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2020年1月16日木曜日

藪入り

きのう(1/15)まで伝統的な意味で「松の内」だった。その翌日(1/16)を「奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日」(Wikipedia)の「藪入り(やぶいり)」と呼んだ。

今の時代、住み込みの「奉公人」という考え方は消えて、「丁稚」や「女中」といった名称も死語である。ただし、物語の世界には登場して知られており、「藪入り」といったタイトルの落語もある(人情噺として寄席で聞く分には浸れるかもしれない)。

以前、テレビのドキュメンタリーで知ったのだが、義務教育を終えたばかりの若者たちを住み込みで採用する老舗の料理屋があった。まさに徒弟制度のなかで料理人としての技を磨いていくのだ。とはいえ子ども気分が抜けぬ気弱いものから一人抜け、二人抜けしていく。結局、何のために働いているかを自覚した者だけが残ることになる。そんな彼らの特徴は、目線がしっかりして言葉が慎重である。決して愛想笑いすることはない(同年代だったころの自分とくらべて、彼らの賢さに感嘆するばかりだ)。

一緒に奉公人となった友が体を病んで田舎に帰ったことを気にしながら働き、ようやく念願の藪入りの前夜に(回想を含めて)散髪する場面を描いた小編、牧野信一(1896年:明治29年~1936年:昭和11年)の「やぶ入の前夜」(青空文庫*)がある。
(*) https://www.aozora.gr.jp/cards/000183/files/52878_42541.html
時代の断片を描いた優しい目線といってよいかもしれない。あるいは自然主義的な善意の観察といった感も否めない。けれど、そんな物語の世界を多くの庶民がたどったに違いない。自分たちの家系をさかのぼれば、いずれかの時代、いずれかの場所で経験していたかもしれない。そう思うと、読みながら原体験を知ったような温かい感情が湧いてくるものだ。