だいぶ以前のテレビで、ラーメン屋の主人が新弟子に、厳しく叱りつけながら料理修行させる(ドキュメント風)番組があった。どこまで本気なのかと思いながら見たわけだが。今ならパワハラ確定で、制作されることはないだろうけど。
昔は「技(わざ)を盗む」といった親方や兄弟子の後ろ姿を見て学ぶ、伝統的な徒弟制度があった。ところが上記の場合、テレビ番組の娯楽性から、自発的に学ぶといったスタイルと違い、厳しく仕込むという映像の面白さを狙ったのかもしれない。それは常軌を逸したものだったが。
あるとき、都下の街でコンサートがあって観賞に出かけた。開演前の少しの時間、駅前のラーメン店に入ったとき、店内の様子が変なのに気づいた。当時流行っていた、主人がスパルタ式教育を曲解した叱咤が、店の奥から聞こえてきたからだ。鼻白むというのはまさにこのことで、調子に乗り過ぎじゃないか、勘違いも甚だしいと思った。
ところで、子どもはほめられてこそ成長する。誰もが、子どものとき経験し、大人になって再確認・納得する。大人になっての教育の場合、ただほめとおすのは難しい。言いたくても細かくいわないのが、大人(社会人)のルールだからだ・・・仕事の段取り(ステップ)ごとの成果を注視し、評価するしかない。ダメなら諦めるだけなのだから。冷たくいえば替わりはいくらもいる。
実は、大人になって、ほめられるオンリーの緩い経験をしたことがある。
ある語学教室に通ったときのこと、珍しい言語習得のせいもあり、日ごろお付き合いすることもない才人たちが集まった。講師の方の気風から、終始和気あいあい、和やかな雰囲気で進められた。最大の特徴は、ほめて・ほめて・ほめちぎることだった。
多分、他の受講者は言語能力に余力があってだろう、会話が自然に弾んだのもうなづける。そんな中でいい気分にさせていただいたわけで、入門過程を無事終れたのは幸いだった。
もう一ついえば、語学習得に向いている人がいることだ。研究者*とは別の才能かも知れないが、とても前向きで会話がはずむ方だ。そんな若者を見て羨(うらや)ましいと思った。
いい環境が人を前向きにし、講師の方がそれを後押しする、そんな素晴らしいサイクルができあがる。
(*)研究者の方は特別で、言語マニアとは違った観点で、理知的に構築する雰囲気がした。