「Googleニュース」のトップニュースに、「節分の豆まき」の記事がひとつも掲載されていない。わたしにしてみれば、今日の伝統行事の豆まきが見あたらないのは気になる。
最近、鬼も寄り付かず、さりとて福を呼びたい欲もない。それでも節分に豆がないのは寂しいものだ。久し振りに図書館に行った帰り道、コンビニで(砂糖をコーティングした)「紅白福豆」を買ってきた。テレビを見ながら、福豆をポリポリ食っていたら、(豆まきするほどもない)量が少ないせいかアッというまになくなってしまった。
(本ブログ関連:”節分”)
テレビで語られた俗説に、昔から(陰陽道で)忌まわしい方向を「鬼門」といい、北東すなわち「丑寅(うしとら)」をさすという。だから、鬼には牛の角があり、虎の毛皮のパンツをはく。いつ頃からか、鬼の姿が怖くなくなった。童話の鬼はどこか滑稽でもある。
鬼は恐怖の符号だから、童話の鬼以外にも、仏教由来の「鬼子母神」がある。名前の通り、母親でもあり、やがて改心という救いがあるようだ。
Wikipedia(日本語版)によれば、バスク神話に「ラミア(Lamia)という女性は魔女(Sorgin)、または子どもの血を吸う鬼として現れる」そうだ。こちらも女性であり、子どもの命と関連するようだ。
一方、Wikipedia(英語版)の「Lamia」を見ると、海洋性の人魚に近く誘惑的である。日本語版のものとだいぶ違うように(今のところ)見える・・・ここから興味が始まるというものだ。
「ニューエクスプレス バスク語」(吉田 浩美著、白紙社)を読み始めた。今は、人魚のLamiaに近い存在で、好奇心にくすぐられて寄って見ているが・・・。