ナムジュが23.8%(257人)で1位に上がり、②21.9%(237人)を得た俳優キム・ヘスが続いた。③歌手イ・ソンヒは19.4%(209人)を、④俳優コ・ヒョンジョンは18.4%(198人)、⑤俳優パク・ミソンが16.5%(178人)の順だった。
・「メンターにしたい男性芸能人」は、①MCユ・ジェソクが43.1%(465人)の支持を得て1位を占めた。②俳優キム・ピョンマンは18.4%(198人)で2位に上がったし、③俳優アン・ソンギが17.5%(189人)の順だった。④プロデューサー・歌手パク・チニョンは12.8%(138人)、⑤歌手・作曲家キム・テウォン8.2%(89人)となった。
・回答者の46.8%(505人)は「周りにメンターにしたい人が<いる>」と答えた。<ない>は35.8%(386人)、<よく分からない>17.4%(188人)の順だった。
・「メンターが必要だと感じる<とき>」についての質問には、41.2%(445人)が<社会生活に必要な助言を聞きたいとき>と答えており、<心中の話を交わしたいと思うとき>は29.4%(317人)だった。<頼れる人が必要なとき>は19.3%(208人)、<硬い人脈を構築したいとき>4.6%(50人)、 <その他の意見>は5.5%(59人)となった。
(本ブログ関連:"イ・ソンヒ、人生のメンターに選ばれる"、"イ・ソンヒ「一緒に働きたい職場の上司」"、"メンター")
2012年9月24日月曜日
KBS WORLD「国楽の世界へ」 黃秉冀
KBS WORLD「国楽の世界へ」は、先週水曜日(9/19)に、人物シリーズ46回目として撥弦楽器のカヤグム(伽耶琴、가야금)演奏家、黄秉冀(ファン・ビョンギ、황병기)(1936年5月31日~)を紹介した。
(Ko-Wiki情報などからも、インテリでエリート中のエリートといった存在だろう)
まずカヤグムの復習から始まった。
・桐製胴体の上に載せられた弦を<指で弾いて>音を出す撥弦楽器で、外見や奏法は日本の琴によく似る。独奏曲としてもよく使われ、韓国の伝統楽器を代表する存在。
→ (東アジア全域に広がるロングシタール(long zither)類の伝統楽器の一つ)
・歴史的に、名が示す通り伽耶の国で作られたといわれるが、普及し広く演奏されたのは、伽耶滅亡後の新羅の国になってといわれる。
・仏教が盛んだった新羅では、梵唄(ボムペ、범패)といわれる、インドからシルクロードを経て伝来の仏教音楽が各地で演奏されたという。
黄秉冀のカヤグム創作曲の基盤について解説された。
・はるか昔の仏教音楽を思い、黄秉冀が作り出したのが、カヤグム独奏曲「沈香舞(チムヒャンム、침향무)」。それまでのカヤグムの調律方法を変え、さらに両手で同時に弦を弾いたり、爪で弦をこすって音を出すなど、新しい演奏方法で注目を集め、カヤグム創作曲の基盤を作り上げた。
・カヤグム演奏家を目指す人なら、必ず学ぶ、カヤグム創作曲のひとつとして選ばれる。
▼黄秉冀のカヤグム演奏による「沈香舞(チムヒャンム)」の「第一楽章」を聴く。ひとつひとつ揺らぐように弦にリズムを与える・・・始まりを意識させるような。Ko-Wikiにある「天使の襟がなびくような透明なグリッサンドの分散和音」という音色と響きも聴いてみたい。
次のように黄秉冀のプロフィールが紹介された。
・1936年 ソウル(京城府)に生まれる。
・1951年 中学生のとき 初めてカヤグムに出会う。(朝鮮戦争のため釜山で避難生活していた)
・1959年 ソウル大学法学部卒業。(国楽演奏家としてはかなり異色な学歴の持ち主)
ソウル大2年生のとき、KBS主催の全国国楽コンクールで1位を獲得する快挙を成し遂げ、ソウル大学の音大学長の目にとまり、法学部卒業と同時に、音大講師として働くことになる。
・1963年 4章からなる初の創作音楽「森」を発表。(カヤグムの音色で叙情的な自然描写を試みる)
▼黄秉冀のカヤグム演奏による「森(숲)」の中から、第3楽章「雨(비)」と第4楽章「月光(달빛)」を聴く。細かく繰り返すリズムは雨降りを想いださせる。余韻響く音色から静寂な夜の奥域を・・・少し賑やかに感じさせるけど。
・1970年代半ば アジェンの弓を使ってカヤグムの弦を擦ったり叩いたりする演奏に、さらに奇怪な女性の声が加わる、不思議な一曲「迷宮」を発表し若者にも話題になる。
作品に共通して言えることは、山や川、自然をテーマにしている。
▼黄秉冀作曲による「掃葉山房(ソヨプサンバン(소엽산방)」中から、「トドゥリ(도들이)」のコムンゴ(거문고)演奏を聴く。リズムを浮き出すように、間を聴かせる・・・。
(Ko-Wiki情報などからも、インテリでエリート中のエリートといった存在だろう)
まずカヤグムの復習から始まった。
・桐製胴体の上に載せられた弦を<指で弾いて>音を出す撥弦楽器で、外見や奏法は日本の琴によく似る。独奏曲としてもよく使われ、韓国の伝統楽器を代表する存在。
→ (東アジア全域に広がるロングシタール(long zither)類の伝統楽器の一つ)
・歴史的に、名が示す通り伽耶の国で作られたといわれるが、普及し広く演奏されたのは、伽耶滅亡後の新羅の国になってといわれる。
・仏教が盛んだった新羅では、梵唄(ボムペ、범패)といわれる、インドからシルクロードを経て伝来の仏教音楽が各地で演奏されたという。
黄秉冀のカヤグム創作曲の基盤について解説された。
・はるか昔の仏教音楽を思い、黄秉冀が作り出したのが、カヤグム独奏曲「沈香舞(チムヒャンム、침향무)」。それまでのカヤグムの調律方法を変え、さらに両手で同時に弦を弾いたり、爪で弦をこすって音を出すなど、新しい演奏方法で注目を集め、カヤグム創作曲の基盤を作り上げた。
・カヤグム演奏家を目指す人なら、必ず学ぶ、カヤグム創作曲のひとつとして選ばれる。
▼黄秉冀のカヤグム演奏による「沈香舞(チムヒャンム)」の「第一楽章」を聴く。ひとつひとつ揺らぐように弦にリズムを与える・・・始まりを意識させるような。Ko-Wikiにある「天使の襟がなびくような透明なグリッサンドの分散和音」という音色と響きも聴いてみたい。
次のように黄秉冀のプロフィールが紹介された。
・1936年 ソウル(京城府)に生まれる。
・1951年 中学生のとき 初めてカヤグムに出会う。(朝鮮戦争のため釜山で避難生活していた)
・1959年 ソウル大学法学部卒業。(国楽演奏家としてはかなり異色な学歴の持ち主)
ソウル大2年生のとき、KBS主催の全国国楽コンクールで1位を獲得する快挙を成し遂げ、ソウル大学の音大学長の目にとまり、法学部卒業と同時に、音大講師として働くことになる。
・1963年 4章からなる初の創作音楽「森」を発表。(カヤグムの音色で叙情的な自然描写を試みる)
▼黄秉冀のカヤグム演奏による「森(숲)」の中から、第3楽章「雨(비)」と第4楽章「月光(달빛)」を聴く。細かく繰り返すリズムは雨降りを想いださせる。余韻響く音色から静寂な夜の奥域を・・・少し賑やかに感じさせるけど。
・1970年代半ば アジェンの弓を使ってカヤグムの弦を擦ったり叩いたりする演奏に、さらに奇怪な女性の声が加わる、不思議な一曲「迷宮」を発表し若者にも話題になる。
作品に共通して言えることは、山や川、自然をテーマにしている。
▼黄秉冀作曲による「掃葉山房(ソヨプサンバン(소엽산방)」中から、「トドゥリ(도들이)」のコムンゴ(거문고)演奏を聴く。リズムを浮き出すように、間を聴かせる・・・。
2012年9月23日日曜日
雨が降ってる日曜日
今日は朝から夕方まで雨が降った。いつもの部屋着ではヒンヤリして冷える。
テレビの天気予報で、「東京は、午後になって最低気温を記録し、およそ2ヶ月ぶりに20度を下回りました。」(日本気象協会)といっていた。
日曜日の雨降りで、昔のCMソングにこんなのがあったのを思い出す。「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」
Youtubeに歌を探したが原画が見つからない。インターネットの投稿*(Lococom 200a氏に感謝)から、インスタントラーメンのCMソングだったことを知った(思い出した)。
NHKの「みんなのうた」で歌われてもおかしくないような曲調で、囁くような優しい歌だ。Youtubeで再見できないものだろうか。
(*)NeowingでCD「ヴィンテージCMソングコレクション」に収録のこの曲(「明星即席ラーメンのうた」)が試聴できる。
テレビの天気予報で、「東京は、午後になって最低気温を記録し、およそ2ヶ月ぶりに20度を下回りました。」(日本気象協会)といっていた。
日曜日の雨降りで、昔のCMソングにこんなのがあったのを思い出す。「雨が降ってる日曜日、坊や泥んこなぜ泣くの、あそこのかどで転んだの、・・・」
Youtubeに歌を探したが原画が見つからない。インターネットの投稿*(Lococom 200a氏に感謝)から、インスタントラーメンのCMソングだったことを知った(思い出した)。
NHKの「みんなのうた」で歌われてもおかしくないような曲調で、囁くような優しい歌だ。Youtubeで再見できないものだろうか。
(*)NeowingでCD「ヴィンテージCMソングコレクション」に収録のこの曲(「明星即席ラーメンのうた」)が試聴できる。
2012年9月22日土曜日
イ・ソンヒと小劇場とフックエンターテインメント
イ・ソンヒが自身のために小劇場を持った時期がある。10年前であるが、佛教新聞の記事「仏教信者 歌手イ・ソンヒ ライブ劇場引き受け」(2002年7月12日、ハ・チョンウン記者)は、彼女が大学路(テハンノ)にあったライブ劇場を引き継いだ経緯を次のように記している。
---------------------------------------------------------------
・1984年の江辺歌謡祭の大賞曲「Jへ」で私たちのそばに近づき、「ライブの女王」と呼ばれてきた歌手イ・ソンヒ(38)が、先月(2002年6月)29日大学路のライブ劇場を引き受け、国内では初めて歌手が公演会場を直接運営することになった。
・全盛期時代、小さな体躯で信じられない程おおきな声で歌い上げる爆発的な歌唱力を認められたイ・ソンヒは、去る(サッカー)ワールドカップ応援舞台でも大曲「美しい江山」を歌って躍動的なパワーをリリースした。昨年、レコード12集を出した彼女は、レコード販売は既成歌手の限界を抜け出すことができなかったが、舞台では断然最高級大型公演での招請者では(熱烈?)順位。ライブ劇場を買収してからも「まず生きている歌の広場である公演会場で、一番先に舞台に立ちたい」と話すほど小劇場公演の魅力にすっかりはまっていた。
・知られるようにイ・ソンヒは、仏教音楽「梵唄(ポムペ)*」の伝授者で出家した父親イ・ジョンギュ氏の影響で、幼い時から仏教的生活に慣れている仏教信者だ。「父がおられる寺は常に鬱蒼とした森の中にあるので、幼い時から自然を友として過ごしたのが最も良かった」と回顧した彼女は「その時代、猟師の空気銃に犠牲になった鳥を探して薦度**した記憶が鮮明だ」と話した。
(*補注)本ブログ関連:"梵唄"
(**補注)薦度:仏教で死者の霊魂を極楽に導くこと。
・イ・ソンヒが3年前(1999年)から毎年公演をしてきたライブ劇場は、300席余りの小劇場で、キム・チャンフンの100日コンサートが終わる10月6日以後半月間新装に入った後、10月下旬に再開館する。
---------------------------------------------------------------
またその後について、日曜新聞の記事「スクープ イ・ソンヒの退職・結婚説後遺症」(2006年10月1日、シン・ミンソプ記者)によれば、彼女のプライベート問題も含めて、小劇場について次のような情報を知らせている。(抜粋)
---------------------------------------------------------------
・小劇場は、彼女が渡米(2006年7月)前および帰国(2008年10月)後も所属する、企画会社フックエンターテインメントの前身である。
・小劇場の代表取締役であったイ・ソンヒは、(渡米前の)フックエンターテインメントの理事として活動してきた。
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(本ブログ関連:"フックエンターテインメント")
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・1984年の江辺歌謡祭の大賞曲「Jへ」で私たちのそばに近づき、「ライブの女王」と呼ばれてきた歌手イ・ソンヒ(38)が、先月(2002年6月)29日大学路のライブ劇場を引き受け、国内では初めて歌手が公演会場を直接運営することになった。
・全盛期時代、小さな体躯で信じられない程おおきな声で歌い上げる爆発的な歌唱力を認められたイ・ソンヒは、去る(サッカー)ワールドカップ応援舞台でも大曲「美しい江山」を歌って躍動的なパワーをリリースした。昨年、レコード12集を出した彼女は、レコード販売は既成歌手の限界を抜け出すことができなかったが、舞台では断然最高級大型公演での招請者では(熱烈?)順位。ライブ劇場を買収してからも「まず生きている歌の広場である公演会場で、一番先に舞台に立ちたい」と話すほど小劇場公演の魅力にすっかりはまっていた。
・知られるようにイ・ソンヒは、仏教音楽「梵唄(ポムペ)*」の伝授者で出家した父親イ・ジョンギュ氏の影響で、幼い時から仏教的生活に慣れている仏教信者だ。「父がおられる寺は常に鬱蒼とした森の中にあるので、幼い時から自然を友として過ごしたのが最も良かった」と回顧した彼女は「その時代、猟師の空気銃に犠牲になった鳥を探して薦度**した記憶が鮮明だ」と話した。
(*補注)本ブログ関連:"梵唄"
(**補注)薦度:仏教で死者の霊魂を極楽に導くこと。
・イ・ソンヒが3年前(1999年)から毎年公演をしてきたライブ劇場は、300席余りの小劇場で、キム・チャンフンの100日コンサートが終わる10月6日以後半月間新装に入った後、10月下旬に再開館する。
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またその後について、日曜新聞の記事「スクープ イ・ソンヒの退職・結婚説後遺症」(2006年10月1日、シン・ミンソプ記者)によれば、彼女のプライベート問題も含めて、小劇場について次のような情報を知らせている。(抜粋)
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・小劇場は、彼女が渡米(2006年7月)前および帰国(2008年10月)後も所属する、企画会社フックエンターテインメントの前身である。
・小劇場の代表取締役であったイ・ソンヒは、(渡米前の)フックエンターテインメントの理事として活動してきた。
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(本ブログ関連:"フックエンターテインメント")
2012年9月21日金曜日
2012年9月20日木曜日
芝居「Sloth-スロウス[怠惰]-」
先日見たドキュメンタリー映画「クレイジーホース」の中で舞台監督をつとめていたフィリップ・ドゥクフレと縁のある親類から、今度は池袋シアターグリーンBaseTheaterで本日初演の芝居「Sloth-スロウス[怠惰]-」(作・演出花田智)を紹介され観劇に出かけた。池袋の街は何年振りだろう。芝居を見るのも何年振りだろう。
作家である花田智氏は、演出家であると同時にもうひとつの肩書、細菌生物学者(産業技術総合研究所(産総研))を持つ。その守備範囲の振幅の大きさに驚く。
芝居は、<七つの大罪シリーズ>の六番目の舞台という。同氏の作品や芝居について今回初めて接するので、見たままの感想しか語れないが。
若者向けということで少々構えて行ったら、素人感想だが、ミステリーアクションといって良いかも知れない・・・ストーリー展開のおもしろい芝居だった。潜入と逆襲、資金洗浄と宝石エメラルド、追う側・追われる側それぞれ内部の疑心暗鬼、そして速やいセリフ廻し、大音響、照明・映像と息つく暇がない。
ところで、芝居でキーになるものに、コロンビアのエメラルドの宝石がでてきた。
・エメラルドの起源について、妻フラとその夫テナの・・・妻の不義にもかかわらず許す夫に対して岩に変身した妻が流す悔恨の涙がエメラルドになったという・・・伝説が語られた。
・コロンビア産のエメラルドには、三相インクルージョン(個体、気体、液体)の特徴があると語られた。
(参考)「楽しい鉱物図鑑」(堀秀道著)のエメラルドから:
・緑柱石(Beryl)の、緑色したもの。宝石の女王といわれる。色の原因はクロムの混入。
・もっとも有名な産地コロンビアは黒色頁岩、石灰岩などの堆積岩を切る熱水脈に結晶が入って、黄鉄鉱などを伴う特殊な産状である。
・(二級品について)色をよくするためオイルや樹脂を浸みこませるなどの、さまざまざまな処理がおこなわれている・・・ことがあるようだ。
(本ブログ関連:"緑柱石")
(付記)
芝居小屋(シアターと呼ぶけれど)の近くに美味しいドラ焼きの「すずめや」があると、これも親類に教えられ、観劇前に寄って購入する。二つを袋に入れてもらったが、もう一つは店内で口にする許可をもらい味見した。
しっかりと小豆粒が感じられ、甘過ぎず程よい大きさで満足した。こちらも大成功。
作家である花田智氏は、演出家であると同時にもうひとつの肩書、細菌生物学者(産業技術総合研究所(産総研))を持つ。その守備範囲の振幅の大きさに驚く。
芝居は、<七つの大罪シリーズ>の六番目の舞台という。同氏の作品や芝居について今回初めて接するので、見たままの感想しか語れないが。
若者向けということで少々構えて行ったら、素人感想だが、ミステリーアクションといって良いかも知れない・・・ストーリー展開のおもしろい芝居だった。潜入と逆襲、資金洗浄と宝石エメラルド、追う側・追われる側それぞれ内部の疑心暗鬼、そして速やいセリフ廻し、大音響、照明・映像と息つく暇がない。
ところで、芝居でキーになるものに、コロンビアのエメラルドの宝石がでてきた。
・エメラルドの起源について、妻フラとその夫テナの・・・妻の不義にもかかわらず許す夫に対して岩に変身した妻が流す悔恨の涙がエメラルドになったという・・・伝説が語られた。
・コロンビア産のエメラルドには、三相インクルージョン(個体、気体、液体)の特徴があると語られた。
(参考)「楽しい鉱物図鑑」(堀秀道著)のエメラルドから:
・緑柱石(Beryl)の、緑色したもの。宝石の女王といわれる。色の原因はクロムの混入。
・もっとも有名な産地コロンビアは黒色頁岩、石灰岩などの堆積岩を切る熱水脈に結晶が入って、黄鉄鉱などを伴う特殊な産状である。
・(二級品について)色をよくするためオイルや樹脂を浸みこませるなどの、さまざまざまな処理がおこなわれている・・・ことがあるようだ。
(本ブログ関連:"緑柱石")
(付記)
芝居小屋(シアターと呼ぶけれど)の近くに美味しいドラ焼きの「すずめや」があると、これも親類に教えられ、観劇前に寄って購入する。二つを袋に入れてもらったが、もう一つは店内で口にする許可をもらい味見した。
しっかりと小豆粒が感じられ、甘過ぎず程よい大きさで満足した。こちらも大成功。
2012年9月19日水曜日
イ・ソンヒの「Jへ」
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