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2020年10月30日金曜日

ニシキギとサンシュユ

公園に出かける。雲間から青空が覗くものの、地表の空気はひんやりして重い。きのうと比べて、気温の落差に驚かされる。おもわず上着のボタンをすべてとめてしまった。予想外のことのように戸惑ってしまう。

公園内の自然観察園に沿って流れる小川に、「アオサギ」が一羽だけ岸に立っていた。下流に少し距離を置いてもう一羽いた。彼らは群れないのだろうか。さらに進むと、「カルガモ」が3羽一列に浮かんで、流れに逆らうようにゆるりと上って行った。

観察園で、「ニシキギ」と「サンシュユ」の樹木になっている赤い実を見た。

同じニシキギ科の「マユミ」の隣りに、「ニシキギ」が並んで赤い実を風に揺らしている。ふっくらしたマユミと比べて、ニシキギの実は小さく赤みが鮮明。図鑑に、ニシキギは紅葉が美しいことから、<錦木>の名がついたという。

(本ブログ関連:”マユミ”)

ニシキギ
ミズキ科の「サンシュユ」(山茱萸)も赤い実がなるということで、観察路を巡ったが見つからない。ようやく風で揺れる枝葉の隙間から実を覗かせた。観察園入口の掲示板にある写真と比べて実の数が少ない。時期を逃したからだろうか・・・それとも他にもっとよいものがあるのだろうか?

サンシュユ
(余談)
サンシュユを、「サンシュウ」と勘違いして、宮崎県民謡「稗搗(ひえつき)節」の始まりの「庭のさんしゅう(山椒)の木 鳴る鈴かけて ヨーホイ」を思い出す。けれど、耳に残った「さんしゅう」が、山椒(さんしょう)だったとは・・・。


2020年10月27日火曜日

絵本「ちいさなタグボートのバラード」

現代ロシアの裏社会を代表するマXxXの起源は「ブラトノイ」と呼ばれ、その中にいわゆる「無頼派」として、今なおロシア人のこころを揺する詩人「セルゲイ・エセーニン」(1895年10月3日~1925年12月27日)がいた。ロシア文学について全く不案内にもかかわらず、このブログに感想を記した。

(本ブログ関連:”ブラトノイ”、”エセーニン”)

詩人が生まれた国で現在出版される詩集の装丁を見ると、読者の心性が浮かんでくることがある。とりわけ若い女性の読者は詩人に純粋さを夢見るようで、それを感じた編集者はくすぐるような挿絵を詩集に刷り込んだりする。それは洋の東西をとわない。

時代においては、詩人は言葉だけでなく生き方まで象徴的になる。しかし時代が固着してしまうと、詩人の中には派手に立ち回ることもせず、社会に寄生するだけの存在としてあしらわれ、胡散臭い「徒食者」の烙印を押される。
1960年代以降のソ連社会はいろいろなものが見え始めたようで、目障りな者への風当たりが強くなってきたのだろう。ユダヤ系の詩人「ヨシフ・ブロツキー」(Ио́сиф Бро́дский、Joseph Brodsky、1940年5月24日 ~1996年1月28日)も若いころ徒食者扱いされたという。

彼が初めて(1962年)書いた詩が、いまでは絵本「ちいさなタグボートのバラード」(ヨシフ・ブロツキー詩、イーゴリ・オレイニコフ絵、沼野恭子訳)となって手にすることができる。まことに美しい絵本に仕上がっている。
大型の絵本サイズに描かれた表現は穏やかで読者を安定させる。そして詩は、タグボートの「ぼく」を通して語られる。港にいるだけの「ぼく」にとって、海は遠くにあって、大型船もあこがれの存在でしかない、それらはいつかは去っていくのだから。そんな「ぼく」はタグボートの役目をしっかり果たすだけ。そして・・・。

(参考)原詩露・英対訳 Andrey Kneller氏による。 ← ロシア語はわかりません。
https://sites.google.com/site/poetryandtranslations/joseph-brodsky/a-ballad-about-a-small-tugboat

ところで時代は違うけど、機関車を黒い馬に例えたり(エセーニン)、クレーンの光景をレース模様に例えたり(ブロツキー)するのを見て、ソ連だなあとつくづく思ったりして。

ブロツキーは、アメリカに移って活躍した詩人で、作品は難解といわれる・・・未読。

(参考)北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターデータベース: ブロツキーの解説
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/brodskii.html

昨日(10/26)、この「ちいさなタグボートのバラード」の絵本を購入した。

(追記)
Youtubeに、上記とは別グループ*による、360°フォーマット展開(画面上、マウスを使ってタグボートを追ったり/フルスクリーンにすると拡大・縮小することが)できる、アニメ「ちいさなタグボートのバラード(Баллада о маленьком буксир)」が登録されているので次に埋め込む。
(*)Youtubeに戻って、画面下の解説に、サンクトペテルブルグの制作陣が記されている。

(Youtubeに登録のWHALETALESに感謝)

2020年10月24日土曜日

野鳥観察(4)

今朝の野鳥観察会は、今までで(といっても過去3回の経験でしかないけれど)、参加者がいちばん多かった。一つに天気が良く晴れ渡ったせいもあるが、これからの時期、飛来する野鳥の種類が増えて観察を楽しめるからということもあるようだ。

(本ブログ関連:”野鳥観察会”)

公園内の観察順路には、木立あり、原っぱあり、さらには小川ありといった具合で、それぞれの場所に適した野鳥を見ることができる。ちなみにマーケティングで、商品テストの地域に静岡県が選ばれたりするが、海や山があり、都市や工業地帯があるといった日本の縮図だからと聞いている。もっと雑談すれば、米国大統領選挙の動向を見極めるのに、オハイオ州の結果が判断になるというが、この場合はどうだろうか。

ところで、鳥は植物と違って動く(飛翔する)。ベテランは、姿が見えなくても鳴き声だけからでも判定する。一方入門者は、あそこにいると遠くを指さされてもすぐに見つけられず、探すうちに鳥は飛んで行ってしまう。今の力量では、鳥の雌雄の違いとか、状況に応じて鳴き分けているのを判別できるには、いたってほど遠い。

今回も多くの種類が観察されたけど、わが視覚・聴覚は追いつかない。(場所を教えてもらったうち)手持ちの双眼鏡で確実に見えた野鳥だけ次に記してみる。
・「ヤマガラ」: 樹上でしきりにエサをついばんでいた。逆光で、黒色の頭頂・茶褐色の腹をしっかり識別できなかったが。
・「アオサギ」: 公園近くの民家のベランダの手すりにじっととまっている青灰色の姿が見えた。
・「カルガモ」: 小川の水に身を任せるように、4羽が一列になって呑気?に流れていた。
・「バン」: 小川の葦の茂みに黒色の姿がいた。2羽というが1羽しか見つけられない。

以上は、ヤマガラを除きやや大きめの鳥なので、指さされて何とか見つけられた。しかし、「シジュウカラ」のようにサッと飛んで行ってしまう小鳥は、鳴き声を知らなければ見当もつかない。とはいえ、少しずつ身近に感じていければよいかなと思っている・・・双眼鏡で確実に見えるというのが、初めの一歩のような気がする。

2020年10月23日金曜日

(雑談)ちらりと聞いて早とちり

とりとめもなく、ちらりと聞いてネットを上滑りした与太話。

ラジオから、センセーショナルというかショッキングな場面が展開するという映画「異端の鳥」の映画評が聞こえてきた。遠くの国の人間が語るにはおぞましい、第二次大戦下の悲惨な経験を経たユダヤ人少年がいかに生き延びたかを描いた映画についてだ。映像化に賛否両論があったという。

1965年出版の「異端の鳥(ペインティッド・バード)」(西成彦訳、2011年)の原著者イェジー・コシンスキはとても個性的な人物で、ネットでは盗作などいわくつきの背景があるように紹介されている。この小説を自伝的といったり、架空の話といったり変転するくらいだそうだ。(未読のため深入りできないが)

ところで、この物語と大筋が似た児童書「走れ、走って逃げろ」(U. オルレヴ、母袋夏生訳、岩波少年文庫)がある。こちらの場合、作家オルレブ自身の経験ではなく、体験者というべきモデルが存在すると巻末に訳者解説がある。

(本ブログ関連:”走れ、走って逃げろ”)

「走れ、走って逃げろ」の原著「Run, Boy, Run(רוץ、ילד、רוץ)」が発表されたのは、なんと2001年とのこと。コシンスキとオルレブがほぼ同年代のため、コシンスキのよからぬ噂からあらぬ疑いを想ってしまったが・・・しかし発表時期から、それはとんでもない濡れ衣だった・・・早とちりにもほどがある。

(参考)
イェジー・コシンスキ:ポーランド系ユダヤ人、יז'י קושינסקי、Jerzy Nikodem Kosiński、1933年6月18日~1991年5月3日
ウーリー・オルレブ:ポーランド系ユダヤ人、אורי אורלב、Uri Orlev、1931年2月24日~


雑談
「走れ、走って逃げろ」の原題「Run, Boy, Run」をYoutubeで検索したところ、おもしろいミュージックビデオ(MV)と出会った。映像作家でミュージシャンであるヨアン・ルモワンヌ(プロジェクトWOODKID)の作品のようだが・・・初めて知るわけで。WOODKIDのMVを次の①、②の順に見ると、いろいろ思いを巡らすことができそう。これらに共通して登場する塔を持つ白い建造物に、どこか純正芸術的な臭いがする、それを狙ってのことだろうか?

(本ブログ関連:”純正芸術”)

① Iron:
・ https://www.youtube.com/watch?v=vSkb0kDacjs&list=RDvSkb0kDacjs&start_radio=1
・ https://www.youtube.com/watch?v=lmc21V-zBq0&list=RDvSkb0kDacjs&index=2
・(和訳) https://www.youtube.com/watch?v=HWx-PV5ptTs (Stay Aliveに感謝)


(追記 2025.6.23)
・ウーリー・オルレブ 原作「The Island on Bird Street:האי ברחוב הציפורים」(1981)が映画になっている。
    ー 映画(日本語タイトル)「マイ・リトル・ガーデン」 (1997年)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=O468As0i-B4

2020年10月18日日曜日

自然観察(3) ニガキは苦い

公園は朝から晴れて、草原(くさはら)はひんやりするものの夜露に濡れた風もなく乾いていた。幸いな天気のせいか、きょうの自然観察会は多数の参加者がつどった。(3回しか参加経験がないので、いうはおこがましいが、こんなに大勢そろったのに驚く)

観察会の植物分野のベテラン(リーダーの一人というべき方)からレクチャーを受けてメモしたものから以下に記す。聞き間違いがあるかもしれないがご容赦願いたい。(手帳11ページに及ぶ豊富な情報であり、その中から少しだけ・・・)

まず、経験の浅い入会者の務めというか洗礼というか、樹木「ニガキ(苦木)」の(次の写真の枝の分かれ目、矢印の先にある)<新芽>を味見をするよういわれ噛んだところ、次第に舌の奥あたりが苦くなった、しかも強烈に。会員からいただいた飴でしのいだのだが、苦味がしばらくのあいだ続いた。
・ニガキは、漢方薬「苦木(くぼく)」として苦味健胃剤の材料に使われるそうだ。ニガキの苦味は枝、葉にもあるが、漢方薬には樹皮などが使われるという。
(ちなみに、マグネシウム(Mg)は「苦土」と表現されて苦味を持つが、苦木の苦味は有機物「クアシン(C22H28O6)」によるもので、当然ながらMg元素を持たない。苦土と苦木の苦味の程度はどちらが大きいのか、ネットで検索したがよく分らない)

ニガキ
公園の原っぱ中ほどに木立があり、その中に「イイギリ(飯桐)」の木が赤い実をならしていた。実の様から「ナンテンギリ」ともいわれるが、次の写真のように赤い実を下に垂らしていて、「ナンテン」木の実のように上向きのものはないとのこと。また、イイギリの実は野鳥の「ヒヨドリ」に食べられるそうだ。
・飯桐(イイギリ)の飯は、葉を皿代わりにした意という。
・葉の広がるもとに小さな黒いつぶが2つほどあり(どうやら葉柄の途中にもあるとネットに記載がある)、それを「花外蜜腺」と呼ぶとのこと。アリを使って他の生物からの食害を防御しているようだ・・・。
・ところで、昔の金属金庫の内側に「キリ(桐)」の棚が作られていたが、桐の断熱性(燃えるのではなく、炭化するすることで防火)を利用したという。

イイギリ
観察会の最後に見たのは、「クサギ(臭木)」の木の赤い花だ。中心が黒い実で、周りの赤いのは花弁でなくて顎(がく)である。葉をつぶして臭いを嗅いでみるが、いわゆる青臭い臭いでしかなかった・・・。むしろ、つややかな赤い花の独特な姿、形に関心がいった次第。

クサギ

この他、いろいろ興味深い話題や感想を聞かせていただいた。
・「イヌタデ」:植物の名称に「イヌ~」が付く場合、劣った意を含むことがあるようだ。
・「ドングリ(団栗)」:「ドン」は「団」よりも「鈍」が似つかわしいかもしれないと感想を述べられた。

上記は樹木についてだが、野草についても解説がいっぱいあって・・・書ききれない。

(追記)
先日(10/16)の観察園外側で見たキク科の花は、現場で「ユウガギク」と同定していただいた。

2020年10月16日金曜日

ミゾソバ

ここ四五日、週の始めは日が照ったりしたものの、他日は概して曇り空。きょうは晴れ空が見えて、立川市にある「国営昭和記念公園」のコスモス畑に行ってみようかと、昼前、外に出たものの、ひんやりとする風に躊躇して行き先を変更した。日向と日陰の寒暖差が激しい。

いつものごとく公園併設の自然観察園を巡る。紅紫色の「ツリフネソウ」の花の群落にかぶさるように、淡紅色の「ミゾソバ」(タデ科)の花が群がっていた。湿地に設けられた板橋の上から眺めだが、小さく膨らんだ花が印象的である。その花は花弁でなくて、顎(がく)が色づいたもの。(ミゾソバの和名は、生え方がタデ科の代表穀物である「蕎麦」と見た目が似ていることに由来しているとWikipediaに解説がある)

自然観察センターのレンジャーの方に、観察場所を伝えてカメラ写真を見て検討していただいた。現物を観察してではないので、正式な同定ではないが、他に似たものとして「アキノウナギツカミ」(タデ科)を紹介いただいた。(こちらを観察園で見つけられなかったが・・・)
ミゾソバ、アキノウナギツカミは共にタデ科であり、茎に棘がある。ただし、葉の形態に違いがあって、ミゾソバは「先は鋭くとがり、茎部は耳状にはりだす(牛の顔のイメージ)」に対して、アキノウナギツカミは「卵状披針形 - 長披針形、茎を抱くようにはりだしている」と絵解きいただいた。

ミゾソバ

同じくタデ科の植物で茎に棘のある、上部が赤く下部が白い花の「ママコノシリヌグイ」(タデ科)の紹介を受けて、観察園に戻り、指定の場所で見つけた。つる草にからまれて息苦しそう(写真はつるをほどいたもの)。この花も花弁ではなくて、上記同様に顎片からできている。(ママコノシリヌグイの和名の由来は残酷。洋の東西を問わず、継子に対する継親の心理は複雑)

ママコノシリヌグイ
キク科の花
観察園の柵の外側にキク科の花が咲いていた。写真をレンジャーの方に見てもらったが、「コウガギク」、「カントウヨメナ」などあって同定が難しいといわれた。初心者が先走るのを、慎重に説かれ戒められたような気がした。

2020年10月12日月曜日

ハナミズキの実

夜型の生活をしていて朝寝坊を決め込んでいたのに早起きするようになったのは、自然観察の会へ参加するようになってのこと。健康にもよいと生活リズムを再構築しているのだが、少々調整に苦心している。

よく昼寝は正午から午後3時までの間でした方が良いといわれる。それ以降は生活のリズムを狂わせる。ところが、私ときたら午後5時ころになると眠くなるようになった。

奇妙な進路をとった台風(14号)も過ぎて台風一過、きょうは晴天に恵まれたので、これを機会に外出しようと、3時過ぎに公園へ出かけた。太陽の低い光線がまぶしい。木立は幹の影を地面に長く這わせている。路肩の雑草「チカラシバ」は、ブラシのような穂に西日を受けてキラキラ輝き揺れている。すっかり秋の気配だ。

公園を横切る小川の土手に、更に一段盛った小路があり、その両側に「ツツジ」や「ハナミズキ」が植えられている。この時期のハナミズキは、葉をまだ残しているもの、写真のように枯らして落としているものさまざまあるが、一様に赤い実をつける。赤い実といえば「ナンテン」の木の実を思い出すが、こちらは冬になってのこと。

正直、ハナミズキと赤い実のイメージがつながらない。というのも、通りすがりに気付いたくらいだから。(普段自然をぼんやりとしか見ていない証左である・・・)

2020年10月6日火曜日

キンモクセイ

この時期、民家のつづく路地を歩いて「キンモクセイ(金木犀)」の香りに気づくことがある。どんなに小ぶりの枝でも、橙色の花を身に着けると辺りにあの独特な甘い匂いを漂わせる。寒くない秋晴れの日によく似合う。それが大木となって見上げるほどになれば、圧倒されることになる。

公園に併設の「たてもの園」入り口の両側に、大きなキンモクセイの木が並んでいる。足元を柵で囲われており、公園内の他の木立と比べれば驚くほどでないかもしれないが、それでも高さ10m、枝幅8mあるという。大きな樹影と香りに、傍を通る誰もが思わず立ち止ってしまう。

(本ブログ関連:”キンモクセイ”)

ただ、わたしら世代には、キンモクセイの香りに人工的なものを感じることがある。その理由を、Wikipediaに、芳香剤の香り付けに利用した時代があったと解説している。思えばそうだったと合点する、田幸和歌子氏の出典*が明記されている。
(* 出典: https://www.excite.co.jp/news/article/00091161497065/ )


ところで公園内を巡ると、空気圧をクッションにしたような大きな遊具があって、その上で何人もの幼児たちが歓声をあげながら飛び跳ねている。通りかかりに管理員の方に聞いたところ「ふわふわドーム」という。なんとも可愛らしいネーミングだ。小さな体が宙に舞い、ゆっくりと上下する視点の動きがたまらないのだろう。
そんな遊び場の隣に「コスモス」畑がある。きょうは目いっぱい、コスモスの花を楽しんでみようと寄ってみた。


昨日見た、小川の堤に続く柵のかたわらに寄せ植えしたコスモスと違って広がりがある。こうなると欲が出るもの、もっともっと広大なモスモス畑を見たくなる。

2020年10月5日月曜日

コスモス

秋の気配が濃厚になった先週の金曜日(10/2)、自然観察園で「ヒガンバナ」の群生を見てきた。きょう、もう一度眺めてみようと思い出かけたが、月曜日が休園であることをとんと忘れていた。

そこで、せっかく来たのだからと、公園近くで「コスモス」を探してみることにした。二つの公園にまたがる橋のそば、堤に沿ってこじんまりとコスモスの花が連なっているのを見つけた。

(本ブログ関連:”コスモス”)

コスモスの花は愛らしい気がする。パステルカラーの薄桃色の花弁が身を任せるように風に揺れているさまは、幼子のようにあどけない。いつまでも見入ることができる花だ。

コスモスは秋桜とも記す。しっとりとした情感をさそう、山口百恵の「秋桜」が聞こえてくる。明治近代に渡来した外来種だが、日本人の感性に合っていたのだろう、まさに秋の桜だ。

以前、埼玉県の日高市にある巾着田でヒガンバナ(曼殊沙華)を見た帰り、巾着田の内側一面にコスモスの花で埋まっていたのを思い出す。正直、月並みかもしれないが天国の光景が浮かんだ。わたしにも、そんな想いがしたのだ。

今年は新型ウィルスのせいで、残念ながら遠出を控えている。できるなら都内で大規模なコスモス畑を訪れてみたい。立川市にある「国営昭和記念公園」で「コスモスまつり 2020」*を今月下旬まで開催しているとのこと、しっかり目に焼き付け、胸いっぱいに畑の空気を吸ってみたい。
(コスモスまつり: https://www.showakinen-koen.jp/event/cosmos2020/ )

日本画の掛け軸風に、コスモスの写真を縦長にトリミングしてみた。

2020年10月3日土曜日

野鳥観察(3)

公園の野鳥探鳥会に初めて参加したのは8/22(土)のこと。以前、早朝の公園で「カワセミ」を観察中のベテランと偶然出会い、探鳥のイベントを教えていただいた。そんなわけで初回に、雰囲気だけでもとうかがった次第。実際、会員の後ろに付いて回っただけだったが。(そのときのことを本ブログに記すにはあまりに知識・経験不足。語彙もない。右も左も分らぬ超初心者には書くことも覚束ない。)

(本ブログ関連:”野鳥観察会”)

第2回目(9/26)はブログに記した通り。野鳥は、植物と違って動き廻る。遠くにいても双眼鏡を使って視認するしかない、一方、声だけでも判別することができる・・・という。そんなわけで、会員の足手まといにならぬようひたすら追いかける。

そして今日、3回目の参加となった。何が変化しただろうか、成長しただろうかなんてとんでもないが、会員の方々から野鳥にまつわるいろいろな話をうかがう。耳学問であるが、門前の小僧にならい少しづつ蓄積していこう。

今回まさに野鳥らしい野鳥の「ヤマガラ」を双眼鏡で見た。エゴノキのむくろに留まっているのを自分の双眼鏡で観察できたのは幸いだ。視野いっぱいに見た第一号となる。(「野鳥」図鑑に、秋にスダジイやエゴノキの実をよく食べ、貯食行動もおこなうとある)

飛翔がユニークだ。「波状飛行」といい、羽ばたいて上昇しては、羽を休めて下降する。エネルギーの消費効率がいいからだろうとのこと。(降下するさまに、義経の「鵯越え」の奇襲が想い浮かばれる)

カルガモ
夏の小川にいるのはカルガモ。冬になるとマガモが北たから飛んでくるので、見間違えないように注意とのこと。

その他、遠くの木立で「コゲラ」が数羽飛び交うのが見えたり、「アオゲラ」が大きな声で鳴いているのを間近で聞いたりした(つまり声だけ)。

とはいえ、以上は教えていただいてのこと。

2020年10月2日金曜日

ヒガンバナ

早起きして公園の自然観察園に「ヒガンバナ(彼岸花・曼珠沙華)」の群生を見に行く。観察園の扉が開くのに少々早く着いたようだ。観察センターに立ち寄って、(新型ウィルスの余波もあって昨年版だが)今月の「花だより」の野草リストをいただく。裏面には観察順路が図示されていてありがたい。

(本ブログ関連:”ヒガンバナ”)

実は、今年の観察園のヒガンバナの開花が遅いと話題になっていたが、昨年同様、観察園の西側の一画を赤く敷き詰めた。葉を見せず、細身の茎の上に真っ赤に燃えるような花弁を揺らせ、細い雄しべと雌しべで飾っている。それが妖しいとか妖艶とか、毒性もあって死のイメージにまで広がる不思議な花だ。

来園のひとびとは、そんなイメージと関係なく、赤く広がるヒガンバナの群生に見入り、シャッターを切ったりした。今年も会えたという喜びの方が勝っているかもしれない。



ヒガンバナは、上掲のような群生でないが公園のあちこちにも咲いている。日本のヒガンバナは遺伝情報の持ち方から、有性でなく球根を分けることで、つまり人手を介して人為的に増える。チューリップ畑を見て感動するようなものかもしれない。でも、それでもひきつける。

2020年9月26日土曜日

野鳥観察(2)

自然観察会に野鳥探索(探鳥)のイベントがあり参加した。今回で2回目、全くの初心者である。
今朝早く霧雨模様で、そのまま曇り空になるのか小雨になるか分らぬまま、かような天気なら本来中止となるところを、リーダーの厚意で実施の運びとなった。参加者が極めて少数だったにもかかわらず。感謝。

(本ブログ関連:”野鳥観察会”)

実は、先日購入に手間取った双眼鏡をようやく手にできたので、試してみたいこともあって参加した次第。6×30の視野の広さと明るさの効用を体験したかった。

ベテランリーダーの後ろについて探鳥する。鳥の姿だけでなく、鳴き声も聞き分けるという。植物観察の場合、足元の野辺の野草に目が注がれるのに対して、野鳥観察の場合、鳥たちが樹上に留まったり頭上を飛翔するため視点が上がる。観察リストの作成に当たって、観察場所を巡るとき前方で見つけた鳥だけをカウントし、後方の野鳥は対象外になるそうだ。

超初心者の視野に入った野鳥は次の通り。
・カラス: ハシボソカラス(高圧線上に十数羽並ぶ)、ハシブトカラス
・アオサギ: 野川に足を浸かり、岸辺の草の中に頭を突っ込んでエサを探していた。
・カルガモ: 野川の流れに身を任せるように2羽が浮かんでいた。
カワセミ: 野川の岸の小枝に静かにたたずんでいた。(「コバルト色の背、緑色の翼」が美しい)

その他、アオゲラの影を探したり、オオヨシキリの声を聞いたりした。初心者には、それ以上の観察はむつかしい。一方、ベテランはカワセミやコサギをしっかり写真に収めて、つぎつぎ鳥をカウントしていく。

次回、もっと天気がよければ、多くの種類を見つけられるだろうとのこと。ぜひ参加してみよう。

2020年9月21日月曜日

自然観察(2)(追記)

昨日(9/20)の自然観察会で撮った写真と、そのとき聞き書きしたメモと一致する花をネット上で見つけることができないでいた。放って置くのも気分がよくないので、近くの街にある書店へ出かけ、雑草図鑑を購入して、ぴったり当てはまるものを探した。

先日のラジオ番組*に出演されたのを聴いて知った、植物生態学の研究者でもある多田多恵子氏の「もっと 美しき小さな雑草の花図鑑」(山と渓谷社)の中に、「ツリフネソウ」の紹介があった。まったくもって観察会での写真と同じだ。どうやら<ツリガネソウ>と聞き間違えてメモしたようだ・・・しっかり聞き直すべきだったと反省。

ツリフネソウ(ツリフネソウ科)

(*)ラジオ番組:
・Youtube: 2020.9.2 NHK ラジオ深夜便「野に咲く花/雑草に 魅せられて」
 ( https://www.youtube.com/watch?v=wtxrcVv6wMI )
・NHKらじる★らじる:2020.9.19 石丸謙二郎の山カフェ「憧れの紅葉の山」(9時台
 ( https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=4750_01 )

ドクダミについて
ところで、わが家の庭を悩ますドクダミについて、多田氏の上記の図鑑にこんな記述があった。ドクダミは、被子植物の「単子葉類」と「双子葉類」とは別に、それ以前に存在した原始的被子植物「基部被子植物」にあたるという。1990年代のDNA研究で系統樹が書き換えられたという。ドクダミは古いやつなのだ。
上記Youtubeの同氏の解説によれば、今でこそ嫌われもののドクダミだが、家庭の庭先に多いが山の中に見なれないのは、昔常備薬として庭に植えていたからという。それじゃしょうがないか。

(本ブログ関連:”ドクダミ”)

2020年9月20日日曜日

自然観察(2)

曇り空の午前中、公園(および自然観察園)を巡っての自然観察の会に参加する。草花から昆虫・野鳥まで多様な対象をカバーして解説いただくわけだが、手帳にメモしているうち、それぞれの名前が飽和・沸騰して蒸発・揮発してしまう。何とかカメラに収めたりしたが、帰宅して確認してみると、メモの記録と写真が結びつかない・・・混乱するばかり。

次に、分かる範囲の野草や樹の花の写真を並べてみる。他にも多数撮ってみたたが、手帳の記述とネット情報を照合しても不明が多い。(かように記憶がおぼつかず定まらない)
タマスダレ(ヒガンバナ科)
ヤマザクラ(薄桃色が数輪、他に白色が数輪)
カリガネソウ(シソ科)
白色のヒガンバナ(ヒガンバナ科)

野草について、「メ(雌)ヒシバ(日芝)」、「オ(雄)ヒシバ」は互いに属が異なること。「イボクサ」はイボ(疣)取りの薬用として使われたこと。「キツネノマゴ」は<ガク>がキツネの尻尾に似ていることなど、大ベテランの方から様々教示いただいた。

鳥に詳しい方からは、遠く高圧線鉄塔上に留まっている「モズ」や樹上で鳴く「クサヒバリ」を、昆虫に詳しい方からは、「ショウリョウバッタ」や「エンマコオロギ」の雌雄の違い(体形・羽)について教示いただいた。

観察会の終わり、小雨のぱらつく帰り道、公園をおおう草木の豊富なことにあらためて感じいった。今まで見ていたはずの緑の光景が実に多様なことを思い知らされた。

2020年8月30日日曜日

(資料)2015年4月「米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説」

米国連邦議会上下両院合同会議における 安倍総理大臣の演説
「希望の同盟へ」(2015年4月29日(米国東部時間))
(外務省: https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_001149.html )
(英語版: https://www.mofa.go.jp/na/na1/us/page4e_000241.html )

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はじめに

 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、
 1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。
 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。
 以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。
 申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。
 皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。
 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。
 民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。
 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。
 私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

アメリカと私

 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。
 家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。
 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。
 デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。
 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。
 上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。
 ――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

アメリカ民主主義と日本

 私の苗字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説*の有名な一節に求めてきたからです。

(*演説: 「人民の人民による人民のための政治」 )

 農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。
 日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

第二次大戦メモリアル

 先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。
 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。
 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。
 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。
 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。
 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。
 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

かつての敵、今日の友

 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。
 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。
 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。
 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。
 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。
 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

アメリカと戦後日本

 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。
 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。自らに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。
 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2,036頭、やってきました。
 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。
 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

TPP

 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。
 日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。
 太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。
 許さずしてこそ、自由民主主義法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。
 その営為こそが、TPPにほかなりません。
 しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。
 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。
 日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

強い日本へ、改革あるのみ

 実は…、いまだから言えることがあります。
 20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。
 ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。
 日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。
 私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。
 世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。
 人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。
 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。
 親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。
 日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

戦後世界の平和と、日本の選択

 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。
 省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。
 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。
 この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

地域における同盟のミッション

 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。
 日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。
 日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。
 日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。
 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。
 第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。
 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。
 そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。
 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。
 この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。
 戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。
 ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。
 いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。
 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。

日本が掲げる新しい旗

 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。
 その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。
 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。
 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。
 人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。
 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。
 いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。
 繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。
 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。
 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。
 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

未来への希望

 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。
 「落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。
 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。
 そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。
 私たちには、トモダチがいました。
 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。
 ――希望、です。
 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。
 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。
 希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。
 ありがとうございました。
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キャロル・キング:君の友達(You've Got a Friend)【訳詞付】

(Youtubeに登録のfreepasportに感謝)

2020年8月20日木曜日

イヌキクイモとプロペラカフェ

午前中、日射が厳しくなる前に、公園併設の自然観察園へ行く。家を出るときも、公園に入るときにもしっかりと水分補給した。自然観察園内では緑陰を探しながら巡ったが、やはり汗がにじむ。

イヌキクイモ
林の奥に、ぽつんと「かがみ池」がある。以前訪れたとき濁っていたが、きょうは名前の通り澄んで輝き、池の底までくっきりと見えた。木立に囲まれ、木漏れ日に水面が揺れているさまは、童話に出てきそうな光景だ。

かがみ池は、園内に設置された板橋の上から臨むことができる。板橋のわきに、大きな「イヌキクイモ」がぬっと生えている。ざっくばらんに黄色の花弁を見せる。全体に大ぶりな感じがする。(どうやら「キクイモ」も似ているのかもしれない)

イヌキクイモは、キクイモと同じヒマワリ属に属している。先日の観察会で、両者の違いについて、塊茎(かいけい:地下茎)の大きな方がキクイモと解説を受けた。キクイモから果糖をとったと図鑑に解説がある。とはいえ、キクイモを直接観察したわけでないけれど、類似のものの対比は意外と記憶に残りやすい。

プロペラカフェ
久しぶりに足を延ばして、「調布飛行場」わきにある「プロペラカフェ」で昼食をとることにした。大通りからカフェ施設へ向かう道の入り口で、氏名や用途をチェックされる。毎度のことながら空港管理が厳しくなった。

(本ブログ関連:”調布飛行場 プロペラカフェ”)

プロペラカフェに隣接(ガラス窓の仕切り越しに見ることができる)格納庫に、グライダーL-13 Blaník(JA2146)が置かれていた。NCA(新中央航空)の双発ドルニエ228旅客機が頻繁に離着陸を繰り返すこの空港で、グライダーを飛ばしたりはしないだろうにと考えた。
(ネット情報では、本グライダーは登録抹消済みのよう)

その他に面白い小型ヘリがあった。ロビンソン R44(JA7985)で、1990年代に開発されたものだそうだが、いかにも1950年代にありそうな何とも古めかしいデザインを思い出した。

2020年8月18日火曜日

フジカンゾウとマメコガネ

始めに余談。
ネット販売A社が掲載の商品を発注・入金したところ、キャンセルとのメールが届き驚く・・・なにしろこんなことは初めての経験で少々戸惑った。とりあえず、同社の商品カード(≒商品券)に切り替えることで一件落着。夜分だがスムーズに電話対応(国内)され安心した。
その商品というのは双眼鏡で、以前購入したものが倍率10倍だったところ、野鳥観察には倍率6倍程度のものがよいと経験者から助言があった。高倍率は遠くが見えてよさげだが、対象物が視野におさまりきらずブルブル震えてしまう欠点があることをフィールドで確認した。あらためて倍率6倍の双眼鏡を購入しようとしたところ・・・。


新型コロナウィルスを警戒して家にこもる日が続いた。そこで、先日の自然観察会に参加して以来、少しずつ外出を復活するようにしている。このところ熱射の連日だが。

フジカンゾウとマメコガネ
きょう、公園併設の自然観察園の入り口そばに茂るマメ科の野草「フジカンゾウ」の茎や花先に甲虫の「マメコガネ」が大勢たむろしているのを見た。

フジカンゾウとマメコガネ
フジカンゾウ
細い茎が伸びてその先に淡紅色の小さな花がいくつも咲いている(フジの花に似ている)。葉は複葉で、7枚でセットであるのを先日教えてもらった。合わせて、カンゾウは「甘草」と表記され、字義通り甘みがあって漢方薬に使われているという・・・フジカンゾウが漢方薬に使われているかどうかは分からないけれど。

マメコガネ
小さな甲虫で緑色に光沢する。写真では一匹だが、ほかに交尾中のものやセミの抜け殻と一緒だったりと、カンゾウの上でこの虫のさまざまな場面を見ることができる。マメ科のフジカンゾウを餌食とする害虫のようで、調べてみれば、な~んだといった感想がする。でもせっせと生きていることに違いない。

2020年8月17日月曜日

キバナコスモス

入門者向けに、文庫サイズの野草図鑑「日本の山野草」がある。ショルダーバッグに入れてフィールドで手軽に参照できる。ただ、似た花の写真を見つけられないと、皆目見当がつかなくなるのが初心者の定めだ。

きょう月曜日の大型公園で「キバナコスモス」の花が咲いているのを見た。人影が少ないせいもあってか、キバナコスモスの橙色の花弁が地味に感じてしまう。

(本ブログ関連:”キバナコスモス”)

キバナコスモスに、いわゆる「コスモス」のイメージとちょっと違った野暮ったさを感じるのはなぜなのだろう。コスモスのように誘う気配がないのだ。

以前、埼玉県日高市にある「巾着田」の外延に咲く真っ赤な「曼殊沙華」の鑑賞に行ったとき、巾着田の中央一面を埋めるコスモスの花と出会った。そのパステルカラーの軽やかな色彩は、私にどこか天国へ繋がるような高揚感を与えてくれた。

実は、上記の「日本の山野草」図鑑に、コスモスもキバナコスモスも掲載されていない。外来/園芸植物といった区分で制限されているのかもしれない。それも妙な感じがする。

ところで公園では、コスモス専用の畑が準備されているようだが、キバナコスモスが先んじて別の場所で咲いたことになる。キバナコスモスとコスモス(=オオハルシャギク)は、Wikipediaによれば「同属別種にあたり互いを交配する事は出来ない」とのこと。お互い縁が薄いようだ。

2020年8月16日日曜日

自然観察(1)

朝、地元の公園の自然(植物、昆虫、鳥など)を観察する会に出席した。新参ものの素人の私であるが、観察巡りの始め、リーダーから路傍の草や虫について丁寧な解説いただき、それらの名を手帳にメモをとった。

次々、紹介があり、メモを書き連ねているうちに、私のキャパをすぐにこえてしまった。日頃のんびり散策している野川の脇道にこんなにもいっぱいの生き物(草や虫)がいたのかと驚き感心した。

植物で、「カンゾウ」の葉が7枚でセット(複葉)だったり、「エノキ」の木の葉の葉脈が非対称だったり、「ヤブガラシ」の葉が鳥足状のセットだったりと、観察を深めれば気付くことがいっぱいあった。(エノキの赤い実をかじってみたところ少しだけ甘みを感じた)

きょうメモしたことを、これからじっくりと図鑑やネットで照合・整理してみたい。(歳を取ると若いころのように大食いできない。小皿に分けて咀嚼してみよう)

2020年8月13日木曜日

カワセミ

以前(4年前の5月)、京王線つつじヶ丘駅から深大寺(城跡)を経て、東京天文台横まで北西にかけて国分寺崖線の観察ポイントを巡る催しに参加したことがある。そのとき、崖線に沿って流れる野川を何度も交差する機会があった。

(本ブログ関連:”国分寺崖線を歩く”、”国分寺崖線”)

観察途中、野川の川面を野鳥の「カワセミ(翡翠)」が飛ぶ姿を見た。テレビで見慣れた、<青い宝石>といわれるカワセミとこんなに間近に出くわすなんて驚きだった。美しい青い羽根が日の光に輝いていたのだから。

ところで今朝早くのこと、公園を散歩したとき、野鳥観察のマニアたちと野川の川っぷちで出会い、野鳥観察についていろいろと教示いただいた。そのとき、目の前の葦にカワセミがすっととまった。朝陽を受けて腹の橙色が目立ったのだが、野鳥観察マニアがいうには「くちばしの下側が赤いのでメスだ」という。もちろん野鳥観察マニアはしっかりした望遠カメラで撮影しており、わたしは先日購入したばかりの小型双眼鏡で覗いてのことだったが。

(本ブログ関連:”公園散歩”)

カワセミは、すぐに川筋に沿って西へ消えた。どうやら、近くに巣があるらしいという。野鳥観察マニアがじっくり観察していての推断だろう。彼らから、野鳥の観察は9月、10月に入ってからの方が、種類も多く見られると教えられた。私にしてみれば、まったくの素人、もう少し涼しくなってから観察を始めてみようかと思っている。

2020年8月6日木曜日

おかしな主人公たちの住む町

世の中には色んな阿呆がいる。わたしもその一人で気持ちがよく通じる。もし阿呆たちがそろったらどうなるだろう。収拾の付かないことばかりかもしれないが、意外とよく事が済むかもしれない。

イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。

(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)

イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など

ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。

アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。

■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
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ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
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というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。

■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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こんな具合で、ザリガニは溺死の刑に処せられた。

■ そういえば、上記のシンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」にもこんな話がある(「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」)。
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ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
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ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。

(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)


(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
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p.68  シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
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(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か?  - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1

2020年7月30日木曜日

公園散歩

昼過ぎに公園を散歩した。Amazonで(発作的に)購入した双眼鏡(Vixen10倍)を試したく、野鳥でも見ようと出かけたのだ。

公園入口に、野鳥観察のための仕切り壁があって小さな覗き穴が設けられている。そこから観察するのだが、経験もない超初心者には深い森がただ見えるだけ。木陰でホトトギスが「ホーホケキョウ」と鳴く声がこだまするけど、双眼鏡の出る幕はなかった(というか姿を発見できず使いきれなかった)。

併設の自然観察園には平日ながら人出があった。日射しもよくのんびり園内を巡る。トカゲ、トンボ、蝶の小さな生き物、花を咲かせた野生植物を見て回った。

双眼鏡があれば近づいてもっと見られると思ったが何のことはない、携帯したカメラの倍率をあげて写真に撮ればいいのだ。そんなわけで、カメラに収めたトカゲ、トンボ、蝶など(これらの正式な名前を知らない)と、野草の花を並べてみる。





ノカンゾウ

ヤブミョウガ
ヤブラン
ヒオウギ

2020年7月29日水曜日

(参考)新型コロナは『玉手箱ウイルス』という

新型コロナ騒動で休会していた毎週水曜日開催の「健康体操教室」が今月に入って久しぶりに再開された。騒ぎが少し沈静したように見られたからだ。しかし、初回の1回だけ参加したものの、結局その後を休んでしまった。新型コロナの第2波が、前回以上に猛威をふるってきたからだ。

新型コロナの第2波の感染は、若者~中年層が中心になって数を増やしている。ウィルス自体も変化が見られるようだ。私にしたら外出を極力ひかえ、ひたすら身を隠すように家にこもる他ないのが現状だ。感染後、医療による手当はありがたいが、それ以前にウィルスに近づくかどうかは自己判断だ。

コンビニで購入した「夕刊フジ」の記事を見て恐ろしくなった。日本医科大学特任教授の北村義浩氏によれば、新型コロナは「60歳以上が感染した際の症状の悪化度合いは、突如年齢が20歳高くなるようなイメージだ。『玉手箱ウイルス』といってもいいと思う」というのだ。

「御伽草子」 浦島太郎

夕刊フジ
(zakzak)
「感染すると突如『20歳』老化する!? 新型コロナは『玉手箱ウイルス』 - 日本医科大北村特任教授が警鐘」(2020.7.29)
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200729/dom2007290005-n1.html
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 東京都や大阪府、愛知県など全国で感染爆発状態の新型コロナウイルス。これまでは重症者数や死者数が多くないが、日本医科大学特任教授の北村義浩氏(感染症学)は、新型コロナに感染すると約20歳も老化したかのように症状が悪化することから、昔話の浦島太郎になぞらえて「玉手箱ウイルス」と名付け、高齢者に警戒を促している

 28日の東京の新規感染者数は266人と高止まりし、大阪が155人、愛知が110人で、1日の感染者としては過去最多となった。岐阜県、京都府、沖縄県でも最多を更新した。

 感染者数が増加する一方、東京の同日時点の重症者数は21人。じわじわと増えてはいるが、4月末に100人を超えていたのと比較すると少ないのも事実だ。

 重症者について北村氏は、「『現時点で少ない』というところまでは正しいが、『今後も大丈夫だ』『医療は逼迫(ひっぱく)しない』との見方は認識不足だと思う」と強調する。

 北村氏は「第1波では60歳以上の人の重症化率は15%だったが、現状ではそれよりも低下していると指摘する専門家もいる陽性確認から重症化までの時期も、以前は1週間から10日だったのが、最近では2週間以上に遅れておりウイルスの弱毒化医療の進歩、経験値の上昇を指摘する声もみられる」という。

 それでも死者数や重症者数について「これから増える可能性がある」と北村氏。「東京都でも60歳以上の感染者は7月以降増えており、それぞれ2週間後の8月半ばまでには重症化する人が増加すると想定できる」というのだ。

 やはり懸念されるのが、高齢者の死亡・重症化リスクだという。北村氏は、「20代の健康な若者にすれば『ただの風邪』で終わることもあるが60歳以上が感染した際の症状の悪化度合いは、突如年齢が20歳高くなるようなイメージだ。『玉手箱ウイルス』といってもいいと思う」と指摘する。

 熊本県では高齢者施設でクラスター(感染者集団)が発生したほか、20~30代の若者が無症状のまま高齢者に感染させる恐れもある。地方自治体は不要不急の外出自粛なども呼びかけるが、政府は緊急事態宣言の再発令には否定的だ。

 感染対策と経済復興は両立できるのか。北村氏は「感染を抑止するには、波が来た瞬間にロックダウン(都市封鎖)するのが一番いいが、経済は疲弊してしまうので両立は難しい。マスクや手洗いだけでなく、接触確認アプリ(COCOA)の活用や検査の充実も重要だ」と述べた。
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2020年7月22日水曜日

ワルナスビ

国分寺崖線にそってある公園を東西につらぬく小川の土手が、ふたたび雑草に覆われてきた。一昨日(7/20)出かけたところ、今年の2度目の草刈作業が始まったようだ。まだ刈り取られていない雑草の中に、遠目に爽やかな白い小さな花がいくつも咲いている。近くによって見れば、茎に棘があって手繰り寄せるのに少々難儀な草だ。

次の写真のようにカメラにおさめて、帰宅してGoogle画像検索したところ、結局「ナス科植物(Solanaceae)」に至ったが、それから先に進まない。

写真の花は白色だが、淡紫色が多く見られた
そこで、ポケット版の植物図鑑「日本の山野草」を開くと、まさにぴったりなナス科植物「ワルナスビ」に出くわした。

合わせてWikipediaで「ワルナスビ」を参照すると、「たちが悪い」毒性の植物で「外来生物法により要注意外来生物に指定されている」という。家畜にとっても、子どもたちにとっても要注意な野草のようだ。

あらためて、今日(7/22)、公園にある自然観察センターに出向いて確認したところ、変な名前ですねと笑いながら「ワルナスビ」であると教えていただいた。

ところで、おどろおどろしい「要注意外来生物」に指定されているが、「2015年3月26日をもって廃止され、『生態系被害防止外来種』に変更された」そうだ。とはいえ「侵略性が高く、我が国の生態系、人の生命・身体、農林水産業に被害を及ぼす又はそのおそれのある外来種」に変わりない。

2020年7月1日水曜日

イ・ソンヒの16集アルバム届く

先日ネットで注文した、イ・ソンヒの正規アルバム16集「安否(안부)」Part 01*が届いた。配送元の説明に、彼女のポスターもプレゼントするとあったので頼んだ次第。CDは、まるでハードカバー冊子のような装丁(142×191)をしたケースにとじられている。CD+写真集といったところだ。
(*)Part01: Part02のリリースは今秋予定とのこと。

(本ブログ関連:”アルバム16集 ”)

曲目はどれも風そよぐ春、青春を感じさせる。そして、淡い色調の逆光に溶け込んだようなポートレイトを見ることができる。
配送のため小さく折り込まれたポスターは、彼女の顔に折れ目の傷をつけてしまい、色鉛筆で修正した。折り目が消えてくれればと、ポスターを広げて壁に掛けている。

全6曲、すべてイ・ソンヒが作詞・作曲した。
01.安否 안부(歌詞) ← 気遣いは通じるよう
02.椿の花 동백꽃(歌詞) ← ゴシック風の熱い情熱
03.春の日は 봄날은(歌詞) ← あれは春の日の美しい思い出
04.恋するように 연애하듯(歌詞) ← 清々しいほどの確認
05.青春 청춘(歌詞) ← 宝石のような青春、いま家庭に実る
06.浪浪18才 낭랑 18세(歌詞) ← 18歳の少女たちの弾ける思い

(参考)上記の(歌詞)は「Bugs!」掲載にリンクします。

2020年6月19日金曜日

イ・ソンヒの最新アルバム第16集「安否(안부)」

イ・ソンヒの久しぶりのアルバム16集のパート1が発表された。東亜日報の記事は、同アルバムのタイトル曲である「安否(안부)」について、新型コロナウイルス感染症(コロナ19)による厳しい世相に対してねぎらう曲作りの意図を次のように紹介している。

(本ブログ関連:”アルバム16集 ”)

東亜日報「イ・ソンヒ 6年ぶりに16集で帰還... ヒーリングソング『安否』発表」(6/15)
https://www.donga.com/news/Culture/article/all/20200615/101514545/1
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「国民の歌姫(ディーバ)」 歌手イ・ソンヒが、心打つ感性を込めたヒーリングソング(癒し曲)の「安否(안부)」で6年ぶりに帰還する。

15日午後6時、イ・ソンヒは16集「Part 01(安否 anbu)」をオンとオフラインで同時発売する。イ・ソンヒは新型コロナウイルス感染症(コロナ19)によってより大変な大韓民国国民に、世相と逆に暖かい感性とボーカルでねぎらいを手渡すことになるだろう。

去る2014年の15集「セレンディピティ」(SERENDIPITY)*以来、6年ぶりに戻ってきたイ・ソンヒは、正規16集全曲を作詞、作曲するのはもちろん、アルバム全体のストーリーまで直接プロデュースし、バラードをはじめ、様々なジャンルの6曲を披露する。特にイ・ソンヒは、今回の16集で格別な感性と深みのある解釈が刻まれた音楽を通じてミュージシャンの情熱を余すところなく届けてくれる。

(* 本ブログ関連:15集「セレンディピティ」

何よりイ・ソンヒは、今回の16集アルバムの基本を「私たちのくらしと日常の連なり」として、イ・ソンヒの過ぎた歴史と新しい音楽の連なり、イ・ソンヒの長年のファンたちと初めて接する若いファン層との連なりを強調した。特にアルバムタイトルであると同時に、タイトル曲でもある「安否」はコロナ19に変じた世相に、あなたと私、私たちのすべての安否を問いかけながら始める。誰もが困難な時期、なにごともなく過ぎ行く日々(ひび)が楽しい時間、良き日に満たされることを願うイ・ソンヒの考えを書き下ろして曲を作った。すべてのひとびとに慰めが必要な時代に、イ・ソンヒが送るささやかだが暖かい安否のメッセージが共感に満ちたヒーリング(癒し)を与えてくれることになるだろう。
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イ・ソンヒはタイトル曲「安否」を、韓国伝統の弦楽器を響かせて、ゆるやかにささやくように歌う。日常の視点で安否を互いに気遣う思いを聴かせてくれる。

(参考)16集アルバム内容(Melon)
https://www.melon.com/album/detail.htm?albumId=10444668

(参考)タイトル曲「安否(안부)」歌詞
https://nesialyrics.blogspot.com/2020/06/feat_15.html


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メーキングビデオ

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(**)フックエンターテインメントと関係あるか

2020年6月14日日曜日

(資料)都会に棲む「キツネ」の「自己家畜化」現象

ビジネスインサイダーの記事に、都会(ロンドン)に棲む「キツネ」が「自己家畜化」現象を起こしていると次のように紹介している。(抜粋)
新たな研究により、都会のキツネは田舎のキツネよりも、鼻が太くて短く、頭蓋骨が小さいことが明らかになった。
・このような変化は、他の野生動物が家畜化する過程で生じた変化と似ている。
・これらのキツネは都会の環境や人間との接触に合わせて「自己家畜化」しているのだろうと、研究者らは考えている。

「都会のキツネの頭が小さくなった…イヌやネコが家畜化したときと同じように」(Holly Secon、6/11:翻訳:仲田文子)
(https://www.businessinsider.jp/post-214241)
(原文 https://www.businessinsider.com/city-foxes-have-smaller-skulls-similar-to-dog-domestication-2020-6)

(本ブログ関連:”キツネと家畜化”、”キツネ ”)

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都会に住むキツネは、田舎に住むキツネと比べて明らかに違う特徴があることが、新たな研究でわかった。

6月3日、グラスゴー大学の研究者らがイギリス王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B:生物学関連)に発表した論文*により、ロンドンのキツネの鼻は田舎のキツネよりも、太くて短いことが示された。さらに、都会のキツネは、頭蓋骨の脳を収める部分が小さく、オスとメスの体格に極端な差は見られなかった

(*) https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspb.2020.0763

このような変化は、これまでにも見られたことがある。イヌやネコが2万年から4万年前に家畜化されたときと似ているのだ。研究の結果、都会のキツネは人間活動との接触が増えたことで、「自己家畜化(self-domesticating)」している可能性があることが分かった。

ダーウィンの「家畜化症候群」

研究では、ロンドンと周辺の田園地帯からアカギツネのメス57体、オス54体分の頭蓋骨を採集し、分析した。

ロンドンのキツネは明らかに、短く太い鼻で、頭蓋骨の脳を収める部分が小さい。これは、都会で食べ物を探すことに適応したものだと研究者らは考えた。都会のキツネはほとんどが人間の残飯をあさっているため、骨をかみ砕く強力な咀嚼力は必要としないといった理由からだ一方、田舎のキツネは、獲物に素早くかみつくことができる顎が必要だ

このようなアカギツネに見られる都会への適応は、これまでにも人間との接触が多い動物の間で観察されてきたという。チャールズ・ダーウィンは、これを「家畜化症候群(domestication syndrome)」と名付けた

家畜化は、動物のさまざまな種に対し、同じような変化をもたらす。従順な態度毛の色の変化脳や歯のサイズの小型化幼少期の行動の長期化頭蓋骨が短くなるといった頭蓋顔面の変化などだ」と研究者は論文に記している。

このような変化は、ヤマネコなどの野生のネコとペットのイエネコオオカミとイヌの違いとして観察できる。

シベリアで現在も続いている実験でも、同じような変化が見られたこの実験では1959年からロシアの研究者が、攻撃性の低い個体を交配することで、イヌのように従順なギンギツネを作り出そうとしてきた実験の進行とともに、ギンギツネは攻撃的な行動が減少し、鼻は短く、太くなり耳は垂れ下がりイヌが吠えるような声を出すようになった

これらの類似点が示唆するのは、場所が違ったとしても、キツネは人間との接触によって同じような影響を受けるということだ。イヌにもそれが当てはまるという動物学者もいる。イヌはこれまでの歴史で、さまざまな文化圏において何度も家畜化されてきた。

だが別の説では人間が積極的にイヌを家畜化したわけではなく、イヌが自らを人懐っこいオオカミとして家畜化し、古代の人間と互いに有益な関係を築いたとしている

ロンドンのキツネも、このような「自己家畜化」のプロセスをたどり、人間の生活環境の中でよりよく暮らすために進化しているようだ都会のキツネが交配する集団は小さく孤立しているので、都会生活により適応した個体の方が、生き残り、繁殖する可能性が高まる。そうして進化のプロセスが比較的早く進むことになる。
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以下「都会のキツネのメスが、適応のカギを握る」といった、メスの行動(適応)から家畜化が進むといった仮説を紹介しているが省略する。

(追記)Wikipedia「Domesticated red fox」によると
シベリアでのキツネの家畜化実験の開始(1959年)に使われた個体群が、実はカナダで1800年代後半から捕らえられ、目的を持って飼育されていた(家畜化した)ものだったというレポートが「Cell Press」の次の記事にある。
(https://www.cell.com/trends/ecology-evolution/fulltext/S0169-5347(19)30302-7?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0169534719303027%3Fshowall%3Dtrue)

(追記)キツネの家畜化についての紹介番組(NHK「 オオカミはこうしてイヌになった」、2011年)
シベリアの家畜化実験場を訪れた生物学者の福岡伸一氏と本テーマの研究者リュドミラ・トルート氏との対談を通じて、「エピジェネティクス」へと展開する。
https://www.veoh.com/watch/v21231383XnzrX38D

2020年5月26日火曜日

イ・ソンヒの離婚

歌手イ・ソンヒが協議離婚(협의 이혼)をしたようだ。東亜日報の記事「イ・ソンヒ、再婚14年ぶりに破局... 今年の初め協議離婚」(5/26)は、次のように報じている。なお、彼女は、6月に新しいアルバム(16集)をリリースするとのこと。

(本ブログ関連:”(資料)イ・ソンヒが再婚した夫”、”イ・ソンヒの娘”)

「이선희, 재혼 14년만에 파경…올 초 협의이혼」(5/26)
https://www.donga.com/news/Entertainment/article/all/20200526/101227533/1
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가수 이선희(56)가 이혼했다.

26일 소속사 후크엔터테인먼트* 관계자는 뉴스1**에 “이선희가 올해 초 협의 이혼을 했다”고 조심스레 밝혔다.

이어 “이선희는 현재 오는 6월 발매 예정인 새 앨범*** 작업에 집중하고 있다”고 이선희의 근황을 전했다.

이선희는 1992년 첫 번째 결혼을 했으나 6년 만에 이혼했다. 이후 2006년 9세 연상의 정모씨와 재혼한 그는 14년 만에 파경을 맞았다.
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(*)후크엔터테인먼트: Hook Entertainment企業情報:by JOBKOREA)
(**)뉴스1: News1
(***)MelOn音楽配信サービス: 6/15配信予定とのこと。なお、今秋にパート2が計画されているようだ。

スターニュースによれば、離婚理由は「性格の不一致(성격 차이)」だが、夫婦の長期間別居が続いた結果のうえのことのようだ。(5/26)
https://star.mt.co.kr/stview.php?no=2020052620011751566&MTI

2020年1月23日木曜日

2019-nCoV(新型コロナウィルス)

中国の交通の要衝都市である「武漢市」で発生した新型コロナウィルス(Novel Coronavirus : 2019-nCoV)は、中国国内はもとより海外諸都市へ拡大しつつある。

東京でも注意が必要。私は用心して,外出時にマスクを欠かさないようにしている。それに、自宅にアルコール成分のある消毒スプレーも置いている。(さらに、二酸化塩素の据え置き薬も)

日本の国立感染研究所(NIID)は、「中国湖北省武漢市で報告されている新型コロナウイルス関連肺炎に対する対応と院内感染対策」*の情報を次々更新している。
(*)https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov.html
当初の報告に、「2019年12月12日から12月29日までに原因不明の肺炎患者の発が確認されている」と記されている。

ブルームバーグの記事「新型肺炎、WHO『緊急事態』判断保留-武漢市は出発便運航停止」**(1/23)によれば、武漢市の住民の移動が禁止される事態になったと次のように報じている。(抜粋)
(**) https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-01-23/Q4JJHU6S972901
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世界保健機関(WHO)は22日少なくとも17人の死者を出している新型コロナウイルスの感染拡大について、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に該当するかどうかの判断を先送りしたことを明らかにした。一方、感染拡大の封じ込めを目指す中国当局は新型ウイルスの発生地湖北省武漢市の住民1100万人が市外に移動するのを原則禁止した
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(追記)ブルームバーグの追加記事
中国の新型コロナウイルス、発熱せず死亡も-水際での阻止困難」⁺(1/23)(抜粋)
(✙)https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-01-23/Q4JV70DWX2PT01
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・中国で広がる新型コロナウイルスに感染し死亡した患者の中には、発熱の症状を示さなかった人がいる発熱検知装置を使って感染者の入国を水際で阻止しようとする各国当局の取り組みが難しくなりそうだ
・中国国家衛生健康委員会の発表によると、死亡した17人のうち5人は呼吸困難や胸の圧迫感、咳など発熱以外の症状だった。
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(雑談)「コロナ」について
このウィルス名にある「コロナ(Corona)」は「冠」を意味しており、ウィルスの膜構造を多数の突起物(コロナ)が覆っていることから付けられたようだ。
Corona」の語源は、wikitionaryに次のように関連付けられている。
    ギリシア語 κορώνη(korōnē)⇒ ラテン語 corōna ⇒ 英語 corona
ところで、太陽の周囲に光るコロナと比べて、太陽表層からコロナを突出して輝く「紅炎(プロミネンス)」は圧倒的な迫力がある。

トヨタの乗用車の「コロナ」も懐かしい。特に、2代目 T20/30型(1960年~1964年)の優美なデザインは抜きんでていた。Wikipediaに次の解説がある。
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ダットサンセダン打倒を目指して開発された本格的な小型乗用車であった。当時のオペル・レコルトを彷彿とさせるデザインは当時の日本車の水準を越えた流麗もので、当時増加傾向にあった女性ドライバーには特に好評であった
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なるほどそうだったのか。しかし「オペル・レコルト」といわれても、当時外車について知るわけもなかった。


(追記 6/9新型コロナウイルス感染が、2019年秋に起きていた可能性
時事通信の記事「武漢のコロナ感染、昨年秋に発生か ハーバード大教授が分析 ― 米TV」(2020年06月09日18時56分)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060900803&g=int
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 【ニューヨーク時事】米ABCテレビは8日、ハーバード大の調査報告に基づき、中国湖北省武漢市での新型コロナウイルス感染が、2019年秋(++)に起きていた可能性があると報じた

 調査を主導した同大医学部のジョン・ブラウンスタイン教授によると、武漢の主要病院の衛星写真を分析した結果、19年9月から10月にかけて駐車場の車の数が18年の同時期と比較して大幅に増えていた。さらに、病院を訪れる人が急増した時期には、インターネット検索で、新型コロナ感染の症状でもあるせき下痢について調べる人が増えていたという。
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(++上記「秋」に対して、CNNは「昨夏にすでに感染拡大か」と報じている。
CNNの記事「武漢市の新型コロナ、昨夏にすでに感染拡大か 米研究」(2020.06.09 16:44 JST)
https://www.cnn.co.jp/fringe/35155017.html

2020年1月22日水曜日

(雑談)ISSのキューポラ

ISS(国際宇宙ステーション)に取り付けられた、外部を見る出窓(観測用モジュール)を「キューポラ」という。キューポラの語源は、建物の頂上部にある半球形の構造物だそうで、確かにISSの観測窓の形状はうなづける。

(本ブログ関連:”キューポラ”、”ISS”)

キューポラは、ステーション外での作業状況だけでなく、地球の様子も観察できる。キューポラを通して視察するとき、ロボットアームの動きを見上げるというのか、地上の状況を見下ろすというのか気になる。

ISS環境は無重力状態なわけで、搭乗員にとって上下がない。見上げるのも見下ろすのも関係ないだろうけれど、ステーション内の装置類は一定のルールで配置されており、床と天井にあたる構造になっているように見えるのだが・・・どうだろうか。

ところで、ISSの視察窓がキューポラという名を聞いたとき、昔の映画の舞台になった埼玉県の鋳物工場にある溶銑(ようせん)炉/鍋が浮かんだものの、イメージが結びつかなかった。
溶銑炉/鍋は、底部が半球状になっているようだ。溶銑を外に流し出すとき、炉を逆さまにするわけで、炉の半球形の底部は上部側に転じる。まさにそのとき上部側に半球形の構造物が登場することになる・・・どうだろうか。

2020年1月21日火曜日

(雑談)植物と動物

先日(1/19)の日曜日に、「タネの驚くべき戦略」(柴田規夫氏)という市民向け講演会があった。最初に講師から参加者に <植物と動物の違い> をたずねられた。

同じ生命の起源から出発して、動物は動き廻るようになったが、植物は動かない形で進化した。そんな移動できない植物は、子孫を残すのに不利ではないか・・・という点に着目したのが講演テーマ「タネの驚くべき戦略 - タネをどのとうにして遠くへ運ばせるか」だ。

植物はタネを運ぶのに、さまざまな自然環境(風、水、動物・昆虫への付着など)を利用する。そのため、タネ自身の形態をさまざまに変化させることになる。多数の標本をもとに紹介いただいた。

ところで、昨日(1/20)の月曜日に、市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」に通う途中の書店に寄ったところ、植物関連の面白い書籍を見つけて求めた。「植物はなぜ薬を作るのか」(斉藤和季、文春新書)に植物ならではの話題が盛りだくさんあったからだ。

動物は、食物を摂取して化学的に細分化する過程で、エネルギーを獲得する(異化代謝)。一方、植物は、その逆の形で、H2OやCO2を光エネルギーを利用して光合成することで有機物を作る(同化代謝)。植物は、生命進化の中で圧倒的に長く生き延びている。読みながら、植物に比べて動物は、逆の生き方をしているだけのもろい存在なのかもしれないと思ったりした。

また、植物は生存戦略として、病原菌や植物同士との戦いなどのため、あるいは動物や昆虫を利用・誘惑して花粉やタネを運ばせるなどのため、体内にさまざまな化学物質を作り出しているようだ。

2020年1月20日月曜日

ユダヤの歴史を学ぶ(第2部)-11、 大寒 2020

きょうは、二十四節季の「大寒(だいかん)」。以前のブログ(1/6)に、大寒よりも「小寒」の方が寒さが厳しいといわれると記した。しかし、東京都心の最高気温の「平年値」を見ると、今年の小寒にあたる1/6は 9.9大寒にあたる1/20は 9.3で、大寒にあたる1/20の方が低い(9.9>9.3)ことになる。まったく逆の話だった。
(怪しい情報をブログに記載してしまったこと訂正します)

そこで、今月の都心の最高気温「実測値」を比較してみると、小寒にあたる1/6(13:10、10分目盛観測より)は 11.7℃大寒にあたる1/20は 14.1℃(12:57)となり、大寒のきょうの方が温かい結果になった・・・今月,たまたま以前のブログに書いた通りになっただけのようだ。

(本ブログ関連:”大寒”)

ところで、久しぶりに市民講座「ユダヤの歴史を学ぶ」へ出かけた。昨年末(12/23)の第10回を欠席したため、正月休講を含めて5週間振りの聴講になる。

(本ブログ関連:”ユダヤの歴史を学ぶ”)

この講座の昨年前期と後期を合わせて構想された東京大学名誉教授の市川裕氏より「21世紀の世界でユダヤ人とイスラエル国家はどう生きるのか(総まとめ)」の話があった。関心・興味のあった話題にポイントを絞って次に記す。

・ユダヤ人は、1948年5月にイスラエルを建国したことにより、それ以前の「領土を持たず、宗教的紐帯によってのみ統合がなされ、世界中にその民族が点在しているような社会集団」(A.J.トインビーの「ユダヤ・モデル」)から、近代国民国家としての市民となる。

・ユダヤ人は、イスラエル国家が成立することで、トインビーのユダヤ・モデルとは違った存在、Majorityの立場となる。2018年7月の「基本法ーユダヤ民族国家法」でそれが明確になる。国内のMinorityの存在を認めるが、決定するのはユダヤ人であるという立場をとる。

・その他(省略)

(感想)
国家を持った現代のユダヤ人と持てなかった以前のユダヤ人が果たして同じに連続するのか。ユダヤ民族の過去史だけで正当性を維持できるのか難しい問題だ。そして誰もが、日常でさえ、MajorityとMinorityの立場を繰り返して生きている。
私のもっぱらの関心は、古き良き時代のポーランドあったという「おばか村ヘルム」のひとびとのことだけなのだから。

(本ブログ関連:”ヘルム”)

2020年1月19日日曜日

Int-ballはケロロ軍曹にも似ている

ISS(国際宇宙ステーション)の「きぼう」実験棟内を<電動ファン>による浮遊(自律的な位置制御)している球体ドローン「Int-ball」を見てまず気付くのは,その愛らしさからテレビCMなどでお馴染みのロボット「Robi」だ。

(本ブログ関連:”Int-ball”)

実際に浮遊している Int-Ballの大きな黒い瞳や動作から、テレビアニメの「ケロロ軍曹」までも思い出してしまう。

本来、侵略を目的にやってきた宇宙人ケロロ軍曹は、やることなすこと全てピント外れで(本人の意思と違って)思わぬ展開になる。悪だくみは成就せず、結果的に地球の子どもたちと妙な友好関係になってしまうのだから。

Jaxa(宇宙航空研究開発機構)は、「Int-Ballだより」*をVol7まで発行している。
(*) http://iss.jaxa.jp/kiboexp/news/171214_int_ball.html



(Youtubeに登録のJaxaに感謝)

Int-ballは、実際は「超小型三軸姿勢制御」**の機構を持っている。<小型かつ軽量の人工衛星の実現>につながる技術だそうだが、素人目には表面的な擬人化されたデザイン(表情)に行ってしまいがちだ。
(**) http://www.kenkai.jaxa.jp/research/innovation/triaxial.html

2020年1月18日土曜日

2020年最初の庚申

「陰陽五行」の5種と「干支(えと)」の12種の組み合わせは60通りとなり、一年の中でそれぞれ6回巡ってくる。今年の「庚」と「申」の組み合わせ「庚申」の日は次の通りで、きょうが最初の日になる。

(本ブログ関連:”庚申”)

1月18日(土)
3月18日(水)
5月17日(日)
7月16日(木)
9月14日(月)
11月13日(金)

今晩、寝ている間に、人の体に棲む「三尸(さんし)の虫」が、「天帝」または「閻魔大王」に、日頃の行ないを報告する「庚申信仰」がある。昔のひとは、三尸の告げ口を防ぐため、一晩中酔い明かす宴を催したという。

人は体の中に虫を飼っているようで、「腹の虫がおさまらない」、「虫が好かない」、「虫がよすぎる」といった拒絶的な心を代弁させるようだ。そんな虫なので、たちが悪そう。

「聊斎志異」(浦松齢作、立間祥介編訳、岩波文庫)の「五五 酒の精 - 酒虫(しゅちゅう)」にも、赤い虫が登場する。長山県(山東省鄒平(すうへい))の劉なにがしが経験した次のような話だ。(抜粋)
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多くの田畑を持った素封家で大酒飲みの劉は、たまたま異人の僧と出会い、何かおかしなところはないかとたずねられる。
いくら飲んでも酔わないと応えたところ、それは「酒虫」のせいと指摘される。
僧は虫を吐き出さすため、劉を俯(うつぶ)せに寝かせて手足を縛りつけ、顔の先三尺ばかりにうまい酒を入れた椀を置いた。喉が渇いて苦しむ劉の口から、ついに長さ三寸ばかりの赤い「酒虫」が飛び出した。
劉は、感謝とともに礼金を出そうとしたが、僧はむしろ「酒虫」を貰い受けるだけだった。
僧は「これは酒の精で、これを水を入れた甕(かめ)に入れてかき回せば、うまい酒になるのです」といった。試してみると、その通りだった。
以来、劉は酒を敵のように憎むようになったが、そのうち次第に痩せ細り、家も日毎に貧しくなって、三度の飯にも事欠くようになった。
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芥川龍之介の短編にこれを題材にした「酒虫」(青空文庫*)がある。物語の終わりに、「酒虫」が主人公の劉にとって一体何だったのか自問する。福だったのか、病だったのか、それとも劉そのものだったのではないかと。
(*) https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/161_15133.html

虫が、否定的な存在としての「病」だけでなく、素封家につながる「福」という考え方を示しているが、さらに近代風に自分自身というとらえ方もしている。

私は、原典の聊斎志異の世界に棲む異形(いぎょう)なものといった感しか思いおよばないのだが。

2020年1月17日金曜日

地質時代「チバニアン」正式決定

おめでとうございます。地質時代名の中期更新世に、日本発の「チバニアン(Chibanian、千葉時代)」が国際標準地として国際地質科学連合で正式に決定された。チバニアンの名称の申請・審査を初めて聞いたのが、2017年11月のこと。以来正式決定するまでに随分と時間がかかった。中期更新世の名称決定にイタリアとの競争があったそうだが、日本の研究者による高い精度の研究により決まったようだ。

(本ブログ関連:”チバニアン”)

国立極地研究所などによる、研究成果報の「地層『千葉セクション』のIUGS(国際地質科学連合)における審査結果について」*(1/17)は、チバニアンの名称決定について次のように伝えている(分かりやすい年代表がある)。(抜粋)
(*)研究成果: https://www.nipr.ac.jp/info/notice/20200117.html
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・千葉県市原市の地層「千葉セクション」を、国際境界模式層断面とポイント(GSSP)とする申請が、最終ステップであるIUGS(国際地質科学連合)の審査を通過した。
・結果、千葉セクションはGSSPとなり、約77万4千年前〜約12万9千年前の地質時代の名称が「チバニアン」と名付けられることとなった。
・千葉セクションは、日本の研究チームが2017年6月に地質時代の前期‐中期更新世境界のGSSPに申請し、同年11月に第1ステップの審査、続いて2018年11月に第2ステップの審査、2019年11月に第3ステップの審査を通過していたものである。

これまで、日本にGSSPはありませんでした。本日、千葉セクションが日本初のGSSPとして認定されたことにより、日本の地名に由来した地質時代の名称が誕生しました。これは、地質学だけでなく、日本の科学史においても大きな出来事になります。また、地質学の一般への普及や小・中・高校生などへの教育においても大きな波及効果が期待されます
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今回の新聞報道などで忘れられているが、当時老いの一徹のような日本人研究者が口をはさんだりした(いつの時代も或る信条の持ち主が現れる)が・・・混乱もなく無事決定されてよかった。

また、日本経済新聞の記事「地球史の地質時代名に『チバニアン』 国際学会が決定」**(1/17)に、追加情報として次のような解説がある。(抜粋)
(**)記事: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54509170X10C20A1I00000/
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これまで77万4000年前から12万9000年前の地質時代は、暫定的に「中期更新世」と呼んでいた。今後、国際学会である国際地質科学連合が世界に周知し、「千葉時代」を意味する「チバニアン」が教科書や研究論文で使う正式名称になる

・地球の歴史は、隕石(いんせき)の衝突や寒冷化などの節目ごとに117の時代に分けている。これらを地質時代と呼び、名前がついていないのは10程度を残すだけとされていた。

チバニアンの時代は、現代人と同じ人類「ホモ・サピエンス」が生まれた時期とも重なる。国内外の多くの研究者が千葉に注目すれば、千葉を舞台とした気候学や地質学などの研究が盛んになる。国内における研究も発展し、次世代の研究者の育成にもつながると期待される。
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2020年1月16日木曜日

藪入り

きのう(1/15)まで伝統的な意味で「松の内」だった。その翌日(1/16)を「奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日」(Wikipedia)の「藪入り(やぶいり)」と呼んだ。

今の時代、住み込みの「奉公人」という考え方は消えて、「丁稚」や「女中」といった名称も死語である。ただし、物語の世界には登場して知られており、「藪入り」といったタイトルの落語もある(人情噺として寄席で聞く分には浸れるかもしれない)。

以前、テレビのドキュメンタリーで知ったのだが、義務教育を終えたばかりの若者たちを住み込みで採用する老舗の料理屋があった。まさに徒弟制度のなかで料理人としての技を磨いていくのだ。とはいえ子ども気分が抜けぬ気弱いものから一人抜け、二人抜けしていく。結局、何のために働いているかを自覚した者だけが残ることになる。そんな彼らの特徴は、目線がしっかりして言葉が慎重である。決して愛想笑いすることはない(同年代だったころの自分とくらべて、彼らの賢さに感嘆するばかりだ)。

一緒に奉公人となった友が体を病んで田舎に帰ったことを気にしながら働き、ようやく念願の藪入りの前夜に(回想を含めて)散髪する場面を描いた小編、牧野信一(1896年:明治29年~1936年:昭和11年)の「やぶ入の前夜」(青空文庫*)がある。
(*) https://www.aozora.gr.jp/cards/000183/files/52878_42541.html
時代の断片を描いた優しい目線といってよいかもしれない。あるいは自然主義的な善意の観察といった感も否めない。けれど、そんな物語の世界を多くの庶民がたどったに違いない。自分たちの家系をさかのぼれば、いずれかの時代、いずれかの場所で経験していたかもしれない。そう思うと、読みながら原体験を知ったような温かい感情が湧いてくるものだ。