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2026年5月8日金曜日

(Gemini)60年代フレンチポップの仏女性歌手のしぐさ

1960年代のフレンチポップの仏女性歌手のしぐさというかスタイルというか、歌いながら <首をキュッキュッと横に振る姿> を、Youtube映像を見て気づいたことだが。
・例えば、シルヴィ・ヴァルタンは、やたら切れがいいのだ。当時、テレビでフレンチポップの仏女性歌手を見た記憶はないので、余計気になる。
・アメリンポップをカバーした日本の歌手(こちらは、テレビでしょっちゅう顔をうかがった)の場合、体全体で表現したと思う。つまり、シルヴィ・ヴァルタンのようにキレッキレッに首を横に振った印象ではないが。

(本ブログ関連:”シルヴィ・ヴァルタン”) ←  昔から気になる歌手でしたね

そこで、Gemini に聞いてみた。

■ Gemini

Q.60年代フレンチポップの仏女性歌手が、舞台上で首をキュッキュッと横に振るように歌うのは流行っていたのでしょうか? シルヴィ・ヴァルタンとかフランソワーズ・アルディ・・・。
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A.1960年代のフレンチ・ポップ(イエイエ・ガールズ)の女性歌手たちが、リズムに合わせて小刻みに首を横に振る仕草は、当時の彼女たちの象徴的なスタイルの一つとして非常に流行していました。

特にシルヴィ・ヴァルタンフランソワーズ・アルディフランス・ギャルといった歌手たちがテレビ番組やステージで見せたこの動きは、当時の若者たちの間で「コケティッシュで可愛らしい」と支持された仕草です。

なぜあのような独特な動きが定着したのか、いくつかの背景があります。

1. 「イエイエ(Yé-yé)」のビート感
当時の音楽は、アメリカのロックンロールやツイストの影響を強く受けた「イエイエ」と呼ばれるジャンルが主流でした。アップテンポなドラムのビートに合わせて、体全体で踊るのではなく、「首や肩でリズムを刻むのが、フランス流の都会的で少しクールな表現として定着しました。

2. 「人形」のような美学
当時のファッションアイコンだったツイッギーに代表されるように、60年代は「ドール・ライク(人形のような)」なルックスがトレンドでした。

フランス・ギャルの『夢みるシャンソン人形』に象徴されるように、感情を爆発させるのではなく、少し無機質に、あるいは操り人形のように首を振って歌う姿が、時代の「若さ」や「新しさ」を強調していました。

3. シルヴィ・ヴァルタンの躍動感
ご指摘のシルヴィ・ヴァルタンは、特にアクションが大きな歌手でした。彼女の場合は、ポニーテールやブロンドの髪をなびかせることで、よりステージ映えを狙っていた側面もあります。首を振る動きは、髪の動きを強調し、テレビのモノクロ画面でも視覚的な「躍動感」を与える効果がありました。

4. フランソワーズ・アルディのアンニュイさ
一方で、フランソワーズ・アルディの場合は少しニュアンスが異なります。彼女はギターを抱えて内省的に歌うスタイルでしたが、リズムを捕まえる際に、少しはにかむように首を振る仕草を見せました。これが、彼女の持ち味である「アンニュイな雰囲気」と絶妙にマッチし、多くのファンを魅了しました。

日本の当時の歌手たち(例えば弘田三枝子さんや、ザ・ピーナッツなど)も、カバー曲を歌う際にはこうした本場の仕草を取り入れていたため、日本人の記憶の中にも「60年代の洋楽女性歌手=キュッキュッと首を振る」というイメージが強く刻まれているのだと考えられます。

当時の映像を改めて見返すと、単なる癖というよりは、「最新のポップミュージックを歌っている」という自信とスタイルを表現するための、一種の型のようなものだったことが伺えますね。
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(本ブログ関連:”弘田三枝子”、”ザ・ピーナッツ”)

2013年5月18日土曜日

シルヴィ・ヴァルタンの「あなたのとりこ」

鉱物仲間といつものように思い出話しになって、イタリア(カンツォーネ)のジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti、1947年12月20日~)と、フランス(フレンチ・ポップ)のシルヴィ・ヴァルタン (Sylvie Vartan, 1944年8月15日~)のどちら、となれば可愛さは共に比べようもないが、いかにもヨーロッパのパリの香りを運んでくれたシルヴィ・ヴァルタンかな・・・と合点する。

カテゴリーに富んだアメリカン・ポップにどっぷり漬かっていたところに(それしか知らなかったのだが)、突然ヨーロッパから可愛い娘(こ)たちが次々押し寄せてきた。それも、みな明るく元気で極めて健康的、愛くるしさを前面に出した歌手たちだった・・・だから、すぐにラジオに耳を傾けた。

なかでもシルヴィ・ヴァルタンにひき寄せられた・・・流れてくる旋律は、まさにフレンチ・ポップだけれど、それとは別に印象的な彼女の目にとても強い親和を感じた。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

そんなわけで、いかにもフレンチ・ポップの曲「あなたのとりこ(Irrésistiblement)」(1968年)をYoutube で聴いてみよう。

(Youtubeに登録のintheHailarに感謝)

2011年11月4日金曜日

シルヴィ・ヴァルタン

きのう、ウルトラマンの仮面を孫にお土産したとき、バルタン星人について話したが、余り気乗りしないで、孫は仮面をつけて部屋中駆け回った。それに、シルヴィ・ヴァルタンと言っても・・・。

60年代後半からのフレンチポップの流行で、シルヴィ・ヴァルタンはその代表だった。ちょっと目尻が上がって、ひかれるものがあり、母親がハンガリー人だそうで、もしかして膠着語の仲間として・・・東洋の遺伝子があるのかも・・・そんな雰囲気だった。
シルヴィ・ヴァルタンとバルタン星人のネーミングの関係は、Wikipediaによれば、どうやら勘違いとのこと・・・信じていたのだが。

さて、60年代のフレンチポップで、記憶にある(女性)歌手を列記する。

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年~) 「あなたのとりこ(Irresistiblement)」(1968年、日本1970年)
ダニエル・ビダル(Danièle Vidal、1952年~) 「天使のらくがき(Aime ceux qui t'aiment)」(1969年)
フランス・ギャル(France Gall、1947年~) 「夢みるシャンソン人形(Poupee de Cire Poupee de Son)」(1965年)
・マージョリー・ノエル(Marjorie Noel、1945年~) 「そよ風にのって(Dans le même wagon)」(1965年)


ところで当時、カンツォーネブームもあり、イタリア(女性)歌手も音楽界で競っていた。
何といっても、ジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti、1947年~)だろう。16歳の彼女が、1964年のサンレモ音楽祭で 「夢みる想い(Non ho l'eta)」を歌って優勝したときの映像をみれば、まさに昭和の香りがする。イタリアの吉永小百合のイメージだ。

2017年5月7日日曜日

シルヴィ・ヴァルタン 「アイドルを探せ」

イ・ソンヒが誕生して間もないころ、シルヴィ・ヴァルタンが来日した・・・1965年5月のこと。「フレンチ・ポップス」の代表であった彼女の歌は、押しの強いアメリカン・ポップスにすっかり漬かっていた当時の若者たちに、一種の清涼剤になった。どこかお人形さんめいた新鮮さがあった。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

若者たちといっても、男性と女性では受け止め方が違っただろうけれど、当時、女性の側の関心の持ち方を聞く術もなかったし・・・まぁ、そんなところでしかなかったが。シルヴィ・ヴァルタンのデビュー当時の容貌が好みだった。彼女の母親がハンガリー人(父親はフランス籍のブルガリア人)ということから、どこか遠い彼方で通じるような親和を感じた。

もちろん歌は思いっきり、おしゃれなフレンチ・ポップス、ハスキーが魅力的で・・・。


(Youtubeに登録のSYLVISSIMA YOUTUBEに感謝、感謝!)

2013年6月12日水曜日

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年8月15日~)の「(邦題)アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser:踊りに行く一番の美人)」(1964年)は、イ・ソンヒが生まれた年に登場した。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

この題名について、邦題と原題の関係は、映画タイトルと収録曲の関係だ・・・そうで。今から恋に出かける間際、自分に釘付けにして見せるわと夢が膨らむ少女の想い・・・可愛いいね。

彼女の印象は、当時ラジオから得たものでしかないから、なにしろ若い女の子のEPレコードを買うなんて照れる年代だったので、彼女の容姿をしっかり見つめた記憶はないけれど、遠目にちらりと見やって、聞こえぬよう心の中で可愛いなと思ってたりして・・・。

そんな、シルヴィ・ヴァルタンの目元があるときからちょっと変わったりして、それは少女が化粧して変わったのだろうと思っていたが。最初の印象が強くて、目尻がツンとした、どちらかといえばアジア的な香りがしていたけれど、清清しいパリジェンヌに変わりなかったよ。

(Youtubeに登録のHbs21に感謝)

2014年8月14日木曜日

シルヴィ・ヴァルタン「アイドルを探せ」

ドアを開けると、玄関先の床のタイルの溝に沿って、いつもと変わらぬ蟻(アリ)の列が続く。上から覗いて、隊列一匹一匹の区別がつく筈もない。この夏を懸命に生きて、来年に命をつないでいる。

(本ブログ関連:""、”にわかファンの困惑”)

始まりと終わりを知らぬ蟻だけど、自然の中で、一匹ずつ命を持ち、運命が待っている。彼らは(仲間の中で)ほかとの違いを主張しているようでもない。

私たち(人間)は、共通の言葉を持ち、価値まで作ってしまった。「私は、ほかと違う」という思考で、そう生きようと四苦八苦する。ファッションも知識も、ほかと違うことに一生懸命だ。
でも、蟻は言葉なんて持ち合わせてないから、その場、その瞬間に行動するのが精一杯だろう。黙々とあんな風に仕事をこなす。仕事を放棄したり、逃亡した蟻は知らない。

でもねえ、私が一番というのも悪くない。神様がくれた最高の賜物かもしれない。たとえ実現できなくても、最高の夢を見られたのだから。

イ・ソンヒが誕生した年に大ヒットを飛ばした、シルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan、1944年8月15日~)の「(邦題)アイドルを探せ(La plus belle pour aller danser:踊りに行く一番の美人)」(1964年)は、彼女のデビュー頃の好みの笑顔で、聞かせてくれる最高の夢だ。

(本ブログ関連:"シルヴィ・ヴァルタン")

(Youtubeに登録のwin081に感謝)

2019年11月7日木曜日

アイドル

若い歌手が「アイドル」と名指しされるようになったのは、いつごろのことだろう。ネットを探すと1970年代を中心にして語られ始めているようだ。もう少し私の世代に近い歌手はいないものかと検索したところ、次のような<論説>があった。

「アイドル 150年 ─アイドル・ブームと長期波動─」(平山朝治、筑波大学『経済学論集』第70号、2018年3 月)*
(*)論説: https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=45571&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

同レポートの「はじめに」に、「日本ではシルヴィ・ヴァルタンの歌った La plus belle pour aller danser をカバーした安井かずみ作詞『アイドルを探せ』*が,1946 年生まれの中尾ミエと 1941年生まれの双子姉妹ザ・ピーナッツによって 1965 年にあいついで競作発売された」とある。
(*)アイドルを探せ: (原題)「踊りに行く一番の美人」の邦題(1964年)

(本ブログ関連:”シルヴィ・ヴァルタン”、”中尾ミエ”、”ザ・ピーナッツ”

彼女たちはテレビ・ラジオでよく知った歌手だが、今でいう「タレント」のイメージとはちがった。シルヴィ・バルタンは、アメリカンポップの向こうをはったフレンチポップの旗手でもあったし、そんな中、アメリカンポップのカバーを中心に、日本の白黒のテレビの娯楽番組で活躍したのが中尾ミエであり、ザ・ピーナッツの歌手たちだった。

1960年代からずっと後、1980年代の「アイドル」に、今般高級官僚との結婚で話題になった「菊池桃子」がいる。当然ながら、当時のテレビで見ることはあっても時代を共有した感はない。彼女の結婚相手の官僚と近しい関係だった某元役人の評論家が悔しんでいるのはご愛嬌。

タレントは、若者の心にそれほど喰い込んでいたようだ。私にしたら、<桃>の字つながりで思い出すのは、「桃井かおり」かはたまた「河内桃子」の方かもしれない。

2017年8月26日土曜日

ジリオラ・チンクェッティ

テレビコマーシャルで、最近、気になっているものが2つある。

ひとつは、Hachet(アシェット)の定期購読・モデル組み立て「JEEP」シリーズで、平均2号/月の配布予定らしい。@917円/号、想定最終号数110号とのこと、ざっと計算すると、総額10万円近くになる。正直、ひまと時間があっても手出しできそうにない。それに根気が続くかどうかも、我ながら怪しいし・・・。

もうひとつは、「ジリオラ・チンクェッティ」の来日公演が11月18、19日の両日開催されるそうだ。ユーロポップのひとむかし前、「シルヴィ・ヴァルタン」に代表されるフレンチポップや、ジリオラ・チンクェッティに代表されるカンツォーネブームが、アメリカンポップと違った新鮮さで迎え入れられた。

イタリアの「サンレモ音楽祭」(1964年)で、「夢見る想い」(Non ho l'età)を歌い優勝したのが、16歳のジリオラ・チンクェッティだった。当時の、なんとも初々しい彼女をYoutubeで見ることができる。ラジオやEPレコードジャケットでしか知らなかった彼女の姿を。
(ちなみに、イ・ソンヒはその年に誕生している)

(本ブログ関連:”ジリオラ・チンクェッティ”)


(Youtubeに登録のFrancisco Vitorianoに感謝)