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2024年9月7日土曜日

野鳥観察(72)

前回(8/24)の野鳥観察(探鳥会)を欠席した。そんな場合、負い目を帳消しにするように、別途公園内を巡ったりするけれど、日射、長雨のせいで外出をさぼってしまった。だから、きょうの観察会には、ぜひとも参加せねばならない。

(本ブログ関連:”野鳥観察”)

早朝、天気よし。ヤブ蚊を用心して長袖シャツを着た。まだまだ陽射し(朝陽)も強く眩しい。やがて汗ばむことになるのを容易に予想できた・・・案の定、観察の順路を進むうち、何度もハンカチで額の汗を拭いた。

公園の奥へ進むも、今朝はシンして静かだった。鳥の鳴き声、風の音もない。時々セミがジーと発するのみだった。始めは、カラスやハトを見かければ一息つく感覚だった。それでもベテランの皆さんは、しっかり野鳥のさえずり(地鳴き)を聞きとっていたようだ。

探鳥の途上、今回も下記内容も含めて、博識の会長から次の話をうかがった。
●「ハグロトンボ」が見当たれば、近くに清流があることを示す。
● 今回の豪雨(ゲリラ豪雨)で、「氾濫危険情報」に野川も挙げられたが、この公園は上流にあって被害が及ばなかった。各種水路が流れ込む下流こそ警戒された。
● 小川の岸辺の草の刈りこみについて、いくつか変化がある。生態系の保全・保護のため、岸辺の一部に「自然再生区域」を設けられている。これには、ホタルが棲むような完全な自然保存とか、いろいろな考え方がある。
● 「ススキ」が、「オギ」より先に穂を付けている。ススキは「株」単位で成長する。オギは水辺で水に流されないよう、地下に根を伸ばし、その根から要所要所で茎を地上に伸ばす。オギは窪地に育ちやすい・・・地名に「荻窪」がある。

今回も、ベテランの方から解説いただいたり、自分なりに目視とカメラで確認・整理したものから、次に記す(聞き間違いがありましたらご容赦)。
・アオゲラ: 鳴き声がしたといわれたが・・・私の耳にほど遠い
・シジュウカラ: グラウンド脇の小公園の樹に幼鳥の群れが集まった(今回1位タイ)
・ヤマガラ: グラウンド脇の小公園の樹に、数羽集まった・・・といわれたが
・メジロ: グラウンド脇の小公園の樹の傍を、黄緑色の影が2羽飛ぶのを見た
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・アオサギ: いつものように1羽、小川の岸辺の草の中に身を低くしてたたずんでいた
・カルガモ: 下記写真以外に4羽が小川に浮かんでいるのを見た(実は、今回1位タイ)
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アカボシゴマダラ:木陰に1匹(頭)、人を恐れずいた。そばに寄ってもたじろがない、
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・ツルボ: 苗圃(びょうほ)の中に群生しているのが見えた(写真はピンボケで不可)
・ムクゲ: グラウンドのそばに、薄桃色の八重が一輪残っていた
オトギリソウ: 小川に沿った道の一段上の境に、地味で目立たぬ黄色の花が咲いていた
マメアサガオ: まことに豆のごとく小さな白い花で、草むらに隠れるように咲いていた

アオサギ(写真左)とカルガモ(写真右)
・いつもなら、立ち姿をみることの多い「アオサギ」がなぜか、小川の岸の草むらにしゃがんでいるのが見えた。ここ水辺の鳥で一番、孤高であり野性を感じる。
・崖線のハケから小川へ湧水する施設に、「カルガモ」がエサを探すように水中に頭を突っ込んでいた。


アカボシゴマダラ
・以前(2023年8月26日)も観察したが、「アカボシゴマダラ」は、しゃきっとした装いの蝶だ。その時と同じように、葉の下にじっととまったまま、逃げようともしない。「特定外来生物」


オトギリソウ(写真左)とマメアサガオ(写真右)
・「オトギリソウ(弟切草)」は、その名の通り残酷な伝承を持った草だ。「花言葉も『怨念』、「迷信』とされる」(Wikipedia)とのこと。小さな黄色の花が咲いていた。
・草むらの陰で「マメアサガオ」がひっそりと白い花を咲かせていた。まるでミニチュアサイズだ。

白露 2024、端唄「萩桔梗」

きょうは二十四節気の「白露(はくろ)」。用語としては、秋が深まり大気が冷え始めて露が出るころ。実際、早朝に朝露を公園で目撃することはあるが、一面露で輝いて白色になるほどまででない。

(本ブログ関連:”白露”)

気象庁の気象区分では、秋は今月から始まった(9月~11月)。昼間は夏並みの暑さが残っいるが、朝夕の水道水の冷たさに秋を実感する。やっぱり秋なんだ。

きょうの野鳥観察(探鳥会)では、集合場所となる草原(くさはら)の一本の大樹のもとへ、朝露にきらめく草を漕ぎ分けていく必要がある。こんなとき、ズボンの裾が濡れるのをいとわない。頭の中で、露が飛び跳ねているのを想像するだけで楽しいじゃないですか。

ところで、白露をさらに三つに分ける「七十二候」で見ると次の通り。
・初候: 草露白(くさのつゆ しろし)
    ー に降りた露が白く光って見える
・次候: 鶺鴒鳴(せきれい なく)
    ー 鶺鴒(セキレイ)が鳴き始める(ただし、年中鳴いている)
・末候: 玄鳥去(げんちょう さる)
    ー 玄鳥燕:ツバメ)が南へ帰り始める(3月上旬頃来て、9~10月頃に南へ渡る)


(付)萩桔梗
このところ(8/298/309/3 9/6 と続いて)、お月様の話しを巡っている。秋の露とからめて、こんなのはどうだろう。待てど暮らせど恋文の返しを、泣いて待つ身のつらさ切なさ・・・こひ(恋)はこうした  ものかいな。
「江戸端唄集」(倉田喜弘集。岩波文庫)
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二九  萩桔梗
萩桔梗(はぎ・ききょう)  なかに玉章(たまずさ)しのばせて  月は野末に  草の露  君を松虫(まつむし)  夜毎にすだく  更けゆくかねに  雁の声  こひはこうした  物かいな

萩桔梗 ~   萩や桔梗は、咲き乱れた枝葉の間に玉草(手紙のこと)を忍ばせているようだ。  〇 月は野末雁の声   月の光は、野末の草の葉に置く露までも照らしている。ところが私は、あなたを待って松虫のように夜ごと鳴いているのに、何の音沙汰もない。耳に聞こえるのは、夜更けの鐘の音と雁の声ばかりである。
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(本ブログ関連:”端唄”)

■ Youtubeに「萩桔梗お稽古参考用3」がある。(「花崎玉女地唄舞教室」より)
https://www.youtube.com/watch?v=ZJkju1wuqds&t=8s  (登録者:jiutamaibito)

2024年9月6日金曜日

お月様、田端義夫の「大利根月夜」

8/298/309/3 に続いて、お月様にからめた歌を探してみよう。勝手な思い付き、言葉つなぎでしかなくて、あっちこっちへ飛ぶ。

日本人の感性として、月明かりにこうこうと照らされて、庭が白く映えるといった漢詩的な捉え方はあまりないような気がする。湿気の多い土地がらゆえ、まんまるお月様と出会えれば儲けものといったところだろう。

月の満ち欠けを頼りに生活していたわけで、庶民は月を眺めて思索にふけるなんて高尚な真似事と無縁だった。うっかりすると、明りのない夜道、キツネに化かされることだってある。その意味で月明りは大切だったかもしれない。

幕末の大利根川で、やくざ一家同士の争いに参じた平手造酒(三亀)の歌がある。田端義夫の「大利根月夜」(作詞藤田まさと、作曲長津義司、昭和14年(1939年))だ。歌の出だしに「あれを御覧と 指差さすかたに/利根の流れを ながれ月」と歌われる。
戦前の曲だが、戦後世代の子どもたちも歌っていた。用心棒に落ちぶれた実在の「平手造酒(みき)」を借りての語り口だ。結果、彼は壮絶な死をむかえる。ヒラテミキの名は記憶にしっかり残っている。

幕末に父の名を知らぬ妾腹の子だった侍が、憂えながらニヒルにやさぐれる、結果とんでもない事件に深くかかわる。徳山璉の歌「侍ニッポン」(作詞西條八十、作曲松平信博、昭和6年(1931年))がある。「昨日勤皇、今日は佐幕」、「流れ流れて 大利根越えて」、「命取ろうか 女を取ろか」と無様にあてがない(歌に登場する新納鶴千代は、郡司次郎正作「侍ニッポン」の架空の主人公とのこと。未読)。そうそう、この歌にお月様は現れないけれど。

それにしても、利根川が運命の境い目だった物語りがいろいろあるような・・・。

■ Youtubeに田端義夫の「大利根月夜」(1939年)がある)
https://www.youtube.com/watch?v=5-0j58U0M7o (登録者 uchukyoku1)

2024年9月5日木曜日

体操教室の再開と寝床の改造

体操教室の再開
8月に夏休みだった「体操教室」が、きょうから再開した。子ども風にいえば、二学期が始まったということになる。出席者の顔ぶれはいつも通りで、お変わりない。
今月最後の回に、年一度の体力測定が実施される。昨年はヒドイものだった。今月はできるだけ積極的に公園を歩きまわろう・・・少しでも改善につながればうれしいのだが。

寝床の改造
飽くまでも私のケースだが、8月の夏休み中に寝床を変えたことで、体幹のバランスが少々よくなった気がする。きょうの教室でそれを確認した。いつもフラついていた動作が、だいぶこなせるようになったからだ。

8月に寝床を次のように変えた。
① ベッドのマットレスを廃棄して、その替わりに薄手の布団をベッドに置いた。
② ベッド本体も廃棄して、畳に上記布団を敷いた。寝床がベッドから布団になった。

たったそれだけのことだが、長年ベッドを使用していた体は、ベッドに合わせた筋肉の使い方をしていたわけで、他の筋肉は逆に弱まっていたのではないか。その結果、腰痛とか膝痛になり、痛みからなかなか抜け出せないでいた。寝床を改造したいま9割方回復している。

畳に敷いた布団から起床する際、立ち上がる動作が、ベッドのときと比べて当初きつかった。最近だいぶ慣れてきた気がする。何しろ畳は、大きく寝返りしてもベッドから落ちるような心配はない。畳には大地のような安定感がある。

腰痛とか膝痛のため、整形外科の治療を受けた経験がある。痛み止めのための患部注射とか、歩行訓練のリハビリだ。けれど、結局は自分で自分の体をいじる(調整する)しかないのに気付いた。テレビで痛み緩和や回復のための飲み薬が宣伝されるが、そんなもので治まるはずはない気がする・・・飽くまでも私のケースだが

2024年9月4日水曜日

くじらの日

きょうは、9(ク)月4(ジ)日にちなんで、日本鯨類研究所(日鯨研)が制定した「くじらの日」だそうだ。同研究所のサイトを覗いたが、この日について特別なページが見あたらない。どうやら研究所として特別なイベントはないようだ。

そこで、上記サイトの「広報活動>捕鯨文化」へたどったところ、「捕鯨文化に関わる情報発信」*の記事中に、「くじら総合サイト『くじらタウン』」HP**があったので、リンク先に進み、「くじらの日」を検索した。
(*)捕鯨文化に関わる情報発信: https://www.icrwhale.org/kouhouhukyu.html
(**)くじらタウン(一般向け別サイト): https://www.kujira-town.jp/

ところで、わたしら子ども時代の鯨料理は大切な食経験だった。いくつか思い出してみる。
・ステーキ
よく食べたのが、「くじらのステーキ」(当時は「ステーキ」なんて名は付いてなかったけれど)。母親の懐かしい料理のひとつだ。市場から塊りで買ってきたものを、5×6cmのサイズ、5mmほどの厚さに薄切りし、醤油の入った壺にショウガとともに、たっぷり時間をかけて漬け込む。醤油味が滲みた肉を焼いて食べた。少々噛み切りにくいところもあったが、肉料理として楽しんだものだ。
・ベーコン
子ども時代のベーコンは、市場で買って来た薄切りの「くじらのベーコン」しか知らない。油っぽい白身を、赤い色で縁取りされていた。焼くと急に縮み始める・・・そのとき、身が柔らかくなり食べごろだった。
東京に来て、豚肉のベーコンを初めて知った。ベーコンはくじら肉だと思い込んでいたので、本物の豚肉ベーコンに馴染めなかった。ところで、スーパーなどで、パック入りのくじらのベーコンを見かけることがあるが、ちょっぴりな量で値段が高いのに驚く。
尾羽毛(オバイケ)
名前を知らなかった。たまに食卓に出て来る不思議なものだった。一見、綿菓子のようだが、サクサクした食感があり、酢味噌を付けて食べた。どうみても子ども向きでない。親が、きっと魚屋の店頭で見つけて、つい買ってしまったのだろう。
缶詰でしか知らない。缶を開けると、ねっとりした薄茶色のアルコールの効いた酒粕の中に、軟骨だろうか、こりこりした食感のする小さな塊りがあった。これも、家族の食卓向きではない、まさに大人の酒のつまみといったところだ。でも結構つまんだりした。


学生時代、渋谷が薄暗くなるころ、道元坂に「元祖くじら屋」の明かりがぼんやり灯った、ビリヤードの帰り道、坂の下にあったこの店に、もしかしたら寄ったかもしれない。当時から、くじら専門の飲食屋として知られていた。

2024年9月3日火曜日

エノケンの「月光価千金」

8/298/30 に続けて、お月様にからめた歌を探してみよう。これまで、女性が月あかりを通じて愛を想うものを見てきた。今回は、男の側から喜劇王エノケン(榎本健一)の「月光価千金(げっこう あたいせんきん)」を聴いてみよう。SPレコードから流れる歌詞は、男の本音と照れがないまぜされたチョイときわどいものである。

(本ブログ関連:”エノケン”、”月光価千金”)

原曲は、アメリカの「Get Out And Get Under The Moon(外へ出よう、月の下へ」(作曲ラリー・シェイ 、作詞ウィリアム・ジェローム & チャールズ・トバイアス共作、1928年に出版)だ。また、英題でGoogle検索すると、第一にあげられるのは ナット・キング・コール版になる。私もそう思う、彼の歌はしゃれていて何よりスマート、だから分け隔てない支持を得たのではないかと。

今回は標題の通り、エノケンの「月光値千金」を聴いてみよう。
 
なぜ、エノケンなのかといえば、彼が日本の喜劇界で、伝説の金字塔だったからだ・・・こどものころ、父からそう聞かされていた。正直なところ、学校から帰って見たテレビ番組は、もっぱら浅草の「デン助劇場」だったり、上方の藤山寛美を座長とする「松竹新喜劇」だったけれど。
何かのきっかけで、エノケンがテレビに登場したとき、親父と一緒に見た思い出がある。エノケンは、病と闘いながら最後まで喜劇役者を通したと、壮絶な物語をよく聞かされた。

■ Youtubeに「榎本健一 - エノケンの月光値千金 (1936)」がある。
https://www.youtube.com/embed/LQu83rtNYec (登録者:uchukyoku1)

歌詞(上掲Youtubeの解説蘭より: 江戸っ子訛りで歌う)
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美しいシとに出会ったときにゃ やさしくしとやかにシざまずいて
ニヤニヤッとエッヘッヘ笑って手を握りなさい 大声あげず逃げださないならば
「ア、ラ、マ、いけ好かないひとですわね まあ! およしなさいましよ」
てなことを云ったってもう大丈夫 彼女はわたしの両手を待ってます

美しいシとに思いこまれて 朝から晩まで愛の囁き
イヤーンと鼻声で いちゃつくときは 小鳥も仔猫もあら これにゃあ顔負けだ
おっ おっ 愛しいおまえ む ね が燃える 「あ、ら、まあ、キマリが悪いわよ」
暁の朝風がしみじみと 二人の愛の巣は ヘッ、へックション、夢だった
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2024年9月2日月曜日

パラリンピックと本当の秋

夜明けのテレビで、パリで開催のパラリンピック種目「ボッチャ」*の試合(女子個人BC1クラス、3位決定戦)を見た。遠藤裕美選手がみごとに銅メダルを獲得した。すでに投げられた球の間をぎりぎりすり抜けて、目標球に近づけたのに驚いた。
(*)革製の小球を、最初に投げた目標球に、互いの小球を近づけて競う競技

以前、テレビでルールの解説を聞いたときと比べて、緊迫した実際の競技に見入ってしまった。投球の駆け引きを予想する楽しみがある。また投球のたび、遠藤選手のお母さんが小球を彼女に手渡す場面が印象的だった。

先月のオリンピックを深夜観戦して寝不足となって、プチ熱中症を経験したこともあり、今回のパラリンピック観戦はその時々の関心に任せようと思う。

さて、きょうは9月の最初の月曜日、小学生にとって2学期の始まり。幸いお天気もよろしい。これから本当の秋を感じることだろう。昔なら、運動会**とか遠足の行事があったが。
(**)運動会は、春開催(5、6月)と秋開催(9、10月)が拮抗しているという、意外だ。

秋は渡り鳥の季節、うっそうと繁った森の葉がいずれ落ち、視界も広がり観察がしやすくなる。
まずは、紅葉を楽しみたい。昔、バスツアーで遠方の紅葉観光に出かけたりしたが、その気力は今はない。きらきらと色鮮やかな景色じゃないけれど、楽しむべき場所が武蔵野の台地に、公園や旧庭園がいくらもある。

そこで気になる台風だが、気象庁の「台風の上陸数」を調べてみると、8月の76件と比べて、9月は68件となっているが、気候変動の影響のあって、今後どうなるかは分からぬが。

■ 気象庁
「台風の上陸数」(6月~10月、1951年~2023年について)
ー https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/statistics/landing/landing.html
   ----------------------------------
    6月    7月    8月    9月    10月
     11     36     76     68     18
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2024年8月31日土曜日

今年も2/3(三分の二)食っちまった

きょうで8月も終わり。この一年の、8月/12月=2/3を食ってしまったことになる。でも、身になることを何一つせず、何を食ったかも忘れて、日々ダラダラと無為に過ごしてきた・・・それでもいいじゃないか。

そんな8月も終わり、あすから気象庁の季節区分で「秋」になる(二十四節気では、8月7日が「立秋」だったけれど)。これから野鳥の動きが目覚ましくなる。「ツバメ」は南へ帰り支度するし(してるし)、一方、「ツグミ」は北からやって来る。

夏は、暑さと台風の長雨を口実に外出が減った。せっかくの野鳥観察や植物観察をもったいないことした。でも、秋の来月(9月)には天気も回復するだろうし、毎週の体操教室が再開する。身動きしやすい季節の到来をチャンスに楽しもうか*。
(*)朝晩の気温の下がりように秋を実感するきょうこのごろ。

付録
Youtubeで、1960年代に耳に沁みた「ザ・ロネッツ(The Ronettes)」の「ビー・マイ・ベイビー(Be My Baby)」(1963年)**と出会った。当時の発声法が懐かしい。これを視聴したコメント欄に、下記のような記述があって大いに共感した。
(**)日本では、独特な存在感を持った弘田三枝子が「私のベイビー」(1963年)で歌った。

「The Ronettes - Be My Babay - live | [color]」(登録:MrHaagsesjonny1)
ー https://www.youtube.com/watch?v=C3lQH1B4wQ0
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@DanielOrtegoUSA : 1か月前(編集済み)
私の人生で最も素敵な歌の一つです。はい、私は年寄りです。間違いなく、彼女たちの誰ひとりとしてタトゥーを入れている人はいませんし、奇妙なボディ・ピアスをしている人も確かにいません。車が金属でできていて、女性が女性らしく見えた時代が懐かしいです。
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(気象のいましめ) 二百十日

台風10号は、8月29日に九州(鹿児島県薩摩川内市付近)上陸後 → 四国横断の進路を定めているようだが、自転車あるいは人の歩行並みという余りの低速だ。その後、熱帯低気圧に変わりながら関西(紀伊半島南部)へ進み、本州横断が<予想>*されている。遠く南関東地は余波を受け、だらだらと雨降りが続くばかり。
(*-1)予想進路:今後さらに「迷走」する可能性ありとの報道が出る始末。
(*-2)9/1 熱帯低気圧化し、その後温帯低気圧化するとのこと(9/2追記)

そういえば子どものころ、「二百十日」の言葉は割とポピュラーだった(大人たちから聞かされただけかも知れないが)。
最近あまり聞かれないのは、ザックリした表現のためか。天気予報で単なる話題に終っている気がする・・・取りあげれば説明に時間がかかるからかもしれない。そうであれ、伝統の言葉には直感的な共有感や季節理解があって貴重だが。

(本ブログ関連:”気象のいましめ”)

「立春」(2/4)から数えて210日目のきょうを、雑節で「二百十日」という。今年は、四年に一度の「うるう年」にあたり、2月が例年に比べて1日多いため、きょう(8/31)になる。うるう年でない例年の場合、二百十日は 9/1 となる。

二百十日のころに、台風がよく来るとか風が強く荒れるなど、空模様の危なっかしい日とされた。稲の開花時期でもあり、「農家の厄日」ともいわたそうだ。日本独特の地形や季節による観天望気のようなものだろう。
ウェザーニュースに次の解説記事がある。

■ ウェザーニュース
「二十四節気「処暑」  立春から210日目に警戒すべき理由とは?」(2024/08/22)抜粋
https://weathernews.jp/s/topics/202408/210155/
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「二百十日(にひゃくとおか)」に警戒すべし
・「二百十日」は雑節(ざっせつ)の一つで、立春から数えて210日目のことです。
・二百十日のあたりは古くから、野分**などの災害が起こりやすいとして、厄日(やくび)と考えられ、特に農家の人たちは警戒していました
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(**)野分:「台風の古称。二百十日の頃、野の草を吹き分ける強い風」(Wikipedia)

ところで、アメリカのハリケーンの場合、二百十日に当るようなものはあるのだろうか(ちなみに、二百十日についての英語版Wikipeda はない)。大平原の先に現れるハリケーンにも、きっと前触れのようなもの(いい伝え)があると思うのだが。

2024年8月30日金曜日

森山加代子の「月影のナポリ」

お月さまと恋の関わりについて、きのう(8/29)触れたので、きょうも探してみよう。

森山加代子のデビュー曲「月影のナポリ」(翻案訳詞岩谷時子、編曲皆岡進、1960年)がある。私の目には、近所のお姉さんといった親しみ感のある歌手だった。歌はどれも陽気で明るくどんどん先を進んでいく、まさに和製ポップスの先駆けのような人だった。

彼女のイメージは、いまだにブラウン管の白黒テレビのままだが、「月影のナポリ」が発売された1960年には、テレビのカラー放送が開始されている。カラーテレビ受像機の本格普及は、1964年の東京オリンピックのときだったので、モノクロームでもよいかもしれない。
Youtubeで、昔見たテレビ番組がカラー映像で紹介されたりすると驚くことがある。まあ、シーズン2?とかの場合によるものだろうけれど*。
(*)例えば「奥さまは魔女(Bewitched)」とか「拳銃無宿(Wanted Dead or Alive)」とか・・・。

歌詞に「ティンタレーラ・ディ・ルナ(Tintarella di Luna)」がある。あるブログに、イタリアの原曲「Tintarella di Luna」**の歌詞の意味合いから、肌を月の白光で焼くといった解説をされていた***。
(**)原曲:作詞Franco Migliacci、作曲Bruno De Filippi、歌手Mina、1959.9.9発表。
(***)楽天ブログ:「ミーナ『月影のナポリ』 (6)」(穴水氏?、2003.09.21)
    ー https://plaza.rakuten.co.jp/ageorge/diary/200309210000/
上記から、日光浴をヒントにして、さしずめ肌を白くする「月光浴」とでもいえるのかな。

さて、日本語歌詞では、「蒼(あお)いお月様 あの人に云って」とか「お月様その光で あの人見つけて」などと積極的にお月様と掛け合っている。まさに、彼女にぴったりの曲だ。

■ Youtubeに、森山加代子の「月影のナポリ」(歌詞付き)がある。
https://www.youtube.com/watch?v=6jEodBhx0hY (登録者:Taka Maki)

2024年8月29日木曜日

テレサ・テン(鄧麗君)の「月は我が心(月亮代表我的心)」

台湾の歌手テレサ・テン(鄧麗君)の歌に「月亮代表我的心(”ユエ・リャン・ダイ・ビャオ・ウォー・ダ・シン”:月は我が心)」(作詞孫儀、作曲湯尼(翁清溪)、1977年)がある*。
(*)C-POP mania:「鄧麗君 テレサ・テン【月亮代表我的心】歌詞 ピンイン付日本語訳」
    ー https://cpopmania.com/yueliangdaibiaowodexin/
Wikipediaによれば、台湾で生まれた原曲を、テレサ・テンがカバーして東アジアに広がった。また、日本語版は存在しないが「月は何でも知っている」と邦題がつけられたとのこと。耳に馴染んだこの曲の日本語バージョンがないのが不思議なくらい。

この月下に想いをはせる古典的なイメージを、韓国のイ・ソンヒのアルバム第3集に収録の「分かりたいです(알고 싶어요)」(作詞ヤン・インジャ、作曲キム・ヒガプ、1986年)も同様にならっている。東アジア独特といっていいだろう、もしかしたら空気の乾いた中国や朝鮮の景色に、月明りに照らされて静かに思いを募らせる心情がよく似合う。

(本ブログ関連:”分かりたいです”)

旋律について、かつて日本に進出したケイ・ウンスクの「東京HOLD ME TIGHT」(作詞大津あきら、作曲浜圭介、1991年)があって、東京の夜の場面に一瞬、テレサ・テンの「月亮代表我的心」を思い出す部分がある。

■ Youtubeに、テレサ・テンの「月亮代表我的心」(日本語訳歌詞付く)がある。
https://www.youtube.com/watch?v=-FdzX8EGHZo (登録者:EI CL)

2024年8月28日水曜日

(気象のいましめ)二八月荒れ右衛門

先日(8/5)、深夜に放送されたパリ・オリンピックのテレビ中継に見入ってしまい、寝不足のまま昼間に、熱射の公園を巡った結果、軽い熱中症にかかった。いくら水分補給をしても、ダルさから回復しない経験は初めてだった。

熱中症と気象の関係について、NHKテレビで解説番組*があった(多分、深夜の再放送だったと思う)。「黒潮」海流**について、亜熱帯化の証左として、近年東北沖まで北上し、一部が千切れて滞留しているというのだ。日本の太平洋岸沖は、平年と比べて海面温度差が世界的にも高く激しいという
(*)NHKスペシャル「熱波襲来」
    ー https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/Y6JYRY23P6/
(**)海上保安庁海洋情報部:「日本近海の海流」
    ー https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN8/sv/teach/kaisyo/stream4.html

きょう、図書館でたまたま新聞各紙を閲覧したとき、産経新聞の「産経抄」に、八月(旧暦)の気象の格言と合わせて、台風10号の進路について語られていた。
確かに、このごろの台風は終盤、太平洋に抜けたかと思ったら、再び回転して日本に戻って来たりする。今回の10号は、ゆっくりと本土を縦断するようだし。

それにしても、二月・八月(新暦)にいわれる経済減の「二八(にっぱち)」の法則と重なってしまう。俗諺と知りつつ、どこか的を得たいましめを感じたりもする。

(本ブログ関連:”気象のいましめ”)

■ 産経新聞
「<産経抄>「二八月」の戒めいまも、迷走台風」(2024/8/28 05:00)抜粋
https://www.sankei.com/article/20240828-GHX7JNTUMJJV7KWA4KV3ZCUVVQ/
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空模様を占う格言に、「二八月荒れ右衛門」がある春の強い温帯低気圧秋口の台風を指す。旧暦の二月(新暦3月ころ)、八月(新暦8月ころ)は天候の急変しやすい時期だから、十分に備えよ。新暦とはひと月ほどずれるものの、先人はそう戒めたわけである。
<二八月は思う子船に乗せるな>も、その一つ。大切な人を乗せた船が、荒れた海にのまれる事故は昔から多かったのだろう。さすがに現代は、雲行きと風向き次第で、交通機関が計画運休を打ち出すようになった。利用者の側も、仕事や旅の予定変更をどうかためらわずに…。
▼と、簡単に書けない今回の迷走台風である。10号は予想進路が定まらず、旅程を狂わされた人も多いのではないか。発生した22日以降、次第に速度を落とし、日本海へ向け猛進するとした当初の予報円は、列島を縦に縫うコースに変わりつつある
----(以下略: 登録必要なため)----------------------------


■ 海上保安庁: 高松海上保安部
「全国共通ことわざ -その他-」
https://www.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/takamatsu/d_safety_navigation/d_16_kotowaza/d_16z_sonota/d_16z_sonota.html
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的中率(A:かなり高い、B:高い、C:低い D:気象学的に根拠が見いだせない)
・春海秋山: (注)春は海が晴れれば好天、秋は山間部が晴れると晴天である。
・嵐の前の静けさ (A)
・早朝、あたたかいときは雨 (A)
・井戸水、高まるは大風の兆
八月荒れ右衛門: (注)旧暦の二月(新暦3月ころ)と八月(新暦9月ころ)は荒天が多い
二、八月は、思う子船に乗すな: (注)旧暦の二月(新暦3月ころ)と八月(新暦9月ころ)は海が荒れ難船することが多い
・彼岸荒れ: (注)春の彼岸頃は天気が荒れることがよくある。
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(地震)神奈川県東部地震

きょうの日付にかわった午前2時過ぎ、突然ドンと上下に揺れた。久し振りの、叩くような揺れだ。きつい振動はそれだけだったが、微動が10数秒続く・・・このタイミングに、いろいろなことを思い巡らした。

いずれ来る台風10号の直接的な影響ではないだろうが、通り雨が繰り返し降ってくる。秋に入ったとはいえ寝苦しい深夜のこと。このまま大震災にでもなったらどうしようとか、だらしない格好を晒すことになるなんて・・・などと思いが浮かぶ。

さっそくテレビをつけたところ、画面上段に地震速報のテレロップが流れて、地震の時刻、震源、規模などを報じた。やがて震度別地域名を細かく表示した。
神奈川県東部を震源とするだけに、当地域の揺れもきつい。震源地域の震度は3の模様で*、当地は震度2にとどまった・・・最初の揺れがずっと続いたなら、間違いなく震度3になっていただろう。
(*)今月(08/19)の「茨城県北部地震」の最大震度4(M4.7)に続く震度である。


■ 気象庁
「震源・震度情報」(2024年08月28日02時09分 発表)
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・地震の発生日時: 08月28日02時05分頃
・震央地名:         神奈川県東部
・深さ:               40km
・マグニチュード:M4.1
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2024年8月25日日曜日

アカトンボ

自然観察会のベテランの方から、毎日送っていただいている公園の観察写真に、「ショウジョウトンボ(猩々蜻蛉)」があった。「赤とんぼ」と括(くく)られてしまいがちだが、違うとのこと。正式な「アカトンボ」(赤とんぼ)は、「アカネ属」に属するトンボになる。

とはいえ、一般に赤とんぼは、秋ぐちの公園、川沿いの小道、或いは高原で出会う、この時期の涼しい風に浮かび、まるで出迎えるようにして飛ぶ、人懐っこさのあるものだ。

(本ブログ関連:”赤とんぼの捕まえ方”、”アカトンボ”)

赤とんぼと間違えられるトンボに「ウスバキトンボ(薄羽黄蜻蛉)」と「ショウジョウトンボ(猩々蜻蛉)」があるという*。私としては、ウスバキトンボは、公園で見かける、薄茶色した地味なトンボで、赤とんぼに一緒くたにしてしまう。また、ショウジョウトンボは見るからに赤く、気持ちとしては、これこそまさに赤とんぼと言いたくなる。
(*)「神戸のトンボ Odonata of KOBE」「モノグラフ:アカトンボ」
    ー https://www.odonata.jp/02odonatology/sympetrum/index.html

(本ブログ関連:”ウスバキトンボ”)

■ 童謡「赤とんぼ」(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰、1927年)
作詞者三木露風が満5歳のとき、両親が離婚して、母と弟が去った。兵庫県竜野市を流れる川岸で、取り残された寂しさを歌にしたといわれた。けれど、三木露風が語ったのは、北海道で生活したころ、自分を負ってくれた子守娘(姐や)を思い出してのことだという**。ただし、母親への思慕は、ずっと後年の母の死に際しても続く。
ちなみに、この曲は、NHKが1989年に募集した「日本の歌 ふるさとの歌」で人気ナンバー1だったそうだ。
(**)「唱歌・童謡ものがたり」(読売新聞文化部、岩波現代文庫)

■ 演歌「紅とんぼ」(作詞:吉田旺、作曲:船村徹、1988年)
新宿の小料理屋が店じまいするとき、常連の客におかみが語る。いろいろな歌手にカバーされているが、何といっても、ちあきなおみの「紅とんぼ」の原曲にはかなわない。

(本ブログ関連:”ちあきなおみ”)

2024年8月22日木曜日

処暑 2024

きょうは、二十四節気の「処暑(しょしょ)」。暑さもすでにピークに至って、後はゆるやかに反転するだけ。そういえば、朝や夜の水道の蛇口から流れ出る水が、ヒンヤリするのに気づく。

(本ブログ関連:”処暑”)

小学生の夏休みは、きょうを含めてあと11日間ほど。ツクツクボウシの鳴き声を聞きながら、宿題の仕上げに追われてあくせくしていることだろう。子どもたちの夏の終わりは、明るくせわしくて、実に健康的だ。

大人になると、この時期を「夏の終わり」と口にすると、急に気恥ずかしくなるだろう。
夏の入りの歌は、これから始まる何かに期待を込めるものが多いけれど、夏の終わりになると、熱射に燃えた興奮とはしゃぎから冷めて、あるいは情熱の経験も終わり、思い出となってしまう。バラード風になる。そんな映画がある。

映画「おもいでの夏」(19781年)
若者(15歳の少年)が妄想と経験をした夏。残念ながら未見の映画であるが、音楽は知られて、美しくセンチメンタルである。(音楽 Michel Legrand)
ー WWⅡ下、1942年の夏、ニューイングランド沖の小島に来た少年は、ある新婚の若妻に魅かれる。

(「おもいでの夏(The Summer of '42)」、Youtube登録:8823 macaron)

功徳となるか

 ● 浅草の浅草寺には、7月10日に参拝すると「四万六千日」の「功徳」*があるという。
この行事は、鎌倉の長谷寺、奈良の東大寺二月堂などでもあるようだ。また、京都の清水寺では、毎年お盆の16日までを「千日詣り」としている。決められた日に参拝するだけで、多数参ったのと同じに値する。日常せわしい庶民にとって、ありがたく便利な行事でもある。
(*)あさくさ 浅草寺: https://www.senso-ji.jp/annual_event/13.html
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平安時代頃より、(浅草寺の)観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになった。
功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す。功徳日は寺社によって異なるが、現在、浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けている。このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。・・・ 46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。
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● 四国の寺院「八十八ヵ所」(札所)を巡る旅は、徒歩で約40~45日かかるといわれる。お遍路さんは、その行程に耐えるだけの元気さが必要だろうし時間がかかる。
今は、観光ツアーのひとつにもなっているが、お遍路はいつ頃から始まったのだろうか**。
(**)国土交通省「四国遍路の歴史」: https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001558016.pdf
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・(9世紀に四国を巡ったと言われる「空海」(774年~835年)の死後)極めて信仰心の篤かった少人数の僧が行った、これらの巡礼の最も初期の記録は、12世紀まで遡ります。
・今日知られているような四国遍路が成立したのは、平和が続き文化や宗教の追求が花開いた江戸時代(1603–1867)のことです。
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僧の修行と違い、庶民のお遍路は、平穏な時代に世界を広げるチャンスであり、楽しんだのかもしれない。

● けれど、誰もが健康なわけではないし時間に余裕もない。それにかなうように、瀬戸内の島に、四国の八十八ヵ所を短縮した「島四国」があって、徒歩7~8日で済む巡礼の道が設けられている。体のきつい人も含めてお遍路ができる。
島四国のお遍路さんには、歴史に語られることのない人びとが混じっていた。それは、小さな寺院の建物の影で、目立たぬように休憩する癩病者たちの姿だ(明治期を経験した人からの伝聞)。少し前のお遍路の旅には、今のツーリズムと違って、自らの人生を見届ける旅の意味合いもあった。

● ある種の人びとは、共同体でねんごろに最後を迎えられるわけでもない。
明治期の田舎、田んぼの中に襤褸(ぼろ)をまとった男が倒れていた。この放浪俳人にはまだ息があった。処置に困った村人は、隣村へ運び置いたし、結局、家々をたらいまわしされた。
(***)井月の生涯(一ノ瀬武志氏、井上井月顕彰会):  https://www5d.biglobe.ne.jp/~sak/seigetsu/denki.htm
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そしてとうとう、明治19年(1886年)の12月、駒ヶ根市東伊那の田んぼの中で、井月は行き倒れになって発見されました。こんなところで死なれては困ると思ったのでしょうか、村人たちは、井月を戸板に乗せて火山(ひやま)峠を越え、隣の富県(とみがた)へ運んで、置いて帰りました。
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井月の辞世の句といわれる、「何処(どこ)やらに鶴の声きく霞(かすみ)かな」はどこかさびしい。

2024年8月20日火曜日

8月の満月(スタージョン・ムーン)撮影

今夜のお月さまは「満月」。うまくいけば、真ん丸お顔を拝見できる。すべては天気次第。

(本ブログ関連:”満月”)

きょうの東京の「月の出・月の入」時刻*は次の通り。
(*)「日の出・日の入りマップ」サイト >「月の出・月の入りマップ」より
    ー https://hinode.pics/moon
    月の出時刻: 18時57分
    月の入時刻: 05時06分
    ・満月の瞬間: 03時27分ころ(← さすがに、この時刻に外へ出るのは気が引ける)

そこで、夜8時過ぎに家を出た。雲が低く垂れて不安だったが、満月は東南東の空、高度16°近くに浮かんでいた。うすく雲が横切る墨絵の世界だ。場所を変えて撮影した中で、納得できたのが次の写真(他は手振れでピンぼけしていた)。

2024/08/20 20:26

夏の終わり頃(本来、秋三か月の中、陰暦八月)に、満月をめでる「仲秋の名月」がある。陰暦の8月15日の満月がそれにあたる。一方、陽暦8月の今夜の満月には、特別な呼称がない。ネットで検索したが見あたらない。(Chat-GPTで確認したところ、逆にこんな名称はどうかと創作した候補を提案されたりして・・・)

(本ブログ関連:”十五夜”)

ところで、アメリカの「農事暦(farmer's almanac)」**では、各月の満月に名称が与えられており、8月の満月を「スタージェン・ムーン(Sturgeon Moon)」(チョウザメ月)と呼ぶ。
(**)農事暦: https://www.farmersalmanac.com/full-moon-dates-and-times

なぜ「チョウザメ」なのか、ピンとこないので「ALMANAC」のサイトを覗いてみた。
■ ALMANAC
「チョウザメの満月 スーパームーンを見よう」(Catherine Boeckmann、2024.8.18)
https://www.almanac.com/content/full-moon-august
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スタージョン・ムーン(チョウザメ月)
スタージョン・ムーンという名前は 、五大湖と(その東方にある)シャンプレーン湖に生息する巨大な「湖チョウザメ」に由来しています。この在来の淡水魚は、夏のこの時期によく捕獲され、この地域に住むネイティブ・アメリカンにとって重要な主食でした。かつては、晩夏に湖チョウザメは豊富にいましたが、現在では希少になっています。
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今夜のお月さまのお見受け具合を、気象情報最大手の「ウェザーニュース」の記事を参照した。

■ ウェザーニュース
「今夜は満月 8月の満月は別名『スタージェンムーン』とも」(2024/08/19 06:59)
https://weathernews.jp/s/topics/202408/180105/
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今夜は広い範囲で雲が広がりやすいものの、関東〜西日本太平洋側では雲の隙間から満月が顔をのぞかせるチャンスがあります
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(付記)
満月をカメラにおさめようと家を出て、ある路地を進んだとき、ママチャリとそれを追いかける小さな子供用の自転車がわき道から出てきた。車輪のスポークがぴかぴか点滅する自転車に乗った女の子が、ハンドルを切り損ねて倒れてしまった。両手両足を地面に立てたまま泣き声をあげ、すぐに立ちあがれないでいるのを見て、私と他の通行人が駆け寄った。
いそいで、女の子の背中(肩)を持ち、ひょいと立たせてあげた。びっくりしたのか、泣き声はすぐにやんだ。あわてて駆け戻った母親に抱きかかえられて安心したのだろう。
小学校低学年か、小さな子どもを持ち上げたとき、その身の軽さに驚いた。なぜか尊く感じた。
長居をぜず、すぐその場を立ち去った。

2024年8月19日月曜日

(言葉)ガラパゴス

「生物進化論」*の提唱者といわれる「チャールズ・ロバート・ダーウィン」(1809年2月12日 ~ 1882年4月19日)は、進化説(自然選択=種の起源)のヒントを「ガラパゴス諸島」での自然観察で得たといわれる。各島の地質学的な形成や、ゾウガメ、フィンチ、イグアナなどの生物の形態(生態)を調査をしての成果だ。
(*)現在は、偶然の要素を取り入れた進化論がある。

(本ブログ関連:”ガラパゴス”、”ガラ携”)

ガラパゴス諸島をスペイン語で「Islas Galápagos」と呼び、Islas(諸島)+ Galápagos(ゾウガメ=甲羅が馬の鞍(galápago)に似ている)を意味している。ゾウガメは、餌を与えなくても長く生きる便利な蛋白源だったため、一隻の船で700匹を連れ去った**と、ダーウィンの「ビーグル号航海記」に記されているという。彼もゾウガメを食したようだ(下記 Chat-GPTによる)。
(**)国士舘大学 政治研究, 5, 2014-03「ダーウィンをめぐる三題噺」(的射場敬一)
    ー https://kokushikan.repo.nii.ac.jp/record/6253/files/1884_6963_005_08.pdf

ガラパゴスは、長生きのゾウガメにふさわしい、時代や環境に取り残され(遅れた)、スマホに対応できず「ガラ携」を使い続けている私のような存在に例えられている。

ところで、新約聖書の時代を背景にした映画「ベンハー」(1959年)や、人と猿の関係が逆転するSF映画「猿の惑星」(1968年)で主役を演じた「チャールトン・ヘストン」の作品に、姥捨て山を想起させるSF映画「ソイレント・グリーン」(1973年)がある。人口過密の未来、社会に役立たずの老人を食品にしてしまうという、おぞましい物語だ。

その後、スーパーの商品棚にエンドウ豆のスナック袋菓子が並んだのを見て、一瞬躊躇したこともあったけれど、菓子は美味かった。ダーウィンがゾウガメを美味しそうに食べたのとは違った意味で。


(補記)
Chat-GPT
Q.進化論の提唱者「ダーウィン」は、ゾウガメを食べたことがあるか?
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A.はい、チャールズ・ダーウィンはゾウガメを食べたことがあります。
彼は、1835年にガラパゴス諸島を訪れた際、乗組員とともにゾウガメを食べたという記録があります。当時、ゾウガメは船乗りたちにとって重要な食料源でした。ダーウィン自身もその肉を味わい、ゾウガメが非常に美味しいと述べています。
この経験は彼の進化論に直接的な影響を与えたわけではありませんが、彼がその生物を研究する一環として食べたことは興味深いエピソードとして知られています。
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2024年8月17日土曜日

台風一過、小公園(カルガモ)と資料館(ジャカード装置)

きのうの台風(7号)は、上空を渦巻いた雨雲の隙間に当地があったおかげか、大過なく済んだ。台風一過のきょう、空は深く青く澄み渡り、そこに白い雲がむくむくと湧いた。

昼間に街へ出かければ、熱射に襲われて、あわてて日蔭道をたどったほど。きのうのことは無かったことにしようと、お天道様はいわんばかり。

カルガモ
帰り道、ルーチンのように小公園の人工池を覗く。「カルガモ」が9羽いた。8羽は、木陰に涼んだコンクリート製の石畳の上に、列になって休んでいる。そして1羽が、池の中央に設けられた段差の仕切りに立って、じっと彼らを見守っている。そんな風に思うのは、少し前、母鳥に8羽のヒナが従っていた光景が頭の中に焼き付いて離れないせいか。なにより、この群れが、ヒナを1羽も失うことなく成鳥したとしたら、実に素晴らしい。

サルスベリ
小公園には、先日(8/11)記した通り、「サルスベリ」の花が咲いている。① ミツバチに食べられるための雄しべと、② 雌しべに受粉させるための雄しべがあって、前者は上向きに多数並び、後者はその周りに6本並ぶ(上に伸びて、首先を下向きに下げる)。じっくり観察した。それにしても暑い。

ジャカード装置
涼むつもりで、小公園の隣りにある大学博物館に寄った。いろいろな織機が展示される中に、「ジャカード*付き絹織機」があった。昭和14年製の国産機だが、独特な穴(500個/枚)が開いた長方形の厚紙「紋紙(もんがみ)」が装置に取り付けられていた。紋紙は、織機にパターン操作を指示するもので、数十枚を糸で連ねていた。
(*)ジャカード: 昔は「ジャガード」と濁音読みだったこともある。

紋紙(カード)は、いわば古いコンピュータで使われパンチカード(プログラムを表現したもの)に相当する。わたしらより前の電算世代の方から、「カードさばきを知っているか?」と自慢気に問われたものだ。

2024年8月16日金曜日

台風7号って、結局なんだったのか?

台風7号にちょっと拍子抜けしている。

幼い子どものころの「台風」体験は、ただただ怖かった。小学生になって、転校生から「伊勢湾台風」の体験を聞き、被災したひとびとに対して、ある意味思いやりできるようになったからだろうか、自然災害の怖さがいっそう増した。

その後、大きな台風を経験したり、被災の様子を直接うかがうことはなかったけれど、いまでも上空に強風が唸ったり、豪雨が家を打ち付けたりするのを聞くと、逃げ場のない事態に恐れおののく。

だから今回、関東地方に接近する台風7号について、テレビで気象予報士から解説を聞いたりすると、何か手を打たねばと走る。きのう(8/15)は、スーパーに買い物に出かけたし、風呂に水をいっぱい貯めたし、雨戸をすべて閉め切った。まあ、それくらい準備した。

でも実際のところ、当地*の台風7号の影響は、雨音がときたまするくらいだったし、上空でとぐろを巻くような唸りはなかった。それでいいんだがね。
(*)当地は「雨雲レーダー」から見ると、雨雲の隙間にあたる幸運なほんの一地点だった。