山には不思議な話がある。
そんな体験を、山で生活する人びと(たとえば樵や猟師・マタギと家族、集落)にとっては、伝承という形に整理・納得しないとやっていけなかっだろう。また、山を対象化して制覇しようとする都会からやってきた登山者にとっては、テントや山小屋の中で怯え恐怖したいっときのことでしかなかっただろう。
山にはもう一つの側面がある。
山は鉱物資源を有していることだ。見えないものが見え、鉱山開発するプロジェクトリーダーとなるべき「山師」が必要になる。かれらは消費市場と仲立ちする豪商(背後には奉行)と接触できる能力を有する。それゆえに、過酷な環境下の鉱山労働者と、貨幣で動く市場の両側から胡散臭く見えたのだろう。
でも一番恐ろしかっただろうのは、鉱山労働者たちだった。
地底に潜って働く・あるいは働くことを強制された鉱山労働者たちだった。現在、戦場で傭兵に懲役囚を使うように、都市部の犯罪者を鉱山で労役させた時代があった。生きるか死ぬかの境遇だ。いやそれだけではない、平和を享有しながら差別を主張する現代人がとっくに忘れている、かつてのヴィクトリア朝時代には、子どもたちが坑道を這わされていた*。
(*)My Learning「石炭採掘とビクトリア朝時代 地下で働いた児童労働者の物語」
- https://www.mylearning.org/stories/coal-mining-and-the-victorians/236?
日本のいわゆるプロレタリア文学以前の期に書かれた小説に、鉱山労働者の悲惨さが描かれている。視点が、政治的な存在として扱おうとする以前のこと、欲望のまま衝突を繰り返し、行き場を失う露わな姿が表現されている。
坑道は落盤する。湧水する。ガスがたまる。酸素が枯渇する。粉塵が撒かれる。
かつて、1963年(昭和38年)に発生した
三池炭鉱の炭塵爆発事故で、死者458名、一酸化炭素中毒患者839名を出した。たった60年前のこと、わずか二世代前のこと。みんなとっくに忘れている。
ChatGPTへの質問と回答
Q1.江戸時代の鉱山開発にかかわった山師とは?
Q2.江戸時代の鉱山労働者(キリシタンを含めて)とはどんな存在だったか?
について問うてみた結果は次の通り。
Q1.江戸時代の鉱山開発にかかわった山師について、どのような人たちだったのか教えてください。
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A.江戸時代の鉱山開発に関わった人々を「山師(やまし)」と呼びました。彼らは鉱山の探査、採掘、鉱石の精錬など、鉱山業全般に携わる専門家でした。以下に、江戸時代の山師についての情報を提供します。
1.役割とスキル:
山師は、主に鉱山探査や採掘技術に長けた人々でした。彼らは鉱山の地質や鉱脈の存在を調査し、鉱石の埋蔵量や品質を評価しました。また、鉱石の採取方法や精錬技術にも精通しており、鉱山の効率的な運営に貢献しました。
2.奔放な生活:
山師は、自由奔放な生活を送ることが多く、鉱山地域を転々としました。彼らは鉱山の開発が進む地域に集まり、鉱山の採掘権をめぐって争いも発生しました。一方で、彼らは高い技術を持っていたため、地元の領主や商人から重宝され、雇われることもありました。
3.伝統的な知識と技術:
山師は、長い歴史を持つ日本の鉱山開発の伝統的な知識と技術を受け継いでいました。彼らは地質学や鉱石の特性についての知識を持ち、経験に基づいた採掘技術を駆使しました。また、鉱石の精錬や冶金技術にも独自の工夫がありました。
4.貧しい生活と危険な労働条件:
鉱山労働は非常に危険で過酷なものであり、山師も例外ではありませんでした。彼らは狭い坑道での作業や鉱石の採取に従事し、多くの労働者が事故や健康被害に苦しんでいました。また、山師の多くは貧しい生活を送っており、鉱山での収入が不安定であったため、生計を立てるのは難しかったです。
5.社会的地位:
一部の優れた山師は、その知識や技術によって評価され、地元の領主や商人とのつながりを築くことができました。彼らは地域社会で一定の地位を持ち、他の労働者や地元住民からも尊敬される存在でした。しかし、一般的には鉱山労働者として社会的に低い地位にありました。
江戸時代の山師は、鉱山開発において重要な役割を果たした専門家でした。彼らの知識と技術は、日本の鉱業の発展に寄与しましたが、彼ら自身の生活は貧しく、労働条件も厳しいものでした。
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Q2.江戸時代の鉱山労働者は、どのようなひとびとだったのでしょうか。キリシタンがいたという話がありますが、はっきりした事例があるのでしょうか。
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A.江戸時代の鉱山労働者は、一般的には農村から集まった貧しい人々が多くを占めていました。彼らは鉱山での労働を通じて生計を立てるために働いており、労働条件は過酷でした。
鉱山労働者は、狭い坑道での作業や鉱石の採取、運搬などの重労働に従事しました。彼らは長時間の労働や危険な環境下での作業にさらされ、事故や健康被害に苦しんでいました。また、収入も不安定であり、貧しい生活を送ることが多かったです。
江戸時代の鉱山労働者には、キリシタン(キリスト教徒)も含まれていました。当時、キリシタンの信仰は禁止されており、秘密裏に信仰を守る者も多く存在しました。一部の鉱山地域でもキリシタンの鉱山労働者がいたと言われていますが、具体的な事例については資料に限られており、はっきりした事例があるかどうかは確証できません。
ただし、鉱山労働者の中にキリシタンが存在した可能性はあるとされており、彼らは信仰を秘密に守りながら鉱山での労働に従事したと考えられています。しかし、キリシタンであることが発覚すれば弾圧や迫害の対象となり、それによって正確な記録が残されなかった可能性もあります。
総じて言えることは、江戸時代の鉱山労働者は困難な労働環境に置かれ、貧しい生活を送っていたということです。キリシタンの存在についてははっきりした事例が限られており、詳細な情報は得られにくいと言えます。
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