生態学というよりエコロジーといった方が、ファッション感覚として通りがよい。エコロジカルといえば、自然をあるがまま賞賛するといった、お洒落な形容詞のように使われたりする。けれどエコロジーは、自然の<生産>と<消費>をシステム的に論じるもので、動物の世界でいえば喰うか喰われるかの関係性でもある。
そんなシステムの中に生命が散らばっているのを「多様性」というが、互いに共存共栄しているわけではない。生きていくすみかを見つけて広がって(生き残って)いるだけのこと。自然は偶然の産物に過ぎない。
哺乳類は自然に適応して、いろいろなエコロジカルな階層(喰うか食われるかの関係)に分散する。哺乳類がいない世界で、哺乳類と同じように自然に適応して分散した有袋類がいる。それぞれ似たスタイルで分散することを「適応放散」という。
ところが、(人類の移動などで)上記の哺乳類と有袋類の世界が重なってしまうと、いずれか絶滅の問題に直面する。人間に忠実なイヌは、有袋類の「フクロオオカミ(Thylacine)」と同じ水準(似たもの同士)で競合する。それだけでない、フクロオオカミは、家畜の羊を喰うといって人間に駆逐されてしまう。
(本ブログ関連:”オオカミ”)
フクロオオカミ(Last Tasmanian Tiger, Thylacine, 1933)
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