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2011年11月30日水曜日

セシウム137の沈着と汚染

先週、「勤労感謝の日」祝日のため休みだった、地元体育館の「健康体操コース」に出かける。静かで暖かい陽ざしのする公園の道にはプラタナスの落ち葉が重なっていた。

先日、米国科学アカデミー紀要(PNAS)の電子版に報告(11/14)された、「福島原発事故による日本土壌のセシウム137の沈着と汚染」(名古屋大の安成哲三教授ほか)を、名古屋大学の日本語pdf版プレスリリースで見ることができる。
(難解なテクニカルタームのため、「読む」というより「見る」という表現に留まるのだが・・・)

汚染状況は、新聞各紙に報じられたが、次図「土壌中の推定セシウム137濃度」(3/20~4/19の期間の推定値)からわかるように、本報告は次のことをの述べている。

・日本全国で広範囲にわたり、比較的低濃度であるが、一定程度のセシウム137の沈着がありそうであること・・・が推定された。
・(セシウム137は)西日本へまで輸送され沈着している可能性がある・・・。
・また西日本では、汚染が低い中でも標高の高いところ(中国・四国山地など)で、(ホットスポット的に)「相対的に」汚染が高い場所があり得る・・・。
(PNAS):図3-土壌中の推定セシウム137濃度(Bq/Kg)























わが身を、子どもを、そして孫を守るのは、(他者ではなく)自分しかいないということをあらためて知る。

★ 孫-1枚、孫娘-1枚 

2011年11月29日火曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金竹坡

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/23)に、人物シリーズ3回目として「伽椰琴散調(가야금산조)の名人である金竹坡(김죽파)」が紹介された。
ところで、紹介者の岸さんのブログ「かなちゃんの韓国大学院生活」で、そのご活躍を知ることができる。

まず、散調(산조、)の復習からはじまった。
・韓国を代表する器楽演奏曲。
・100年ほど前、金昌祖(김창조1856~1919)という人物が初めて、伽椰琴散調を作ったとされている。そのメロディーは、金昌祖の孫娘の金竹坡(김죽파、1911-1989年)の手により大きく発展していった。

▼金竹坡流、伽椰琴散調の中から「フィモリ휘모리)」を聴く。複雑な拍子でなく、軽快な伽椰琴に気持ちも合わせ易くなる。

次のように金竹坡のプロフィールが紹介された。
・1911年、全羅南道霊岩(靈巖、영암)で生まれる。
・7歳の頃から、伽椰琴散調の基礎を作り上げた、祖父金昌祖より直接、伽椰琴を習う。
・14歳で演奏団の協律社(협률사)に所属し、その後ソウルに上京。
・20代の初め結婚、その後復帰して金竹坡流伽椰琴散調を完成。
・1985年、来日演奏会。
・1989年、79歳で没。

▼若き日の金竹坡の伽椰琴による「アリラン」を聴く。余韻を持たせながらも、軽やかにステップを踏むようなアリランだ。原初のアリランを聞いたような気がする。記録的な意味合いも深いのでは・・・。

▼金竹坡伝承者ムン・ジェスクによる民間風流の中から「羽調(우조)」を聴く。風流に時は流れていく、陽射しも暖かな春に聞きたくなるような・・・。

2011年11月28日月曜日

机上鉱物採集:砂編

前回の机上鉱物採集に続いて、栃木の鉱物の会でお世話になっているйосиба氏から、今回は、世界各地の砂漠を含めて<砂>を机上採集させていただいた。今まで、砂という範疇で収集したことがなかったので、次の通り珍しい採集?ができた。感謝

・砂鉄+(Au+Pt=?):北海道夕張、白金川 (シューパロ湖近く)
・赤鉄鉱砂:岩手県和賀町、和賀仙人鉱山(川沿い)
・ガーネットサンド+砂鉄:南極
・砂:オーストラリア、ゴールドコースト
・火山灰:鹿児島県、桜島
菫青石砂:群馬県タキガ沢(多色性:方向により透明のすみれ色と白色、火山灰付着:白色)
・サハラ砂漠砂:モロッコ
・タクラマカン砂漠砂:ウイグル
・ダイショー砂漠砂:北京朝陽区

また、次の貴重な書籍を貸していただい。目次の鉱山リストを見れば、主要な鉱山が本来、金山であったことが分かる。

「日本金山誌 - 第4編 関東・中部)」(資源・素材学会、1994年2月)

2011年11月27日日曜日

ミルク味

とりとめなく綴る。

先日スティックコーヒー(ブレンディー)の手間要らずな簡単さに気付いて、しばらく飲み続けていたが、やっぱり甘く重い感じがしてきた。ならば、半分の量を使い、それに適量のインスタントコーヒーを足して試したみたところ、これが意外と美味いのだ。甘みを抑えて、苦味が増して十分いける。

とうとうスティックコーヒーを使いきったので、思案した。出番を失っていたM社の粉末のミルク(クリープ)と砂糖を再登場させ、(ジャムで使用した大口の)ガラス瓶のなかにインスタントコーヒーと一緒に適当に混ぜ入れた。お手軽スティックコーヒー味を作ってみた。仕上がりは、粉末のミルクの独特の香りが・・・ちょっと気になるけど、まあいいか。

これで粉末のミルクは使い切ったが、ミルク様液体のコーヒーフレッシュは、冷蔵庫に収まったままだ。これって、存在感が薄いのでは。使い道が決まらないのだ。コーヒーに入れてもピンとこないし、スクランブルエッグに混ぜても風味の位置が定まらない・・・どうしよう。

そういえば、子どもの頃、缶入りの練乳があって、あれを思いっきり飲んだらどんなに美味しいだろうと想像したものだ。大人になって、イチゴ売り場で見かけるM社のチューブ入りの練乳を、グイグイ飲んでみたが遅すぎた。もう子どもではなくなっていた。味の夢も見なくなっていたし。


孫娘-2枚

2011年11月26日土曜日

イ・ソンヒの「雪が降る」

イ・ソンヒは、アダモ(Salvatore Adamo)の「雪が降る(Tombe la neige)」(1963年)を歌っている。彼女の歌は、Youtubeに登録されているが、映像は登録者撮影と思われる冬景色のスライドショーなので、歌声だけをリンクさせていただいた。

イ・ソンヒのアルバム「冬の日のものがたり(겨울날의 이야기)」 (1988年)に、この歌「雪が降る(눈이 내리네)」は収録されているが、このYoutube音源はいつのものだろうか。彼女にしては、随分と歌謡風な歌い方だ。後半のセリフがないのも無理がなくていいな。



(Youtubeに登録のbumobbaに感謝)


★★★★★ 孫が、母親のカメラに向かいこの上ない幸せな笑顔で、ブランコ遊びしている写真が届いた ★★★★★

2011年11月25日金曜日

アルバム紹介:イ・ソンヒ 4集+5集(All That Masterpiece)

Daumミュージックは、イ・ソンヒの「4集+5集(All That Masterpiece)」(24bit-remastering版)について、チョン・イルソ(정일서)KBSラジオPDによるアルバム紹介を次のように載せている。

アルバム紹介

・今、ここで《オール・ザット・マスターピース、イ・ソンヒ》でまたよみがえった4集と5集を話すときだ。1988年2月に出された4集は、イ・ソンヒのディスコグラフィーでかなり重要な位置を占める。ここから、彼女の音楽が意味ある変曲点を迎えたためだ。

・ところで、その変化の端緒を説明する名前の一人がいる。まさに、ソン・シヒョン(송시현)だ。
1987年、「夢みるような世界(꿈결같은 세상)」のヒットで、名前を知られたシンガーソングライターのソン・シヒョンは、この時からイ・ソンヒのアルバム作業に参加し始めたが、4集LPのA面タイトル曲の「愛が散るこの場所」とB面タイトル曲「私はいつもあなたを」を含めて、全4曲が彼の作品だ。 二人の出会いは成功だった。ソン・シヒョン特有の感受性と叙情性は、イ・ソンヒの声とよく調和したし、以後も一時期、イ・ソンヒと一緒にすることになる。

・4集で最も熱い関心を集めた曲は、「美しい江山」だ。 韓国ロックの巨人シン・ジュンヒョン(신중현)の名曲をリメークした「美しい江山」に対する評価は、多少交錯するが概して編曲と演奏面においては余り高得点を得ていない。だが、この曲でさえもイ・ソンヒの歌唱力だけは非の打ちどころがない。しかも、その時までにしても大衆的にそんなに大きく知られなかったこの名曲が、イ・ソンヒのリメークによって多くの人々から愛されることになったので、その功労もまた小さいということはできないだろう。個人的には、4集でユン・テヨン(윤태영)作詞/作曲の「歳月は流れても」を最も好む。やさしくて平易なメロディを持ったこの歌は、たとえ大きくヒットできなかったが、ボサノバ風の洗練された編曲が直ぐに耳をとらえる曲だ。

・5集は1989年に出たが、イ・ソンヒはここでまた一歩進んだ面目を見せてくれた。アルバムのあちらこちらに社会性濃厚な曲を配置したのだ。「五月の陽射し」は、80年光州民主化運動の犠牲者たちの英霊を慰める曲であったし、「ひとしきり笑いで」もやはり時代的痛みをはらんでいる曲だった。直接的ではなかったが、歌詞の中に隠喩的に隠されたメッセージは、通常の民衆歌謡に劣らず深くておぼろなものだった。この他にも5集は、グループ「山びこ(산울림)」のキム・チャンワン(김창완)が作詞、作曲した二曲が収録されていて目を引くだけでなく、同年イム・ジフン(임지훈)によっても歌われた「お姉ちゃん」と、ハミングとナレーションが続く独特の雰囲気の曲「水仙(スイセン)」がそれで、キム・チャンワン特有の歌詞とイ・ソンヒのしなやかでしっかりした声が調和する「水仙(スイセン)」は多少実験的な曲だ。
・ソン・シヒョンは、4集に続き5集でも中枢的な役割をしている。アルバムの代表曲の「ひとしきり笑いで」と「冬哀傷」は、まさに彼が作った曲だ。

(Youtubeに登録のkoongkrに感謝)

昨日、新宿のコリアプラザに電話申し込みしてみたが、限定版のため入荷可能かどうかをあらためて連絡をもらうことになった・・・遅すぎたかな。こういうことは、インターネットで情報が出たとき、早く予約すべきだった。反省。

(本ブログ関連:"イ・ソンヒ 4集+5集(All That Masterpiece)")

2011年11月24日木曜日

由紀さおり「1969」

スポニチSponichiAnnexの記事「由紀さおり 40年ぶり&史上最年長トップ10入り」(11/22)に、歌手の由紀さおりの最新ヒットについて次のように記している。

由紀さおり(63)が米ジャズグループ「ピンク・マルティーニ(Pink Martini)」と共演し、世界24カ国で発売されたアルバム「1969」が28日付オリコンチャートで7位に急上昇することが21日、確定した。

・同作は由紀(さおり)がデビューした1969年のヒット曲を収録。代表曲「夜明けのスキャット」や、いしだあゆみ(63)の「ブルー・ライト・ヨコハマ」など12曲中11曲を日本語で歌っている。

・ピンク・マルティーニとの共演は、リーダーのトーマス・ローダーデール(40)が10年以上前に由紀のファーストアルバム「夜明けのスキャット」を中古レコード店で見つけ、ジャケット写真にほれ込んで購入したことがきっかけ「高音も低音も美しい」と透明感ある歌声に魅了されたという。美声と同楽団の世界的知名度もあって海外から大ヒット。米iTunesジャズチャート1位(2日付)をはじめ、カナダの同ワールドミュージックチャート1位など各国のランキングで軒並み上位にランクイン63年に発売した故坂本九さんの「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」が米ビルボードで1位を記録して以来の日本語作品の世界的ヒットとなっている

試聴Amazonで試聴可能。

また、「FCI」の映像で、次のような象徴的なことをインタビューに語っている。
・「今、日本では歌謡曲っていわれるジャンルが欠落しているので、もう一回復活するきっかけになったらとおもいます。」


由紀さおりの印象は、多分お姉さん(安田祥子)の存在と照らし合わせて、典型的なおきゃんな妹といった役回りの感じがした。ユーモアのセンスがあって、受け応えが抜群で、そのうえ上品である。
「ピンク・マルティーニ」のリーダーが、「『高音も低音も美しい』と透明感ある歌声に魅了された」という通り、彼女の澄んだ声は今も変わらない。

(Youtubeに登録のAutumnSnake2011に感謝)

2011年11月23日水曜日

小雪2011

今日は、二十四節気の「小雪」で、そろそろ雪の気配を感じるころ。とはいえ、いまだに寒暖の差が激しく、今週金曜日を底にして変動するようだ。いきがって、もっと寒くなれ!とはいえない。寒いのは苦手だから。


(暖かい陽射しに誘われて、公園で孫たちが遊んだとの知らせを受けた)
★ 孫(兄)が戯けたポーズをして、孫娘(妹)がドッシリとかまえて、座っている写真が届いた 

神野美伽/OVER THE SEA

神野美伽が韓国語で歌ったアルバム「OVER THE SEA  해협을 넘어서」(海峡を越えて、1999年)がYoutubeに登録されている。このアルバムがリリースされた翌々年の2001年に、彼女は、NHKの語学講座「アンニョンハシムニカ・ハングル講座」の「歌うハングル酒場」コーナーにママ役で出演して、代表的なトロットを歌っている。さらに翌年の2002年には、サッカーのW杯が日韓共同で開催されるに至る。

このアルバム「海峡を越えて」には日本語訳の冊子もあり、制作の意義を、「『同根異花』の歌が海峡を越えた!」(小西良太郎、スポーツニッポン新聞社)のなかで次のように解説している。
・韓国側の(ナフナを筆頭に幅広いジャンルからの)作曲者がメロディーを先に書き、日本の作詞家が、はめ込む型で詩を作った。
・(両国当事者の)「腕くらべ」・・・情熱のつばぜり合い・・・。これに神野美伽が、乗らなければ嘘である。・・・・

以上の熱い序論の通り、アルバムの歌詞とメロディには熱気があって美しい。その中でも、特に次の曲はお気に入りだ。

Youtube-1
Youtube-2   「6.인생은 간이역」(日本語タイトル)「人生は水の駅」
Youtube-3   「9.무정」(日本語タイトル)「砂に抱かれて」

ところで、彼女の「釜山海峡」(1997年)のYoutube映像がないのが残念だ。(カラオケ版は他の動画サイトにあるのだが)

そうそう、神野美伽は1965年生まれなので、イ・ソンヒより一つしただ・・・つまり、同じ世代である。

(Youtubeに登録のsaran06hyonmiに感謝)

(本ブログ関連:"釜山海峡の冬景色はいかに"、"神野美伽の「歌うハングル酒場」")

2011年11月22日火曜日

古川宇宙飛行士無事帰還

日本経済新聞の記事「宇宙飛行士の古川さん無事帰還 カザフスタンに 宇宙滞在167日」(11/22)によれば、宇宙での滞在日数が日本人最長となった古川宇宙飛行士が無事帰還したと次のように報じている。【モスクワ=金子夏樹記者】

・「国際宇宙ステーション(ISS)」(日本の実験棟「きぼう」で実験など)での長期滞在を終えた宇宙飛行士の古川聡さん(47)らを乗せたロシアの有人宇宙船「ソユーズ」(27S/TMA-02M)は、22日午前8時26分(日本時間同11時26分)、カザフスタンの平原地帯に着陸し、古川さんらは無事に帰還した。

・古川さんは日本時間午前8時、ロシアと米国の飛行士とともにISSを離れ、約3時間後に大気圏に突入した。(6月8日にカザフのバイコヌール宇宙基地からソユーズで打ち上げられ、同10日からISSでの長期滞在を始め)宇宙での滞在日数は167日に達し、2009年12月~10年6月に163日滞在した野口聡一さんを抜いて日本人最長となった。


ソユーズで着陸した後、体を慣らすため宇宙飛行士が椅子に座っている光景があるが、そのとき彼らの額を拭いてあげている場面を目にする。今回も、TV映像(TBS)によれば、厳寒のなか彼らを(防寒のため)たっぷり包んだためか、汗を拭っていた。それに、後でみずみずしいリンゴを食べるのかな・・・美味いだろうな。

2011年11月21日月曜日

田無演習林

西武線田無駅北側の、同線に平行して走る新青梅街道と所沢街道(都道4号線)が交差する北原交差点近くに、東京大学の農学関連施設がある。施設正門は、同交差点から所沢街道を北上するとすぐに右手に見える。現在、施設の耕地・緑地(旧農場)は、見学が原則休止されているが、さらに街道を北上すると、演習林の門が見える。こちらの見学は自由である。

むかしの仕事仲間と上記の演習林をのんびり散歩した。ところどころに、樹木の解説帳があるが、基本的には自然を親しむ場所だ。年数回、小金井公園で催される、樹木観察会に参加しているが、目前の木々の名は皆目検討つかない。
見学路には、落ち葉が敷き詰められていた。陽当たりのよい広場を外れると、やっぱりヒンヤリする。だんだん冷えてくる。

結局、トンカツを食って、近くに孫たちの住む家があるのだが・・・と思いつつ帰宅する。


(付記) 演習林の門をくぐり、受付で訪問者名を記載したとき、田無演習林について「田無試験地」と書かれたパンフレットが置いてあったので、その中から、同地の地況について触れている項(「3.地況」)を次に記す。

・本試験地の総面積は9.1haで、武蔵野台地の武蔵野段丘(武蔵野面)上に位置し、海抜高約60m、地形は平坦です。地質は、層厚6~8mの火山灰層(関東ローム層)の下に、砂礫層(武蔵野礫層)が続いています。土壌はローム層の上に火山灰層を母材とする黒色土が50~60cmの厚さで分布しています。気象条件は年平均気温15.5℃、年降水量は1,350mmです。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 ピナリ

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/16)に、人物シリーズ2回目として「ビナリ(비나리)といわれる音楽の第一人者、イ・ガンス(이광수)」(1952~)」が紹介された。

まずピナリについて、次の通り説明から始まった。
・何かを切実に願いお祈りするときに、音楽にのせて歌う歌を、ビナリという。
・家庭の祭壇にお供え物をする儀式の「告祀(고사)」の際に、ビナリが歌われ、ビナリの別名を「告祀ソリ」ともいう。

▼イ・ガンスほかによる「祝願徳談(축원덕담)」を聴く。複数の打楽器とともに歌う声は、掛け声のように力強い。前口上のように語り聞かせる。

次のようにイ・ガンスのプロフィールが紹介された。
・1952年、清南道礼山に誕生。寺党(ナムサダン:남사당=旅芸人)一座をひきいていた父を持つ。
・1978年、キム・ドクス、キム・ヨンベ、チェ・ジョンシル等とともにサムルノリ一座(4人編成)で、広場で踊ったり走りまわったりしながら演奏していた風物(プンムル:풍물)という音楽を舞台用に再構成し、サムルノリの公演を初めて行った。(サムルノリの誕生)
・現在、独立して活動中。

▼イ・ガンスほかによるサムルノリの「南風(영남풍물)」を聴く。風物の舞の動作を含まない分、演奏はリズムの技巧が主体になっている。伝統音楽の縦軸以外に、横軸も組み込んだイメージがする。

▼イ・ガンスによる民謡の「江原道アリラン」、「ハン五百年」を聴く。民謡はいいな、肩肘張らずに聞けるし、歌っている方も、自分の声の背に大地に根ざしたものを感じているだろうから。・・・ところで「ハン五百年」はどの地域を起源としているのだろうか。


ピナリといえば、ク・チャンモ(구창모)の「ヒナリ(희나리)」を思い出してしまうが、祈願のピナリと、生木のヒナリでは大違いなわけで・・・。

(Youtubeに登録のyokosuka30に感謝)

2011年11月20日日曜日

イ・ソンヒ、人生のメンターに選ばれる

DailyWhyの記事「歌手イ・ソンヒ、ユ・ジェソク抜いて『人生のメンター』に挙げられて」(11/19)によれば、音楽サイトのアンケートで、「『人生のメンター(指導者)になってくれたらと思うスター』アンケート調査で1位」に選ばれたと、次のように報じている。

・歌手イ・ソンヒが「人生のメンター(指導者)になってくれればというスター」の1位に上がった。

・音楽専門サイト「モンキー3(monkey3)」が、去る11月10日~16日まで実施したアンケート調査で、イ・ソンヒはユ・ジェソクを追い抜いて「人生のメンターになってくれればというスター」の1位に選ばれた。

・総計487人の投票者中で、(198名)41%の支持を受けた彼女は、MBC「偉大なる誕生2」にメンターとして参加して、温みの中で、挑戦者らの弱点を鋭く突いて見つけながら、助言を惜しまないでいる。

・一方、国民のMCユ・ジェソク(유재석)は34%で2位を占めており、タブロ(타블로、7%)、パク・チソン(박지성、6%)、パク・チニョン(박진영、6%)、キム・テウォン(김태원、6%)の順だった。


MBCのオーディション番組「偉大なる誕生2」に登場するイ・ソンヒの様子を、PC上で見たことがある。メンター席の中央に座り、感情を安易に出さず、声のトーンも抑え目で厳しさを感じた。若い人たちには、彼女のそんな迎合しない態度が惹かれたのかもしれない・・・。もちろん、参加者の力量に応じて使い分けしているのだろうけれど。
イ・ソンヒと同世代も含めて、ファンは目覚めた。オーディション番組は、実力ある歌手の歌を聞きくことの意味を再認識させたのだろう。
・・・それにつけても、イ・ソンヒの声を直接日本で聴くことはできないのだろうか。

(参考)
情報源のmonkey3(http://www.monkey3.co.kr/)は、残念ながら韓国内のみ閲覧可能のようだ。インターネットによる海外からのアクセス不可が最近の傾向らしい。


(隣り町のスーパーで開かれたゴレンジャーとの握手会に、孫は母親の家族と一緒に出かけた)
★★★★★ 孫が、ゴレンジャーと緊張して握手するのを、後ろでおばあちゃんが支えている写真が届いた ★★★★★

2011年11月19日土曜日

アマ・ルール

小雨ぱらつくなか、地元の公民館に記録映画「アマ・ルール 大地の人 バスク」(1981年、民族文化映像研究所)を見る。スペインとフランスを分けるピレネー山脈の両側にまたがり大西洋に面するバスク地方(Euskal Herria)の人々の記録映画である。

牧歌的なバスク民族の生活をイメージしてしまうが、確かに映画では(チーズ作りのため)山地に登り羊を放牧する男たち様子を主軸にしていたけれど、実際にはスペイン側に工業地帯を持ち多数の人口を抱えていることも触れていた。彼らの住むところは、本来、広葉樹のブナ林に恵まれ、ピレネー山脈を水源とする環境のようで、辺境の地というわけではないようだ。

30年前、1981年当時の映画なので、現在の状況を知るわけではないが、ただバスク語の響きがどのようか聞いてみたかったのだ。民族性なのかもしれないが、抑揚をきかせたしゃべり方ではなく、一語一語明確な言葉使いに聞こえた・・・。バスク語の地名の痕跡は、実際の彼らのバスク地方の周辺にもとどめていて、本来の活動した範囲はもっと広かったらしい。

そうそう、映画の題名「アマ・ルール」は、バスク語で「母なる大地」の意だそうだ。

帰り道の雨脚は強かった。

2011年11月18日金曜日

しし座流星群

曇天の深夜(0:00~)、南東の空に雲間なく、星明かりも、まして「しし座流星群」を見ること能わず。

ということで、weathernewsのインターネット特別番組「SOLiVEスター」を視聴する。(昨日23:00~本日01:00)
7元のLive中継場所に、しし座の名にちなんで(ライオンはメスが強い)、観測者に女性が4名という、前回の「オリオン座流星群」の時と打って変わった陣容だった。

・胎内自然天文館<晴れ>: いそやん(男性)
・美星天文台<曇り>:かんたろう(男性)怪しい金髪女性が出現。
・小岩井農場まきばの天文館<素晴らしい快晴>: NEGO(男性) ☆一番!、☆二番!☆三番!ハットトリック、スリーゴールの観測。
・綾部市天文館<曇り>: トクマルマン2(女性)
・八ヶ岳自然文化園<晴れ>: みけんくん(女性)自動車とゴッツン!3億、3億!・・・意味不明。
・銀河の森天文台<快晴>: マティス梓澤(女性)天然さにMCからみきれず。
・SHIRASE(船橋)<曇り>: シルベスダ・須田ローン(女性)

今晩も、腹を抱えて笑わせてもらいながらも、実況画面で3回も流星映像を見せてもらった。感謝。
流れ星が姿を見せた瞬間、願い事をするのを忘れて、スポーツ感覚で視聴していた。

(本ブログ関連:"オリオン座流星群")


(孫たちの髪をさっぱりさせてとい知らせを受けた)
★★★★★ 孫娘が、髪を切ってもらいお目めもパッチリして、颯爽としている写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、髪を切ってもらって身軽になったのか、何かしでかしそうな写真が届いた ★★★★★

2011年11月17日木曜日

炬燵と便り

まごうかたなき冬。とうとう、炬燵のスイッチを入れてしまった。エアコンの暖風はせわしい。押し付けがましいのだ。それに比べて、じんわりと足元を温めてくれる炬燵はよい。落ち着いてほっとさせてくれる。炬燵の上で、ブログの作成はもっとよい。

先ほどメールを受信した。お嫁さんから、結婚記念日の一昨日、家族でディズニーランドに泊まったという。添付の写真がうれしい。
孫(お兄ちゃん)が、梅佳代の写真集にあるように、上を向いてとぼけた顔を見せてくれる。ちいさな男の子の一種の照れ隠しなのだろう。そのポーズがとても似合っているからたまらない。
孫娘(妹)は、父親と一緒に大きな花飾りのそばにいる。屋内展示場所なので薄暗いが、よく目をこらして見ると、ベビーカーに孫(お兄ちゃん)も一緒に乗り込んでいるように見えて・・・。
幼児はとどまることを知らない。

(本ブログ関連:"みかん"、"美しい調べ"、"ちいさな男の子は阿呆である")

2011年11月16日水曜日

イ・ソンヒとフィソンの「Jへ」

このブログからリンクしたYoutube映像が時に、登録者のアカウント停止のため再生できなくなっていることがある。その方が、どういう行動基準に反したのか分からないが、からめて他の動画も一切見えなくなってしまう。貴重な映像を失ったようで残念である。

ぺ・チョルスのKBS音楽番組「コンサート7080」(2009年3月22日)で、イ・ソンヒとフィソン(휘성)が「Jへ(J에게)」をデュエットするYoutube映像が、上記の理由で見られなくなっていたが、Sunnyfan100によって昨日再アップロードされている。
「Jへ」は、イ・ソンヒのデビュー曲であり、記念碑的な大ヒット曲である。ちなみに、イ・ソンヒは、弟子のイ・スンギ이승기)ともこの歌をデュエットしている。

フィソン(本名최휘성)については、イ・ソンヒの2009年のコンサート(4/1-5、世宗文化会館大劇場)にゲスト出演したのを見かけただけでよく存じませんが、当日会場の盛り上がり方には驚いた。(4/2:コンサートレポート
彼は、切なそうでいて不思議に伸びやかな声を持っている。そういえばシャイな感じがした。舞台上で咳き込んでいて、意外と母性をくすぐるような・・・。
ところで、彼は先日(11/7)、「忠清南道(チュンチョンナムド)論山(ノンサン)訓練所に入隊し、5週間の基礎軍事訓練を受ける。」ことになったそうだ。(中央日報(11/7))

次のYoutube映像には、日本語字幕があるけれど、登録者のプロフィールから、果たしてどうやって入手したのだろうと関心を持ってしまう。



(本ブログ関連:"コンサート7080"、"ペ・チョルス")

冬哀傷

わたしには、CDだけのイ・ソラなので、人物イメージは分からなかったが、あるときソウルのホテルのテレビに彼女の姿を初めて見て、実力歌手が、中島みゆきのように別世界を持っていることに、そんなに飛んではいないけど、当たり前ながら納得した。随分と楽しそうな雰囲気ある人だった。

そんな彼女のKBS2音楽番組「イ・ソラのプロポーズ(이소라의 프로포즈)」(1998年11月 21日)に、イ・ソンヒが出演して「冬哀傷(겨울애상)」を歌っているYoutube映像がある。
冬の夜、青く輝き澄んだ空気のように、心に滲み入る追憶歌だ。



(Youtubeに登録の526apolloに感謝)

(本ブログ関連:”冬哀傷(2バージョン)”、”イ・ソンヒの「冬哀傷」を作詞した場面”、”冬哀傷(3)”)

2011年11月15日火曜日

少年探偵団、赤胴鈴之助

子どもたちがゲーム機に夢中になるように、ぼくらの子ども時代はラジオに噛りついていた。チューニングのダイヤルを廻すと、黄緑色したマジック・アイのランプがまるで爬虫類の瞳孔のように縦に絞られるとき、新しい時代を先取りしたような感じがしたものだ。真空管の先を行ったような気分だった。

夢中になると、夕飯どころではない、親がわざわざ本棚の上に置いてしまったラジオを聞きたいために、本当に本棚にぶら下がって聞いていた。庭の陽が陰るころ、ご飯よ!を遠く耳にしながら。

配役に無関心だったが、ラジオの番組「少年探偵団」(1956年-1957年)と「赤胴鈴之助」(1957年-1959年)がお気に入りだった。今でも、主題歌のフレーズが鮮明だ。残念なことに映画の方は印象が薄い。

ラジオ番組「少年探偵団」の主題歌の始まりにある、「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団/勇気りんりん、るりの色/・・・」を聞いて、気持ちはもう団員になっていた。そして、「赤胴鈴之助」の歌の序にある、「うっ、ちょこざいな小僧め、名を、名を名乗れ!」と道場の先輩武士が威嚇する声が忘れられない。ぼくらはみんな、これらの言葉を聞いて、誰にも負けない、強い少年になったのだ。

そうそう、ラジオ局は北九州だったので、RKBを聞いていたのだろう。電車は西鉄、ラジオはRKBの当地だ。
それでは、Youtubeで聞いてみようかな。



(Youtubeに登録のKAZEKOZOU69に感謝)

2011年11月14日月曜日

KBS WORLD「国楽の世界へ」 金素姫名唱

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/9)に、「韓国国楽界の歴史に残る人々」として、「国楽界の人物シリーズ第一回は、パンソリ(판소리)の名人すなわち名唱(명창)のキム・ソヒ(김소희:金素姫)」が紹介された。

▼金素姫による韓国民謡「舟歌(뱃노래)」を聴く。(この歌は、いろいろなバージョンがあるのだろうが、インターネット上の他の歌と比べて)随分とゆったりと歌われている・・・。

次のように金素姫のプロフィールが紹介された。
・1917年、全羅北道高敞(고창)にて誕生。
・13歳で国楽に関心を持ち入門、15歳にソウルでデビュー。
・1964年、重要無形文化財第5号パンソリ「春香歌」の芸能保有者に指定。
・1995年、79歳没。

▼金素姫ほかによるパンソリ「春香歌(춘향가)」から「恋歌(사랑가)」(歌詞、ブログRural Bus Stopに感謝)を聴く。(以前の放送で、「春香歌」の中から「オリジョン別れのテーマ」を聴いている) この恋歌って漢語を網羅しているけれど、考えてみればけっこう際どい場面で・・・でも、歌は徹していて。(岩波文庫「春香伝」許南麒訳、ちなみに平凡社の東洋文庫「パンソリ」申在孝著には、この部分が載っていない)

▼金素姫ほかによる「口音(구음)」を聴く。唱歌(しょうが)と同じ(俗に言えば「鼻歌」のように)で、深みのあるしっかりした声で歌っている。

2011年11月13日日曜日

朝日トンネル工事現場

茨城県土浦土木事務所
早朝、寒さを心配したが、思いの他の暖かさに安堵。いつもお世話になるхаякава氏の車に同乗させていただき、茨城県「朝日トンネル」工事現場周辺での鉱物採集に向かう。

筑波山に連なる南東の尾根に、茨城県の土浦市大志戸(南側)と石岡市柴内(北側)を分ける朝日峠があり、現在、その両地つなぐ朝日トンネルの工事が進められている。トンネルの両側には、掘り出した岩石を、トンネルに続く道路の基礎工事に利用したり、一部野積みしている。野積みした岩石から、次のように鉱物を表面採集した。

採集場所は次の2ヶ所。

フルーツライン(県道199号線)を土浦市「大志戸」まで北上すると、遠く正面の山裾にトンネル入り口が見える。道路の左わきに、トンネルまで続く盛り土の路が造成されている。その周辺を調べて、次のものを採集した。
・雲母、黄鉄鉱、石英
・大志戸に、コミュニティバスのバス停があった。

② 次にフルーツライン経由で朝日峠を越えて、茨城県石岡市柴内の「辻」にある道路標識(大覚寺など4ヶ所表記)まで進み、道路右側の野積み設置場所と、更に、トンネル寄り(戻る)の別の野積み場所で、次のものを採集した。
鉄礬柘榴石(結晶大、12面体、24面体)、鉄電気石(結晶大)、正長石、方解石、

噂の緑柱石は、わたし達の前に姿を現すことはなかった。上記②の2番目の野積み場所の岩石から、хаякава氏は、ハンマーとタガネで時間をかけて、素晴らしい鉄礬柘榴石と鉄電気石を採集された。それらの結晶は、同氏が今まで採集した中で最大であり、最も美しいものであるとのこと。
わたしは自分の採集品をリセットして、いくつかをありがたくいただいた。感謝。


(孫たちがお弁当を持って多摩湖に遊びに行った、という知らせを受けた)
★★★★★ 孫が、多摩湖畔の広場で、ちょっと得意そうに長い棒を持ち上げている写真が届いた ★★★★★

2011年11月12日土曜日

イム・イェジン

お馴染みのGyaoで、映画「最強☆彼女」(2008年)を見る。SBSのファンタジック&ロマンティック・ラブコメディ「僕のガールフレンドは九尾狐」(2010年、OST「狐の嫁入り(여우비)」をイ・ソンヒが歌う)で、無垢で一途な九尾狐ミホを熱演したシン・ミナ(신민아)が、同じく主人公ソフィを務めるラブコメディーだ。この映画も、時代を超えて過去と現在の因縁を取り入れる似た展開をしている。

映画には、主人公ソフィが心ひかれ憧れるオートバイライダーの大学生が登場する。ところが彼は、別の女性、しかも歳上の警察官に、一方的に熱を入れてしまう。その、女性警官を演じているのがイム・イェジン(林藝眞、임예진)だ。ところで、この唐突な展開も不思議だが、ライダー青年も途中でストーリーから消えてしまう・・・。

イム・イェジンは、ハイティーン映画「女高卒業班」で爆発的な人気を得たそうだ。当時の写真を見れば、今となっては古風であるが可憐な少女だ。現在も、どんな役柄でも演じられる魅力的な女優である。いえ、わたしはもちろんイ・ソンヒのファンですよ・・・でも、いろいろなドラマに出てくるイム・イェジンを見るたび、ちょっと気になるだけです。気が強くて、優しくて、涙もろい、品のよいアジュンマだ。ちなみに、彼女は1960年生まれで、世代的には386世代である。

(追記)
T-ARAが、むかしの女高生に戻って、「Roly-Poly In コパカバーナ」を歌うミュージックビデオがあるが、そのむかしを懐古する女性として、イム・イェジンが登場するFullミュージックビデオ版もある。
(Youtubeに登録のXanXhi5に感謝)

(市民祭のイベント見物に、孫たちが公園に出かけたという知らせを受けた)
★★★★★ 孫娘が、暖かな陽を浴びて、笑顔で話しかけるようにお座りしている写真が届いた ★★★★★
★★★★★ 孫が、父親のひざの上で、ゴレンジャーの戦隊ショーの開始を待つ写真が届いた ★★★★★

2011年11月11日金曜日

空間線量率マップ

本日の日本経済新聞(11/11)は、文部科学省の報道発表「文部科学省による、岩手県、静岡県、長野県、山梨県、岐阜県、及び富山県の航空機モニタリングの測定結果、並びに天然核種の影響をより考慮した、これまでの航空機モニタリング結果の改訂について」(11/11)を報じている。同記事リンク先の報道資料は、下記の通り10 月13 日現在(補正込)の空間線量率のマップ(参考1)図を掲載している。
3/11の福島原発事故の結果、風向と地形により、放射性物質が二方に分かれて南下していることがわかる。何度見ても、複雑な気持ちになる。果たして風向きが違っていたら、本当にこれほどの騒ぎになっていたのかどうかということだ。

<報道資料>
(参考1)「文部科学省がこれまでに測定してきた範囲及び岩手県、静岡県、長野県、山梨県、岐阜県、及び 富山県内における地表面から1m高さの空間線量率」

・1m高さの空間線量率の分布状況を示したマップ及び土壌表層への放射性セシウムの沈着状況を示したマップの作成にあたっては、今回の航空機モニタリングの結果を使用した。

・モニタリング結果を岩手県の航空機モニタリングの最終測定日である10 月13 日現在の値に減衰補正している。

地球「外核」は2層構造

日本経済新聞の記事「地球の『外核』は2層構造 東工大など定説翻す発見」(11/11)は、地球内部の構造〔地表>地殻>(上部>下部)マントル>コア(外核>内核)〕の「外核」について、新説を次のように報じている。
日本経済新聞の科学記事は、いつもながら理解しやすくありがたい。(参考図

・海洋研究開発機構と東京工業大のチームは、地球の内部にある外核が従来考えられていた1層構造ではなく、上下に分かれる2層構造になっている証拠を見つけた。地球の磁場が数万~数十万年周期で反転する現象の原因解明につながる。米科学誌サイエンスに11日掲載される。

・地球の内部は中心に近い方から順に、固体の金属でできた内核液体の金属でできた外核岩石質のマントルがある。外核は地表から深さ約3千~5千キロ。主成分は液体の鉄で、「酸化第一鉄」という酸化鉄の固体を30%ほど含むとされる。

・研究チームは地球内部に似た高温高圧の条件を再現。約240万気圧、4千度程度になると、酸化第一鉄の結晶構造が変化し、これまで知られていなかったより重い構造になることを発見した。

・この条件は外核の深さ4千キロ付近に相当。外核はこの辺りで2層に分かれると考えた方がよく、2層で別々の対流が起きているという外核の対流は地球の磁場を生み出す原因とされ、2層の対流が乱れると磁場のN極とS極が入れ替わる可能性があるという。地球の磁場は、太陽から高速の粒子が噴き出す「太陽風」や宇宙線から地表の生物や大気を守っている


(付記)
2011/11/11、11:11、新宿のフルート教室にいて、その時になったら一言ジョークでもと思っていたが、結局言い忘れてしまった。この「11」の数字を日付に結び付けるには、少し重過ぎる。

イ・ソンヒの涙

STOO.COMの記事「イ・ソンヒ、『偉大なる誕生2』収録中に涙こぼし・・・なぜ?」(11/10)は、オーディション番組「偉大なる誕生2」のイベント「偉大なるキャンプ」で、イ・ソンヒが涙した話題を次のように記している。(キム・ギョンロク(김영록)記者)

・「小さな巨人」イ・ソンヒ メンター(指導者)が、「偉大なるキャンプ」の最終日、ついに堪えた涙を流した。

・手厳しい忠告で、いつも真っ直ぐな姿を見せてきたイ・ソンヒも、最終合格者が決定される最後の日には、厳しい道を歩んできた先輩の心に戻っていた。

・イ・ソンヒは、舞台を終えた参加者たちに評価をしている途中、「一日で新しい歌をマスターするのは、私にも大変なことだ」といいながら、脱落者たちにねぎらいを語りかけた。続けて、震える声で「与えられた時間に、課題を誰より上手くしたかの差だけだから、脱落したという理由で傷つかないでね」と呼びかけて涙を流してしまった。

・これを見守ったパク・ジョンヒョン(Lena Park)も、イ・ソンヒの真心と脱落者たちの切実さの前に涙を浮かべた。

・サバイバル特有の緊張感と涙を見守ってきたメンターたちは、「短い期間だったが最善を尽くしてくれて本当にありがとう」という言葉で、「偉大なるキャンプ」参加者に挙げて直接でないが言い送った。

・涙と歓呼の「偉大なるキャンプ」の最後の話、「メンタースクール」進出に向かって全力疾走する総34チームの栄光の顔は、11日(金)夜9時55分放送を通じて公開される。

2011年11月10日木曜日

モントリオール室内楽団との共演(1990年)

イ・ソンヒは、今も若いころの印象のままであるが、少年のようと形容されたこともある。実際、ミュージカル「ピーターパン」(1991年、世宗文化会館大講堂)で、主人公のピーターパンを演じている。
そんな容貌を彷彿させる彼女の姿を、1990年10月に来韓したカナダのモントリオール室内楽団との共演映像(KBS収録)をYoutubeで見ることができる。そこには、少し緊張した面持ちで「Jへ(J에게)」を歌う、そしてちょっと力が入った彼女がいる。そういえば、会場の雰囲気も・・・。



(イ・ソンヒ公式ホームページより)
1990.10.21モントリオール室内オーケストラ来韓公演 共演 昌原(チャンウォン)KBS公開ホール
1990.10.23モントリオール室内オーケストラ来韓公演 共演 釜山(プサン)文化会館大講堂
1990.10.25モントリオール室内オーケストラ来韓公演 共演 蔚山(ウルサン)KBS公開ホール
1990.10.26モントリオール室内オーケストラ来韓公演 共演 ソウル世宗文化会館大講堂

(Youtubeに登録のlys2187に感謝)

2011年11月9日水曜日

孫のやさしさ

孫の近況を知りたいと思っていたら、お嫁さんからリペア中の携帯電話機の代替機を使って、孫たちの様子が知らされた。

孫(お兄ちゃん)は、昨日、美容室で髪をカットして帰ってきた母親を見て、こんなに可愛らしくやさしい言葉をいった。
「ママ、髪切ったの?、痛かったでしょう?、痛かったでしょう?」と、泣きそうな顔で心配してくれたそうだ。
孫は人を思いやるほどに立派に成長した。いい子に育った。

そしてメールに、母親に抱かれて静かに寝入っている孫娘(妹)の顔写真が添付されていた。布にくるまれて、静謐ななかに、頬に光があたって陰影のある味わい深い、いつまでも見つめていたい写真だ。
なんだか可愛い寝息が聞こえてくるような気がする。

イ・ソンヒ インタビュー(来年のことも)

イーデイリーとのインタビュー記事「彼女が欲を出すただ一つのこと」(11/8)には、眠っていたファンまで呼び覚ましている、イ・ソンヒの歌に対する思いが語られている。そして、来年には、新しいアルバムとコンサートが期待されるという言葉まである。[チョ・ウヨン(조우영)記者]

・「童顔という言葉が嫌いと、年齢が全てだといっていたが、それでも人々が『若く見える、以前と変わっていない』といってくだされば気持ち良いのは事実です。」

・1984年、二十歳のあどけない背の小柄な歌手の一人が、大韓民国の歌謡界をにわかに引っくり返した。「Jへ(J에게)」で、その年、「江辺歌謡祭」の大賞を受けて、華麗にデビューしたイ・ソンヒ(47)であった。1980年代中盤から1990年代はじめまで、賞という賞は全部さらった彼女は、以後数多くの歌をヒットさせて「兄さん・姉さん部隊」(というファン層)を作り出した。

・27年経った今、彼女の名前の三文字(이선희)の前には、「永遠の少女」という修飾語が付いている。だが、彼女が唯一欲を出す は別にある。

・「歌手として、歌を上手に歌うという は、聞いただけでも欲が出ます。もう、歌手というタイトルを付けて過ごしてから30年になりつつあるのを見れば、『自分の仕事を良くやって生きたんだな』と知らせてくれるようです。それで、前は負担だった修飾語も、今は喜んで受け入れるようになります。」(笑い)

◇ "ライブの女王の秘訣?..水もグイと飲みません"

・歌謡関係者たちは、イ・ソンヒを真のライブの女王に選ぶ。「Jへ」、「分かりたいです(알고 싶어요)」や「私はいつもあなたを(나 항상 그대를)」などを歌うときの彼女は、少女漫画から飛び出してきたように清らかな声で切ない感性を切切に歌う。また、「ああ! 昔よ(아! 옛날이여)」、「美しい江山(아름다운 강산)」、「ひとしきり笑いで(한바탕 웃음으로)」などで、彼女は熱い胸を持った不屈の少年のようなイメージで、ロックンロールのシャウティング唱法を駆使したりもする

・映画「王の男(왕의 남자)」のOSTにも使用された「因縁(인연)」や、(TVドラマのOST)「狐の嫁入り(여우비)」で、彼女はこの(上記の)二つの姿をみな表わす。特に、公演会場で直接彼女の歌を聞く人の胸は、爆発するようにドキドキして目頭が赤くなる。
カン・ホン(강헌)大衆音楽評論家は、これを「イ・ソンヒのボーカルは、暖かいながらも強靭な女性のエネルギーを抱いていて、西欧的な発声の中でも東洋的な静粛美が流れる」とした。だが、このように完璧のような彼女は、相変らず謙虚にして自らを鞭打ち、自己管理に徹底する。

・「私が歌うことはできない唱法や技巧に対する、物足りなさが生じる時があります。多くの方が誉めてくださるのは、多分私が歌う曲が、歌詞やメロディには感性的な部分があるのに、シャウト唱法が基本的に散りばめていたからなのでしょう。それで、事実、容貌や体力管理よりは、声の管理に神経を多く使います。できるだけ、首に無理なことがあるお喋りも避けて、熱いとか冷たい水をぐいぐいと飲まなくて、首を保護するために、夏にもスカーフは必需品ですよね。」

◇ "最高のメンター(指導者)? 大切な心よく分かるから"

・イ・スンギ(이승기)を育てたイ・ソンヒは、最近MBCの「偉大なる誕生2」で、メンターとして参加して、また他の後輩らを訓練している。物静かで親しいながらも冷徹な審査が印象的だ。おかげで就職準備中である求職者を対象にした某企業アンケート調査では、若者たちがイ・ソンヒのようなメンターを希望することが明らかにされたりした。

・「誰かを教えるということ、それがひとりの人生を変えることもできる重要なことだという考えに、多く気にかかり心配になります。その友人が今このように切実に望むことが、私も一時切実に望んだことであるから、その心をたくさん認めようと思います。」

・イ・ソンヒは、27年前も今も、自身が変わっていないのがあるならば、歌を歌いたいというその切実な心だといって「何より、その友人たちに会って、私自身もエネルギーが充電される感じがするから、より一層互いに反応しながら楽しいようだ」と話した。

◇ "ファンは何にも変えがたい喜び"

・イ・ソンヒに最も大きいエネルギーになるのは、やはりファンたちだ。今年のはじめ、世界的なアーティストだけが立つことができるというニューヨークのカーネギーホールで公演したことのあるイ・ソンヒは、30人編成のオーケストラとブラスバンド、20人のダンサーチームなど100人余りが出演する、その華麗な舞台を国内でも継続している。去る5月、(韓国における最高峰の会場)ソウル世宗文化会館の大劇場を始め、全国ツアーに出た彼女は、京畿高陽(コヤン)、大田(テジョン)、仁川(インチョン)、釜山(プサン)、光州(クァンジュ)などを経て、来る(今月)12~13日大邱(テグ)の大邱EXCO本館と、19~20日晋州(チンジュ)まで2都市のコンサートだけ残している。もちろん全会全席売り切れだ

・「最近、私たちの会社代表の言葉が『眠った私のファンが起きた』ということです。舞台にずっと立てられるように公演会場をぎゅっと満たしてくださるのも有難いのに、行く所ごとに郷土食でスタッフたちの食事まで用意するファンのおかげで、最高のエネルギーが充電されていますね。いつもありがとう。」

・来年には新しいアルバムを持ってファンたちにまたご挨拶したいというイ・ソンヒは、「久しぶりの公演だと、私自身もその間たくさん正月だ。体力的に骨を折れたりもしたが、やはりファンと呼吸できる舞台に立つということが、何にも変えることはできない最も大きな喜びということをまた悟った」と笑った。

(資料)40代の変化

朝鮮日報のchosun Onlineのコラム「40代の変化」(11/8)は、今回のソウル市長選挙の結果に照らして、40代の社会的位置を次のように報じている。[洪永林(ホン・ヨンリム)世論調査チーム長]
(今は40代になった過去の386世代、歌手イ・ソンヒが属する同世代への関心から覗いてみた)

◆先月26日に実施されたソウル市長選挙の特徴は、これまで20代・30代と50代・60代との間でバランス取りの役目を果たしていた40代が、完全に20代・30代の側に傾いたことだ。(略)

◆これは、今の40代が10年前(大統領選挙)の40代と政治的、社会的に全く異なる考えを持っているためと分析される。世論調査の結果も、この分析を裏付けている。
◇ギャラップの(10年前の)02年調査によると「自分の考え方は全般的に50代・60代に近い」とした40代は56%で、「20代・30代に近い」との回答(44%)を上回った。
一方、最近のメトリックスの調査では、同じ質問に40代の78%が「20代・30代に近い」と答え、「50代・60代に近い」との回答(22%)を大幅に上回った。10年前の30代が現在40代になっていることを考えると、当然の結果ともいえる。
◇また以前は、40代の多くが自身を中年・壮年ととらえていたが「平均寿命100歳時代」に迫りつつある中、自身を青年と位置付ける40代が多くなっていることも、こうした傾向の一因となっている。

◆10年前の40代が「最後のアナログ世代」だったとしたら、今の40代はインターネットとスマートフォン(多機能携帯電話端末)に慣れ親しんだ「最初のデジタル世代」として、20代・30代と強いつながりを持っていることも、注目に値する。
◇韓国インターネット振興院が昨年実施した調査によると「過去1週間にインターネットを使用した」との回答は20代・30代が97%、40代も76%と圧倒的多数を占めたのに対し、50代は47%と半分を下回り、60代以上は13%にとどまった。

(略)

◆メトリックスの調査では、40代の93%が「老後が不安だ」と答えている。(略)


(付記)
市井の40代庶民にとって今はまさに家族を守り、社会と関わり持ち、かつ将来に向かって進む人生の大事業の最中だろう。自分の人生も、そろそろ見えてくる時分でもある。上記の記事から、政治的な部分を脱色すると、国境を越えて同時代を共有するすべての40代に共通するように見えてくる。

(本ブログ関連:"(資料)ソウル市長選挙に見る世代別背景"、10/31)

2011年11月8日火曜日

立冬 2011、いまだ寒さを知らず

今日は旧暦10月13日、二十四節気のひとつ「立冬」で、いよいよ冬のはじまりなのだが、炬燵、ストーブの冬支度をするほどではない。ちょっと厚着して外出すれば、額に汗がにじむ。極端に寒くもなく、秋の視線が残っている。

お嫁さんの携帯電話に付いているカメラの調子がよくないようで、このところ可愛い孫たちの写真や動画を目にすることができない。ニィーっと笑った、孫の顔を見たいものだ。もう、2歳と8ヶ月になる。そして、クルリと愛らしい瞳の、8ヶ月の孫娘を見たい。

KBS WORLD「国楽の世界へ」 舞踊曲

KBS WORLD放送の「国楽の世界へ」は、先週水曜日(11/2)に、「踊りを踊るときに演奏される舞踊曲」を紹介した。

「重要な儀式の時に、歌、踊り、そして楽器の演奏」で構成されるものを「歌舞楽(가무악)一体(일체)」と呼び、舞踊の伴奏音楽として次の説明から始まった。
・「僧舞(승무)」
・「呈才(정재)」
・民俗芸能の例として「カンガンスルレ(강강술래)」

<僧舞>
僧舞の由来、スタイルについて次の解説があった。
・由来に諸説あり、仏教的儀式の際の僧侶による踊りであったというのがもっとも有力。
・僧舞は、白い僧衣(そうえ)に山形の白い笠をかぶり、赤い袈裟をかけた、ひとりの踊り手が単独で踊る。

▼イ・センガン他による「僧舞の伴奏音楽」を聴く。長い袖が宙を舞うように起伏を持って奏でられる。すこし装飾的な感じがする・・・。

(映像)「Koart 国楽動画 僧舞 (チェ・サンムク)」(koartny80

(追記)
この僧舞は、衣裳そのものからして神秘的で、特に舞台を遠く見るとき、宗教的超絶を感じさせる。ところで、舞や伴奏の原初の姿はどうだったのだろうか。また、舞の後半に太鼓を打つ「法鼓」は、舞と同じ由来なのだろうか・・・。


<呈才>
宮中舞踊の呈才の由来、スタイルについて次の解説があった。
・呈才の名は、「王に自らの才能を捧げる」意味から。
・振り付けは大きくはないが、派手で華麗な衣装と小道具を利用して、豪華ながらも優雅に、一人の踊り手が、花紋席(화문석)という小さな敷物の上で、黄色い衣装を身にまとって踊る。

▼韓国芸術総合学校、伝統芸術院による春鶯囀(춘앵전)の伴奏音楽を聴く。とても優雅な気分になれるし、舞と合わせて聞けばなお一層だろう。

(映像)「Koart 国楽動画 呈才"春鶯囀" (チョ・アラム)」(koartny80


<民俗芸能(カンガンスルレ)
庶民の踊りの由来、スタイルについて次の解説があった。
・韓国ではお祭りなどで、両手を広げ、自然と肩を揺らして拍子をとりながら踊りだす人たちをよく見る。
・民俗芸能の例として、全羅南道の沿岸地域から始まったとされる「カンガンスルレ」がある。主に真丸月の秋夕(추석)の夜、女性たちが両手をつなぎ円を描きながら、豊作を祈る思いを込めて集団で踊る。

▼チョ・コンレほかによる「カンガンスルレ」を聴く。次の映像を見れば、民俗芸能はやっぱりいいな、ほっとしますよ。庶民の心を歴史につなぐ伝統は素晴らしい。

(映像)「Ganggangsullae」(UNESCO

2011年11月7日月曜日

イ・ソンヒ 4集+5集(All That Masterpiece)

Dream Recordのインターネット・ショッピングに、イ・ソンヒのアルバム4集+5集リマスター版が、11月16日に発売されると案内している。

All That Masterpieceシリーズ: 「イ・ソンヒ 4集+5集(2CD)」(Gold CD限定盤)
・販売価格:13,800₩
・商品コード:DLCC0321、8809162171212
・ジャンル:バラード
・メーカー:ワイビミュージック
・発売日:2011-11-16
・(説明)「1980年代のヒロイン、イ・ソンヒの極み(絶頂)!イ・ソンヒとソン・シヒョン(作曲家)の発展的組み合わせの証明書というべき4集、そして5集、オール・ザット・マスターピース、イ・ソンヒ(4 5)」

イ・ソンヒのアルバム4集(10曲)、5集(10曲)が、デジタル・リマスタリングされて、2CDに収められているそうだ。4集CDを探していたので入手したい。

2011年11月6日日曜日

2つの人気オーディション番組視聴率

asahicomの記事「2つの人気オーディション番組、視聴率は明暗」(11/1)は、ケーブルテレビの「スーパースターK 」と、イ・ソンヒがメンター(指導者)として参加している地上波の「偉大なる誕生2」の両番組視聴率動向を次のように伝えている。

・韓国Mnetの人気オーディション番組「スーパースターK3」の視聴率が上昇している一方、MBC「偉大なる誕生2」は下落していることがわかった。

・AGBニールセンメディアリサーチによると、(10月)28日に放送された「スーパースターK3」(の視聴率)は、全国基準Mnet11.43%、KM1.89%で計13.32%を記録。これは、先週より0.47%高い数値となった。

・一方、1時間先に放送された「偉大なる誕生2」(の視聴率)は、地上波の全国基準15.1%、首都圏基準では17.9%を記録。これは、先週よりそれぞれ0.6%、0.3%低い数値だ。


(本ブログ関連:視聴率 "9/19"、"10/14")
(本ブログ関連:"メンター(指導者)イ・ソンヒについて")

(参考)
上記"9/19"の視聴率を、今回と同じ基準か不明ながら、見ると次の通り。
・「スーパースターK3」:Mnetの9/16放送時、平均12.7%、最高14.6%
・「偉大なる誕生2」:初回放送時12.2%、第2回(9/16)放送時15.8%

秋の視線

ハン・ヨンエ(한영애)が古風な声で歌った「秋の視線(가을 시선)」(1995年)を、イ・ソラ(이소라)がカバーしている。滲みるような青い空をそよぐ風につつまれて、秋の気配を感じる、そんな透明感のあるイ・ソラの声も、もしかすると微妙に時代の色があるのかもしれない。(この曲に限れば、TVドラマ風な音色の加工が・・・かもしれない)
それにしても、イ・ソラの声は、ダイナミックレンジが大きくて、ドラマチックだ。懐旧もからりとして、包容力のある秋の日の午後を歌っている。

イ・ソラは、CDだけ聴いて知った歌手だった。随分以前のこと、ソウルのホテルでテレビに登場した彼女のトークを見たとき、CDの彼女のイメージとの落差に驚いた、というか半信半疑になった。実力ある歌手は、中島みゆきのように豹変してしまうらしい。

2011年11月5日土曜日

鉱物の会の例会 11-11-5

四谷で開かれた、鉱物の会の例会に行く。少し早目に着くと、室内鉱物採集ができる。有志が持ち寄って陳列した鉱物標本をいただけるのだ。次回出かけたい採集地の鉱物標本を入手できたりするので、大変ありがたい。

・先日(10/30)の会主催による、秩父鉱山石灰沢の「採集会成果報告」があった。それにしても、当日の帰りのバスの中で、幹事さんが鉱物についていろいろ語られたお話の博識振りは素晴らしかった。
バスで席を隣り合わせた会員の方も出席されていて、そのとき話題になった鉱物採集地のコピー資料をいただいた。感謝至極だ。

・「夏休み成果報告」では、出席者全員が、夏休みを含めて最近までの鉱物採集の活動状況を報告した。いつもお世話になるхаякава氏が先に話されたので、付いて歩くわたしとしては、錫高野の蛍石採集のてんまつを述べた。何しろ、仰向けに転倒して、思いっきり背中を強打した苦い記憶の同採集場所に、再び訪れて採集したのだから。
「恋しくば訪ね来てみよ・・・うらみ蛍石」というわけで。

・「鉱物鑑定練習」では、配られた4つの標本を同定するものだ。わたしの正解は半分。会長の「今回は全問正解者が多かった」との講評に、ちっとも成長していないことを自覚する。

先日の採集会もそうだが、今回の会場に、小学校低学年のこどもたち(3名以上)が出席していた。本会の貴重な宝ものだ。
そうそう、採集会では厳しい幹事でいると発言された方が、子どもたちの前では、とても優しく対応していた。本当にいい場面を見た。

また、会員のёсики氏から、九州は宮崎県の土呂久鉱山にまで出かけて採集した標本をいただいた。感謝、感謝。

2011年11月4日金曜日

シルヴィ・ヴァルタン

きのう、ウルトラマンの仮面を孫にお土産したとき、バルタン星人について話したが、余り気乗りしないで、孫は仮面をつけて部屋中駆け回った。それに、シルヴィ・ヴァルタンと言っても・・・。

60年代後半からのフレンチポップの流行で、シルヴィ・ヴァルタンはその代表だった。ちょっと目尻が上がって、ひかれるものがあり、母親がハンガリー人だそうで、もしかして膠着語の仲間として・・・東洋の遺伝子があるのかも・・・そんな雰囲気だった。
シルヴィ・ヴァルタンとバルタン星人のネーミングの関係は、Wikipediaによれば、どうやら勘違いとのこと・・・信じていたのだが。

さて、60年代のフレンチポップで、記憶にある(女性)歌手を列記する。

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年~) 「あなたのとりこ(Irresistiblement)」(1968年、日本1970年)
ダニエル・ビダル(Danièle Vidal、1952年~) 「天使のらくがき(Aime ceux qui t'aiment)」(1969年)
フランス・ギャル(France Gall、1947年~) 「夢みるシャンソン人形(Poupee de Cire Poupee de Son)」(1965年)
・マージョリー・ノエル(Marjorie Noel、1945年~) 「そよ風にのって(Dans le même wagon)」(1965年)


ところで当時、カンツォーネブームもあり、イタリア(女性)歌手も音楽界で競っていた。
何といっても、ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti、1947年~)だろう。16歳の彼女が、1964年のサンレモ音楽祭で 「夢みる想い(Non ho l'eta)」を歌って優勝したときの映像をみれば、まさに昭和の香りがする。イタリアの吉永小百合のイメージだ。

2011年11月3日木曜日

孫と公園でボール遊び

先日、孫のために求めたウルトラセブンの仮面を渡す口実で、遊びに行く。
若い家庭は戦場だ。孫は走り回り、孫娘は泣きじゃくる。両親は、子どもたちの面倒に追われ、ゆっくり話すひまもない。これじゃあ、せっかくの休日も、休養どろではないだろうと気遣ってしまう。
両親の大変さを思い、孫と父親と一緒に近所の公園に遊びに行く。やがて、母親に抱かれた孫娘も到着する。孫と広場でボールを蹴ったり、ブランコを揺らしてやったり、滑り台の階段上がりを手助けしたりする。だんだん疲れが出てくる。
孫よ、元気が良すぎるのだ。

しばらく公園遊びの後、若夫婦が来年入居予定の、公園近くにできる新築マンションのモデルルームを見に行く。若い家族の元気な声が聞こえてくるような間取りだ。来年、もっと激しく遊び回る孫たちと一緒に、新しいリビングルームで遊べることを楽しみにしている。

遊びつかれて横になった孫も目を覚まして、夕食の後、怪獣ごっこをする。もうヘトヘトだ。頃を見て、別れの段になるが、孫はあっさりとバイバイと手を振って、「妹(孫娘)を連れて行かないで」とまで言った。
帰宅しても、いまだに疲れで体がボーッとしている。

イ・ソンヒの「分かりたいです」

チェ・ギュソン(최규성)大衆文化評論家による、イ・ソンヒの「分かりたいです(알고 싶어요)」の誕生にかかわる数々の話題と解説を、昨日(11/2)の本ブログに載せさせていただいた。
そこで、Youtubeに登録されている、イ・ソンヒの歌う「分かりたいです」(歌詞)を聴いてみる。2004年、彼女の20周年コンサートのものである。
(この映像も以前エンベッドしているけれど・・・)

(参考)
本ブログ:「ファン・ジニ」(2009/6/3)、「イ・ソンヒと黄真伊の関係」(2010/12/18
本ブログ:「イ・ソンヒの分かりたいこと」(2011/6/23



(Toutubeに登録のpops8090に感謝、感謝)

2011年11月2日水曜日

イ・ソンヒの「分かりたいです」、そして漢詩

週刊韓国のカバーストーリー「〔名盤名曲〕 イ・ソンヒ3集『分かりたいです』」(11/1)は、イ・ソンヒの名曲のひとつである「分かりたいです(알고 싶어요)」誕生のいきさつを次のように語っている。(チェ・ギュソン大衆文化評論家)
(驚きの事実にあふれた内容で、興奮すること間違いありません。いやぁ、知らなかった!)
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・イ・ソンヒは、「江辺歌謡祭」(1984年)大賞受賞後、1985年のソロ1集から1990年の6集まで発表するアルバムごとに、ヒットパレードを繰り広げた、当代大衆音楽界のブルーチップ(優良銘柄)だった。

・小柄で、爆発的な歌唱力を駆使した彼女は、数多くのヒット曲を量産した。特に、「ヒット曲製造機」で名声が高かったヤン・インジャ(양인자)、キム・フイガプ(김희갑)コンビが作詞、作曲した、1986年の3集収録曲「分かりたいです」は、エキサイティングな事情をもった彼女のビッグヒット曲だ。

・この歌は、聞く人の胸にしっとりと染みとおる素敵なメロディーと、恋に落ちた女性の感性を可愛く表現した歌詞が耳に差しこまれる印象的な歌だ。絶えず愛情を確認したい、女性特有の情緒をよく表わしたこの歌の歌詞は、当代最高の歌手に浮上したイ・ソンヒの優しいボーカルに乗って、実に大きな波紋を起こしたし、今も多くの大衆が愛唱する名曲として遜色ない。

・ところで、私たちが知っているヒット曲には、先に歌ったオリジナル歌手が別にいる場合が多い。誰もイ・ソンヒがオリジナル歌手と信じて疑わないこの歌も、実は彼女よりも2年前に最初に発表したオリジナル歌手がいる。

・初めて発表されたとき、この歌は男性歌手の曲であったし、題名と歌詞も違った。オリジナルの歌手は誰であろうか?
80年代の大衆に、「瞳(눈동자)」、「遥か遠いところ(아득히 먼 곳)」としてよく知られたイ・スンジェ(이승재)が主人公だ。原曲のタイトルは「秋の木々の間で(가을나무 사이로)」だ。イ・ソンヒの「分かりたいです」が、1984年に発表されたイ・スンジェのソロ(アルバム)に収録された曲という事実を知る国民はあまり多くないようだ。

・キム・フイガプが作詞作曲したこの曲は、イ・ス​​ンジェのソロ1集のタイトル曲「遥か遠いところ」の大ヒットにより廃れた悲運の歌だ。

・実は、作曲家キム・フイガプのヒット曲中には、オリジナル歌手とヒット歌手が共存する曲が結構ある。(略)

・題名と歌詞が違う、イ・ス​​ンジェのオリジナルバージョンは、イ・ソンヒの「分かりたいです」と同じくらい、今のような晩秋の季節秋にぴったりだ。しかし、秋に感傷的になる人の心を歌ったオリジナルバージョンの歌詞は極めて常套的だった。死蔵された歌をそのまま捨てることを惜しんだ作曲家キム・フイガプは、江辺歌謡祭の大賞以後ソロとして独立して、トップ歌手にのぼったイ・ソンヒに注目した。そこで1986年に歌の題名と歌詞を修正して、イ・ソンヒに吹き込みをさせて再誕生した曲が初めて途方もない大ヒットを放ち、生命力を獲得した。

・「分かりたいです」のビッグヒットの原動力は、歌詞にある。作詞家ヤン・インジャ(양인자)と再婚した作曲家キム・フイガプは、結婚前に、意中の彼女に自分が書いた平凡な歌詞をまた使うように頼んだ。メロディーを聞いてみた、ヤン・インジャは、男性的視点の歌詞を、「自分」の心を表現するように切ない歌詞に変身させ、イ・ソンヒの優しい音色にのせられて、名曲で面目を一新した。興味深いのは、二人の結婚式場に来たイ・ソンヒに祝歌に願った歌が「分かりたいです」という点だ。これは修正された歌の歌詞が、結婚(する)自分たちの恋愛感情を反映した歌であることを、容易に気付くことができる。

・「分かりたいです」は、3集のタイトル曲でなくても、KBS「歌謡トップ10」の5週連続1位となり、イ・ソンヒに、2回目のゴールデンカップを抱かせたし、一ヶ月の放送回数107回、MBCラジオの音楽チャート15週1位の記録を創り出し、その年のゴールデンディスク賞まで与えた。
イ・ソンヒの最大の魅力は、パワフルな歌唱力に起因する。しかし、「分かりたいです」で聞かせた叙情的な彼女のバラードの歌唱法は、長い余韻を抱かせてボーカリストとしての価値を加える。
驚異的なヒット曲らしく歌の歌詞は、かつて「黄真伊(ファン・ジニ:황진이)が蘇世讓(ソ・セヤン:소세양)を誘惑するために書いた漢詩」という誤解を受けたりした。1995年、朝鮮日報に「靑史紅史」というコラムを連載した作家のイ・ジェウンは、ヤン・インジャの了解を得て歌詞を漢詩で作成し発表したのが原因だった。
この歌は、大衆歌謡の歌詞の書き込み操作の重要性を証明している、80年代最高の恋歌(ラブソング)だった。
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「分かりたいです」とイ・ソンヒの出会いは、大ヒット曲「Jへ」と似た感じがする。忘れられたもの、消されようとしたものに陽をあてたのだから。そして見事に名曲に育て上げたのだ。
ところで、「分かりたいです」の歌詞が、黄真伊(ファン・ジニ)とは全く関係ないということを、今回知り驚きましたよ。つまり、ニワトリと卵の順番がはっきりしたことになるのだが、インターネットには、黄真伊の漢詩をモデルに「分かりたいです」の歌が作られたと誤解しているひとたちがいっぱいいる。わたしも、そのひとりで・・・なんてことだろう。

2011年11月1日火曜日

イ・ソンヒのコンサートツアー最終月

今月(11月)は、イ・ソンヒのコンサートツアー最終月である。今年2月に米ニューヨークのカーネギーホールで始まったコンサートは、場所を韓国内に移し、5月の世宗文化会館(大劇場)をかわきりに、各地で下表の通り開催された。
さすがに、ニューヨークへは難しいものの、5月のソウル世宗文化会館での「五月の陽射し」コンサートに行くことができたのは幸いだった。

いよいよ最終月、イ・ソンヒのコンサートは、3週連続というハードスケジュールである。

海外
ニューヨーク 2/3(木)  カーネギーホール(Stern/Perelman)

国内(韓国)
ソウル  5/21(土)-22(日) 世宗文化会館(大劇場) ★5.21(本ブログレポート
水原  7/2(土)-3(日) 文化の殿堂 幸せ劇場
高陽  7/9(土)-10(日) 高陽アラムヌリ アラム劇場
大田  7/16(土)-17(日) 忠南大 チョンシムファホール
釜山  9/3(土)-4(日) KBS釜山ホール
全州  9/17(土)-18(日) 全北大 三星文化会館大公演会場
仁川  10/8(土)  サムサン・ワールド体育館
光州  11/5(土)-6(日) 光州文化芸術会館 大劇場
大邱  11/12(土)-13(日) 大邱EXCO本館 5階
晋州  11/19(土)-20(日) 慶南文化芸術会館

オギヨディオラ

風も止んだし、雨も上がったから、さあ漕ぎ出るよ、「お~こ~、ど~れ~」の掛け声で。
イ・サンウン(Lee-tzsche)の「オギヨディオラ(어기여디어라)」(歌詞)は、何度聴いてもいいな。Youtubeに、伝統楽器と協演しているものがある。彼女の独特な歌声に、横笛のテグム(대금:大笒)の柔らかい音色と、太鼓のチャング(장구:杖鼓)の揺ったりとしたリズムが加わり調和する。東洋的海原の広がりと潮風、波の揺れまで想像できるようだ。

ところで、イ・ソンヒの2集アルバム所収の「秋の風(갈바람)」も、漁師言葉で秋=西の風を意味すると聞いたことがある。
途絶の海にも、陶磁器の道も走ったし、実際ひとびとは行き交ったわけで、歌の世界ならでは一層心情を共有することができる。

(Youtubeに登録のjaysbar4uに感謝)

(本ブログ関連:"イ・サンウン"、"5大歌姫"、"1986~2009韓国女性歌手の好感度"、"オギヨディオラ")