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2025年10月19日日曜日

山の存在

むかし、甲州出身の仲間とカラオケに行ったとき、彼は必ず「武田節」を歌った。古くから歌われた曲と思っていたが、昭和36年(1961年)に、三橋美智也が歌唱したものだそうだ(作詞 米山愛紫、作曲 明本京静)。歌の出だし「甲斐の山々 陽に映えて」から、まるで武田武士の気分で揚々と始めた。思い出を語るとき、甲府盆地を囲む山並みを強調した。

山梨県出身の俳人に飯田蛇笏がいる。彼の句に「芋の露 連山影を 正しうす」がある。身近な里芋の葉に集まった露と、見晴らすと連山に包まれていることの対比を知る。

ところで、九州にいたころ、小学校の校歌の出だしも地元の山名から始まった。遠くに見える山頂に放送塔が見える山だと思っていたが、ネットで調べたところ、もっと手前に連なるもう一つの山であり、小学校校舎により近い山だったのだ。

どうやら地元で、この二つの山について、昔から取り違えがあったらしいことも知った。登山ケーブルカーのあるポピュラーな山より、好ましい名の付いた山名(城跡がある)の方が好まれたのかもしれない。

ともあれ、山を身近に感じながら成長するのと、都心のように山影が微かでしかない環境で成長するのとでは違いがあるのかもしれない。(今、秩父・丹沢の山地を臨む武蔵野台地に居るが、子どものころは都区内の山々を気にもかけない場所に住んでいた経験から・・・)