▼▼ 青字下線付語句のリンク先は、マウス右クリック+<新しいタブ>で進んでください。(本ブログ関連)の最下段に「次の投稿ホーム」があるとき次ページがあります。▼▼

2020年1月14日火曜日

さよなら Windows7

きのう記した通り、本日、マイクロソフトのWindows7のサポートサービスが終了する。そんなわけで、昨日になって、Windows7からWindows10へ急遽移行した。

Windows7の使い勝手が忘れられず、Windows10の「スタート」を右クリックして、以前風に使っている。

もともとネット上のサービスを利用していただけ。ネット上の作業に入れば何の問題もない。OSに些細な不都合があれば、ネット検索して対応策を教えてもらう・・・そんなわけで問題なし。

Twitterのユーザー登録をしたが利用したことはない。Facebookはもちろん登録していない。それに、Amazonなどで、クレジットカード利用して商品の購入なんて絶対にやらない(コンビニで現金支払いだけ)。
わたしは、ネットワークを基本的に信用していない。昔、ヘキサの世界が見渡せるLANアナライザー(プロトコルアナライザー)を使ってデータ送受信を解析したことがる。(もちろん仕事に不必要な閲覧はしなかったが・・・技術的なやばさを十分感じたものだ)

2020年1月13日月曜日

成人の日 2020

きょうは、年度内に二十歳を迎える若者が成人になったことを祝すため、「成人の日」の祝日になる。古くは、十五歳を目安に「元服」の儀式があった。成人の意味は時代によって変化してきたが、当人が自覚するかどうかによっても大いに違う。

(本ブログ関連:”成人式”)

偉そうことをいったが、自身が二十歳のころどうだったかといえば、赤面するほど気恥ずかしいものだ。口にしないけど、みなそうに違いない。そんな,ほろ苦い思い出を懐かしく語れるほどに過ごすことができた、実は幸運な国にいることを思い知る。

ところで、明日(1/14)で、マイクロソフトのWindows7のサポートサービスが終了する。そこで、きょうは新しいPCへの移行作業をした。
Windows7対応のPCを購入したのはちょうど10年前。せいぜいネットニュースやYoutubeの閲覧とか、ブログの作成に使う程度*で、酷使したことはない。ほどほどの性能でよかった。ずいぶん長持ちしたものだ。
(*)Office系はフリーソフト(オープンソースオフィススイート)の「OpenOffice」を使用。

遅まきながら、やっとWindows10の仲間入りすることになった。

2020年1月12日日曜日

(雑談)吉野家のねぎだく牛丼

ネットで話題になった、ファストフードの牛丼屋「吉野家」の新商品「ねぎだく牛丼」を食ってみた。いわゆる牛丼の食材のタマネギを別皿に多く盛って提供するもの。吉野家の創業時のメニューにあったという。

煮込まれたタマネギは、牛丼が牛肉だけなら単調になるのを救ってくれる。食の間合いを入れる役割をする。さらに気分転換にこだわるなら、赤い生姜(ショウガ)の方がぴったりかもしれない。牛丼は、煮汁を背景にして、肉とタマネギとショウガの三者のバランスが合うと、いい按配に食が進むことになる。

ところで、昨年の夏、吉野家の「ライザップ牛丼」を何度か食べたことがある。暑い時期にひんやりしたサラダ食感がよかった。けれど、秋口に涼しくなると暖かいものを探し始めた。

昔の雰囲気がする、ねぎだく牛丼を試しに食った訳で、今後も魅かれるかどうか自信がない。客は気移りしやすいもので、能動的に選択しているわけではない・・・。新商品が好きなのだ。

2020年1月11日土曜日

コブシの冬芽

公園併設の「自然観察園」へ出かけた。先日(1/5)の「ロゼット」観察会順路を再度たどって、野草をひとつひとつながめた。冬場に地表に若葉(幼苗)を放射状に広げて、太陽光を受けて光合成することで地下茎や塊根に栄養を蓄える仕組みだ。

(本ブログ関連:”ロゼット”)

自然観察園が配布のリーフレットによれば、面白いことに、この「根生葉(こんせいよう)」の一種であるロゼットのスタイルをそのまま続けていくものと、冬場だけのものとがある。一時だけロゼット スタイルのものは、花が咲く頃に茎が伸びて、根生葉が枯れてしまうという。「オオマツヨイグサ」もそのひとつ。
野草はしろうとの勝手な推測で生きているわけではない。自在に変じて生きる野草は実に多様でたくましい。

観察園を出て、公園の遊歩道を巡っていたとき、ふっくらした冬芽と出会った。まるで「ネコヤナギ」の冬芽を思い出す。もちろん樹形が異なる。それは「コブシ」のものだった。

(本ブログ関連:”コブシ”)

コブシについては、早春に咲く白い花を記憶しているが、花芽を意識したことがない。枝を見上げると、その先に長い白毛に覆われてふっくらした花芽が、夕陽に照らされて微風に揺れているのが印象的だった。

2020年1月10日金曜日

(資料)おおかみと きつねの さいばん

大岡裁きに、赤ん坊をわが子と主張し合う訴えに対し、実の母ならばこそ示すであろう愛情を証左に、人情味ある政談をくだす話しがある。

しかし、誰もが正直とは限らない。両者の日ごろの諍(いさか)いを見極める必要がある。真実がどこにもないかもしれないからだ。

「かえるの王様 : ラフォンテーヌ童話集」(ラ・フォンテーヌ著、山川篤訳、創芸社、昭和23年:1948年)に所収の「おおかみと きつねの さいばん」*は、皮肉な目を養う結果につながるだけかもしれない・・・。(抜粋)
(*)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168482/35

(登場の動物をカタカナ書きに変更)
------------------------------------------------
一ぴきのオオカミが どろぼうに入られましたと言って さいばん官のサルのところに うったえ出ました。
オオカミは となりにすんでいる キツネが 大へんびんぼうだったので このキツネがとったのではないかと うたがって そのことを さいばん官に うったえました。
サルのさいばん官は そのあらそいを じっと聞いているうちに 両方とも心のよくないことが わかりました。
しずかにしなさい。お前たち二人とも 昔から よく知っているどっちに ひいきする と言うこともできぬだから 二人とも ばっきんを はらわねばならぬ
オオカミよ お前は 何もとられなかったのに とられたと うそをついたばつだ
キツネよ お前は オオカミのものをぬすんだばつだ
心のよこしまな者は たとえ悪いことをしなっくても 悪いことをしたと思われるものです。いまのキツネのようにです。さいばん官のサルから 両方がばっせられたのも しかたが ありません」
------------------------------------------------

オオカミは嘘をいったので罰金、キツネは日ごろの行ないから罰金。読者をキツネに寄せて、日常に身をただしておくことを諭しているのかもしれない。

でも、オオカミが痴呆で勘違いしたかもしれない。そうなるとキツネはとんだとばっちりを受けたことになり、裁判官のサルの裁定は最低!となってしまう。

2020年1月9日木曜日

フクロオオカミ

生態学というよりエコロジーといった方が、ファッション感覚として通りがよい。エコロジカルといえば、自然をあるがまま賞賛するといった、お洒落な形容詞のように使われたりする。けれどエコロジーは、自然の<生産>と<消費>をシステム的に論じるもので、動物の世界でいえば喰うか喰われるかの関係性でもある。

そんなシステムの中に生命が散らばっているのを「多様性」というが、互いに共存共栄しているわけではない。生きていくすみかを見つけて広がって(生き残って)いるだけのこと。自然は偶然の産物に過ぎない。

哺乳類は自然に適応して、いろいろなエコロジカルな階層(喰うか食われるかの関係)に分散する。哺乳類がいない世界で、哺乳類と同じように自然に適応して分散した有袋類がいる。それぞれ似たスタイルで分散することを「適応放散」という。

ところが、(人類の移動などで)上記の哺乳類と有袋類の世界が重なってしまうと、いずれか絶滅の問題に直面する。人間に忠実なイヌは、有袋類の「フクロオオカミ(Thylacine)」と同じ水準(似たもの同士)で競合する。それだけでない、フクロオオカミは、家畜の羊を喰うといって人間に駆逐されてしまう。

(本ブログ関連:”オオカミ”)

フクロオオカミ(Last Tasmanian Tiger, Thylacine, 1933)

(Youtubeに登録のFreddieに感謝)

2020年1月8日水曜日

地球の土の感覚や匂いを感じさせる青果

きょうの都心の最高気温を天気予報では15℃としていたが、実際は7.6℃(15:08)だった。予報の半分でしかない。10℃以下だったので寒いはず・・・なのに予報を信じて、穏やかな感じすらしていた。予報が外れただけでない、体感も大外れした。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」ではないが、信じ込んでしまうと平気で勘違いしてしまう。

今年最初の健康体操に出かけて、正月で鈍った体を解きほぐす。首筋を回転すれば軋むよう・・・体のどの部分も同じこと。するとインストラクターから、リンパの流れが良くなりますといわれて、その気になって頑張る。まるで潤滑油が浸透するよう。

いい気分で帰宅して、暖かいストーブの前に座るとますます心地よい。毎度のことだが運動疲れを癒してか転寝してしまう。

きのう(1/7)のブログに「春の七草」について触れたが、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の「ファン!ファン!JAXA!」のweb版「JAXA’s」79号の記事「宇宙の視座でものを見る / 宇宙食編  日本の味が、宇宙開発を支える」は、「こうのとり」7号がISS(国際宇宙ステーション)へ生鮮食品を運んだときの関係者(須永、佐野両氏)の座談を次の通り紹介している。「地球の土の感覚や匂いを感じさせる青果は、宇宙飛行士の活力につながります」という語りに、きっとそうだろうなと思わず納得してしまう。
以前、ISS乗務員にとって、新鮮な野菜や果物がどんなに感動ものか、本ブログ(2018年10月5日)に記したことがある。

(本ブログ関連:”こうのとり”)
-----------------------------------------------------
須永: 地球の土の感覚や匂いを感じさせる青果は、宇宙飛行士の活力につながります。日本からも、種子島宇宙センターから打ち上げる宇宙ステーション補給船「こうのとり」が、これまでりんごみかんなどの柑橘類ぶどうマスカットたまねぎパプリカなど、様々な生鮮食品を届けています。生鮮食品は各国の補給船が打ち上げられるタイミングで搭載されます。搭載の条件は、生で食べられるもの、ISSに到着するまでを模擬した環境下で4週間以上保存がきくものなどがあります。

佐野: なかでもたまねぎは、宇宙飛行士に人気ですね。ごみを減らす為に表面の茶色い皮は剥いた状態でISSに届けるのですが、調味料も使わず生のままかじりつく宇宙飛行士も多いです。地上ではあまりない光景ですけど、宇宙では滅多に食べることができない生鮮食品ですから、かじりたくなるようなんです(笑)。
-----------------------------------------------------

2020年1月7日火曜日

春の七草

陰陽五行の説に一年を次の五つに分ける「節句」がある。1月だけは7日があたるが、他月は月・日の数が同じになる。全ての奇数月があてはまるかといえば、11月は除外される。元来の節句が五つではなく六つになってしまうからだろうか・・・よく分からない。
・人日(じんじつ) 1月7日  七草粥
・上巳(じょうし) 3月3日  雛祭り
・端午(たんご) 5月5日  子どもの日
・七夕(しちせき) 7月7日  七夕(たなばた)
・重陽(ちょうよう9月9日  菊の節句

きょう(1/7)の「人日」の日に健康を願って、次の七種の植物(「春の七草」)が入った「七草粥」を食べる風習がある。これらをセットにしたパッケージがスーパーなどで売られているけれど、今年も食することはなかった。
・せり(芹)
・なずな(薺)
・ごぎょう(御形)
・はこべら(繁縷)
・ほとけのざ(仏の座)
・すずな(菘): かぶ(蕪)
・すずしろ(蘿蔔): 大根

(本ブログ関連:”春の七草”)

上記の七草は、一般に覚えられている順に並んでいる。それと順序が異なるが、姿を紹介しているYoutube映像がある。


(Youtubeに登録の0727yuchanに感謝)

きょうは、一般に正月飾りする「松の内」の最終日で、「門松」などを早朝までに片付ける。新年の締めといってよい。門前に門松を飾ったことはないけれど。ちなみに、門松の飾りにある<竹>の先端の切り方について、テレビで聞いた解説(Wikipediaとは別説)によれば、斜めに切る(客商売で福を受ける)場合と、先端を水平に切る(企業などが福を貯める)場合とがあるそうだ。

2020年1月6日月曜日

小寒 2020

きょう(1/6、月曜日)から、カレンダーの好都合で、世間は「仕事始め」になる。どこの職場でも「あけましておめでとうございます、今年もよろしく願います」を連呼することだろう。そして、いつものように仕事が始まる。

また、きょうから「立春」の前日までを一年で最も寒い「寒(かん)」と呼び、「寒の入り」の初日にあたるきょうを「小寒(しょうかん)」という。小寒の次に「大寒(だいかん)」が来るわけだが、小寒の方が大寒より寒さが厳しい。そこで「小寒の氷、大寒に解く」というそうだ。
ちなみに「寒の明け」は、寒が終わった翌日の立春がそれにあたる。

(本ブログ関連:”小寒”)

小寒のきょう、外は思いのほか温い。この加減のよさからか、遠くの公園に家族連れがけっこう来ていて驚く。

やっぱり寒の入りには、ほっこりしたいもの。
以前見たことがある「赤ちゃん寝返りに成功」*の映像が、Youtubeの最初の画面にお勧めとして表示された。<寝返り>は、誰もが越えるステップだが、この赤ちゃんにとっては初めてのこと・・・思わす声を出して応援したくなる。成功したときの赤ちゃんの笑顔がたまらない。歳をとると、全ての赤ちゃんが愛しくなる。全人類愛の境地に至る。
(*) https://www.youtube.com/watch?v=RODFiuImAak (登録者goto satomiに感謝)

2020年1月5日日曜日

ロゼット (都心で初雪)

冬になると、公園併設の「自然観察園」に咲く野草の花を余り見かけない。同園配布の1月の「自然観察便り」のリーフレットに、<冬越し> の植物の姿から特に「若葉(幼苗)」を多数紹介している。

リーフレットによると、秋から冬に芽を出して、地表に張りつくように放射状に若葉を並べて、そのまま冬を越す姿を「ロゼット(Rosette)」と呼ぶ。バラの花(ラテン語でRose)の形を想起することから名付けられたそうだ。

同園ではボランティアによる毎月定例の「植物観察会」があって、きょうが今年最初にあたる。今回、初めて参加した次第。多数の参加者をグループ分けして、園内をガイドしていただき回った。
・植物の葉が順に放射状に出るのに法則がある。最初の葉が出ると、次の葉は137.5度回転して出るという。これを「黄金角」と呼び、つづく葉も同様にこの角度を守って出るそうだ。
・冬に葉だけを広げるのは、太陽光を浴びて光合成により根茎に養分を蓄えるためという。「ヒガンバナ」のつややかな葉だけが残って群集している場所で教えてもらった。

二十数種のロゼット形の野草を紹介いただいた。考えてみれば、ロゼットはまことに地味な姿である。タンポポやアザミのようなものしか判別できないレベルのため、実際に見聞きするうちに次第にみな同じに見えて、記憶がオーバーフローしてくる。そんな中で聞いた、「ギシギシ」(スイバ属)の別名が「スカンポ」という話にぐっと身近に感じたりした・・・。

ところで、1月になれば、「ロウバイ(蝋梅)」の木が黄色の花を咲かせ、よく見れば花の中心が濃茶色であるが、「ソシンロウバイ(素心蝋梅)」は、次の写真のように、花の中心まで黄色のため眩しく軽やかである。

(本ブログ関連:”ロウバイ”)


これを機会に、毎月1回ある植物観察会に出かけてみようかと思っている。


(追記)1/4、東京都心で今季初雪を観測
NHK NEWS WEBの記事「『東京の都心で初雪を観測』と発表 気象庁」*(1/5)より抜粋
(*) https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200105/k10012235631000.html
------------------------------------------
関東地方は気圧の谷と寒気の影響で雨や雪となり、東京の都心でも4日夜遅く、みぞれが降って気象庁は「東京の都心で初雪を観測した」と発表しました。平年より1日遅く昨シーズンより8日早い初雪です
------------------------------------------

ちなみに「初雪」の定義について、気象庁の「用語解説」は次のように記している。
(**) https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq1.html#20
------------------------------------------
初雪とは何ですか?
気象庁における初雪とは、寒候年(前年8月から当年7月まで)初めて降る雪みぞれを含む)です。
------------------------------------------

2020年1月4日土曜日

(雑談)年始の翌日が土曜日

正月にあたって、官庁は「御用納め(仕事納め)」の12/28から翌年1/3までを正月休みとし、1/4を「御用始め(仕事始め)」としたことから、一般企業も1/4に仕事を再開している。今年は、きょう(1/4)が土曜日なので正月休みにつながって、来週月曜日(1/6)から本格始動することになる。

ところで、海外は正月休みをどうしているのだろう。太陽暦の1/1を新年行事とする日本と違い、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの国々では宗教的な新年が個別にある。カレンダー上の1/1は、単なる区切りでしかないようだ。
宗教的新年を持つ、日本在住の外国人(観光客ではない)にとって、日本の正月行事はどのように見えているのだろうか。感想を知りたいものだ。

わたしたちは、年末に家族団らんの「クリスマス(イブ)」を楽しみ ⇒ 大晦日の夜に寺院の「除夜の鐘」を聞き ⇒ 年始に神社へ「初詣」するといった行事がつづく。日常、宗教的な区別なんて意識していない。

子どものころ、田舎から訪れた祖母が、毎朝、東の空に輝く太陽に向かって両手を合わせて祈っていたのを覚えている。お天道様への祈りこそ、日本人の信仰の原点かもしれないと思う。

2020年1月3日金曜日

初巳

今晩、上弦の月(月齢7.9)が西の空に煌々と輝いた。夜空は澄んでいるように思ったが、月以外に星明りが見られない。辺りは不思議と寒さが厳しくない。

きょうは、五行の「火」で、かつ十二支の「巳」となり、今年最初の「初巳(はつみ)」の日にあたる。巳が蛇の意から、蛇を使者にした「七福神」の「弁財天」(財宝神)の金運につながるという。

新年最初の初巳に、鎌倉の「銭洗弁財天」*では「初巳祭」が行なわれる。同神社の水で籠(かご)に入れた現金を洗うと増えるというが・・・・金運と縁遠いわたしには、鎌倉の地も遠い。なにしろ宝くじが当たったことがないのだから。冷酷な金銭に神頼みはちょっと。
(*)鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社に、学生時代に詣でたことがある。ごく当たり前な雰囲気に拍子抜けするかもしれない。

今年は、さまざまな暦について今まで以上に覗き、分かりやすい日を選んで記してみたいと思う。

2020年1月2日木曜日

ねずみさんの失敗

今年の干支が「」なので、ネズミの登場する話をネットに探したら、青空文庫に村山籌子(むらやまかずこ)の「ねずみさんの失敗」があった。童話の一口ばなしというべきものだが、「油揚げ(あぶらあげ)」の臭いに誘われて、ネズミ夫婦が出かけてみたものの、結局口にできなかったという内容だ。

正月早々になんだが、稲荷信仰の「キツネ」はネズミを油で揚げをたものを食べるという。稲荷は米作に通じ、ネズミは米を盗み喰う害獣にあたる。そんなネズミから米作を守るキツネは「稲荷神」の使いとなる。キツネがどうしてネズミの油揚げを好むのかよくわからない。油っぽいものがキツネの嗜好に合っているのだろうか。

(本ブログ関連;”お稲荷さんと油揚げ”)

稲荷ずし」は、油揚げを醤油で甘辛く煮て、すし飯を詰めたもの。稲荷と油揚げはつながりが深い。(「キツネうどん」は、温かい「かけうどん」に稲荷ずしの包みをそのまま載せたようなものだし)

上記童話のネズミ夫婦が油揚げに相伴できなかったのは、もしかしたら幸いだったかもしれない。

2020年1月1日水曜日

令和二年(2020年) 元旦

あけましておめでとうございます。

令和二年(平静32年、昭和95年相当)の元旦は、正月らしい晴れ晴れとした天気だった。初詣に神社めぐりして今年も平安であるよう祈り、お守りをいただいてきた。

部屋のカレンダーを一新する。大型カレンダーを壁に掛け、日めくりカレンダーをPCデスクの脇につるし、スケジュール記入用の小さな手作りカレンダーをデスクに貼る。おまけに、PC横には月日・曜日表示のデジタル時計を置いている。(そうそう、携帯のカレンダーにもこまめにTo-doを登録している)

老化の診断で、当日の和暦西暦年・月・日と曜日などが問われるとテレビで知って、身の周りにがっちり認識できるようにしている。それでも、外出先で思い出せないときに備えてデジタル腕時計(西暦年・月・日、曜日表示)を使用している。気にし過ぎだろうか。

といって、最近、予定を失念して困ったりすることはない。日々、たいそうなことがそんなにあるわけでないからだ。今年も無理せず、のんびりやっていこう。

2019年12月31日火曜日

年越しそば

大晦日」のならわし、「年越しそば」を食べた。ところで、いつ頃に食するのが正解なのか気になった。

例年、夜の10時頃、テレビを見ながら熱々の <かけ蕎麦> を啜ったりしたものだが、今年の冬は腹の具合がかんばしくなくて難儀したため、夕方早々に食した。なにより、歳とともに夜食がもたれるようになり、小腹の数も減ってきた。

寒いのが苦手なので、当然、深夜零時に合わせて「初詣」に出かける気にならない。今夕帰宅するとき、まるで背中を押すように <北北西> の寒風が吹きつけた。身が風にふらつくとは・・・。

大晦日の夜、恒例のNHK「紅白歌合戦」を除いてテレビで見るべきものがない・・・なんて思っていたら一つだけあった、「孤独のグルメ 2019大晦日スペシャル」だ。飯屋で、アーだ、ウォーだ、クァーだと感嘆しながら、おじさん(松重豊)がひとり食事するだけの番組なのだが、味の想像力(妄想力)がたまらない。

小腹が豊富だったら、見終わった後、台所へ飛び込んで何か手料理を始めるに違いない。できれば、同じものを見ながら食べられたらどんなに愉快だろう。
ところで、もりもり食べる松重さんの胃腸は大丈夫なのだろうか。心配やら羨ましいやら。

2019年12月30日月曜日

年賀状

いつものことだが、年末ぎりぎりにならないと年賀状作りに着手できない。今回もそう、きょうになってようやく作成した。プリンターであっというまに仕上がるのだから、早目にすればいい・・・とはいえ習性のようなもの、繰り返している。

(本ブログ関連:”年賀状”)

今回は、来年の干支(子年)にちなんで「ミッキーマウス」の初期アニメ(1928年)から借用した。どうやらミッキーも飛行機狂(Plane crazy)のようで気が合った次第。


来年、プロペラ機でゆるりと飛んでみたい気がする。若くはないので無理のない範囲で。チャレンジというより、風任せの気分も悪くない。近くに飛行場があるので、そこに離発着するドルニエ228なら、飛行気分を十分味あわせてくれるだろう。

煙を吐くSL機関車に憧れるように、空気を切り分けて飛ぶプロペラ機がいい。

2019年12月29日日曜日

マユミの木

一昨日(12/27)、官庁は「御用納め」になった。それに従い、公営の公園の一画を占める「自然観察園」も出入り管理が行き届いているため閉園になる。

公園自体は自由に出入りできるわけで、年末の昼過ぎにひと気が少ないとはいえ、のんびり訪れてみた。園内を東西に流れる小川は、流量が以前と比べて落ち着いたものの、流速は相変わらずなのに驚く。以前の台風や大雨のせいで、台地に沁みこんだ水分が湧水となっていまだ豊富に流れ込んでいるのだろうか。

自然観察園を囲うネット越しに「マユミ」の木が、四裂した果実から赤色の種子を出しているのが見えた。陽を受けて賑やかな様に、一瞬、遠目に紅梅と錯覚しそう。
ところで、マユミ(真弓)はよくしなるので、昔はこの木で弓を作ったそうだ。見た限り平凡な枝振りで、そんな粘り強さを思い至らせる気配さえ感じることはなかった。

(本ブログ関連:”マユミ”)


公園の遊歩道を散歩する老夫婦とすれ違ったり、原っぱで幼い子連れの親子が楽しい声をあげて遊ぶ声が響いたりする。ゆたりとした年末の日曜日の昼下がりだった。

2019年12月28日土曜日

鼠の鉄火

侵入は返り討ちにあう。一昨日(12/26)のブログに記した「窓から大きな手がぬっと入ってくること」がそうだったように。大きな手の化け物が、室内に突然入ってくるという展開に滑稽さもあるが、結局は知恵を以って退治される。

来年の干支にちなんで、無謀な侵入(触ってはいけないものを触るという裏切り)をした大「鼠(ネズミ)」が、しかも仲間のネズミによって喰い殺されてしまう話がある。ちくま学芸文庫の須永朝彦編訳「江戸奇談怪談集」に収められた、「金玉(きんぎょく)ねぢぶくさ」(章花堂)所載の「鼠の鉄火」について記してみよう。(抜粋)

------------------------------------------------
洛陽(京都)の祇園に、ネズミをこよなく愛する法師がいて、寺内に餌を撒いていたところネズミが寄り付くようになった。ある日、住持(住職)が秘蔵の袈裟をネズミに喰われてしまって以来、ネズミへの愛は冷め、餌を撒くこともなくなった。
寺に棲むネズミが数千匹出でて、大きな素焼きの容器を座敷の真ん中に据え置いた。それぞれネズミたちは、水を口に含んでは容器に注ぎ込んだ。そして、水が十分に溜まったころ、ネズミは一匹ずつ四足を容器の水で濡らして、床の間の上にある紙に飛び乗ったが紙を濡らすものはいなかった。最後の一匹の大ネズミが不承不承したがったところ、紙が水浸しになった。他のネズミたちは群がり、その大ネズミを喰い殺した。

「これは、俗に言う鉄火(火起請。神前にて熱鉄を握らせ、罪科の有無を判断。耐え得ぬ者は有罪)の吟味の類(たぐい)であろう。ネズミどもは、己の仲間内にて袈裟を食い破った大ネズミを詮議仕出し、住持の眼の前にて罪を糾(ただ)し、仕置きを行なった訣(わ)けである」
------------------------------------------------

侵入は、いずれ返り討ちにあう。それは、侵入を受けた側からだけとは限らない、侵入した側の仲間からも同様なのだ。

話はとんとかわるが、「鉄火」から「鉄火巻」が思い浮かぶ。この場合の鉄火をマグロの赤味を指すという説と、鉄火場で軽食にしたからという説があるそうだ。なんとなく、後者の方を納得する。「サンドイッチ」も手軽な食い物で、ゲーム好きの同名のイギリス貴族が食していたからそう呼ばれたという話がある。「鉄火巻」と「サンドイッチ」の両者が <賭け事> の合間・隙間で食うのが共通している。決して労働の合間ではない。

2019年12月27日金曜日

御用納め

きょうは、官庁と明日土曜日が休日の一般企業を含めて「仕事納め(御用納め)」だ。カレンダー上の正月休暇は、年末12/28(土)~年始の1/3(金)と1/4、1/5の土・日を合わせて何と9日間になる。まさに大型連休といえる。その結果、みなが楽しみ、みなが疲れてしまうことだろう・・・分かっているけど。

「仕事納め(御用納め)」(Wikipediaより抜粋)
------------------
日本の「行政機関の休日に関する法律」(昭和63年12月13日法律第91号)では、12月29日から1月3日までを休日としており、12月28日を御用納めとして、その年の最後の業務日となっている。12月28日が土曜日、日曜日に当たるときは、それぞれ12月27日、12月26日が御用納めとなる
------------------

ちなみに、この正月休みに入る前日を官庁(行政機関)では「御用納め」といい、民間では「仕事納め」といい分けるが、今まで違いを意識してこなかった。

なんとなくだが、「仕事納め」は絶対(単一)的な、「御用納め」は相対(複合)的なニュアンスを感じる。
「御用」には、「御用聞き」に通じる、ひとが介する感触がして、「御用納め」の方に民間に合っている気がしたが、一方で「御用」の文字に、時代劇に登場する捕り手が掲げる提灯に書かれた<御上(おかみ)>のイメージもある。「御用、御用!」と威嚇する十手持ちの臭いがしないわけでもない。さすれば、「御用納め」はやっぱり官庁の表現なのだろう。

2019年12月26日木曜日

窓から大きな手がぬっと入ってくること

岡本綺堂が、宋代のものか「異聞総録」などより採集した怪奇話に「窓から手」があって、「青空文庫」に掲載されている。古代の官職の「少保(しょうほ)」に立身した馬亮公(ばりょうこう)が、若いころに書をたしなんでいたときに体験した奇妙なできごとを紹介している。

いわゆる怪奇話には、妖怪、化け物、幽霊といった超自然な異形な存在が登場する。その中でも、この話に出てくるのは変わっている。窓から部屋の中に大きな手がぬっと入ってきて驚かすというのだ。

馬亮公は、とっとと失せろといった意からか、文字を塗り潰すときに使う顔料「雌黄(しおう)」で、大きな手に自分の書を書き連ねて無視し続ける。すると大きな手は、「手を洗ってくれ」としきりにせがみ、結局ねをあげる。面白いのは、弱った手が馬亮公の出世を予言することだ。

--------------------------------------------------
 少保(しょうほ)の馬亮公(ばりょうこう)がまだ若いときに、燈下で書を読んでいると、突然に扇のような大きい手が窓からぬっと出た。公は自若(じじゃく)として書を読みつづけていると、その手はいつか去った。
 その次の夜にも、又もや同じような手が出たので、公は雌黄(しおう)の水を筆にひたして、その手に大きく自分の書き判を書くと、外では手を引っ込めることが出来なくなったらしく、俄かに大きい声で呼んだ。
「早く洗ってくれ、洗ってくれ、さもないと、おまえの為にならないぞ」
 公はかまわずに寝床にのぼると、外では焦(じ)れて怒って、しきりに洗ってくれ、洗ってくれと叫んでいたが、公はやはりそのままに打ち捨てて置くと、暁け方になるにしたがって、外の声は次第に弱って来た。
「あなたは今に偉くなる人ですから、ちょっと試(ため)してみただけの事です。わたしをこんな目に逢わせるのは、あんまりひどい。晋(しん)の温嶠(おんきょう)が牛渚(ぎゅうしょ)をうかがって禍いを招いたためしもあります*。もういい加減にして免(ゆる)してください」
 化け物のいうにも一応の理屈はあるとさとって、公は水をもって洗ってやると、その手はだんだんに縮んで消え失せた。
 公は果たして後に少保の高官に立身したのであった。
--------------------------------------------------
(*)晋(しん)の温嶠(おんきょう):
晋の温嶠が、牛渚(ぎゅうしょ/牛渚磯)の地で、水底にある世界を明かりを灯して覗いてしまった。どうやら、見てはならない世界(霊界)を知ってしまったようだ。このことから、温嶠はほどなくして亡くなる。

この異形の大きな手は、日本風にいえば「化物」に属するだろう。ちょっと笑ってしまうのは散々脅かしておいて、逆襲されるとねをあげる。おまけに栄華の将来を占って見せてくれる。まんざら悪くない化け物だ。