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2017年4月9日日曜日

(雑談)うどん

最近、うどんに凝っている。少し前に、病院へ行くほどでもない胃を痛めて以来のこと。スーパーの太めの生うどんをゆでるだけ。汁は作るのが面倒なので、うどんスープの粉末を使用している。

① うどんをゆでる
・うどんを沸騰した鍋に入れ、うどんが膨らむくらいなるよう、湯が泡立つまでゆでる。
・箸で、鍋の湯の中のうどんを素早く何度もかき回す。次に湯を捨て、冷たい水道水を鍋に加えて、またかき回すこと更に2回。うどんのぬめりを徹底的に取るのがポイント。

② うどんスープの粉末と一緒にゆでる
・食べるのに適量な湯と、①のうどん、およびうどんスープの粉末を一緒に鍋に戻す。
・軽く沸騰したらどんぶりにうつして食べる。沸騰させることで粉末スープの味がまるく広がる。

スーパーの生うどんも馬鹿にならない、食感がつるりとしてうまいのだ。我ながら感心しているが、もしかしたら、誰もがやっている当り前のことかな?

2024年10月9日水曜日

うどんが美味い季節になった(時うどん)

急な冷え込みにおどろいて*、体を温めようと熱い「うどん」を食った。それも変則な食い方だが、ホワイトシチューと一緒にして。とろみがあると、いっそう暖かくなる(気がする)。
(*)ブログを遡ってみると、10月中旬ころからストーブを点け付け始めている。

うどんも蕎麦も、本来アッサリ食うのがよい。立ち食いそば屋は、男たちのオアシスであり通過点である。長居するところではない。江戸時代、握り寿司も屋台に発しており、数個食らってさっと立ち去るのが粋だった。

ところで、江戸落語に「時そば」があり、二八そばの屋台で勘定のとき、時刻を絡ませて支払いを誤魔化す場面を見た男が、それを真似したところ時刻のせいで逆に損をするオチがある。上方落語の「時うどん」に同様の展開があって**、それを元に(移植)したという。
(**)「時うどん」の場合、最初、一杯のうどんの支払いを二人がズルすることから始まる・・・。

そこで、Youtubeで、笑福亭鶴志の「時うどん」の演目を見た。長いうどんをゆっくり高く持ち上げて食う場面がある。一方、蕎麦の場合だと、掻(か)き込むという表現があってズルズルと音を立てる。面白いのは、最初の支払いで見せるズルさのとらえ方(場面)だろう。上方は共犯関係にあり、江戸は単独犯である(Wikpediaでも触れられているが)。何となく人間関係の土地柄、歴史を感じさせる(気がする)。

■ Youtube : 笑福亭鶴志の「時うどん」(登録:223 yuukaa)
https://www.youtube.com/watch?v=xBsWbG7xtL0


(追記)
Youtubeに、江戸の独身男性の日常生活を紹介した動画が登録されている。
昔、武蔵野の新田開発にかかわる話を聞いたとき、水利の悪い台地では、基本的に農家はそうだが、二男以下を家に抱える余力はなく、家を出さざる得なかった(優秀なら裕福な他家へ養子も、そうでなければ労働力として江戸市中に出る)。もし家に留まるなら、家付きとして一生独身で過ごすことになる。
また、武蔵野の台地で生産する主食は麦であり、食事は麦飯中心(ハレの日にうどん)だったという。
・・・そんな時代だった。

■ Youtube 「江戸図鑑」(登録:江戸図鑑)
・「江戸時代には生涯独身者が多かったのはなぜか? そこには知られざる悲しい真実が隠されていた!」(2024年10月9日)
https://www.youtube.com/watch?v=dRn6ZhyMnFc

・「江戸時代の百姓の生活【まとめ】衣食住から仕事の流儀までわかりやすく解説」(2023年)
https://www.youtube.com/watch?v=rWnK8c21W18

2025年7月9日水曜日

冷やしうどん

先日、テレビの料理番組を見ていたら、料理家が「冷やしうどん」の作り方を説明していた。「<冷凍うどん> を水道水にさらして、柔らかくなったものを使う」といっていた。もともと冷たいものを使えばよいという、天の声を聞いた気がした。

なるほどと合点して、スーパーで購入した冷凍うどんを使い、さっそく調理してみた。

しろうとの自己流調理?なので、実にシンプル。
① 冷凍うどんをドンブリに入れて、柔らかくなるまで水道水にさらす。(冷たさを残す!)
    ー 柔らかくなったら、適当に水切りする・・・水分が少々残ってもよい。
② 冷えたうどんの上に、次のもの(冷凍庫・冷蔵室で冷やしておいたもの)をかける・置く。
    ・そばつゆ:(適当)
    ・冷凍ねぎ:(適当)
    ・チューブしょうが: たっぶり(適当)
    ・パック入りもずく: 1パック
③ よくかき混ぜて、冷たいうちに食べる。

冷凍うどんは、水道水でさらしても意外と腰がある。ヒンヤリ冷たいので、あっという間に食ってしまう。レモン風味など工夫の余地がありそう。
ネットで「冷やしうどん」を検索すると、いろいろなトッピング(具材)が紹介されているが、手っ取り早いのは今回のレシピだろう!

2024年7月2日火曜日

うどん

きょうは、香川県の製麺事業協同組合が定めた「うどんの日」(1980年:昭和55年)という。「うどん」は、スーパーなどで買ってん、めんを自宅でゆでて食するだけでなく、駅前や駅中の立ち喰い「そば・うどん屋」、チェーン店の「うどん屋」で気軽に食べられる・・・おじさんを超えた国民食である。海外の映画で、場面作りに「うどん食」があるので、世界食になるのもそんなに遠くないかもしれない。

(本ブログ関連:”うどん”)

映画「ブレードランナー」の屋台(サイバーパンクのある意味象徴的な場面)
(Youtubeに登録の 佐藤大輔 氏に感謝)

(本ブログ関連:”ブレードランナー”)

以前、地元の市民講座で、江戸時代の「武蔵野新田」の主要な作物は、段丘上の乾燥した農地ゆえ「麦作」*と聞いた。「水田」は、武蔵野段丘の下側、国分寺崖線から浸み出る湧水を利用できる一部の地しかなかったという。
(*)https://kodaira-tourism.com/tamarokuto/18820/

(本ブログ関連:”小金井の新田開発”)

それを聞いて、ならば日常は「うどん」を食していたのだろうと勝手に想像した。講演の後、講師の方に確認したところ、「うどん」は「ハレ」のときに食べるものであると教えられた。その後、当時の日常は「石臼で大麦をこまかく砕いたひき割り麦や、押し麦にウルチの陸稲をまぜたメシと味噌汁、漬物、煮物が日常食であった」と知った。

「うどん」が、どれほど貴重なものだったかという理解に届かぬほど、今の私たちは豊富な食物を享受している。
さらに、郷土の人びとが厳しい食事をしていたなかで、今に命を伝えてくれたことに感謝をせずにはいられない。

参考
(もしかしたら同様のQ/Aをしたかもしれないが)、江戸時代の武蔵野新田に生きた農民たちの食事を、生成AIの「ChatGPT」、「Gemini」に問うてみたのが次の通り。

■ ChatGPT
Q,日本の江戸時代に、水田がなくて稲作が不適なため麦作中心だった「武蔵野新田」の農民は、日頃どんな食事をしていたのでしょうか?
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A,江戸時代の武蔵野新田の農民たちが日常的に摂っていた食事については、以下のような特徴があります。

主食
    ・麦(小麦・大麦):武蔵野新田では稲作が難しいため、主食として麦が中心でした。麦飯(大麦と米を混ぜたもの)や麦粥が一般的でした。
    ・雑穀:ヒエ、アワ、キビなどの雑穀も食べられていました。
副食
    ・野菜:畑で栽培された大根、カブ、カボチャ、ナス、キュウリ、ネギなどの野菜を食べていました。また、野草や山菜も重要な食材でした。
    ・豆類:大豆、小豆、エンドウ豆などがよく食べられ、豆腐や味噌、納豆などに加工されていました。
    ・魚介類:内陸部であるため新鮮な魚介類は少なく、干物や塩漬けなどの保存食として利用されていました。
    ・動物性食品:家畜や鶏の卵、狩猟で得た動物の肉(野鳥や小動物)も食されましたが、量は限られていました。
調味料
    ・味噌:大豆を使った味噌は一般的な調味料であり、汁物や煮物に使われました。
    ・醤油:味噌と同様に、江戸時代には既に醤油も広く使われていました。
    ・塩:保存のためや味付けのために塩が重要でした。
食事の例
    ・朝食:麦飯、味噌汁、漬物
    ・昼食:残り物や簡単な野菜料理
    ・夕食:麦飯、野菜の煮物や炒め物、豆腐や納豆、時には魚の干物

このように、武蔵野新田の農民たちは地元で入手できる食材を工夫して利用し、栄養バランスを取って生活していました。
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■ Gemini
Q.江戸時代、水田がなく白米が手に入らない、麦作中心の「武蔵野新田」の農民は、日頃どんな食事をしていたのでしょうか?
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A.江戸時代、武蔵野新田の農民の食事:麦作中心の食卓
江戸時代の武蔵野新田は、水田がなく白米が手に入りにくい地域でした。そのため、農民の食事は麦を主食とした質素なものだったと言えるでしょう。

主食
    ・麦飯: 麦を炊いた麦飯が主食でした。白米に比べると栄養価が低く、消化も悪いものでした。
    ・麦粥: 麦を煮込んだ麦粥も主食として食べられました。
    ・雑穀粥: 稗、粟、黍などの雑穀を麦と一緒に煮込んだ雑穀粥も食べられていました。
おかず
    ・野菜: 大根、カブ、ネギ、ゴボウ、ニンジンなどの野菜を自家菜園で栽培し、漬物、煮物、汁物にしていました。
    ・きのこ: 山に入ってきのこを採ってきて、煮物や汁物にしていました。
    ・豆類: 大豆、小豆、えんどう豆などの豆類を栽培し、味噌、醤油、豆腐、納豆などの加工食品を作っていました。
    ・保存食: 漬け物、干し物、味噌、醤油などを保存食として常備していました。
肉・魚
    ・肉: 馬肉やイノシシ肉などの野生動物の肉を狩猟で獲ることが稀にありました。
    ・魚: 川魚を釣ったり、干物や塩漬けにして保存したりしていました。
その他
    ・ドングリ: 凶作の年には、ドングリを拾って粉にして餅や団子を作ることがありました。
調味料
    ・味噌: 大豆を塩こうじで発酵させた味噌は、汁物や煮物の味付けに使われていました。
    ・醤油: 大豆と小麦を塩こうじで発酵させた醤油は、貴重な調味料でした。
    ・塩: 海水から塩を採って、料理の味付けに使っていました。
飲み物
    ・水: 水を主な飲み物としていました。
    ・麦茶: 麦を炒って麦茶を作っていました。
    ・甘酒: 米麹を発酵させた甘酒を飲むこともありました。
白米
    白米は貴重なものだったため、正月など特別な日のみに食べる「祝飯(いわいい)」として扱われていました。

麦作以外の収入
農業以外にも、薪炭の販売、機織り、日雇い労働などを行い、収入を得ていました。

まとめ
江戸時代、水田がなく白米が手に入らない、麦作中心の武蔵野新田の農民の食事は、現代の食卓から見ると質素なものだったと言えるでしょう。しかし、限られた食材を工夫して、栄養バランスを考えながら食事を作っていたことが窺えます。

参考資料
・東北大学附属図書館企画展トップページ / 第4部資料一覧
    https://www.library.tohoku.ac.jp/collection/exhibit/sp/r3/part2.html
・江戸時代の食事情/江戸庶民のおかず|日本食文化の醤油を知る
    http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/edo-reference15c.html
・武蔵野新田の歴史:
    https://www.city.musashino.lg.jp/
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映画「ブラックレイン」の屋台
(Youtubeに登録のMovieclips に感謝)

2019年5月22日水曜日

ゲフィルテ・フィッシュの食べ方

先日(5/15)のイディッシュ語の勉強会で、ユダヤ料理を食べながら会話練習をするという洒落た機会を得た。考えてみれば、イディッシュ語に関心を持ちながら、ユダヤ料理を一度も食したことがないというのが不思議。今回それを一挙?に解決できたと思う。

(本ブログ関連:”イディッシュ語クラブ”)

メニューに「ゲフィルテ・フィッシュ(Gefilte fish)」(魚肉のつみれ風だが柔らかくて穏やかな・淡白な味)があって気に入り、授業後その瓶詰めを売店で購入した。「Manischewitz」製の「Premium Gold  Gefilte fish」(ニンジンが少々入った)で、6個入りのもの。Manischewitzは、コーシャ(食物規定)にのっとった、米国では知られた食品会社のようだ。瓶ラベルに食材について、「アメリカの五大湖で漁った」ものから選りすぐったとあり、材料として「コイ」の表示がある。(淡水魚とは意外だった)

売店で購入したとき、(日本の)家庭料理に使うなら「わさび」と一緒に食するとよいとアドバイスを受けたが、今回はちょっと違う使い方をしてみた。そして、今日食べ終わった。

結論からいえば、最近「うどん」(冷凍うどんの場合実に食味がよい)に凝っていて、その際の「つゆ」作りに(千切りした塩昆布と合わせて)、ゲフィルテ・フィッシュを粗く刻んで味出しに使った。
いってみれば、「つみれ入りのうどん」であったり、「肉うどん」といったジャンルに入る。熱いうどんと一緒に食べると、ゲフィルテ・フィッシュから常温では気付かない独特な甘みが出るのを感じた。今まで経験したことのない、新種のうどん料理ができたことになる。

2012年4月21日土曜日

(資料)小麦と武蔵野のくらし

小金井公園にある「江戸たてもの園」で、開園20周年記念特別展として「小麦と武蔵野のくらし」展が今日から始まった。水利の乏しい武蔵野台地で、新田開発した人々の糧でもあった小麦が、どのように栽培され、食されたかが紹介される。昭和期以降の展示が中心で、写真や農機具を通して人々の生活がうかがえる。

以前、地元公民館主催の郷土の歴史散歩シリーズに参加して、江戸期以来の人々の暮らし振りを聞いたことがある。昔の人々が、決して豊かとはいえない、(現在と比べれば)むしろ粗食と思える食事をしていたことを知った。

「小麦と武蔵野のくらし」展では、日常の食事について、次のように記している。

・水が乏しかった武蔵野台地の中央部では、乾燥した畑で栽培ができる麦と雑穀、そしてサツマイモが作物の中心であった。天候にあまり左右されずに収穫できるこれらの作物と、陸稲、根菜類が合わせて栽培された。 人々は季節に応じて、耕地を空かすことなく輪作を行った。

・収穫された小麦で作った手打ちうどんは、ご馳走として、家々の年中行事や冠婚葬祭の席にかかせないものでした。皆で一緒にうどんを打ち、食べることで家族や地域のつながりを深めていったのです。
→(実は、うどんを常食していた時代があったと誤解したことがある・・・ハレの食べ物だったのだ。)

・麦飯
石臼で大麦をこまかく砕いたひき割り麦や、押し麦にウルチの陸稲をまぜたメシと味噌汁、漬物、煮物が日常食であった

・北多摩の作物と食べ方
武蔵野台地では、かつて大麦・小麦・雑穀・陸稲・サツマイモを主食とした。大麦をほぼ毎食食べ、陸稲のウルチマイを混ぜて炊飯した。大正時代までは雑穀のウルチアワをメシにして食べることもあった。
陸稲のモチゴメはモチにし、雑穀のモチ性のものと混ぜてついた。家によっては正月にモチを一石くらいつき、切ってから水をはった樽に保存し、初夏頃までチャガシにしたり、麦作で忙しい時の昼飯にした。小麦はうどん、まんじゅうにし、寒い夜などは汁にいれてスイトンにして食べた。自家用の醤油のもろみにもした。

・昭和20年代頃は朝・昼・晩に大麦に陸稲のウルチマイをまぜたメシ、10時と15時にはサツマイモや正月についてモチを水に漬けて保存した水モチなどをチャガシとして食した。
→(昭和20年代とは戦後の食料事情の悪い頃のことか? 農村と都市部では大差があったと聞くが・・・)

(本ブログ関連:"小金井雑記"、"小金井雑記"、"小金井雑記"、"小金井の今昔")

2024年10月20日日曜日

きのう真夏日、きょうヒンヤリ

先日(10/9)、熱い「うどん」が美味い季節になったと記した。その日は気温が少しヒンヤリして、フウフウいいながら「うどん」を久し振りに食ったわけだ。

(本ブログ関連;”うどん”)

その後、再び暖かい日がつづき、きのう(10/19)はついに「真夏日」(気温が30℃以上)になった*。ところが、きょうはどうだ、わずか一日で「最高気温」が10℃近く(正確には 8.6℃)一挙にダウンしてしまった。連日の暖かさで、半袖シャツにしたため冷えびえしている。そんなわけで、夜食に軽く「うどん」を食った。
(*)19日午後、東京都心でも、気温が30℃に到達し、統計史上最も遅い「真夏日」となった

■ きのうときょうの最高気温
月日                    最高気温(時刻)
----------------------------------------
きょう(10/20): 21.6℃(00:14)
きのう(10/19): 30.0℃(13:03)
----------------------------------------

■ 気象庁「天気予報等で用いる用語 」より
- 気象用語(夏日、真夏日、猛暑日、熱帯夜など) 
------------------------------------------
夏日   :日最高気温が25度以上の日
真夏日:日最高気温が30度以上の日
猛暑日:日最高気温が35度以上の日
熱帯夜:夜間の最低気温が25度以上のこと。(備考: 気象庁の統計種目にはない)

冬日   :日最低気温が0度未満の日
真冬日:日最高気温が0度未満の日
------------------------------------------

ブログを読み返してみると、例年10月中旬ころ、ストーブを点け付け始めているようだ。そろそろ、ストーブを引っ張り出すことになるだろう。

2009年10月1日木曜日

小金井雑記

高橋林蔵著「ふるさと小金井の八十年」(1985年)には、1905年生まれの著者の思い出に触れて当地の「食生活のことなど」(p.93)が次のように記されている。(概要抜書き)
・この新田の生活は、衣類とともに、食料も自給自足であった。
・主食は家で獲れた大麦であった。どの家も備えてある石臼でくだいた挽割麦に、米二割位混ぜて食べた。小金井は南部は野川辺りに水田があったが、その他の米は陸稲であった。栗、稗も明治の末期まで主食扱いだった。
・副食の魚類は行商人が一週間に一回位売りに来た。鮭、ます、干にしん位だった。
・三時のお茶うけは畑で獲れたさつま藷、里芋、じゃが芋で売り物でない下物を食べた。
・日常の調味料の味噌、醤油は自家製だった。砂糖は客のもてなしに菓子として出した。
・手打うどんは何よりのご馳走で、祝祭日とか人の集まるときは必ずつくった。結婚式では男がうどんつくりを競った。娘はうどんつくりが嫁入り資格の条件であった。
・当時の人達は今の世代と違って、まずしい中にも楽しさをそれぞれの場で享楽していた。それが一家の団らんに結びついた。

今時の食事はダイエットのためにカロリーを抑えようとするが、明治から大正にかけて東京府北多摩郡の小金井村は麦飯中心で想像以上に質素だったようだ。そのような郷土の歴史がこの町にある。

(追記)
小金井公園の「江戸東京たてもの園」で、「特別展 甲武鉄道と多摩」(10/10-12/20)が開かれる。中央線の前身である甲武鉄道について知ることができる。例えば、この辺りでは武蔵境駅が最初にできたこと。

2024年3月27日水曜日

ハクセキレイ

ようやく寒さから抜け出したかと思いきや、外に出てみればまだまだ寒い。そうだ、「味噌うどん」でも食って暖まるのもよいと近場にあるファミリーレストランに寄った。

ふうふう言いながら口を軽くやけどして、熱いうどんが喉をするりと降りていく。鍋底の固形燃料のおかげでブクブク沸騰する味噌汁は、いろいろな食材が加わって味が深まる。アチアチのうどんと味噌汁、食ってすすって終わればホッとするのがうれしい。

火照った体で、小さな公園の小さな池をのぞいてみた。池を2つに仕切る(白く輝く)花崗岩の石段の上に「ハクセキレイ」が1羽、日向ぼっこしていた。ひと慣れした鳥は、エサ採りをしているわけではない。けれど習性かじっとせず、段差をひょいと降りて動きまわった。
(追記)本ブログを登録後、写真を見直して驚く・・・日向(ひなた)の光景であって、雪景色ではありません!

(本ブログ関連:”ハクセキレイ”)


ハクセキレイについてネットを調べると、(おもに北半球の)北方地域に棲む留鳥または漂鳥だったが、「日本では、かつては北海道や東北地方など北部でのみ繁殖が観察されていたが、20世紀後半より繁殖地を関東・中部などへと拡げ、現在は東日本では普通種になっている」(Wikipedia)とのこと。(私からいえば)最近に、南下したようだ。また、「セキレイ科」の特徴として、「後肢が発達する種は地表や水辺を徘徊して獲物を捕食」(Wikipedia)するという。

「野鳥歳時記」(山谷春潮著、日本書院刊、昭和二十一年版)では、昭和二十一年当時、ハクセキレイに北の鳥のイメージがあったようで、季語として <冬> の季に入れたとある(なお「キセキレイ」、「セグロセキレイ」についてはいつでも見られるので <無季> の扱いにしている)。

ところで、セキレイの漢字名「鶺鴒(せきれい)」について、「野鳥の名前  名前の由来と語源」(文 安倍直哉、写真 叶内拓哉、ヤマケイ文庫)に解説がある。すなわち、「日本書紀」(神代上)に、イザナギ【伊耶那岐】の尊(みこと)とイザナミ【伊耶那美】の尊の二柱(ふたはしら)による国生みに際し、鶺鴒(せきれい)が立ち会ったと述べている。

2025年8月15日金曜日

青空に白い雲がぽつりぽつり、クマ騒動

昼(11:30ころ)に街へ出かけた。空は青く、そこには子どもが描くような白い雲が、ポツリポツリ浮かんでいた。太陽は、天頂から暑い日射しを浴びせた。
今月に入って、8/5に最高気温が  40.9℃ の「酷暑日」となり、以後下降を続けたものの、きょうになって 少し反転して 35.3℃(12:24)となった。ちなみに、午前中は北風、午後には南の風に変わった。

外出したのは、<冷凍うどん> をスーパーで買うため。7/9のブログに記した通り、「冷やしうどん」をこしらえるのに、冷凍うどんが手っ取り早いからだ。きょう暑さが戻り、冷えた食べものが欲しくなった次第。


知床半島のクマ

テレビニュースで、北海道知床の羅臼岳で、若者がヒグマに襲われた事件が報じられた。以前にも記したことだが、同岳からつづく半島の先にある「知床硫黄山」に硫黄採集に出かけたことがある。ヒグマの話を聞いていたので、ジュースの空き缶をハンマーで叩きながら登った。山道は、幸い藪漕ぎの必要もなく、鬱蒼とした木立に覆われることもなかった・・・見通しがよかったので一安心した。

(本ブログ関連:”知床硫黄山”)

採集を終えて麓の道(知床公園線:道道93号)に戻り、迎えのタクシーでホテルに帰るとき、運転手さん*からヒグマの話を聞かされた・・・余所者に対してちょいとした脅かしか?
(*)帰る途中、運転手さんに湧き水場所を教えてもらい、冷たい水を飲んだ。うまかったなあ。

ところで、人里で行動する野生のクマを、(いま流行りの)<多様性>とか<共生>といった範疇で扱うのは危険。彼らが一度歩いた場所は、生活圏となり、忘れることのない何度も訪れるエリア(テリトリー)になる。特に親子連れの場合、エサ場として子孫に継承される。きれいごとで語られる光景ではない。

(追記)
■ Youtube(登録: マタギの教え【狩猟時代】)
「【ヒグマ駆除】NHKは取材NG、怪物ヒグマOSO18の舞台裏」(2025/08/22)
    ー https://www.youtube.com/watch?v=GaqVN0aX0v8

2014年12月12日金曜日

明太子

今朝のラジオで、今日は「明太子の日」といっていた。えっ、そうだったの・・・で、誰が決めたの?何て思ったりした。日本記念日協会のホームページに、「記念日/協会認定記念日」として、12月12日に「明太子の日」があり、次のように紹介している。
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韓国伝来の辛子明太子が初めて日本に到来した発祥の地の山口県下関。その下関市で明太子専門業として、辛子明太子を全国に普及させてきた前田海産株式会社が制定。日付は日本で初めて「明太子」という名称が新聞(関門日日新聞)に登場した1914年(大正3年)12月12日に由来する。(「明太子開発史」成山堂刊に記載)
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明太子」と漢字で書くと、それが一体「めんたいこ」なのか「みんたいこ」なのか判別しにくいけれど、一般に「めんたいこ」のようだ。なぜ気になるのかって・・・子どものころ、私は「みんたいこ」と呼んでいた。東京に来てから、いつのまにか「めんたいこ」と呼ぶようになったが、そう言った後、一息止まってしまう。いつまでも馴染めないようだ。

昔は、明太子は焼いて食べた。今はそんなことをしない。生で食べるのが普通になった。食感が全然違う。熱い白飯の上では、生の方が食べやすいし、香りがあり塩加減もよい。美味さにつられて食った後、プリン体の量が頭をかすめる。

幼いころ、スパゲッティはナポリタンやミートソースといった、まとわり付く味がよかった。歳をとると好みが和風になる。最近、スパゲッティを明太子味にしている。ピリッとしたものがよい。さらに刻み海苔をまぶして風味を楽しんでいる。いずれ、蕎麦屋(或いは、うどん屋)にカレー南蛮があるように、皿に盛った明太子スパゲッティ(或いは、うどん)が品書きに並ぶかもしれない。

2012年4月28日土曜日

ミュージアムトーク「小麦と武蔵野のくらし」

江戸東京たてもの園で開催中の「小麦と武蔵野のくらし - 人が集まればうどん -」展(4/21~7/8)に、学芸員によるミュージアムトークを聴きに行く。

展示室の個々の展示品について、親しみやすく解説(ミュージアムトーク)していただいた。民族植物学という分野を専攻されているそうだ。初めて聞いた学問分野だが、農耕民族の日本人にとって馴染みやすそうな気がする。
(インターネットで学術誌(概要)を見ると・・・研究者はやっぱりすごいなと感心するばかり。)

さて先日(4/21)のブログで、展示解説書によって触れたので、今回は追記だけにする。
・多摩川上水からの分流水は、飲料水などに使われたもので農耕用ではない。
 → ご近所にも、南北に続く幅2m程度の極端に狭い路地があって、これがどうやら水路跡のようだ。
・嫁入りで婿の家に入る際に、2本の麦藁をタイマツとして地面に押したて、その間を通り抜けるという民俗行事が清瀬市にあった。余談として、もし嫁が狐なら尻尾を出すだろうという言い伝えがあったそうだ。
 → 狐?ということで、「僕の彼女は九尾狐<クミホ>」を思い出した。
・麦藁は盆の迎え火にも使われ、人の人生と密接に関わっているとのこと。
・江戸時代からの貯穀という(大量の穀物の貯蔵)制度があって、特にその共同性を評価されていた。
 → 指摘されたように、最近の自然の驚異を目の当たりにすると十分に納得できる。
・昔、米は貴重品で、米>>>(うどん)>>麦・雑穀、の順のようたった。(聞いたイメージで!)

展示解説書を見ながらもう一度展示品を見てみようかな。

そうそう、展示室外の廊下に置かれたディスプレイで、麦打ちの記録映像が上映されていた。貴重な映像だけに、是非とも映像所有部門にてYoutubeなどに登録・公開していただければと願う。

(付記)
小金井公園に向かう道に、ハナミズキの並木道がある。白い花が春の暖かい陽射しをうけて華やいで見えた。途中に法政大学工学部小金井キャンパスがあって、通りから見える施設の2階にスエヒロののぼりが立っている。部外者でも食事できる。

2019年5月31日金曜日

(雑談)ライザップ牛サラダ

昼どき、町中でふと目に入るのは、「~水産」といった魚介刺身料理の飯屋だ。そこでは満足感もあって手軽な「海鮮丼」をよく選ぶ。家ではスーパーで売っている「冷凍うどん」を最近食べるようになった。電子レンジでチンと温めて、こしも十分あり喉ごしもよい。

(本ブログ関連:”冷凍うどん”)

今日の昼間、地元にある吉野家の前を通ったところ、布看板に「ライザップ牛サラダ」*の図柄があった。サラダというだけでなく、ライザップの名も冠していいるので健康によさそうと思って注文した。ちなみに、吉野家のホームページに、このメニューについて次のような説明をしている。
(*)吉野家: https://www.yoshinoya.com/menu/gyudon/rizap_gyu_salad/
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「高たんぱく質、低糖質」のボリュームいっぱいのサラダです。定番の吉野家の牛肉だけでなく、鶏肉・ブロッコリー・半熟玉子とバランスよくたんぱく質を摂取できます。
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どうやら、筋肉を付けるたんぱく質食品として鶏肉がみそのようだ。ライザップの宣伝のように見違えるほど筋骨りゅうりゅうになるやも知れず。サラダ(キャベツ)もいっぱいで、満腹感もある。体がスッキリした気にさせる。

ところで、夜中の洗面所で鏡の向こうに、ときどき親父の顔と出会うことがある。歳をとったなあと思って見たころの親父の顔つき、体形までそっくりな自分がいるのだ。冷静に考えれば、ライザップどころじゃない歳になった・・・気ままに理屈をつけず食事するのが一番なのかもしれないのだが。

2023年9月29日金曜日

十五夜 2023.9.29

きのう、体操教室の帰り道、和菓子屋に寄ったところ、入口に月見団子の案内があった。店を出るとき、店員さんから「あすは十五夜です」といわれてあらためて納得した。

(本ブログ関連:”十五夜”)

旧暦8月15日にあたる今晩の <十五夜の月> を「中秋の名月」と呼び、それを観月する「月見」の風習がある。家族にとって、七夕の笹に願いを込めた飾りを付けたように、十五夜の月に月見団子を供えたりする。子どもたちにとって、いずれ楽しい思い出となることだろう。

今年の中秋の名月は、当たり前のように満月*となって登場するが、必ずしもタイミングが一致しているわけではない。次に一致するのは2030年とのこと**。
(*)国立天文台: 満月となる時刻は19時ごろ(午後6時58分)。
(**)AstroArts:  https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/12841_ph230929

朝から薄曇りの空、天気は芳しくない。夜を待って外に出たものの曇り空のまま。薄い雲の隙間から月明かりが漏れてくるものの、満月のお月様を見ることができないでいた。
ならば、げんかつぎにと蕎麦屋に寄って「月見うどん」でも食って時間をかせごうとしたところ、道の途中、午後7時50分の東南東の上空(高度26.5°)に、まん丸お月様が現れたのだ。・・・お月様を撮った後、蕎麦屋にて月見うどんを食ったのはいうまでもない。


我ながら凄い写真を撮ってしまった

国立天文台「こよみの計算」***より
年月日            時刻   高度[°]    方位[°]    月齢
2023/09/29   19:50     26.5        110.2     14.4
(***)こよみの計算: https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/koyomix.cgi

(付記)
本日未明(04:00~)、「ラグビー・ワールドカップ」の日本・サモア戦をTV中継で見た(結果は 28対22 で日本勝利)。にわかファンの私には(古武士のようなリーチ マイケル選手を見るとホッとする)、語彙不足で試合経過をうまく語れないけれど、最終(フィジカルの強い)サモアがジリジリと追い詰める反撃にヒヤヒヤしたものだ。
なお、試合会場である仏トゥールーズの夜空でも、真ん丸お月さまが浮かんでいた。

2009年8月6日木曜日

小金井雑記

武蔵野新田:
小金井の土地は南に野川があるものの、川の北側崖上に広がるため、農業用水は北に東西に掘られた玉川上水から分流してようやく確保されたという。土地の人々は麦を育て、
(誤)食事はもっぱら麦を挽いてできた「うどん」が中心だったそうだ。それは高齢の方の記憶に残るほどのことである。
(正)麦を挽いてできた「うどん」は、めでたい行事など「はれの日」に食されたとのこと。


栗林:
乾燥した土地柄、近所には栗林が割合残っている。私宅から半径500mの範囲に3つの栗林を見つけることができる。「小金井栗」として有名だったそうだ。幕府に献上するための「御栗林跡」を示すパネルが、現在住宅地になっている場所に立っている。その面積は約320m×320mに相当したという。
ところで夏のセミは、緑陰の桜並木に群集して鳴き続けるが、緑色のいがぐりを実らせた栗林で聞くことはない。

2018年12月20日木曜日

Yiddish語 2018秋-12

先々週末、胃腸を痛めて以来、ずっと「うどん」しか食っていない。歳をとると回復が遅れるようだ。テレビで食レポ番組を見ても食欲が湧かない。不思議なことに、うどんの食感が気に入ったみたい・・・今の体調に合っているのかもしれない。

暖かな昼の陽射しを受けて、今年最後のイディッシュ語教室へ出かけた。

(本ブログ関連:”Yiddish語 2018秋”)

今日の授業は次のよう解説された。
・ 数詞(基数、順序数)のうち、順序数についての練習
    - [ (性別)名詞] ← [(ער/ע-)順序数] ← [(性別)冠詞]
    - 順序数を使った文章の完成
・強調としての「יאָ」の使い方
・クリスマスソング「Winter Wonderland」(作曲フェリックス・バーナード*、作詞リチャード B.スミス)のイディッシュ語訳の紹介。(*フェリックス・バーナードはユダヤ人である)

(先々週に宿題に出された「クリスマス・ソングを書いたユダヤ人」について調べたものを回答した)

2015年2月1日日曜日

錫高野#20

またしても1年振りの錫高野へ鉱物採集に行く。昨年は1月26日の晴れ空だったが、今年は一昨日の雪がズリ一面を覆っていた。そういえば、2011年1月23日の残雪と同じ状況だ。
年初の鉱物採集場所が、錫高野が恒例になっているのに気付く。栃木県や埼玉県の山中はまだ雪が深いだろうから、茨城県にしようと何となく決めている。

(本ブログ関連:”錫高野”)

今日も、始発電車をホーム待合室で待つことから始まった。空は暗く寒い。朝が明けたのは集合場所を出発してからのことだった。いつもお世話になるH氏の車に同乗して錫高野に近づくと、辺り一面、残雪が広がっているのに目が付く。ちょっと心配になる。

左写真のように、仏国寺山麓から斜面を越えて、錫高野へ至る林道を進む。まるで雪景色。薄く凍った雪面をズボッ、ズボッと音を立て、踏みしめながら進む。

陽射しに照らされた岩場やズリ斜面は雪が溶けているものの、少しでも陽陰になると雪は深く積もっていた。大丈夫かな・・・心配無用、H氏はどんどん先を進む。

いつもの採集場所を見ると、雪にすっぽり埋もれていた。そこで、沢筋にある地点Aに進み採集を開始した。沢を吹き降ろす風が冷たい。準備のビニール雨合羽に救われる。蒸れすぎて、ときどき換気が必要だったが。ところで、フードをかぶると音がこもって、誰かが後ろからついてくるような錯覚をする。あわてて辺りを見回したりする・・・そんなはずないのに。

次に、陽射しを正面から受ける巨大な岩場、蛍石の採れる地点Bに場所を移す。思いの他いろいろと収穫に恵まれる。そしていろいろいただきものをする。

以上、成果物を次に一覧する。
・地点A: 黄銅鉱、ブロシャン銅鉱、鉄マンガン重石
・地点B: 蛍石、孔雀石?、白雲母、鉄マンガン重石(豪華版をいただく)、硫砒鉄鉱、(自称)電気石

帰り道、乗換駅ホームにある、うどん屋で体を温める。熱いうどんに救われる。

2020年1月2日木曜日

ねずみさんの失敗

今年の干支が「」なので、ネズミの登場する話をネットに探したら、青空文庫に村山籌子(むらやまかずこ)の「ねずみさんの失敗」があった。童話の一口ばなしというべきものだが、「油揚げ(あぶらあげ)」の臭いに誘われて、ネズミ夫婦が出かけてみたものの、結局口にできなかったという内容だ。

正月早々になんだが、稲荷信仰の「キツネ」はネズミを油で揚げをたものを食べるという。稲荷は米作に通じ、ネズミは米を盗み喰う害獣にあたる。そんなネズミから米作を守るキツネは「稲荷神」の使いとなる。キツネがどうしてネズミの油揚げを好むのかよくわからない。油っぽいものがキツネの嗜好に合っているのだろうか。

(本ブログ関連;”お稲荷さんと油揚げ”)

稲荷ずし」は、油揚げを醤油で甘辛く煮て、すし飯を詰めたもの。稲荷と油揚げはつながりが深い。(「キツネうどん」は、温かい「かけうどん」に稲荷ずしの包みをそのまま載せたようなものだし)

上記童話のネズミ夫婦が油揚げに相伴できなかったのは、もしかしたら幸いだったかもしれない。

2013年1月10日木曜日

鉄道・絶景の旅

吉祥寺の家電量販店に行き、語学練習用のCDプレーヤーを探す。ついでに、テレビ売り場に寄って見ると、今わたしの目の前にデンと座っているやたら図体が大きく見える32型の液晶テレビが、店頭では小さく見えたのだから驚き。えっ、こんなに小さかったっけ・・・と思い、帰宅してもう一度見直せばやっぱりでっかいのだ。

さて今晩見た、BS朝日の番組「鉄道・絶景の旅」は、「新春!富士山をめぐる旅」(#77)で、富士山を背景に巡るローカル鉄道の旅だ。ここ地元から臨む富士の雄姿はもちろんだが、番組に登場するその姿は近場にあって迫力十分である。やはり、富士山は、そばに寄ってこそ真の絶景を拝めるだろう。

番組のナレーターである峠恵子は歌手でもあり、番組のオープニング/エンディングのテーマ曲や挿入歌を歌っている。お名前が、起伏に富んだ日本の山並みを越える鉄道にぴったりなのもうれしくなる。
鉄道は、旅の象徴であり、人の心を異空間に誘う。そんな気分にさせてくれているところに、彼女の声は不思議に溶け込んでくる。Youtubeに登録された、彼女が歌う「主人公」(作詩/作曲 さだまさし)を聴いてみよう。彼女のソフトな声質は、さだまさしの緩やかに流れるような歌詞と旋律にうまく織り合って、なかなかいい雰囲気だ。

そうそう、番組中に紹介された、<あかり亭>の「肉天うどん」(500円)が目に残った。「歯ごたえのある手打ちうどんと大きな天ぷらが絶品」とのこと。食ってみたい。まさにB級料理の真骨頂である、どんぶりを覆わんばかりの天ぷらを・・・ああ、あの迫力に負けてしまったよ。

2020年8月6日木曜日

おかしな主人公たちの住む町

世の中には色んな阿呆がいる。わたしもその一人で気持ちがよく通じる。もし阿呆たちがそろったらどうなるだろう。収拾の付かないことばかりかもしれないが、意外とよく事が済むかもしれない。

イディッシュ語を少しかじったとき、語学テキストに閑話休題として小話が用意されていた。ストーリーの舞台に「ヘルム」の町(村)が出てくる。当然ながら、架空の町(村)で、ポーランドにあるという。まさにイディッシュの息づかいを感じる気がする。以来、彼らの粗忽さに落語と似た親近感を感じている。

(本ブログ関連:”阿呆”、”ヘルム”)

イディッシュ語作家でもあるアイザック・バシェヴィス・シンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」(工藤幸雄訳)の訳者解説に、同書で話題にしたポーランドのユダヤ人が住む町「ヘルム」の他に、おかしな主人公たちのいる民話の町として次が紹介されていて、以前このブログの「おバカな村」にも記した。
・イギリス「ゴタム」
・オランダ「カンペン」
・イタリア「クネオ」
・ドイツ「シュリートブルク」など

ところで、ドイツにはシュリートブルクの他に「シルダ」というおバカな町があるという。

アンソロジー「日本の名随筆40 愚」(山田風太郎選)に収載の、北杜夫の「阿保について」(「マンボウ人間博物館」の第一話)に、児童文学者のケストナーが記した、<賢人が出張して阿保ばかりが残った*ドイツ中世の「シルダ」の町>について紹介している。
(*)阿保ばかりが残ったのか、賢い者が戻ってきて阿呆の振りをしているだけなのか諸説あるようだ。

■ まず、北杜夫の「阿保」の定義が面白い。精神科医の作家なればこその紹介だが、孫引きする。
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ドイツの誇る精神科医、故ホルスト・ガイヤー博士に、『愚鈍について』という著作がある。彼は白痴患者の専門家であった。その一説、
勤勉は阿呆の埋め合わせにはならない。勤勉な阿呆ほど、はた迷惑なものはない。
・・・・
そもそも世に名高きシルダ人の愚行を記さぬ法はなかろう。シルダ人は、ドイツ中世の伝説の一つで、『ティル・オイレンシュピーゲルのいたずら』と共に、双璧をなしている。いろんな作家がシルダ人の愚行について、童話や小説を書いているが、ケストナーのものがいちばん面白いようだ。
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というわけで、ケストナーの「シルダの町の人びと」が少し触れられている。一匹の海老(ザリガニ)が巻き起こす騒動が面白い。

■ ちくま文庫「ケストナーの『ほらふき男爵』」(池内紀、泉千穂子訳)に所収の「シルダの町の人びと、ザリガニを裁判にかける」は、次のように書かれている。
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ある日、町にやってきたザリガニが、はさみを持っていることから仕立て屋に違いないと町長が結論を出す。さっそく布を切らせてみるとズタズタになる。そこからドタバタが始まり、結果、ザリガニは裁判にかけられる。裁判長は「溺死させるのがよろしい」と死刑を宣告する。
シルダの町の人びとは刑の執行を見守った。「かわいそうだがしかたない。法は曲げられぬ」と。
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こんな具合で、ザリガニは溺死の刑に処せられた。

■ そういえば、上記のシンガーの児童書「まぬけなワルシャワ旅行」にもこんな話がある(「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」)。
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ヘルムの長老から大とんまな男へ贈られた鯉が、ぴしゃりと跳ねて男のお顔を叩いた。罰を与えようといろいろ算段したあげく、結局、溺死の刑に処すことになった。
鯉を湖に投げ込む処刑を見ながら、ヘルムの市民は歓声を挙げた。「卑怯きわまる鯉はおぼれてくたばれ!」と。
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ちなみに、ユダヤ料理の一品に使われる「ゲフィルテ」は、鯉のすり身団子だ。瓶詰から取り出してそのまま食べればさっぱりした味わいだ。わたしは、うどんと一緒に煮こんだりした。少々甘みが出てくるが、ふうふういいながら食うのも美味いものだ。

(本ブログ関連:”ゲフィルテ”)


(参考1)
学問的なことは全く不案内だが、ヘルマン・バウジンガー「ドイツ人はどこまでドイツ的?(2)― 国民性をめぐるステレオタイプ・イメージの虚実と因由 ―」(河野眞訳、愛知大学 言語と文化 No. 21)の翻訳に「シルダ」の町について次のような<訳注>がある。
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO21/04KonoS.pdf
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p.68  シルダ(Schilda):シルダは,架空の都市の名前で,民衆本に頻繁に現れ,その市民はいたずら好きな主人公や,また主人公にからかわれる馬鹿な民衆でもあった。シルダの元になった町としては,ザクセンの「シルダウ (Schildau)」 やブランデンブルクの「シルダ (Schilda)」 などが挙がられる。
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(参考2)
学問的なことは全く不案内だが、「論説 《世間》は日本社会の特異性か?  - 欧文の翻訳における《世間》の用例に即した検証 -」(河野眞)も参考に記す。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=9219&file_id=22&file_no=1