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2026年1月6日火曜日

島根県東部地震と地震予測地図

テレビのニュースで、島根県東部で(横ずれ断層型)震度5強の地震が発生したことを知った。震度5強だったのは、鳥取県の境港市、鳥取日野町、江府町、および島根県の島根県、松江市、安来市。
地震は、中国地方、四国地方、九州地方、関西地方および中部地方の一部にまで広がった(長周期地震動)。なお、関東方面への広がりはなく、フォッサマグナより先には進んでいない。したがって、東京の武蔵野台地で体感することはなかった。

(本ブログ関連:”地震”)

■ 気象庁
「地震情報 詳細情報」(2026/01/06 10:24 発表)
    ー https://www.data.jma.go.jp/multi/quake/quake_detail.html?eventID=20260106102404&lang=jp
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地震検知日時:             2026/01/06 10:18
緯度/経度:                北緯35.3度/東経133.2度
マグニチュード        6.2
震源の深さ:                10km
震央地名:                   島根県東部
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(本ブログ関連:”地震の深さ”)


地震予測地図

昔、いずれ巨大地震が来るという話題に恐れて、地震発生確率の(長期的に)低い地域を探したことがある。政府の「地震調査研究推進本部」が公表する「全国地震動予測地図」から、岡山県の新見地域を避難・移住先に最適な場所では・・・と想像した。

ところが、今回の地震で、岡山県の新見市の震度は4だったのだ。わが国は、地震に対して安全な避難先はどうやらないことを確認した。

(本ブログ関連:”全国地震予測地図”)

■ 地震調査研究推進本部
「地震予測地図」
    ー https://www.jishin.go.jp/evaluation/seismic_hazard_map/

■ Gemini
最近、日本海側で地震が頻発しているように感じる。そこで、生成AIの Gemini にQ&Aした結果から抜粋する。
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太平洋側の地震が海溝(プレートの境界)で起こる巨大地震が多いのに対し、日本海側は<「活断層」>による地震が多いのが特徴です。
2024年の能登半島地震も、複数の断層が連動したものでした。こうした活断層による地震は、私たちの住んでいる真下で起こるため、マグニチュードがそれほど大きくなくても非常に強い揺れ(震度)を感じやすくなります。

地震活動のまとめ(2024年〜2026年)
発生時期震源地規模 (M)最大震度
2024年1月石川県能登地方7.67
2025年12月青森県東方沖(太平洋)7.66強
2026年1月6日島根県東部6.45強
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2026年1月5日月曜日

小寒 2026

きょうは二十四節気の「小寒」で、これから寒さのピーク(大寒、1/20)を迎える <寒の入り> だ。すでに寒い思いをしているのに、まだ先があるとは。寒気が苦手な者にとって厄介な季節だ。

(本ブログ関連:”小寒”)

真の寒さをむかえて、野鳥たちが「柿の実」を食いあさっている。生存の厳しさを知るわけだが、別場所の「柑橘系の実」には関心が向いてないのはどうしてか?

例によって、生成AIの Gemini に聞いた。要約すると、柿の実が今まさに食べごろ(熟して柔らかく糖分たっぷり)になってついばんでいるのに対して、柑橘系の実はまだ皮も固く酸味も強いため、後回しにする「鳥なりの『グルメな理由』と『生存戦略』がある」という。

そういえば、青果店で箱入りで買ったミカン(温州ミカン)を、あっという間に食ってしまった。皮が剥きやすく*、乾燥気味の部屋のなかで水分補給のように口に入れた。また買い出し**に出かけなくては。
(*)皮が剥きやすいので「米・加・豪などでは『TV orange』とも呼ばれている」そうだ。(Wikipedia)
(**)「買い出し」は、戦中・戦後の都市生活者にとって苦い記憶の残る言葉でもある。経験者ではないが・・・。

2026年1月4日日曜日

(ChatGPT)アメリカの製品開発コードに「~ Lake」を見かける理由

ネットの記事で、アメリカのIT業界の製品開発コードに「~ Lake」をよく見かける。その理由について、生成AIの ChatGPT に問いかけたところ次の(みょうに会話調の)回答を得たので転載する。

■ ChatGPT 

Q-1.アメリカの製品開発コードに、「~ Lake」というネーミングをよく見かけますが、何か理由でもあるのでしょうか?
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A-1.あります。結論から言うと、特定の「公式ルール」があるわけではないけど、いくつか定番の理由が重なって定着している、という感じです。

代表例はやっぱり Intel ですね。Skylake / Ice Lake / Tiger Lake などで一気に有名になりました。主な理由を分けて説明します👇

コードネームは「仮の名前」だから

製品開発中は、正式名称(商品名)とは別に社内用のコードネームが必要になります。

  • 世代や性能を直接連想させない

  • 外部に漏れても意味が分かりにくい

その条件に、<地名(特に湖・山・川)> はちょうどいいんです。

アメリカは地名のストックが無限にある

アメリカ(特にIntelの拠点がある地域)には

  • ○○ Lake

  • ○○ River

  • ○○ Valley

みたいな名前が山ほどあります。

👉 名前が被りにくい
👉 何世代も続けやすい

という実務的なメリットが大きいです。

「Lake」は中立でイメージがいい

Lake(湖)って、

  • 静か

  • 安定

  • 自然

  • クリーン

みたいなポジティブだけど主張しすぎない印象があります。「Killer Lake」みたいに攻撃的でもないし、変に子どもっぽくもならない。技術者ウケもわりと良いらしいです。

系列化しやすい(世代管理が楽)

たとえばIntelの場合、

  • Skylake

  • Kaby Lake

  • Coffee Lake

  • Ice Lake

と、「Lake縛り」にすると、あ、同じ大きな流れのCPU世代だなと社内外で分かりやすい。これはマーケティングというより、開発・管理の都合が大きいですね。

Intelの影響がデカすぎた

Intelがあまりに有名になったので、「あ、コードネームって地名でいいんだ」という空気が業界全体に広がったのも事実です。結果として「~Lake」がやたら目につくようになりました。

まとめると

  • 実務的に便利

  • イメージが無難

  • 地名は無限にある

  • Intelが流行らせた

この4点が合わさって、「~ Lake」はアメリカの製品開発コードの定番になった、というわけです。

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■ ChatGPT 

Q-2.IBMも昔からそうだった気がしますね。
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A-2.鋭いです。その感覚、かなり当たってます。

IBMはIntelよりずっと前から「地名コードネーム文化」のど真ん中にいました。しかもかなり体系的にやってます。

IBMは「地名コードネームの元祖クラス」

IBMは1960〜70年代からすでに、

  • System/360

  • System/370

  • 大型汎用機(メインフレーム)

  • 磁気ディスク、ストレージ

こういう開発で、地名(特に自然地形)をコードネームに使っていました

当時のIBM社内では

「製品の性格を連想させない、中立な名前を使え」という思想がかなり強かったんです。

IBMは「湖・山・川」ガチ勢

IBMのコードネームを振り返ると:

  • Teton(山脈)

  • Denali(山)

  • Yosemite

  • Everest

  • Niagara

  • Sonoma

  • Monterey

……完全に国立公園パンフレットです。「Lake」単体も普通に使ってましたし、「○○(地名)」+世代、みたいな命名が社内標準でした。

なぜIBMがそうなったか(重要)

IBMは昔、

  • 1社で市場を支配しすぎ

  • 反トラスト法の監視対象になっていた時代があります。そのため、

  • 性能を誇張する名前

  • 競合を刺激する名前

を避ける必要があった。

👉 地名は

  • 攻撃性ゼロ

  • 企業姿勢としても無難

  • 法務的にも安全

という最強の選択肢だったわけです。

Intelは「IBM流」を受け継いだ側

Intel 創業期〜80年代の技術者は、

  • 元IBM

  • IBM文化を知っている人

がめちゃくちゃ多いです。

なのでIntelの、Lake / Bridge / Canyon / Falls みたいな命名は、かなり露骨に「IBM式」を引き継いでます。

ちょっと面白い補足

IBM内部では昔から

「コードネームは “呼びやすくて、怒られない名前” が正義」

と言われていたそうです。だから

  • 強そうすぎる ❌

  • かわいすぎる ❌

  • 意味深すぎる ❌

結果、地名しか勝たん、という文化が残った。

まとめ

あなたの

「IBMも昔からそうだった気がする」

は、ほぼ正解どころか業界史を押さえてる視点です。

IBM → Intel → 業界全体、という流れで、「~Lake」が当たり前になった、と見るとかなりスッキリします。

こういう命名文化の話、掘るとAMDやAppleも全然違う哲学でやってて面白いですよ。

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2026年1月3日土曜日

野鳥観察(93)、満月(狼月、ウルフ・ムーン)

早朝(6:30ころ)、 今年最初の野鳥観察(探鳥会)に出かけた。
玄関の鉄門の上に透明な雨粒がいくつもあるので、触ってみたら何と凍っていた。さらに、門前のアスファルト路地に、小さな白い結晶風の霜模様が一面に張っていた・・・まるで、「桜石」(京都亀岡にある「菫青石仮晶」)のサクラの花弁を飾っているように見えた 。

アメダスを確認したところ、早朝6時の気温 -1.8℃ だった(tenki.jp*によると -2.2℃ )。さすがに冷えた夜明けだった。
(*)tenki.jp:日本気象協会

アメダスとtenki.jp の気象情報には、降雨のデータはない。もしかしたら、記録にならないほどの小雨・霧があったのかもしれないが。そこで、Gemini に問い合わせたところ、次のような回答を得た。どうやら、地面と空中の高さの差の気温差により、「霜」(気体 → 固体)と「凍露」(気体 → 液体 → 固体)の2つの現象が起こったようだ。

特徴アスファルトの「霜」門扉の「凍露」
状態変化昇華(いきなり凍る凝結 + 凍結(一度水になる
見た目白い粉、結晶状、不透明透明な粒、ガラス細工のよう
光の反射乱反射(白く見える正反射(キラキラと輝く

公園に着くと、酷寒のなか人びとが集まっていた・・・どうやら正月の「日の出」を見ようと待ち構えているようだった。
観察開始(6:30)してすぐ、フィールド東奥の木立の隙間から、眩しい朝陽が差し込んでてきた。陽光が低い高度で届くと、樹上の野鳥の羽や体の模様がくっきり観察できる。巡路の途中、次の写真の通り、霜で覆われた落ち葉や、凍露で木々の枝先に輝くのを見た。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものを次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・シメ: 遠くに見た「シメ」の姿が、写真に写っているのに驚く(ツグミと同じ樹上にいた)
・ツグミ: 観察の最初から「ツグミ」が飛び回っていた。今回観察中最大数といわれた
・アオジ:指されて撮ったのは、メスだろうか
・ジョウビタキ: メスの地味な姿が可愛らしく、一番のお気に入りの小鳥だ
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・カルガモ: 公園の水枯れの小川は大部分氷が凍っていて、水流のある場所に集まっていた

落ち葉の霜(写真左)、ソシンロウバイの凍露(写真中央)、花壇の鉄柵の上の霜(写真右)
・公園の日陰にある落ち葉や枯れ草が、霜に覆われていた。
・「ソシンロウバイ」の枝先に、露が凍ってできた玉が、朝陽を受けてキラキラ輝いていた。
・公園事務所そばにある花壇を囲む太い鉄柵の上に、霜柱がまぶしたように付いていた。



ツグミ(写真左)、シメ(写真中央左)、アオジ(写真中央右)、ジョウビタキ(写真右)



ちなみに、きょうは「満月

米国の農事暦(The Old Farmers’ Almanac)に、本日1月の「満月」を「ウルフ・ムーン(Wolf Moon)」と呼ぶ。本来、インディアンの伝承にもとづいた月名だが、「シートン動物記」のオオカミのロボが雪景色に登場する場面があったような気がする・・・。

2026年1月2日金曜日

季語: 元日、二日、三日、四日、五日、六日、七日

1月のカレンダーで、元日(一日)、二日、三日、四日、五日、六日、七日まで、新年の季語という。(「日々の歳時記」 広瀬一朗著、東京新聞出版局)

他の歳時記「写真 俳句歳時記」(横田正知編、教養文庫)も確認したが、三日までは季語の目次にあるが、四日以降は取り上げてない。たしかに、元旦から三日までは正月気分の「三が日」でもあるし・・・。

(本ブログ関連:”俳句”)

上記の両歳時記に、新年二日のこととして、高浜虚子(1874年[明治7年]~ 1959年[昭和34年])の次の句が載っている。
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    老しずかなるは二日も同じこと
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同句は、虚子の「五百五十句」(昭和十一年 ~ 昭和十五年)の <昭和十四年> に収められている。

■ 青空文庫
「五百五十句」高浜虚子
    ー https://www.aozora.gr.jp/cards/001310/files/51838_59542.html
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 さきに『ホトトギス』五百号を記念するために改造社から『五百句』という書物を出した。これは私が俳句を作りはじめた明治二十四、五年頃ごろから昭和十年までの中から五百句を選んだものであった。先頃桜井書店から何か私の書物を出版したいとの事であったので、『ホトトギス』が五百五十号になった記念に、その後の私の句の中から五百五十句を選み出してそれを出版して見ようかと思い立った。
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佐藤愛子さんなら「なにがめでたい」と啖呵を切りそうだけど、虚子は60代前半にして斯様に自覚的だったのだろう。どちらも納得してしまう。

2026年1月1日木曜日

令和8年(2026年)元旦


令和8年、2026年  元旦
あけましておめでとうございます

朝寝・朝酒・朝湯が大好きで、ただし朝湯は、あしたにしよう。

西暦2026年の下二けたの 26 を、2+6=8 で令和8年。しばらく使えそう。

今年の抱負、大層なことじゃなく、つつがなく過ごせればそれで充分なわけで・・・。

2025年12月31日水曜日

自然観察園の休園、オナガの群れ

昼下がり(午後3時頃)公園に行った。さすがに大晦日、きのうよりも冷えて人出は稀だろうと予想したが、思いのほかランニングやウォーキングをする人びとがいた。

このところ晴れの日が続いて(小雨の日もあったが)、公園を横断する小川の水かさが減り、ところどころから川底がのぞいている。年末ゆえ、公園整備の工事音もなく実に静かだった。

公園併設の自然観察園入り口に着いたとき、やっと気づいた。そうか、きょうは年末の休園日(休園日は、12月29日 ~ 1月3日)。またやってしまった。念のため、閉門の様子を写真に残す。


しょうがないと隣りの公園を巡れば、夏に緑陰を作った「サクラ」や「ケヤキ」の木立は、すっかり葉を落とし冬景色をあらわしていた。散歩を切り上げて帰ることにした。

オナガ
帰宅の途中、きのう記した<柿の実>を「オナガ」の群れがついばんでいるのに出会った。オナガ特有の鳴き声はわずか、以外に静かにしている。オナガがこんなにたくさん群れているのを今まで見たことがない。
冬の厳しさが増してきたのだろうか、普段見向きもされなかった実に、いろいろな野鳥が寄り集まっている。

今年も、除夜の鐘をテレビを通して聞くことになるだろう。

2025年12月30日火曜日

街の ムクドリ、ハクセキレイ

昼過ぎ、外出したときに、路地で出会った野鳥は「ムクドリ」と「ハクセキレイ」。

ムクドリ
江戸時代の玉川上水から分水した跡と思われる細い路地がある。そこに面した民家の柿の木は、いまだに多数の実が残っていて、いずれ「ヒヨドリ」がやって来ると思っていたが近寄らず、そのまま放置されていた。そんな柿の実を、多数の「ムクドリ」が群がってせわしくついばんでいるいるのを目撃した。彼らは近くの電線にも集まり、柿木を経由してか、それとも往復しているのか・・・。

ハクセキレイ
人を驚かすにもほどがある。コンビニに買い物に寄ろうと表通りを進んでいたら、いきなり目の前を1羽の「ハクセキレイ」が飛び上がった。そしてすぐそばに舞い降りて、自身の姿を確認させるように飛び去った。人見知りしない野鳥だが、もっと警戒心をというか、ぶつかったりはしないかと心配になる。

彼らは、昼の陽気(最高気温は、16.2℃、14:12)に誘われて登場したのだろう。あいにくカメラを持参していなかったので、写真に残せなかったが。

年末年始の風呂は?

寒くなると、湯舟に浸かってのんびり温まりたいもの。それも、窓明かりを感じながらが最高。湯からあがれば、がんがんに温めた部屋で、軽く日本酒をちょっと呑みながらネットを巡るのも悪くない。

そこで、まず年末年始の風呂のタイミングを、生成AIの Genmini に聞いてみたところ、大晦日の夜(日付が変わる前)までに入り元旦は控えて1月2日に入る」のが伝統的という。

いよいよ明日は「大晦日」。本当に年を越す。

■ Gemini
Q.風習・縁起かつぎですが、年末・年始の、いつまでに ~ いつから風呂に入ったらよいですか?
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A.年末年始のお風呂の入り方には、古くからの習慣や「縁起かつぎ」の考え方がいくつかあります。気持ちよく新年を迎えるための一般的な目安を整理しました。

結論から言うと、<「大晦日の夜(日付が変わる前)までに入り元旦は控えて1月2日に入る」> のが、最も伝統的な縁起の良い流れとされています。


1. 年末(大晦日):いつまでに入る?

大晦日のお風呂は <「歳湯(としゆ)」> と呼ばれ、一年間の汚れや厄を洗い落とす大切な儀式とされています。

  • タイミング: 12月31日の23:59までに済ませるのが理想的です。

  • 理由: 年をまたいでお風呂に入っていると、「旧年の汚れを新年に持ち越す」と言われ、あまり縁起が良くないとされるためです。また、心身を清めた状態で「除夜の鐘」を聞き、新年を迎えるのが本来の作法です。

2. 元旦(1月1日):入ってはいけない?

古くからの風習では、元日の入浴は避けるべきとされています

  • 理由1(福を流さない): 元旦には「歳神様(としがみさま)」から新しい一年の福を授かるとされています。お風呂に入ると、せっかく授かったその福を洗い流してしまうと考えられています。

  • 理由2(水・火の神様を休ませる): 元日は水の神様や火の神様(かまど神)にお休みいただく日とされており、煮炊きや水仕事(洗濯・掃除・入浴)を控える文化があります。

  • 理由3(家事からの解放): 普段忙しい主婦(家事担当者)を正月三が日くらいは休ませる、という知恵も含まれています。

3. 年始(1月2日以降):いつから入る?

新年最初に入るお風呂を <「初湯(はつゆ)」または「初風呂」> と呼びます

  • タイミング: 1月2日に入るのが一般的です

  • 由来: 多くの銭湯が1月2日に営業を開始するのも、この風習に基づいています。「2日に初湯に入ると、その一年を健康に過ごせる」とも言われています。

まとめ:縁起の良いスケジュール

日付呼び名縁起かつぎのポイント
12月31日歳湯夜、日付が変わる前に済ませて厄を落とす
1月1日(お休み)福を洗い流さないよう、入浴を控える
1月2日初湯新年のお祝いとして、この日から入り始める
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■ Youtube(登録: 朝日新聞)
「寒さ本番、サルも温泉で一息 北海道・函館で長風呂も」(2018/12/10)
ー https://www.youtube.com/watch?v=24k-yN7sEyE

2025年12月29日月曜日

我が寝たを首あげて見る寒さかな(小西来山)

朝寝が好きでモゾモゾしているうちに、9時に起床した。実は寒い5時ころ目覚めたが、布団の暖かさに負けて、二度寝してしまった。

起床すればあっけない。あっという間に、昼になってしまった。ほぼ一週間ぶりに気温が反転して、最高気温が 13.6℃(14:46)になった・・・気温が少し高まったというだけで何となく穏やかに感じる。

ところで、テレビで <俳句> を扱う番組やコーナーをときどき見る。投句された作品の解説を聞くたび、なるほどと鑑賞したりするが、句作については一向にダメで想像すらできない。チャレンジなんて初めっからあきらめている。

「続 折々のうた」(大岡信、岩波新書)に、元禄の大阪の俳人(俳諧師)小西来山(1654年[承応3年] ~ 1716年[享保元年])の遺稿句集「いましがた」*(1734年[享保19年] 刊)におさめられた次の句がある。
(*)来山没の18年後、「彼の門弟たち(主に子の其雫ら)によって編纂」(生成AI Gemini)
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    我が寝たを首上げて見る寒さ哉
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布団にくるまって寝床の様子を、首をあげて再確認し、やっぱり寒いと感じる場面か。可笑しくもあるし、誰もが共感する冬の寒さだ。

また、俳句(俳諧)の芸術性を深めようとした芭蕉(1644年[寛永21年] ~ 1694年[元禄7年])と、庶民の笑いを作風にした来山との対面があったそうだ。(Gemini)
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1694年(元禄7年)の面会
芭蕉が亡くなる直前、最後の上洛・大坂入りの際に、来山は芭蕉を見舞っています。
・面会の様子: 大坂の宿(花屋仁左衛門宅)で病床にあった芭蕉を、来山が訪ねました。
・芭蕉の評価: 芭蕉は来山について <「風雅のまことある人(俳諧の真実を理解している人)」> と高く評価し、彼の誠実な人柄を愛したと伝えられています。
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2025年12月28日日曜日

年末の静けさ、安全さ

昼、食事に出かけた。仕事納めの翌日(12/27)から、街の様子が違う・・・シンとして実に静かなのだ。正月を間近にした、落ちついた風情を感じる。そんなとき、遠くで走る電車の音が小刻みに聞こえてくる。

食後になって、あることに気づいて慌てた。デジカメやポケット図鑑など小間物を入れたショルダーバックを、或る場所に置き忘れて入店していたのだ。急いで支払いを済ませ、置き忘れた場所に戻ったところ、ショルダーバックは紛失することなくそのまま置かれていた。30分近く置きっぱなしにしていたのに。
Youtubeで、日本を旅した外国人の驚きの感想として、忘れ物が無事に返還されたとか、スタバなどのコーヒー店で飲み物を受け取りに行くのに、日本の客は自分のテーブルの上にスマフォを置くという光景とか、そういった話題が取りあげられる。今回、わたしの迂闊さだったが、あらためて日本の安全さに感謝した。

ところで、「東日本大震災」(2011年3月11日)のころ、我が家の前の路地を、木箱に弟を乗せてゴロゴロと引きずって遊んでいる小さな兄弟がいた。地震で、大谷石の塀が倒れたとき、もしかしてあの子たちが下敷きになっていたらどうしようと焦って玄関を飛び出した。幸い何事もなかったが。

住宅街の奥手に、あのときの子どもたちの家がある。久しぶりに近くを通ったとき、ひとりの少年がオートバイのカバーを外して洗浄していた。オートバイは、16歳から乗れるそうで、大地震のとき、小学校入学前の5歳くらいだったのだろうか。今、立派に育っているように見えた。

2025年12月27日土曜日

野鳥観察(92)

早朝、野鳥観察会(探鳥会)へ向かう途中、どんよりした雲が連なっていた。住宅街を通り抜けるとき、照明を落としたように薄暗く寒かった。気温は1℃未満で、これほど寒いと耐えるしかない・・・それでも、西の空の下に明かりが差し始めていた。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

厚い冬着に、カメラ、手帳、ポケット図鑑をバッグに入れて肩にかけると、ずっしりと重く鈍重になる(昼過ぎ、冬着で再び外出したとき身の軽さに気づいた)。
公園に到着して、園内の散歩道を進むと、ところどころにできた水溜まりに氷が張り付いていたし、小川*の一部も水面が凍っているのに気付いた。
(*)このところ雨天に恵まれないため、小川の水位は低目である。

また、公園の枯れ草はほぼ刈り取られていた。見晴らしの良い景観になったが、そのことで冬鳥の「シロハラ」などがエサをとるのに無防備になって(寄り付かなくなって)しまう反面もあるそうだ。

今回も、野鳥写真のベテランの方から、<来年1月のカレンダー写真> がみなに配られた。私は、いろいろある中から、可愛らしい「カワセミ」のものをいただいた。

フィールドを巡る途中、会長からこんな話をうかがった。
公園に「フクロウ」の「ペレット」があると知らされたそうだ。そこで、ペレットについて質問したところ、<フクロウは、エサを丸呑みする。その後、未消化な骨などを塊りにして吐き出したものをいう>そうで、一般の猛禽類は、エサの肉を剝ぎ取って食べるため(フンになって排出する)、このようなことはないとのこと。

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものを次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・シロハラ: 竹藪に舞い降りるのを目撃、そういわれて知ったのだが、あまりに一瞬のこと
・ツグミ: 樹上に1羽いた。その後グラウンドにも多数を観察。今回最大カウントされた
・メジロ: カンツバキの中を巡っているといわれた。正直ちらりと影を見ただけ
・イカル: まず、まことに可愛い鳴き声を聞く。樹上に1羽確認する
・アトリ: カワラヒワとの混群か? まわりで、アトリと判定の声を聞いて納得する
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・アオサギ: 枯れ荻の奥にじっと1羽がたたずんでいた
・カルガモ: 小川を挟んで向こう岸の奥に小池があり、数羽泳いでいた
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・カンツバキ: 名前はカンツバキだが、サザンカの花、花弁が散る
・ソシンロウバイ: 園内で、超早咲きの一木を教えてもらう
・ワルナスビ: 棘がなければかわいいのに春先の花は。冬の黄色の実もかわいい

ツグミ(写真左)、イカル(写真中央)、アトリ(写真右)
・いつもは地面にいる「ツグミ」を観察していたが、きょうは樹上のものを撮った。フィールドの観察路のUターン地点にあるグラウンド地面で、多数がエサ探しているのが見えた。
・よく見ると、「イカル」が黄色の嘴で小枝の実をついばんでいるように見える。鳴き声のあまりの可愛さに驚く。
・「アトリ」の黄色い胸元が分かる。こちらも、小枝の実をついばんでいるように見える。



アオサギ(写真左)、カルガモ(写真右)
・孤高の「アオサギ」が荻の枯れ茎の奥にたたずんでいる。
・公園の小川の対岸に、釣り人が釣りを楽しむ小さな池がある。早朝なので、「カルガモ」だけが悠々と泳いでいる。



カンツバキ(サザンカ)(写真左)、ソシンロウバイ(写真中央)、ワルナスビ(写真右)
・「カンツバキ」の名を持つが、サザンカのひとつ。上面から撮ったので、足元に花弁だけ散っているのが見える。
・超早咲きの「ソシンロウバイ」の花と蕾。黒いのは実・・・中身がどうなっているのか未確認。
・なぜか観察路の傍らにポツンと「ワルナスビ」の実がなっていた。緑色 → 黄色と変化するようだ。棘もあるし、実にも毒性があるとのこと。


<帰り道>
西の空に晴れ間が広がり、随分明るくなった。
仕事納めの翌日のきょう、駅につづく道筋で、乳児を母親が抱きかかえ、その後から父親がキャリー付きのスーツケースを2つ押して付き添う・・・微笑ましい光景を見た。初孫を連れての帰郷だろうか。


(追記)
■ youtube(登録: なるみん大自然ちゃんねる)
「【野鳥の見つけ方|冬版】公園でも見つけられる“場所の選び方”のコツ」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=v68j0jpVWRA

2025年12月26日金曜日

仕事納め(御用納め)

きょうが「仕事納め(御用納め)」と聞いて、「?」が浮かんだ。仕事納めからすっかり遠ざかった身には、カレンダーの日程を気にもとめなかったからだ。

(本ブログ関連:”仕事納め”)

官公庁の仕事納めは 12月28日と定められていて、「12月28日が土曜日、日曜日に当たるときは、それぞれ前日の12月27日、または前々日の12月26日が御用納めとなる。」(Wikipedia)。今年はそれにあたる。
さらに<正月休み>は、来年1月3日までだが、来年の同日は土曜日にあたるため、期間は明日の 12月27日(土)から来年1月日()までの9日間になる。

子どもがいる家庭は大変だろう。父親は神社への初詣、お年玉を楽しみにした年始挨拶などイベントを考えねばならぬし、母親は食事など日常の面倒を見なければならぬし。あっという間に過ぎてしまう正月休みなので、親は頑張ってほしい。

「はやく来い来い  お正月」と念を押す童謡「お正月」(作詞:東 くめ、作曲:滝 廉太郎、明治34年【1901年】)を聴いてみよう。

■ Youtube(登録:ひまわり [童謡・唱歌・日本のうた] )
「お正月🎍(♬もういくつ寝るとお正月~)byひまわり🌻歌詞付き【日本の歌百選】唱歌|Osho-gatsu|New Year」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=hghHqrYPALE

2025年12月25日木曜日

ジングルベル

週一定例の体操教室も、きょうで今年最後の回。いつも通りメニューをこなした後、この時期にふさわしい、クリスマスソング「ジングルベル」の歌に合わせた余興があった。

(本ブログ関連:”クリスマスソング”)

椅子に座って歌いながら、両手で振りをつけるのだが、なかなか苦心する。途中のある個所で何度も躓くのだ。最終的になんとか指導の通りできたかもしれない。
繰り返すうちに体が火照って、頭の中の血の巡りが良くなったような気がした。なにしろ、日常使わない体の動きをしたのだから・・・。

「ジングルベル」は、一頭立ての馬橇の馬に付けられた鈴とのこと。牧師*さんが作詞・作曲したが、宗教を意識した歌詞ではない。その意味で、クリスチャンでなくとも、この時期に歌える。
(*)1857年に、牧師のジェームズ・ロード・ピアポントが作った。当初、酒飲みの歌だったものが、数十年後にクリスマスソングになったとのこと。(Wikipedia

■ Youtube(登録: Super Simple Songs - Kids Songs)
「Jingle Bells | Christmas Song | Super Simple Songs」← アニメはハンドベルだが。
    ー https://www.youtube.com/watch?v=4YBGRGBj7_w

2025年12月24日水曜日

クリスマス・イブ 2025

今晩の「クリスマス・イブ」は、家族が団欒する祭事(パーティー)であるが、宗教的な要素は(クリスチャンでない限り)ほぼない。子どもたちにとって待ち遠しいのは、サンタさん(サンタクロース)に願いを込めたクリスマスプレゼントだ・・・今晩もらえるかもしれないが。大方は「クリスマス」の明朝、目覚めたときに枕元にプレゼントが置かれているのを発見したときだろう。

(本ブログ関連:”クリスマス・イブ”)

クリスマス・イブが家族の祭事になる以前は、サラリーマンが仕事が終わって街に出て、遊びまくる行事(どんちゃん騒ぎ)だった・・・それがいつの間にか家庭に場所を移した。いまでは、この夜に街に出かけるのは恋人同士か、それともあぶれた若者たちだろう。

ところで、地元の商店街に、LED照明に輝くクリスマスツリーが据え付けられ、さらには、近くの広場の外部と仕切る金網の柵に、LEDのチューブを巡らして光の演を競っている。この時期の街々は、クリスマスのイルミネーションに飾られ華やいでいる。平和でよい時代だ。

きょうの空模様は芳しくなくて、小雨の寒い一日だったので、暖かい気分になってみたい。冬に生まれた、雪のように白い「白雪姫」が成長して歌う恋の曲「いつか王子様が」を聴いてみよう。ところで、見慣れたつもりでいるディズニーの名作アニメーションを、実際に何処で見たか確信ない。もしかしたら、小学校の畳が敷かれた裁縫室で、みなと一緒に鑑賞したかもしれない・・・。

■ Youtube(登録: Disney UK)
「DISNEY SING-ALONGS | Someday My Prince Will Come - Snow White Lyric Video | Official Disney UK」(2019/06/16)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=Qg73_Yt_F2I

2025年12月23日火曜日

(Gemini 他)フィンランドの歴史

スカンディナヴィア半島の基部に位置するフィンランドについては、童話「ムーミン」のアニメの普及(初期のアニメは原作者の主張で再放送できていない*)、社会福祉制度の研究者たちの発言(いまだに「ではのかみ」として紹介が多い)などでよく知られている。多くの日本人は、北欧の一画に位置する美しい国と想い描いている。
(*)再放送できない元々の経緯について、Wikipediaは曖昧にしている。ちなみに原作者はスウェーデン語話者。

(本ブログ関連:”フィンランド”)

最近、彼らの本質的な価値観が露わになった。深く触れるつもりはないが、ネットの時代だからこそ衆知された。(過去、先住民のサーミ人に対して行なった行為が倫理的に解消されずフィンランド人の奥に残っている・・・ある意味。長期にわたるスウェーデン支配下にいたことの裏返しのようなものかもしれない。差別は差別を生み、その一番弱いところで暴露された。)

■  Google検索の生成AI Labs 
フィンランドの言語環境、それに伴う歴史について、「(検索)フィンランドの国内の話者 言語の割合」の結果を転載する。
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フィンランドの公用語フィンランド語スウェーデン語で、フィンランド語が約87〜90%、スウェーデン語が約5%**を占めます。その他、ロシア語(約1.5%)やエストニア語(約0.9%)なども話され、北部の自治体では先住民族のサーミ語も公用語(準公用語)として扱われています。 

主要言語の割合(概算)
・フィンランド語: 約87〜90%(圧倒的多数)
・スウェーデン語: 約5.2%(約5%)
・ロシア語: 約1.5%
・エストニア語: 約0.9% 

その他の言語
・サーミ語: ラップランド地方の一部自治体公用語。話者数は少ないが、先住民族の言語として尊重されています。
・カレリア語: フィンランド南東部の自治体で話されています。 
フィンランドでは、母語以外に最低2つの言語を学ぶことが義務付けられており、バイリンガル教育が盛んです。 
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(**)スウェーデン語が約5%使われているそうだが、潜在的話者は、40~50%いるともいう(Geminiによる)。過去(「12世紀頃の北方十字軍から、1809年にロシア帝国に割譲されるまでの約600年間」)、スウェーデンに支配されていた結果かもしれない(Wikipedia)。


そこで、フィンランドにおけるサーミ人の歴史について、生成AI Gemini とQ&Aした結果を記す。

■ Google生成AI Gemini

Q.フィンランドの原住民であるサーミ人に対して、 今のフィンランド人 白人種はどこから来たのですか? それはいつごろのことですか? ラップランドに住むサーミ人に対する人種隔離があったのですか?
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A.フィンランドの歴史、そしてサーミ人とフィンランド人の関係は非常に複雑で、長い年月をかけた移動と文化の変遷が含まれています。

ご質問の「今のフィンランド人はどこから来たのか」「人種隔離があったのか」という点について、歴史的・学術的な視点から解説します。

1. フィンランド人の起源と移住時期

現在のフィンランド人(フィン人)は、人種的には「コーカソイド(白人種)」に分類されますが、遺伝的・言語的には他のヨーロッパ諸国とは異なる独特のルーツを持っています。

  • どこから来たのか?: 主なルーツは、現在のロシア・ウラル山脈周辺からボルガ川流域にかけて住んでいたフィン・ウゴル系民族だとされています。彼らは西へ移動し、現在のエストニアやフィンランドへと定住しました。

    • 遺伝的特徴: 現代のフィンランド人は、西欧的な遺伝子と、シベリア方面(東方)から引き継いだ遺伝子が混ざり合っています。

  • いつごろのことか?: フィンランドの地に人類が住み始めたのは氷河期明けの約1万年前ですが、現在の「フィンランド人」の直接の祖先となる人々がまとまって移住してきたのは、紀元前3000年〜紀元後500年頃にかけての数波にわたる移動と考えられています。

2. サーミ人との関係

サーミ人はフィンランド人よりもさらに古くからフェノスカンディア(北欧北部)一帯に住んでいた先住民です

  • 居住地の変化: かつてサーミ人はフィンランド全土に住んでいましたが、後から来たフィンランド人が南部に定住し、農業を広げるにつれて、狩猟採集やトナカイ遊牧を営むサーミ人は徐々に北部のラップランドへと押し上げられていきました。

  • 「白人」という区別: 現代ではサーミ人も白人種と見なされますが、19世紀〜20世紀初頭の擬似科学(優生学)の影響下では、フィンランド人やスウェーデン人は自分たちを「より高度な白人」、サーミ人を「アジア的で劣った人種」と区別して見ていた歴史があります。

3. 人種隔離や差別の歴史

アメリカや南アフリカのような法的な「人種隔離(アパルトヘイト)」という形ではありませんでしたが、サーミ人に対しては <「同化政策」> という名の深刻な人権侵害が行われていました

  • 強制寄宿学校***(19世紀末〜20世紀): サーミ人の子供たちは親から引き離され、寄宿学校に入れられました。そこではサーミ語を話すことが厳しく禁じられ、フィンランド語とフィンランドの文化を強制されました。これにより、多くのサーミ人が自身言語アイデンティティを失いました

  • 人種生物学的な調査****: 20世紀前半フィンランドスウェーデン研究者がサーミ人の集落を訪れ、人種的な特徴」を調べるために全裸にして写真を撮ったり、頭蓋骨の測定を行ったりするといった、屈辱的な調査が行われました

  • 土地の奪取: フィンランド政府による森林開発やダム建設により、サーミ人の伝統的なトナカイ遊牧の土地が奪われてきた歴史があります。

現在の状況

現在、フィンランド政府は過去の過ちを認め、サーミ人の権利を守るための <サーミ議会(Sámi Parliament)> を設置しています。しかし、今なお土地の権利や、先住民としての自治権をめぐる議論は続いています

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(***)カナダでも、白人移植者は、先住民の子どもたちを同化政策の寄宿学校に集めた。カナダの場合、跡地から多数の子どもたちの骨が見つかった。(下記 BBC)
(****)人体測定といった優生学は、北欧諸国(スウェーデン、ノルウェー、デンマークなど)で20世紀前半に発展した。(検索 Labs)

■ BBC
「ローマ教皇、カナダ先住民に『深くおわび』 同化政策の寄宿学校は『悲惨な誤ち』」(2022年7月27日)
    ー https://www.bbc.com/japanese/62302763


フィンランドの言語の紹介に、必ずスウェーデン語が顔を出す。またロシア語との関係からも複雑。昇華されない歴史感情が見えてくる。多分、永遠に続く課題だろう(電子化され翻訳される時代になったことで・・・)。



(参考)

■ Youtube(登録: UNRAVEL - 未来をほどくラジオ) ←「北欧幻想」について・・・
「フィンランド議員の差別騒動を読み解く:北欧の『完璧なブランド』に隠された脆さと、欧州に潜む無意識の選民思想」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=E1e_Km6noI8

2025年12月22日月曜日

冬至 2025、休園の自然観察園

きょうは二十四節気の「冬至」、<1年間で太陽高度(太陽の位置)が最も低くなる日であり、太陽が南回帰線上にあるため、北半球では昼が最も短く夜が最も長い>(Wikipedia)。きょうの最高気温は、13.0℃(12:32)だった。

(本ブログ関連:”冬至”)

家にこもると、屋外に関心が向かないので、陽光の具合に気づかずにいる。風の子の、子どもたちなら気づいているはず。彼らに冬至の料理、かぼちゃのかたまりが入った小豆の汁粉を食べさせてやりたい・・・冬至と合わせて、忘れられないものになる。

わたしも、冬の寒さに慣れてきたのだろう、陽射しがあれば(日向であれば)十分暖かいと感じるようになった。そんな昼過ぎ(13:30ころ)、街に用事があったついでに、公園併設の自然観察園へ出かけた。

ああ、またやっちまった。
いつもそう。月曜は休園日なのに・・・これまで何度だろう、休園日の月曜日に来てしまうことは、実は、きのう(第3日曜日)、植物を主とした観察会が実施されていたが、(このところ)欠席してしまっている。その埋め合わせ(良心の呵責から)だろうか、よく翌日の月曜日に観察園に出かけて来ては、閉門の前でやっと気づく次第。
(園内では、工事関係者が入って環境整備の各種工事を行なっている。 工事が長引いているのは、週一回閉園の月曜が中心(安全のため)だからだろう・・・やっと気づいた。)


結局、遠回りしてホームセンターに寄り、必要でもない日用雑貨を買物したりした。

(余談)
寒いと体が固まる。そんなとき、次を気づいた。有線テレビは、Youtubeのサービスがある。PCのディスプレイと違い、大きなテレビ画面で、体操教室でやっている基礎運動を自宅でもやれる。教室で繰り返し慣れたので、長目の運動も苦にならない。これなら、気が向けばパソコン机の横で毎日やれそう。

2025年12月21日日曜日

シャボン玉ホリデー

日曜に夕方になると、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」*を楽しみにしていた。あのころ絶頂のクレイジーキャッツのギャグと、ザ・ピーナッツ(双子のデュオ)の歌で構成された音楽バラエティーショーだった。植木等の「お呼びでない? こりゃまた失礼致しました!」の決まり文句が、どんなタイミングで口にするのか期待した。
(*)同番組は第1期、2期とあったようだが、私の記憶にあるのは第1期のもの。

(本風呂不関連:”シャボン玉ホリデー”)

また番組の終わりに、ザ・ピーナッツが「スターダスト」を歌い始めると、ハナ肇が彼女らの後ろに近づき、気取った言葉を語るのだが、お決まりの無視(肘鉄だったり)される落ちがあった。これもまた面白かった。

そういえば、あのころテレビは家族全員で番組を見ていたし、家庭の中心にいた。
・上記の番組は、初回からカラー放送だったという。(生成AI Gemini)
・私の記憶では、モノクロで見たような・・・我家の受像機がカラーテレビじゃなかったのか?

久しぶりに Youtubeで、ザ・ピーナッツの「スターダスト」を聴いた。透明感あふれて実にスマート、むかしの歌手はまことに素晴らしかったとつくづく思う。優雅な歌詞の中で、次の部分が耳に残っている。
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Beside a garden wall
When stars are bright
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■ Youtube(登録: cafe asile)
「スター・ダスト(Stardust) - ザ・ピーナッツ (The Peanuts)」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=olhmZH0v5d8
    ー(歌詞)Youtubeの概要欄に記載

2025年12月20日土曜日

(資料: Gemini)北方画家ブリューゲル・フェルメールの日本での普及

中学生のころ、学校の図書館にあった美術全集(十数巻の大部で、古代から現代まで)を1冊ずつ借り出して、興味が湧かぬ授業のとき、こっそり膝の上に置いてながめていた。有名な絵画や彫刻の写真を通じて、美術史を僅かだが知ることができた。
当時、「泰西名画」*という言葉がまだ残っていた。美術全集には、カラーとモノクロのページが混在した美術全集が発行された最後の時代だったのかもしれない。
(*)泰西名画の言葉から、滲んで粗悪なカラー印刷のイメージしか浮かばないのも事実。

日本絵画も含めて、主に西洋美術を中心にした本だった。その中でも、北方ルネッサンス絵画(ファン・アイクなど)を出発に、ブリューゲル(1525年~1530年頃)やフェルメール(1632年~1675年)を知った。また、彫刻について、ドイツ中世の宗教彫刻に関心がいった。天邪鬼だったせいもあって、イタリアルネッサンスの芸術には感心を持つことがなかった・・・。

(本ブログ関連:”北方ルネッサンス”、”ブリューゲル”、”フェルメール”)

高校生になって驚いたのは、(ある程度)リーズナブルなフルカラー美術全集が各出版社から競うように発行されたことだ。ますます絵画に近づいた気がした。

現在、ブリューゲルとフェルメールは大流行していて、Youtubeにもたくさんの解説動画ある。これほどポピュラーになったのは、フルカラーの美術全集が出版されたからに違いないと思い、生成AIの Gemini に確認してみた。


■ Gemini

Q.北方絵画の画家「ブリューゲル」や「フェルメール」が、日本で一般的に知られるようになったのはいつごろで、どんなきっかけだったのでしょうか? 例えば、カラー版美術全集の出版ブーム時代とか・・・。
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A.ブリューゲルやフェルメールが日本で一般的になった時期やきっかけについて、ご推察の通り「カラー版美術全集」の出版ブーム(1960年代後半〜70年代)は非常に大きな役割を果たしました。

それぞれの画家の普及プロセスを紐解くと、以下のようになります。

1. 普及の土壌:カラー版美術全集のブーム

1960年代、高度経済成長とともに日本の家庭に <「カラー版美術全集」> が普及しました。

  • きっかけ: 当時、平凡社や小学館、集英社などが競って豪華な全集を出版し、中流家庭のステータスシンボルとして応接間などに置かれました。

  • 影響: これにより、本場の美術館へ行けなくても、日本人は自宅で高精細な(当時の技術での)北方絵画のディテールに触れることができるようになりました。

2. ピーテル・ブリューゲル:1970年代に「知的な発見」

ブリューゲルが広く認知されたのは、1970年代に入ってからです。

  • 1972年の版画展: 日本初の本格的な紹介は、1972年に鎌倉近代美術館で開催された版画展と言われています。

  • 文学・思想界でのブーム: 1970年代、作家の森鴎外堀辰雄などの文脈から離れ、改めて「中世ヨーロッパの庶民の暮らし」を活写した画家として再発見されました。特に澁澤龍彦などの幻想文学や、歴史家たちが彼の絵を「社会資料」として紹介したことで、知的好奇心の強い層から一般へと人気が広がりました。

  • 現在の立ち位置: 「バベルの塔」などの象徴的なモチーフにより、現在は子供から大人まで知る人気画家となっています。

3. フェルメール:1960年代の初来日と2000年の爆発

フェルメールの認知度は、数回の大きな「波」を経て現在の国民的人気に至っています。

  • 第1波(1968年):初来日

    「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」で、フェルメールの作品が初めて日本にやってきました(『ギターを弾く女』など)。しかし、当時はまだ「レンブラントの影に隠れた名匠」という扱いでした。

  • 第2波(2000年):社会現象化

    大阪市立美術館で開催された <「フェルメールとその時代」展> が決定的なきっかけです。初めて「フェルメール」を冠した大規模な展覧会で、60万人以上を動員。ここから「寡作の天才」「光の魔術師」というイメージが定着し、爆発的なブームが始まりました。

  • なぜ日本で人気?: 静謐な室内画や、控えめな光の表現が、日本人の感性(侘び寂びや私小説的な世界観)にフィットしたことも一因と言われています。

まとめ

画家一般化の時期     主なきっかけ
ブリューゲル      1970年代〜美術全集での紹介、1972年の版画展、文学・歴史文脈での再評価。
フェルメール2000年代〜2000年の大阪での大規模展覧会(それ以前は、美術愛好家の間での人気)。

美術全集は、いわば彼らの「予習」の場となり、その後の展覧会ブームで一気に実物の人気が爆発した、という流れがあります。

当時の美術全集のラインナップや、特定の作品についての詳細な解説などもお手伝いできます。何か気になる作品はありますか?

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2025年12月19日金曜日

ペチカ

子どものころ歌った唱歌に、冬の夜にふさわしい「ペチカ」(作詞 北原白秋、作曲 山田耕筰、初出 大正13年:1924年)がある。夜の部屋に暖かい炎が灯る「ペチカ」を想像しながら歌った。ペチカって、「暖炉」のようなものとイメージして・・・。

(本ブログ関連:”ペチカ”)

実際は、炎の見える暖炉と、炎が見えず壁に煙路を巡らして部屋を暖めるペチカといった違いがある。暖炉は燃料を燃やしたときだけ働く暖房装置であるのに対して、ペチカは(壁に)蓄熱する暖房装置ということになるようだ。

したがって、サンタクロースは、暖炉の幅広の煙突から入り込めても、ペチカは壁の中にある狭い煙路を伝う必要があるので難しい。ペチカのロシアでは、欧米風のサンタクロースでなく、ジェド・マロース(森のじいさん/寒さの精霊)がプレゼントを渡しにドアをノックするそうだ。

一方、日本には煙突がないので、目を覚ましたときクリスマス・プレゼント発見した子どもたちは、サンタクロースが訪れたことを知る。大人は、サンタがどうやって部屋に入ったのかを考える必要がないように、プレゼントに話題を集中させる・・・それでよいのだ。

ところで、ペチカの歌の始まり「雪の降る夜は 楽しいペチカ / ペチカ燃えろよ お話しましょ / 昔むかしよ 燃えろよペチカ」は忘れられない。唱歌の世界は別にあるようだ。

■ Youtube(登録:童謡チャンネル こどものうた いはら よしのり)
「ペチカ(雪のふる夜はたのしいペチカ) 北原白秋作詞・山田耕筰作曲 うた: いはら よしのり ピアノ: いのこ あんな」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=e74WF0eeoS4

2025年12月18日木曜日

理髪

体操教室の帰り道、理髪店に寄った。耳の周りに髪が伸びてうるさくなったからだ。髪の毛は、歳をとっても変わらず伸びる。爪もそうだけど。気付いてないが体の細胞も入れ替わっている*。若いときは<新陳代謝>といって活気があったが・・・。
(*)体の細胞も入れ替わっている(検索AI Labs)
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部位によって周期は異なりますが、胃腸の粘膜は数日で、皮膚は約1ヶ月、血液(赤血球)は約4ヶ月、骨は数年、脳の神経細胞は生涯更新されない
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頭を刈りあげるとスッキリする。<大晦日>近くだと、あまりの冷気に躊躇する。実際、このところ家から外へ出ていない。それでも、<年の瀬>ともなれば、気分一新したいもの。この区切りに整髪することにした次第。

子どものころ、床屋に行った記憶がおぼろ。親に刈ってもらっていたのだろうか・・・、いやいやそうじゃない、社宅の坂道をくだった、商店街の近くに床屋があった。でも、緊張していたのだろう、理髪師と会話した覚えがない。

大人になってからも、住む場所で、下町、住宅街ごとに通った店があった。それでも、他の客が理髪師と会話しているのを横で聞いていただけだったが。結局、髪を切るとき、髪型を聞かれるが「普通で、少し刈り上げて・・・」というぐらい。

2025年12月17日水曜日

(資料)ライト兄弟の初飛行

相変わらず、大きな金属製の船が浮かび、飛行機が空を飛ぶのか信じられない。科学者や技術者たちは、不可能と思われるものを可能にするブレイクスルーを導き出し積み重ねてきた。

122年前のきょう(1903年12月17日午前10時35分)*、アメリカのライト兄弟は、ノースカロライナ州キティホーク近郊にあるキルデビルヒルズにて、「ライトフライヤー号」によって有人動力飛行に成功した。小型12馬力エンジン✖1 + レール**・小型トロッコ(離陸時)+ 橇(着陸時)を利用パイロット1名が腹ばいの姿勢で操縦。(Wikipedia、Gemini 他)
(*)時代はまさに「日露戦争(1904年~05年(明治37年~38年)」直前のころ。
(**)初飛行で使用しなかったが、 初速確保のため重力利用のカタパルトも準備された。

■ 生成AI Gemini ← カタパルト方式について
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・ライト兄弟が初めて動力飛行に成功した1903年12月17日の飛行(キティホークでの初飛行)では、カタパルトは使用されず、強い向かい風の力を借りて離陸しました。
・この重り式のカタパルトが実際に使用され始めたのは、翌年の1904年からです。これは、風に頼らず、より安定して離陸するための改良でした。
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ちなみに、現在、大いに気に入っている有人超小型飛行機「MC-15 CRI-CRI (コオロギ)」は、15馬力エンジンを2基搭載している。ライトフライヤー号は、それよりもずっと小さな馬力***で、歴史の幕を開けたことになる。
(***)下記の通り、「12馬力は、現代のゴーカート小型の農耕用機械の出力に近い」。

(本ブログ関連:”飛行機  コオロギ”)

■ 生成AI Gemini ← 12馬力のエンジンとは
Q.ライト兄弟の『ライトフライヤー号』は12馬力だったそうですが、ボート、オートバイ、自動車でいうとどの程度の性能ですか?
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A.ライト兄弟の『ライトフライヤー号』に搭載されたエンジンは、1903年当時の技術で自作された水冷直列4気筒で、公式には12馬力(HP)の出力を持ち、最高速度は約48 km/hでした。
これは現代のボート、オートバイ、自動車と比較すると、非常に低出力であると言えます。

12馬力の性能比較(現代の目安)

乗り物の種類12馬力相当のイメージ特 徴
オートバイ原動機付自転車(原付)や小型スクーター現代の125ccクラスの小型バイク一般的に10馬力前後ですが、ライトフライヤー号のエンジンは排気量が約3.3リットル(4,000ccとの情報もありますが、3.3リットルが有力)と非常に大きく、<トルク(回転力)> を重視した設計であったと考えられます。
ボート小型の漁船やレジャーボート用の船外機現代の小型ボート用船外機(アウトボードモーター)では、10~15馬力クラスは、比較的軽量なボートを滑走させるために使われます。
自動車現代の一般的な乗用車と比較すると圧倒的に非力軽自動車でも約50〜64馬力、一般的なコンパクトカーなら100馬力以上が普通です。12馬力は、現代のカート(ゴーカート)小型の農耕用機械に近い出力です。
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機体の構造・動作、操縦方法について

■ Youtube(登録:Sabin 機械工学)
「ライト兄弟による革命的エンジニアリング」← 画面の初飛行時期は音声で修正している。
    ー https://www.youtube.com/watch?v=U3I_peLpFhc

■ 生成AI 検索Labs
検索「パイロットの操縦姿勢」・・・ パイロットは腹ばいの姿勢
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・操縦方法:  ウィング・ウォーピング(翼のねじり)という方法で方向転換するため、パイロットは機体中央の寝台に「腹ばい」になって横たわります。
・操作:  操縦桿を操作するのではなく、腰を左右に傾けて胴体をひねり、翼のねじれを変化させることでロール(横転)を制御しました。 
この画期的な「腹ばい姿勢」での操縦と、体重移動による制御(3軸制御の原型)が、ライト兄弟の成功の鍵でした。
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■ 追記: 初の有人動力飛行について
ドイツ生まれのアメリカの航空技師グスターヴ・ホワイトヘッドという説もあるが・・・。
WikipediaGemini、ショナル ジオグラフィック)
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W: (初飛行)記録が不十分という批判もあるが、ライト兄弟より前の1901年8月14日に、コネティカット州フェアフィールドで世界初の有人動力飛行に成功したとされる。
G: 現在のアメリカでは、<「公的な教科書や国立博物館レベルではライト兄弟」だが、「コネチカット州においては法律でホワイトヘッドが一番」> という、ねじれた二重構造が続いています。
ナ: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7930/
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2025年12月16日火曜日

(Youtube)「海外生活で気づいた、科学が強い国の共通点」

とても興味深い Youtube動画「異国見聞録 Lina's Journal」*がある。

■Youtube(登録: 異国見聞録 Lina's Journal)
「海外生活で気づいた、科学が強い国の共通点」(2025/11/09)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=dcATQ4psakg

(*)登録者Linaさんのプロフィール(「no+e」より)
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早稲田大学卒業後、新卒でフリーランスとして通訳・翻訳、そして執筆業を開始。海外移住後は、YouTubeチャンネル「異国見聞録」でも情報を発信中(登録者数 2.12万人)
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欧州を例に、母語で科学を学べる国にノーベル賞受賞者数が多いという。← 新鮮な分析!
・自国の文化を自国の単一言語で語られる国と、そうでない(複数の言語使用の)国
・海外の情報を自国の言語で語られる国と、そうでない(英語原文のままの)国

また、欧米以外の国でノーベル賞受賞者数が多いのは日本であることを見聞・考察をされている。そのなかで、ノーベル賞受賞者 白川英樹氏の「母国語で学ぶということができるということは、本当にありがたいことであり、深い思考が可能となる。」との言葉を紹介している。また、研究への経済的支えの必要性・課題についても触れている。

(雑談)
学生時代、書店の丸善で英語の教科書を探したとき、オリジナルの書籍とリプリント版の書籍があった。リプリント版は凝縮したような体裁で安価だった。版(edition)は同じではなかったが。印刷はシンガポールで行なわれていたようだった。発展途上国の学生向けに出版していたのだろう。そのときは、わたしは日本の大学もリプリント版を使って英語で講義をやれば早道じゃないかと想像した・・・でも、そうじゃないんだよね。

(本ブログ関連:”リプリント版”)

2025年12月15日月曜日

(雑談)同じこと・・・

歳をとって、忘れることが多いのに、楽しむことは少なくなっている。
なにか興味・関心ごとを見つけようとしても、結局おなじことにしか思えなくなっている。

そういえば若いころ、両親が若者のテレビ番組に全く興味を示さないのを理解できなかった。
いま考えれば合点がいく。一つに、新しい文化を知らないし馴染めないということ。実はもう一つあって、こんな感じだったのではと想像する・・・形は変わっても、やってることは結局は同じなんだと。

強烈なサウンドを求めても、後年になって、思い出すのはスローなバラードしかない。
若者の熱気は <かりそめ> のようなもの。いずれ振り返って若いころをながめても、それは本当の姿じゃなくて、心のスクリーンに思い描いたもう一つの若いころでしかないのかもしれない。

最近思うのは、なにごとも同じことの繰り返しでしかないと。進歩したのは。科学・技術しかないのではと。繰り返し・・・そこだけ見ると、<既視感> しか浮かんでこないのだ。

それでも、こんな想像・心配をする。
・入れ墨(タトゥー)をした若者は、老人・老婆になった姿を想像できているのだろうか?
・美容整形した女性は、老婆になったときの顔かたちを想像できているのだろうか?
・ヒップホップに入れ込んだ若者は、老人・老婆になってそれを懐メロの一つにするのだろうか?
まだまだあるんだけどなあ、それが思い出せない。