始めに、仏教遺跡の仏国寺と石窟庵にまつわる、大城(대성)の逸話の紹介から次のように始まった。
・新羅時代(503年~935年)、牟梁(모량)里(리:村)に大城という男の子がいた。貧しい家に生まれた大城は、僧侶の教えを聞き幸せを祈り布施するため、母を説得して唯一の畑を処分した。しかし、幸せに成るどころか、やがて命を落とす。同じ頃、隣村の金文亮(김문량)の家に一人の赤坊が生まれた時、空から「牟梁里の大城という子をこの家に任せる」という声が聞こえた。生まれた赤坊の手には「大城」の文字があった。(亡くなった)大城の母親と一緒にこの赤坊を育てた。
・(生まれ変わりの)大城は、現世の親のために仏国寺を、前世の親のために石窟庵を立てた。
▼ 「赤い花、赤い心(붉은 꽃 붉은 마음)」を聴く。児童合唱、曲調は童謡・・・今様である。
・新羅の頃、仏国寺と石窟庵が位置する吐含山が神聖視された。大きく毀損されず美しい姿を今も保っている。仏国寺の、無影塔とも呼ばれる釈迦塔(석가탑)と、美しい飾りが特徴の多宝塔が有名。
▼ 創作曲「無影塔」の4楽章の演奏を聴く。重々しくコムンゴの弦が響く・・・今様である。
最後に、インドの仏教遺跡の石窟との関わりと違いについて次のように触れられた。
・岩をくりぬいたり、壁面に刻み出したりした(大規模な)石窟に、インドのアジャンター(紀元前1C~紀元後2C、5C後半から6C頃)やエローラ石窟(5C~7C)があって、中国を経て伝わった。仏国寺と石窟庵の場合、花崗岩を利用して人工的に洞窟を作ったのが大きな違いだ。
▼ 創作曲「沈香舞(침향무)」をカヤグム演奏で聴く。伝統の香りして、飾り気のない音色にしばし耳を傾ける。