親の、多分、母親の言葉を覚えて、幼児は自分の声(言葉)を発することができる、といえば当り前だが、そのとき母音について、最初に聞いた母音の種類だけ記憶する。いいかえると、それ以外の母音は排除される。母国語はそうやって固定するのだろうが、後に他国の言葉に馴染もうとすると、母国語以外の母音や子音が出てくるので、習得が大変だ。これも当り前のこと。
味覚もそうだ。子どもの頃に食べた風味、食感は忘れられない。文化によって、食習慣に齟齬が発生した場合、ヤッカイな問題が発生する。
雪に多数*の単語を持つイヌイット語、雨に複数の言い回しがある日本語。自然と触れ合う生活の中でこそ意味がある。生活環境が変われば、言葉の持つ実感が、そのまま伝わっていくのか気になる。
(*) 多数ではないという話しもあるけれど・・・すっきりした専門家の解説が欲しいものです。
音はどうだろう。例えば、風の音にどれくらい名前が付いているか知らない。風について、単独で考えるようになったのは、もしかしたら天気予報のせいかな。
音楽についていうと、イ・ソンヒの「Jへ」を聞いたとき、以前に最初に聞いた他の歌手のカバーと比べて、美しさ(透明感、共鳴感)が明らかに違っていた。この場合、最初に聞いたものが最も良い(曲のイメージが決まってしまう)とは限らない例だ。