今日は旧暦の八月十五日、陽の落ちた帰り道、東の空にくっきりと輝く満月が浮かんでいた。今晩の月を中秋の名月という。
外出の帰り道、吉祥寺の駅ビルで「月見だんご」でもと探したが、食品フロアに十五夜に団子を供えるといった祭事の気配は見つからない。そんなものかなと、地元駅の街にある和菓子屋に寄ったところ、閉店の最中・・・あきらめることにした。
団子がなくても、まんまるお月さまはいらっしゃる。十五夜の童心に帰ったよう、ちょっとはしゃいだ気分になる。
ところで吉祥寺の書店で、「桃源郷 - 中国の楽園思想」(河合康三、講談社選書メチエ)をもとめた。同書の「はじめに」におやっと思わせる、こんな記述がある。
「中国の楽園といえば、誰もがすぐ桃源郷を思い浮かべる。陶淵明の『桃花源記』が描き出した桃源郷こそ、典型的な楽園と考えられてきた。」
「桃花源はそれほどよく知られているのに、中国にはそれに類する話、それに続く話が意外に少ない。典型的な楽園を描いた作品は『桃花源記』がほとんど唯一のものだといってもよい。」
「(楽園とは異なる方向に向かった思いの先の)その一つは仙人の住む世界である。」
・・・なんだか、いい感じがしてきました、先が楽しみです。
(本ブログ関連:”桃源郷”)
イ・ソンヒの「狐の嫁入り(여우비)」以来、狐<神仙<・・・桃源郷へと、気ままであるが興味が広がる。関心に一貫性があるかは別にして、夢想はみるみる拡大する。わたしにとって、イ・ソンヒのイメージが強固になるようだ。それは楽しいことでもある。
(Youtubeに登録のps3hlproductionsに感謝)