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2024年10月14日月曜日

スポーツの日 2024

きょうは国民の祝日「スポーツの日」。朝から清々しい空模様、まさにスポーツにうってつけだ。1964年に東京オリンピックが開催された10月10日を、「体育の日」として祝日にしたが、後に10月の第2月曜日に移動、さらに名称を「スポーツの日」と改名したという(Wikipedia)。

そういえば、昨日(10/14)の日曜日、公園広場で大勢の人びと(おとな)が丸い大きな輪になって催事をしていた。中央にポールが立っていて、もしかしたら輪の中で子どもたちが遊戯をしていたのかもしれない。ゆっくりリズムをとるような音楽が流れていた。どこかの保育園(幼稚園)のミニ運動会だったのかもしれない。

きょうは公園の自然観察ではなく、人混みの近隣街に出て食事と買い物をした。

キンモクセイ
帰り道、住宅地の通りに風がフッと吹いたとき、あの香りがした。「キンモクセイ(金木犀)」の花の香りだ。民家の塀を見上げれば、緑が濃く茂った樹の葉の隙間にオレンジ色した小さな花がいくつも見えた。しばらく道を進むと、また別の民家の塀越しにキンモクセイの樹が現われて、辺りに甘い香りを漂わせる。季節が巡ってきたことを実感する。

(本ブログ関連:”キンモクセイ”)

きょうは、キンモクセイの香りを知らせるとても按配のよい日だった。

2024年10月13日日曜日

きょうも赤い実を探したが・・・

きのう(10/12)公園で、「ハナミズキ」に赤い実が生(な)っているのに気づいた。そこで、あらためてきょう、公園が配布の「レンジャーミニ図鑑」(一枚印刷)をもとに、他の樹についても赤い実を探しに園内を巡った。結局、「サンシュユ」の赤い実だけだが何とか発見した。

(下記に「いろいろな樹が、秋に赤い実を作るのはなぜ?」と、Googleの生成AI ”Gemini” に問いかけた結果を載せた)

サンシュユ
・バーベキューで賑わう広場の脇道に「サンシュユ」の木立があって、赤い実が見え隠れした。実がわずかしかないのは、時期を過ぎたからか、それともこれからなのか?
・樹名板の解説に「山茱萸、別名『ハルコガネバナ』、花は黄色、出葉前(しゅつようぜん)の早春に咲きます。ミズキ科」と記載されている。そういえば、赤い実を作る「ハナミズキ」も同じミズキ科。しかし互いに花の姿は違うし、原産も中国(サンシュユ)と、アメリカ(ハナミズキ)と違う。



時間があったので、隣接の公園に併設の「自然観察園」へ行く。ここでは、野草の実や花を観察した。園内の通路は相変わらず(補修工事が未完で)一部通行禁止になっている。また、近くの「自然観察センター」は、再建工事が続いている。いずれも完成が待ち遠しい。

イシミカワ(写真左)、ナンテンハギ(写真中央)、キバナアキギリ(写真右)
自然観察園に移って、以下の野草を見た。
・タデ科の蔓(つる)性の「イシミカワ」*に青黒い実が、地味に健気に生(な)っている。園入口付近から奥に順路に沿って、意外とたくさん生(は)えているのに驚く。
(*)花の漢字名が複数あって、起源が定まってなさそう。
・通行禁止の標識がある手前に、紅紫色の「ナンテンハギ(南天萩)」の花が群れていた。入口の掲示板には写真があるが、園が配布の「花だより」(一枚印刷)には記載がない。花期が6~10月なので省略されたのだろうか。
・ナンテンハギの付近に、長い鼻のように見える「キバナアキギリ(黄花秋桐)」の黄色の花が(開花期が、8~9月というが)一面に咲いている。



(参考)Googleの生成AI Geminiの回答

Q.いろいろな樹が、秋に作る実が赤いのはなぜ?
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A.秋に多くの木の実が赤くなるのは、自然の素晴らしい戦略が隠されているからです。その理由をいくつかご紹介します。

1. 鳥に食べてもらうため:
・目立つ色: 赤色は、多くの鳥にとって非常に目立つ色です。特に、秋の枯葉の中で赤い実は際立ち、鳥の目を引きます
・味覚の好み: 多くの鳥は赤い実を好んで食べます。これは、鳥の視覚と味覚が、赤い実を栄養源として認識するように進化してきたためと考えられています。
・種子散布: が赤い実を食べると、種子は消化されずに糞と一緒に排出されます。が移動することで、種子は遠くまで運ばれ、新しい場所で発芽するチャンスが増えます

2. 寒さへの適応:
・アントシアニン: 赤い色素のアントシアニンは、植物が寒さから身を守るために作り出す物質の一つです。アントシアニンは、光合成で生成される活性酸素から植物を守り、低温下での細胞膜の損傷を防ぐ役割も果たしています

3. 他の生物からの保護:
・警告色: 赤い色は、多くの動物にとって危険信号を意味する色です。植物は、赤い実を食べることで害を受ける動物に、毒性があることを警告している可能性があります。
・擬態: 一部の植物は、赤い実を他の毒のある植物の果実に似せることで、動物に食べられないようにしていると考えられています。

4. 種の保存:
冬の食料: 秋に赤い実をつけることで、冬に食料が乏しくなる時期に、に食料を提供することができます。これにより、は生き残り、春には植物の種子を散布してくれるという、互いにメリットのある関係が築かれています。

まとめ:
秋に赤い実をつけるのは、植物が生き残るための巧妙な戦略なのです。に種子を運んでもらったり、寒さから身を守ったり、他の生物から身を守ったりと、様々な目的があります。自然の仕組みは本当に奥が深く、私たちに多くの発見と感動を与えてくれます。
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(追記)
「赤」の補色は「青緑」とのこと。緑の葉っぱの中に赤い実が存在すれば確かに目立つ。

2024年10月12日土曜日

赤い実と白い花

きょうは、天気が良かったので公園巡りした。いつも出掛ける公園を2つ、少し足を延ばして飛行場に隣接する公園も。おだやかな昼下がり、最高気温 26.1℃(14:10)の時刻をまたいでのこと。

ハナミズキ
・野鳥観察のフィールドである公園に、「ハナミズキ」の実が太陽光を浴びて赤く輝かせていた。実は、公園配布の「レンジャーミニ図鑑」(一枚印刷)には、秋の木の実の写真が10種並んでいるが、そのうち8種の実は赤い*。秋になると、木の実が赤くなるのはなぜだろう
(*)赤い実: クロガネモチ、サンシュユ、ソロダモ、マユミ、ガマズミ、コブシ、イイギリ、ゴンズイ
・ところで公園に、ハナミズキの立派な並木道があるというのに、上記の配布図鑑にハナミズキの写真が掲載されていないのが不思議だ。

ハナミズキの実
ジュウガツザクラ
・上記公園に隣接するもうひとつの公園で、「ジュウガツザクラ(十月桜)」の白いが咲いていた。秋と冬の二度花を咲かせる。春爛漫に咲き誇るわけではないが、この時期でも枝ごとに花を飾っていた。えっ!と驚かすに十分な咲きようだ。
・先日(10/5)の野鳥観察の際、サクラの品種「思川(おもいがわ)」が白い花を咲かせていたが、このジュウガツザクラと縁があるようだ。

ジュウガツザクラ
その後、南に進んで飛行場隣接の公園まで出かけた。滑走路間近の鉄網の仕切りに寄ってドルニエ機の離着陸を見物したり、溜め池の水鳥を観察したりすることは・・・なかった。というのも、穏やかな陽射しとはいえ、少々くたびれていた。あっさり巡って帰宅した。

被団協

夕方のテレビ・ニュースは、<原爆被爆者の組織>である「被団協(日本原水爆被害者団体協議会)」が、ノーベル平和賞を受賞したと報じた。

Wikipedia「ノーベル平和賞」に記載された「核」関連の記述がある受賞者・団体と理由
ー ノーベル平和賞が、原爆被爆者を(原爆投下後)79年を経て認識したと考えてよいものかどうか。
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1962 :ライナス・ポーリング     米国              
        核兵器に対する反対運動

1974:佐藤栄作                             日本              
        非核三原則の提唱

1985:核戦争防止国際医師会議     世界                 
        核戦争がもたらす悲惨な結果について理解を広めるのに貢献

1990:ミハイル・ゴルバチョフ     ソ連
          冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化

1995:ジョセフ・ロートブラット     英国   /   パグウォッシュ会議      
        国際政治における当面の核兵器の削減と、長期的な核廃絶のための努力に対して

2009:バラク・オバマ                     米国                   
        国際外交、および、諸民族間における協力強化のため、並外れた努力を払い、世界中の人々に、良き将来への希望を与えた(「核なき世界」の演説)

2017:核兵器廃絶国際キャンペーン   スイス               
        核兵器の使用による、人類への壊滅的な結果に注目を集めさせ、その廃絶のための条約締結を達成した画期的な努力に対して

2024:日本原水爆被害者団体協議会   日本    
        核兵器のない世界を実現するための努力と、目撃証言を通じて核兵器が二度と使用されてはならないことを実証したことに対して
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2024年10月11日金曜日

韓江「菜食主義者」

今年のノーベル文学賞を、小説「菜食主義者」を代表作にする韓国女性作家「ハン・ガン(韓江、한강)」が受賞した。長年、ノーベル賞を期待した韓国では、科学賞が最大のポイントであって、文学賞については可能性にとどまり、詩人の「コ・ウン(高銀、고은)」が話題に上がる程度だった。それだけに、念願のノーベル賞を、しかも女性による受賞だっただけに、韓国マスコミは最大級の扱いをもって紹介している。

(本ブログ関連:”小説「菜食主義者」”)

■ 朝鮮日報(韓国最大手の新聞社)
「ノーベル文学賞ハン・ガン『驚きと光栄・・・多くの作家がインスピレーションを与えてくれる』」(キム・ミョンイル記者、2024.10.10 22:43)
https://www.chosun.com/national/national_general/2024/10/10/HUSENJNJLVD5BG3ZYK4PLHK4XU/
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韓国の小説家ハン・ガン(54)が、2024年ノーベル文学賞受賞者に選ばれた後、「非常に驚きと光栄である」という受賞所感を明らかにした。スウェーデン・アカデミーは、10日(現地時間)、ハン・ガンに受賞の事実を知らせるため、電話で通話した映像を公開した。ハン・ガンは通話で「他の人がニュースを知らせてくれて、受賞のニュースを知った」とし「非常に驚き光栄だ」と明らかにした。 ...
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韓国文学界でノーベル文学賞候補の話題にあげられた作家に幾人かいたが、コ・ウンはセクハラ事件で、シン・ギョンスク(申京淑、신경숙)は盗作問題があって難航していた。

(本ブログ関連:”申京淑”)

以前(2018年1月29日)、本ブログで「将来のノーベル文学賞候補の一人として、韓国メディアは、(海外*文学賞の受賞経験がある)韓江に希望を託しているようだ」と触れたことがある。
(*)ハン・ガンの小説「菜食主義者」の英語翻訳本については、英国人翻訳者の未熟さが問題になったりもした。

2024年10月10日木曜日

航空祭に行って見たい

この秋、航空自衛隊基地で航空祭が開かれる。これまで、次の三つの航空祭に出かけたことがある。埼玉県の入間基地は電車を使って行けたものの、茨城県の百里基地と岐阜県の岐阜基地は、遠方で大変なのでツアー会社の企画に参加した。ブログを見直してみると、膝の調子は10年前から悪くて、出かけるのに難儀したようだ。

・2018年12月2日:    百里基地航空祭
・2017年11月19日:  岐阜基地航空祭
・2014年11月3日:    入間航空祭

(本ブログ関連:”航空祭”)

・百里基地、岐阜基地の場合、ツアーバスの待機場所から基地入口まで歩くのに実に遠い。そして航空基地は広大で、入口から滑走路までがまた遠い。何度か休憩しながら、市民が溢れる駐機場へようやくたどり着いた。

・入間基地は、面積が日本一の航空基地だが、幸いにも駅からも・基地入口からも、駐機場まで割合近かった。今年も11月3日(日・祝)*に航空祭があるという。膝と腰の具合を考慮して、もし行くなら今年で最後かもしれない。
(*)入間航空祭:  https://www.mod.go.jp/asdf/iruma/kouhou/public_airshow/index2024.html

航空祭の醍醐味は、ジェット機が低空を飛行するときの排気音だ。それは轟(とどろ)きであり、腹の底を揺さぶる轟音である。その凄まじい音圧は、いちど体験したらクセになることだろう。パイロットや地上要員は日々経験しているわけで、凄いとしかいいようがない。
子どものころ手に持って旋回飛行の真似をした模型飛行機が、現実の姿になって目前を飛翔する。夢が実感する機会だ。

(付)
もうひとつ行ってみたい場所がある。それは種子島のロケット発射場(基地)だ。実際にリフト・オフする場面を見たいし、ロケット・エンジンの噴射音を聞いてみたい。

2024年10月9日水曜日

うどんが美味い季節になった(時うどん)

急な冷え込みにおどろいて*、体を温めようと熱い「うどん」を食った。それも変則な食い方だが、ホワイトシチューと一緒にして。とろみがあると、いっそう暖かくなる(気がする)。
(*)ブログを遡ってみると、10月中旬ころからストーブを点け付け始めている。

うどんも蕎麦も、本来アッサリ食うのがよい。立ち食いそば屋は、男たちのオアシスであり通過点である。長居するところではない。江戸時代、握り寿司も屋台に発しており、数個食らってさっと立ち去るのが粋だった。

ところで、江戸落語に「時そば」があり、二八そばの屋台で勘定のとき、時刻を絡ませて支払いを誤魔化す場面を見た男が、それを真似したところ時刻のせいで逆に損をするオチがある。上方落語の「時うどん」に同様の展開があって**、それを元に(移植)したという。
(**)「時うどん」の場合、最初、一杯のうどんの支払いを二人がズルすることから始まる・・・。

そこで、Youtubeで、笑福亭鶴志の「時うどん」の演目を見た。長いうどんをゆっくり高く持ち上げて食う場面がある。一方、蕎麦の場合だと、掻(か)き込むという表現があってズルズルと音を立てる。面白いのは、最初の支払いで見せるズルさのとらえ方(場面)だろう。上方は共犯関係にあり、江戸は単独犯である(Wikpediaでも触れられているが)。何となく人間関係の土地柄、歴史を感じさせる(気がする)。

■ Youtube : 笑福亭鶴志の「時うどん」(登録:223 yuukaa)
https://www.youtube.com/watch?v=xBsWbG7xtL0


(追記)
Youtubeに、江戸の独身男性の日常生活を紹介した動画が登録されている。
昔、武蔵野の新田開発にかかわる話を聞いたとき、水利の悪い台地では、基本的に農家はそうだが、二男以下を家に抱える余力はなく、家を出さざる得なかった(優秀なら裕福な他家へ養子も、そうでなければ労働力として江戸市中に出る)。もし家に留まるなら、家付きとして一生独身で過ごすことになる。
また、武蔵野の台地で生産する主食は麦であり、食事は麦飯中心(ハレの日にうどん)だったという。
・・・そんな時代だった。

■ Youtube 「江戸図鑑」(登録:江戸図鑑)
・「江戸時代には生涯独身者が多かったのはなぜか? そこには知られざる悲しい真実が隠されていた!」(2024年10月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=dRn6ZhyMnFc

・「江戸時代の百姓の生活【まとめ】衣食住から仕事の流儀までわかりやすく解説」(2023年)
https://www.youtube.com/watch?v=rWnK8c21W18

2024年10月8日火曜日

なんだか急に冷えてきた(ちゃんちゃんこ)

今晩、なんだか急に冷えてきた。午後9時の気温が、きのう(10/7)は 24.2℃ だったのに比べて、きょうは何と 14.7℃10℃ も低い。そこで、冬に備えた「ちゃんちゃんこ」を引っ張り出した。2着あって、1着は防寒が緩くて軽量なもの、もう1着は万全なもの。軽量なものをいそいで重ね着した。

そういえば、伝統的な冬着に「丹前(たんぜん)」や「褞袍(どてら)」がある。どう違うのか気になってネットを検索した。下記の「太宰府市文化ふれあい館」の「学芸だより」で詳細をうかがった。

綿入り上着である、「ちゃんちゃんこ」は袖なし、「たんぜん」や「どてら」は袖ありということのようだ。「たんぜん」は関西地方、「どてら」は関東地方の呼び名という。九州にいたとき「たんぜん」と言ったような記憶がある。

■ 太宰府市文化ふれあい館
「学芸だより: 丹前?半纏?ちゃんちゃんこ?」(平成20年度、No.31)
https://dazaifu-bunka.or.jp/info/letter/detail/49.html
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タイトルにあるこの3つ。違いがはっきりしているのをご存じですか?
  
・まずは丹前(たんぜん)についてですが、
これは普通の着物より少し大きめで、綿を入れた広袖の衣服のことで、湯上がりや防寒用として着ます。丹前」というのはそもそも関西地方での呼び名で、関東では「褞袍(どてら)」と呼ばれていました。つまり、丹前と褞袍は同じものなのです。
  
・次はちゃんちゃんこについてです。
ちゃんちゃんこは袖のない綿入れの短衣のことです。ですから、袖があるものはちゃんちゃんことは呼ばないのだそうです。
  
・最後に半纏(はんてん)についてですが、
本来の半纏とは、江戸時代に羽織(はおり)の代用として庶民が愛用したものでした。ですから羽織の変化形であると考えられ、防寒用の綿入れのもの革製、職人が着用した屋号・家紋などが染め抜かれたものもあります。身丈は腰丈が普通で、このためコシキリバンテン(腰切り半纏)と呼ぶところもあります。これに対して長着の半纏をナガテンと呼ぶのだそうです。
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ゲゲゲの鬼太郎
「ちゃんちゃんこ」を着た漫画キャラクターの代表に「ゲゲゲの鬼太郎」がいる。戦前、「墓場鬼太郎」の紙芝居版を水木しげるが作成したそうだが、貸本漫画としての発行は 1960年以降とのこと(Wikipedia)。紙芝居世代だったが、鬼太郎の話を見たことがない。近所に貸本屋もなかったこともあり、1968年以降のテレビ・アニメに登場したそのとき(Wikipedia)、ちゃんちゃんこ姿の鬼太郎を初めて知った。

寒露 2024(菊まつり、菊人形)

朝から空に力なく下り坂、明日昼過ぎにかけて雨が降るという。そんなきょうは、二十四節気の「寒露(かんろ)」。”かんろ”の音から、”甘露”を連想してしまいそう。草の葉に生じた露が凝(こご)り、足元に寒気が広がる。

(本ブログ関連:”寒露”)

たしかに、このところの朝晩の冷え込みに、季節が秋に移ったことを実感する。

寒露の期間を三つに分けた、七十二候は次のとおり(Wikipedia)。
・初候: 鴻雁来(こうがん きたる):が飛来し始める
・次候: 菊花開(きくのはな ひらく):菊の花が咲く
・末候: 蟋蟀在戸(きりぎりす とにあり):蟋蟀が戸の辺りで鳴く

菊祭り
この寒露の時期、「キク」が咲いて「菊祭り」が開かれる。一輪仕立ての大菊の展示に圧倒されるが、子どもにとって鑑賞する気力が続かない。それと合わせて、菊花で人形(ひとがた)に型どった「菊人形」も並んだりする。今はめずらしい呉服店内に立っていた、虚ろなマネキンの顔立ちをした菊人形に、子ども心に少々怖気ついた。

いつだったかおぼろだが、深大寺公園の「菊花大会」*を見に出かけたことがある。
(*) https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2024/09/25/05.html

そうそう、むかしのこと、九州の門司の街だったか、父親に連れられて菊祭りに行った。何故か会場に、自衛隊の戦車が置かれていた。以来、菊祭りといえば、戦車によじ登って遊んだ記憶も一体となって思い出される。・・・ああ、会場の光景まで浮かんできたぞ。

2024年10月7日月曜日

地歌「菊の露」

浮き立った夏も過れば、秋は人びとを詩人にしてくれる。昼間に暑さがまだ残っているが、日が暮れればちっぽけな夜露に気付く。そして儚(はかな)さが身に沁みてくる。

江戸期の地歌*に秋の歌「菊の露」があって・・・そういえば百人一首にもにた風情がある(深刻ではないが)。
(*)地歌は、江戸時代(中期以降)に上方(現在の京都や大阪)で発展した三味線(<琵琶)音楽
   Cf. 端唄は、江戸時代中期に江戸市中で好まれて唄われた大衆はやり唄

(本ブログ関連:”端唄”)

■ Youtube「藤本昭子 地歌」
「地歌《菊の露》 Jiuta ''Kiku no Tsuyu''」(2020/05/30)
 https://www.youtube.com/watch?v=_Pn5Zspn7Vc
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の声  の音さへ身にしみて  思ひ出すほど涙が先へ  落ちて流るる妹背(いもせ)のを  と渡る船の(かじ)だにたえて  甲斐もなき世と恨みて過ぐる

思はじな  逢ふは別れといえども愚痴に  庭の小菊のその名に愛でて  昼は眺めて暮しもしょうが  夜々ごとに置く  露の命のつれなや憎(にくし)や  今はこの身に秋の風
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■ 百人一首「大江千里(23番)」(「古今集」秋上・193)
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みれば  ちぢにものこそ  悲しけれ
わが身一つの  にはあらねど
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■ その他
(本ブログ関連:”枯葉”、”上田敏”)

2024年10月6日日曜日

自然観察園のヒガンバナ(彼岸花)

いつもの野鳥観察(探鳥会)のフィールドと隣接した公園に「自然観察園」がある。先日(9/25)訪れたとき、観察園の西側を紅色に染めるべき「ヒガンバナ」群生地の開花状況は芳しくなかった。その時点で、峠を越えてしまったのか、それともまだなのか判別できずにいた。

(本ブログ関連:”ヒガンバナ”)

きょう出かけてわかった。いままさに盛況である。
園内の湿地帯の板橋はまだ補修が済んでない。したがって、群生地まで一通路しか利用できず、見学者で混みあった。そんなわけで、写真の背景に人影はない。
ともあれ近くで鑑賞できるこの場所はとても便利である。


ヒガンバナ以外に、紅色系の「シュウカイドウ」(淡紅色)や「ツリフネソウ」(紅紫色)の花が咲いていた。きょうが快晴だったら、もっと華やいでいたことだろう。

まさに「秋枯れが始まった雑木林の林縁などでよく目立つ朱色の果実をつける、つる性の多年草」(Wikipedia)の「カラスウリ」の赤い実が、つるにぶら下がるように連なり膨らんでいた。
紅い実に少々食欲をそそられるが、ネットの解説やレポート記事を見ると、熟す前の青い実が材料になるようだ。


公園を流れる小川の水量が半端なく、数日の雨で溢れたようで、岸辺の平地が水に濡れ、溜まっていたりしている。

2024年10月5日土曜日

野鳥観察(73)

定例「野鳥観察(探鳥会)」の前回(9/28)、及び「東京港野鳥公園観察会」(9/29)の両方を欠席したので、きょうの野鳥観察にはぜひとも参加するつもりでいた。ウェザーニュースの「雨雲レーダー」によると、今朝は雨天になると予報しており、実施されるかどうか危ぶんだ。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

起床直後、外を見ると曇天で雨の気配はまだない。しかしながら、探鳥会の開始後、1時間ほどすると雨になるという。そこで(5年振りに、鉱物採集で使用した)雨合羽を準備した。

実は、きょうから集合時刻が30分ずれて7時に変わった(4月~9月:6時30分、10月~3月:7時)。集合場所に早目に着き、雨合羽に着替えてみなを待った。参加者それぞれ、傘やポンチョなどを用意されていた。
ー 結局、観察終了近くになって小雨がぱらついたものの、ずぶ濡れに至らなかった。

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものから、次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・ヒヨ(ヒヨドリ):まず第一声、鳴き声が雑木林に響き判断された
・ドバト(<カワラバト): 遠くの高圧線に9羽近くとまっているのが見えた
・エナガ: 木立にせわしく、尾羽の長い小鳥が次つぎ飛廻った(エナガといわれて)
・シジュウカラ: 上記エナガと同様せわしく飛廻った(ジュウカラといわれて)
・アオゲラ: 木立ちに居たといわれたが、私の目にはむつかしい!!
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・アオサギ:(下記写真説明の通り。いつも見なれている)
・カルガモ:(下記写真説明の通り。いつも見なれている)
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・(落葉): 順路上、桜の落葉が多く、ベテランの方から今夏の日射のせいだろうとのこと
・サクラ(オモイガワ): 3輪の花を咲かせていた。「十月桜」と「染井吉野」の交雑とか
ヤブニッケイ(樹):名の通り、葉を握ると芳香を嗅ぐことができる
・キバナコスモス:(下記写真説明の通り。この季節、いつもの花壇に咲く)

アオサギ(写真左)とカルガモ(写真右)
・小雨の中、カメラを向けると野鳥の姿は飛び去っていて、既にいないの繰り返し。幸い水鳥は被写体も大きく撮りやすい。いつものように、小川の岸辺に「アオサギ」が孤高を見せてくれた。
・きょうの小川は、水量が豊富でそのまま流されてしまいそう。上流へ歩を進めると、「カルガモ」のぺヤが、水遊びを楽しむようにいく組も見られた。



サクラ(思川 オモイガワ(写真左)とキバナコスモス(写真右)
・季節外れ*の「サクラ」が、3輪の花を咲かせていた。栃木県小山市の小山修道院(付近に思川が流れている)で発見されたことにより名付けられたとのこと、会長から説明をうかがった。
(*)季節外れのサクラに、10月にも咲く「ジュウガツサクラ」がある。
・いつもの順路に、いつものように「キバナコスモス」が群生し、オレンジ色の花を咲かせていた。


2024年10月3日木曜日

2年目の体操教室で

年齢を限定した体操教室を、歳とともに運動レベルを考慮して3度クラス変えした。いまは、ある意味、最終段階か。昨年9月初から、週一回、木曜日に通っている。したがって、きょうで2年目になる。

(本ブログ関連:”体操教室”)

まず椅子に座ってスクラッチし、さらにセラバンド*を使って体を慣らす。つぎに立ち上がって軽運動をするといった段取りだ。これを1年間繰り返してきた。次第に、体が柔らかくなったような気がする。
(*)セラバンド: ゴム製の伸縮するバンドで、体に多少負荷を掛けながら運動する

ところで参加者同士、いろいろな体験があって会話が弾む。少数のおじさん同士の中での話題だが、ある方から「野菜作り」を趣味にしていて、キュウリの一株から120本近く実が獲れるという。ナスも同様に多数産するとのこと。思わず興味がそそられた。

いつも公園の植物や野鳥を観察する以外に、自然との関わりに野菜作りといった積極的な行為があることに気付かされた。日ごろ、住宅街に残った畑地を見ながら見落としていたことだが。
ー そうそう、庭に繁った雑草を抜かねばならない。

2024年10月1日火曜日

十月はたそがれの国

10月といえば、SFファンタジーの大御所のレイ・ブラッドベリ(Ray Douglas Bradbury、1920年~2012年)の短編集「十月はたそがれの国(The October Country)」(US 1960年 / 宇野利泰訳、創元推理文庫、1965年)がある。高校生のとき、友人にすすめられて以来、ファンになった。

(本ブログ関連:”レイ・ブラッドベリ”)

SF小説のジャンルは多様で、ハードコアから対極のSFファンタジーまである。ファンタジーといっても、妖精物語ではない。物語りの舞台(時代や空間)を自由に駆け、あるいは日常のふとした闇を深堀りし、そこに潜む幻想を語った。そういえば、少年を主人公にしたものが多い気がする。

文庫本の表紙や挿絵を描いたJ.ムグナイニ/ムニャイニ(Joseph Mugnaini)の独特な表現が忘れられない。表紙の建築物の絵は、アルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ」(1960年)に登場した、モーテルに隣接した丘に建つ2階建ての建物(カルフォルニア・ゴシック様式の建築物)のイメージへつながる。後の世代のティム・バートンの子ども向けの怖い映画もそうだ。

ところで、10月となれば、今年も一年の1/4しか残っていないことに気付く。毎年気付いていて、同じ思いを毎度繰り返しているわけだが。10月を何度繰り返せばいいのだろうと、つくづく思うきょうこのごろ。

2024年9月28日土曜日

野鳥観察を寝坊する

きょう、早朝の野鳥観察(探鳥会)に、かならず参加するつもりでいた。でも朝寝坊した。PCデスクの時計に外出時刻のアラーム設定をしていたが、枕元の時計に起床時刻のアラーム設定を忘れていた。目覚めたとき、なんだか妙に明るいなと思った。探鳥会の開始時刻はとっくに過ぎていて、終了時刻の1時間後だった。

そんなわけで、野鳥観察は寝坊のせいで欠席してしまった。最近、よくあることだ。

いつもなら、欠席を埋め合わせるように公園へ出かけるのだが、きょうはそんな気力がない。これも最近、よくあることだ。

Youtubeで、最近見るのが多いテーマに、兵士の帰還(Coming home)がある。とても感動するのだ。家族との再会がどんなに貴重なことか、分かる歳なので。
でもねえ、そんな場面を見ながらインテリはこう言うかもしれない・・・彼らが戦争で闘った相手がいるではないかと。家族関係を超えて物事を解釈する人は、家族という単位での見方に一歩留まることができないかもしれない。いきなり俯瞰に走る。賢くなるというのは、もしかしたら何かを失うことかもしれないって。最近、そんなことを思うんだが。

2024年9月27日金曜日

曼殊沙華:由利あけみ「長崎物語」

ヒガンバナ(彼岸花)」を「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」ともいう。葉を伴わず、真っ赤な花を茎の先に咲かせる。

(本ブログ関連:”ヒガンバナ”)

・ヒガンバナの漢字名である彼岸花には、いかにも宗教的な香りがして、「死」との距離の近さを感じる。そんな訳ではないかもしれないが、自然に咲き広がることのないこの花を、小学校の石垣上の土手に善意で植えた人物がいたようだ・・・それが増え過ぎて、今はすべて刈り取られている*。
(*)訂正(10/3):小学校前を通ったとき、しっかり赤い花が連なっていた。

・曼殊沙華の燃えるような真っ赤な花模様に、女性の熱い情念を想起する。演歌などにそんなイメージが歌い込まれる。石川さゆりの「天城越え」の歌詞には、直接的な表現はないが聞くたび真紅の曼殊沙華が浮かんでくる。


由利あけみ「長崎物語」
由利あけみ(1913年(大正2年)~2010年(平成22年))の歌「長崎物語」(作詞:梅木三郎、作曲:佐々木俊、1939年(昭和14年))は長く歌いつがれ、私が子ども時代にも「赤い花なら 曼珠沙華」のフレーズをよく耳にした。江戸期に、鎖国令のため南方へ追放された「じゃがたらお春」の運命を偲(しの)び、ひとの別れを悲しむ歌だ。歌詞を理解したわけではなかったが、「まんじゅしゃげ」の言葉は記憶に残った。
時代に翻弄されたじゃがたらお春の、故郷をなつかしむ美文が知られていて、その「じゃがたら文」を伝えた江戸中期の学者に対して、後に疑惑がもたれたそうだ(Wikipedia)。

赤い花なら 曼珠沙華
阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春

■ Youtube: 「長崎物語(由利あけみ)」(登録者:0jac5)
https://www.youtube.com/watch?v=Xj_8h-8PxMo


(付)
山口百恵の「曼珠沙華」
山口百恵の歌「曼珠沙華」(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、1978年(昭和53年))では「マンジューシャカ」と歌う。ある意味内面的な場面であり、深まる苦悩の象徴として曼珠沙華が登場する。

マンジューシャカ 恋する女は
マンジューシャカ 罪作り
白い花さえ 深紅に染める

2024年9月25日水曜日

公園の秋

朝夕、冷え込みが日ごと深まる。とうとう昨晩からふかふか布団に切り替えた。早朝(05:00ころ)の外気温は、17.4℃くらい。これから、どんどん下っていくことだろう。そうそう、水道水が始め冷たくやがて温くなるという、真夏と逆転現象が起きている。

それでも、きょうの最高気温は 24.5℃(12:31)だった。ムクムクした雲に一面覆われて、陽射しに力なく緩い秋の空模様だった。そんななか(午後3時近く)、公園併設の「自然観察園」へ出かけた。

今月は、残暑のせいで、観察園のボランティアの方々も活動をひかえているようだ。園内は雑草が繁り、湿地帯の板橋も補修の手がつかないままのようだ。入口にある掲示板には、いつも野草の写真とその番号を地図上にプロットしているが、現在、断り書きが貼られていて、最新の情報ではないと記されている。

ヒガンバナ
観察園の西側奥にある「ヒガンバナ(彼岸花/曼珠沙華(マンジュシャゲ))」の群生地へ、限られた通路でたどり着いた。そこには、紅い花がまばらに咲いているだけだった。全面開花の峠を越えたのか、それともそれ以前なのか正直分らない。

(本ブログ関連:”ヒガンバナ”)


コスモス
隣接する公園へ、足を延ばした。変わり映えしない緑の景色が広がっている。雑草に目配りできる眼力があれば楽しめたのに残念。ある橋の際に、「コスモス」が薄紫色の花を咲かせていた。以前、ベテランの方から、公園にこんな風に人手による種付けは、公園本来の趣旨に反することだが・・・と。素人は(わたしも)、コスモスを移植した人の心理と変わりなく、見栄えの良いものについ目が行きがちだ。

(本ブログ関連:”コスモス”)

2024年9月24日火曜日

三橋美智也「リンゴ村から」

ふと思うことがある。故里、故郷、そして田舎といった言葉を身の回りであまり聞くことがない。地方都市を巡る公開歌番組「NHK のど自慢」があって、かつて高橋圭三、宮田輝といった名司会者が、地域の香りを素人出演者たちから引き出してくれたものだが。現在も続くこの長寿番組を、最近テレビ離れしているせいか、日曜日の昼に見ることはほとんどない。

また、NHKの子ども向け番組に「みんなのうた」があり、放送開始は「のど自慢」の1946年に遅れて、1961年であるが、これも長く続いている。あるとき、最近の「みんなのうた」に採用された新曲の歌詞に、故里、故郷、そして田舎といった言葉が少ないのではと思いついた。

「みんなのうた」に登場する曲の歌詞を、時代別に語彙分析したものがないか、さらに、故里、故郷、そして田舎といった言葉がどう変遷しているのか知りたいと思った。それを以前、Googleの生成AI Gemini に問うてみたところ、次のような回答があった。(抜粋)

Q.これまで放送されたNHKの「みんなのうた」の歌すべてについて、歌詞から「ふるさと」、「こきょう」といった単語が減っているのではないでしょうか?
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A.NHK「みんなのうた」における「ふるさと」・「こきょう」ワードの減少傾向:歌詞分析からみる考察

確かに、近年放送されるNHK「みんなのうた」の歌詞において、「ふるさと」や「こきょう」といった単語が減少している傾向が指摘されています*。しかし、この傾向を断定的に捉えることは難しく、歌詞内容の変化には様々な背景が考えられます。
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(*)減少傾向を示す「文献」が紹介されているわけではないが。

急激な情報の集中化(ネットワーク化)がすすみ、距離感も意識も一体化してしまったという無難な解釈もあるだろうけれど。Geminiは、歌詞DBを使った分析方法(観点)について触れているが、この現象をまったく違った解釈もあるのではないかと考えたりする。


ところで、三橋美智也が歌った「リンゴ村から」(作詞:矢野亮、作曲:林伊佐緒、1956年(昭和31年))がある。この歌をもとに映画化され、リンゴ園で働くことを決めた若者が、東京に上った女性を想い続けるストーリーが展開される。故郷を遠くにした都市人間と違って、逆に見ることができる・・・田舎に力がまだあった時代の作品かもしれない。

おぼえているかい 故郷の村を
たよりもとだえて 幾年(いくとせ)過ぎた
都へ積み出す まっかなリンゴ

■ Youtube:「三橋美智也 リンゴ村から」(登録: nakaya0609)
https://www.youtube.com/watch?v=OklkbAQj_TQ

2024年9月22日日曜日

秋分の日 2024

きょうは二十四節気の「秋分」で、「太陽が 秋分点(天の赤道を北から南へ横切る点)を通過する」日で、「立春」から数えて「二十四節気の第16」にあたる(Wikipedia)。小雨まじりの一日が続いた。

二十四節気の秋分は 9月22日から10月7日頃までの時期であり、秋分の起こる国民の祝日である「秋分の日」は 9月22日か23日(まれに24日)になる。きょう日曜日と重なったため、あす(9/23、月曜日)振替休日となる。

(本ブログ関連:”秋分の日”)

「春分」と同じく秋分は、昼と夜が同じ長さになるといわれるが、実際は、昼が少し(14分ほど)長くなる。とはいえ、これから先は「地軸」のせいで夜が長くなり冷えていく。寒いのが苦手な私には気掛かりな時候となる。

秋分の日に「おはぎ」を食べる伝統がある。「春分の日」に食べるのは「ぼたもち」と区別されるそうだが、私にしてみたら違いに関心はない。餅米のにぎりを、小豆を原料にした餡子(あんこ)で覆った和菓子という認識でしかない。

餡子について好みをいえば、粒餡(つぶあん)に餡子らしさを感じる。田舎風にドテッとまぶしてくれたら、なお一層美味しい。一方、晒し餡(さらしあん)/漉し餡(こしあん)は上品でいけない。あっけなくて物足りないのだ。
餡には、その他に、黄な粉、うぐいす餡、栗餡など多様で、結局どれも美味しくて嬉しい。

(追記)
日の暮れた帰り道、和菓子店に寄っておはぎを求めた。粒餡と晒し餡がセットになっていて、両方とも美味しくいただいた。甘さが控えめなのに時代を感じた。
秋分の日に、おはぎが間に合ってよかった。

2024年9月21日土曜日

能登半島に大雨特別警報、サルビア

今年の元旦、能登半島を地震が襲った。震度7の「能登半島地震 は、新年早々驚かせるものだった。震災復興について想像したより遅いのが気掛かりだった。その震災地を、きょう「大雨特別警報」が発せられ「警報レベル5」に相当するという。

(本ブログ関連:”能登半島地震”)

テレビで報じられる「雨雲レーダー」映像に、能登半島北部(輪島市、珠洲市)線状降水帯が横たわっていた。現地報道で、(いずれの土地か聞きそびれたが)茶色に変色した溢れんばかりの濁流の河川の岸辺に、紅い「サルビア」*の花が連なっているのが見えた。静と動の対比が象徴的だった。
(*)この時期もしかしたら「ヒガンバナ(彼岸花、曼珠沙華)」もあるが姿・形が違った。

高校時代の修学旅行で、平泉の中尊寺毛越寺、十和田市の奥入瀬渓流など東北地方を巡った。毛越寺だったろうか、強い日射しの下、赤いサルビアの花壇の真紅の光景が今も目に焼き付いている。いろいろな意味で忘れられない花だ。

2024年9月18日水曜日

9月の満月(ハーベスト・ムーン)

今晩(旧暦8/16)のお月様は、まんまる「満月」だ。きのうは「中秋の名月」だったが、満月ではなかった・・・必ずしも一致するわけではないようだが。
ー きょうの満月の瞬間は、昼間の11時36分。夜は雨曇りの空になるという。

(本ブログ関連:”満月”、”中秋の名月”)


最高気温
きょうの最高気温は 36.3℃(12:35)で、9/12(木)の 36.0℃ 以来の「猛暑日」だった。
一方、東京都心の最高気温も、次の通り、35℃ を超える「猛暑日」だった。

■気象協会のニュース
「【速報】東京都心35℃超 最も遅い猛暑日 82年ぶりに記録更新」(日直主任、2024.9.18)
https://tenki.jp/forecaster/deskpart/2024/09/18/30555.html
ー 東京都心の最高気温は、35.1℃(11:55)となり、統計開始(1875年)以来最も遅い猛暑日を記録した
ー 東京都心の最も遅い猛暑日は、1942年9月12日(最高気温は35.3℃)で、82年ぶりに記録を更新した


満月
お月様は真っ暗な「新月」より、一番明るい「満月」がよい。月明りに誘われて誰もが浮き浮きする。狸には、満月の晩に賑やかに騒ぎ立てる「狸ばやし」がある。狼人間の場合、満月の明かりに「狼男」に変身する困ったことがあるが。

アメリカの農事暦で、9月の満月は「収穫月(Harvest Moon)」といい、アメリカ先住民の風習に由来する言葉だそうだ。読んで字のごとく、実りを収穫する豊穣の時期に相応しい呼称だ。

(本ブログ関連:”農事暦”)


Harvest Moon
恋を成就して時を経た二人が、”Harvest Moon” の月明かりを浴びながら、充実した時間を過ごす、大人の雰囲気がする ニール・ヤングの曲がある。「クラシック・ロック・レビュー」は、「恋愛関係や恋愛の長寿を祝福するタイトル曲」と評しているそうだ(e-Wikipedia)。

■ Youtube: Harvest Moon(収穫月)
「Neil Young - Harvest Moon lyrics」(登録:vikoRock10、1992年)
ー https://www.youtube.com/watch?v=iPqv_N2mOGE


9月の和名
ところで、9月の和名の代表は「長月」だ。その他の9月の異称を含めて、ウェザーニュースは次のように解説している。

■ ウェザーニュース
「9月は「長月」、何が“長い月”なの?   たくさんある"9月の異称"とは」(2022/09/01)
https://weathernews.jp/s/topics/202208/240225/#google_vignette
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なぜ「長月」と呼ぶのか?
・「長月は、古くから“夜長月(よながづき)”が略されたものだといわれてきました。旧暦9月ともなれば、ずいぶん日の入りが早くなり、夜が長いと感じるようになります。そこから「夜長月」と呼ぶようになり、縮まって“長月”になったということです。
・ほかに、“稲刈月(いねかりづき)”や“稲熟月(いなあがりづき)”が変化したという説もあります」(山下さん)*

(他の異称:詳細は記事を)

【寝覚月】(ねざめづき)                夜が長く冷え込む、夜中に目覚めてしまう
【小田刈月】(おだかりづき)            旧暦9月は、稲刈りの月
【菊秋】(きくしゅう・きくあき)    菊見月」、「菊咲月」、「菊開月)」、「菊月」
【紅葉月】(もみじづき)                 本格的な紅葉、「薄紅葉」、「斑紅葉(むらもみじ)」
【色取月】(いろどりづき)              木の葉が色づく
【梢の秋】(こずえのあき)              旧暦9月は、晩秋にあたる、「末(すえ)の秋」
【涼秋】(りょうしゅう)                 旧暦9月は、涼しい秋
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(*)山下さん:「二十四節気と七十二候の季節手帖」著者、作家山下景子氏

2024年9月17日火曜日

Googleの生成AI「Gemini」の表現力がすごい

秋の夜に「風に吹かれる」といった変わり映えしない表現を、多様に言い替えたく、Googleの生成AI「Gemini」にいくつか別表現を求めたら、下記の回答を得た。
ー ネットの語彙辞書にも言い替え表現があるが、語彙幅が狭いことが多い。
ー Geminiの場合、J-POP風(共感的)な歌詞作りにも使えそう、まさに生成AIである。

Q.「風に吹かれる」を抒情的に言い替えたいので、いくつか例示してください。
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A.「風に吹かれる」を抒情的に言い替えるのですね。様々な角度から表現できますので、いくつか例を挙げさせていただきます。

自然の力と一体化する表現
風になじむ: 風と一体となり、自然の中に溶け込むような感覚を表します。
空気に抱かれる: 空気に包まれ、軽やかに漂うようなイメージです。
風に乗る: 風に乗ってどこまでも行けるような、開放的な気持ちを表します。
そよ風に戯れる: 優しい風と遊び、心が安らぐ様子を表します。
大気に触れる: 広大な空気に触れ、生命を感じ取るような表現です。

感情や心の状態を表す表現
想いを乗せて: 心の奥底から湧き出る感情を風に乗せて遠くへ運ぶようなイメージです。
心を洗われる: 風に吹かれることで、心が清められ、新たな気持ちになる様子を表します。
魂を揺さぶられる: 風の力強さによって、心が大きく揺り動かされるような表現です。
過去を洗い流す: 風に吹かれることで、過去の辛い記憶を洗い流し、前に進む決意を表します。
未来へと導かれる: 風が未来へと導いてくれるような、希望に満ちた気持ちを表します。

五感を用いた表現
髪の毛をなでる風: 風が髪に触れる感覚を具体的に表現しています。
頬を撫でる風: 風が頬に触れる、柔らかな感覚を表します。
肌を刺す風: 冷たい風を感じる、鋭い感覚を表します。
耳を鳴らす風: 風の音を聞き、自然の音に耳を澄ませる様子を表します。
鼻をくすぐる風: 風に乗って漂ってくる香りを感じ、五感を刺激する様子を表します。

状況や情景に合わせて表現
木々を揺らす風: 自然の風景の中に人が溶け込む様子を表します。
草原を駆ける風: 広大な自然の中で自由に駆け回るようなイメージです。
波を立てる風: 海辺の風景の中で、風と一体になる様子を表します。
街を駆け抜ける風: 都市の中で、風を感じながら歩く様子を表します。
心を解き放つ風: 様々な状況下で、心が解放される瞬間を表します。

上記の例を参考に、あなたの描きたい情景や伝えたい感情に合わせて、言葉を選んでみてください。

例えば、
穏やかな春の日に、桜の花びらが舞い散る様子: 「桜の花びらと共に、春のそよ風に包まれる
冬の寒い日に、冷たい風が吹きつける様子: 「冬の荒野を吹き抜ける、冷たい風に身を晒す
人生の岐路に立ち、未来への不安と期待を抱く様子: 「未来への風を感じながら、迷いながらも一歩を踏み出す

(上記)のように、具体的な情景や状況を組み合わせることで、より豊かな表現になります。

より具体的に表現したい場合は、どのような情景や感情を表現したいか教えていただけると、さらに適切な言葉を選ぶことができます。
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中秋の名月 2024

きょう(旧暦 8/15)は「中秋の名月」にあたり、夜方、「秋の七草」の「ススキ(薄・芒)」や「キキョウ(桔梗)」を飾り、団子を供えて「月見(お月見)」する伝統がある。本当なら、縁側で秋の夜風に吹かれて、満月を愛でるといった風情ある場面に置かれると最高なのだが。

七夕なら笹の葉、仲秋の名月ならススキやキキョウ。季節に応じて自然を飾り月を見上げる。それは、子どもたちにとっても、家族にしてもゆったりした平和な時間だったけれど、自然とかけ離れた住宅街ではなかなか難しい。

中秋の名月から、「仲秋」という言葉が思い出される。中秋と仲秋どう違うのだろうか。そして、中秋の名月がきょうなのに、満月はあしたなのだろうか。

■ ウェザーニュースの記事(2022/09/10 05:48)に、次の解説がある。(抜粋)
https://weathernews.jp/s/topics/202209/080225/#google_vignette
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十五夜・中秋の名月とは 中秋と仲秋の違いは?
十五夜とは、月の満ち欠けをもとに1か月の日付を決める太陽太陰暦(旧暦)における毎月15日の夜のことです。
中秋の名月とは、同様に旧暦における8月15日の夜に見える月のことです。月見をするのは中秋の名月となる8月の十五夜のことが多いため、「十五夜の月」と「中秋の名月」はほぼ同義で使われます。
・「ちゅうしゅう」という音を表現するのには「中秋」「仲秋」の2通りの書き方があります。中秋は旧暦8月15日を、仲秋は旧暦の8月をさすことが多いようです。

中秋の名月=満月とは限らない
・旧暦は月の満ち欠けをもとに日付が決まるので、中秋の名月・十五夜の日は満月と同日になりそうですが、実はそうとは限りませんむしろ満月とは同日にならない年が多数を占めます。
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そういえば、むかしの大映映画に、市川雷蔵主演の「眠狂四郎」(1963年~1969年)シリーズがあって、月下に妖しく輝き弧を描くように刀身を回転させる「円月殺法」があった。Youtubeに、その瞬間を抜き出した映像を探したが見つからない。
月夜、眠狂四郎に挑む者は円月殺法にたじろいだことだろう。コマ送りのようにして、刀身が月光を反射する殺法なのだから。

1963年に始まった、この映画シリーズのころに、チャンバラ遊びからとっくに卒業していたので、街中の映画館のポスター見たぐらいしか記憶にない。

2024年9月16日月曜日

敬老の日、何がめでたい

きょうは「敬老の日」、何がめでたい。

先日(7/5)、話題の映画「九十歳。何がめでたい」を見て以来、歳をとることの「けじめ」と責任を、笑いながら素直に痛感している。

(本ブログ関連:”九十歳、何がめでたい”)

「けじめ」の漢字がないように、けじめをつけるのはことほど左様に難しい。うっかりすると、他責的となり頑固者と嫌われる。ケジメがなければないで「だらしない」老いぼれと呼ばれそう。そう、だらしないも漢字が見当たらない。

文庫本「九十歳。何がめでたい」(佐藤愛子、小学館文庫)に書かれていることだが、著者は直木賞を受賞した記者会見後の夜(1969年7月19日)に見た月が満月で、アポロ11号がそこへ向かっていると耽ったと、そのつど話をしてきた。それを知ったある雑誌のインタビュアーが、月齢カレンダーで調べて、当夜は三日月だったと「イチャモン」つけたそうだ。すっかり自信を失った佐藤氏は、上記の話題の最後に「これから私のいうこと書くことアタマから信じないでただ面白がって下さい」と記している。

悔しいじゃないですか。そこで、アポロ11号が月面着陸(1969年7月20日:日本時間1969年7月21日午前5時17分)した日前の月の形を確認したところ・・・。

■ 満月カレンダー
「1969年7月のカレンダー」
https://www.arachne.jp/onlinecalendar/mangetsu/1969/7/

残念ながら、1969年7月19日の月は、やっぱり三日月だった。

日本の高齢化は止まらない。今年も、65歳以上が過去最多だそうだ。おまけに少子化とセットになっているので、先行きは明るくない。私たち戦後生まれは、食い逃げ世代で、何の責任も負わずにいる。おまけに敬老の日をどうということなくうっちゃっている。多分、逃げ切ることだろう。

■ 厚生省
「将来推計人口(令和5年推計)の概要」(令和5年[2023年]4月26日公表)
・今後、わが国の人口は、2020年の1億2,615万人から2070年には8,700万人に減少
・高齢化も進行し、65歳以上人口割合2020年の28.6%から一貫して上昇し、2070年には38.7%へと増加
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001093650.pdf

2024年9月15日日曜日

今日も暑い

きのうの空は、まるで子どもが絵日記に描いたような、青空に「わた雲(積雲)」がぽつぽつと浮かんでいた。それに対して、きょうの空は高層に「いわし雲(巻積雲)」が覆っていた。なるほど、明日の天気は下り気味だ(朝方に雨が降るという)。

きょうも暑かった。何を好んで昼過ぎ(午後3時)に、西へ向かって出かけた。待っていたように太陽は焼き付け、尖った日射しで刺してくる。ぷ~ッとため息をつくぐらい。探鳥会のときかぶる帽子をしてくればよかったと後悔する。

今月(9月)に入っても、暑さは衰えない。最高気温を日ごとに確認したら次の通り。限りなく「猛暑日」に近い日が続く。

   月日        最高気温(℃)
-----------------------------
1日(日)    29.8
2日(月)    33.1
3日(火)    27.3
4日(水)    30.5
5日(木)    33.1
6日(金)    34.7
7日(土)    35.0
8日(日)    35.5
9日(月)    34.0
10日(火)   34.5
11日(水)   35.7
12日(木)   36.0
13日(金)   34.4
14日(土)   34.8
15日(日)   34.8

やっぱり暑い。出かけたついでに、軽く公園へ行こうと思ったが、とてもとてもキツイ。断念した。帰宅途中、風が吹いてきたおかげで一息ついた。

せっかくだから、Youtubeに、9月の音楽を探してみた。

■ Youtube: 「September Song
「1st RECORDING OF: September Song - Walter Huston (1938)」(登録:The78Prof)
https://www.youtube.com/watch?v=Ou2J-e3rXek
歌は、熱い思いをへて恋を勝ち取った男が、ともに、人生の紅葉に彩られた貴重な秋を知る。それが、挿入歌として使った映画「旅愁September Affair)」になると、ストーリーが恋の逃避行になるなんて誰が考えようか。

2024年9月13日金曜日

C-119 輸送機

輸送機といえば、民間の場合、旅客機を改造したものがほとんどだろう。専用機として開発されたといわれる「ボーイング 777F」や「エアバス A350F」などあるそうだが、素人目には、ボーイング 777やエアバス A350旅客機の窓がないくらいのものにしか見えない。

自衛隊機で多く見るのは、何といってもターボプロップの四発プロペラ機「ロッキード C-130(ハーキュリーズ)」だろう。その後の国産の双発ジェット機「川重 C-1」、その後継の「C-2」がある。サイズがどんどん大きくなる。

ところで、小学生のころ、九州に住んでいたとき、小学校の校庭の上空を双発・双胴のレシプロ機「フェアチャイルド C-119」が飛んでいた。というか、ゆったりと浮かんでいたといった方がよいかもしれない。たいてい一機だけ。レシプロエンジンのブォーンといった音は、辺り一帯に充満した。

(本ブログ関連:”C-119”)

遠賀川の河口、芦屋海岸に米軍基地(現:空自の「芦屋基地」)があり、C-119輸送機のベースになっていたようだ。子どものころなので、遠賀川は遠くにあって、子どもだけで遊びに行く距離じゃなかった。まして、芦屋基地に行くあてもない。
芦屋という地名を身近に感じていたので、今お騒がせの兵庫県にある芦屋と、なぜかイメージが重なったりした。おかしなものだが。

C-119輸送機が何処へ飛んで行くのか気にしたことはまったくなかった。何度見返しても一向に飛び去る気配がない、そんな機影が不思議だった。だいぶ上空を飛んでいたのだろうけど。

ところで、プラモデル好きだったが、C-119を作った記憶はない。実機をしょっちゅう見ていたのに、やっぱり地味な機体だったせいかもしれない。プラモデル人気はあまりないようで、ネット検索しても国産メーカー大手の「タミヤ」も製造販売していないようだ(イタリアのイタレリ社製を扱っているようだが)。


(付)
① Youtube:「米軍史上最高の軍用輸送機トップ7」(登録:ミリタリーテレビ)
https://www.youtube.com/watch?v=Nj8vdIev3xc&t=21s

② Youtube:「フェアチャイルド C-119 ”Flying Boxcar”の歴史」(登録:Hagerstown Aviation Museum)
https://www.youtube.com/watch?v=xw_gkzEZKu0

2024年9月12日木曜日

イガグリくん 、ガリガリ君

もし、昔の漫画雑誌*が残っていたら、いろいろ思い出すことがあるだろうけど、今となっては、漫画のタイトル(=主人公)しか浮かんでこないのが残念だ。月刊の漫画雑誌「冒険王」の「イガグリくん」(作 福井英一)を思い出す。柔道一直線の漫画で、子どもでも気付くくらい画風は洗練されたものでなかったけど、圧倒的に記憶に残っているのは、ストーリー展開にひかれたからかもしれない。
(*)漫画雑誌: 週刊漫画が出る以前、月刊誌として競ったのが「少年」と「冒険王」だった。

秋田書店の漫画雑誌「冒険王」は、光文社の漫画雑誌「少年」と比べて、正直二番手な感じがした。何しろ、「少年」には「鉄腕アトム」(作 手塚治虫)という強力な連載があったからだ。
それに、月刊のため次号が待ち遠しい対策だろうか、付録がてんこ盛りだったのが懐かしい。小判で、毎号5、6冊あったのではないだろうか。

ところで、坊主頭のイガグリくんが、子ども向けのアイス菓子「ガリガリ君」のキャラクター・イメージにつながってしまう。ガリガリ君は、どう見ても白いランニングシャツが似合いそうな、昭和のコテコテした雰囲気がする。今の子どもにとっては、夏場の駄菓子キャンデーといった愛着があるのかもしれない。


(付)
手塚治虫がライバルと目した漫画家たちとの秘話がYoutubeにあった。そのなかに、イガグリくんの作者で早世した 福井英一に関する話題が語られている。
「【パワハラ?】手塚治虫に○された悲運の漫画家がヤバい…【山田玲司/切り抜き】」
https://www.youtube.com/watch?v=w3zOJJAHKLA

「ライバル視(潰し)」に似た例をラジオで最近聞いたことがある。テレビによく出演する、ポップスからクラシックまで音楽解剖するピアニストがいるが、ショパン国際ピアノコンクールで受賞したピアニストに対して、おれのジャンルにかかわるなといった意味の発言をしたそうだ・・・。

宇宙の日

今日は「宇宙の日」、「国際宇宙年であった1992年に、日本の科学技術庁(現・文部科学省)と宇宙科学研究所(現・宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所 JAXA)が制定した記念日」(Wikipedia)とのこと。

ソ連のスプートニク衛星、ガガーリンの地球周回、初の女性有人宇宙飛行士のテレシコワ、アメリカの弾道飛行したシェパード、グリソム(いかにも軍人らしい風貌が格好よかった)が蘇ってくる。そして月面着陸のアームストロング船長。

子どもの関心とともに宇宙開発の歴史が進んだ。子どもたちを後押ししたのがテレビのSFドラマだ。今のSF映画は奇想天外な物語が多いが、子ども時代に見た米国のテレビドラマ「宇宙探検」は、科学的であり、異星人(宇宙怪物)と遭遇するといった物語りを繰り広げる以前のものだった。

(本ブログ関連:”テレビと宇宙”)

(以前の本ブログで触れたことがあるが)昔、家庭用テレビが珍しかった時代、近所の家に集まって白黒のブラウン管テレビを見せてもらっていた。まるで映画を楽しむようにアメリカの番組を楽しんだ*。「ハイウエイパトロール」のダン・マシューズ隊長、「宇宙探検(Men into Space)」のエドワード・マコーリー大佐の思い出が今も残る。そしてテレビは瞬く間に普及し、「潜水王マイク・ネルソン(SEA HUNT)」や「裸の町(The naked city)」など、いずれもしっかりした大人の主人公が登場した。
(*)民放テレビは、映画館の入場料を払わず、タダで漫画「ヘッケルとジャッケル」を見せてくれた。

(本ブログ関連:”マイクネルソン”)

NHKアーカイブスに「宇宙探検」(放送年度 1959~1960年度)が記されている。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009040888_00000
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当時、最新の科学知識に基づいて未来の宇宙征服の夢を描いた空想科学シリーズ。国防省はじめ各宇宙開発研究団体の協力でロケット打ち上げの実写をふんだんに使い、精巧な特殊撮影と共に迫力を生んだ。主人公のマコーレー大佐は常に冷静沈着で、どんな事故にも対処する勇気と能力を持ったスーパーマン。同時に人間的な温かさも兼ね備え、ドラマとしての厚みを出した。(白黒/吹替/アメリカ/原題: Men Into Space

音楽:ヴィクター・ヤング**
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上記解説に「音楽:ヴィクター・ヤング」の名があるが本当だろうか。
彼の、映画「エデンの東」、「八十日間世界一周」の名曲を知らぬ人はいないだろう。「黒い牡牛」も忘れられない。多分、初めてレコード店に一人で行って買ったEPレコードだったと思う。

2024年9月9日月曜日

パリ・パラリンピックが終わって

きょうの夜明け前、2024年 パリ・パラリンピック(2024年8月28日~2024年9月8日)が終了し、閉会式により無事幕が下りた。

(本ブログ関連:”パリ・パラリンピック”、”パリ・オリンピック”)

熱心な観戦者でないため、深夜のテレビ放送を睡魔と闘いながら見たり見落とししたりした。結局、最後まで見届けた実況中継は、「ポッチャ」(女子個人(BC1)3位決定戦)の遠藤裕美選手の銅メダル獲得の場面だけ。ニュースで、「車いすテニス」(男子シングルス)の若き小田凱人選手の金メダル獲得の際(喜びのあまり車椅子の一方の車輪を外して、コートに横たわった)を見て感動した。

チーム                         合計
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1.中国                  94     76    50    220
2.イギリス            49     44    31    124
3.アメリカ合衆国   36      42    27    105
4.オランダ            27      17   12     56
5.ブラジル            25      26    38    89
6.イタリア            24     15    32    71
7.ウクライナ         22     28    32    82
8.フランス            19     28    28    75
9.オーストラリア   18     17    28    63
10.日本                14     10    17    41
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腰が痛い、膝が痛いとこぼしてばかりいた私にしたら、パラリンピック出場の選手たちの活躍は驚嘆にあたいする。どれだけ前向きなんだろうと。

2024年9月7日土曜日

野鳥観察(72)

前回(8/24)の野鳥観察(探鳥会)を欠席した。そんな場合、負い目を帳消しにするように、別途公園内を巡ったりするけれど、日射、長雨のせいで外出をさぼってしまった。だから、きょうの観察会には、ぜひとも参加せねばならない。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

早朝、天気よし。ヤブ蚊を用心して長袖シャツを着た。まだまだ陽射し(朝陽)も強く眩しい。やがて汗ばむことになるのを容易に予想できた・・・案の定、観察の順路を進むうち、何度もハンカチで額の汗を拭いた。

公園の奥へ進むも、今朝はシンして静かだった。鳥の鳴き声、風の音もない。時々セミがジーと発するのみだった。始めは、カラスやハトを見かければ一息つく感覚だった。それでもベテランの皆さんは、しっかり野鳥のさえずり(地鳴き)を聞きとっていたようだ。

探鳥の途上、今回も下記内容も含めて、博識の会長から次の話をうかがった。
●「ハグロトンボ」が見当たれば、近くに清流があることを示す。
● 今回の豪雨(ゲリラ豪雨)で、「氾濫危険情報」に野川も挙げられたが、この公園は上流にあって被害が及ばなかった。各種水路が流れ込む下流こそ警戒された。
● 小川の岸辺の草の刈りこみについて、いくつか変化がある。生態系の保全・保護のため、岸辺の一部に「自然再生区域」を設けられている。これには、ホタルが棲むような完全な自然保存とか、いろいろな考え方がある。
● 「ススキ」が、「オギ」より先に穂を付けている。ススキは「株」単位で成長する。オギは水辺で水に流されないよう、地下に根を伸ばし、その根から要所要所で茎を地上に伸ばす。オギは窪地に育ちやすい・・・地名に「荻窪」がある。

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものから、次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・アオゲラ: 鳴き声がしたといわれたが・・・私の耳にほど遠い
・シジュウカラ: グラウンド脇の小公園の樹に幼鳥の群れが集まった(今回1位タイ)
・ヤマガラ: グラウンド脇の小公園の樹に、数羽集まった・・・といわれたが
・メジロ: グラウンド脇の小公園の樹の傍を、黄緑色の影が2羽飛ぶのを見た
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・アオサギ: いつものように1羽、小川の岸辺の草の中に身を低くしてたたずんでいた
・カルガモ: 下記写真以外に4羽が小川に浮かんでいるのを見た(実は、今回1位タイ)
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アカボシゴマダラ:木陰に1匹(頭)、人を恐れずいた。そばに寄ってもたじろがない、
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・ツルボ: 苗圃(びょうほ)の中に群生しているのが見えた(写真はピンボケで不可)
・ムクゲ: グラウンドのそばに、薄桃色の八重が一輪残っていた
オトギリソウ: 小川に沿った道の一段上の境に、地味で目立たぬ黄色の花が咲いていた
マメアサガオ: まことに豆のごとく小さな白い花で、草むらに隠れるように咲いていた

アオサギ(写真左)とカルガモ(写真右)
・いつもなら、立ち姿をみることの多い「アオサギ」がなぜか、小川の岸の草むらにしゃがんでいるのが見えた。ここ水辺の鳥で一番、孤高であり野性を感じる。
・崖線のハケから小川へ湧水する施設に、「カルガモ」がエサを探すように水中に頭を突っ込んでいた。


アカボシゴマダラ
・以前(2023年8月26日)も観察したが、「アカボシゴマダラ」は、しゃきっとした装いの蝶だ。その時と同じように、葉の下にじっととまったまま、逃げようともしない。「特定外来生物」


オトギリソウ(写真左)とマメアサガオ(写真右)
・「オトギリソウ(弟切草)」は、その名の通り残酷な伝承を持った草だ。「花言葉も『怨念』、「迷信』とされる」(Wikipedia)とのこと。小さな黄色の花が咲いていた。
・草むらの陰で「マメアサガオ」がひっそりと白い花を咲かせていた。まるでミニチュアサイズだ。

白露 2024、端唄「萩桔梗」

きょうは二十四節気の「白露(はくろ)」。用語としては、秋が深まり大気が冷え始めて露が出るころ。実際、早朝に朝露を公園で目撃することはあるが、一面露で輝いて白色になるほどまででない。

(本ブログ関連:”白露”)

気象庁の気象区分では、秋は今月から始まった(9月~11月)。昼間は夏並みの暑さが残っいるが、朝夕の水道水の冷たさに秋を実感する。やっぱり秋なんだ。

きょうの野鳥観察(探鳥会)では、集合場所となる草原(くさはら)の一本の大樹のもとへ、朝露にきらめく草を漕ぎ分けていく必要がある。こんなとき、ズボンの裾が濡れるのをいとわない。頭の中で、露が飛び跳ねているのを想像するだけで楽しいじゃないですか。

ところで、白露をさらに三つに分ける「七十二候」で見ると次の通り。
・初候: 草露白(くさのつゆ しろし)
    ー に降りた露が白く光って見える
・次候: 鶺鴒鳴(せきれい なく)
    ー 鶺鴒(セキレイ)が鳴き始める(ただし、年中鳴いている)
・末候: 玄鳥去(げんちょう さる)
    ー 玄鳥燕:ツバメ)が南へ帰り始める(3月上旬頃来て、9~10月頃に南へ渡る)


(付)萩桔梗
このところ(8/298/309/3 9/6 と続いて)、お月様の話しを巡っている。秋の露とからめて、こんなのはどうだろう。待てど暮らせど恋文の返しを、泣いて待つ身のつらさ切なさ・・・こひ(恋)はこうした  ものかいな。
「江戸端唄集」(倉田喜弘集。岩波文庫)
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二九  萩桔梗
萩桔梗(はぎ・ききょう)  なかに玉章(たまずさ)しのばせて  月は野末に  草の露  君を松虫(まつむし)  夜毎にすだく  更けゆくかねに  雁の声  こひはこうした  物かいな

萩桔梗 ~   萩や桔梗は、咲き乱れた枝葉の間に玉草(手紙のこと)を忍ばせているようだ。  〇 月は野末雁の声   月の光は、野末の草の葉に置く露までも照らしている。ところが私は、あなたを待って松虫のように夜ごと鳴いているのに、何の音沙汰もない。耳に聞こえるのは、夜更けの鐘の音と雁の声ばかりである。
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(本ブログ関連:”端唄”)

■ Youtubeに「萩桔梗お稽古参考用3」がある。(「花崎玉女地唄舞教室」より)
https://www.youtube.com/watch?v=ZJkju1wuqds&t=8s  (登録者:jiutamaibito)

2024年9月6日金曜日

お月様、田端義夫の「大利根月夜」

8/298/309/3 に続いて、お月様にからめた歌を探してみよう。勝手な思い付き、言葉つなぎでしかなくて、あっちこっちへ飛ぶ。

日本人の感性として、月明かりにこうこうと照らされて、庭が白く映えるといった漢詩的な捉え方はあまりないような気がする。湿気の多い土地がらゆえ、まんまるお月様と出会えれば儲けものといったところだろう。

月の満ち欠けを頼りに生活していたわけで、庶民は月を眺めて思索にふけるなんて高尚な真似事と無縁だった。うっかりすると、明りのない夜道、キツネに化かされることだってある。その意味で月明りは大切だったかもしれない。

幕末の大利根川で、やくざ一家同士の争いに参じた平手造酒(三亀)の歌がある。田端義夫の「大利根月夜」(作詞藤田まさと、作曲長津義司、昭和14年(1939年))だ。歌の出だしに「あれを御覧と 指差さすかたに/利根の流れを ながれ月」と歌われる。
戦前の曲だが、戦後世代の子どもたちも歌っていた。用心棒に落ちぶれた実在の「平手造酒(みき)」を借りての語り口だ。結果、彼は壮絶な死をむかえる。ヒラテミキの名は記憶にしっかり残っている。

幕末に父の名を知らぬ妾腹の子だった侍が、憂えながらニヒルにやさぐれる、結果とんでもない事件に深くかかわる。徳山璉の歌「侍ニッポン」(作詞西條八十、作曲松平信博、昭和6年(1931年))がある。「昨日勤皇、今日は佐幕」、「流れ流れて 大利根越えて」、「命取ろうか 女を取ろか」と無様にあてがない(歌に登場する新納鶴千代は、郡司次郎正作「侍ニッポン」の架空の主人公とのこと。未読)。そうそう、この歌にお月様は現れないけれど。

それにしても、利根川が運命の境い目だった物語りがいろいろあるような・・・。

■ Youtubeに田端義夫の「大利根月夜」(1939年)がある)
https://www.youtube.com/watch?v=5-0j58U0M7o (登録者 uchukyoku1)

2024年9月5日木曜日

体操教室の再開と寝床の改造

体操教室の再開
8月に夏休みだった「体操教室」が、きょうから再開した。子ども風にいえば、二学期が始まったということになる。出席者の顔ぶれはいつも通りで、お変わりない。
今月最後の回に、年一度の体力測定が実施される。昨年はヒドイものだった。今月はできるだけ積極的に公園を歩きまわろう・・・少しでも改善につながればうれしいのだが。

寝床の改造
飽くまでも私のケースだが、8月の夏休み中に寝床を変えたことで、体幹のバランスが少々よくなった気がする。きょうの教室でそれを確認した。いつもフラついていた動作が、だいぶこなせるようになったからだ。

8月に寝床を次のように変えた。
① ベッドのマットレスを廃棄して、その替わりに薄手の布団をベッドに置いた。
② ベッド本体も廃棄して、畳に上記布団を敷いた。寝床がベッドから布団になった。

たったそれだけのことだが、長年ベッドを使用していた体は、ベッドに合わせた筋肉の使い方をしていたわけで、他の筋肉は逆に弱まっていたのではないか。その結果、腰痛とか膝痛になり、痛みからなかなか抜け出せないでいた。寝床を改造したいま9割方回復している。

畳に敷いた布団から起床する際、立ち上がる動作が、ベッドのときと比べて当初きつかった。最近だいぶ慣れてきた気がする。何しろ畳は、大きく寝返りしてもベッドから落ちるような心配はない。畳には大地のような安定感がある。

腰痛とか膝痛のため、整形外科の治療を受けた経験がある。痛み止めのための患部注射とか、歩行訓練のリハビリだ。けれど、結局は自分で自分の体をいじる(調整する)しかないのに気付いた。テレビで痛み緩和や回復のための飲み薬が宣伝されるが、そんなもので治まるはずはない気がする・・・飽くまでも私のケースだが

2024年9月4日水曜日

くじらの日

きょうは、9(ク)月4(ジ)日にちなんで、日本鯨類研究所(日鯨研)が制定した「くじらの日」だそうだ。同研究所のサイトを覗いたが、この日について特別なページが見あたらない。どうやら研究所として特別なイベントはないようだ。

そこで、上記サイトの「広報活動>捕鯨文化」へたどったところ、「捕鯨文化に関わる情報発信」*の記事中に、「くじら総合サイト『くじらタウン』」HP**があったので、リンク先に進み、「くじらの日」を検索した。
(*)捕鯨文化に関わる情報発信: https://www.icrwhale.org/kouhouhukyu.html
(**)くじらタウン(一般向け別サイト): https://www.kujira-town.jp/

ところで、わたしら子ども時代の鯨料理は大切な食経験だった。いくつか思い出してみる。
・ステーキ
よく食べたのが、「くじらのステーキ」(当時は「ステーキ」なんて名は付いてなかったけれど)。母親の懐かしい料理のひとつだ。市場から塊りで買ってきたものを、5×6cmのサイズ、5mmほどの厚さに薄切りし、醤油の入った壺にショウガとともに、たっぷり時間をかけて漬け込む。醤油味が滲みた肉を焼いて食べた。少々噛み切りにくいところもあったが、肉料理として楽しんだものだ。
・ベーコン
子ども時代のベーコンは、市場で買って来た薄切りの「くじらのベーコン」しか知らない。油っぽい白身を、赤い色で縁取りされていた。焼くと急に縮み始める・・・そのとき、身が柔らかくなり食べごろだった。
東京に来て、豚肉のベーコンを初めて知った。ベーコンはくじら肉だと思い込んでいたので、本物の豚肉ベーコンに馴染めなかった。ところで、スーパーなどで、パック入りのくじらのベーコンを見かけることがあるが、ちょっぴりな量で値段が高いのに驚く。
尾羽毛(オバイケ)
名前を知らなかった。たまに食卓に出て来る不思議なものだった。一見、綿菓子のようだが、サクサクした食感があり、酢味噌を付けて食べた。どうみても子ども向きでない。親が、きっと魚屋の店頭で見つけて、つい買ってしまったのだろう。
缶詰でしか知らない。缶を開けると、ねっとりした薄茶色のアルコールの効いた酒粕の中に、軟骨だろうか、こりこりした食感のする小さな塊りがあった。これも、家族の食卓向きではない、まさに大人の酒のつまみといったところだ。でも結構つまんだりした。


学生時代、渋谷が薄暗くなるころ、道元坂に「元祖くじら屋」の明かりがぼんやり灯った、ビリヤードの帰り道、坂の下にあったこの店に、もしかしたら寄ったかもしれない。当時から、くじら専門の飲食屋として知られていた。

2024年9月3日火曜日

エノケンの「月光価千金」

8/298/30 に続けて、お月様にからめた歌を探してみよう。これまで、女性が月あかりを通じて愛を想うものを見てきた。今回は、男の側から喜劇王エノケン(榎本健一)の「月光価千金(げっこう あたいせんきん)」を聴いてみよう。SPレコードから流れる歌詞は、男の本音と照れがないまぜされたチョイときわどいものである。

(本ブログ関連:”エノケン”、”月光価千金”)

原曲は、アメリカの「Get Out And Get Under The Moon(外へ出よう、月の下へ」(作曲ラリー・シェイ 、作詞ウィリアム・ジェローム & チャールズ・トバイアス共作、1928年に出版)だ。また、英題でGoogle検索すると、第一にあげられるのは ナット・キング・コール版になる。私もそう思う、彼の歌はしゃれていて何よりスマート、だから分け隔てない支持を得たのではないかと。

今回は標題の通り、エノケンの「月光値千金」を聴いてみよう。
 
なぜ、エノケンなのかといえば、彼が日本の喜劇界で、伝説の金字塔だったからだ・・・こどものころ、父からそう聞かされていた。正直なところ、学校から帰って見たテレビ番組は、もっぱら浅草の「デン助劇場」だったり、上方の藤山寛美を座長とする「松竹新喜劇」だったけれど。
何かのきっかけで、エノケンがテレビに登場したとき、親父と一緒に見た思い出がある。エノケンは、病と闘いながら最後まで喜劇役者を通したと、壮絶な物語をよく聞かされた。

■ Youtubeに「榎本健一 - エノケンの月光値千金 (1936)」がある。
https://www.youtube.com/embed/LQu83rtNYec (登録者:uchukyoku1)

歌詞(上掲Youtubeの解説蘭より: 江戸っ子訛りで歌う)
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美しいシとに出会ったときにゃ やさしくしとやかにシざまずいて
ニヤニヤッとエッヘッヘ笑って手を握りなさい 大声あげず逃げださないならば
「ア、ラ、マ、いけ好かないひとですわね まあ! およしなさいましよ」
てなことを云ったってもう大丈夫 彼女はわたしの両手を待ってます

美しいシとに思いこまれて 朝から晩まで愛の囁き
イヤーンと鼻声で いちゃつくときは 小鳥も仔猫もあら これにゃあ顔負けだ
おっ おっ 愛しいおまえ む ね が燃える 「あ、ら、まあ、キマリが悪いわよ」
暁の朝風がしみじみと 二人の愛の巣は ヘッ、へックション、夢だった
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2024年9月2日月曜日

パラリンピックと本当の秋

夜明けのテレビで、パリで開催のパラリンピック種目「ボッチャ」*の試合(女子個人BC1クラス、3位決定戦)を見た。遠藤裕美選手がみごとに銅メダルを獲得した。すでに投げられた球の間をぎりぎりすり抜けて、目標球に近づけたのに驚いた。
(*)革製の小球を、最初に投げた目標球に、互いの小球を近づけて競う競技

以前、テレビでルールの解説を聞いたときと比べて、緊迫した実際の競技に見入ってしまった。投球の駆け引きを予想する楽しみがある。また投球のたび、遠藤選手のお母さんが小球を彼女に手渡す場面が印象的だった。

先月のオリンピックを深夜観戦して寝不足となって、プチ熱中症を経験したこともあり、今回のパラリンピック観戦はその時々の関心に任せようと思う。

さて、きょうは9月の最初の月曜日、小学生にとって2学期の始まり。幸いお天気もよろしい。これから本当の秋を感じることだろう。昔なら、運動会**とか遠足の行事があったが。
(**)運動会は、春開催(5、6月)と秋開催(9、10月)が拮抗しているという、意外だ。

秋は渡り鳥の季節、うっそうと繁った森の葉がいずれ落ち、視界も広がり観察がしやすくなる。
まずは、紅葉を楽しみたい。昔、バスツアーで遠方の紅葉観光に出かけたりしたが、その気力は今はない。きらきらと色鮮やかな景色じゃないけれど、楽しむべき場所が武蔵野の台地に、公園や旧庭園がいくらもある。

そこで気になる台風だが、気象庁の「台風の上陸数」を調べてみると、8月の76件と比べて、9月は68件となっているが、気候変動の影響のあって、今後どうなるかは分からぬが。

■ 気象庁
「台風の上陸数」(6月~10月、1951年~2023年について)
ー https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/statistics/landing/landing.html
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    6月    7月    8月    9月    10月
     11     36     76     68     18
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