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2025年5月1日木曜日

自然観察園、八十八夜

暖かな陽射しのもと、心地よい南の風が吹く。そんな昼過ぎ(午後2時)、公園併設の「自然観察園」へ出かけた。

(本ブログ関連:”自然観察園”)

コバノタツナミ(写真左)、オドリコソウ(写真右)
・目指す野草が見つからず、観察園の東奥へ進んだとき、「コバノタツナミ」の群れに出会った。木洩れ日の下に突然現れた白い花は、実に清楚だ。紫色の花が咲く「タツナミソウ」の仲間だそうで、白い花は「白花品種として区分される」(Wikipedia)という。
・観察園内の随所に「オドリコソウ」が群生している。散策路を巡っていると、白い花のオドリコソウと出会った。そういえば、目を凝らすとあちこちに見つかる。オドリコソウの花は薄紅色と思っていたが、白いものもあることを知った。花の色の違いを陽の当たり方のせいかとネットで調べたが、そうでもないようだ。そもそも、オドリコソウは陽当たりのよい場所で好んで生育するという。


シラン(写真左)、ミズヒキ(写真右)
・観察園入口から金網柵に沿って少し東に進むと、南向きの小さな斜面に、鮮やかな紅紫色~紺色の「シラン」の花が群生していた。とても目立つたたずまいだ。
・観察園入口に近い金網柵の足元に、葉に奇妙な記号が付いた野草がいる。写真に撮って、自然観察センターに尋ねたところ、「ミズヒキ」だろうとの回答を得た。
ー 「時季(初夏の頃)によっては葉に『八』の字の模様(鼻緒のような模様)が入る。」という。(Wikipedia)


観察園の「かがみ池」は水が干上がって、あちこち水底が顔を出している。そんな岸辺を、「キセキレイ」がいつものように1羽歩いていた。また、干上がった場所で「カルガモ」が1羽、首をすくめて休息していた。


きょうは、「八十八夜」とのこと。

■ Youtube(登録:ひまわり [童謡・唱歌・日本のうた] )
「茶摘み(♬夏も近づく八十八夜)byひまわり×6🌻【合唱/日本の歌百選】歌詞付き」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=D6R0UJqjHXQ

2025年4月9日水曜日

(資料)八百比丘尼

先日(1/27)のブログに、「椿(ツバキ)」の分布と八百比丘尼の関係について、柳田国男が「雪国の春」で「(福井県)若狭の八百比丘尼(仏教の尼僧)のごとく、玉椿の枝を手に持って、諸国を巡歴したという旅人はあったのである」と述べたことを記した。

(本ブログ関連:”八百比丘尼”)

そこで、まず八百比丘尼についての思い出を記したい。八百比丘尼を初めて知ったのは、NHKのテレビドラマ「女人幻想」*(1972年)の現代劇を見てのことと思う。主演の佐藤友美(1941年10月8日~)は、八重歯が印象的な女優で、日本人にはそんな歯並びが好まれる**。それに、ちょっと擦れ声した(いわゆる妖艶さとは違う意味での)ハスキーボイスも魅力的だった。
(*)「女人幻想」(1972/02/26、22:10-23:40、番組表): テレビドラマデータベース
    ー http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-13062
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不老不死の女性八百比丘尼の伝説を下敷きに時空を越えた愛を描く。【以上、文・のよりん】突然失踪した妻の行方を捜す若い医師と、彼につきあって旅に出た作家がたどる怪奇な旅。
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(**)八重歯について、以前、韓国語の教室で、日本人の歯並びを口にした者がいた。日本人が八重歯を好む(愛らしく感じる傾向がある)のを不思議がっていたので、こんな例を伝えた・・・それは中東・北アフリカの羊市場で、買い手が商品の羊を品定めするとき、唇をめくり歯並びを確認(重視)すると。日韓の歯並びに対する視点の違いを、朝鮮の場合、高麗時代に長くモンゴルの支配下にあったからではないかと仄めかしたわけで・・・それを聞いた発言者は黙ってしまったことがあった。

さてドラマに戻ると、場所を変えて現れる或る女性を追い続ける、追慕を描いた不思議な印象を受けたが、物語の展開をつぶさに記憶に残していないのが残念。


以下、八百比丘尼に関する資料を探した

■ 鳥取短期大学研究紀要 (46), 21-38, 2002-12-01  ← 論文としての調査報告(都道府県別一覧表がある)
「八百比丘尼伝說 一 山陰を中心にその伝承の種々相を考える一」(酒井董美(ただよし))
    ー https://cygnus.repo.nii.ac.jp/record/276/files/bulletin46_03.pdf
以下「要旨」から:( )内の用語は論文内に記述のもの
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わが国には「八百比丘尼」に関する伝説が多く,27都府県にわたって存在している・・・
要旨は,漁師たちが竜宮に招かれて,人魚の肉を料理に出されるがだれも食べないたまたま一人がそれを持ち帰り,そこの娘(未婚女性)が食べたところ八百歳の長寿を得,しかも容姿は若い娘のままである娘は比丘尼(仏教への帰依)となって諸国を行脚し,植樹をしたり橋などを建立したりするが,最後は若狭の国で入定するというのが一般的な形である.本稿ではこの説話と「浦島太郎」の説話を対比(浦島伝説の方が古い)させながら,人々の長寿を願う気持ちを背景に,祖霊信仰を踏まえて成立したものであることを,民俗学の立場から考察したものである.
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上掲論文は、東大寺の二月堂で春に行なわれる「修二会(しゅにえ)」の法会の行事「お水取り」との関係を説明している。八百比丘尼が入定したという、若狭の小浜から「若水」が送られる「お水送り」に何かの象徴を感じる・・・以前数度、東大寺のお水取りに、火の粉をかぶりに行った覚えのある者にとってハッと驚く。

Youtube(登録: おどろ寺子屋)八百比丘尼の物語を名調子に要約されている。
「【怖い伝説】八百比丘尼〜人魚の肉を食い不老長寿・不老不死となった娘〜怪談朗読」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=4MKP882Bq5I

Youtube(登録: 福井県小浜市の公式チャンネル)
「八百比丘尼物語」
    ー https://www.youtube.com/watch?v=m0VAkOJYW5E

百目鬼恭三郎著「奇談の時代」(朝日新聞社(出版))
① 「不死伝説」として、室町時代に記された八百歳の老尼に記録(下記、柳田国男が記す「臥雲日件録(がうんにっけんろく)」)より始まる。ただし、見世物的要素があり「ウサンくさい」としている。他に長老の人物(痴呆)を利用した例があるという。
② 同様に柳田国男も触れている、林羅山が若いときにこれに関心を持ったということに触れている(まあ、合理主義者の林羅山が興味を示したといえば、ちょっと耳を傾けたくなるわけで・・・)。

柳田国男著「雪国の春」の「若狭の八百比丘尼の物語」(「青空文庫」より)
    ー https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54403_54217.html
① 親が手に入れた人魚の肉を娘が食ってしまい、八百比丘尼となる構図である。 
② 八百比丘尼は日本各地を巡りながらも、その終結点として若狭の地があげられる。
③ この伝承は、「発揮し宣伝するには最も適したのが、庚申講の夜であった」としている。

<人魚の肉>
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 前に申した若狭の八百比丘尼の物語は、・・・ 足利氏の中期に、若狭に八百比丘尼という長生の婦人ありしことは、すでに馬琴の『八犬伝』によってこれを知った人が多いが、少なくとも当時その風評は高く、ある時は京洛の地に入って衆人に帰依せられたことは、文安六年五月から六月までの、『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』や『康富記(やすとみき)』、もしくは『唐橋綱光卿記(からはしつなみつきょうき)』など、多くの日記の一致するを見れば疑うところはないのである。ただしいかにしてそのような長寿を得たかは、これらの記録には何も見えず、林道春(追補:林羅山)が父から聞いたといって、『本朝神社考』に書いたのが一番に古いが、これとても『清悦物語』の出現よりは前であった。すなわち昔この比丘尼の父、山中にして異人に逢い、招かれて隠れ里にいたる。人魚の肉を饗せられてあえて食わず、これを袖にして帰りきたるを、その女食いて長寿なりといっているのがそれである
 同じ話はまた『若狭郡県志』、『向若録』などにも出ている。この方では父は小松原という村の人で、海に釣をして異魚を獲たのを、娘だけが食べたということになっている美しい女性のいつまでも若いのを、「人魚でも食ったのか」という習いは、今でも諺のようになって残っている。基づくところかくのごとく久しいのである。・・・しかるを本人は怪しんであえて食わず、かえって無邪気なる小娘が、その恩恵をもっぱらにしたということは、話の早くからの要件であったと見えて、現に『清悦物語』でも同行者の一人がこれを持ち帰り、その女のこれを食うた者がつい近ごろまで存命であったと、不必要に問わず語りを添えているのである。『塩松勝譜(えんしょうしょうふ)』には常陸坊海尊、衣川にて老人に逢い赤魚をもらって食った。その婢女もまたこれを分ち食したとあるのは同じ話である。

 桃井塘雨(ももいとうう)の『笈埃(きゅうあい)随筆には、今浜洲崎という地に異人来り住み、一日土地の者を招いて馳走をした。人の頭をした魚を料理するのを隙見して、怖れて食う者もなかったが、ただ一人これを懐にして帰り、その妻知らずしてこれを食ったという話を載せている。これは疑いもなく寛永二年の隠岐島紀行、『沖のすさび』のまる写しであって、彼には伯耆(ほうき)弓浜の洲崎の話となっているのを、今浜洲崎と改めて若狭まで持ってきただけである。味は甘露のごとく食し終わって身とろけ死して夢のごとく、覚めて後目は遠きに精しく耳は密に聞き、胸中は明鏡のごとく顔色ことに麗わしとあって、ついに生き残ってしまったのである。七世の孫もまた老いたり、かの妻ひとり海仙となりて山水に遊行し諸国を巡歴して若狭にいたり、後に雲に乗りて隠岐の方に去れりとも記し、すなわちこの島焼火山その他の所々の追跡を説明しているのである。人の妻とある例はこれがただ一つであるが、海仙となって諸国に遊んだというのが、何か海尊仙人の口碑と因縁あるべく思われるただしこの話は九州を除くの外、ほとんど日本の全国に分布し、しかもたいていは同じ由来談を、若干の差異をもって説いているので、すなわち平泉の清悦の奇怪談が、必ずしも一人や二人の与太話よたばなしでなかったことだけは、もう十分に証明せられるのである。
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<八百比丘尼の事>
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 しからば人魚の効能と『義経記』との関係やいかん。それを考えるにはなお少しく類似の例を列挙してみなければならぬ。若狭の方面には『沖のすさび』のほぼ同じころに、貝原益軒(かいばらえきけん)の『西北紀行』があって、忠実に土地の所伝を録している。小浜の熊野山の神明社に、そのころはすでに比丘尼の木像と称するものがあり、しかもその由来記はまた別箇の趣を具えていた。昔この地方に六人の長者、おりおり集まって宝競べの会を催していたが、その一人人魚を調味して出したのを、五人の客疑って食わなかった。それから家に持ち帰って少女が食ったという段は、すべて他の例と一つである。
 佐渡では羽茂はもちの大石という村でも、八百比丘尼この地に生まると説いている。やはり異人饗応の話があり、人魚の肉によって千年の寿を得たのだが、その二百歳をさいて国主に譲り、女自身は八百歳に達した時、若狭に渡って死んだと伝えている。『播磨鑑』では私などの郷里神崎郡比延村に、この比丘尼は生まれたと主張する。これも八百になって比延川に身を投げたともいえばあるいは今一度人魚を捕りに、明石の浦へ出かけたまま帰ってこぬなどともいうのである。土佐国でも同じ人の海に入った話、その他いろいろの遺跡はあるのだが、人魚に関係せぬものはすべて省略する。『西郊余翰(さいこうよかん)』巻一に、土佐高岡郡多野郷の賀茂神社にある八百比丘尼の石塔の事を記しているが、白鳳(はくほう)十二年という大昔、この海辺に千軒の民家があった時代という。七人の漁翁が人魚を捕って刑に処せられた。七本木というのがその古跡である。村に一人の医者があって、ひそかに一切れの肉を貰い受けて、自分の娘に食わせると、すなわち後の八百比丘尼になった。三百年を経て一度帰り、この石塔を建てたともいい、あるいは死んだ後に若狭から届いてきたともいうが、人魚を食ったという証拠にはならぬのである。
 関東諸国ことに東京の周囲にも、この比丘尼の栽(う)えておいたという老木が多く、下野にも上総にもいろいろの遺跡はあるが、人魚の話はまだ聞いていない。しかも海もない美濃などにも、やはり麻木長者の娘が麻木の箸に付いた飯を、苧ヶ瀬池(おがせいけ)の魚に施した陰徳で、八百比丘尼となって若狭に往って死んだというのが同じだったらしく、さらにさかのぼって飛騨の益田郡、馬瀬の中切の次郎兵衛酒屋の話などは、山国らしい昔話に変化して今も語られる。この酒屋へおりおり一人の小僧が小さなヒョウタンを持って一斗の酒を買いに来る。疑わずに量って与えると、いくらでもそのヒョウタンへ入るのだ。試みに小僧の跡をつけて行けば、村の湯ノ淵という所までやってきて振返り、わしは竜宮の乙姫さまのお使だ。おぬしもござれと引っ張って行き、わずか三日の間款待を受けたと思ったらもうこの世では三年の年の終わりであった。帰る際に竜宮の宝でキキミミという箱を下される。耳をこれに付けていると、人間にはわからぬどんな事でも聞かれる。家に娘があってそれを不思議に思い、誰も知らぬ間にそっと開いてみると、箱の中には人魚の肉が入っていて、いかにもうまそうな香気がする。ついにその古い肉を食ってしまうと、そのお蔭で娘は八百比丘尼になった。村の氏神の雌雄杉の根もとへ、黄金の綱をこしらえて深く埋め、いよいよという場合には出して使えといって、自分は仙人になっていずれへか出て往ったというのである。ちょうど刊本の『義経記』が編纂ものなるごとく、これも地方に流れている三つ五つの物語を、端切り中をつんで冬の夜話の用に供したものらしい。
 まだいくつかの例が残っているのである。『丹州三家物語』に録するところは、ほとんど『神社考』と大差なくただ比丘尼の生地を若狭鶴崎としたのみだが、丹後には別に竹野郡乗原という部落に、旧家大久保氏の家伝というもののあることを、近ごろの『竹野郡誌』には詳述している。ある時この村へ一人の修験者が来ておって、庚申講(こうしんこう)に人々を招いた。それから先は例のごとくだが、この家の娘は比丘尼ながら、樹を栽え石を敷きいろいろと土地のためになっている紀州那賀郡丸栖村(まるすむら)の高橋氏でも、庚申講の亭主をしていると、見なれぬ美人がきて所望をして仲間に入った。その次の庚申の日には私の家へきて下さいと招かれたが、その晩土産といって紙に包んでくれたのが、例の人魚の一臠(きれ)であった帰って帯を解くときふと取落とすと、その折二、三歳の家の小娘が拾ってのみ込んでしまった云々と伝え、今もその家の子孫という某は住んでいるが、この事あって以来いつも庚申の晩には、算(かぞ)えてみると人が一人ずつ多くいるというので、とうとう庚申講は営まぬことになった。ここでもどういうわけか八百比丘尼は、末に貴志川へ身を投げて果てたと伝えている。越後の寺泊に近い野積浦の高津家にも、やはり人魚を食った八百比丘尼はこの家から出たといい、今も手植えの老松が残っている。同じく庚申講の夜山の神さまに招かれて、そんな物をもらって帰ったというのである。最後にもう一つは会津の金川寺という村でも、比丘尼はこの村の昔の住人、秦勝道の子だったという口碑がある。勝道はまた庚申講の熱心な勧進者であったが、村の流れの駒形岩の淵の畔(ほとり)において、やはり竜神の饗応を受け、その食物を食べたという点は、丹後紀伊などと似ていた。ただしこれだけは人魚でなくて九穴の貝というものであった。
 捜したらまだ何ほども例は出てくるのだろう。私が知っただけでは娘が取って食ったというのが、平泉を加えて十件あり、食物はそのただ一つのみが九穴の貝であり、さらに庚申講の晩というのが、互いに離れた土地に四つまでもある天平以前に庚申祭などがあったかと、野暮な疑問を抱くことを止めよ。庚申は要するに夜話の晩であった終夜寝ないで話をするために、村の人の集まる晩なのであるすなわち人魚を食ったという長命の女の奇蹟を、発揮し宣伝するには最も適したのが、庚申講の夜であったのであるその話をさも事新しく、なるべく知った人の多くおらぬような土地へ、こうして持ってこようという考えの者が、昔もあったことだけは想像せられる
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■ 日本伝承大鑑
「八百比丘尼入定洞」← 伝承の地、小浜で八百比丘についてのガイド
 ー https://japanmystery.com/fukui/ningyo.html

■ 福井県小浜市加斗コミュニティーセンター
「玉椿(八百比丘尼)」・・・ 小浜の後瀬山で入定時に詠んだとされる歌がある
「たのみなば 命のほどや ながからん いわまのしずく つきぬかぎりに」
    ー https://www1.city.obama.fukui.jp/obm/kouminkan/kato_k/profilepost/189

(参考)上掲の歌について、Geminiによる解説
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歌の意味を解きほぐす
・たのみなば: 「もし頼むとすれば」という意味で、仮定の条件を表しています。
・命のほどや: 「命の長さはどうだろうか」と、自身の寿命について問いかけています。
・ながからん: 「長く続くのだろうか」と、寿命の長さを疑問視しています。
・いわまのしずく: 岩穴から落ちる雫を比喩として用いており、生命の儚さ、無常さを表しています。
・つきぬかぎりに: 「雫が尽きるまで」という意味で、生命の終わりを暗示しています。

全体的な意味
・この歌は、八百比丘尼が長い年月を生き、多くの経験を積んだ上で、自身の命の終わりが近いことを悟り、詠んだ歌だと考えられます。
・岩穴から落ちる雫のように、自分の命もいつかは尽きるという、生命の有限性を深く認識し、そのことを静かに受け入れている様子が伺えます。
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(参考)
ところで、むかし(1980年代初期)、家族と一緒に居間のテレビで、吉永小百合主演のNHKドラマ「夢千代日記」を視聴した。当時、テレビドラマには、日本人の心象を、その経験を通じて奥深くから巻きあげるように描く。この作品について、多くの方がいまもネット上で語っている。

2024年6月3日月曜日

雷雨、地震、そして麦と米の栽培カレンダー(「麦打ち唄(棒打ち唄)」)

雷雨
きょうの午後4時半過ぎ、激しい降雨とともに雷鳴が轟いた。テレビニュースは「ゲリラ雷雨」と報じた。そして夜、また降り出した・・・。
実は、きのう(日曜日)の午後1時過ぎ、市民講座を聴講しようと家を出たところ、すぐに大粒の雨が降ってきたので、慌てて家に戻った(雨脚を懸念して欠席した)。

こんな雨降りに、「梅雨入り」間近かというとそうでもない。今年の先陣を切って梅雨入りした沖縄、奄美地方でさえ、例年と比べて約10日ほど遅い。天気予報によれば、関東・甲信地方は、これから後は晴れの日が続くという。数日すれば、連日の雨をケロッと忘れているだろう。(きょうの雷雨も10数分間しておさまり、「ドバト」が鳴きだせばあっけない)

地震
それよりも、早朝の能登半島先端の「珠洲(すず)市」と、それに隣接する日本海側の「輪島市」で、震度「5+」(5強)の地震が、今年の元旦以来繰り返された。ただし、東京では体感できなかった。だからという訳ではないだろうが、地震についてのテレビ報道がとても薄かったのに驚く。

■ 気象庁:地震情報(詳細情報)
https://www.data.jma.go.jp/multi/quake/quake_detail.html?eventID=20240603063636&lang=jp
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・地震検知日時       2024/06/03 06:31
・緯度/経度     北緯37.5度 / 東経137.3度
・マグニチュード    5.9
・震源の深さ         10km
・震央地名            石川県能登地方
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麦と米の栽培カレンダー
ところで6月の景色に、「ムギ」の収穫と、「コメ」稲の苗を植える 田植が浮かぶ。気になるのは、一年を通した米と麦の栽培カレンダーだ。町の住人にも理解できる、月別の農作業を知りたくネットを探したところ、次のカレンダーがあった。

■「おいしい大麦研究所」サイトの「大麦百科」に、「日本の風土で育つ大麦の一年」(2019年10月02日)の記事に、「大麦」・「米」の農作業の解説と「大麦栽培カレンダー」(月別表形式)が掲載されている。
https://www.hakubaku.co.jp/omugi-lab/hyakka/oomugi-ichinen/

栽培カレンダーは、大麦中心に、稲作はザックリと、次のように表示している(版権都合上、ことばで記述する)。
大麦
    11月:種まき → 1~2:麦踏 → 4~5月半:出穂 → 5月:登熟 → 6月:収穫
(「夏は稲、冬は麦という」二毛作の場合)
    6月:田植え → 9~10月:収穫
   
6月は、麦を収穫、米は田植えということになる。


「麦打ち唄(棒打ち歌)」
麦については、天日干しした後、麦打ち(脱穀作業のため「麦打ち唄」がかつて歌われた)がある。この歌には、どの地域でも、十七八の娘を思い浮かべる歌詞がある。仕事が終盤になると誰しも余裕が出るのかな・・・オットットット農家は忙しい、田園地帯なら稲作作業が待っているだろうし、水が乏しかった江戸時代の武蔵野台地の場合は、どうやら栗、蕎麦(ソバ)、豆などの農作業があるのかな?

(本ブログ関連:”麦打ち唄”)

Youtube: 東京都下の多摩地区にある清瀬市の「棒打ち唄」より
- 清瀬の仕事唄6「棒打ち唄2」〈制作 清瀬市郷土博物館学芸員 内田祐治氏〉
- Youtube(清瀬市郷土博物館 Museum Kiyose)の「...もっと見る」に解説がある

2024年5月1日水曜日

八十八夜 2024

きょうは、二十四節気など暦日のほかに設けられた「雑節」の「八十八夜」で、「立春」の初日(今年は2/4)を1日目として88日目にあたる。茶摘みの言葉に、まぶしく清々しい光景を思い浮かべるが、あいにく今朝から曇天で、天気予報では午後には小雨に変わるとのこと(その通りになった・・・そして思いのほか冷える)。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

茶摘みの歌に、「夏も近づく八十八夜」で始まる唱歌「茶摘み」(「尋常小学唱歌 第三学年用」、1912年(明治45年)刊行)がある。誰もが知るこの曲は、作詞・作曲者が不詳とのこと、不思議である。そのせいか、唱歌や童謡の資料として参照している「唱歌・童謡ものがたり」 (読売新聞文化部著、岩波現代文庫) に掲載されていない・・・取材しにくかったのだろう。

そこで民謡に目を向けると、「日本民謡集」 (町田嘉章, 浅野建二編集、岩波文庫) に静岡県の「ちゃっきり節」*が採録されている。Youtubeには、市丸**(明治39年【1906年】~平成9年【1997年】)が吹き込んだレコード音源が紹介されている。
(*)ちゃっきり節: 観光用の新民謡北原白秋作詞、町田嘉章作曲、昭和2年(1927年)
(**)市丸とレコード盤の関係について、次の記述がある。(Wikipedia)
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全国的に知られるようになったのは、芸妓から歌手に転身した市丸が1931年にレコードに吹き込み、翌1932年にヒットして以後である。
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市丸が歌った、Youtubeの「ちゃっきり節」は、歌詞の一番、二番、六番で構成されている。

唄はちゃっきり節 男は次郎長
花はたちばな  夏はたちばな
茶のかおり
【囃子】ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ          
    蛙(かわず)が鳴くんで  雨ずらよ

茶山茶どころ  茶は緑どころ
ねえね***行かずか  やあれ行かずか
お茶つみに
【囃子】ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ          
    蛙(かわず)が鳴くんで  雨ずらよ

山で啼くのは  藪うぐいすよ
茶つみ日和の  晴れた日よりの
気のとろさ
【囃子】ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ          
    蛙(かわず)が鳴くんで  雨ずらよ

(***)ねえね: 良家の年若い女児

歌詞の各番の最後にある「雨ずらよ」は静岡方言だそうで、こんな経験がある。むかしの職場に静岡県出身の者がいて、彼はしばしば「ぞうずら」を口にしていた。「そうだよ」といった肯定の意味合いだけと理解していたが、「そのようだね」といった婉曲表現でもあることをネットで知った。とにかく愉快な人物だった。

(登録者 ”市丸/波岡惣一郎/鈴木正夫/喜久丸 - トピック”  に感謝)

2022年5月2日月曜日

八十八夜 2022

二十四節気の起点「立春」(今年は2月4日)を第一日にして、きょうは八十八日目で、雑節「八十八夜(はちじゅうはちや)」にあたる。気象庁でいう「春」は3~5月の間だが、間もなくして5月5日には「立夏」となり、「晩春」から「初夏」に変わる。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

八十八夜といえば、文部省唱歌「茶摘み」(作曲・作詞者不明、明治45年(1912年))の歌いだしにある「夏も近づく八十八夜」、それにあわせて「あれに見えるは茶摘みぢやないか」の詞を思い出す。<八十八夜>と<茶摘み>のイメージがセットになる。

茶葉販売店は幟(のぼり)を立て、新茶シーズンの到来を知らせる。普段、茶の習慣が薄れている者でも、八十八夜のこの時期くらいせめて新茶を飲んでみようかという気になる。新茶葉は栄養価が高く、飲めば健康に良くて長寿につながるそうだ。壮年期ならいざしらず、この歳になると長寿に関心が乏しくなっているものの、茶を飲むときの「ふぅ~」と息に出る安堵感は他に代えられない。

むかし、趣味仲間のベテランの方が自宅の庭に茶(チャノキ)を植えて、葉を摘み、蒸して揉むといった工程について、あるいは気候によって出来映えが違うといったことを聞かされた。手間をかけて作ったお茶は美味しいという。

近くの茶葉店で、新茶を求めてみようかな。

2021年12月22日水曜日

冬至 2021、民間信仰

きょうは、二十四節気の「冬至」で、日の出から日の入りまでの昼(日照)時間が一年中で最も短い日だ。東京天文台から見た日の出は 6:47、日の入りは 16:32になり、昼時間は 9時間45分となる。一方、昼時間が最も長い「夏至」(6月21日)の場合、日の出は 4:25、日の入りは 19:00になり、昼時間は 14時間35分となる。

(本ブログ関連:”冬至”)

冬至の昼時間が夏至のときと比べて、約5時間も短いのは驚きだ・・・一年中、昼時間が長ければ活気あふれそうだが、北極圏の「白夜」のように日没がないのはどうなんだろう。逆に冬至の前後に起こるという「極夜」では一日中太陽が昇らないわけで・・・憂鬱なことだろうなんて想像するが、そんなことをいうとトナカイを飼っている民族や、子どもたちへのクリスマスプレゼント準備に忙しいサンタクロースに失礼になる。

幸い、ほどよい緯度に住んでいるおかげで、冬至が生活の一区切りになる。これも体調が揃ってのことで、このところ右膝の調子がおもわしくなく日常の範囲が狭まった。外出も野外散歩から、座ってできることへと移っている。

■ 民間信仰
先日、2回(12/11、18)に渡って市民講座「日本人の民間信仰 - その起源と八百万(やおよろず)の神たち」(久保田裕道氏、東京都文化財研究所 無形民俗文化財研究室長)が開催された。民間行事や芸能、信仰などの精神的な回路(位置取り)として、次のような図解を中心に解説された。(柳田国男の「遠野物語」や折口信夫の「まれびと」の考えも紹介されつつ)

    集落(民間信仰の主な場所) - 田畑里山(神がいる、山岳信仰の場所)

網羅的に整理・理解できないしろうとは、ある局面について関心がいくもの。本ブログでは、民間信仰に近いテーマの一つとして「お稲荷さん(稲荷信仰)」の話題を渉猟したりしている。稲荷信仰について、どのように触れられるか期待しつつ出かけた。

「家の神」として、<屋敷神>の紹介で久保田氏が調査対象にした東京都東村山市の例として「屋敷内に祠が設けられる(屋敷神は)、300軒以上で稲荷神。弁天・霊神が2ケタ、1ケタ台で水天宮・御嶽・八幡・観音・地蔵など」とのこと。
① 圧倒的に「稲荷神」が多い。屋敷神は転居してもそこに残るという。経済と結びつきの多いことから、東村山市は繁栄していたのだろう(稲荷神が武蔵野の新田開発時代のものか、維新以後の商業関連のものかうかがわなかったけれど)。

(本ブログ関連:”稲荷信仰”)

② 「地蔵」が1ケタ台というのもうなづける気がした。土地柄がよければ、疫病とも縁が薄いだろうし、子どもを捨てたり水子にすることも少なかったのだろう。(地蔵は、屋敷より地域の境界や外れに置かれたろうから)

(本ブログ関連:”地蔵”)

その他、「鬼」と火の関係など、しろうとにとって偏ったことだが興味・関心がうずうずと湧いてくる話題が多々あった。

2021年5月1日土曜日

八十八夜 2021、リモコン修理

昼間と打って変わって夕方雨音がした。確認のため外を見れば、街灯に照らされた屋並が雨に濡れてテカテカと光っている。その瞬間、ピカリと輝いた。やがて雷鳴が轟く。久しぶり(たしか3/13以来)の春雷だ。雨脚が結構激しくなったが、夜に入っておさまった。

きょうは雑節の「八十八夜」。思い浮かぶのは文部唱歌「茶摘」(1912年、明治45年)の歌だろう。現物を見たわけでないが、今も小学校の音楽教科書に載っているという。「夏も近づく 八十八夜」に始まり、「摘まにゃ 日本の茶にならぬ」とそらんじられるほど親しい。
新茶について季節感よりも、元気や不老につながると聞き、そちらが気になる。わがままなことと自省する・・・。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

■ウェザーニュースの記事
「今日、5月1日は『八十八夜』 新茶の季節」(2021/05/01 05:54)から抜粋
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「八十八夜の別れ霜(じも)」が過ぎて、夏が近づく
晩春の八十八夜のころに降りる霜で、この日以降は霜が降りないことをいいます。
今年の八十八夜は「5月1日」
八十八夜は、立春から数えて(立春を1日目として)88日目のことです。今年は2月3日が立春でしたので、今日5月1日が八十八夜です。
八十八夜は縁起がいい
八十八夜に摘んだ新茶は、不老不死の縁起物といわれます。八十八夜の文字に末広がりの「八」が重なっている・・・
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いずれ、新茶を入手して飲んでみようと思う。


(付記)
テレビリモコンの修理
リモコンボタンをどんなに押しても反応が悪くなった。そこでYoutubeで予習をし、簡単な修理作業(電子部品の交換ではなくて掃除)をした。

① まず上蓋を開ける
   Youtubeでは、ヘラを使ったりしているがマイナスドライバでやってみた。(リモコンの傷は覚悟のうえ!)
  - 蓋(ふた)が頑丈なので、ドライバで強力にこじ開ける。ケガに十分注意! 必要なら耐切創手袋を使用する。
  - Youtubeの尺と違い、時間をかけてじっくり気長にやる。パキッといって蓋が取れる。
② 内部の汚れを落とす
   リモコン内部の余りの汚さに唖然。アルコール綿棒を使い、徹底的に汚れを拭き取る。
  - ボタンの成分が溶けて、基盤上の接点をベッタリ覆っているので、丹念に拭き取る
  - Youtubeではアルミ箔をボタンの裏に貼る紹介があるが、今回は汚れ落としだけで十分だった
③ 結果
   リモコンのどのボタンを押しても快適に操作できるようになった。嘘のよう!

2019年5月2日木曜日

八十八夜 2019

今日は雑節の「八十八夜」。日頃使っている二十四節気とは別に、雑節は特別に設けられた暦日で九つある。八十八夜はその代表的な一つだ。農作業のように気候や天気と密接な生活をしているわけでない身には、カレンダーを見てようやく気付くことが多い。俳句の季語よりも代表的な節目なのだろうけど。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

八十八夜といえば、「夏も近づく八十八夜」の詞が浮かんでくる。文部唱歌「茶摘」(1912年、明治45年)は、この時期に、街路樹の若葉が初々しい黄緑色に輝いているのを見てふと感じる、初夏の鮮やかさを合わせて思い浮かばせてくれる。

1.夏も近づく八十八夜
     野にも山にも若葉が茂る
     あれに見えるは茶摘みぢやないか
     あかねだすきに菅(すげ)の笠

2,日和(ひより)つづきの今日このごろを
     心のどかに摘みつつ歌ふ
     摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
     摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ

唱歌とはいえ、民謡に通じる労働を盛りたてる賑やかさや健康さがある。さらに、民謡に必ず色をそえる働く女性の姿(艶やかさも含めて)をちゃんと描いている。茶畑作業の最盛期のころを歌っているそうだ。


(Youtubeに登録のChaAに感謝)

2018年5月2日水曜日

八十八夜 2018

今日は、太陽に合わせたような雑節の「八十八夜」。「立春」(2/4)から数えて八十八夜。このところ、「夏日」(25℃以上30℃未満)の暑さが続いている。この時期、水の感蝕にたわむれて、ずぶ濡れになって遊ぶ子どもらがテレビのニュース報道される。濡れても気にしないのがうらやましい。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

唱歌「茶摘み」の出だしに「夏も近づく八十八夜」がある。数日前のテレビで、ベテランの気象予報士が「もう春は終わりました」といった。近所の公園の緑陰も、日増しに影を濃くしている。

ところで、「春」を、気象庁は3月~5月と定義しているが、新潮社編(文庫)の新改訂版「俳諧歳時記」(平成2年)は2月~4月と前書きしている。

夜になると少し涼しい。ステテコ姿のおじさんは、何とストーブを持ち出して火をつけた。5分ともたない、あれほど恋しかった温もりが、いまではうるさくまとわりつく。そこで、冷蔵庫から冷えひえのサイダーを取り出して飲む。昭和はまだ続いている。

2015年10月11日日曜日

金鉱の妖霊 乾麂子

鉱物採集に、大方はズリ(選鉱後の石捨て場)の斜面を漁る。体力と好奇心があれば、腰の深さまで掘り返す人もいる。そうでなければ、表面採集といいつくろって、ズリ表面を軽く掻く。私は後者である。

鉱物産地には、鉱山跡ゆえ坑口がそのままになっていることがある。ベテランは、坑道に入って探すこともあるそうだが、現地に詳しい仲間がいる場合のようだ。表面採集する者には、坑口を覗くことはあっても、中に踏み込む勇気はない。

先だって、鉱物仲間の方から聞いた話、暗闇を進んで行くと、立て坑らしいものがあって、水がたまっているような音がしたという。無茶なことをと、唖然とした。

鉱山には、女王が登場する童話の世界もあるが、実際、死と隣り合わせゆえに恐怖が勝る。岡本綺堂の「中国怪奇小説集 子不語」に、死んでいることを知らずさまよう亡者が登場する「金鉱の妖霊」がある。彼らを「乾麂子(かんきし)」という。(「青空文庫」より)

(本ブログ関連:”坑夫”)

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・乾麂子(かんきし)というのは、人ではない。人の死骸の化したるもの、すなわち前*に書いた僵尸(きょうし)のたぐいである(*「僵尸(屍体)を画く」)。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾麂子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。

・死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾麂子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫は額の上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾麂子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草をくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。

・「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金の蔓のある所を知っているか」

・かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらを瞞のを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前を籃にのせて吊りあげてやる」

・竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、瞞すのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見る融けて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。

・それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁に倚りかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。

・それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬまでも絡み付いていられるので、よんどころなく前にいったような方法を取るのである。
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(追記)http://open-lit.com/listbook.php?cid=4&gbid=160&start=0 より。「開放文學」に感謝。
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 乾麂子
  乾麂子,非人也,乃僵屍類也。雲南多五金礦,開礦之夫,有遇土壓不得出,或數十年,或百年,為土金氣所養,身體不壞,雖不死,其實死矣。
  凡開礦人苦地下黑如長夜,多額上點一燈,穿地而入。遇乾麂子,麂子喜甚,向人說冷求煙吃。與之煙,噓吸立盡,長跪求人帶出。挖礦者曰:「我到此為金銀而來,無空出之理。汝知金苗之處乎?」乾麂子導之,得礦,必大獲。臨出,則紿之曰:「我先出,以籃接汝出洞。」將竹籃繫繩,拉乾麂子於半空,剪斷其繩,乾麂子輒墜而死。
  有管廠人性仁慈,憐之,竟拉上乾麂子七八個。見風,衣服肌骨即化為水,其氣腥臭,聞之者盡瘟死。是以此後拉乾麂子者必斷其繩,恐受其氣而死;不拉,則又怕其纏擾無休。
  又相傳,人多乾麂子少,眾縛之使靠土壁,四面用泥封固作土墩,其上放燈台,則不復作祟;若人少乾麂子多,則被其纏死不放矣。
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乾麂子はあわれだ。坑夫になる前身を語られず、まして地の底にいて自らの死も知らずにいる。出会った坑夫に金銀の蔓(鉱脈)を教える引きかえに地上へ上がることを願う。しかし、地上で、彼らは忌み嫌われる存在でしかない。

私は、幸いにも今までに恐怖と遭遇したことはない。ただ、山中を歩くとき、草を踏む音、靴を引きずる音、潅木をかする音、それらが微妙にずれあって、最後尾にいて、あたかも私の後にもうひとり誰かがついてきているような錯覚を覚えることがある。

2015年9月27日日曜日

十五夜 2015

旧暦八月十五日となる、この十五夜に昇る月を「中秋の名月」*という。帰宅路、雲の横たわるの東の空に、丸い月が、西の夕陽を受けて薄紅色に染まりながら顔を出していた。ところで今晩の月は、<満月>でなく、明夜に楽しめるという(それも、今年最大の「スーパームーン」になるそうだ)。

(* 今晩、地元公園で「お月見のつどい」が催されたが、昼間に、次の催事に出かけたので参加できなかった)

中秋の中日、日比谷公園で開催された「日韓交流おまつり 2015 in Tokyo」に、前の教室仲間たちとともに出かけた。薄曇りながら、雨が降ることなく、ときに晴れ間も広がり天候に恵まれた。会場は<昨年>と同じだが、人出は盛況だし、催事テントも増えたようだ。また、ステージとは別に、花壇広場で演じられた珍しい伝統綱渡りを見たりした。

大勢で出かけると、めいめいが売店で買った食べ物を持ち寄って昼食したり、休憩時にも菓子(ホットク)を食べたりといった祭り気分を味わえ満喫した。例によって例のごとく、(イ・ソンヒについて)ファン心理でいろいろしゃべった・・・しゃべり過ぎた。

(参考: 今年2015年、日韓民間交流関連「イベントカレンダー」・・・外務省の掲示より)

2015年5月2日土曜日

八十八夜 2015

雑節には、一年の季節の始まりである「立春」を起点に数える、今日の「八十八夜」、台風時期の「二百十日」などがある。農業と縁遠く、気候とも真正面に向き合うことの少ない都市生活者にとっては、そもそも立春について意識がうすい。この八十八という日数が来ても、感慨は足りない。

(本ブログ関連:”八十八夜”)

雑節の八十八夜は、そもそも農家にとって遅霜への注意喚起だったそうだ(Wikipedia)。一方、この八十八について「米という文字は、八と十と八を重ねてできあがることから、縁起のいい農の吉日とされています」という解説本まである(「日本の七十二候を楽しむ」東邦出版)。

ところで、今日を何かの標で確認するのに、八十八夜を織り込んだ唱歌「茶摘み」がある。季節としての八十八夜を、歌詞の最初に持ってきている。この唱歌の由来といわれる(通説だが)、宇治田原町(教育委員会)の「宇治田原の茶摘み歌」を見ると、「八十八夜の お茶に会う」がある。茶摘みを機会に男女の契りを想わせる、いわゆる明るい民謡独特な表現だ。唱歌が静止した光景とするなら、民謡は活き活きとした生命感がある。

緑茶はうまい、歳とともに実感する。和室が似合う飲みもの。静かに時間を楽しむことができる。戻るべきもののようだ。

2012年4月20日金曜日

穀雨2012

天気予報サービス会社の今日の予報は、「曇り」で「折りたたみ傘があると安心」という。また雨かとうんざりする。しかし、二十四節気の「穀雨」だといわれると、恵みの雨と納得してしまう。

さて、この雨、どんな風景に合っているのだろうか。春雨にけむる畑に農夫が一人いる墨絵のような世界を空想するのは勝手というものだろう。穀雨を観念に閉じ込めては申しわけない。農作業の中での実感を知りたい。

「穀雨の終わりごろ(立夏(5/5)直前)に八十八夜(5/1)がある。」(Wikipedia)とのこと。カレンダーで季節を知るより、日毎の寒暖、天候の様変わる実感に信を置くようになった。ようやく自然の存在である自分に気付いたということでしょうね。

2011年5月2日月曜日

八十八夜

今日は八十八夜。旧暦3月30日、夏も間近である。月齢28.5、今宵の空に月はない。
新茶の時期である。この時期を歌う「茶摘み」が小学唱歌にある。「あかねだすきに菅(すげ)の笠」は、お茶屋のポスターや観光写真にしか見られない光景だが、しっかり心にある。菅の笠というよりは、《手ぬぐい》をかぶった(姉さんかぶり?の)姿が多く見受けられるが。

そういえば、静岡県の「ちゃっきり節」の囃子にある「雨ずらよ」を聞くと、静岡出身の昔の同僚の訛りを思い出す。ところで、Youtubeに登録のこの歌の最後にある「お山みれみれ あのかさぐもを/ねえね 来てねや 今朝は来てねや すげの笠」は、「日本民謡集」(岩波文庫)にはないけど、ここでも「すげの笠」。労働となれば日光に直接顔をさらさないのが正解なわけですよね。

(Youtubeに登録のheise96、sound2castに感謝)


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